【首都スポ】[スポーツクライミング]最強会社員クライマー 藤井快は職場で練習2019年7月6日 紙面から
東京都内のボルダリングジムで会社員として働きながら、2020年東京五輪の新種目、スポーツクライミングでメダル獲得を狙う選手がいる。ボルダリングのジャパン・カップで16年から前人未到の3連覇を果たし、18年アジア大会複合では銀メダルを獲得した藤井快(こころ、26)=TEAM au=だ。トップクラスではプロとなる選手が多くいる中、なぜ“二足のわらじ”を選んだのか。史上最強のサラリーマンクライマーの素顔に迫った。 (平野梓) 「独立するメリットを感じないですね」。プロとして独立しないのか、と聞くと、藤井は即答した。「練習環境は職場で十分。いろいろ手を貸していただいているので。クライミングの結果が良くなくても無職になることはないし。今更、メリットがない」と続ける。 練習は勤め先が運営する東京都内のクライミングジムを中心に行い、現在の業務は週に1回程度。ボルダリングの課題(コース)作りであるルートセットをし、時にはジムの受け付けに立つ。東京五輪を前にして、海外遠征や練習に費やす時間が圧倒的に増えたことに感謝を込める。 もとよりプロになる気はなかった。「僕の家自体、そんなにお金があるわけじゃない。クライミング自体も、それで食っていけるほど、稼げる種目ではなかった」。今でこそメジャー企業がスポンサーにつくが、藤井が愛知・中京大を卒業した15年当時は、人気上昇中とはいえまだマイナースポーツの一つ。 「だったら理解のある会社で働きながら試合に出るのが、ベストだと」 大学在学中からリード、ボルダリングのW杯を転戦するようになったが、当時の代表の遠征費は全て自費。ホテルや航空券の手配を自ら行い、選手全員でお金を出し合ってレンタカーを借りて移動した。学生の藤井は各地のジムでルートセットをして費用をひねり出していた。そんな苦労を知るからこそ、プロという生き方に疑問を持つ。 浜松日体中のワンダーフォーゲル部で、クライミングに出合った。テニスをやるつもりだったのが、体験入部したところ、部の持ち物で、03年静岡国体で使用された人口壁の一部という3・5メートルの壁が、最初は全く登れなかった。「『どのホールド(突起物)も使っていいからやってごらん』というのが、それすらできなくて」と苦笑する。 すぐにやめると思っていた周囲の思惑に反し、部に通い続けた。練習場所は浜松市内に当時一つだけあったジム。そこで県内外の高校生やクライマーと触れ合うのが楽しかったからだ。 浜松日体高では、一緒に登りを楽しんでいた先輩たちが卒業。ただ登るだけだったのが、本格的に競技に取り組むきっかけとなった。「(登るだけ)じゃあつまんないな、と思ってコンペ(大会)とか競技って形で転向した。県外からたまにくる選手に練習方法を教えてもらって、それが運良く、練習した分だけ結果が出た」。高校3年時にJOCジュニアオリンピックカップで3位となり、世界ユース選手権に初出場した。 東京五輪代表は男女各最大で2枠。その1枠が8月の世界選手権(東京・八王子)で決まる。「五輪はもちろん出てみたい、というのが強くあります。そこまでしっかりと頭一つ抜けていたい。僕はこれを逃すと(年齢的に)次はかなり厳しいので、死にものぐるいで取りたいと思いますし。初めてのことなので、メダルも欲しい」。世界選手権は出場が決まっている男子メンバーの中で最年長。安定感のある登りで見る者を魅了するオールラウンダーが、未知の世界を切り開く。 <藤井快(ふじい・こころ)> 1992(平成4)年11月30日生まれ、浜松市出身の26歳。176センチ、63キロ。浜松日体中時代に部活動でスポーツクライミングを始める。浜松日体高を経て、中京大時代からW杯参戦。今季のジャパン・カップは、リードで初優勝するなど3大会で表彰台に立った。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」。トーチュウ紙面で連日展開中。
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