夢にいざなえ
いつでも風の中に 君 見つけて微笑む
そんな時 過ぎた日々に やさしく灯がともる
ひとりもそんなに辛くない 小さなつぶやき
町はずれ 川のほとりで 水切り遊び 思い出を投げ
ひとつひとつの季節に 今 さよならを
この街 何故か寂しげな人波流れる
緑なす草むらは 今 アスファルトの下に眠る
いつの日にか また夢にいざなえ
夢にさよならを
何と言っても、「ドラムを叩いている」ということが一番の思い出(笑)。オレがヘタクソなドラムを叩いて、ちゃんとレコードになっている(笑)。当時、持っていたのはスネア・ドラムとフット・ペダルだけで、他のドラムキットは全てレンタルでした。それでもしっかりとドラムの音になっているのは、全てエンジニアの吉野金次さんのおかげです。
遠い子どもの頃の淡い思い出、キラキラした夢のようなバンド。高橋くんがベースを弾いて、青山くんがギターを弾いて、町支くんと山崎くんが歌い、ハモってる。『二人の夏』の歌詞の通り、まさに「二十歳の夢のかけら」です。
色んなシーンが映画のフラッシュ・バックのように蘇ります。学生時代、僅かなバイト代を出し合って、新宿歌舞伎町のど真ん中にあった小さな貸しスタジオを借りて、4人で練習を始めた。町支くんがバイトしてた新宿西口にあった喫茶店とか、高橋くんが働いていたライブハウス「ルイード」で待ち合わせてスタジオに通った。運転免許とりたての山崎くんが運転する軽4に乗って、道路の線引きの仕事をやって、楽器を買った。町支くんと高橋くんが西武新宿線沿いの町に住んでた木造アパート。出来たての『二人の夏』を聞かせたのがそのアパート。「いいじゃない!」といってくれた二人。
大学を中退して、広島に帰って、やはり音楽学校をやめて帰郷した青山くんの家の屋根裏部屋で練習を始めた。オレは昼間はピザハウスでウエイターをやっていて、仕事が終わると、近くのゲームセンターでバイトしてた高橋くんを自転車の後ろに乗せて練習場まで走った。練習が終わった後はよく飲んだ。酔っ払って雨の中、屋根の上で寝てしまったこともある(笑)。高橋くんとオレにはガールフレンドがいなかった(笑)。
荷車に楽器を積んでNHKのスタジオに運び、地方の若者を紹介するラジオ番組に出演した。その時録音したテープを、CBS/SONYのディレクターだった同郷の蔭山敬吾さんに聴いてもらった。オーディションをやりたいという返事が来て、皆で大喜びした。
楽器を電車に積んで東京に向かった。オーディション当日、同郷の吉田拓郎氏が訪ねて来てくれた。1974年の春から秋まで吉田拓郎氏のツアー・バンドとして全国を回った。ツアー中、拓郎さんにはよく酒をご馳走になりました。ステージの後、彼やバンド仲間やスタッフの連中と酒を飲む時間は本当に楽しいもので、つい飲みすぎてしまい、翌日二日酔いのままステージに上がったことが何度かあります(笑)。
1975年、東京音楽出版のプロデューサー・川瀬泰雄さんがオレ達を引き受けてくれ、レコードを作れることになった。ディレクターの蔭山さんと川瀬さん、このお二人がAIDOのレコード・デビューの恩人です。
何せ初めての本格的なレコーディング。ヘッドホンをつけて演奏するのも初めて。モニターから返ってくる音を聞いて、「何でこんなにドラムとベースがズレてるんだろう?」って(笑)。エンジニアの吉野金次さんの言葉は「もう2~3年デビューを待って、もっと練られたらいいバンドになるかも…」というものでした。彼にはオレ達には見えないものが見えていたんだね。でも、とにかくオレ達は有頂天でした。
しかし、デビューして、実際に音楽シーンのなかに入ってみて思い知らされるんです。成功するのは容易いことでは無いとね。そして、自分達は決して自分達が思っていたほど最高に優れたバンドではないことを。人としてもミュージシャンとしてもまだ子どもで、成長し盛りの年齢だから、少しずつ個々の音楽志向も、メンバー同士の人間関係も変わってくる。音楽的には8ビートから16ビートに移行していった時代なので、メンバーの作ってくる楽曲にドラマーとして対応出来なくなってしまい、皆の足を引っぱっていると感じ始めるんです。青山くんは当時から天才ギタリストで、素晴らしいアレンジャーでもあった。彼の求めるレベルの演奏技術は自分には全く無かった、それが辛かった。
そこで、拝み倒して(笑)、岡本あつおくんにバンドに参加してもらった。彼のドラムでバンドのグルーヴ感は全く違うものになり、やっとプロらしいバンドになったと感じたものです。しかし、オレ自身はバンドの中に自分の居場所を見つけることが出来ず、バンドを離れる時が来たと感じ始めるんです。それで、スタッフの方達に気持ちを打ち明け、メンバーと話し合いました。みんな引き止めてくれましたが、どこか仕方ないかなという雰囲気も感じましたね。既に岡本くんという素晴らしいドラマーが参加してくれてましたし、翌年にリリースされるAIDOのセカンド・アルバム『LOVE IN CITY』とオレのファースト・アルバムを聴き比べてみれば分かりますが、全く志向が違っていたんですよね。そのような経緯でバンドを抜けたのが75年の夏の終りです。
1972年から75年までの3年間、19歳から22歳までの出来事。失われたピースが沢山あるジグゾーパズルのような遠い日の思い出…AIDOのアルバムを今聴くと、音楽が大好きな少年達の瑞々しい感性と情熱を感じます。素晴らしいアルバムだと思うし、自分にとって大切な宝物です。