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2019-07-17

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・つい先日まで、「もうじきブイヨンの誕生日だな」
 なんて思っていたのに、
 当の7月15日にはすっかり忘れていた。
 他界してからは、命日のほうが刻まれてしまうのかな。
 そういえば、人の場合でも、いつのまにか誕生日よりも、
 命日のほうでおぼえられるようになるものなぁ。
 というところまで考えたところで、はっと気づく。
 ぼくには、まだ命日がないのだ。
 「吾輩は猫である。名前はまだない。」という
 有名な書き出しを思い出してしまうが、
 「吾輩は生きている。命日はまだない。」そりゃそうだ。
 いつか命日が決まったら、諸君、こう思ってくれ給え。
 「あいつは、この日まで生きていたのか。」と、
 そのまんまのことを思ってしみじみしてくれ。
 誕生日は我輩のものだが、命日は皆のものだな。

・久しぶりに感じている長い梅雨の薄暗さに、
 ちょっと気持ちも沈みがちである。
 沈むとまでは言えないか、跳躍力に欠けるというか、
 晴れ晴れしないというか、やっぱりそういうことだ。
 ほんとうは、もっとなにかできそうなのだけれど、
 それがなんだか見つからずに、停滞しているような。
 実際に停滞しているということでもないのに、
 ことさらに、そう感じさせられているのかもしれない。
 それが、長すぎる梅雨というものなのだな。

・ふと、古い本のことを思い出した。
 ある時代に、ずっとベストセラーを続けて出していた
 「カッパ・ブックス」というシリーズのひとつだ。
 中学生くらいのときに買って、書いた人を尊敬していた。
 ぼくの笑いの感覚は、この本の影響が大きいと思う。
 『国語笑辞典(郡司利男)』という新書だ。
 有名な、ビアスの『悪魔の辞典』の日本語版をと、
 英文学の先生がつくったものだということだ。
 コピーライターの講座に入ったときに、
 黒須田進次郎先生が「ありゃぁおもしれぇな」と、
 言ってくれたので、成人してから買い直した。
 そして、そのことをまた思い出して、いままた注文した。
 古書として、まだ買えたということがうれしい。
 いま読んだら、どんなふうに感じるのだろうか。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
赤ちゃんは、「世界のすべてに恋い焦がれている」って。


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