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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

最終章

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最愛の吸血姫

 轟音。


 飛び散る金属片。


 バラバラと降り注ぐそれが硬質な音を立てながら地面に落ちた頃には、玉座のある雛壇の一角から呻き声が響いた。ガラガラと崩れ落ちる白亜の雛壇の中央には、背中から埋もれて苦痛に顔を歪めるハジメの姿がある。


 その姿は、神水による治癒など無かったかのように血塗れになっており、それどころか左腕の義手まで無くなって見るも無残な有様となっていた。


「ぐっ、がはっ」


 盛大に吐血しながら、ハジメはドンナーを前方に向けようとする。額から流れ落ちた血が目に入り、まるでレッドアラートが点灯しているかのように視界を真っ赤に染め上げていた。


 その赤い視界の中で、重力を感じさせずにふわりと起き上がったエヒトルジュエが指を鳴らす仕草をしたのが分かった。


 その瞬間、ドンナーを持つ右手に強烈な衝撃。吹き飛ばされた際の衝撃で痛覚が麻痺しているのか痛みはほとんど感じなかったが、何をされたのかは分かる。視界の端で、自身の右手の五指があらぬ方向に曲がり、持っていたはずの相棒が木っ端微塵に粉砕されていたのだから。


 バラバラに砕け散ったドンナーの破片が地面に落ちると同時に、右手の中指にはめていた〝宝物庫Ⅱ〟もカランコロンと場違いに可愛らしい音を立てて地面に転がる。右手に衝撃を受けた際に抜け落ちてしまったようだ。


「見事、見事だ、イレギュラー。この我に切り札を当てるとは。称賛に値する。もっとも、切り札が常に切り札たり得るかと問われれば、否と答えるしかあるまい」

「……」


 悠然と薄笑いを浮かべながら歩み寄ってくるエヒトルジュエ。普段は鳴らすこともないだろうに、ヒタヒタとやたら大きく足音を響かせるのは死へのカウントダウンでもしているつもりか。


 しかも、一歩、歩みを進めるごとに粉砕され散らばった義手やドンナー、少し離れた場所に落ちているシュラークが白金の光に包まれていく。ハジメのアーティファクト達は、抵抗するようにふるふると震えたものの、やがて耐え切れなくなったようにその形を崩していき、最後には塵も残さないほど完全に消滅させられていく。


 主たるハジメの手から離れ、集中的に消滅の光を浴び続ければ、ハジメの施した対策も保たなかったようだ。


「不思議か? 〝神殺し〟の概念が込められた弾丸は確かに我の心臓を穿ったというのに、何故、平然としているのかと。クックックッ」

「……」


 可笑しそう、あるいは滑稽そうにハジメを見ながら悦に浸る。ハジメは答えない。話す余裕もないのかぐったりとしたまま崩れた雛壇に背を預け瞑目している。眼帯の外れた右目だけは薄らと開いているようだが、魔眼石は通常の視界を得られるようには出来ていないので、実質、エヒトルジュエの表情は見えていない。


 だが、そんなハジメを特に気にした様子もなく、エヒトルジュエの舌は滑らかに動く。起死回生、一発逆転の奥の手を潰され無様を晒すハジメの姿が、余程、お気に召したようだ。


「確かに、千年も前の我ならば、あるいは滅ばされていたかもしれん。だが、その間も、信仰心を魂魄昇華の為の力に変換する秘技は続けていたのだぞ? 当然、存在の格も上がるというものだ。たかだか、人間の生み出す概念など物ともせん程度にはな。しかも、今はこの吸血姫の肉体がある。人の肉体自体が根付いた魂魄を守る防壁となるのだ」

「……」


 周囲に散らばっていたハジメのアーティファクトが完全に消滅した。ご丁寧にも、先に潰されたシュラーゲン・AAやクロス・ヴェルトを含めたアーティファクト、弾丸の薬莢、手榴弾の破片に至るまで、完全に消滅させられたらしい。


 徹底的に望みを絶つつもりなのだろう。もっとも、ハジメは既に死んだように横たわったまま微動だにしないのだが……お構いなしなところを見ると単なる手慰みなのかもしれない。


「もっとも、我とて本当に無事に済むかは確信を持てなかったのでな、食らうつもりはなかったのだ。故に、少々焦ってしまった。これは快挙であるぞ。神に焦燥を感じさせるなど。誇るがいい、イレギュラー」

「……」


 ギャリッとエヒトルジュエの足が転がり落ちていた〝宝物庫Ⅱ〟を踏み躙る。そして、わざと音を立てるようにして一気に踏み抜いた。踏みつけた場所から光芒が漏れる。やはり、塵も残さず消滅させているのだろう。


 これで、ハジメが所持するアーティファクトは魔眼石のみとなった。薄く開かれた目蓋から覗く蒼い水晶の瞳は何を映しているのか。通常の視界はなくても、当然、魔力の有無や流れは見分けることが出来るので、相棒たるアーティファクト達が消滅していく様は見えていたはずだ。


 しかし、大切なものが一つ、また一つと失われていく様を暗示するかのようなその光景を前にしてもハジメの表情は動かない。既に神水の効果はなく、左腕を失くし、右手を砕かれ、内臓に至るまで打ちのめされ、体中に裂傷を刻んで、ピクリとも動かない姿は、死んでいるか、あるいは全てを諦めて絶望してしまっているかのようだ。


 少なくとも、エヒトルジュエには遂にハジメの心が折れたのだと、絶望の淵に落ちたのだと、そう見えたようだ。人を堕すことを存在意義とする悪魔の如く、表情を歪めて嗤う。


 そして、ハジメの眼前にまで歩み寄ったエヒトルジュエは、その前で膝を折り、ハジメと視線の高さを合わせるとおもむろに手を薙いだ。


「――ッ」


 その瞬間、光星の礫がハジメの両足を穿った。大腿骨が粉砕される。文字通り、風穴を開けられた。


 ハジメの抵抗力をまた一つ奪って、エヒトルジュエはそのたおやかで美しい指先をそっとハジメの顎に添えた。そして、有無を言わさず顔を上げさせる。


 薄らと左目を開けたハジメに、エヒトルジュエは艶然と微笑むとまるで口付けでもするかのように顔を近付けた。そして、弄ぶように唇の手前で進路を変えると半ば抱きしめる形で密着しながらハジメの耳元に甘く、嫌らしく、ヘドロのように粘ついた声音で囁いた。


「お前の大切なものは全て我が壊してやろう。共に【神域】へ踏み込んだ仲間も、地上で抵抗を続ける同胞達も、故郷の家族も、全て踏み躙り、弄び、阿鼻叫喚を上げさせてやろう」

「……」


 ハジメは答えない。ただ真っ直ぐ、魔眼でどこかを見つめるのみで、感情の発露も見受けられない。本当に抜け殻のようで、心ここにあらずといった様子。


 エヒトルジュエは、そんなハジメの横顔を恍惚の表情で眺める。


「だが、安心するがいい。この素晴らしき吸血姫の体だけは丁重に扱ってやる。我の大切な器であるからして、隅々まで、存分に、丁寧に、なぁ?」


 最愛の女を、いいように使われる。その堪え難き言葉に……ハジメが反応した。おもむろに砕けた右手を動かし、求めるようにエヒトルジュエへ、否、ユエの胸元へと手を添える。


「……やっと……見つけたぞ」

「ん?」


 小さな、小さな呟き。しかも掠れていて、間近にいたエヒトルジュエをして聞き逃しめた。


 エヒトルジュエにとってハジメは既に嬲るだけの存在。全ての希望を潰され堕ちた玩具だ。ここから何か出来るはずもなく、それ故にその小さな呟きを、最後の嘆き、あるいは既に存在しない最愛を呼ぶ哀れな鳴き声だと思った。


 そうして、最後の絶望という名の甘露を味わおうとハジメの口元に耳を寄せる。


 ハジメがスっと口を開いた。それは、本来なら既に唱える必要のない詠唱。されど、ハジメの命を繋いできた最大の武器にして、唯一の才能を示す言葉。


「〝錬成〟」


 一瞬、片目を眇めて訝しみ、「なにを」と問おうとしたエヒトルジュエだったが、それは叶わなかった。


 なぜなら、


「――ガァッ、ガハッ!?」


 突如、エヒトルジュエの胸元から無数の刃が飛び出したから。


 内側から肉を食い破り、剣山のように生える血濡れの金属刃。それは、胸元だけでなく瞬く間に体中の至る所から飛び出し、更にはどこからか集まった金属片を媒介にして隣り合う金属と癒着し、エヒトルジュエの体を凄惨に拘束した。


 体の内側から刃が飛び出してくるという異常事態に、エヒトルジュエの思考もまた一時停止をしてしまう。それ程までに、勝利を確信していた上でのこの不意打ちは衝撃的だった。


 体を突き破る刃に、どこからか現れた金属片が深紅のスパークと共にエヒトルジュエの動きを物理的に阻害し、金属に含まれているらしい封印石の要素が魔法の行使を妨げ、更にその異常性そのものが思考をも停止させる。それにより出来た隙は、ほんの数秒のこと。


 だが、価千金。この瞬間こそが、ハジメが待ち望み、狙っていた本当の勝負所。


「〝錬成ッ〟!」


 再度、己の才覚を叫ぶ。


 ただ、金属を加工するだけの魔法。今、この場にある金属は一見するとエヒトルジュエの体から飛び出す刃のみ。〝神殺し〟ですら歯が立たない相手を、どうにか出来るわけもない。


 しかし、ハジメの砕けた右手――魔力の直接操作によって砕けたまま強引に動かしたそれが添えられた場所は……自らの腹。


 直後、深紅のスパークが迸ると同時に血濡れの刃がハジメの腹から飛び出した。


「――ッ!?」


 エヒトルジュエが瞠目する。それは、ハジメが胃の中に金属塊を隠し持っていたからでも、それが腹を突き破ってきたからでもない。


 その飛び出した刃に込められた尋常でない気配を感じたから。背筋が粟立ち、本能がけたたましく警鐘を鳴らす。それは紛れもなく先に感じたのと同じ――概念魔法の気配。


 刹那の世界でエヒトルジュエは咄嗟に天在を使おうとする。しかし、(血管)の中を掻き乱す微細な刃の群れが思考と魔法行使を邪魔し、自動再生すら遅らせる。更には、いつの間にか両足を縫い付けている金属の枷が物理的に飛び退くことを妨げる。


 そうして晒してしまったコンマの隙は、ハジメの刃を届かせるに十分だった。血に濡れて分かりづらいが、神結晶を含有する玩具の如き小さなナイフは透き通った刀身に深紅の光を纏いながら突き出され……そして、狙い通りエヒトルジュエの体にズブリと埋め込まれた。


 途端、膨れ上がる深紅の魔力。その中心はエヒトルジュエの体。同時に響き渡ったのはエヒトルジュエの絶叫。


「がぁあああああああああああああっ!!?」


 ただ、小さなナイフで刺されたにしては有り得ない焦燥と苦痛の悲鳴を響かせる。体から飛び出す刃を白金の光で消滅させ拘束を解き、ふらふらと後退りながら頭を抱えて身悶える。


 エヒトルジュエの体がドクンッ、ドクンッ! と脈打ち始めた。


 それは目覚めの狼煙。身悶える肉体の本来の持ち主が上げる意志の叫び。


「馬鹿なっ、吸血姫は完全に消滅したはずだ!」


 確かに、消滅していく魂魄を感じていたのだ。エヒトルジュエは内から膨れ上がる自らを押し退けようとする力の奔流に顔を歪めながら困惑もあらわに疑問を叫ぶ。


 それに答えたのはハジメだ。未だ起き上がることも出来ない体でありながら、その口元には獰猛な笑みが浮かんでいる。


「ユエの方が一枚上手だった、それだけのことだろう?」

「っ――」


 その言葉で察する。すなわち、ユエの消滅はユエ自身がそう見せかけた策だったのだと。力尽き、消えたように見せかけて、自らの魂魄を隠蔽し身の奥深くへと潜んだのだと。


 いつか必ず、助けが来ると信じて。


 もしかすると、エヒトルジュエが聞いた悲鳴も演技だったのかもしれない。


「だが、だがっ、何故っ!?」


 身悶え、遂に膝を付いて頭を抱えるエヒトルジュエが言葉にならない疑問を無意識に呟く。


 それに対して、ハジメは右手を突き出しスパークを放ちながら答えた。


「〝神殺し〟の弾丸は、お前の魂魄を揺さぶり、ユエの魂魄を覚醒させる。〝血盟の刃〟は、お前の妄念を断ち切り、ユエに力を与える」

「どういう――ッ、まさかっ」


 一瞬、意味が分からないと困惑の言葉を漏らしそうなったエヒトルジュエだったが、直ぐに理解したようでハッとした表情となった。


 それを見てハジメの口元が更に釣り上がる。


 概念魔法〝神殺し〟――それは、ユエの肉体に影響を及ばさず神性を有する魂魄のみを消滅させる魔法。しかし、ミレディから与えられたこの力を、ハジメは彼女の忠告通り信頼してはいなかった。


 故に、その特性のみを利用して本当の切り札を補助する目的で使うことにしたのだ。すなわち、致命傷には程遠かろうと、エヒトルジュエの魂が小さくない影響を受ける隙を突いてユエを覚醒させ、更にユエ自身が力を振るう隙を与えるということ。


 そして、もう一つが、第二の刃(本当の切り札)の為にエヒトルジュエとユエの魂魄を明確に区別すること。魔眼の右目を薄ら開いていたのは、それを確かめるため。小さく呟いた「見つけた」という言葉は、深奥に身を潜ませていたユエの魂を捉えたという意味だったのだ。


 アーティファクト【血盟の刃ブルート・フェア・リェズヴィエ】――ハジメが丸い鉱石状態で胃の中に隠し持っていたそれに付与された概念は、【汝、触れることを禁ずる(俺の女に触れるな)】。すなわち、ユエの魂魄への干渉禁止と、既にある干渉を断ち切る概念魔法だ。


 難点は、ユエの魂魄に直接当てなければ真価を発揮しないという点にあり、それ故に、ハジメは何としても〝神殺し〟を確実に当てなければならなかったため、随分と苦労したわけだが……


 とにかく、これにより、エヒトルジュエの影響から完全に切り離されたユエの魂魄は障壁に守られたかのような状態で、自身は十全に力を振るうことが出来る。しかも、この【血盟の刃】にはわざわざ刀身に溝を掘ってあり、毛細管現象を利用してたっぷりとハジメの血が含まれていた。


 ユエの技能――唯一と定めた相手からの吸血による効果を大幅に増大させる〝血盟契約〟。それが、【血盟の刃ブルート・フェア・リェズヴィエ】を通して直接、ユエの魂魄を強化する!


「これを、最初からっ、狙っていたというのか!?」

「圧倒的物量で押し切れるなら、それで良かった。だが、かかっているのは最愛の命だ。二手、三手を用意しておくのは当たり前だろう?」


 刻一刻と力強さを増していくユエの魂の力。自分の中から異物を追い出そうと荒れ狂う。これは私の体だと、触れていいのはハジメだけなのだと。渦巻き吹き荒れる白金の魔力が明滅するように黄金へと輝きを変え、その意志を示すように脈動がエヒトルジュエの魂魄を打ち据える。


 エヒトルジュエは幻視した。スっと目を開き、その深紅の瞳で己を射抜く美しき吸血姫の姿を。その瞳には最愛のパートナーへの絶大な信頼が宿っており、今この瞬間を待っていたのだと雄弁に物語っていた。


 それはすなわち、ユエも、ハジメも、想いは同じだったということ。意思疎通なくして、互いがどうするか理解し合っていたということ。


 エヒトルジュエは思う。あの時、ユエの体を乗っ取ったものの抵抗を受けてハジメを見逃した、その時から、もしかすると自分は二人の絆という名の掌の上で踊っていたのではないかと。


 凄まじいまでの屈辱と言い様のない不快さがエヒトルジュエの精神を軋ませる。その荒れ狂う心のままにエヒトルジュエは叫んだ。


「舐めるなっ、吸血姫っ。この肉体は我のものだ! 後顧の憂いは残さん! 貴様の魂、今度こそ捻り潰してくれるっ。その次は貴様だっ、イレギュラー! ははっ、この程度の概念など我が力の前では――」


 事実、【血盟の刃ブルート・フェア・リェズヴィエ】を受けても、エヒトルジュエとユエの魂魄による肉体の主導権争いは拮抗していた。それ程までに、信仰心変換の秘技により昇華した神の魂魄は絶大なのだろう。


 だが、


「だろうよ」


 エヒトルジュエの言葉は、たった一言により遮られた。まるで予想済みだとでもいうような軽い声音によって。


「――な、に?」


 エヒトルジュエの瞳が大きく見開かれる。それは、言葉を遮られたからではない。


 視線の先、そこで雛壇に背を預けたまま震える右手をエヒトルジュエに向けるハジメの姿があったから。


 そして、信じ難いことに、信じたくないことに、その手に握られた弾丸から――新たな概念魔法の気配が発せられていたから。


 いったい、どこから出したのか。血濡れであることからすれば、やはり体内に隠し持っていたのかもしれない。


「い、今更、そんなもの! アーティファクトもなく!」


 ユエとの魂のせめぎ合いで身動きが取れないエヒトルジュエが、焦燥を滲ませつつも嘲笑うように叫んだ。


 確かに、弾丸だけあってもドンナーかシュラークが無ければ放つことは出来ない。ハジメの足は穿たれていて、未だ回復はしていないことからすれば、直接叩き込むということも出来ないはずだ。


 だが、そんなことは百も承知。


 ハジメが、三度、自身の最高の魔法を唱える。


「〝錬成〟」


 鮮麗な紅が広がる。それは周囲の空間に広がっていき、徐々に色を濃くして深紅へと変わっていく。同時に、突き出した弾丸を握る手にキラキラと煌く風が集っていった。それは徐々に小さな何かを形作っていく。


「……金属の粉、だと?」


 呆然と呟くエヒトルジュエ。その呟きは、全くもって大正解。


「ユエを確実に(・・・)取り戻すのに最低三工程は必要と踏んだ。……言ったはずだ。確実を期す為だと」

「まさか、あの戦いの最中に……では、これも最初から狙って……」


 何故、刹那の戦闘を強いられた中で手榴弾などというタイムラグのある武器を使い切るまで多用したのか。何故、クロス・ヴェルトやグリムリーパー達は、斬撃系統の攻撃を受けたときにも爆発四散していたのか。エヒトルジュエの体から飛び出した金属は何だったのか。


 その答えがこれ――金属粒子だ。


 目に見えず宙に舞うほど錬成によって微細に分解された金属粒子を全ての手榴弾とクロス・ヴェルト、そしてグリムリーパーに詰めて空間全体に爆発四散させた。中には金属粒子しか入っていない手榴弾もあったし、大鷲型グリムリーパーの中にはずっと粒子を散布している個体もあったのだ。


 あの戦いの最中、物量戦で押しきれないと察し、更にはエヒトルジュエの頭上で撃墜させた(・・・・・)クロス・ヴェルトが撒き散らした粒子を、エヒトルジュエが吸い込み、そのことに気がついていないということを確認した時点で、ハジメは第二プランへと移行したのである。


 すなわち、唯一の切り札である〝神殺し〟を当てるためだけに、死に物狂いで戦っていると思わせて、その実、錬成の材料となる金属粒子を気づかれないよう周囲に散布し、エヒトルジュエを体内から攻撃・拘束するという第二プランへ。


 そして、本来なら触れていなければ使えないはずの錬成で、広範囲の金属を集め錬成できた理由は、錬成の終の派生〝集束錬成〟だ。あの魔王城で目覚めた錬成の極意〝想像構成〟と同時に手に入れた二つの内の一つ。


 効果は単純。触れずに周囲の金属を集めて錬成できる、それだけだ。ありふれた職業に相応しい地味さである。


 だが、それが体内に取り込まれた金属に作用すればどうなるか。宙を舞う金属をたっぷりと吸い込んだエヒトルジュエの肺や胃の中はさぞかし金属粒子に塗れていたことだろう。


 そして、あの義手による拘束。固定の為に飛び出しエヒトルジュエに突き刺さったスパイクからも金属粒子を溶かした液体が流し込まれていたのだ。それが血中を流れている間に破片となれば、内側からズタズタにされるのは自明の理だ。


「物量戦で圧倒した。近接戦で格の違いを見せつけた。切り札を切らせて、その上をいった。全ての手札(アーティファクト)を完全に潰した。だから……」


――勝ったと思っただろう?


 ハジメの悪魔の如く三日月に裂けた口元が、その言葉が、エヒトルジュエの推測を真実である証明する。勝利を確信したからこそ、切り札をも凌いで、己がハジメに対して圧倒的であると確信したからこそ、あれほどまでに無防備に密着したのだ。勝利を確信して、隙を作ったのだ。


 それこそが、本当に狙っていたことだと突きつけられて、あの息詰まる戦闘の最中ずっと布石を打っていたと教えられて、しかも乗っ取られているとはいえ恋人の体を内側からズタズタにするという容赦のなさに、エヒトルジュエの精神が揺らぎに揺らぐ。その動揺を、吸血姫が容赦なく突いてくるのだから堪ったものではない。


 エヒトルジュエが動揺と、ユエの攻勢に意識を割かれている間に、遂に、集束した金属の粒子は形を作りちっぽけな単発式の銃となった。ドンナーやシュラークとは比べるべくもない矮小で単純な作り。


 されど、込められた弾丸は致命の牙。


 ハジメの砕けているはずの指が魔力操作で強引に動き、引き金へと掛かる。


 エヒトルジュエが体から飛び出した刃や纏わりつく金属の枷を消滅させつつ雄叫びを上げながら動こうと、あるいは転移をしようとする。だが、途端、脈動が一層激しくなり、その全てを阻害してしまう。自動再生まで発動を止めてしまっている。


 まるで、ハジメの一撃を援護するが如く。


 きっと、それは気のせいではないのだろう。


 血塗れのハジメは、それでも不敵に笑いながら小さなデリンジャーのような銃を深紅の雷でスパークさせた。


 そして、


「返してもらうぞ。その女は、血の一滴、髪一筋、魂の一片まで、全て俺のものだ」


 紅い閃光が必死の形相で叫ぶエヒトルジュエを貫いた。


 放たれたのはアーティファクト【血盟の弾丸プルート・フェア・ブレット】。込められた概念は【紡いだ絆を(お前がいないと)この手の中に(ダメなんだ)】――ユエとハジメ、求め合う互いの魂を共鳴させ、ユエの魂魄を爆発的に強化すると共に、体内に巣喰う異物(魂魄)の結合を強制的に引き剥がしつつ、同時に直接神経を炙るような凄絶な痛みを与える効果を持つ概念魔法だ。


「――ッ!!」


 声にならない叫び。それは果たして、エヒトルジュエが上げた悲鳴か、それともユエが上げた裂帛の気合か。


 直後、黄金の光が爆ぜた。


 それは、先程まで白金などよりずっと鮮やかで温かい色。ハジメを包み込むように照らし、どうしようもないほど切なくさせる。紛れもなく最愛の光。


 光の奔流の中、ユエの体から影のようなものが吹き飛ぶように離れていった。


 直後、目覚めるようにスっと開かれた瞳。鮮烈な紅玉は真っ直ぐに最愛を捉える。


 そして、蕾が満開に咲き誇るが如く、あるいは暗雲を吹き払い顔を覗かせた太陽の如く、燦然と輝きを放って蕩けるような笑顔を見せた。


 ユエの体がふわりと浮かぶ。


 血濡れではあるが、そんなものはむしろ、彼女の艶やかさを助長するものでしかない。大人の魅力を携えた姿で、豊かな金糸をふわふわとなびかせて、迎え入れるように、あるいは迎えて欲しいというように、両手を広げてゆらりと飛び込んでくる姿は、いったい、どのような言葉で表現すればいいのか。


 女神のようだ――そんな言葉がどうしようもないほど陳腐に思える。


 ハジメは、ただ、ひたすら愛しげな表情で、優しく目を細めながら恋人の願いを叶える為にスっと腕を伸ばした。


 そこへユエが飛び込む。重さなど全く感じさせずに、まるで真綿のようにぽふっとハジメの上に腰を落とし、そのまま胸元に顔を擦りつける。回した腕はぎゅぅうううっとハジメを拘束し、無言で、一つに溶け合いたいと訴えているかのようだ。


 ハジメもまた、片腕を回してユエを抱き締める。腕や腹の痛みなど、彼女と離れていた時の心の痛みに比べれば毛程のこともない。


 やがて、ユエが胸元に埋めていた顔を上げた。その瞳は込み上げる感情をあらわすようにうるうると潤み、可憐な桃色の唇から漏れ出す吐息は火傷しそうなほどに熱い。


 ハジメは、そっと薔薇色に染まったユエの頬に手を添えながら、愛しさの溢れる声音で言葉を贈った。


「迎えに来たぞ、俺の吸血姫」

「……ん、信じてた。私の魔王様」


 お互いの冗談めかした呼び名に、くすりと微笑みを零し合う。


 口付けは、自然だった。互いに触れ合うだけの、されど最大限に想いを乗せた優しい口付け。血の味がするのはご愛嬌。ユエの小さな舌が、チロリとハジメの唇についた血糊を舐め取る。


 と、その時、睦み合う二人を再び引き裂こうというのか、凄絶な殺気と共に莫大な光の奔流が襲いかかってきた。


 咄嗟に、ユエが半身だけ振り返りながら手を突き出した。一瞬で張り巡らされる光の障壁。


 そこへ、空間を軋ませるような衝撃と共に光の砲撃が直撃する。


「……んっ」


 ユエが僅かに声を漏らした。ギュッと眉根と寄せられる。


 ユエ自身、エヒトルジュエの魂魄を追い出す際に、かなり消耗してしまっているということもあるが、それ以上に、その砲撃には、ユエの障壁を空間ごと軋ませるほどの威力が込められていたのだ。


 神代級の魔法を使う余力は残されていない。ハジメは満身創痍のまま動けない。


 故に不退転。その意志で〝聖絶〟を張り続けるユエと、寄り添うハジメ。そこへ、狂気を孕んだ呪詛の如き言葉が響いた。。


『殺すっ、殺すっ、殺すっ、殺してやるぞっ、イレギュラーッッ!』


 障壁の向こう側、光の砲撃の起点。そこには、光そのもので出来た人型が浮遊していた。その浮遊する光の人型の頭部と思しき場所、その口元が憤怒をあらわしているように歪に歪む。


 ぼやけた姿でもよく分かる。声音が違っても、憤怒に彩られていても、その滲み出る下劣さは間違いようもない。


 その光の塊は紛れもなくエヒトルジュエだった。






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27日、18時、決着です。

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