チロル帽を被った男が猟銃を手に大阪・三菱銀行北畠支店を襲撃し、行員らを人質に立て篭った事件は、大々的にテレビ中継され、日本中を震撼させた。1979年1月26日から3日間にわたって続いたこの「三菱銀行人質事件」を題材にした映画が、高橋伴明監督の『TATOO〈刺青〉あり』(82)だ。人気バンド「ダウン・タウン・ブキウギ・バンド」のリーダーだった宇崎竜童が犯人役を演じたことでも大いに話題を呼んだ。現在もミュージシャン、作曲家、俳優として多彩な才能を発揮する宇崎が、俳優としての代表作である『TATOOあり』、そして同じく実在の事件を題材にした初主演映画『曽根崎心中』(79)など過去の話題作&問題作について語った。
――三菱銀行を襲撃した梅川昭美は行員2名、警官2名を殺害した凶悪犯です。どういう経緯で、梅川をモデルにした映画に主演することになったんでしょうか。
宇崎竜童(以後、宇崎) 高橋伴明監督から、「ちょっと話がある」と呼び出されたんです。伴明さんとは多少面識がありました。当時は夜になると新宿にゴジ(長谷川和彦、『太陽を盗んだ男』の監督)ら映画監督や俳優たちが集まって酒を呑んでいたんです。僕はあまり酒は呑まないんだけど、面白いヤツらが夜な夜な集まって、仲良くなったり、ケンカしたりしてたんですよ(笑)。それでね、伴明さんが1枚の写真を取り出して、僕に見せたんです。それが当時1枚だけあった梅川の写真でした。伴明さんは「似てるだろ?」と言うわけです。僕はそのとき「そうかなぁ」としか思わなかったんだけど、「これ、映画にするから。(梅川役を)やってよ」と頼まれたんです。それがこの映画のスタートでした。
――実在した凶悪犯役を演じるのは容易ではなかった?
宇崎 大変でした。当然、梅川がどんな人間だったか知りようもありません。どうすれば主人公になれるのか悩みましたが、「監督の言う通りにやればいいんだ。監督の望むような男になればいいんだ」と思い、自分で独自に役づくりすることはやめ、台詞だけきちんと覚えて現場に入ったんです。関西弁の台詞は譜面にして覚えました。
――台詞を譜面にするとは?
宇崎 主人公はリアルな関西弁を使うので、台詞のイントネーションの上げ下げを波形にして、平坦なところは真っすぐに書いて、それで台詞を覚えたんです。大阪弁ってメロディーがあるからね。他の人が作ったメロディーを、自分で譜面に書き移すような感じで覚えていったんです(笑)。
グロテスクショーではない伴明流美学
――『TATOOあり』で強烈な印象が残っているのは、主人公・明夫が「男は30歳までにデカいことをやらなくちゃいけない」と思い込んでいること。“早く大きなことを”という野心と焦燥感は、多くの若者が感じていたことじゃないでしょうか。
宇崎 平成生まれの人はどうか分かりませんが、確かに昭和生まれにはそういう意識を持った人が多かったように思います。僕の場合、「ダウン・タウン・ブキウギ・バンド」を26歳のときに結成しました。初めて逢うミュージシャンたちに声を掛けて回ったんですが、そのときの殺し文句が「レコードデビューできる」「有名になれる」でした。俺のバンドに入れば、レコードデビューできるし、有名になれるぞと(笑)。当時の僕の周りには、善かれ悪しかれ「のし上がってやる」という意識の奴らばかりだった。もちろん、のし上がれないままの奴もいれば、一度はのし上がってもすぐに堕ちていく奴もいた。当時の一人の人間の中にも、そんなテンションの激しい上り下がりがあったように思います。そんなふうに考えることで、事件を起こした犯人・梅川の心情を少しだけ理解できたのかもしれません。梅川が銀行内で人質に対してやったことは理解しようとしても到底理解できませんが、野心を持った昭和の男が多かったことは確かでしょう。
――主人公の明夫は「30歳までにデカいことをやる」と一種の強迫観念に囚われている。マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』(76)の主人公トラヴィス(ロバート・デニーロ)と通じるものを感じさせます。トラヴィスは運良く正義のヒーローになるが、明夫はダークサイドへと堕ちていく。
宇崎 あぁ、そうかもしれません。伴明さんからは撮影前に『破滅 梅川昭美の三十年』(毎日新聞社)という分厚いノンフィクション本を渡されていたけど、それを読んでも梅川はどんな人間だったのか、なんで銀行を襲撃したのかは結局分かりませんでしたね。伴明さんも最初から主人公が銀行を襲撃するまでを描き、立て篭りシーンを撮る考えは持っていなかったんです。犯行そのものを撮ってしまうと、ただのグロテスクショーになってしまいますから。そこが伴明流の美学でしょう。