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ジャニー氏が目指したのは“男版宝塚” ミュージカル至上主義を晩年まで貫く

ジャニー喜多川社長
ジャニー喜多川社長

 ジャニーズ事務所のジャニー喜多川(本名・喜多川擴=きたがわ・ひろむ=)社長が7月9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤(りゅう)破裂によるくも膜下出血のため都内病院で亡くなった。同事務所から発表された。87歳だった。先月18日に都内の病院に救急搬送された。搬送時に意識はなく、その後の懸命な治療も実らなかった。

 ジャニー喜多川氏が目指したもの。それは男性ばかりのミュージカル、いわゆる“男版宝塚”。テレビが娯楽の王様となってからも舞台やコンサートなど生の感動にこだわった。ミュージカル至上主義の考えは、第1号グループとなった初代ジャニーズから晩年まで一貫していた。

 今でこそドーム公演などでの派手な演出は当たり前だが、70~80年代はアイドルが球場コンサートを行うことが異例だった。そんな時代に、TBS系ドラマ「3年B組金八先生」で人気が爆発した田原俊彦、近藤真彦、野村義男の「たのきんトリオ」が、81年に後楽園球場で開催した「たのきん3球コンサート」は、今も伝説として語り継がれている。球場内にハーレー50台を走らせ、クレーン車からつるした宇宙船のセットを爆破。驚異の演出の連続で、興行界に新しい渦を巻き起こした。

 米国で生まれ育ったジャニー氏。演目に和太鼓を取り入れるなど、日本の心を大事にする一方、常に目線は世界に向いていた。イリュージョンなど、中国や米国でショービジネスの新しいトレンドがあると聞きつければ、フットワーク軽く取り入れた。故マイケル・ジャクソンの振り付けで知られるトラヴィス・ペイン氏、世界的イリュージョニストのフランツ・ハラーレイ氏ら世界で名だたるクリエイターも、ジャニー氏の“ひと声”で集まるほど。総合プロデューサーとして海外での評価も高かった。

 「1秒でも飽きさせたら僕の負け」が演出家としての信条。当日に演出変更があるのは当たり前。その瞬発力が、若手の育成力にもなった。そして何より「Show must go on(何があってもショーは続けなければならない)」を一番のモットーに掲げてきた。87歳の大往生。その思いは十分すぎるほど果たした。

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