2016/11/12
日本のテレビCM史の流れを変えた異才 ― 今村昭物語(11)
マキシム名作CM、そしてスターウォーズ、さらに、その派生ドラマ制作。今村昭は、いかに興奮していたのか
── さて、大林監督は、さすがに手慣れたものでハリウッドのスタッフを縦横に使いこなし、カーク・ダグラスにも英語で的確な演技指示を出す。それを見ていると、大林さん自身がアメリカ映画で育った一面もあり、映画スターへのリスペクトと愛が込められていると思えた。かくして、マキシム名作シリーズ4編は、初号。クライアントにも好評を博しオンエア。商品は徐々に、販促もあり売れ始めた。
ところで4編は1年分で、半年くらい前から次の準備はしなくてはならない。海外俳優との契約でも、1年の内、数日はCM撮影に充てる、という規定がある。次の企画はコーヒーで気分転換をテーマに、カークがポーカーをしたり、釣りをしたり、ガンプレイを自慢したりするが、相手役が一枚上手で負け、気分をマキシムで変える、というものにした。
このロケ撮影には今村さんは行かなかった。部長で管理職であり、もう現場は松本昭さんと、わたしに任せるということだった。だから相手役のキャスティングは、ハリウッドで大林監督とわたしたちがした。が、映画好きのわれわれはちょっと仕込みをした。次の俳優は映画好きの読者なら、覚えがあると思う。ポーカーでのバイプレーヤーは、サム・ジャフェ。ジョン・ヒューストン監督の傑作「アスファルト・ジャングル」の名脇役で有名。ガンプレイは、L・Q・ジョーンズ、サム・ペキンパー監督映画の常連俳優だ。
この時代、外タレCMでもこういう遊びを仕込むのは珍しいかもしれないが、狙いもある。俳優は俳優を知っている、つまりカークは彼らと共演か、と喜んだのだ。演技の、乗り方へ熱が入る。こうして、この3編も好評でマキシムはますます販売好調に入りだした。なお、この3編は、すべて1978年度のACC秀作賞を受賞している。
カーク・ダグラスのこのCMはかなり長く数年続いた。外タレCMには珍しい。次のCMもお伝えしたいが、この連載は今村昭物語で彼の人物像を一応、時系列的に追う。まとまるところはまとめたいが、時々事件が起こる。その事件も、彼を語るものなのだ。
この連載原稿がウェブ電通報に掲載される2016年後期、日本、アメリカ、世界は「スターウォーズ/フォースの覚醒」に続き、さらなる続編を期待しているであろう。この第1作がジョージ・ルーカスにより誕生したのは1977年、そしてこの時、日本人でこの映画を初めて観たのは、今村さんとわれわれではなかっただろうか。撮影でロサンゼルスに到着は夕暮れ、さらにホリディ・イン・ハリウッドへ投宿は夜中。目の前には、有名なグローマン・チャイニーズ劇場。そのネオン ─ STAR WARSを見てしまい、長蛇の観客の行列を見てしまったのが運のつきであり、始まりであった。
詳細は不要だろう。いちばん興奮したのが今村さんで、ロケ中、3回も観に行った。大林監督は、劇場前で走る今村さんを目撃した。帰国の機内では、ルーカスのノベライズ版を居眠りもせずに読み込んでいた。かつ関連グッズは山ほど買い込んでいた。
── この「スターウォーズ」が日本で一大ブームとなり、現在まで続く原動力に火をつけたのは、まちがいなく、石上三登志の名で行動した今村さんであると思う。帰国するや、電通社内、映画、SF、出版、あらゆる仲間に声をかけ、喧伝、要するに凄いぞ!と煽った。噂をニュース化しようというテレビ番組に出演、また、『週刊プレイボーイ』が特集ページを組み、そこで解説。ほか、いろいろメディアで紹介。べつに誰に頼まれたわけでもない。純粋に、生粋の映画、SFファンであるゆえの、行動であった。語り手も思うが、これは「2001年 宇宙の旅」とは、違う意味で、SF映画の初めての市民権獲得映画であった。
翌1978年、日本公開。絶大な人気とブームが巻き起こった。
観客は、みな子供に帰ったように歓迎していたように思う。そして、今村さんも子供がまんま大人になったようなひとだと、わたしは思った。そんなころ、社内の媒体局から相談が来た。
ラジオ局の担当が言う。「RCC中国放送から、うちへの指名なのですが、スターウォーズみたいなドラマを制作してくれないか?と言うのですがね」。
RCCは、ブームを起こした石上三登志が今村昭なのを調べ、依頼してきたのだった。思いもしないブームの余波である。この年「未知との遭遇」も日本公開されており、少年時からのSF映画ファンには、信じがたいSF大ブーム時代が来ていた。RCCラジオ制作部の村上ディレクターが電通に来た。なんと、この人もアメリカで、われわれと同じころ「スターウォーズ」を観て感激していた。その面白さをぜひラジオドラマにしたいと言う。
つまり、これは電通の仕事であるのだ。電通が日本の民放テレビ局の創設に関わっていた時代に、局の人手やコンテンツ不足(番組が足りない)で、電通が手助けをしたり、番組自体を制作し提供していたことがある。それは媒体部門の仕事で、実はCMもその一部だった。クリエーティブの源流のひとつはここにある。RCCの依頼は、この復活のようなものでもあると言えるだろうか。
今村さんとわたしは、例により、銀座ウエストで相談した。週1回、30分ドラマ、25週連続、という大長編である。
制作はRCCがするので、求められたのは原案と、毎週の脚本だ。二人とも脚本など書いたこともない。が、やる気になっていた。まずは大長編ドラマの骨子になるセントラル・アイデアが必要だ。当時、サム・ペキンパーの「コンボイ」という映画があって、巨大なトレーラー・トラックが集団化し、取り締まり側と対決するというもの。これに映画のひとつのタイプのロード・ムービー(旅の途中でいろいろな事件が起こり、乗り越えていく)、さらにグランドホテル形式(ある場所を設定し(多くは公的なところ)そこにいる様々な人々を交叉させ、起伏を作り出す)などを織り交ぜ、次のようにした。
タイトル「スペース・コンヴォイ」─ 意味は、宇宙護送船団。ある未来、地球は残れる全資材を総力を挙げて、辺境へ、あらゆる中古船を集めて送り出す。辺境の戦争はもはや敗戦にも等しく、ここに人類存続がかかっていたからだ。── 毎週の1話は、交代で書くことにし、各船をその1話の主人公にして、主要人物は共通、ということにした。なお、企画原案には、SF仲間である、鏡明さんのお名前もいただき、1話書いていただいた。
さて、これは秘話に近いだろう。当時でもこのドラマを知っていたのは、われわれと、媒体局、RCC ─ 広島圏の聴取層しかいないからである。今日、ネットを検索すると、当時、小学生から高校生くらいだった人たちが大人になり、感想を述べたり、仲間を募ったりしている。RCCには、ファンレターが寄せられ、後日、見せてもらったりした。聴取率は、日曜の零時から、という深夜帯としては驚異的なものだったらしい。
おもしろかったのだろうか? 今村さんと、わたしは、ある仕掛けを潜ませていた。最終話は、とんでもない大どんでん返しなのである。24話全てはその伏線であり、だから第1話から謎が登場する。第2話以降、謎は解決されながら、ますます謎が膨らむ。つまり、毎週聞かないと、わからないドラマにしたのである。
さて、この話はこのへんで止めよう。要は今村さんというひとの、ある面をご理解いただきたかったのだ。実によくのって書いていた。作家にもなりたかったのだと思える。その証拠に、この「スペース・コンヴォイ」を基にして、小説を書いたのだ。
これも秘話に属するだろうが、それは『奇想天外』誌(当時のSF誌で、SFマガジン誌を正統派とすれば、異端も扱っていた。編集長の曽根氏は学生時からの仲間である。なお、わたしも仲がよかった)に掲載された、「地獄の旅のイカロス」である。400字詰め100枚くらいの中編で、かなりのハードSFであった。ハードSFとは、かんたんに言えば、かなりの科学技術的、仮想技術的、メカニズム、仮想現実 ─ つまりリアリティを極度に強調しつつ、まったくの絵空事を現実らしく描くSFである(このSF誌は、現在も神保町などで見つかる)。
さて、このラジオドラマ脚本体験は、むだではなかったのだ。なぜなら、後に今村さんは、東宝映画「竹取物語」の脚本を書く、という、とんでもない仕事に携わるからである。しかも、これまた電通としての仕事なのだ。
しかし、その前に語り手としては、時系列的に、マキシムのCM、そして、カンヌを狙った資生堂の仕事に触れないわけにはいかないであろう。そしてSF映画のことは、まだあり、それが「スーパーマン」CMなのだ。
かくして、今村さんを語る事象は広がる。
(文中敬称略)
◎本連載は、電通OBの有志で構成する「グループD21」が、企画・執筆をしています。
◎次回は11月13日に掲載します。