昨夜に引き続き、いくつか、複数のコメントに共通している要素を含むコメントを中心に取り上げて、コメント返しに代えてご回答させて頂きます。


>制作陣の悪意・悪評等に関するたくさんのコメント

まず、前記事『コメント返しに代えて(19/04/04)』16. みんみ さんから頂いたコメントの後段を引用させて頂きます。
いきなり名指しで恐縮ですが、私の言葉が足りていなかった点を端的に気付かされたコメントで、かつ、そのことの説明に使いやすい瀟洒なコメント内容でしたので、同種のコメントの代表として取り上げて回答させて頂きます(もしかすると不愉快かもしれませんが、ご容赦ください)。

>スパイスの効いた辛旨なカレーで有名になったお店が、なぜか料理長を追い出して、でも看板はそのままだった
>それでも気になってお店に入ってみたら、全然違う甘々な、しかも不味いカレーを出された
>「だけど前の店のイメージとは違うコンセプトのカレーに挑戦したオーナーを評価したい」ってなりますか?

私の感想と異なり前作が辛口、今作が甘口、と喩えられているのが非常に興味深いところですが、その点は一旦置いてみんみさんのコメントの文法を踏襲すると、私の感想はこうなります。

スパイスの効いた辛旨なカレーで有名になったお店が、【店長とスタッフが変わって】、でも看板はそのままだった
それでも気になってお店に入ってみたら、全然違う甘々な、しかも不味いカレーを出された
「だけど前の店のイメージとは違うコンセプトのカレーに挑戦した【カレーの隠し味だけは悪くなかったと】評価したい」

やはり私としては甘口と辛口が逆の方が自然に喩えやすいですが、それは重要ではありません。
1つ目の【】も本質的な改変ではありません。追い出したのか、自ら出て行ったのか、真実を外部から知る術はありませんから、淡々と客観的事実だけを述べました。

重要なのは2つ目の改変点です。
みんみさんは、オーナーを評価できますか?と問われています。ここでは、評価の関心はオーナー=「制作陣」に向いています。
それに対して、私の感想は、カレー=「作品」だけを評価しています。

コメント返しを考えていてこの相違に気付いたことで、私がこの数日間、頂戴したコメントの相当数に対して抱いていた「視点が半歩ずれている」かのような違和感の原因が明確になりました。
その意味で、私はこのコメントにとても感謝しています。

みんみさんのコメントに限らず、頂いたコメントのうち丁度半分くらいは、非常にたくさん頂いた「脚本の人そこまで考えてない」というテンプレート的なコメントを含めて、作品のみならず制作陣に対する評価・感想を含むものでした(作品に対する評価・感想と制作陣に対する評価・感想が混ざっているコメントもあれば、制作陣に対する評価だけを記すコメントもありました)。
前作から本作に至った経緯(監督交代に関わる経緯を含む)に鑑みて、制作陣が多くの人の評価対象となる理由は一応理解できるつもりです。そうした関心事が前提にあると、もしかすると、私が制作陣を評価している、と受け取った方がいるかもしれません。そしてそれは、私の感想が、本作の制作陣の誠実でない言動、あるいは悪意のある言動を無視して擁護しているのではないか、という批判に繋がっているのかもしれません。

しかし、これは私が最初にきちんと書いておくべきだったのかもしれませんが(そんなことはわざわざ書かなくとも自明だろう、と思ってしまったことは事実です)、私は、前作のファンではなかったということもあり、本作の制作陣がどういう個人であるかにはほとんど関心がありません。今回の私の感想を読んで頂ければ分かる通り、制作陣の能力不足の指摘はともかく、制作陣の人格や性質に対する一切の評価を行っていません。私はただ、本作という「作品」に対する感想を記しただけです。
これは作品と作者は切り離されるべきか、という古くて新しい論点ですが、私は切り離す立場を取りますから、切り離さない立場からの反論とは議論が噛み合うことがありません。私の考える枠組みにおいて、作品を評価していることは決して制作陣を評価していることとイコールではないのです。

何を対象として論じているかを明確にしないまま行われる応答は、しばしば齟齬を生じます。
私の感想を「(作品を評価することを通じて)制作陣を評価している」と誤解されてしまえば、それを前提とした立論には、それが批判・疑問・肯定のいずれであれ、私は答えるべき言葉を持っていません。申し訳ありませんが、それは私の「作品感想」とは対象がずれています、ということになります。

もちろん、そのような制作陣の悪意・悪評その他諸々に関するコメントを書き込んで頂くことは自由ですが、私はそれらに対して一切応答するつもりがありません、とお答えしておきます。


>最終話で前作OP曲を用いたのは違和感がある
この趣旨のコメントをいくつか頂きました。「けものはいても のけものはいない」がコンセプトと矛盾するのが気になったようです。
私の解釈は、最終回で上記のフレーズを使いたかったのではなく、『ようこそ』を使いたかったのだと考えています。
本作のOP曲は、パーク内のモノレールの旅、つまり、最初からパーク内にいることを前提とした楽曲です。キュルルはいきなりパークに放り出されましたから、その意味ではシチュエーションにマッチしています。しかし、それはキュルルが自ら選び取った場所ではなく、単に成り行きでそこにいるだけに過ぎません。
本作最終話において、キュルルは一度群れから離れ、そしてヒト(管理者)の地位を自ら選び取ります。それはキュルルが初めて自らの意志でパークに立ったことに他ならず、その場面で流れる楽曲はパークに入るコンセプトの楽曲である『ようこそ』が相応しかったのだと思います。
楽曲は楽曲単位でしか動かせませんから、『ようこそ』を使いたかった結果、「けものはいても のけものはいない」もやむを得ず入ってしまったのだと考えています。


>フリーゲーム関係
けものフレンズ.exeは、作品コンセプトは知っていて興味もありますが、ホラーゲームは苦手なので手を付けていません。ひよこ侍は好きなゲームです。


>逆張り云々
少数派の意見を逆張りだ、と表現するのであれば、私は逆張りであることが多いです。それは事実ですが、意図的な逆張りではなく自然にそうなっているだけなので、それを理由に非難されても返せる言葉がありません。いつか、ご自身が少数派になった時に同じ言葉を返されないことを祈るばかりです。


>前々記事『けものフレンズ2』感想
13. 名無し さん、32. 悲しみのフレンズ さん、108. 別の観点から さん、119. 通りすがりの名無し さん、124. 通行人 さん、266. 名無し さん、270. 残念ながら さん、280. NEXON版アプリ復活して さん、282. 名前は考えてなかった さん
>前記事『コメント返しに代えて(19/04/04)』42. オニオオハシのフレンズ さん
>ほか、私の感想を面白いが制作陣の言動に照らして間違っている(かもしれない)、あるいは面白いが無意味だ、という趣旨のコメントをくださった方々

それぞれトーンの違いこそあれ、恐らく私の感想自体はある程度読み解いて頂いた上でのご意見と感じました。ご指摘はそれぞれ尊重した上で、コメント自体に応答するのではなく、最後に、敢えて一つ違う視点のコメントを返します。

少し理論的な話になりますが、作品を論じる視点は、大きく分けて2つあると考えています。
作品を通じて作者の意図を理解しようとする視点(文学研究の世界における古典的な「作品論」)と、作品を作者の意図から切り離して単独で解釈する視点(いわゆる「テクスト論」)です。

昨日の最初のコメント返しにも書きましたが、私は本作の感想において、可能な限り出来上がった作品(前作と本作)だけを作者の意図から切り離して解釈の対象とするよう試みました。端的に言うと、その方が私が楽しいからです。テクスト論の長所は、作者の意図に囚われず自由な創造的解釈の余地が広がる点です。作者が何を考えていようが、受け手には作品を自由に解釈する権利がある、という立場に立つので、それが突飛であろうが、作者の言動と矛盾があろうが、受け手が面白いと考える自由な解釈が妨げられることはありません。

テクスト論に対する最も典型的な批判は、自由過ぎる解釈には意味がない、というものです。たくさん頂いた「脚本の人そこまで考えてない」というコメントは、それが如何なる意図によって広まった表現であるかは別にして、あるいは使用者がそこまで意識しているかどうかは別にして、実はテクスト論に対する根本的な批判としての意義を潜在的に有しています(単に否定するだけの非生産的な非難という性質も否めませんが)。

地に足がついていないテクスト論的批評には、確かに、本質的な意味はないのかもしれません。作品論的正解は「脚本の人そこまで考えてない」であって、作者の意図を「間違って解釈している」のかもしれません。
しかし、本ブログは単なる個人ブログで、評論を専門とするわけでもない、ただの一般人の趣味の感想記事です。それなら、現実的な「意味のある」「正解のある」作品論にこだわった窮屈な解釈よりも、これまで発見されていなかった面白い合理的解釈をテクスト論において見出す方が、作品の楽しみ方として楽しいのではないかと、私は思っています。

そんな私にとって、考察は面白かったけど作者の意図としては間違っているだろう、あるいは考察は面白かったけど想像の部分が多すぎて無意味、という作品論の立場からのコメントは、相当程度予期していた反応でした。論考の様式の問題ですからお互いに折り合うことはないことを承知した上で、少なくとも私の意図は伝わっていると感じ取れて、実は嬉しい感想でした。

私のような素人の長文にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

(一応、現時点ではこれ以上追記の予定はありません。5:00)