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2019-07-08

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ものごとを考えるのに、
 時間をかけ過ぎると理詰めになっちゃう。
 たぶん、それはみんな実感しているだろう。
 そして、時間をかけな過ぎると、
 これまた意外と平凡な理詰めになっちゃう。

 でも、時間をいっぱいかけたのに、
 理詰めにならないこともある。
 さらっとやったけど、理詰めにならないこともある。

 どっちなんだ、答えがないじゃないかと言われれば、
 そう、ほんとにそのとおりだ。

 理詰めになっちゃうのは、いけないのかと言えば、
 そうだなぁ、だいたいはいけないんだよなぁ。
 理詰めの答えが要求されているときには、
 理詰めの答えでいいんだよね。
 でも、たいていは、理詰めの答えは望まれてない。

 ぐだぐだ、どうにもならないことを
 言ってるように思うだろう? 
 ちがうよ、ここのぐだぐだから抜け出したいんだよ。

 「あ、それだ!」とわかるのが、ほんとに答えだ。
 理詰めの答えは、「あ、それだ!」とならないんだよ。
 長い時間をかけ過ぎると、
 「まぁ、そうなんだろうなぁ」になっちゃうんだ。
 そして、考える時間をとらないと、
 「そうかもしれないけど、それはちがうな」になる。
 「あ、それだ!」は、
 「あ、いいこと考えた!」とセットになってる。

 毎日だか、毎時間だか、浮かない顔をして
 結局は理詰めになっちゃうようなことをするなよ。
 とにかく、「あ、いいこと考えた!」が、
 行き先なんだから、そっちに向かおうよ。 
 そしたら、「あ、それだ!」が見えて、
 ほんとに、やりたいことが出発できるよ。
 いちばんだめなのは、時間にしがみついていること。
 ぼく自身にも、考えている仲間たちにも言いたいことだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なにか伝えるのに、こういう伝え方もあるかなぁと思って。


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