【考察】眠れる奴隷と、プッチが目指した天国について考える | ジョジョ好きの奇妙な日常

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5部エピローグの眠れる奴隷に出てくる、スコリッピという名の男。
このキャラクターがイエス・キリストをモチーフにしているということに気づくかどうかで、5部6部の楽しみ方は随分違ってくるのではと思う。
私自身、一度読んだときは正直意味不明だった。
最後の最後に登場するスタンド名が「Rolling Stones」なのにはビリビリっときたが。

私は、5部を読んだあとにすぐ「ジョジョの奇妙な名言集Part1-3」のあとがきの、5部の部分を読んだ。
この本自体は3部を読破したあとすぐ購入していたが、あとがきは4部以降に触れていることに気づき、それらはその部を読んでから読もうと決めていた。
そこに書いてあった解説を所々抜粋すると…

ーースコリッピは頭に茨の冠をかぶっていること、両掌に楔を打ちこまれたような穴が穿たれることから明らかにキリストの姿として造形されています。つまり、ここには神の子みずからが登場して、人間の運命はあらかじめ定められ、これを変えることができないと断言しているのです。これはキリスト教神学では運命予定説と呼ばれる考えです。来世で救済される者と救済されず滅びる者は初めから決まっていて、それを知るすべを人間はもたない。どんなに努力し、善行を積んだとしても、その運命は変えることができないという悲観的な思想です。
しかし、ここから「覚悟」という言葉のもつ積極的な意味が生まれてくるのです。人間の運命はあらかじめ決定されており、けっして人間はそれを知りえない。にもかかわらず、いや、だからこそ、不可知の運命を前に「覚悟」を決めて、人間は〈いま・ここ〉で限りなき努力を続けるほかありません。未来の救済や滅亡は〈いま・ここ〉ではどうでもいいことなのです。それはすでに決定されているのですから。救済も滅亡も同じ運命だと「覚悟」して、〈いま・ここ〉に立ち、戦いつづけること。それが、ジョルノとその仲間のブチャラティたちが選んだ道です。
たとえ人間の運命が決まっているとしても、不可知の運命を恐れず、暗闇の荒野を進み、苦難の道を歩む者は、「どこかの誰かに希望として伝わって行くような 何か大いなる意味」をあたえることができるというのです。

ここに全ての解答が書かれていた。
改めて眠れる奴隷を読み直し、そして5部を頭からもう一度じっくり時間をかけて読んだ。

ここから先は、完全に私の勝手な解釈だ。
人はみな平等に、運命の奴隷である。
知るはずもなく動かしようのない運命というものがあり、人はみなそれに従って生き、死ぬ。
スコリッピだけが、自身の持つスタンド能力のために人の運命を知ることができる。
しかし運命を変えることはできず、できることと言えば、近いうちに死ぬ運命にある者を安楽死させてやることだけ。
運命の奴隷であることには変わりない。

どうでもいいことかもしれないが、なぜスコリッピはそのようなスタンドを発現したのか?
おそらく、彫刻の道を極めていく過程で発現したのではと思う。
人はこの世に生まれた時から運命が決まっていて、死から逃れることはできない。
運命を変えることはできなくても、せめて死ぬときだけは楽に逝きたい。
逝かせてやりたい。
そう強く思うような体験をしてきたのだろうか。
「運命の奴隷である人々を、迫り来る死という恐怖から救いたい」という強い気持ちがあったのだろう。
彫刻家という、イメージを立体的な形に表現する道を極める過程で、その強い思いと精神力がスタンドを発現させるに至ったのだろう。
何しろ彼はキリスト、救世主なのだから。

ミスタに拷問されているときに、彼には明らかに悪意も害意も反抗心もないことが分かる。
当然だ、誰かを殺したい、傷つけたいと思っているのではなく、むしろ安楽死というかたちで救いたいと思っているのだから。
運命は受け入れるべきであり、苦しまずに済む助けをしたいだけ。
そして自分がまだ死なないことも確信しているので、ミスタからどんなに酷い仕打ちを受けても恐怖や危機感は一定のところで頭打ちとなる。
縮み上がってひれ伏すに違いないと思っているミスタにとっては、気に入らないどころか逆に恐怖である。

そしてそのミスタが、スコリッピにとって初めて運命を変えようとした男となる。
結局、ブチャラティだけが死ぬ運命だったのに、アバッキオとナランチャも死ぬ運命に変えてしまうことになる。
ミスタが、このことに気づかなくて良かったなと思う。
気づいてしまったら、俺のせいで三人は…と生涯癒えない傷を負ってしまうところだった。
ミスタが命懸けで石を粉砕したおかげで、三人の石が形成し安楽死させるために追いかけ始めるまでには時間がかかった(ブチャラティに関しては死期が数日遠のいた)、という風に私は解釈している。
あの時あの場所では、ミスタは確実にブチャラティの命を救った。
そしてブチャラティをジョルノとの出会いに導き、物語を動かした。
改めてミスタは5部において、超重要人物である。
物語中、ミスタがしょっちゅう自分の弾丸を自身に食らいながらも猛攻できたのは、案外スコリッピの能力から自分は近々死ぬことはないと確信していたからかもしれない。
ブチャラティも死なない、と。
ラスト、ブチャラティが死んだことを知った時、「なぜ?あの石は壊したのに」とミスタは思っただろうか。
割と思考回路が単純そうだし、あの件をフーゴにすらうまく伝えられたかどうか謎なくらいなので、もう忘れていたかもしれない。
自分のためにならないこと、興味がないことはすぐに忘れていきそうだな。

スコリッピは、そんなミスタを見て思う。
「彼らがこれから歩む『苦難の道』には何か意味があるのかもしれない………彼らの苦難が………どこかの誰かに希望として伝わって行くような 何か大いなる意味となる始まりなのかもしれない…」
「無事を祈ってはやれないが 彼らが『眠れる奴隷』であることを祈ろう………目醒めることで…何か意味のあることを切り開いて行く『眠れる奴隷』であることを……」
深い。
運命の奴隷であることからは逃れられないが、変わらない運命のなかで、人から人へ何かを受け継いで行くことができるなら、その奴隷は目醒めることのできる(眠れる)奴隷であり、大いなる意味を持っているということ。かな?
全てはエンポリオに繋がっている気がしてならない。

しかしスコリッピ、ミスタからあんな目に遭わされているというのに全くミスタを恨む素振りを見せない。
おそらく多くの人の安楽死を見送ってきたことで、常々自分の業の深さ、罪深さに苦しんでいたのだろう。
自分に悪気はなくとも、ミスタにあれだけ傷つけられる理由があると悟っていたのだろう。
キリストよろしく、すべての人の罪を一身に受ける覚悟ができていたのかも…
このスタンドだけは絶対に欲しくないぜ。

ところで、プッチの目指した天国とは。
プッチはDIOにそそのかされただけであろう。
DIOが一体どんな天国を目指したのか?そちらはより深い謎に包まれているが、おそらく想像するに、ジョースターとの因縁が一切ない、自分だけに都合のいい世界といったところだろう。
プッチが重要視し目指したのは、全ての人が精神で運命を記憶し、覚悟できている世界だ。
ジョースターとの因縁を断ち切ることは、二番目だろう。
つまるところプッチも、スコリッピと似たような悲しみを感じていたわけだ。
人がみな運命の奴隷であるということを悲しみ、せめて運命を覚悟できた奴隷であるべきと願った。
スコリッピとの違いはそこだ。
運命を知り覚悟ができた奴隷は、幸福であるとプッチは思った。

しかしプッチの計画は、エンポリオの前に頓挫した。
世界は生まれ変わり、人々はまた眠れる奴隷となった。
人が運命から解放され、奴隷ではなくなることはできるのか?
そうなることができたら、それが一番幸福なのか?
分からない。
それを知ることすら、人間にはできない。
そもそも、自分に課せられた運命を知ることができないのだから、自分が一体全体どんな運命に縛られているのか分からないし、例え運命から解放されたとしても、解放されたことに気づけないはずだ。

ジョルノは言った。
「覚悟とは‼︎暗闇の荒野に‼︎進むべき道を切り開くことだッ!」
見えない運命を、覚悟で照らし、道を切り拓くことはできる。
運命に逆らうことはできず、命は尽きても、真実へ向かおうとする意思は次の誰かの心に受け継がれる。
ジョースターの血は途絶えても、その黄金の精神はエンポリオに受け継がれた。
エンポリオが、新しい世界でまた別の誰かに受け渡すのだろう。
そうして、人々は眠れる奴隷でありながらも、大いなる意志を受け継いでいく。
これが幸福であろう。
要するに、何も変わらず、そのままの世界で生きることが幸福なのである。

今更だけど、6部を読みきってから最終話のタイトルが「What a wonderful world」であることに痺れるよね。


少し腑に落ちないこと…
運命は変えられないはずなのに、なぜミスタはブチャラティ、アバッキオ、ナランチャの運命を変えることができたのか?
おそらくだが、スコリッピの存在とそのスタンド能力は、かなり稀で特殊なものなのだと思う。
何しろキリスト。
だから、このローリングストーンズに対して有効な手段(かなり限られている)をとったときだけ、少し運命を変えることができるのだと思う。
でなきゃ、このスタンドが出てきた意味がない。
何をどうしても運命は変わらない、そもそも三人とも死ぬ運命だった、ミスタが飛び降りることすら運命だったと言ってしまうと、正しいような気もするが、何か…まぁそれでもいいのか。
テーマは、運命を変えることができるかどうかではなく、変えられない運命の中でどう生きるか、だから。
どちらでもいいか。




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多分こっちの方が読みやすいです…