中日でもプレーし、投打に活躍したドジャースのドン・ニューカム会長付特別補佐が死去した。92歳だった。19日の球団公式サイトによれば、1955年にブルックリンに本拠を置いたド軍で同僚としてワールドシリーズに優勝したラソーダ元監督は「すごい投手で、しかもこれまで見た中で最も打撃がいい投手の一人だった」と語った。スカリー殿堂専属アナウンサーは「彼はマーティン・ルーサー・キングから敬愛された平等運動のチャンピオンでもあった」と、ノーベル平和賞を受賞した黒人公民権運動家との交流を回顧した。
ニグロリーグ(黒人リーグ)を経て、46年にメジャー史上初の黒人投手としてド軍に入団。49年は新人王に輝き、ジャッキー・ロビンソンらと黒人選手では初めて球宴に選出された。52、53年の朝鮮戦争従軍を経て、55年は投手で単一シーズンのメジャー最多記録となる7本塁打をマーク。56年は27勝(7敗)を挙げ、初代サイ・ヤング賞とMVPをダブル受賞、球宴選出4度。メジャー通算10年間で通算149勝90敗、防御率3・56。打者では452試合で打率2割7分1厘、15本塁打、108打点。
62年は愛称「ニューク」を登録名に中日で外野手としてプレー。81試合で打率2割6分2厘(279打数73安打)、12本塁打、43打点。投手としても1試合に登板した。