私自身は途中からギョーカイの外に出た人間ですのでかかわりは多くありませんが
大事な著者の一人であるニキさんは佐々木先生に恩恵を受けた数多い自閉っ子の一人です。
だからニキさんの本は献本するようにしていました。
山杉医師(仮名)などからはお礼状の一本も来たことがありませんが佐々木先生からは
「学ばせていただきます」というお礼の言葉をいただくのが常でした。
大御所ながらえらぶったところのない方
当事者の方から学ばれる姿勢をお持ちの先生でした。
最初に賢ママさん(現こよりさん)に会ったとき「佐々木先生にあなたは本を書けばいいと言われているんです」と言われたとき
「ああきたきた、このパターンか、うんざりだ」と思ったのを覚えています。
主治医に、あるいは○○先生に本を書けと言われた。
この手の持ち込みが私は大嫌いなのです。
先生方は書けというなら版元まで見つけてくればいいのです。
しかも佐々木先生推薦なら喜んで出す出版社はいっぱいあったと思います。
「本気で言っているのではないだろう」と、佐々木先生のお言葉だからこそそう判断するのは出版ギョーカイ人としての常識に則ったものでした。
というわけで佐々木先生に推薦を受けたからなおさら、私としてはこよりさんの本を実現する気がなかったのですが
結果的に本になったくらい、こよりさんの力がすごかったということです。
そのこよりさんのブログ
大久保さんのブログ
この二つをもって、私の哀悼の意の代わりとさせていただきます。
最後に先生に献本した本は『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』でした。
っていうか献本じゃないですね。献ゲラです。ゲラの時点で「こういう本を出しますよ」とお知らせしたのです。
「加害者はよこはまクリニックで診断・加療を受けました」とお手紙を書きました。
お知らせしておくべき情報だと思いました。
当事者としての私(私は自閉症者の犯罪被害を受けた当事者ですからね)に学んでくださったのかどうか
天国の先生におききしてみたいです。
お礼状は来ませんでした。
お返事がないことをお返事と受け取りました。
その後、私はこよりさんと交流を重ね
私は先生が「本を出せばいい」とおっしゃったけれど版元を見つけるほど本気ではなかったこよりさんの本を自分のリスクを取って出しました。
その本がまた、多くの人たちの役に立っています。
そして明日二人で沖縄に行ってきます。
「治る」話をしてきます。
そういう時代になりました。
一部では私は反TEACCHだということになっているようですが、私はTEACCHがなぜ自閉っ子を安定させるのか自分の身体を使って人体実験までしました。
そしてTEACCHが自閉っ子にとっては「脳機能のアウトソーシング」なのだと身をもって知りました。
日本のTEACCHの先生の後継者たちのおひとりに(きっとこれから跡目争いが始まるのでしょうね)「そこまでやる人はいない」と言われたんですよ。
私は反TEACCHではありません。
多くの自閉っ子が、そして大久保さんのようなたくさんの支援者が、救われたと思います。
けれども神経発達が進めば
構造化しなくても混乱しない子も出てくるでしょう。
こよりさんと同じように
それが私の今の目標です。
訃報が届いて以来
たくさんの人たちが天国の先生に見守られたがっていて
先生は空の上でもお忙しそうです。
でも花風社を見守っていただく必要はありません。
去年父がそちらに先に行きまして
いい仕事をしてくれているのです。
父は先生のような斯界の大物ではありませんでしたが
私を守る力はどんなえらい人よりもあるのです。
仕事人間ではありませんでしたが
幼い私ととことん遊んでくれました。それが私の土台を作ってくれました。
だから、先生も、皆さんを守るのに忙しすぎるのなら
ご家族を見守ってあげてください。
安心なさると思います。
私は見守られているのを知っているから
今安心して親亡き後を生きています。
どんな支援者も親には勝てないのですから。
おつかれさまでした。
花風社は、
構造化のいらない子を増やす活動をしていきます。
大事な著者の一人であるニキさんは佐々木先生に恩恵を受けた数多い自閉っ子の一人です。
だからニキさんの本は献本するようにしていました。
山杉医師(仮名)などからはお礼状の一本も来たことがありませんが佐々木先生からは
「学ばせていただきます」というお礼の言葉をいただくのが常でした。
大御所ながらえらぶったところのない方
当事者の方から学ばれる姿勢をお持ちの先生でした。
最初に賢ママさん(現こよりさん)に会ったとき「佐々木先生にあなたは本を書けばいいと言われているんです」と言われたとき
「ああきたきた、このパターンか、うんざりだ」と思ったのを覚えています。
主治医に、あるいは○○先生に本を書けと言われた。
この手の持ち込みが私は大嫌いなのです。
先生方は書けというなら版元まで見つけてくればいいのです。
しかも佐々木先生推薦なら喜んで出す出版社はいっぱいあったと思います。
「本気で言っているのではないだろう」と、佐々木先生のお言葉だからこそそう判断するのは出版ギョーカイ人としての常識に則ったものでした。
というわけで佐々木先生に推薦を受けたからなおさら、私としてはこよりさんの本を実現する気がなかったのですが
結果的に本になったくらい、こよりさんの力がすごかったということです。
そのこよりさんのブログ
大久保さんのブログ
この二つをもって、私の哀悼の意の代わりとさせていただきます。
最後に先生に献本した本は『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』でした。
っていうか献本じゃないですね。献ゲラです。ゲラの時点で「こういう本を出しますよ」とお知らせしたのです。
「加害者はよこはまクリニックで診断・加療を受けました」とお手紙を書きました。
お知らせしておくべき情報だと思いました。
当事者としての私(私は自閉症者の犯罪被害を受けた当事者ですからね)に学んでくださったのかどうか
天国の先生におききしてみたいです。
お礼状は来ませんでした。
お返事がないことをお返事と受け取りました。
その後、私はこよりさんと交流を重ね
私は先生が「本を出せばいい」とおっしゃったけれど版元を見つけるほど本気ではなかったこよりさんの本を自分のリスクを取って出しました。
その本がまた、多くの人たちの役に立っています。
そして明日二人で沖縄に行ってきます。
「治る」話をしてきます。
そういう時代になりました。
一部では私は反TEACCHだということになっているようですが、私はTEACCHがなぜ自閉っ子を安定させるのか自分の身体を使って人体実験までしました。
そしてTEACCHが自閉っ子にとっては「脳機能のアウトソーシング」なのだと身をもって知りました。
日本のTEACCHの先生の後継者たちのおひとりに(きっとこれから跡目争いが始まるのでしょうね)「そこまでやる人はいない」と言われたんですよ。
私は反TEACCHではありません。
多くの自閉っ子が、そして大久保さんのようなたくさんの支援者が、救われたと思います。
けれども神経発達が進めば
構造化しなくても混乱しない子も出てくるでしょう。
こよりさんと同じように
それが私の今の目標です。
訃報が届いて以来
たくさんの人たちが天国の先生に見守られたがっていて
先生は空の上でもお忙しそうです。
でも花風社を見守っていただく必要はありません。
去年父がそちらに先に行きまして
いい仕事をしてくれているのです。
父は先生のような斯界の大物ではありませんでしたが
私を守る力はどんなえらい人よりもあるのです。
仕事人間ではありませんでしたが
幼い私ととことん遊んでくれました。それが私の土台を作ってくれました。
だから、先生も、皆さんを守るのに忙しすぎるのなら
ご家族を見守ってあげてください。
安心なさると思います。
私は見守られているのを知っているから
今安心して親亡き後を生きています。
どんな支援者も親には勝てないのですから。
おつかれさまでした。
花風社は、
構造化のいらない子を増やす活動をしていきます。
佐々木先生に出会って、「本を書きなさい」と言われたけれど、版元の紹介はする気のない先生の言葉に「無責任な事を言う人だなあ」と思いましたが、そうやって「OOをしなさい」と先生が言われることで誤学習し自信を持つ人が多いんだろうなあ、と思いました。
素人が本を出して 何冊捌けるのか、返本のリスクは誰が負うのか、そういう事は本を出すたびに高額の印税が入ってくる先生には 考えた事もない事柄だったし、版元に迷惑がかかることなど予想もしていなかったのだろうなあ、と思います。
よこはまクリニックの患者が 犯罪を起こしたことも、浅見さんがお手紙を書いた前後に私も先生に 直接お話しましたが、先生は じっと聞いているだけで、関係者へのお詫びの言葉も、浅見さんへの言付けも、何もおっしゃらないまま、その場を去っていかれました。
私は先生との関わりで、良い研究者=よき支援者でない事を学びました。また自閉症の権威であっても 閉鎖的な社会で適応できても、予期しない出来事の前では そうではないという事も知りました。
私も 私の子どもたちも 佐々木先生から見たら「社会の理解を得てその中で生きるべき、守られるべき存在」でしたが、私は自力で 人生を切り開くことを選んで暮らしてきました。子ども達も同じです。
「支援者なくとも、自閉っ子は育つ」ですし、今は「支援者を越えて 自閉っ子は生きる」ではないかとも感じます。
ギョーカイでは 「巨星落つ」という感じで 右往左往している人も多いようですが、亡き人を偲んで涙を流すのは、ご家族だけでいいと思っています。
私にとっては 偉大な指導者でも、研究者でもなく、「年上のやや社会性に欠けた男の人」であり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
不器用ななりに 居場所を見つけられ、自己実現の場所を守るために 必死で生きていらしたのではないか、と思います。よく言われていた「そのままで いいのですよ」という言葉は、先生ご自身が人に言われたかった言葉だったように感じます。
ご自身が 守られたかったがゆえに、「発達障害の子どもや人を守る」ということに 一生をささげられたような気がします。
もうお悩みになることなく、安らかにお過ごしくださることを願い、私は先生のような支援者がいなくとも、発達障害児・者がイキイキ自己実現できる社会を作る活動をしていきます。
それが 先生への 私からのお礼です。
あーだこーだ感想を書くより
あーーー今日も頑張ろうと思いました
ありがとうございます!浅見さん!こよりさん!