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2019-07-10

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「人は水に入って泳ぐことができるのだ」ということを、
 もし知らなかったとしたら、その知らない人は、
 泳ぐことにとんでもない苦労をすることになるだろう。
 でも、もともと人間は泳げるようにできているから、
 自然に泳げるようになるものだ、と言う人もいるだろう。
 たしかに、そういうこともあるかもしれない。
 しかし、その「泳げる」ということに気づくまでに、
 もしかしたら、彼はおぼれて気絶しているかもしれない。
 ぼくら、いちおうでも泳げるものが泳げるのは、
 「人は泳げるものだ」と教えてくれて、
 実際に泳いでみせたりしてくれた人たちのおかげだ。

 自動車が発明されて間もないころに、
 ぼくらに自動車が与えられたとしたら、
 「こんなむつかしい操作を覚えなきゃならないのなら、
 みんな自動車を運転する時代なんて永遠に来ないよ」
 と思ったのではないだろうか。
 いまでも、運転教習をたっぷりしなきゃいけないのに、
 ぼくらは、それを乗り越えて自動車を運転している。

 コンピューターやら、スマートフォンみたいなものでも、
 「使えるはず」だと知っていて、
 具体的に「使っている人」を見ているから、
 めんどくさいとか言ってた人も使えるようになる。
 そういえば、「算盤(そろばん)」だって、
 すぐに使えるようなものじゃなかったもんなぁ。

 できると知っていてやることと、
 できないだろうと思いながらやることでは、
 できる可能性が圧倒的にちがうだろうと思うのだ。
 「できる」について知っている、ということが、
 なにかをできるようにさせる。

 「知る」ということ「おぼえる」ということを、
 あんがい人間というのは、やってるものだ。
 そして、「知る」や「おぼえる」「習う」があると、
 「できる」と思う力がだんだんついてくるのだと思う。
 人はかならず生きて死ぬ、ということについて、
 いちおうぼくら知ってはいるのだけれど、
 ここで、なにが「できる」のかは、まだよくわからない。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「すぐできる、考えなくてもいい」がいいとはかぎらない。


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