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2019-07-12

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・人は、なんについても、
 なんらかの意見を持っているはずだ…ということはない。
 マンガ的に言うならば、あのアインシュタインだって、
 こしあんとつぶあんとどちらが好きか、
 というような問題について、なにか意見を持っていたか。
 おそらく、なかったというか、知らなかったと思うよ。

 じぶんの詳しい領域のことについては、
 そこになによりも大事な問題があると思いこみやすいし、
 他の人がそのことについてさほど深く考えてないことに、
 いらだったり腹を立てたりもしやすい。
 最近はどうなっているか知らないけれど、
 テレビの番組のコメンテイターという仕事の人は、
 その日にどういう問題が取り上げられようと、
 「そこらへんのこと、わたしはわからないので」
 とは言わずに、なにかしらのコメントをする。
 そういう仕事だから、番組のためにそうするのだと思う。

 ぼくみたいなものを知らない人間にも、
 いろんな問題についての意見を求められることがある。
 若いときは、意見を求められること自体が、
 なんだか世間に認められているような気がして、
 やや晴れがましい気分で「ぼくはこう考えます」
 なんてことを言ってたこともある。
 いやぁ、恥ずかしいとさえ気づかずにやっていたかも。
 やっぱり、いい気になっていたんだろうな。
 いまは、「参考までに」という気持ちがあるとしても、
 それほど知らないことや興味のないことについては、
 「あんまりよく知らないので」と言ってご遠慮している。
 ひとつの芸として、なにかおもしろくするということなら
 美女の放屁についてでも、アリクイの食欲についてでも、
 語れるかもしれないけれど、それはそれで大仕事だ。
 だいたい、おおよそ、メディアは、ぼくなぞに、
 そんな大仕事を望んではいないような気がする。
 ちょっとした気の利いたことばでまとめてくれたら、
 あるいは、多少もめそうな失言でもあればそれでよし、
 という程度のご要望なのかもしれない。
 どちらにしても、ぼくは、というか人間は、
 当然ながら、なんにでも意見は持っていない。
 もしくは、意見が醸成されるプロセスのなかにいる。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ともだちどうしで話すことなら、たくさんあるんだけどね。


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