今回の参院選は、外国人労働者の受け入れが拡大されてから、初めての国政選挙となる。政党の公約は「多文化共生」をうたうが、人として向き合えるのかが問われている。
これまでも外国人技能実習生や週二十八時間のアルバイトが可能な留学生は、人手不足が深刻化する中、本来の趣旨を逸脱して、労働力として扱われてきた。受け入れ拡大の議論を契機に、彼らが現在置かれている劣悪な環境にあらためて焦点が当たっている。
在留資格に「特定技能」を加える入管難民法などの改正案の国会審議では、政府が実態を正確に伝えていなかったことも明らかになった。
問題とされたのは、失踪した実習生に対する調査結果だ。当初、動機は「より高い賃金を求めて」が約87%を占めるとして、実習生側の都合であるかのような説明を政府はしていた。しかし聴取票にそのような項目はなく、低賃金が67%と修正された。暴力や厳しい指導も過少に算出されていた。失踪は年々増加し、二〇一八年は九千人以上に上る。
実習生だけではない。東京福祉大では、三年間に千六百人余の留学生が所在不明となっていることが文部科学省の調査で明らかになった。研究生などの枠で大量の外国人を受け入れ、雑居ビルやマンションも教室として使用していた。教育環境が整っていたとは言い難い。
実習生や留学生が消えていく。そのことに国や社会が無自覚だったのは、彼らをひとりの人間として見ていないことを意味していないだろうか。学校に通っていない外国籍の子も文科省の推計では約一万八千人に上る。
国は日本語教育や生活支援などの充実を施策として掲げており、自民党の公約にも並ぶ。外国人との「共生」は、与野党問わず訴えている。
だが今のところ、年金などの争点に隠れ、活発な論戦にはなっていない。人口が減っていく中、外国人の受け入れはこの国の針路を大きく左右し、社会のありようの根幹にもかかわる話だ。
候補者たちが演説する街頭の傍らに立つコンビニエンスストアや飲食店、スーパーにも、働く外国人たちがいるだろう。彼らを見える存在として、尊厳を持った人として、これからの日本の姿を語ってほしい。
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