「オレ働こうと思っても、字が読めん」ある教え子の嘆きから始まった「自主夜間中学」

岡山市内の自主夜間中学で教える城之内庸仁さん(右)

「おはよう…いや、こんばんは、ですね」

だいぶ日も傾いた、土曜日の夕方6時。岡山駅前の雑踏を縫いながら、国際交流センターにやってくる人たちからは、そんな挨拶が聞こえます。かばんの中には、鉛筆とノート。これからここで、「自主夜間中学」の授業が始まるのです。

10代から80代までの「生徒」たち。さまざまな事情でじゅうぶんな義務教育を受けられなかった人たちが、この「自主夜間中学」で毎月2回、漢字の読み書きや計算、英語などを学んでいます。

運営するのは「岡山に夜間中学校をつくる会」。「年齢や国籍を問わず、すべての人に学びの場を提供したい」との思いで、現役の学校教員や元教員、民間企業に勤める人、主婦、大学生などが集まり、ボランティアで運営しています。

代表を務める城之内庸仁(しろのうち・のぶひと)さん(42歳)は、現職の中学校教諭です。岡山市内の中学校で英語を教える傍ら、夜や休日の時間を使って、自主夜間中学をつくりあげてきました。

生徒のニーズに合わせた個人指導

ここでの授業のスタイルは、マンツーマンの個人指導。漢字を覚えたい、計算ができるようになりたい、基礎的な日本語会話を学びたいなど、生徒それぞれのニーズとペースに合わせて勉強を進めます。

個々の生徒に合わせて指導する

授業料は無料です。しかも、小中学校の教科書や参考書、ドリルなどの教材はすべて、寄付やスタッフから集めた会費で購入しています。

「2017年に会を設立してから手弁当でやりくりしてきましたが、人数が増えるに従って教室を増やすなど、資金が必要になってきました。そこで昨年(2018年)の夏に、クラウドファンディングで支援を募りました。夜間中学でクラウドファンディングを利用するのは新しい試みでしたが、期間内にNHKの『ハートネットTV』で取り上げていただいたこともあり、目標額を大きく上回る、140万8000円のご支援をいただきました」(城之内さん)

10月には、船で離島に渡り、1泊2日の研修合宿も実施。ここでは、普段の授業ではカバーできない実技教科を中心にカリキュラムを組み、ピザ作り(家庭科)や星空観察(理科)などを楽しみました。

研修合宿について、生徒が書いた作文

さまざまな事情で通う夜間学校の生徒たち

夜間中学の試みは、義務教育制度ができた1947年に始まりました。戦後まもない混乱期、学校に行けない子どもたちが多く、公立中学校の2部授業という形で、夜間学級が発足しました。貧困を抱える子どもたちだけでなく、中国などからの引揚者、在日コリアンなども多く学んでいました。

小学校さえ卒業していない15歳以上の「未就学者」は、現在でも、全国に12万人以上いることがわかっています(2010年国勢調査)。また、現在では、不登校経験者やニューカマーの外国籍の人なども多く通っています。「形式卒業者」といって、不登校で学校に通っていなかったけれど形式的に卒業資格を取得した人たちも、2015年から夜間中学に通えるようになりました。

城之内さんの作った「自主夜間中学」では、2019年2月現在で、生徒の登録は70名を超えています。皆さまざまな事情で義務教育をきちんと受けられなかった人たちです。

「80代のMさんは、瀬戸内海の離島に生まれ、小学校卒業後から家計を支えるために島を出て、ずっと働き詰めで生きてきました。30代のI君は小児糖尿病を患い、小3からほとんど学校に行っていませんでした。電車やバスに乗っても『運賃』という字が読めない。行き先の漢字が読めない。そうした苦しさを抱えながら、誰にも言えずに生きてきた人たちです。外国人技能実習生や、不登校の現役中学生も通ってきています」(城之内さん)

自主夜間中学では、さまざまな人々が学んでいる

多様性のある環境だからこそ学べることは多い

このように、さまざまな生徒が通う「自主夜間中学」。だからこそ学べることは多いと城之内さんは指摘します。

「同年代の生徒しかいない中学校と違って、夜間中学は異年齢の集団です。義務教育未修了者、形式卒業者、外国人、障がい者など、抱えている事情もさまざま。そうした異質集団の中で自分を出せるという子もいます。それに何より、夜間中学の生徒さんは皆、厳しい人生の中でも、生きることを諦めなかった人たちです。そうした人から学べることはとても多いんです」

ある不登校の中学生は、「自主夜間中学」で80代のMさんと出会い、貧しかった頃の話を聞くようになりました。次第に前向きになることができた中学生は、保健室登校ができるようになったそうです。こうした生徒間の交流による変化は、全国の夜間中学で起きているといいます。

「金子みすゞの『みんなちがって、みんないい』という詩がありますが、夜間中学では、言葉ではなく実感として、それがわかる。そんな良さもあるんですよ」

教え子の言葉で決意

そんな「自主夜間中学」ですが、城之内さんが立ち上げようと決意したのには、あるきっかけがあったといいます。それはかつての教え子の言葉でした。

「先生、オレ働こうと思っても、字が読めんし計算もできん」

中学3年間、不登校のまま卒業していった生徒の言葉でした。

「履歴書が書けなければ、応募もできません。そんな苦しい状況にある子に、自分は何ができるだろうと胸が詰まりました…」

自主夜間中学では、国語や英語などの基本教科をていねいに教えていく

こうした思いから、城之内さんは2017年4月に「岡山に夜間中学校をつくる会」を設立。チラシをまいて、教室を借り、月2回の授業をスタートします。しかし、生徒はなかなかやってきませんでした。教室でひとりポツンと待ち続ける日々が続きます。

「もうこれまでかと思ったこともありました。でも、『しんどい人はどこにでも必ずいる。たったひとりでも続けなさい』という、他県で長年自主夜間中学を支えてこられた先輩の言葉をバネに、なんとか踏ん張りました。現在では、生徒さん・スタッフ合わせて100名以上の人たちが来てくださっています。このような場があると、発信し続けることの大切さを感じています」

「特別なことをやっているわけではない」

2016年に「教育機会確保法」が成立し、翌年に文部科学省が出した基本指針には、「各都道府県に少なくとも1校の夜間中学の設置を目指す」という方針が掲げられました。しかし現在、公立の夜間中学校は8都府県に31校のみで、岡山県にもありません(19年4月に千葉県と埼玉県で各1校が開校予定)。

こうした中、城之内さんたちは、県内に公立夜間中学を設置することをめざしつつ、「自主夜間中学」の充実を図っています。公立・自主、どちらもあることが理想だと話します。

「公立の夜間中学では、中学校の卒業資格が取れます。それに、体育祭や修学旅行などの行事もできるし、給食を出せるところもあります。でも、修業年限の問題もある。週5日で3年間通い続けられるかといえば、仕事との関係や体力面で難しい人も多いでしょう。自主であれば、『まずは計算だけでも身につけたい』『土曜日なら通えます』といった多様なニーズに応じられる。また、学習指導要領に縛られないので、自由度の高いカリキュラムを組むことができるんです」

「僕は特別なことをやってるつもりはない」という城之内さん

城之内さんは、朝7時から夜9~10時頃まで勤務先の学校で働いています。そして残った時間を使って、夜間中学の運営や関係先との連絡などに奮闘しています。昨年1年足らずの間で、20キロも痩せてしまったそうです。

「『どうしてそこまでできるの?』とか、『過去に何か壮絶な経験があったから、今そんなに頑張ってるんじゃないか』とか、いろいろと聞かれますが、残念ながら大したエピソードはありません(笑)。ただ、僕は高校時代、進学校の雰囲気が合わなくて、しょっちゅうひとりで河原に行って本を読んでいました。教員になる前は、建設現場で働いていた時期もあります。そういうことも関係しているのかもしれません。でもね、僕は特別なことをやってるつもりはない。自分の目の前の、身近なところで、できる範囲のことをやっているだけですよ」

学びたいという切実な想いをもった人がいつでも門戸を叩けるように、明かりを灯し続けていたい。城之内さんはそう願いながら、きょうも教壇に立っています。

 

TAGS

この記事をシェア