アレックス・カーさん 12歳で初来日して以来、日本の伝統文化に魅せられ研究してきた。地域再生コンサルタントとして観光ビジネスにも詳しい=京都市下京区(永田直也撮影)

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 日本を訪れる外国人旅行者数が右肩上がりだ。

 昨年は3千万人を突破し、政府は東京五輪・パラリンピッを開催する来年に4千万人の目標を掲げる。「観光立国」推進は経済再生のカギとばかり明るい側面が強調されるが、東洋文化研究者のアレックス・カーさん(67)は「過剰な観光客は公害だ」と言う。生活環境の悪化や金を落とさない「ゼロドルツーリズム」問題など「観光亡国」を避けることが必要と語った。(聞き手 坂本英彰)

 -インバウンドをどう見ていますか

 「2003年に当時の小泉純一郎首相が『観光立国』を宣言し、たった十数年で驚くほどの成果が出ました。京都に住んでいると、おびただしい観光客の訪日を実感します。そもそもは停滞する日本経済の再生が目的でしたが、観光産業はいまではトヨタ自動車の収益に匹敵するくらいになりました。日本経済は観光に依存する面が出てきたのです」

ラッシュのような京都・嵐山

 --世界的にみて特殊な現象なのでしょうか

 「いえ日本はむしろ遅い方です。バルセロナやアムステルダム、タイやベトナムなど各地で観光客が激増しています。中国や東南アジアなどで新興国が発展し、生活が豊かになった人たちが億単位で現れた。格安航空会社(LCC)が登場して旅行費用が安くなった。こうした理由で一挙に海外旅行者が増えたのです。海外ではいまや、観光客の増えすぎによる弊害、すなわち『オーバーツーリズム』が大きな問題になってきています」

 --どういうことですか

 「多すぎる観光客による住民生活の質の低下や、民泊を目当てとした不動産投機などによる家賃高騰、観光客が出すごみの問題など悪影響が深刻になっているのです。バルセロナなどでは観光産業に対する反対デモまで起きています」

 「実はオーバーツーリズムは日本でも起きているのですが、よく認識されていません。京都について言えば、もうゆっくりお寺回りをできるような状況ではありません。嵐山にある竹林の小径(こみち)は山手線のラッシュのように混雑し、竹を楽しむ瞑想(めいそう)的な雰囲気など吹き飛ばされてしまっています」

 --混雑は観光地につきものと思い込みがちです

 「混雑ばかりではなく、押し寄せる観光客は町並みも変えつつあります。京都の台所といわれる『錦市場』は八百屋や漬物屋さんが軒を連ねる商店街ですが、近年は観光客向けのスイーツ店やドラッグストアなどが増えました。売られる抹茶にしても観光客向けのファンシー抹茶で、チャチなお土産処になりつつあります。市場原理によって店が入れ替わり、錦市場の文化的な価値は下がってきたといえます」

 --市場原理はしばしば伝統と相反しますね

 「さらに大きな問題は地元住民の生活が成り立たなくなることです。10年ほど前までは町家を宿泊施設やカフェに再生するブームがあり、伝統の町並みを残す原動力になりました。ところが観光客がある一線を越えたらビジネスホテルにした方がもうかるため、町家の破壊ラッシュが起きた」

 「京都市内は地価が高騰し住民は土地や家を売って出ていく。昔からある花屋や散髪屋もなくなり、土産店だらけになる。このままいくと住民の町ではなく、観光客のための町になってしまいかねません」

「ゼロドルツーリズム」という問題

 --住民不在の観光促進とは本末転倒ですね

 「ぜひ疑ってほしいのは観光客が本当にお金を産んでいるのかということです。海外で『ゼロドルツーリズム』問題が注目されています。例えばタイに来る安売り旅行パックの中国人は、ホテルもレストランもガイドも中国系で、このごろは支払いも中国系電子マネーだったりする。観光客が来たと喜んでもお金の行方はわからないのです」

 --観光の経済効果は数ではわからないのですね

 「何千人もの客を乗せて来る大型クルーズ船も、ベニスやカリブ海などで問題視されています。宿泊も食事も船内で済ませ、ツアーも関連会社が行ったりする。地元に落ちるお金は多くないが、大勢の船客に対応するトイレやゴミの処理など負担は大きいのです」

 「ゼロドルの危険は日本でもあります。岐阜県白川村の白川郷には年間170万人を超える観光客が訪れますが、平均滞在時間は約40分といいます。写真を撮って自動販売機でジュースを買う程度の観光客のための駐車場やトイレの整備、ごみや廃物処理に地元は大変なコストをかけている。費用に見合う収入があるのでしょうか」

 --どう対処すればいいのでしょうか

 「量から質への転換が必要です。観光客を増やすだけの考えはもう古い。アムステルダムなどでは旧市街に新しい宿泊施設を認めない、大型クルーズ船の寄港地を郊外に移す、商店街の店舗入れ替えは選定委員会で決めるといったことが行われています。オランダ政府の観光機関は今年、観光促進には予算を使わないと発表しました。放っておいても来てくれるから促進する必要はないのです」

 「日本の著名観光地も促進から規制に変える段階に来ています。富士山は千円の入山料を任意で求めていますが、この程度で混雑緩和は見込めません。1万円の支払いを義務づければ興味半分の人はあきらめ、本当に登りたい人だけが来るでしょう。かりに登山者が9割減っても収入はあまり変わらず、ごみやトイレの問題は解消します」

 --富裕層優遇になりませんか

 「観光客が一定数を超えれば、誰でもいつでも受け入れるとの考えは断念しないといけない。ただ高い料金で観光客を減らすだけではなく、事前予約した場合には割引するとか学生や地元住民への特別割引などきめ細かな対応も必要でしょう」

 --富士山や京都のように観光客があふれている所ばかりではありません

 「人口減少に悩む地方にとっては観光こそ再生の切り札です。ただ多くの客に来てもらうだけが方策ではありません。私が取り組む徳島県三好市・祖谷で古民家を貸すプロジェクトでは、茅葺きの古民家の一棟一泊で3~4万円です。宿泊者ひとりあたりの収益は大型バス1台分の、ジュースを買うだけの立ち寄り観光客と同じくらい。利用者は年間約3千人ですから、1日平均は10人以下。バスに乗った観光客が押し寄せるのと違って、地元住民生活への影響はとても小さいのです」

観光客急増「まだ序の口」

 --発想の転換が必要ですね

 「まずは観光公害の存在を認識する必要がある。日本はかつて大量生産型の製造業で成功したが、環境破壊や公害に目を向けなかった。私は子供のころ横浜に住んでいたが当時の大気汚染はひどかった。残念ながら観光業はまだ1960年代の大量生産時代のままです。公害があるのに無視し、数や量を強調しているのです」

 「それに日本の製造業は後に安価な中国製に押されて苦しんだが、先端技術で質をあげたものは生き残りました。日本の観光産業もいまインバウンドの刺激を受けています。ピカピカの大理石が定番だった日本のホテルが外資系の影響によって洗練された和風インテリアを取り入れはじめるなど、変化は出てきています」

 --激変を生き残る発想も必要ですね

 「古い発想で失敗しているところも多い。ある有名な神社で参拝に便利なようにと境内近くに大型駐車場を設けたら、参道のお土産物店に客が来なくなった。欧州の古い街では車をシャットアウトし、観光客を歩かせるところがある。人が歩くと街は元気になります。何でも便利にという考えがいまでは時代遅れなのです」

 -観光の未来について展望はありますか

 「近年の観光客の激増は誰も予想していなかった現象ですが、これでもまだ序の口だと覚悟すべきでしょう。中国で旅券を取得しているのは全人口の5%だといいます。インドやアフリカにも中間層が育っている。潜在的な観光客を考え、今後どんな大波が来るかを想像してみてください」

 【プロフィル】アレックス・カー 1952年6月、米メリーランド州生まれ。米海軍所属の弁護士だった父の転勤で子供時代をイタリア・ナポリや横浜などで過ごす。米エール大日本学部卒業後に慶応義塾大に留学。英オックスフォード大で修士号(中国学)取得後に再来日し、古美術商や米不動産会社勤務、京町家の再生などに取り組む。著書に「美しき日本の残像」(新潮学芸賞受賞)、「犬と鬼-知られざる日本の肖像」「観光亡国論」など。1990年代から京都とバンコクを拠点に地域再生コンサルタントを行う。徳島県・祖谷に学生時代に買い「●(=簾の广を厂に、兼を虎に)庵(ちいおり)」と名付けた茅葺きの古民家を所有。

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 【企画趣旨】「教科書を信じない」「自分の頭で考える」。ノーベル賞受賞者はそう語ります。ではニュースから真実を見極めるにはどうすればいいか。「疑い」をキーワードに各界の論客に時事問題を独自の視点で斬ってもらい、考えるヒントを探る企画です。