トップ > 中日スポーツ > 芸能・社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【芸能・社会】

ジャニーさんありがとう…「子どもたち」悼む声続々

2019年7月11日 紙面から

 ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長の死去から一夜明けた10日、所属タレントらが故人との思い出をそれぞれの言葉で表現した。少年隊の東山紀之(52)は涙をこらえ、TOKIOの国分太一(44)は流れる涙を抑えきれずに生番組に出演。最年長の近藤真彦(54)が「何度も泣いた」と明かせば、嵐の5人は悲しみの対面を明かしつつ感謝の言葉をささげた。男性アイドルを創出し大輪の花を咲かせた巨星の退場に、所属タレントばかりか、日本芸能界は深い悲しみに包まれた。

 東山はこの日スタートのテレビ朝日系主演ドラマ「刑事7人」(水曜午後9時)のPRのため、同局系の「グッド!モーニング」(月曜から金曜午前4時55分)に生出演。ジャニーさんへの思いを語った。

 ジャニーさんは自身にとってどういう存在だったかについて、「やはり父親ですね。僕らにとっては。大変優しく僕らに接してくれました」と回想。「エンターテインメントの世界では一番の方だと思う。僕らはその精神を受け継いで、明るく楽しくやっていくのが基本だと思っています」

 続く「モーニングショー」(月曜から金曜午前8時)では、「川崎に住んでいた男の子を、よく見つけてくれたというのが一番の思い出になりますかね。良いエンターテインメントを届けていく、ということを教えていただいた」と感謝した。

 国分はMCをつとめるTBS系「ビビット」(月曜から金曜午前8時)に生出演。

 番組では冒頭からジャニーさんの訃報をVTRで伝えたが、画面がスタジオに移ると国分は流れる涙を抑えられぬまま一礼。「本当に今これ泣いている姿を見たら、ジャニーさん相当怒ると思うんですけどもね。こんなつもりじゃなかったんですけど、すみません、ジャニーさん」と語り始めた。

 この日の出演オファーを受ける際、迷いがあったという。「ジャニーさんがずっと言っていた『Youやっちゃいなよ』って言葉が、ずっと胸の中にあります。その言葉で新たな挑戦、チャレンジをできるようになったんだと思います」と感謝した。

 ジャニーさんのもとには所属タレントが入れかわり立ちかわり見舞いに訪れ、「僕も『ビビット』の出演の後には寄っていました」。病室ではジャニーズ所属タレントの歌を11時間に編集した音源がエンドレスで流れ、「ジャニーさんが好きだった焼き肉弁当を食べて、匂いで五感を刺激してました。体調が好転する奇跡もあったんですが…」。回復への祈りが届かなかった悔しさをにじませていた。

     ◆

 現所属タレントで最年長の近藤は、ジャニーさんが先月18日に倒れた際、海外遠征を前に真っ先に病室に駆けつけていた。1977年にジャニーズの門をたたいて42年。恩人への思い入れはひとしおだ。

 「倒れてから3週間、病室で数々の奇跡を見せていただきました。あらためてジャニーさんの強さを感じました。タレントと社長が、もしかしたらという心の準備をする時間もいただきました。さすがジャニーさん、最後まで最高なセルフマネージメントでした」と自らの最期にまでドラマをつくった希代の演出家をたたえた。

 そして「長男でいながら、何度も泣いちゃいました。しかられそうです。ジャニーさんありがとう。あのころ、13歳のあんな僕に声をかけてくれてありがとうごさいました。ゆっくり休んでください」とつづった。

 今月1日にジャニーさんの容体について公表した「嵐」のメンバーたちからも感謝の気持ちがあふれ出た。

 大野智(38)と松本潤(35)は「嵐を作ってくれてありがとう」と異口同音に発した。その上で松本は「23年前、一本の電話で僕の人生を変えたのはジャニーさんです。それから数々の夢を見せてもらいました。もっとジャニーさんのつくるショーが見たかった」と悔やんだ。

 櫻井翔(37)は「いま、エンターテインメントの世界に身をおくすべての源泉は、あの日あの時に僕を見つけてくれたから」とし「眠っているかのような顔を見ると、ふと声が聞こえてきそうでした」と悲しみの対面を述懐した。

 番組収録中に訃報に接したという二宮和也(36)も「収録終わりで駆けつけ、最後にあいさつができてよかったです」と報告しながら「ジャニーさんには感謝しかありません」。相葉雅紀(36)も同じ言葉とともに「ジャニーさんに教えてもらったことと、思いは一生忘れません」と胸に刻んだ。

◆現場主義手本に

 ▽木村拓哉「今の自分があるのも、ジャニーさんとの出会いがなければ…。と思うと感謝してもしきれません。現場に立ち続けた姿勢を手本にさせていただきます。ゆっくりと休んでください」

◆夢叶わず悔しい

 ▽屋良朝幸「入所して24年が過ぎた今。エンターテイナーとしてジャニーさんに認めてもらえなかったけれど、いつか『You最高だよ』と言ってもらえる時がくると信じて自分の道を作ってきたけれど、その夢は叶わなかった。とても悔しいです」

◆全員平等に愛情

 ▽生田斗真「ジャニーさんが私のような異端者を認めてくれているのか、ずっと気掛かりでした。昨年、ジャニーさんが作った稽古場を訪れた際、みんながいつでも来られるようにと、タレント全員の名札が用意されているのを知りました。そこにはしっかり私の名札もあり、誰一人欠けることなく全員平等に愛情を持ってくれているのだと感じ、胸が熱くなりました」

◆あの説教あって

 ▽内博貴「ジャニーさんは第2のお父さんのような存在でした。ぼくが昔、不祥事を起こしてしまい、けじめをつけようと直接『辞めさせて頂きます』と言ったら、『内、おまえはそんなに自分勝手なのか? 我慢というものを知らないのか? 人生は誰しも失敗して成長していくものなのだ』と、強く説教されました。それがあって、今のぼくがいるんです」

◆人生の師でした

 ▽城島茂(TOKIO)「奈良の田舎から上京してきた私にとって人生の師でもありました」

◆あなたのおかげ

 ▽松岡昌宏(同)「あなたのおかげで、今の自分がいます。仲間がいます。食事もできてます。本当に本当に感謝しきれません」

◆地獄で再会を!

 ▽長瀬智也(同)「あなたは最高です。最高以外の言葉が見つかりません。ジャニーさんはカッコ良すぎるのでたぶん地獄行きです。ぼくも地獄をめざしている男なので、また地獄で会いましょう」

 ▽北山宏光(Kis-My-Ft2)「何者でもなかった少年が、少しだけ誰かのために生きていけるのはジャニーさんのおかげです」

 ▽千賀健永(同)「当たり前のようにそばにいてくれたジャニーさんが突然いなくなってしまい、そうなった今、感謝の思いがさらにあふれでてくることが悔しいです」

 ▽宮田俊哉(同)「何度も言われた『Youやっちゃいなよ』という言葉…胸に刻んで7人で頑張るね」

 ▽横尾渉(同)「わがままがきくのであれば、もう一度Youと呼んでいただきたい気持ちです」

 ▽藤ケ谷太輔(同)「すごく悲しいし寂しいよ。エンターテインメントの難しさと無限の可能性、人としても個性を大切にしなさい、ということを教えてもらいました」

 ▽玉森裕太(同)「ジャニーさんといる時間はかけがえのない時間だった。もっとそばでジャニーさんが作るエンターテインメントを見てまだまだ勉強したかったです」

 ▽二階堂高嗣(同)「ジャニーさん!ぼくを芸能界に導いてくれてありがとう。ジャニーさん!ぼくをアイドルにしてくれてありがとう。ジャニーさん!ぼくをKis-My-Ft2に選んでくれてありがとう」

 ▽伊野尾慧(Hey! Say! JUMP)「今でも何だか、リハーサルをしていたらハンバーガー持って現れて『食べながらリハーサルしちゃいなよ』ってむちゃなことを言ってくれるような気がしています」

 ▽知念侑李(同)「リハーサルには毎回足を運び、私たちがおなかをすかせると、ご飯を自ら買って持ってきてくれたり本当の親のようでした」

 ▽八乙女光(同)「まだ東京に慣れていない僕を遊園地に一緒に行って遊んでくれたのも今思うと、とても社長とは思えない神対応をしてくれたんだなと思いました」

 ▽山田涼介(同)「舞台『ONE』にジュニア時代に出させていただいた時に、ソロで踊るシーンがあり、終わった後、ジャニーさんが走ってきて『YOU 最高だよ!』と抱き締めてくれたのが、僕への最初で最後の褒め言葉でした。ジャニーさん、あんまり褒めないんです(笑)」

◆名刺は宝物

 ▽野村義男(元たのきんトリオ)「僕が小学校6年生の時に、ジャニーさんがスカウトしてくれた時に渡してくれた名刺、今でもずっと僕の机の上に、毎日見えるようにしてあります。宝物ですから」 (HPより)

◆またダメ出しを

 ▽亀梨和也(KAT-TUN)「ジャニーさん。今まで、休んでいなかった分、少しくらいはゆっくりしてね。で…またダメ出ししてね。消えないこの絆。ありがとう」

 ▽上田竜也(同)「ジャニーさんとの思い出は書き切れないくらいたくさんあります。本気で怒られたこと、たくさん褒めてくれたこと。事務所に所属して以降、ジュニアだった時、そして最近会った時も、生意気な僕に『Youはそのままでいいよ』といつも言ってくれてました」

 ▽中丸雄一(同)「私にとって、芸能に関する根本的なことはすべてジャニーさんから教わり、存在は父のようでした。病室に集まる多くのタレントを見て、いかにジャニーさんが深い愛情を持った人で、そして愛されていた人であるかを改めて知りました」

 ▽坂本昌行(V6)「ジャニーさんの意思をしっかり胸に、『Show must go on』の精神で皆さまを笑顔に! そうすることがジャニーさんへの恩返しにもなると思っています」

 ▽長野博(同)「気さくでフレンドリーに接してくれ、ちゃんと怒ってくれる。エンターテインメントの素晴らしさ等、たくさんのことを教えてもらいました」

 ▽井ノ原快彦(同)「この3週間、みんなでジャニーさんを囲んで語り合えたことは一生忘れられない思い出になりました。ジャニーズの仲間たちがより強い絆で結ばれたすてきな瞬間でした」

 ▽小山慶一郎(NEWS)「NEWSデビューが大学入学後で『どうしても4年で卒業したい』と伝えると、『YOUの授業表を貸して。できる限り授業がない所で仕事を入れる』と言ってくれました」

 ▽加藤シゲアキ(同)「いつもタレントのことばかり考えていたジャニーさん。あなたがこれまで作ってきた子どもたちは、これからもたくさんの愛情を届けていきます」

 ▽手越祐也(同)「僕の人生を救ってくれて明るいものにして、こんなに毎日楽しく生きられているのも全てジャニーさんのおかげです」

◆忘れられない日

 ▽村上信五(関ジャニ∞)「僕みたいな大阪のクソガキを見いだしてくれ、すてきな先輩方の背中やジャニーさんと出会ってなければ決して見ることのできなかった数え切れない景色の数々は宝物でしかありません」

 ▽丸山隆平(同)「一緒に過ごした劇場、ラーメン屋、ファミレスに行けば、その当時に今も戻って、会える気がして仕方がありません」

 ▽安田章大(同)「ジャニーさんが作ってくださったこれまでの道を耕しつつ、まだない新境地も模索し開拓し広げていけるタレント一同でありたいと思います」

 ▽横山裕(同)「横山裕の『YOU』はジャニーさんに付けてもらった名前です。僕の一生の宝です。横山裕を頑張ります」

 ▽大倉忠義(同)「ずっと走り続けてきたジャニーさん。長く眠っている姿は見たことがありません。ゆっくりと、安心して眠ってね」

 ▽錦戸亮(同)「教わったことを思い出すのが困難なくらい、今自分の中で当たり前の事として根付いています」

◆愛情生き続ける

 ▽堂本光一(KinKi Kids)「ジャニーさんが注いできた舞台への愛情、そして僕自身にくださった愛情は計り知れないほど大きく、ずっと大事に僕の中で生き続けます。Show must go onこの言葉を胸にこれからも」

◆種になれて誇り

 ▽あおい輝彦(元ジャニーズ)「ぼくたち初代ジャニーズは解散し、ジャニーズワールドは立派な巨木に成長しましたが、その最初の、小さな『種』になれたことを今でも誇りに思っています」

◆一晩泣き明かす

 ▽薬丸裕英(元シブがき隊)「一晩、泣き明かしました。人生の恩人の逝去…つらく悲しいです」(ブログより)

 ▽中島健人(Sexy Zone)「ジャニーさんと出会えたから、今の僕がいます。僕の言葉で笑ってくれたこと、たくさん愛をくれたこと、ずっと忘れません。ジャニーさんの夢を必ずかなえます」

 ▽菊池風磨(同)「僕が中学2年生だった入所当時、『この仕事はどう? 』というジャニーさんの質問に対し、率直に『めちゃくちゃ楽しいよ!』と答えた際に『You 最高だよ!』と、とても喜んでくれたことが印象的で、今も鮮明に記憶に残っています」

 ▽佐藤勝利(同)「ジャニさん! 新しい舞台の打ち合わせに、なぜか出ない僕を呼んで参加させたね。打ち合わせ中に横から、『ユーは出ないの?』と何回もつぶやいていたね。本当は出たかったよ。ジャニさんの舞台またやりたい」

 ▽マリウス葉(同)「ジャニさんの『You 日本に来ちゃいなよ! 』の一言がきっかけでドイツから日本に来ることができました。そして、ジャニーさんがプロデュースし続けてきたジャニーズという伝説の舞台に立つことができました」

 

この記事を印刷する

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ