帰港後、チームのメンバーらと成果を話し合う浦特別教授(左から2番目)=6月21日、福井県越前町宿の越前漁港

 若狭湾に沈む旧日本海軍の潜水艦の探索を進めてきた九州工業大などのチームは6月21日、4日間の調査を終え福井県越前町宿の越前漁港に帰港した。調査をリードした同大の浦環(うら・たまき)特別教授は、ナチス・ドイツから第2次世界大戦中に譲渡された「呂500」が前日に確認されたことについて「呂500は人間的なドラマが山のようにあり、見つけた瞬間はぐっときた」と感動を語った。

 探索は18日から、米軍記録や沈没船の目撃情報を基に音波や遠隔式の無人潜水機を使って実施。最終日は呂500が確認された京都府舞鶴市沖の冠島付近を再度捜索した。

 この日のターゲットは、終戦後の1946年に連合国軍総司令部(GHQ)が若狭湾に海没処分したとされる呂500など潜水艦3隻のうち、まだ見つかっていなかった伊121。「3隻は近い位置で海没処分されたのでは」とする浦特別教授の推論通り、呂500が見つかった地点の北側の海底に伊121があるのを無人潜水機の映像で確認した。

 越前漁港に到着したメンバーは、日焼けした顔に笑顔を浮かべ港に降り立った。浦特別教授は今回の調査の意義について「海中に沈んでいても今の技術なら発見できることを具体的に示し、一般の人に(ライブ映像を通し)じかに見てもらうことができた。戦争の遺産としての潜水艦(があるという事実)を海中から掘り起こすことで、歴史がきちんと分かるようになる」と話した。若狭湾での探索は今回で一区切りとしている。

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