上映拒否の経緯

 

 

               

 

 
怒りをこめてふりかえれ
 
文化事業WG長 佐伯 俊道

 

 日本シナリオ作家協会・文化事業WGは、来年(2018年)の1月から5月にかけて、月1回ずつ、御茶ノ水のアテネ・フランセ文化センターで『脚本で綴る日本映画史 ~名作からカルトまで~』と題するイベントを開催する。

 力作・話題作でありながら、諸々の事情によってあまり上映されなかったり、ソフト化されていない日本映画にスポットを当てて上映し、出来うる限りその作品を執筆した脚本家を招いてトークショーを行う、というものである。

 必然、あまり馴染みがない作品が並ぶことになるので、赤字覚悟の「事業」であるが、BS・CSを含むテレビでも滅多に放映されることがない作品群を揃え、その作品がどのように成立し、なぜ陽の目を見ないのか――作品論と共にその原因を探り出そうとする意図を持って企画された。

 その中の1本に、西岡琢也脚本・井筒和幸監督の『ガキ帝国 悪たれ戦争』(1981 東映=徳間書店)が選ばれた。

 一部ではカルト扱いされている作品である。

 ところが、上映権を持つ東映に、フィルムの提供を拒否された。

 封切時に、ロケ場所に店舗を提供したモスバーガー社から抗議を受けて劇場上映を打ち切った経緯があるので、今回もモスの許可がないとプリントを出せないというのだ。

 作品の成立過程については、西岡琢也氏の文章を参考にされたいが、氏の文章でも触れられている(映画)ライターたちが記した文章の一部を以下に挙げる。

 

 「(前略)蓋を開けてみると、続編を期待していたファンも多く評判はよかった。ところが上映は3週間ほどで突然中止に追い込まれてしまう。原因はあるシーンにあった。良一と辰則がアルバイトをしているモスバーガーでのシーンだ。店長と気が合わない良一が、あるときこう叫ぶ。『この店のハンバーガーは猫の肉や!』 そして大きな石で店の窓ガラスを破壊・・・・・・。店は閉店に追い込まれる。当時はモスバーガーがテリヤキバーガーのヒットからフランチャイズ店を全国に拡大していた時期である。このシーンをたまたま観たどこかの店長が東京本社に報告。モスバーガーは東映に猛烈に抗議する。すると 東映は、、、 係争、、 する、、 こと、、 もな、、 く、、、 すぐ、、 に上、、 映中、、 止を、、 決め、、 (傍点は佐伯)。フィルムもすべて回収して廃棄処分。その後、ソフト化もされていない。たった1つのシーンのために、映画は幻と消えてしまったのである。(中略)「ガキ帝国 悪たれ戦争」は観ることができないが、「ガキ帝国」で輝いた彼らの姿を見ると、胸が熱くなる」(沢辺有司著 『ワケありな映画』 彩図社 2011年刊 18P~21P)(佐伯注 「廃棄処分」というのは著者の誤認)

 

 「この店のハンバーガーは猫の肉や!」

 そんなセリフは、脚本にはいっさい書かれていない。 

  それじゃあ監督が現場で思いつき、半ばアドリブで役者に言わせたのかと、当時の作品スタッフを含めて何人もの封切り当時に観た人たちに訊いても、そんなセリフはなかったと言う。

 ところが、まるで都市伝説のように、「猫肉バーガー」というセリフは一人歩きし、「たった1つのシーンのために、映画は幻と消えてしまった」のである。

 事務局の関氏が作成してくれた、時系列の経過報告を見ていただきたい。
 7月7日にモスバーガーで行われた交渉で、モスの執行役員・社長室長は我々にこう発言した。

 「以前、映画を観たが、『この店のハンバーガーは猫の肉』と主人公が叫ぶシーン等があり、劇中でのモスバーガーの取り上げられ方に大変問題があると感じている」

 彼もまた、都市伝説に犯されているのか?

 「ない」ものを「ある」と強弁し、事実を曲げて偽史を捏造し、正当な歴史を歪曲させようと「悪あがき」している。

 その意図は、懇意にしていた東映の岡田茂社長に上映中止を申し入れ、合意したモス創業者(故人)の「遺言」を忠実に守ろうとせんが為である。

 おお! なんと麗しい企業戦士。

 「企業は家族である」という日本の会社の「美しき伝統」を受け継ごうとする「サムライ」が、ここにいた。

 そのためには偽史を作り上げてでも、上映を阻止すると、彼は心に決めたのだ。

 「不倫は文化である」以前に当然、「映画は文化」なのだが、文化を「創業者の遺言を守るため」に葬ることになるなど、おそらく、「24時間戦えますか」と鍛えられた彼は考えたことさえないのだ。

 批判しているのではない。

 同情しているのである。

 もしこの文章を読んだなら、彼は非常に不快な思いをするだろうが、それは「(自分が勤めている)企業が蒔いた種」である。グッと我慢してもらうしかない。

 だからこちらも、彼個人を責めることは絶対にしない。

 そういう企業なのである、ということを事実に基づいて記すしかない。

 『日本の夜と霧』も『殺しの烙印』もそうだったが、当たっていない映画なら不入りを理由に上映を打ち切ってもあまり騒がれないのではないか――当時の東映はそう軽く考えたのではないか。

 そうでなければ、不良性感度とスキャンダル性を重んじる岡田茂社長が、ゼニをかけた作品をみすみす葬り去るとは考え難い。

 いやいや、もしかして、「おともだち」であるモスバーガー創業者の気持ちを「忖度」した結果なのか。

 いずれにせよ東映は、『シナリオや映画を学ぶ者からも再び公開されることを強く望まれている作品』(加藤正人理事長の『お願い』)を圧殺し、プリントを『座敷牢』にずっと閉じ込めておく算段らしい。

 東映のフィルム倉庫は、アンシャン・レジームのバスチーユ監獄なのか。

 「内覧会参加予定者のリストを事前にほしい」「経緯や座談会等の記事をシナリオ誌に載せる際は、念のためにゲラだけは見せてほしい」(7月21日の東映映画事業部長代理の発言)など、言語道断である。

 「上映できるかどうかはモスバーガー次第」と頬かむりを決め込んだ東映は、いつから「言論封殺会社」になったのだろうか。

 

日本シナリオ作家協会ニュース 第443号(月刊「シナリオ」誌 2017年11月号)より