「発達障害は治りますか?」「愛着障害は治りますか?」
疑問形です。
「芋づる式に治そう」「自閉っ子の心身をラクにしよう」
Let'sです。
「治るが勝ち」
呼びかけです。
そのどれも「こうやれば治ります」ではない。
「ノウハウ提供してます!」なんていう本は実は一冊もないのです。
そしてそれは私が姑息に法的リスクを避けたからではありません。
私の偽らざる気持ちだから、タイトルにしたのです。
私が最初自閉っ子たちについて思ったのは「この身体状況では週五日働けない。っていうことは世の中でつぶしが効かない。せめて週五日働けるようになれないだろうか?」でした。
そういう問題意識を持っていたら、解決策を持っている人たちと出会いました。そしてその人たちと対話をすることによって、つまり私が質問をし、それに応えてもらうことによって本を作ってきました。
神田橋先生はこうおっしゃいました。
「この対談形式というのは、本当に読みやすいね」
「でも嫌いな人は嫌いですよ」
「そうだろうね。この形式は、評論家的に読む人には読みにくいだろう。自分の問題として読む人には読みやすい」
なるほどな~と思いました。
そして「支援」という仕事に携わっている人たちの中にも、評論家的にしか本を読めない人はたくさんいますね。っていうか障害を持つ子の親の中にさえいます。もしかしたらアフィリエイトで一旗あげようと?必死の親が得てして子どもの発達が〇〇なのはそういうことかもしれない。「これを評論して小銭稼ごう」と思ったとたん評論家目線になるんでしょう。
ともかく花風社の本は「自分の問題として読みたい人」にはご愛読いただき、それを実践し、「治った!」という人たちが出てきて
そして人間死ぬまで発達する以上、もっともっとハッピーになるのが実感としてわかるので本が出るたびに買ってくださるわけです。
そしてアンチがいることもよく知っているので応援してくださる。
それを見て「ステマ」なんていう人はいますが
「いい!」と思う人がそれぞれ自由に発言するのは決して「ステマ」ではないですね。
その発言が活発になったのは、アンチが読みもしないで的はずれな批判を続けてきたからでしょう。
花風社クラスタを黙らせないアンチの皆さんは、的外れな批判、読んでないのがありありの批判、何より先に「花風社憎し」を前面に押し出している批判をやめるのが近道ですよ。
さて、うちの本はそうやって、
1 浅見が問題意識を持っている
2 それにこたえる知見を持った人と出会う
3 質問と応答
そしてそれを読んだ読者の
4 実践
5 試行錯誤
という段階を経て「治った!」になっているのです。
読みもしないで、「とにかく誰かが治ることが悔しい・腑に落ちない・どういうことかわからないけど読んで実践する意欲はない」人たちにはそのプロセスが永遠に見えないことでしょう。
そして怪しがり、時にはその疑念を講演主催者にぶつけたりして、名誉毀損や業務妨害のリスクまで背負っているのです。
いぬこさんたちが主催してくださった講演にも妨害メールは来ました。
私があたかも人をだますような商売をやっているような。
刑法を引用しておきましょう。
=====
第233条
虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
=====
です。
「浅見は怪しい食品を売っている。公立小学校での講演は中止せよ」と怪文書を送った人は「三年以下の懲役または五十万円以下の罰金」のリスクを犯したわけです。
そして結果的に講演会は中止にならず行われ、その後すぐに小田原に行ったり、花風社につながった人たちも多数いたわけですが、業務妨害の結果の発生は不要なのです。つまり、妨害行為の結果が(犯人側から見ると)実らず、講演が実施されたとしても、発生させるおそれの行為で業務妨害は成立するのです。
そしてこの世界、こういう目に合うのは私だけではないですね。
考えの違う人が講演すると、とくに官がらみで講演すると、発狂して押しかける人たちがいますね。「自分たちは弱者」から出発していると、そういうことが平気になってしまう。でも
「三年以下の懲役、又は五十万円以下の罰金」とぶつぶつ唱えながらやってくださいね、これから。
自分に自由があるように、相手にも自由がある。そのみんなの自由を調整するのが法律。
なんですね。
さて、本に話を戻しましょう。
1 浅見が問題意識を持っている
2 それにこたえる知見を持った人と出会う
3 質問と応答
そしてそれを読んだ読者の
4 実践
5 試行錯誤
で「治った!」に至る花風社の本。
じゃあなんで1,2,3のプロセスから4,5につながるのでしょうね?
なんで皆さん、花風社の本を信じて実践してくださるのでしょう?
それは次回へ。
続
疑問形です。
「芋づる式に治そう」「自閉っ子の心身をラクにしよう」
Let'sです。
「治るが勝ち」
呼びかけです。
そのどれも「こうやれば治ります」ではない。
「ノウハウ提供してます!」なんていう本は実は一冊もないのです。
そしてそれは私が姑息に法的リスクを避けたからではありません。
私の偽らざる気持ちだから、タイトルにしたのです。
私が最初自閉っ子たちについて思ったのは「この身体状況では週五日働けない。っていうことは世の中でつぶしが効かない。せめて週五日働けるようになれないだろうか?」でした。
そういう問題意識を持っていたら、解決策を持っている人たちと出会いました。そしてその人たちと対話をすることによって、つまり私が質問をし、それに応えてもらうことによって本を作ってきました。
神田橋先生はこうおっしゃいました。
「この対談形式というのは、本当に読みやすいね」
「でも嫌いな人は嫌いですよ」
「そうだろうね。この形式は、評論家的に読む人には読みにくいだろう。自分の問題として読む人には読みやすい」
なるほどな~と思いました。
そして「支援」という仕事に携わっている人たちの中にも、評論家的にしか本を読めない人はたくさんいますね。っていうか障害を持つ子の親の中にさえいます。もしかしたらアフィリエイトで一旗あげようと?必死の親が得てして子どもの発達が〇〇なのはそういうことかもしれない。「これを評論して小銭稼ごう」と思ったとたん評論家目線になるんでしょう。
ともかく花風社の本は「自分の問題として読みたい人」にはご愛読いただき、それを実践し、「治った!」という人たちが出てきて
そして人間死ぬまで発達する以上、もっともっとハッピーになるのが実感としてわかるので本が出るたびに買ってくださるわけです。
そしてアンチがいることもよく知っているので応援してくださる。
それを見て「ステマ」なんていう人はいますが
「いい!」と思う人がそれぞれ自由に発言するのは決して「ステマ」ではないですね。
その発言が活発になったのは、アンチが読みもしないで的はずれな批判を続けてきたからでしょう。
花風社クラスタを黙らせないアンチの皆さんは、的外れな批判、読んでないのがありありの批判、何より先に「花風社憎し」を前面に押し出している批判をやめるのが近道ですよ。
さて、うちの本はそうやって、
1 浅見が問題意識を持っている
2 それにこたえる知見を持った人と出会う
3 質問と応答
そしてそれを読んだ読者の
4 実践
5 試行錯誤
という段階を経て「治った!」になっているのです。
読みもしないで、「とにかく誰かが治ることが悔しい・腑に落ちない・どういうことかわからないけど読んで実践する意欲はない」人たちにはそのプロセスが永遠に見えないことでしょう。
そして怪しがり、時にはその疑念を講演主催者にぶつけたりして、名誉毀損や業務妨害のリスクまで背負っているのです。
いぬこさんたちが主催してくださった講演にも妨害メールは来ました。
私があたかも人をだますような商売をやっているような。
刑法を引用しておきましょう。
=====
第233条
虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
=====
です。
「浅見は怪しい食品を売っている。公立小学校での講演は中止せよ」と怪文書を送った人は「三年以下の懲役または五十万円以下の罰金」のリスクを犯したわけです。
そして結果的に講演会は中止にならず行われ、その後すぐに小田原に行ったり、花風社につながった人たちも多数いたわけですが、業務妨害の結果の発生は不要なのです。つまり、妨害行為の結果が(犯人側から見ると)実らず、講演が実施されたとしても、発生させるおそれの行為で業務妨害は成立するのです。
そしてこの世界、こういう目に合うのは私だけではないですね。
考えの違う人が講演すると、とくに官がらみで講演すると、発狂して押しかける人たちがいますね。「自分たちは弱者」から出発していると、そういうことが平気になってしまう。でも
「三年以下の懲役、又は五十万円以下の罰金」とぶつぶつ唱えながらやってくださいね、これから。
自分に自由があるように、相手にも自由がある。そのみんなの自由を調整するのが法律。
なんですね。
さて、本に話を戻しましょう。
1 浅見が問題意識を持っている
2 それにこたえる知見を持った人と出会う
3 質問と応答
そしてそれを読んだ読者の
4 実践
5 試行錯誤
で「治った!」に至る花風社の本。
じゃあなんで1,2,3のプロセスから4,5につながるのでしょうね?
なんで皆さん、花風社の本を信じて実践してくださるのでしょう?
それは次回へ。
続
このブログには10年お世話になっています。最初からそうそうと思ってたけど、当たり前のことコメントしてもつまらんかなと黙ってて感謝や応援の気持ちは注文メールに添えてました。「見えない物はない」で賛同者なしとみて、自分の方が正しいからと迷惑行為を実行するのがいるらしいから、実際に何年も花風社の取り組みを役立てて子どもの成長を助けてもらっていることをコメントに残すことにしました。
アンチも数年読み続けてるでしょうね。参考にする気がないブログのはずが気になって気になってやめられないんですかね。浅見さんに感謝する人を目の当たりにしながらむりやり悪者にして溜飲を下げる日々は虚しいですね。アンチが本当に家族のために憤っているとは思ってません。
そして、久しぶりに根っこ本を読み直したのですが、あーなるほど、と感じる部分がありました。
最初に根っこ本を読んだ時、脳の仕組みをよく知りませんでしたから。
花風社本を読み始めて痛感するのは、人間の営みは生命維持が土台にあるということです。
私は食べることに関心が薄く、社会に出ると会食の場が苦痛でした。
人間、食べなくては生きていけません。
私のヌケは、この部分かもしれません。
現在、食べられるものを増やすよう、心がけています。