わりと有名な話なのだが、実は、私は生まれてこの方、有効票を投じたことがない。正確に言うと一度だけ投票所に足を運んだことはあるのだが、投票用紙に俳句をひとつ書いて帰ってきてしまったのだ。

 うん。自慢できる話ではない。

 というよりも、ある時、ある機会を通じてこの話を公にしたところ、私は、あらゆる方面から、かなり盛大な勢いで説教をくらうことになった。以来、思い出したように、色々な機会で、様々な皆さんに説教を頂戴している次第だ。

「選挙に行かないだけならともかく、それを誇らしげに公言するとはなにごとだ」

「投票回避は言論人としての自殺行為に等しい」

「いや、自殺教唆に値する」

「っていうか殺人じゃないのか?」

 反省している。

 口に出すのじゃなかったと思っている。

「ん? ということは、投票をしなかったことそのものは反省していないのだな?」

 ……むずかしい質問だ。

 が、今回は、さすがに答えなければならないだろう。

 後悔している。だから、今回は投票しようと思っている。

 ただ、「反省」という言葉は使いたくない。というのも、投票を「モラル」みたいなことにしたくないからだ。

 若い人たちが選挙に行かない理由のひとつに、投票が「市民の義務」であり「公共のモラル」であり「当然のマナー」であり「守るべきルール」であるみたいな世間の風潮があると思う。私自身そうだったが、若い人というのはとにかく強制が大嫌いなのだ。

 もうひとつの理由は、やっぱりバカげているからだ。

「ぴったり来る候補者がいなくても最悪を避けるためにとにかく最悪以外の誰かに投票した方が何もしないよりはマシだ」

 というそのことが、理屈の上ではわかっていても、いざ実際に投票所に向かおうとすると、やっぱりバカバカしくなってしまうのですよ。

 若い人たちのために、ぜひ弁解をしておきたい。

 彼らが選挙に行かないのは、愚かだからではない。不誠実だからでもないし、考えが足りないからでも享楽的だからでもない。

 真面目だからだ。

 いや、潔癖だからと言い直した方が良いかもしれない。

 わたくしども投票回避党の人間は、バカげた政治の現実や、薄汚れた候補者の実態や、やかましいだけの選挙運動のありかたに耐えることができない。だから、考えるだけで気持ちが悪くなって、それでどうしても投票所に一歩を踏み出すことができなくなってしまうのである。

 ただ、ここには、「きれい好きな人間に限ってトイレの掃除が大嫌いである」みたいなやっかいなパラドックスがあって、それでわれわれはとても苦しんでいるのである。さよう、潔癖な人間は便所掃除を嫌う。そして、トイレの清掃を回避しているがために、用を足す度にトイレの汚さに直面して、ますますトイレを憎む事態に陥っているのである。

 なんという呪われた生活であろうか。

 やはり、イヤでもキライでも時々は掃除をしないといけないようだ。

 50歳を過ぎてようやくそのことがわかった。

 なので、今回は投票に行きます。

 そう。直視したくないほど汚れたトイレだけど、汚れているというまさにそのことが、投票せねばならない理由になっている。

 なるほど。

 年を取るということにも多少は良いことがある。過度の潔癖から自由になることだけでも、かなり目の前が明るくなる。汚れから目を背けることは、汚れを取り除くことには貢献しない。まあ、当たり前の話だけど。

 若い人たちには、私の口から言えたことではないのだが、投票所に足を運ぶことをおすすめしておく。

 少しの間イヤな思いをすれば、多少はきれいになるはずだ。

 ま、ほんのちょっとだけだけどさ。
 


<筆者紹介> 小田嶋隆(おだじま・たかし) 1956年生まれ。東京都北区出身。コラムニスト。「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 〜世間に転がる意味不明」(日経ビジネスオンライン)などが人気。著書多数。近著に『もっと地雷を踏む勇気』(技術評論社)など。