落花 情 あれども 流水 意 無し

観能記録など。備忘録として。

2019.06.29 第67回 横浜能   箕被  隅田川

2019年06月29日 | 能公演
2019.06.29(土) 14時開演(13時開場) 第67回 横浜能  横浜能楽堂

狂言「箕被」シテ/夫 野村万作 アド/妻 石田幸雄
    後見 竹山悠樹

能「隅田川」 
   シテ/梅若丸の母 三千春改メ 豊嶋彌左衛門 子方/梅若丸 中嶋彩音 
   ワキ/渡し守 福王知登 ワキツレ/旅人 中村宜成
   笛 槻宅聡 小鼓 古賀裕己 大鼓 柿原崇志
   後見 廣田幸稔 豊嶋幸洋 山田伊純
   地謡 中嶋謙昌 山口尚志 元吉正巳 向井弘記
      宇高竜成 松野恭憲 金剛龍謹 坂本立津朗

            16:15終演予定
   



完売、満席。

完売だけれども果たして見所のどれだけの人が「隅田川」を観たくてチケットを買ったのか。
はたまた「豊嶋彌左衛門」という役者を観たくて来たのかは甚だ疑問ではあるが、
そんなこたぁどうでもいいじゃん、と言いたくなるような
the「隅田川」でした。


箕被。
大藏流、というより山本東次郎師で観ることがほとんどのこの曲。東次郎師のなさる「箕被」は大好きな曲だ。
かつて確か萬斎師で観たとき、本がそうだから仕方ないとはいえ、なんてイヤなだんななんだろうとげんなりした。
万作師がするとやわらぎはするが、しっかり言葉に耳を傾けられる分、前は気づかなかったポイントを耳が拾う。
(離縁したのち)ほかの人と再婚することがあるかもしれないし、と言う妻に対し、
そんな顔じゃあ(笑)みたいな夫の態度が本当に数ある狂言の中でも(もちろん自分が見た中で)これほど
心寒くなる一言があるだろうか。愛があっての冗談めかしとは聞けないのだ。
「釣針」ほかの曲であるような見ず知らずの女性が実は不美人というのとはわけが違う。



おシテ豊嶋彌左衛門師はチラシに1939年生まれとあるので2019年である今年、
御年80歳、傘寿をお迎えになる。驚きだ。

常々、出が大事と思い、幕から現れる役者を凝視しているが、
この方だけはそのときの印象と本舞台での印象が異なる。
出は期待させず、結果は良い、という珍しい役者さんだと思う。

今日も出から橋掛かりの謡は聞き取りにくかったが、聞き取りにくいとかそんなことが気にならなくなった。

そして少し前に拝見した金剛永謹の会での「薄」でも思ったことだが
地謡が素晴らしい。
「ありやなしや」の「ありや」の息の詰めたところとか(「ありや」と「なしや」の間が一瞬だがくっきりと深く無音。)
一曲をとおして緊張感が緩む箇所が無かった。


拍手に関しては考え方が様々あろうが、私自身はぱらぱらと誰かが幕に下がる度に拍手が
起こるのは好きではない。シテ、ワキ、囃子方、と拍手が起こるのはまだ分かるが
作り物に拍手が起こるのは解せない。
横浜能はふだん見所で見掛けない、初見の客が多いように感じる。別に初見の新しいお客が増えるのは
歓迎なのだが、60代くらいの夫婦連れなど、ここはあなたんちのリビングじゃないんですけど!と
言いたくなるような私語・・・。
今日も塚から子方が(ボリューミーな黒頭でびっくり)出てきたら、後ろの夫婦の旦那の方が
「ずっと入ってたのかよ!関心だなぁ!!」と声に出した。
間違い2点。
まず、ずっと塚に子方が入っていたかどうかは曲に対して何の関係も無いので関心するポイントではない。
そして、今回の子方は自分の登場場面の比較的直前に塚に入った。(船頭が母に梅若丸の墓所を教えるところ)
切戸から黒っぽい紺色の布に覆われた子方が塚に入れられるのが私からはハッキリ見えた。
すぐ後ろの男性が気付かないのはどういうことだろう。終わってからも奥さんに「ずっと入ってだんだな凄いな」と言っていた。
「隅田川」は何回か観ているが子方無しは観たことがあっても子方ありで後から塚入りは初めて見たと思う。

金剛流の「隅田川」は初めて観るので今回がスタンダードなのか分からないが、
子方の「南無阿弥陀仏」が地謡のそれとはズレでいた。ほかの流儀では地謡の(つまりそれは大念仏に集った人々の唱えた声にほかならないわけだが)念仏に沿うように子供の声が混ざって聞こえるものだったが、今回は大変か細く、地謡の念仏とは合ってなかった。わざとずらして際立たせる狙いなのか。
観世流でときおり見受けられる元気の良過ぎる念仏に比べれば、このくらいの音量の方が雰囲気としては幽霊らしくて合っているのかなとは思ったが、列の中央より後ろの席の人は聞こえなかったのではないかと思う。
ただ見た目は黒頭の鬘が大きすぎたからなのか常がこうなのか分からないが鬘帯で生え際を抑え顔全開。これってどこかで?と思ったら宝生流の『弱法師』も前髪立ち上がり顔全開。ムチッとした大変健康そうなお子だったので、正直、それまでの感動が素に戻ってしまった。
むー。
おシテは子の霊が消えてからも塚の傍らにいるが塚との距離がある。


見終わって廊下の椅子に座ってアンケートを書いていたら隣に座った女性二人連れが
「こんなに泣いちゃうなんてバカみたい」
「そんなこと無いわよ」
という会話が。
正直、もっと見所から染み出すようなすすり泣きがたくさん聞こえた「隅田川」はあったけれど
今回は泣き声が聞こえるポイントがかなり後方にずれていたように思う。もうほとんど終わりという頃に静かに。
「隅田川」でまず泣けるのは
船頭の語り。
関東では聞く機会の少ない福王流の語り。今日が3月15日だということへの驚きは語りの終わり、シテに問われて答えていたようだ。
慣れない旅に憔悴した梅若丸を人商人が打ち捨て北へと向かうありさまや、念仏四五遍唱える点などは変わらないが
シテツレは東にいる知人を訪ねてきたらしい。商人ではない。
初めて見る役者。東京で見る村瀬さんたちもツレの謡は主ワキに対してずいぶんと高く張った調子で謡っていて
その落差に膝が落ちる思いになることも度々だが、今回はワキツレが一人と言うこと、声が優しいというところ、で静観。
ただ。カラダが大きい人。それと風邪ひいてるのかな?なんだか調子が悪そう。
大きいせいもあると思うんだけど、良い場面で立つための準備みたいな動きが見えてちょっとがっかり。
ワキは対岸について棹を自ら置く。静か。


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