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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

最終章

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龍神顕現

 時間は少し遡る。


 シアが白金の使徒達と死闘を繰り広げている頃、ティオもまた激闘の最中にいた。


 武装黒竜と、黒隷鞭によって変成させた新たな黒竜達を統括し、周囲を埋め尽くす尋常ならざる魔物達を相手取りながら、白神竜の極光ブレスとフリードの多彩な無詠唱・無制限の魔法の嵐を、少なくないダメージを負いつつも凌いでいく。


 既に、黒隷鞭によって黒竜化させた魔物は百体近い。戦力は倍となっている。それに、ティオの再生魔法である〝竜王の祝福〟が加わって、不死身の黒竜軍ともいうべき驚異的な戦力となっていた。


 だが、それでも、追い詰められているのはティオの方だった。


(……ふむ。そろそろ手持ちの〝治るんですJ〟が尽きそうじゃ。極光を完全に避けるのが難しいとなると、ダメージコントロールが厳しくなるのぅ)


 ティオは、極光の付加効果を軽減する魔法薬〝治るんですJ〟を新たに取り出し、一気に飲み干しながら渋面となった。


 白神竜の極光ブレスは、余りに強大。まさに戦艦の主砲といった有様なのだ。余波だけでも、傷を悪化させ回復系魔法を阻害する付加要素の影響を受けてしまうので、完全回避は至難だった。


 まして、白神竜は極光ブレスだけでなく、周囲に無数に浮かべた極光の光弾までガトリング掃射の如く飛ばしてくる。


 しかも、ここにフリードの全属性魔法のフルバーストや銀羽、銀の砲撃、空間魔法が怒涛の如く押し寄せ、上空からは黒竜達で捌けなかった灰竜達から次々と極光の豪雨が放たれてくるのだ。


 それを紙一重で凌ぎ続けていることは驚異的と言えた。だが、それも残り数本となった魔法薬〝治るんですJ〟が尽きれば、崩れ去る脆い均衡だ。浴びることを避けられない極光の影響を、無効化できなくなった途端、ティオは一気に追い込まれることになるだろう。


 既に、どれだけの竜鱗を砕かれ、血を流したか……


 再生魔法を使うにしても、魔力の限界というものがある。再生だけでなく、ブレスや変成魔法にも莫大な量の魔力を消費しているのだ。はっきり言って、ジリ貧状態である。


 そのことをフリードも分かっているようで、黒隷鞭により百体の魔物が奪われた今となっても、余裕の表情を崩さない。


 ティオは自分が耐え切れなくなる前に魔物の黒竜化による形勢逆転を狙っている、とフリードは考えているので、戦力差に未だ五倍以上の開きがある上に、治りが芳しくなくなってきたティオの状態を見て勝利を確信しているのだろう。


 僅かに歪む口元を見れば、既にティオを嬲っているつもりなのかもしれない。分かりきった結果の為に、意味もなく必死の抵抗をしている愚か者だと、無様であると、そう嗤っているのかもしれない。


 そんなフリードの内心を何となく察しながら、今も間一髪、宙を翻りながら極光ブレスを回避したティオは、上下に反転した世界で黒隷鞭を振るってフリードを牽制し、同時に指鉄砲の形で極細のブレスを白神竜に放って反撃する。


 それが、空間魔法の障壁と白神竜の爪であっさり弾かれるのを確認しながら、ティオは内心で愚痴る。


(むぅ、相当圧縮したんじゃがなぁ。あの白竜め。妾のブレスを尽く弾きおって。以前の意趣返しか? 従魔が従魔なら、主も主じゃな。嫌らしい笑みを浮かべおって)


 凄まじい弾幕がティオに迫る。光弾と銀羽、数多の魔法だ。


 そのいくつかを、付与された空間断裂の魔法を発動しながら蛇のようにしならせた黒隷鞭で切り裂き、出来た弾幕の隙間を縫うようにしてやり過ごす。だが、やはり完全に回避は出来ず、体の端に被弾した攻撃が竜鱗を削りとった。


 そして、そこへ襲ってくる極光ブレス。ゴゥッ! と大気を吹き飛ばしながら迫ったそれは、ティオの右肩の一部と背中に生えた竜翼の片方を消滅させた。


「くぅうううっ、効くのぅ~」


 もう何度目になるか分からない痛みに思わず声を漏らしながら、とある力を使いつつ、直ぐに再生魔法を行使して竜翼を再生し、衝撃で錐揉みする体勢を立て直す。


 ただ、再生したのは竜翼だけで肩口は血飛沫を上げたままほとんど治っていない。いよいよ、再生魔法を十全に行使できなくなったのかと、フリードの浮かべる薄らとした嗤いが、より深くなった。


 対するティオは、溜息混じりに思考する。


(全く、これがご主人様なら妾は絶頂の一つや二つも出来たじゃろうに。能力の発動による副作用がなくとも、あんなのに与えられた傷では痛いだけじゃし、なにより気持ち悪いのじゃ)


 きっと、嬲っているつもりのフリードも、ティオに喜ばれては困り果てるだろう。いや、その前にドン引きするに違いない。


(黒竜は順調に増えておる。このままなら戦力を覆すことは可能じゃろう。……しかし、果たして、そう簡単にいくものか……。なにより、ご主人様のもとへ自力で向かい、かつ神を相手にするには……やはり、あれ(・・)の準備はしておくべきじゃな。そうすると、今しばらく時間が必要か……)


 巡る思考に結論を出したティオは、攻撃の被弾と回避を繰り返しながら、自身の切り札の使い勝手の悪さに嘆きつつ、時間稼ぎの意味も込めて不意にフリードへと話しかけた。


「そう言えば、お主。同胞はどうしたのじゃ? 共に【神域】へ渡ったはずじゃろう?」


 追い込まれているはずなのに、突然、世間話でもするかのように話しかけてきたティオに、フリードは嗤いを引っ込めて訝しそうに目を眇めた。


 そんなフリードに、ティオは苦笑いを浮かべた。


「なに、これ以上、戦力が増えては敵わんのでな。今のままならどうにか出来そうじゃし? ちょっと探りを入れておるのじゃよ」


 明け透けに真意を伝えてくるティオに、フリードは「ふむ」と一つ頷いた。


 そして、どうやらティオが、魔人族の参戦さえなければ、このまま戦力差を逆転できると希望を抱いていることに憐憫するような表情をしつつ口を開いた。


「我が同胞達の参戦を危惧しているなら、それは無用の心配であると言っておこう。魔人族は全て、別領域にて眠りに就いている。新天地に辿り着く前に、神の尖兵として相応しい力を身に宿さねばならんのでな」

「なるほどのぅ。しかし、疑問なんじゃがな。お主は何故、あのエヒトルジュエになんぞ従っておるのじゃ? 奴は人間族側について戦争を扇動しておった。そのせいで亡くなった魔人族も多かろう? 思うところはないのかえ?」


 再び光弾を受けて竜鱗と血を撒き散らしながら、それでも平然と、ティオは質問を繰り返した。


 フリードは攻撃の手を緩めないまま、一言で返す。


「全ては神の御心のままに」


 当たり前のように、それが真理であるが如く、フリードの表情には何の迷いや憂いもなかった。


 白神竜の二対四枚の翼からトルネードが発生し、ティオのバランスを崩す。そこへ放たれる極光ブレスが、ティオの半身を焼く。〝治るんですJ〟の極光の副作用軽減効果を上回り、体内を侵食する付加効果に顔をしかめながら、ティオは、新たな〝治るんですJ〟を飲み干し、再生魔法を行使した。


 しかし、完全には治らず、破けた衣服からくびれた腰と焼けた肌が覗いていた。袖も肩口から破けたまま白くたおやかな腕が真っ赤に腫れ上がっている。


 その痛みをあらわすように脂汗を浮かべながら、それでもティオは質問を繰り返す。


「それではお仲間も浮かばれんのぅ? エヒトルジュエが異世界人の召喚などしなければ、ご主人様がやって来ることもなかった。そうすれば、あの日のように何千人もの同胞を失わずに済んだじゃろうに。逝った者達が、今のお主を見たら……どう思うかのぅ?」


 挑発じみた、あるいは侮蔑の込められた言葉に、ふと、フリードの攻撃が止まった。フリードだけではない、白神竜を含め他の魔物からの攻撃も止んでいる。


 突然訪れた静けさの中、遠くで激震が轟いていた。シアが暴れている音だろう。だが、フリードもティオも、そちらに視線を向けることはない。


 どういう心境の変化があったのか。怒りが湧き上がったのか、それとも生意気を言うティオを論破したくなったのか、実際のところは分からないが、とにかく、ティオとしては万々歳だ。今しばらく、死なない程度に敵からの痛み(・・・・・・)を受けておく必要があるのだから。


「貴様如きが、我等のことを賢しらに語るな」

「賢しくなくとも、エヒトルジュエのやり口に賛同できる要素が一つも見当たらんがの」

「そも、前提を間違えている。神の為すことに是非などありはしない。彼の方の意思、それすなわち、真なる道なのだ。故に、散っていった同胞達は皆、殉教者。後悔などあろうはずもなく、私の為すことも誇りに思うだろう」


 その言葉に、ティオは呆れたような眼差しを送った。


「真なる道、のぅ。結局、ただの思考停止。盲信じゃろう。いい具合に洗脳されておる。狂信者の気は元からあったが、それでも魔人族としての矜持も、同胞への愛心も見受けられた。それが今ではすっかり、操り人形じゃ」

「それが賢しらだというのだ」


 フリードは、一度言葉を切ると、哀れみすら感じさせる眼差しをティオに向けて語り出した。


「数々の戦争も、多くの危難も、全ては神が施して下さった試練。あの方は探しておられたのだ。共に歩むにふさわしい存在を。そして、その試練に打ち勝ち、あの方に認められたのが我が種族だけだった、それだけのことだ。その神意を掴めず、異教の神と罵っていた自分の愚かさに、今では吐き気がする思いだ。だが、こんな愚かな私を許し、迎え入れて下さったばかりか、神の眷属となる資格までお与え下さった。この神の慈悲深さ……何故、貴様にわからん?」


 話している内に恍惚とし始めたフリードに、ティオは内心で「おぉぅ」と引き気味の呻き声を上げた。自分で挑発したせいではあるのだが、予想以上に見苦しかったのだ。


 そして、その内容も、ある意味絶好調といった感じだ。本当に、ツッコミ所とご都合主義が満載である。ここまで来ると、いっそ清々しいとすら言えるかもしれない。


「お主の言う通り、所詮、妾は賢しらだからじゃろ。それより、〝眷属となる資格〟とな? それは、その使徒化のことかの?」

「そうだ。まずは使徒の位階だ。そして、いずれアルヴヘイト様と同じ、神の眷属たる位階へ上がることになる。恐れ多いことだが、アルヴヘイト様亡き今、私が、主の直臣としてお仕えするのだ。そうすれば、我が種族は、神の眷属たる私の眷属ということになる。すなわち選ばれし真なる神の民――神民となるのだ」


 身に余る栄誉と感じているからか、それとも、新天地で、自分の種族が神の民として人々を支配することでも想像しているのか、いずれにしろ放送禁止になりそうな表情になって聞いていないことまで語り出したフリード。


 と、その時、そんなフリードの語りを妨害するように空間が脈打った。否、そう思えるほど、凄まじい力が発生したのだ。


 思わず、視線を向ければ、淡青色の魔力がドクンッドクンッと脈打ちながらうねりを上げている。そして、白金の使徒が数人がかりで飛びかかって、逆に吹き飛ばされている光景が遠目に見えた。


「馬鹿な……使徒達が押されている? 有り得んっ。第一から第五までは、主の力で大幅に強化されているのだぞっ!」


 フリードの表情が、まるで冷水でも浴びせられたように恍惚とした表情から驚愕の表情に変わった。


 それほどまでに、白金の使徒が五人掛りで戦っているにもかかわらず、互角どころか徐々に圧倒され始めている光景が信じ難いのだろう。


 だが、最初からシアを信じていたティオは、至極冷静な口調で返した。


「なにを驚いておる。妾達の内で、ご主人様を除けば、一番の化け物(バグキャラ)はシアじゃぞ? 吸血鬼族や竜人族、使徒の肉体といった下地がなく、先祖返りと言っても亜人であるが故に魔法の才能もない。もっと言えば、兎人族など世界で一番臆病な種族。それを、ただ想いのみで覆した乙女じゃ。たかだか人を貶めて悦に浸るしか能のない自称神の兵隊如きが、多少強化したくらいで敵うはずなかろう?」


 まるでこの世の真理を語るが如く。


 ティオの言葉に、フリードは「……有り得ない」と呟きを漏らす。


 そして、何かを振り払うかのように頭を振ると、その眼差しに冷徹さを宿してティオを睨み据えた。


「使徒の援護に行かねばならん。貴様を嬲るのも終わりだ。早々に果てるがいい」

「そういうでないよ。本番はここからじゃろう?」

「戯言を。貴様の目論見が叶うことなどない。戦力差は覆らん。貴様は、既に満身創痍。そも、ウラノスと私だけでも貴様の相手は十分だ」


 フリードがスっと腕を掲げた。それが振り下ろされるとき、それがティオの首に死神の鎌が振るわれるときだと言わんばかり。主の意思に応えて、白神竜(ウラノス)も咆哮を上げ、殺意に瞳をギラつかせる。


 事実、戦力差は五倍。黒竜二百体に対し、フリードの魔物は未だ千体近くいる。


 だが、


「妾の黒竜達が、これで全てと言った覚えはないぞ?」


 ティオが、不敵に笑う。


 そして、一斉蜂起の下知を響かせた。


「目覚めよ! 生誕せよ! 竜王の子等よ! ――〝竜王の屍生軍〟!」


 直後、大地が蠢いた。


 否、正確には、上空で繰り広げられた死闘から脱落し地に落とされた魔物――そのおびただしい数の骸がぐにゃりぐにゃりと動いているのだ。


 千体近い魔物が横たわる直下の大地は、赤黒く染め上げられており、地獄絵図となっている。そこから生誕の産声を上げながら、徐々に姿形を定めていき、天へと鎌首をもたげる様は地獄の釜が開いたかのよう。


 一体、また一体と屍山血河から生まれ出でるそれらは背中の翼をバサリとはためかせ、王の元へ馳せ参じようとその巨体を浮かせていく。


「なんだ、あれは……」


 思わず動きを止めて、スっと目を細めながら眼下を見下ろすフリードの呟きに、ティオが応えた。


「黒竜化に必要なのは、この黒隷鞭だけではないということじゃ。妾が、この戦場で、いったいどれだけの血と竜鱗を撒き散らしたと思う?」

「なんだと? まさか、己の一部を媒体に?」

「ふふふ、さぁ、生誕祝いじゃ! 竜らしく盛大に咆哮を上げよ!」

「――ッ」


 ティオの――竜王の号令。


 それに生まれたばかりの黒竜達と、天空を舞う黒竜達が一斉に応えた。ティオの魔力光である黒色の咆哮(ブレス)が無数に放たれる。


 地上より、串刺しの閃光が天を衝き、前後左右から水平方向の閃光が駆け抜ける。ほぼ同時に放たれた黒の閃光は、フリードの魔物達を中心に逃げ場のない熱線の檻と化した。


 天から断末魔の悲鳴が降り注ぐ。


 魂魄変成複合魔法〝竜王の屍生軍〟――ティオ自身の血と鱗を媒体に、魂魄魔法【竜魂複製】と変成魔法【天魔転変】を魔物の屍にかけて、黒竜を生み出す魔法だ。


 血肉を捧げ、死体を利用し、新たな軍団を生み出す――それも全てが邪竜と見紛うほど邪悪で凶悪な外見の黒竜だ。魔王と称される男をご主人様と仰ぐ女に相応しい所業と言える……かもしれない。


 普通なら嫌悪の一つや二つ抱きそうなものだが、この魔法を報告されたハジメは、「殺した相手を利用できるなんてエコじゃねぇか。便利な魔法だなぁ」とちょっと羨ましそうだった。流石、魔王とか魔神とか呼ばれる男である。そして、そう言われて褒められたと、頬を染めながらイヤンイヤンしていたティオも、十分、魔王の女幹部としての素質があると言えるだろう。


「どうじゃ? お主の魔物も、随分と目減りしたようじゃぞ?」


 生み出された屍生軍は、およそ四百体。それに武装黒竜と黒隷鞭で変成した黒竜を合わせれば総数六百体の軍勢。


 そして、今の一斉咆哮で討ち果たしたフリードの魔物は、およそ三百体。重傷を負って十全に戦えない魔物も合わせれば五百体にはなる。五体満足の魔物は残り約五百体いるかどうかといったところ。


 つまり、形勢は逆転した。


 見た目は満身創痍ではあるが、従える黒竜を背景に威風堂々と宙に立つティオの姿は、まさに竜王というに相応しい。


 そんなティオに対するフリードはというと、一度、ゆっくりと戦場を睥睨した後、不意に唇の端を釣り上げた。


 それはまるで、羽をもがれた虫の足掻きを見ているかのような、ありもしない希望に向かって浸走る者を嘲笑うかのような、酷く歪で、醜い感情の発露。


 フリードが口を開く。嘲笑と愉悦をたっぷり含んだ声音で。希望を踏みにじってやろうと瞳をドス黒くヘドロのように濁らせて。


「私の魔物達が、これで全てと言った覚えはないぞ?」


 直後、オベリスクから光の柱が立ち上った。


 しかも、それは眼前のオベリスクだけではないようで、ティオ達がいる浮遊島以外の島からも次々と同じ白い光が天へと立ち上っている。それは、周囲の浮遊島にも同じオベリスクがあることを示唆しており、嫌な予測を掻き立てるには十分な光景だった。


「……ううむ。やはり、そう簡単にはいかんか。ご主人様風に言うなら、〝テンプレ〟じゃの」


 思わず渋面を作りながら、そう呟いたティオの視界に最悪の光景があらわれた。


オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!


 空間全体を鳴動させるような凄まじい雄叫び。


 上下前後左右、壁のように蠢き、視界の全てを覆う魔物、魔物、魔物、魔物の群れ。


 今いる浮遊島だけでなく、周囲に浮いている全ての島も魔物の群れに覆われている。


 総数は一体、どれほどのなのか。数千、数万などと言うレベルではない。数十万ですら全く足りない。おそらく数百万単位。


「先の魔物達にくらべれば一段劣るとはいえ、数の暴力はそれを補って余りあるだろう?  さて、ティオ・クラルス。戯れは終わりだ。蹂躙し尽くしてやろう」


 直後、フリードが腕を振り下ろした。


 それは、蹂躙の合図。


 おびただしい数の魔物達が、一斉にティオと黒竜達へ襲いかかった。


(っ、いくら何でも数が多すぎるのじゃ。シアの方は……勝利したようじゃが、やはり直ぐには動けんか。今、襲われては一溜まりもなかろう。後のことを考えれば、もう少し時間を掛けたかったのじゃが……仕方あるまい! 女は度胸じゃ!)


 武装黒竜はどうにか奮戦しているものの、それ以外の黒竜が次々と断末魔の悲鳴を上げる中、ティオは一つ、決断をする。


 今の今まで、この戦いを終えた後のことを考えて、出来るだけ安全マージンを取りつつ、かつ、ハジメに最大限の力を以て助力できるようにと力を溜め続けていたのだが……それをかなぐり捨てることにしたのだ。


 一歩間違えれば、即死しかねない危険な方法。


 しかし、即時発動する為にはやるしかない! 友の為、そして、愛する主の為、躊躇いはしない!


「ほぅれ、白竜よ! 未だ、まともに当たらぬその腑抜けたブレス。避けずに受けてやるでの、気合を入れて放てよぉ!」


 そんな挑発じみたことを言いながら、群がる魔物を、黒隷鞭を竜巻のように振り回して切り裂きつつ、片手で集束した自身のブレスを放った。


 貫通に特化させた黒の圧縮ブレスが、一条の閃光となって射線上の魔物を貫き、その目標であった白神竜に到達する。


 白神竜は、ティオの挑発が聞こえていたようで、迫ってきたブレスをただの咆哮で散らしながら、さも「なら受けてみろ」と言わんばかりに殺意で瞳をギラつかせ、特大の極光を放った。


 ドゥ! とSFに出てくる宇宙戦艦の主砲のような砲撃が、味方の魔物を余波だけで塵にしながら一直線にティオへと迫る。


 ティオは、直前に取り出した〝チートメイトDr〟を一気に飲み干し、容器を吐き捨てながら部分竜化を行った。


 両腕が肥大化し竜鱗と鋭い爪が伸びた竜腕となる。更に、全身を余すことなく漆黒の竜鱗で覆い、腕をクロスして急所を守る防御姿勢を取った。


 フリードはそれを見て、本気で避けずに受ける気なのだと察し、観念したのかと嘲笑を浮べた。当然だろう。まともに極光を受けて無事で済むはずがない。メリットもないのだから、潔く散ろうとしていると考えるのが自然だ。


 だが、極光が直撃する寸前、クロスする腕の隙間から見えた力強く決然としたティオの眼差しを見て、猛烈に嫌な予感に囚われた。


 思わず、白神竜に制止の声を掛けようとしたが、極光は既に放たれた後。間に合うはずもなく、直後、


ズドォオオオオオオオオッ!!


 轟音と共にティオの姿が光に呑まれて消えた。


 空を真っ直ぐ真横に区切る光の軌跡。


 その滅びの光の中で、


「――ッッッ!!!」


 声にならない絶叫を上げながら、必死に耐えるティオ。


 竜人族最高硬度を誇る自慢の竜鱗が次々と消滅していき、防御する両腕から嫌な感触が伝わるのを意識しながら、全身を襲う尋常でない激痛の嵐に、歯を噛み砕く勢いで食いしばる。


 ともすれば発狂しかねない激痛。


 己の身が端から滅びていくのが分かる。死の影が、ずるりずるりと這い寄ってくる姿を幻視する。ハジメに与えられるような甘美な痛みなど微塵もない。紛れもなく死に貧する己の体が上げる悲鳴の声が、確かに聞こえるのだ。


 許容できる範囲を遥かに越えたダメージに、彼方へと飛んで行きそうな意識を辛うじて繋ぎ止めながら、ティオは気合一つで耐え抜き、そして ……


(……いけるっ)


 確信。


 同時に、〝宝物庫Ⅱ〟から可変式大盾アイディオンを眼前に出し、一瞬だけ極光を遮る。滅びの白きブレスは、〝金剛〟も〝錬成〟も、それどころか再生するための魔力すら注がれていない金属塊など盾にもならないとあっさりと消滅させていくが、それでもハジメ謹製の盾は数秒の間、確かにティオの身を滅びから守った。


 それだけあれば十二分。ボバッと音をさせて、ティオは極光の奔流から飛び出した。そして、そのまま白煙を上げながら地上へと落ちていき、轟音と共に地面へ着弾する。


 衝撃で地面は抉れ、盛大に粉塵が舞い上がる。


「えっ、ティオ、さん?」


 言葉が詰まり気味なのは、自身が疲弊しているからだけではないだろう。


 明らかに、悲惨な姿となっているティオを見て驚いているのが分かる。


 ティオは、なるべく安心させられるよう声音に明るさを含めて返事をした。


「うむ。みん、な、だいす、き、ド変態の、ティオ、さんじゃ……がふっ……げはっ」

「いやいやいや、そんな死にかけの体でなにユーモアなこと言っているんですか! ド変態モードのティオさんが好きな人なんていません! 人類規模でドン引きするだけです! ってそうじゃなくて、回復、回復を早く!」

「す、好きな人、いない……人類規模で、ドン引き……酷い、のじゃ。ごふぅぅ、ハァハァ」


 わたわたと自身の〝宝物庫Ⅱ〟から回復系の魔法薬を取り出しながら、声に焦燥を滲ませつつ辛辣なツッコミを入れるシア。ティオは、凄絶な痛みに耐えながらも、その物言いにちょっと気持ちよくなり、違う意味でハァハァしてしまった。やはり、仲間から与えられる痛みは甘美である。


 シアが、魔法薬を手に、大の字で横たわるボロボロのティオの元へ這うようにして近寄っていく。だが、シアがティオの元へ辿り着く前に、一枚の銀羽が高速で飛来し、シアの手にある魔法薬を容器ごと分解してしまった。


 ハッとして、銀羽が飛んできた方を見れば、白神竜の上に乗ったフリードが嘲笑を隠そうともしない表情でシアとティオを睥睨していた。


 頭上を見上げれば、星の数という表現がぴったり当てはまるほどの魔物の群れ。周囲も、全てが魔物で埋まり、島の端は全く見えない。まるで、蠢く暗雲に包まれてしまったかのようだ。


 シアとティオは完全に半球状に包囲されていた。


 シアは、使徒戦で無理をしたため、直ぐには戦えない状態であるし、ティオは言わずもがな。まだ生きているのが不思議なくらいの重傷だ。


 つまり、誰が見ても完全にチェックメイトの状態である。


「強化された神の使徒を退けるとは、恐るべき力だが……どうやら力を使い果たしたようだな。ティオ・クラルスも、既に終わった。これが、神に逆らった愚か者の末路だ。神妙に裁かれるがいい」


 傲然と、そう告げるフリードに、シアが極寒の眼差しを向けた。そして、何か言い返そうとして口を開きかけ、


「ふっ、ふは、ふはははははっ、ゲハッ、かふっ、はははっ」


 ティオの上げた笑い声を聞いて言葉を呑み込んだ。


「……気でも触れたか? 無理もない。今も想像を絶する痛みに苛まれているはずだからな」

「いや、いや。いたって、正気、じゃよ。可笑しかった、のは、お主の滑稽さ、よ。ふふ」


 ティオが、血塗れの顔を凄惨に歪めながら、満身創痍とはとても思えない鋭い眼光をフリードに向けた。輝きを増していく縦に割れた黄金の瞳に射抜かれて、無意識に一歩後退るフリード。


 極光の直撃を受ける寸前に感じた嫌な予感が更に膨れ上がり、得体の知れない何かに体中を這い回られているかのような悪寒が全身を駆け巡った。


 だが、どう見ても死に体の二人を前に、気圧された自分への怒りで悪寒を無視し、傲然とした態度を取り繕う。


「ふん。その有様で今さらなにが出来る。黒竜如きでどうにか出来ると思っているのか? それとも、まさか、都合よく貴様の主が戻って来るとでも?」

「まさ、か。終わらせる、のは妾、じゃよ」


 ティオの体が黒色の魔力光で輝く。動けるはずもないのに、ギシリギシリと体を軋ませながら、振るえる足を叱咤して立ち上がろうとする。ボタボタと血が滴り落ちるのも構わずに、ただ口元に浮かべる獰猛な笑みだけが深くなっていく。


 フリードが身構えた。


 問答はもう無用だと止めを刺そうとする。それに呼応して、白神竜もガパリと顎門を開けた。その奥には破滅の光が集束していく。


 そして、いざ最後の閃光が放たれるというその寸前、


ドクンッッッ!!


 空間に脈打つ音が響いた。


 それだけでなく、物理的な衝撃すら伴った絶大なプレッシャーがドーム状に空間を駆け抜け、フリードや白神竜をして、僅かによろめかせる。周囲の魔物達においては、気絶したものもいるようだ。


 その中心は、紛れもなくティオ。


 死にかけであるはずなのに、有り得ない威圧を放っている。


ドクンッッッ!!


 更に脈動が空間全体に広がる。


 刻一刻と増していく尋常でないプレッシャー。まるで、心臓を鷲掴みにされているかのような錯覚すら覚える。


ドクンッッ!!


 三度広がる鼓動。


 否応なく、本能で理解させられる。あれは手を出してはいけない存在だったと。


 感じるのは畏怖。


 信じ難いことに、信じたくないことに、膨れ上がっていく力の脈動は、フリードにとって集大成とも言える白神竜をも軽く凌駕するもの。


(あ、有り得ん。一体、何が、何が起きているっ。死にかけではなかったのか? はったりではないのか? こんな……こんなもの、まるで、あの化け物と同じではないかっ)


 硬直したまま、振るえる手足も意識できずに、内心で混乱と動揺に満ちた言葉を吐き出すフリードは、完全に立ち上がり、シアを引き寄せたティオの視線がスっと細められたことでハッと我に返った。


 硬直している暇があるなら、信じられないと喚く暇があるなら、問答無用に攻撃すればいいのだ。尋常ならざる事態になっていようとも、ティオやシアが疲弊していることに変わりはなく、周囲を囲む魔物達も合わせて一斉に攻撃すれば事足りた、と今更ならながらに、己の間抜けさに怒りを覚える。


 その怒りで、己を叱咤してフリードは腕を振り上げた。


「っ、攻撃だっ! 奴に何もさせるなっ! 今すぐに殺せっ!!!」


 絶叫じみた号令。


 怯える魔物の全てが直ぐに反応できたわけではない。されど、白神竜を含め、人二人を滅するには十分すぎる数の魔物が、その命令に従い殺意を解き放とうとする。


 そこへ、声が響いた。


 そこにいるのに、まるで天から降ってくるような荘厳な響きを持った声音が。


「刮目せよ。これが、妾の、竜人ティオ・クラルスの辿り着いた頂きじゃ」


 直後、放たれた殺意の嵐。


 その中心は、当然、白神竜の極光ブレス。


 だが、その全ての攻撃は、ティオとシアを傷つけること叶わなかった。


 なぜなら、攻撃が放たれる寸前、ティオを中心にして逆巻く極大の閃光が天を衝いたからだ。


 黒色――というより深淵の如き闇色の光は、真っ直ぐ天へと上り、進路上にいた魔物の尽くを消し飛ばした。


 その根元、ティオとシアがいた場所に攻撃が殺到するものの、空間を鳴動させながら立ち上る闇色の光の柱は微塵も揺らがない。


 それどころか、天を衝いたままより一層輝きを増していき、更には黒い波紋を天に広げていく。


「何が、何が起こっているっ!」


 フリードが、混乱もあらわに叫ぶ。


 そうしている間にも、空を覆う闇色の波紋は広がっていき――


 次の瞬間、爆炎が空を舐め尽くした。


 赫灼とした大火が、這うように広がり瞬く間に空を赤に染め上げていく。顕現したのは、雲海ならぬ炎海。轟々と燃え盛る赤き海は、到底、この世の光景とは思えない。


 その天の炎海に、更に迸るのは稲妻だ。


 空気が爆ぜる音に負けじと、神鳴る音を轟かせる。降り注ぐ落雷は、無作為に、無造作に、無慈悲に、羽虫を散らすが如く魔物達を撃ち抜き滅ぼしていく。


 そのとき、炎雷の海に、何かが蠢いた。


 黒く輝きうねる巨体。余程の大きさなのかその全容は未だ見えず、体の一部が炎雷の海からせり出てはまた沈んでいく。それは、海に潜む神獣リヴァイアサンのようで、しかし、地上に降り注ぐ常軌を逸した威圧は遥かに強大。


「なんだ、なんなんだ、あれは……」


 フリードが、呆然と空を見上げながら呟く。それは白神竜も含め全ての魔物も同じだった。全ての魔物が、一様に、赤い空を見上げたまま呆然としている。


 その呟きに応えたわけではないだろう。だが、そう思えるようなタイミングで、炎雷の海を泳ぐものがその全容と正体を現した。


 絶大な咆哮と共に。


ゴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!


 空が落ちた。


 そう錯覚するような莫大にして絶大な衝撃が、空から超広範囲に降り注いだ。


 それにより防御力に難のあった魔物はあっさり粉砕され、他の多くの魔物達が意識を刈り取られて地に落ちていく。


 そんな中、姿を見せたのは、輝く黒い竜鱗に覆われ、炎と雷を纏った巨大な龍だった。トカゲを模した西洋系の(ドラゴン)ではない。蛇のように長い胴体をうねらせる東洋系の龍だ。全長は百メートル以上あるかもしれない。


 黒龍――否、白竜を白神竜と呼称したのなら、黒神龍と称すべき龍の正体は、言わずもがな、ティオ・クラルスその人である。


 魂魄変成複合魔法〝龍神顕現〟――魂魄を魔法と同調させて魔法そのものを身に纏う魂魄魔法〝魔纏調化〟と、炎系最上級魔法〝劫火浪〟及び風系最上級魔法〝天灼〟、それに変成魔法〝天魔転変〟、身体強化の秘薬、昇華魔法、そして、固有魔法〝竜化〟の派生〝痛覚変換Ⅱ〟を同時行使して初めて発動するティオの究技である。


 ティオが、強すぎる極光の副作用を軽減しつつダメージコントロールしながらも手傷を負い続けていたのは、〝痛覚変換Ⅱ〟により、龍神化に必要な力を蓄積していたからだ。


 あれだけダメージを受けて、死なない程度に回復しつつ、それでも、最終的には瀕死の重傷を負わねば、龍神化するための力が蓄えられない。おまけに、自傷によるダメージではエネルギーの蓄積ができない上に、しかも変換中はダメージを快楽に変えられず、しかも痛覚が増大するという副作用まである。並の精神力では、龍神化する前に発狂すること請け合いだ。


 本来なら、フリードは黒竜達だけで片付け、最大限に高めた力のままにハジメのもとへ駆けつけ、エヒトに対し開幕ぶっぱでもしてやるつもりだったのだが……


 無理をして発動した現状では、タイムリミットはおそらく一分ほど。そして、龍神化が解けた後は、シアと同じく直ぐには戦えない状態になるだろう。


 故に


(この一分で全てを終わらせるのじゃ!)


 その黒神龍と成ったティオの黄金の瞳が、ギロリと眼下の魔物達へ向いた。


 途端、怯えたように下がる魔物達。唯一、白神竜だけが下がらなかったが、その瞳には、隠しようのない畏怖が宿っていた。


 ティオの咆哮が轟く。


 直後、炎雷の海から、極大の雷が幾本も迸り、魔物の群れを容赦なく焼滅させていく。更に、いくつもの火炎の竜巻が地上へと伸びていく。その規模は地球のスケールで言うならF5レベルを遥かに凌駕する規模。逃れようとする魔物達を根こそぎ巻き上げては、火炎の腕に抱いて塵も残さず消滅させていった。


「有り得んっ、有り得んっ、有り得んっ、有り得んっ、有り得んっ、有り得んっ、有り得んっ、有り得んっ、有り得んっ! こんな、こんなことは有り得ないっ! あってはならないっ!」


 天から降り注ぐ雷は神罰の如く。大地と空を繋ぎ全てを巻き込んで滅ぼす竜巻は地獄の業火の如く。


 その神威の顕現とも言うべき光景に、フリードは自身の信仰する神の神性を信仰ごと否定された気がして、半ば発狂したように現実を否定する言葉を繰り返した。


 そして、自身の最高傑作である白神竜に命令を下す。


「否定しろ、ウラノスっ! あれを、あの存在を否定しろぉおおおおおっ!!」


ぐぅう、ルァアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!


 白神竜は、主の命令に応えた。


 その顎門を開き、自身の放てる最大最強の極光を放つ。己が感じる畏怖ごと吹き飛ばさんと、主の望みを叶えんと。


 しかし、全身全霊で放ったその一撃は――


ゴァアアアアアアアアアアアアアッッッ!!


 黒神龍ティオの顎門より放たれたスパークを纏う闇色の閃光と空中で衝突。一拍後、あっさり押し返され、そのまま白神竜を呑み込んだ。


 断末魔の悲鳴もない。


 ただ音すら消し去る黒の閃光が、空を引き裂き、大地を穿ち、そのまま浮遊島の一部を消し飛ばして空間の下方へと消えていっただけ。


 否、白神竜は完全に消滅したわけではなかった。


 下半身を吹き飛ばされ、ほとんど胸部と頭部だけになった肉体が大地にドシャリと落下した。既に、神竜としての威容は欠片もない。その瞳から、光がスっと抜け落ちて、ただの骸と成り果てた。


「ウ、ラ…ノス?」


 フリードが、力のない声音で白神竜を見つめる。


 呼びかけても応えることのないその姿に、いいようのない感情が湧き上がってくる。


 情報の処理が追いつかない。


 宙にありながら、自分の足元がぐらぐらと揺れている気がする。


 気が付けば、フリードは絶叫を上げていた。


「あぁあああああああああああああああああああっ!!」


 数百万規模の魔物達が、途轍もない勢いで駆逐されていくのを尻目に、真っ直ぐティオだけを睨みつけて銀翼をはためかせる。既に、その瞳には、魔物のことなど映っておらず、憤怒と憎悪の炎のみが燃え盛っていた。


 渾身の力で銀の閃光を放つ。空間魔法の衝撃波を、空間の断裂を放つ。


 だが、それらはティオの咆哮だけであっさり霧散させられてしまった。


 届かないのだ。


 遥か高みへと昇ったティオには。


 だから、


「がはっ!?」


 ティオが上げた咆哮の衝撃波――その余波だけで退けられてしまう。


 全身を強かに打たれ麻痺したように硬直するフリードに、落雷が襲いかかった。カッ! と空が光ったかと思った次の瞬間には、絶大な衝撃が体を貫き、フリードは白煙を上げながら地面へと落下した。


 大地に叩きつけられ、何度か地面をバウンドした後、ようやく止まり大の字に倒れる。


 空を見上げたフリードの目には、空間全体を覆い尽くすほどいた魔物が、今や目算で数えられる程に目減りした光景が映っていた。否応なく、終わりなのだと理解させられる。


 激情は既に消え去り、今は、何故か虚しさだけが募った。


 神に迎えられた自分が、何を諦めているのか。最後の瞬間まで、敵を道連れにする覚悟で殉ずる道を行くべきではないのか。


 そう言い聞かせてみても、やはり、体はピクリとも動かない。ダメージで動けないのでは……ない。動こうとする気力が、湧き上がらないのだ。


「私は……」


 フリードが何かを呟きかけたそのとき、空から黒の光が落ちてきた。


 酷く冷静な頭が、止めの一撃なのだと判断する。これで、終わりなのだと。


 が、その瞬間、射線上に影が過ぎった。


クルァアアアアアアアアアアアッッ!!


「なっ!?」


 絶叫を上げて射線上に割り込み、その身をもってフリードの盾となったのは……


「ウラノスっ!!」


 そう、既に逝ったはずの白神竜だった。


 上半身だけとなった体で、どうやったのか動き出し、闇色の閃光の前に飛び込んできたのである。


 身の端からホロホロと身を崩していく白神竜は、驚愕に目を見開いているフリードを僅かに振り返りながらその瞳をスっと細めた。


 変成魔法を使っても、言葉は聞こえない。


 だけれど、そのとき、フリードには白神竜が何を伝えているのか明確に理解することができた。


 すなわち、


「逃げろ、というのか……」


 残った肉体そのものから極光を迸らせながら、信じられないことにティオの閃光を食い止める白神竜(ウラノス)――その意志。それは、主たるフリードを死なせない。


 その瞬間、駆け巡る記憶の奔流。


 思い出す。自分が未だ、一介の魔人族に過ぎなかった頃、どうして大迷宮に挑もうとしたのか。


(……私はただ、同胞達が何に脅かされることもない、安心できる国にしたかっただけだ。その為に力を求めたはずだった。何よりも同胞達が大切だった。その為なら何だって出来ると思っていた。だというのに……〝神の意志なら仕方がない〟、か……)


 白神竜が押されてくる。


 逃げようとしない主に、非難するような眼差しを向ける。


 だが、そんな白神竜に対し、フリードはスっと首を振ると、困ったような笑みを浮かべた。


 死に物狂いで大迷宮に挑み、実際、何度も死にかけながら手に入れた変成魔法で、最初に従えた竜種の魔物。それからずっと相棒だった。


 確かに死んだはずなのに、自分の危機に理を超えて駆けつけた。そこに、確かな絆を感じる。その大切なものさえ、いつの間にか自分は忘れていたというのに。相棒は、死してなお忘れはしなかったのだ。


 フリードの身はボロボロで、既に十全に動くことはできない。


 ならば、


「……すまん。共に逝ってくれ。相棒」


――クルァ


 それはまるで「仕方ないなぁ」とでも言っているようで。


 次の瞬間、神罰の如き闇色の閃光が、全てを呑み込み――


 後には何も残らなかった。


(神に魅了されなければ……良き主従、いや、相棒だったのじゃろうな。じゃが、抗えなかったことも、貫けなかったことも、結局は弱さ故。言い訳はできん。まぁ、少なくとも、主等の結末、このティオ・クラルスが覚えておこうぞ)


 ティオが、龍神らしい厳かな眼差しを、フリード達がいた場所に向ける。


 最後の最後に見せたフリードと白神竜の、色んな感情が飽和した末に、互いに苦笑いするような、そんな終わり方に、何となく些事と切り捨てることはしたくなかったのだ。


 と、その時、シアの声が響いた。


『ティ、ティオさ~ん。そろそろ時間では~?』


 念話で届いたシアの声、その発信源は龍神と化したティオの体内だ。巻き込まれないよう、シアは、もっとも安全なティオの内側に匿われているのである。竜化時に、装備が格納されるのと同じ要領だ。百メートルを超える巨体なので何の問題もない。


『うむ。口惜しいが、そろそろ限界じゃ。一気に殲滅しようぞ!』


 龍神化のタイムリミットだ。


 凄まじい咆哮と共に、世界を闇色に染める閃光が空間中を駆け巡る。落雷は益々激しくなり、巨大な火炎の竜巻が魔物達を蹂躙し尽くす。


 そして、


『くぅ、げ、限界じゃ』


 ティオの苦しげな声と同時に、天空を覆っていた炎雷の海が霧散し、竜巻がふわりと解けていった。魔物の姿はほとんどない。生き残ったものも満身創痍か、ティオの威容をおそれて一目散に逃走していく。


 直後、黒神龍の身も、カッ! と光が爆ぜたかと思うと、その巨体を嘘のように消して、ティオとシアが空中に現れた。


 当然の如く、重力に負けて落下する。


「って、ティオさ~ん! 空中ですぅ!」

「あっ、しまったなのじゃ。余力がない。シア、助けておくれ」

「アホですかっ。私だってありませんよ、余力なんて!」


 文句を言い合って余裕有りげに見えるが、実際は、〝空力〟も身体強化も使えないどころか、〝宝物庫Ⅱ〟を起動する魔力も残っていないので、ちょっと洒落にならない。


「ひぃ~! せっかく勝ったのに、こんなんで死ぬなんて嫌ですぅ!」

「だ、大丈夫じゃ! 黒竜ぅ~、助けておくれぇ~」


 ティオが、黒竜を呼ぶ。その手があったと安堵するシア。


 しかし、ティオの呼びかけに応える黒竜の声がやけに遠い。


「あ、そうじゃった。危ないから遠くに退避させておったんじゃった。ま、間に合わんかもしれん……」

「いやぁっ~~~~!! ハジメさぁ~ん!!」


 シアに泣きが入る。ティオが地味に焦る。


 と、そのとき、一条の閃光の如き白い影が超速で二人の元へ駆けつけた。


 そして、ガシッと二人の腕をウサミミで(・・・・・)掴み取り、空を蹴って減速する。


 それは、


「イナバ!?」

「イナバとな!?」

「きゅう!」


 そう、蹴りウサギのイナバさんだった。


 イナバは、空を蹴りながら、徐々に高度を落としていき、無事、シアとティオを地面に下ろした。


「助かったのじゃ。感謝するぞ、イナバ」

「イナバ、有難うございます。でも、どうしてあなたがここに……」

「きゅきゅう! きゅぅ?」


 気にするなとでも言いたげにウサミミをふぁさぁと片手で払うイナバ。シアの疑問に答える代わりに、ウサミミをピンッととある方向に向けた。


 見れば、遠くからスカイボードに乗ってシア達の元に来ながら大きく手を振る雫達の姿がある。


 瞬く間に距離を詰めた雫達が、シア達の傍に降り立った。


「二人とも無事で良かったわ。何だか凄いことになっていたわね」

「イナバさんが飛び出したときは何事かと思ったけど、本当に無事でよかったぁ」

「おう、なんか、もう滅茶苦茶だったな」

「はは……神話でも見ているみたいだったよ。……本当に、雫達に止めて貰えて良かった……」


 雫と鈴が、ぐったりと倒れているシアとティオに近寄り回復魔法や魔法薬を飲ませる。龍太郎は、今にも崩壊しそうな浮遊島の数々を呆れたような表情で見渡している。光輝は、シア達と敵対しようとしていた自分を、心の中で「馬鹿じゃねぇの!?」と罵倒しながらおもいっきり殴り飛ばしつつ、改めて雫達に感謝の念を捧げていた。


「雫さん達も無事だったんですね。それに、どうやらお馬鹿さんも少しは反省したようで。良かったですね」


 シアの言葉に、光輝は「うっ」と呻いた。


「じゃが、もう一人は……いや、なにも言うまい。皆、頑張ったのぅ」


 ティオが、少し気遣うような眼差しで鈴を見るが、当の鈴は、別れる前とは別人のように澄んだ眼差しで微笑むので、慰めの言葉など伝えず、ただ褒める言葉を贈った。それに対して、鈴は一層微笑みを強くする。


「それにしても驚いたわよ。空間を繋ぐ出入り口を見つけて、飛び込んでみれば……」

「火の海、落雷、炎の竜巻、数え切れない魔物、空には神話に出てきそうなでっかい龍だもんね。私、ちょっと覚悟決めちゃったよ。部屋間違えましたって、全力でUターンしたくなったもん」


 雫と鈴が、ティオに視線を向ける。


 どうやら、雫達は、ちょうどティオが龍神化したところで、この空間にやって来たようだ。空間を越えて、最初に見た光景がアルマゲドンとか……きっと漫画みたいに目が飛び出すような驚愕顔になっていたに違いない。


「まぁ、切り札じゃからな。本来なら、龍神化の状態でご主人様のもとへ駆けつけたかったのじゃが……言うてもせんないか。それより、お主等、随分と早く追いついたのぅ? 羅針盤もないというのに」

「迷う余地がないわよ? 時計塔が潰れちゃったから、他の都市を探すのに少し手間取ったけれど、見つけた場所から転移したら、直ぐにここだったのだし」

「ふむ。妾達は、あそこからいくつかの空間を隔てて、ここに来たのじゃが……時計塔が潰れたことで、転移先の空間の組み合わせが変わったのかもしれんな。羅針盤は最短距離を示すはずじゃし」


 あるいは、エヒトルジュエの嫌がらせだったのかもしれないと、ティオは、先に行ったハジメを想って少し心配するような眼差しを虚空へと向けた。


 その表情から、やはりハジメは一緒ではないのだと察した雫が、同じく心配そうな表情で何があったのか尋ねる。


 そうして、シアとティオから大体のあらましを聞き、ならば、ハジメを追いかけようと全員が頷き合った、そのとき、


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッッッ


 と、空間が鳴動を始めた。


 何事かと周囲を警戒するシア達。


 そんな彼女達の視線の先で、バリッ、ビキッ、と空間そのものに亀裂が入っていく。まるで、この空間が崩壊しようとしているかのように。


 直後、ただでさえ多大なダメージを受けていたシア達のいる浮遊島が、空間を襲う振動に耐えられなくなったようで大きく大地に亀裂を走らせ、一拍後、大きく崩壊してまった。


 慌てて、スカイボードに乗って宙に避難する。


「あ、あれって……もしかして、地上?」


 鈴が眼下を指さしながら、声を上げる。


 砕けた浮遊島。その下の空間が、ゆらゆらと揺らめいて、そこから、遥か眼下に大地が見えたのだ。それも見覚えのある要塞や草原があり、そして大勢の人々がひしめき合っている。


 空間は不安定なのか、直ぐにその光景は消えて元に戻った。だが、未だ不気味な鳴動は止まらず、今までシア達が通ってきた場所や、全く知らない場所も、ゆらりと空間が揺らいでは薄らとその姿を見せて再び消えていく。


「……きっと、ハジメさんです。ハジメさんが、エヒトと戦っているんです!」

「そうじゃな。ここは【神域】。ならば、神たるエヒトがもっとも影響を与えるはず。その空間が不安定になっているということは、それだけエヒトが追い詰められているということなのかもしれん」


 ただの推測である。


 だが、ハジメなら有り得ると信じられる推測だった。


「なら、私達も急がないとね」

「よぉし、こんないつ崩壊するか分からないところ、さっさと出て行って南雲くんと合流しよう!」


 雫と鈴の言葉に、全員が頷いた。


 そして、中央の浮遊島で未だ辛うじて浮いているオベリスクの元へ向かう。


 未だふらついているシアが雫に肩を支えられながら、躊躇うことなくオベリスクに手を触れた。


「?」


 しかし、何も起こらない。ハジメが羅針盤を使ったとき、確かに、このオベリスクを指し示していたのだから、出入り口としては間違いない。


 シアは、もう一度触れるが、やはり何も起こらない。


「どうして!?」


 躍起になって触れるシアだったが、何度やってもオベリスクは反応しなかった。


「この不安定な空間と関係があるのかもしれん。確か、オベリスクは他の浮遊島にもあるじゃろう? そちらを当たってみようぞ」


 ティオの考察に、他のオベリスクの元へ向かった。


 ……しかし、そのオベリスクも無反応。


 と、そのとき、再び空間が揺れだした。


 そして、今度は端から崩壊を始める。


 嫌な予感がした雫は、崩壊を始めている場所の境界線へ、試しに石を投げてみた。予感は的中。投げた石は、分解でもされたように崩壊し塵も残さず消え失せてしまった。


「不味い、状況じゃな……」


 ティオの険しい声音がやけに明瞭に響いた。


「崩壊に巻き込まれても私達だけは無事……というのは都合が良すぎるわよね」

「私達が入って来たときのオベリスクならどうかな?」


 鈴の提案に、急いでその場所に向かう。崩壊は、急速に進んでいる。まるで檻を少しずつ小さくしていくように、空間が狭まって来ているのが分かる。今、この瞬間も、崩壊に巻き込まれた浮遊島が島の端から塵となって消え去っていく。


「そんな……戻ることも出来ないのか」


 光輝が悲愴な顔で呟いた。


 光輝達が入って来たときのオベリスクも反応しなかったのだ。


 崩壊が迫る。


 慌てて中央の浮遊島に戻るが、崩壊は加速度的に勢いを増していく。揺らぐ空間の先に見える別の空間も崩壊を免れていないようだ。荒廃都市の世界も、都市が端の方から消えていく。


「ここまで……なのか」


 光輝が呟いた。


 その言葉に、雫達が歯噛みする。


「ハジメさん、ユエさん……」


 シアが、強い眼差しで、遠くを見通すように虚空を見つめながら愛しい二人の名を呼んだ。


 遂に、崩壊は中央の浮遊島をも侵食し始めた。


 必死に思考を巡らせる。最後まで足掻くことは止めない。


 そうして、座して死を待つくらいなら、不安定故の転移できる可能性に賭けて、崩壊する空間に飛び込んでやろうと覚悟を決めた、そのとき、


カッ!


 と、光が爆ぜた。


 何事かと、シア達が視線を向ければ、そこにはハイリヒ王国近郊の草原地帯が映っている空間の揺らぎがあり、その向こう側(・・・・)から一本の矢が波紋を広げながら空間そのものに突き立っている光景が飛び込んできた。


 まるで、鏡の向こう側から矢を突き立てられているような、その不可思議な光景に、シア達が思わず瞠目していると、その矢を中心に、ぐにゃりと空間が歪み、人一人分程度の穴が出来た。


 そして、そこを通って入って来たのは……


「やほ~! みぃんな大好き、世界のアイドル、ミレディ・ライセンちゃんだよ☆」





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