名郷直樹(なごう・なおき) 「武蔵国分寺公園クリニック」院長
「武蔵国分寺公園クリニック」院長、「CMECジャーナルクラブ」編集長。自治医大卒。東京大学薬学部非常勤講師。臨床研究適正評価教育機構理事。『健康第一は間違っている』(筑摩選書)など著書多数。
一臨床医から見たがん検診の一般的な問題点
それではもう少し別の角度から早期発見の害を説明してみよう。一般にはがんは早期に見つかったほうが良いと考えているが、そこには早く見つかったほうが治る可能性が高いという仮定が同時にあるからだ。しかし繰り返し書いてきたように、早く見つかることと治る可能性が高いということは別のことである。
この発見の速さと結果をペアで考えた時にどういうことが言えるだろうか。ここで言えるのは、結果、つまり治療の成功率や寿命が同じであれば、遅く見つかったほうがいいということである。少しわかりにくいだろうか。
具体例で説明しよう。あるがんが20歳で見つかっても、50歳で見つかっても80歳で死ぬとしたら、どちらの時期に診断されたいかということだ。20歳の時にごく早期で診断されても、50歳で症状が出てから診断されても、治療によって治癒し、どちらも80歳まで生きられるとしたら、ということである。治療が進歩すると、進行がんであっても治癒する可能性が高くなり、こうしたことがすでに現実に起こっていることの一つである。単なる仮定ではない。
この2つを、幸せという点で比較してみよう。前者は後者より30年も余計にがん患者として通院や治療に費やして生活しなければならないのである。後者はがんと診断されておらず、より幸せな30年を送れる可能性が高い。その点を考えれば多くの人は後者の方がいいと答えるのではないだろうか。
もちろん早く見つかった場合には、より安全で副作用の小さい治療で治癒できる面もあり、生き死にだけで判断することは難しい面もある。ただ逆に生き死にだけで考えれば、後者の遅く診断する方が良いというのは、一般的な意見といっていいのではないだろうか。
「早期発見・早期治療が善」には早期の発見により長生きができるという仮定が存在している。しかし、それは仮定に過ぎない。遅く見つかっても同じように長生きできれば、遅く見つかったほうが幸福かもしれない。これも早期発見の害の一面である。
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