ちょっと前に私こう書いたよね。
=====
明日のブログ何にしようかしら。
1 私が最初に治らなくていいと言った人は誰か
2 昭和大学カラスなんとか病院がやばい件
3 神田橋先生へのメッセージ
みなさんはどれが読みたい?
=====
そして2と3は書いた。リクエスト多かったし。1は皆さん知りたくないみたいだったけど、なんでだろ。答えが見え見えだから?
昨日かおととい松崎先生に向かってつぶやいといたけど、松崎先生は現場で子どもをみるのがスタート地点。私は自閉っ子と一緒に働いたのがスタート地点。それで身体の不便さに気づいた。そのあたりは「自閉っ子と未来への希望」に書いてある。お得なKindle版もあるよ。
そして転帰は裁判。をめぐる医療福祉の死んだふり。ここに身を委ねていてはいけないし社会に迷惑な特性は治さないと不幸だと思った。これは「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」に書いてある。
つまり私が「治そう」というのは一緒に働いていい子たちだな~と思った人たちの抱えるつらさと自分が被害を受けて迷惑だと思った特性、どっちもある。そして愛する我が子があるいは自分が社会でやっていきたいからこそ治したい人たちが読者。以上。
そして何度も言っているように、治る治らないは自由。猿烏賊はそれが納得できない、というか心のどっかで治りたいから他人が治ることが悔しいんでしょうね。それをやらない言い訳がエビデンスとか。
そして治りたくない理由は他にもあるんです。単純に努力したくない。そしてそれをあっさり最初に告白したのがニキさんなんですよね。「めどくさいからやりたくない」。
「おお、じゃあ別にやらなくていいんだよ」と私は言ったんですね。
ニキさんには役に立ちそうとか思って黄色本とか芋本とか、栗本さん関連の本は献本したよ。そして講座にも遊びにきたよ。そして最初に私がニキさん藤家さんを見て治してあげたいな~と思った四つはまあ、だいぶマシになってるね。老化にも助けられているんだろうしなんか養生してるのかしてないのかわからんけど知らない。たまに会うと前よりはつらそうじゃないな~とは思う。でもちゅん平ほど劇的に治っていない。元々はちゅん平の方が過敏はひどかったからね。でも何をどうとりいれるか決めるのは本人でしょ?
そしてニキさんはちゅん平のことすごいって言っている。販売員とか、一生できないと思う、って。尊敬してる。
「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」の中でちゅん平はおねえさん的努力で、ニキさんはおばさん的努力をしていると二人は言ってるね。だってちゅん平は嫁入り前だしこれからも働かないと食べていけない。ニキさんはとりあえず働かなくても食べていける。そこがもう違うんですよ。最近会ったときの私の感想は「有閑マダムとしての資質が開花しているなあ」だった。
あとニキさんは「言葉以降」が圧倒的に賢い人だから、言葉以降でいろんな不安とか疑問とかに折り合いを着けている。脳みそぐるぐる。あれもなかなかまねできない。
一方で身体動かすのはきらい。だから「めんどくさい」。そして海老踊りの人たち、障害学の人たちとのつきあいも大事。治りたくない。
「じゃあ治らなくていいんじゃない?」って最初に私が言ったのはニキさんです。
昨日の夜アップしたブログでは、たった一冊本作っただけで著者のツイートまで言論統制する不思議な編集者が出てきたこと書いたけど、私は自分がとても主体性を大事にしているから他人の主体性も大事にする。もっとも近い著者だったニキさんが治りたくないのなら治らなくていいって最初に言いましたよ。だってそれはニキさんが決めたことだから。
だからね~私がそのへんのアンチとか猿烏賊とかを「治れ」と説得するわけがないじゃないですか。私が言ってるのは「私たちは治っているから治っていると言うよ」ということだけですよ。そして障害があるからといってマナーを教えてもらえないのならそれは差別。お皿なめるのは犬。人間の子なら舐めさせてはいけない。それが「社会との共存を真剣に考える」私たちの方針。
そしてニキさんが清々しいのはね「自分は頑張りたくないから身体アプローチはちょっと」って最初から認めているところです。そこがニキさんの賢さ。
それを認められないと「エビデンス出せ」とか「インチキだ」とか「トンデモだ」とか言い出すわけ。本心は「そんなめんどくさそうなことやりたくない」(本当は一日五分で済むんだけど本読む気もないからそれも永遠に気づかない)なんだけど、他人が治ったと喜んでいるのも悔しい。だから統計取ったのかとかうるさく言ってくる。
ニキさんはその点正直です。「めんどくさそうだからやりたくない」。それでもグッズ方面の環境調整とかには熱心だし、ちゅん平の治り方は素直に賞賛している。先日会ったとき「減薬してるんだよ今ちゅん平」っていったら「ええええ」って驚いてた。減薬は根性いりますからね。ちゅん平にはできてもニキさんには無理です。ちゅん平は頑張って減薬する人。ニキさんは一生おみつづけてかまわないと思っている人です。
そして私は「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」を出して、読者にオプションを見せてます。ニキさん流おばさん的努力か、藤家さん流お姉さん的努力か、どっちを選んでもいいですよ、と。
そしてつぶしがきくのはもちろん藤家さん流ですよ皆さん。
だって皆さんのお子さんは今のところ将来働かないと食べていけない可能性が高いわけだからね。たいていの人はそうだから。ニキさんの場合は働かなくても食べていける立場を幸運にも確保しただけです。そして有閑マダムとしての資質を開花している。
不登校のまま引きこもると8050問題抱えるよ、とか私が言うと「脅しだ!」と騒ぎ立てる人たちがいますが、脅しでもなんでもなく現実じゃん。それを脅しだと思うのなら心のどこかで自分が恐れていることを指摘されて頭にきているだけですよ。
ともかくニキさんは現実把握が上手。だから自分は「やりたくない、めんどくさいから」と最初に決めた。そしてちゅん平の姿はまぶしくみて賞賛している。すごいね、すごいね、って言ってる。いい子だと思うよ。もしかしたら違うかもしれないけど、その感想は二十年変わらない。
どっちみちギョーカイはニキさんに萌えてちやほやした一方で、動画とってその仕草がこっけいだと数百人の講演で笑い飛ばすような鬼畜どもです。ニキさんがそこから離れて有閑マダムとして余生を過ごすのは、幸せなことだと思いますね。
というわけで、ニキさんにすら「治らなくていいんじゃない」と言った私がどっかのアンチを納得させる必要など感じるはずがないでしょう。よく覚えておくように。
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明日のブログ何にしようかしら。
1 私が最初に治らなくていいと言った人は誰か
2 昭和大学カラスなんとか病院がやばい件
3 神田橋先生へのメッセージ
みなさんはどれが読みたい?
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そして2と3は書いた。リクエスト多かったし。1は皆さん知りたくないみたいだったけど、なんでだろ。答えが見え見えだから?
昨日かおととい松崎先生に向かってつぶやいといたけど、松崎先生は現場で子どもをみるのがスタート地点。私は自閉っ子と一緒に働いたのがスタート地点。それで身体の不便さに気づいた。そのあたりは「自閉っ子と未来への希望」に書いてある。お得なKindle版もあるよ。
そして転帰は裁判。をめぐる医療福祉の死んだふり。ここに身を委ねていてはいけないし社会に迷惑な特性は治さないと不幸だと思った。これは「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」に書いてある。
つまり私が「治そう」というのは一緒に働いていい子たちだな~と思った人たちの抱えるつらさと自分が被害を受けて迷惑だと思った特性、どっちもある。そして愛する我が子があるいは自分が社会でやっていきたいからこそ治したい人たちが読者。以上。
そして何度も言っているように、治る治らないは自由。猿烏賊はそれが納得できない、というか心のどっかで治りたいから他人が治ることが悔しいんでしょうね。それをやらない言い訳がエビデンスとか。
そして治りたくない理由は他にもあるんです。単純に努力したくない。そしてそれをあっさり最初に告白したのがニキさんなんですよね。「めどくさいからやりたくない」。
「おお、じゃあ別にやらなくていいんだよ」と私は言ったんですね。
ニキさんには役に立ちそうとか思って黄色本とか芋本とか、栗本さん関連の本は献本したよ。そして講座にも遊びにきたよ。そして最初に私がニキさん藤家さんを見て治してあげたいな~と思った四つはまあ、だいぶマシになってるね。老化にも助けられているんだろうしなんか養生してるのかしてないのかわからんけど知らない。たまに会うと前よりはつらそうじゃないな~とは思う。でもちゅん平ほど劇的に治っていない。元々はちゅん平の方が過敏はひどかったからね。でも何をどうとりいれるか決めるのは本人でしょ?
そしてニキさんはちゅん平のことすごいって言っている。販売員とか、一生できないと思う、って。尊敬してる。
「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」の中でちゅん平はおねえさん的努力で、ニキさんはおばさん的努力をしていると二人は言ってるね。だってちゅん平は嫁入り前だしこれからも働かないと食べていけない。ニキさんはとりあえず働かなくても食べていける。そこがもう違うんですよ。最近会ったときの私の感想は「有閑マダムとしての資質が開花しているなあ」だった。
あとニキさんは「言葉以降」が圧倒的に賢い人だから、言葉以降でいろんな不安とか疑問とかに折り合いを着けている。脳みそぐるぐる。あれもなかなかまねできない。
一方で身体動かすのはきらい。だから「めんどくさい」。そして海老踊りの人たち、障害学の人たちとのつきあいも大事。治りたくない。
「じゃあ治らなくていいんじゃない?」って最初に私が言ったのはニキさんです。
昨日の夜アップしたブログでは、たった一冊本作っただけで著者のツイートまで言論統制する不思議な編集者が出てきたこと書いたけど、私は自分がとても主体性を大事にしているから他人の主体性も大事にする。もっとも近い著者だったニキさんが治りたくないのなら治らなくていいって最初に言いましたよ。だってそれはニキさんが決めたことだから。
だからね~私がそのへんのアンチとか猿烏賊とかを「治れ」と説得するわけがないじゃないですか。私が言ってるのは「私たちは治っているから治っていると言うよ」ということだけですよ。そして障害があるからといってマナーを教えてもらえないのならそれは差別。お皿なめるのは犬。人間の子なら舐めさせてはいけない。それが「社会との共存を真剣に考える」私たちの方針。
そしてニキさんが清々しいのはね「自分は頑張りたくないから身体アプローチはちょっと」って最初から認めているところです。そこがニキさんの賢さ。
それを認められないと「エビデンス出せ」とか「インチキだ」とか「トンデモだ」とか言い出すわけ。本心は「そんなめんどくさそうなことやりたくない」(本当は一日五分で済むんだけど本読む気もないからそれも永遠に気づかない)なんだけど、他人が治ったと喜んでいるのも悔しい。だから統計取ったのかとかうるさく言ってくる。
ニキさんはその点正直です。「めんどくさそうだからやりたくない」。それでもグッズ方面の環境調整とかには熱心だし、ちゅん平の治り方は素直に賞賛している。先日会ったとき「減薬してるんだよ今ちゅん平」っていったら「ええええ」って驚いてた。減薬は根性いりますからね。ちゅん平にはできてもニキさんには無理です。ちゅん平は頑張って減薬する人。ニキさんは一生おみつづけてかまわないと思っている人です。
そして私は「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」を出して、読者にオプションを見せてます。ニキさん流おばさん的努力か、藤家さん流お姉さん的努力か、どっちを選んでもいいですよ、と。
そしてつぶしがきくのはもちろん藤家さん流ですよ皆さん。
だって皆さんのお子さんは今のところ将来働かないと食べていけない可能性が高いわけだからね。たいていの人はそうだから。ニキさんの場合は働かなくても食べていける立場を幸運にも確保しただけです。そして有閑マダムとしての資質を開花している。
不登校のまま引きこもると8050問題抱えるよ、とか私が言うと「脅しだ!」と騒ぎ立てる人たちがいますが、脅しでもなんでもなく現実じゃん。それを脅しだと思うのなら心のどこかで自分が恐れていることを指摘されて頭にきているだけですよ。
ともかくニキさんは現実把握が上手。だから自分は「やりたくない、めんどくさいから」と最初に決めた。そしてちゅん平の姿はまぶしくみて賞賛している。すごいね、すごいね、って言ってる。いい子だと思うよ。もしかしたら違うかもしれないけど、その感想は二十年変わらない。
どっちみちギョーカイはニキさんに萌えてちやほやした一方で、動画とってその仕草がこっけいだと数百人の講演で笑い飛ばすような鬼畜どもです。ニキさんがそこから離れて有閑マダムとして余生を過ごすのは、幸せなことだと思いますね。
というわけで、ニキさんにすら「治らなくていいんじゃない」と言った私がどっかのアンチを納得させる必要など感じるはずがないでしょう。よく覚えておくように。