戸籍謄本から分かる 藤井一良君の年表 (222)
- 2019/07/04
- 09:59
藤井事件が分かりにくいとのことなので、家系図と年表作りました。
西暦 戸籍と政府からの事実
1922年 10月5日 恒二とヤヨノの子供として藤井治が産まれる。
1943年 学徒出陣
1944年 学徒出陣年齢が19歳まで引き下げ。文系も出陣で、治も中国へ
1945年 終戦
1952年 6月24日 中国の方式で周建清と呉健華が結婚
1953年 7月7日 呉也凡誕生(健夫)
1955年 12月27日 呉亦凡誕生(康文)
1966年 文化大革命が始まる
1972年 9月25日 日中国交正常化
1972年 10月17日 藤井治からの手紙が防府市役所に届く
1974年 藤井治帰国が厚生労働省資料で確認
1977年 文化大革命終わる
1984年 9月2日 呉思国が呉也凡の息子として誕生。湖南省にて。母は肖芳蘇
1991年 12月23日 藤井治死去
1992年 9月4日 藤井健夫は第二妻凌潔平と結婚
1993年 6月24日 在中大使(当時は國廣道彦?)から防府市役所へ周建清と藤井治の婚姻届が送付される。(死後婚姻は合法)
同日藤井健夫の出生届を在中大使から江東区長が受付
1994年 10月12日 藤井一良の出生届を中野区長が受付
1996年 藤井一良が小学校五年として日本の小学校に入学
2012年 9月2日 藤井一良と中野文が結婚(中国戸籍では独身)
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です。
呉健華が中華民国人というのは、中国の中国人弁護士から聞きました。
藤井君が呉健華が藤井治さんであるという反論があるなら、いつでも訂正しますので公的文書の提示求めます。
皆さん、お気づきかもしれませんが、藤井君はブログで一言も「呉健華は藤井治のことです」と言わずに、ビデオで見せて他の人に言わせています。
そして、藤井一良君は一言も「僕は呉思国です」と言いませんね。
何故でしょうか。
それは、呉思国と藤井一良が「同一人物である」という公的文書がないからです。