2019-07-07

不活発なJW(エホバの証人)2世への助言

私は生まれときから母に連れられて王国会館や奉仕大会へ出席していましたが、中学生フェードアウトした元2世信者です。

所属していた会衆(地域ごとに集会をするJWのまとまり)の長老は、フランクながらも模範的親権家族(家族全員がエホバの証人である家庭)で、よく成員に声を掛けて励ましていました。

長老趣味レジャーを楽しみながら、生活のための仕事をして奉仕集会ではよく牧羊の活動をしている、理想的バランスでやっていて、抑圧的でない方が務めていました。

大会ではストイックさが非常に要求される内容の話が多い中、締め付けはゆるいように感じました。

このためか、会衆の雰囲気集会前後の交わりで気さくに世間話をし合ったりよかったと思います

集会の内容は子供理解するには大変で、時間も長いため集中することな不可能で辛かったですが、

当時バプテスマを受けていない伝道者(大会洗礼を受けずに集会自発的奉仕活動に出席する立場)として活動していた私は、

奉仕に行くのはいろんな兄弟と話す機会として楽しくやっていました。校区内で知り合いに会うのは本当に嫌でしたが。

私は、エホバの証人教義自体は信じても信じていなくもなく、特に興味はありませんでしたが、コミュニティとして居心地がよかったのでやめずに続けているという状態でした。

まれときからずっと一緒にいる仲間でしたから。成員に恵まれた会衆の方はこのような方もおられることでしょう。

ただ、中学生だった若い私は、集会奉仕に費やす時間を惜しむようになりました。

勉強をしたり遊んだり…(ほぼ余暇は遊んでいましたが)その中でエホバの証人としての活動をする時間が惜しくなっていました。

もともと、集会の内容は意味不明で、個人研究(集会内ではなく自宅でJWについての勉強をすること)の頻度を兄弟に尋ねられたときも虚偽申告をしていました。

学校勉強もありますが、学校を帰った後には結構時間があるので聖書通読範囲書籍研究範囲時間を取ってやっていますなどと答えていましたが、毎週0時間でした。

奉仕は毎週行っていましたので、奉仕報告(奉仕活動時間出版物の配布数を提出する)はそこそこのものを出していたと思います

しかし、奉仕についても表紙しか読んでいないものみの塔目覚めよ誌を「今回こんなテーマで書かれた雑誌をお渡ししていますー。よかったらあとでお読みになってくださいー」

なんてバラまいていました。子供なのでよく受け取ってもらえるので、いくつか再訪問先もありました。今思うと、家の人も子供相手に断りづらかっただけなんでしょうけども。

ある時、会衆では模範的伝道者と見えるように行動しながら、外では世(非信者や俗世間のこと)の友達遊んだり、普通に過ごしているし、信じていない内容を述べ告げ、

読んでもいない雑誌おすすめするのもどうかな。これはダブルスタンダードというものだよな。と思いはじめて、奉仕に行く機会を減らしました。

土日どちらも出ていたのを、土曜日だけにしたり、今週はお休みにしたりとだんだんと。その後、テスト間中で忙しい、あるいは体調不良理由集会も休む機会を増やしました。

はじめは、仲間をこれまで欺いていたことが明るみに出ていくことが怖くて、母親集会奉仕に出かけた後泣いたりもしました。

案の定牧羊訪問(長老が励ましにくる活動)を受けたりしましたが、はいはいといつもどおりの愛想で返事だけしていました。やがて、完全にブッチするに至りました。

高校に進学した後も時折兄弟姉妹が顔を見せに家にやってきたり、家に置いてある出版物を見るのが嫌で、大学は県外に進学しました。それから実家を離れて一人暮らしをしています

会衆を離れてから、いろいろ調べていると、どうもバプテスマを受けたエホバの証人がこのように不活発になって組織を離れると、

場合によっては背教者とみなされて、家族であっても忌避すべき対象となってしまうそうです。

私はそこまで深く考えていませんでしたが、バプテスマを受けていない伝道者というちょうどいいポジションお茶を濁していたということでしょう。

もし嫌々ながら集会奉仕に通っていながら、ダブルスタンダードに苦しんでいる方がおられるなら、

ぜひバプテスマを受ける前に離れることをおすすめします。そうすれば、親とは断絶することなくただの子と親の関係、いたって普通関係は続くことでしょう。

親は一緒に楽園に行けないなんて!これまでやってきたことはすべて無駄になる!

なんて言って泣くかもしれません。でもあなたも信じていないなら、いずれにせよ楽園に行くことはできないと分かっているじゃありませんか。

これは私の考えですが、私は永遠に生きたくはありません。

世の娯楽を楽しみ、世が作ったもの商売をしています。(もちろん、犯罪などではなくまっとうな、JWの方も使っているものサービス提供しています。)

この生活幸せですし、一日一日を大切に過ごして、最後死にたいと思います

もちろん、永遠に会衆の成員や家族幸せに過ごしたいと思えば、それはあなた教義賛同しているのですから続ければいいと思います

聖書には普遍的なよいことがたくさん書かれていると思います

「受けるより与えるほうが幸福である」だとか、「隣人を愛しなさい」だとか。

聖書字義通り解釈して、これら聖書原則を大切にして過ごしておられるJWの方は、普通にいい人としてこの世に幸せをもたらしてくれることでしょう。

ちゃん聖書の教えを守ることが他のキリスト教との違いであり売りなんですから

投稿JW関係ない方にはどうでもいい内容でごめんなさい。

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