【考察】プッチの目指した天国とツェペリさんの生き方について | ジョジョ好きの奇妙な日常

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ツェペリさんの考察のつもりで書き始めたのに、どちらかというとプッチの考察になっちゃった。
かれこれ1ヶ月ほど書いては保存を繰り返し、どんどん長く…



1部と2部に関しては、先にアニメを最終話まで見てから原作を読んだので、アニメの印象のほうが強く残っている。

原作を7部まで読み終えた今、久しぶりにアニメ1部を見返していて思ったことがある…

ツェペリさんの覚悟は、プッチの理想にちょっと似てるなって。
ても違う。
どんな風に違うんだろう。

それを考えてみた。



プッチが作り出した世界は、こんな感じだった↓


『宇宙』は一巡したッ!
『新しい世界』だッ!
人類は一つの終点に到着し「夜明け」を迎えたのだッ!

未来を一巡して『新しい宇宙』が始まったッ!
運命も同じように繰り返されるッ!
(略)
人の出会いとは「重力」であり
出会うべくして出会うものだからだッ!
そして人類は未来の全てを体験してこの世界へ到達した!

たとえば5年後の未来何が起こるか?
人類全員がそれを知っている
『加速した時』の旅で
自分がいつ事故にあい
いつ病気になり
いつ寿命が尽きるのか?
すでに体験してここに来た

人といつ出会い…そして別れるか?
(略)
頭脳や肉体ではなく
精神が それを体験して覚えて知っているのだ!

そしてそれこそ『幸福』であるッ!
独りではなく全員が未来を「覚悟」できるからだッ!
「覚悟した者」は「幸福」であるッ!

悪い出来事の未来も知る事は「絶望」と思うだろうが
逆だッ!
明日「死ぬ」と分かっていても「覚悟」があるから幸福なんだ!

「覚悟」は「絶望」を吹き飛ばすからだッ!


うぅん…何度読んでも、痺れる。
絶対的な悪なのに、なんだか間違ってない気もしてくる。
しかし「ッ」と「!」の多いこと(笑)
こりゃアニメ化したとき声優さん、汗だくで演じなきゃね。
岩浪さんのチェックも大変だ。


元々プッチが求めていたことって、「覚悟した者は幸福である」この一点だけなんじゃないかなぁと私は考えてる。
その手段として、プッチの望みに呼応するようにプッチのスタンドが時を加速させ、宇宙が一巡し、人類みな全てを記憶し同じ世界を繰り返すことになったのではないかなぁ?
繰り返すって言い方は間違ってるかな。
「宇宙を一巡させる」ことそのものが目的だったわけではないと思う…いや結果的に同じことなんだけど…


プッチは、心からこの幸福を信じている。
こんな具合に↓

天にまします主よ
わたしを導いてください…

わたしが間違った道を歩まぬよう見守っていてください……

あなたの御心に我が身を捧げます


そして本当に邪念がない。
こんな具合に↓

わたしの能力は…
完成したようだ
そしてこれは…おまえたちを始末するための能力ではないし
『最強』になるための力でもない…
この世の人類が真の幸福に導かれるための力なのだ


どうしてプッチがこんなにも人類の幸福(覚悟による)を求めるようになったのか、やはりそれはきょうだいに起こった悲劇と、DIOとの出会いに起因するのだろう。




なぜ双子の弟は生まれてすぐに死んでしまったのだろう?
なぜ死んだのは自分ではなく弟だったのだろう?
なぜ自分は生まれつき足が奇形なのだろう?

運命は なぜ自分ではなく弟を選んだのか?
なぜ人に幸福と不幸があるのか?
真の幸福とは何なのか?

と、幼少期からずっと真実の答え…答えというよりは納得?を探し求めていた。
「運命」や神の存在に興味を持ち、神学の道へ進むことになった心理は何となく理解できる。

それが16歳のときに、自分の弟は死んだのではなく、実は死んだ他人の赤ちゃんとすり替えられ生きていたことを知る。
しかも弟の方がすり替えの標的になった理由は、自分は奇形児だったが弟は五体満足だったから。
(これに関してはプッチが気づいた描写はないけど、ウェザーの育ての母は明らかに足を見て選んでいたし、プッチもいずれ思い当たるのではないかなと勝手に予想している。)

…自分がずっと、神のなせるわざでありむしろ答えなんて見つからないと思っていた「運命」の真実は、そんなことだった。
プッチは絶望したのではないだろうか…


その上、事態はこれ以上ないくらい最悪の展開を迎える。
実の弟と妹が、愛しあっていた。

妹を救いたい一心でプッチが取った行動の結果、その最愛の妹は死に、弟も再び失う(抹消する)ことになってしまった。

どうしてなんだ?
なんで こんな事になってしまうんだ?

なぜ人と人とは出会うのだ!?

プッチが狂気にとりつかれてしまうのも、無理もない気はする…




「ウェザーのことが片がついたら…「彼」に会いに行こう」
「彼の名前は『DIO』」
「『人はなぜ出会うのか?』きっと「彼」なら「答え」を知っている」
「それを知りたいッ!その「答え」こそが…
この世の最強の力であるし
真理に違いないッ!」


プッチはきっと、救いを求めていた。
DIOに。

すり替えられたのは弟のほうで自分ではなかったこと、妹を死なせてしまったこと、弟も殺したようなものであること、自分が生きていること、DIOと出会ったこと…

全て、間違いじゃないよと言って欲しかった?

自分や弟、妹、両親のように運命に翻弄されて生きるのではなく、初めから全てを知り、覚悟し、迷ったり悩んだりせずに生きることができるほうが幸福だと思った?

DIOと再会して、何かしらの答えを貰ったのだろうかね?
ただDIOと一緒に居られるだけで、心が安らいだのかな。
その後両親との関係は絶ったのかな…
何も知らないで娘を亡くした両親と、それまでと同じように生活できるわけはないよね。


DIOの死後、DIOの願いや目指したものは、自分たった一人が理解し共有できると信じたのかな。







ここから少し、ツェペリさんの最期を振り返ろう。




「ついに」
「ついに来たか あの予言の時が」
「これが運命なら あるがまま受け入れよう!」

ポコがレバーを倒し、ツェペリさんが双首竜の間に入り死の覚悟を決めた瞬間。
ここ、アニメ第6話のエンディングの入り方が神がかってた…
「あしたっていまさッ!」で泣いた。
ROUND ABOUTの歌詞を知ると、またいろいろと考えさせられる。


トンペティ「このまま修行を続けるなら もう抜け出られん……そなたの「死の運命」から!」
「やめるなら今じゃ やめれば新しい道もひらけよう」

スコリッピのエピソードを読んでしまうと、そんな「新しい道」なんてなかったのかも…と思う。
でもヴァレンタインの能力と世界ディエゴの登場を思うと、そんな道を歩むツェペリさんもどこかの平行世界に居るのかもしれないよね。
まだ赤ちゃんのシーザーを抱っこして幸せそうなツェペリさん……ウッ…だめだ切なすぎる!(泣)


「わたしには追い求めているものがあるのです
それをほうっておくことはできません」
「自分の生きざまをまっとうするために 知りたいのです
わたしは自分の死期を知ったところで すべてを うけ入れます
すべてに満足します」

ツェペリさんは、自分がいつどんな風に死ぬのか具体的に知りたがった。
ここだ!
プッチの理想と似てるかもしれないと思ったところは。
ツェペリさんの場合は、明確な目的があったために自分の運命をどうしても知りたかった。
プッチの天国の場合、運命を「頭脳で知る」のではなく、「精神で未来を記憶している」ので根本的に違う。
目的や理由なんてなくても、未来の全てを初めから知っているのだから。

でも、プッチが言う「明日死ぬと分かっていても覚悟があるから幸福」には当てはまる…?

いやそれも違う。

ツェペリさんが恐れていたのは自分の死ではないし、自分の死を覚悟できていたから幸福だったというわけでもない。
ツェペリさんが恐れていたのは、目的(石仮面の破壊とディオの抹殺)を達成できないことであり、自分が死んでも目的が達成されるなら幸福だったんだ。

うん…ツェペリさんの考え方とプッチが思う幸福の違いって、ここんとこかな。
でもツェペリさんは、自分がジョナサンと出会い、ジョナサンのために死ぬということは予言により何となく知って生きてきた。
プッチによって一巡した世界の人々の感覚に、少しだけ似ている。


改めてツェペリさんの願いを思うと、結局1部では完全に達成されなかったってことになるんだなぁ。
3部でDIOが消滅して、ようやくツェペリさんも天国で胸をなでおろしたのかもしれない。

ジョースター家の戦いも辛く厳しいものだったけど、ツェペリ家の戦いもなかなか険しかった。
シーザーの兄弟たちは結婚し、子供をもうけ、子孫が繁栄してるといいなぁ…



そして、ツェペリさんは予言通り残酷な死を迎える…

「わしは…自分の運命に満足しておるよ…略…全て受け入れておるよ…」
「わしは最後に自分の全てを伝えた…ジョジョ…おまえはわしの希望だ!」
「まるで親友と息子を同時に持ったような気持ちだぞ」
「そして わしはこれから おまえの中で生きるんじゃ…」

これはジョナサンの運命でもあった。
師であり友であったツェペリさんの遺志を継ぎ、命を背負い、戦う運命。



愛してその人を得ることは最上である…愛してその人を失うことはその次によい
ウィリアム・M・サッカレー

この引用が印象的。


「あしたの勇気・うけ継ぐ者」

この章タイトルも印象的。
ポコとジョナサンのことか。
ツェペリさんにとっての「あした」でもあるかもしれない。
そしてツェペリさんがいなかったら、ジョナサンの「あした」も訪れることはなかった。






最後に思うのは…

結局のところプッチもツェペリさんも運命の奴隷だったけど、ツェペリさんは目覚めることのできた奴隷だった。

プッチはどうだろうね。
懸命に抗ったんだろうけど、最後まで翻弄されただけだったようにも思える。

プッチは、運命の「答え」や「真理」を求めた。
ツェペリさんはそんなことには目もくれず、ただ運命に従い戦い抜いた。
そしてジョナサンに託した。



以前、眠れる奴隷とプッチの目指した天国について考察したことがあった。


↑何が言いたかったのか自分でも分からない(笑)
パッションだけ伝わって…ください…




あ、あと

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スピードワゴンが、特にセリフや描写もなくツェペリさんの帽子をクールに受け継いでるシーンが好き。

「ディオを倒すまでは悲しんじゃあいられねえ!」
と言ってるけど、ディオを倒した(完全にじゃないけど)後はジョナサンとゆっくり酒を酌み交わすことはできたのだろうか?
ジョナサンとエリナが新婚旅行に出発する前に、どのくらいジョナサンと過ごすことができたのだろう?
その間丸4ヶ月あるけど、ジョナサンはエリナへの埋め合わせで忙しかったかもしれないしね。

今初めて考えたけど、きっとその期間にジョナサンはエリナとの新居を用意したんだよね?
その後身ごもったエリナが、独りで暮らすことになった新居を。
エリナは自分の実家に帰ったのかなーなんて考えたりもしたけど、あのジョナサンが結婚するに当たって住所不定無職だなんてことはないだろうし(笑)、家を建て、仕事も決まってたのかも…
そんなジョナサンが用意した新居に、エリナが住まないわけはないッ!
ってどんな妄想だこれ(笑)

エリナがリサリサと共に救出されたとき、彼女はもう覚悟は決まっていただろうけど、おそらく駆けつけたであろうスピードワゴンのショックと悲しみは計り知れない。
これから人一倍幸せになるはずだったジョースターさんが、死んでしまった…
ディオが生きてた…
二人は相打ちに…
天にも昇るような幸福な気持ちから、地獄へ突き落とされただろうね。
エリナさんとお腹の赤ちゃんを守るために、おれは何でもするぞッ!
ジョースターさんの代わりにはなれなくても、命を賭けて守る!
この世界を!
と思ったのだろうか?
そういう気持ちで石油を?

ジョナサンが生きていたら、スピードワゴンも第二の人生を普通に歩み、もしかしたら結婚だってしたかもしれない。

スピードワゴン……



ところで小説「OVER HEAVEN」を思い起こすと、救出されたエリナの心境が非常にヤベェことになるね(笑)
「ディオなら私が救ったわよ。棺桶の底にいるわよ。もう海底に沈んだだろうけど。生きるか死ぬかはあいつ次第よ。もしかしたら50年後か100年後、蘇るかもね。フンッ。誰にも言えないわこんなこと」←捏造過多
ってな感じに(笑)
いや~~いくら公式から出てる作品とは言え、二次創作物ですよこれは。
あり得ないよこんなエリナ。
もしくはディオの幻聴だよ。



話が逸れたところで、終わります。
長…スイませェん…