第21回
インターフォン
タバコを吸うときの気持ちは中学生。身体は全然求めていないのに、わざわざむりやり吸ってみています。吸ってもおいしくないし、何とも思いません。吸うことにしたんだから吸わなきゃ、といちいち思い出して吸うけれど、どうしたところでまったく自暴自棄にならないのです。子供の頃から身体が弱いから、無茶しないよう、ストッパーがものすごく強く効いています。
火葬から4日経っても、仕事の打ち合わせで話すことが何も思いつきません。やる気も起きません。あまりに自分が元気がないのをどこかで俯瞰していて、絵に描いたように落ち込んでいるな! と思って、おならみたいな笑いが出ます。
帰り、寄ったこともない神楽坂駅そばの不動産屋兼たばこ屋に寄って(そんなものがあるのです)、ネットで調べて興味を持ったちょっと変わり種のタバコを3種類買ってみました。ガラム・ヌサンタラ、ダビドフ、アークロイヤル・パラダイス・ティー。こんなものを吸ったところでクスリみたいに飛ぶわけでもないし、何にもならないのだから意味がない。分かっています。
そして自宅までの道の途中、旧・加寿子荘、現・加寿子マンションの前を通りがかりました。
私が22歳から33歳までを過ごした加寿子荘は、私が退去を決めたタイミングで建て替えることになり、完全に取り壊されて、そこには新しいマンションが建っています。そして、その一階には大家さんだった加寿子さんが今も変わらず住んでいるはず。家が近いこともあり、引っ越したあとも私はちょくちょく事前の連絡もなく思い立っては訪ねていって顔を見せ、旅のおみやげなぞを渡していましたが、それもなんとなくとぎれとぎれになっていました。記憶をたどって思い出してみると、なんと2年ほど加寿子さんに会っていませんでした。
会うならこのタイミングだろう、と不意に思い、以前のように、また何の連絡もせずチャイムを押してしまいました。加寿子荘のときのようなブザーではなく、今はもうインターフォンになっています。
「はい」という加寿子さんのか細い声がスピーカーから出てきました。まだこのお家にいらっしゃることにまずは一安心。しかし、こちらが名乗っても、どうも反応が微妙です。名前に心当たりがない......という感じ。
しばらくして玄関先に顔を出した加寿子さんに対し、私は改めて名前を名乗りました。昔住んでいた者です、とも言いました。しかし、加寿子さんは顔を見てすら思い出せない様子です。そんな方いらしたかしら......ごめんなさいね、うーん......。そう言われて私も必死になる。お風呂のある部屋に住んでまして。あの、奥の。10年ほどいたんですけどね。よくあの、前はおみやげとか持ってきてて。
加寿子さんももう90歳で、老人性のナントカなのかもしれないけど......勘弁してほしい、忘れてしまわないでほしい。
しつこくいろんなことを話していたら、「あー!」という感じもなく、じわじわ、と思い出してきた様子です。「思い出せない」から「思い出した」への展開が劇的ではないところに奇妙な雰囲気がありましたが、ともかくも思い出してもらえたことにホッとする。
「ここを出て、あの、喫茶店のところに越して、それで、そこから柳町のところにいらしたのよね」
そうですそうです。ああ、完全に思い出してくれました。
「それで、また引っ越しなさったの」
そうなんです。今回ここに来たのは、名目上は、引っ越しましたという連絡のためです。私は加寿子荘を出て以来、どこに住んでも部屋に不満を感じてしまい、2年間の賃貸契約の更新を待たずに近場で3回も引っ越していたのです。
「喫茶店のところにいらしたときはね、よく来てくださったんですよ。おみやげなんか持ってきてくださってね」
ん、どこかおかしい。私に対して「あのへんにいらしたのよね」と言うと同時に「以前はよく来てくださったんですよ」と言う。ときどき、私のことを別の人として私に伝えている感じで、境界がモヤモヤしています。加寿子さんのなかで、かつての私と今の目の前の私が、ほんの少しだけ一致していません。完全に一致していないわけでもないところがなおさら不思議です。
でも、いい。そんな細かいことはもういい。
話しながらも、顔つきが全然変わっちゃったから分からなかった、うふふ、としきりに繰り返す加寿子さんは、最初に顔を見て思い出せなかったのが恥ずかしいのかもしれない。お若くなられたでしょう、などとおっしゃるのも、顔がいまいちピンと来なかったことへの言い訳のような気がします。
部屋が散らかっているから、と言って加寿子さんは珍しく部屋に入れてくれませんでした。引っ越したという連絡以外は特に用もなかったため、話は同じことの繰り返しになり、ずっと玄関先で立ち話をさせるのも悪いので、適当なところで私はおいとますることにしました。加寿子さんは、以前と同じようにやはり曲がり角を曲がるまでずっと玄関から見送ってくれて、私はまた気持ちがギュッとしました。
私が加寿子さんを好きであるのはまちがいない。加寿子さん当人と、この土地と、かつての建物、環境、すべてへの執着がとても強い。好きな人や場所には、いつまでもそのままであってほしい、好きな人やものはずっと私の好きなような形であってほしい、と私は勝手に願ってしまう。
この感情は世間一般の常識からして恋愛と呼べるわけがないけれど、一つ一つの要素を見ると、これと恋愛との境目なんてどこにあるのか分からなくなってきます。かつて、私が加寿子荘のことを友人に語っていたときに「のろけてるみたいだね」と言われたけれど、この言葉はまさに核心を突いています。ほぼ恋愛なのです。
そして、私はまちがいなく雨宮さんが好きでした。会うたびにとても心が沸き立ったし、いっしょにいて嬉しかったし、元気で生きていてもらって、美しくあってほしい、同業者として常に私より先に立ち、見本のようでいてほしい、と勝手に思っていました。完全なる執着です。これももしかしたら恋愛だったのだろうか。
私は、彼女に限らず、友人・知人の書いた本をあまり読みません。特に、赤裸々に内面を吐露したようなものは、ふだん仲よくしている人の裸体や内臓を見るようで、どこか照れくさいような、グロテスクなような気がするからです。しかし、雨宮さんが亡くなってから重い腰を上げて、あのとき棺に入れてあった『東京を生きる』という本を読んでみることにしました。
それは予想を裏切らずグロテスクなものでした。男に飢え、セックスに飢え、田舎を憎んで東京を愛し、野心に燃え、欲望に燃えた果ての死を思う、生々しくて愚かな気持ちがそのままの言葉で語られていました。「我慢して生きるくらいなら、不幸なまま死んでやる」などと、私たちが誓い合った「つまんなくなって、幸せになってダメになろう」という言葉とは正反対のことがたくさん書いてありました。共感するところがこれっぽっちもありませんでした。
読めば読むほど、憧れや羨望の気持ちは生ぬるい体液になって私の尻の穴から漏れ、それでも読むのをやめることはできず、漏れ出た液はそのうちカピカピに乾燥していき、飛んでいってしまいました。
雨宮さんは、作品のなかではめちゃくちゃにドロドロした部分を出していたけれど、ふだんの会話は品があって控えめです。不特定多数が見るSNS上ではそれ以上に優しく穏やかで、争いを好みませんでした。ツイッター上ですぐにケンカを買ったり、ネガティブな気分を平気で吐き出したりする私とは好対照です。
私はいつか別の友達に、そういうところで感情を出せるのは偉いよ、と言われたことがありました。そのときは単に感情を抑えきれない幼稚なふるまいを賞賛される意味がまるっきり分からなかったけれど、ふとその言葉を思い出し、理解できたような気がしました。効率的にストレスを解消することがどうしてもできない人から見れば、私のほうがきちんと感情を主張していて「偉く」見えるんでしょう。
『東京を生きる』を読み終えたときには、あんなに輝いているように見えた雨宮さんより、私のほうがまったくマシだったじゃないかと思えるに至りました。
恋慕の情って、一旦醒めると今までのことが噓だったようにひとかけらも情が残らず一切どうでもよくなったり大嫌いになったりするものだと聞きますが、ちょうど、ほとんどそんな気持ちになり、そのことで却って雨宮さんへの気持ちはやはり恋愛だったのではないかと思えてきました。私は彼女のことが確かに大好きでしたが、彼女は私の気持ちほどには私への執着もなく、なにしろ私が思ったような人であってはくれなかった。そのことが決定的になったのだ。
私は非常に勝手なこちらの都合で、とんでもなく空しくなり、あれだけの怒りは同じ絶対値のなげやりな気持ちに変わりました。
ああ、私も彼女も、なんて勝手なんだ。人に勝手に期待し、勝手に裏切られた気分になり、勝手に失望して泣いたり死んだりして、まるっきり子供じみていた。なんてバカバカしい心の動きだろうか。改めて強く思う、なんでこんな幼稚な、人を愚かにさせ、視野を狭くさせる感情を世間は称揚しているのか。紙が破けんばかりの筆圧で心の中に書きつける。二度とこんなことするものか。
加寿子さんは、少しずつ変わってしまっている。私の一方的な好意に対し、返すものがなくなってきている。このままでは私はいずれこの状況を受け入れられなくなり、勝手なさみしさやいらだちや、わがままな気持ちを募らせるのが必定となります。自分には恋愛なんて分からないと思っていたけれど、このわがままさは恋愛同然じゃないか。見事なはまりぶりだ。こんな自家中毒的な一喜一憂はやめたい。
雨宮さんが亡くなって1年半くらい後だったろうか、スマホを買い換えてデータを移し替える作業をしているとき、私はうっかり操作を誤り、LINEの会話履歴がすべて消えてしまいました。バックアップもなかったため、雨宮さんと交わした、服のこと、アクセサリーのこと、恋愛のこと、仕事の愚痴、気に入らない人たちのこと......などなど、LINEでの長々とした会話は、一瞬にして世の中から永久に消えてしまいました。今はそれでよかったと思っています。
結局私は、あの会話のあと、加寿子さんにも会っていません。タバコももちろん、もうまったく吸っていません。