色々思うことや考えていることはあるのだが、結論のない話を徒然と書いてどうするのと思ってしまふ。
ここのところROのGv(攻城戦)についてとりとめなく考えていることがあって、前回の記事で書いた、『趣味のような、それをする行為や過程そのものが単に楽しいからやることは、他人に提示できる物質的な結果を用いて意義や目的を説明できない』っていう話となんかちょっと繋がった感じがして、まとめておきたいんだけど、そして例によって興味のある人がたどり着ける可能性を持たせて公開しておきたいんだけど、ROSNSに置くと賛否両論やうちのギルドDisってんのかみたいなので荒れかねないので嫌だ(ぉ。
なので、そもそもGvってなんぞ?って話になってしまうのは重々承知で、こっちに書いてみることにしますw
Gvってなんぞ?については、とりあえず公式ページはリンクしておきますが、やってない人にはちんぷんかんぷんな話だと思う、すまん。
私はROをなんだかんだで10年以上休止をはさみながらプレイしていますが、Gvに参加するようになったのは1年半前くらいからで、当初から疑問に感じていることがありました。
それは2時間のうち前半約90分を戦闘時間と称し、残り30分~10分を確保時間(砦の取得を目指す)とする慣習です。
聞くところによると昔は前週に獲得した砦を二時間防衛し、一度も落城せずに次週に持ち越すことを目標とするGvも行われていた(他ギルドに砦を奪取されると最終的に取り返せたとしても商業値が下がる=砦から出る報酬が減る)とのことで、もちろんサーバーによっては今もそういう攻防が行われているところもあるのかもしれませんが、少なくとも私がプレイしているHervorサーバーの多くの砦は前週の取得ギルドによって開始時から防衛されることは現在ほとんどありません。
その昔というのが何時頃までを指すのかは曖昧ですが、とあるギルドマスターの考察によれば、現在の状態になった原因は主に2つ、神器(砦の報酬宝箱から出る材料で作る装備)の価値が相対的に下がった(クジ・パッケのアイテムのほうが強力かつ入手に手間がかからない)からと、ギルドダンジョン(砦取得ギルドだけが入場できる特別なダンジョン)よりも経験値の美味しい狩場ができたからではないか?という話で、だいたい2008~2010年頃を境にGvのプレイスタイルは変質したと推測できるようです(Gvシステムが実装したのは2002年7月です)。
神器もギルドダンジョンも価値が下がれば、砦を取ることの価値も下がります。
昔は神器を作るためにこの砦を死守するとか、逆に敵勢力に神器を作らせないために絶対あの砦を奪取するとかあったらしく、一部のGvヤーは今でもどこの砦を取ってるか・いくつ取ってるかや商業値などを基準にギルドの強さみたいなのを判断しているようですが、現在それは形骸化したブランドでしかないように私には見えます。
とりあえずたぶん砦の取得は昔よりたやすくなりました。
Gv勢力の減少が著しい(後述します)せいもあるんですが、今Hサーバーでは上手くいけばソロでもお城が取れます。さすがに毎週安定して、とはいきませんが。

私のギルドは現在レギュラー6~7人の所属があって、少人数で戦闘することをコンセプトに活動しているのですが、この人数でも城取得できちゃいます。
本来なら取れるだけですごいことなはずです。
砦はどこでも1個でも取れたらそこからの報酬で経費をまかなえるから助かるぐらいの認識ですが、まあ嬉しいですよね。
しかし私よりGv先輩なギルメンは「砦が取れても戦闘時間中には勝てなかったから試合に勝って勝負に負けた感じ」などとぼやくことがあります。
ぶっちゃけ意味不明です。
砦取得に関わりもしない戦闘の勝敗ってなんですか?
いやもちろん例えば、相手の防衛している砦を奪取できたらこちらの勝ちってことなんでしょうけど、それって戦闘員を増やせば絶対に達成できることなので、じゃあ人数増やすかという話になってしまうと、うちは少人数で戦うギルドなのに意味ないんですよ・・・
私は戦闘はありつけたら(相手してくれる他勢力がいたら)勝ち、ありつけなかったら負けだと思っています。
ちなみにこの「砦が取れても~」という台詞が、私が90分+30分という文化に不自然さを強く感じるようになったきっかけで、ひょっとしてGvヤーたちは満足感や達成感を得にくい状態に陥っているのではないか?と感じ、その原因は矛盾する勝利に板ばさみにされているせいかも、と考えたのです。

公式ページには『攻城戦の勝利条件は、ギルド砦内部に存在するエンペリウムを破壊すること』とありますが、エンペは『攻城戦の時間内なら何度でも復活する』ので、もっとも優先される勝利条件はやはり『そのエンペリウムを最後に破壊して終了時間に砦を占領していた』ことになると思うんですよ。
つまり勝利に途中の戦闘は関係がないし、もっというと自勢力以外の勢力がいなければ全ての砦を確実に取得できて商業値が下がるリスクもないのだから、戦闘は勝利には必要すらない・むしろ邪魔になりうる要素とも言えないでしょうか。
「砦が欲しい」なら他勢力を潰すか併合したらいいですよね。
しかし「砦が欲しい」を突き進めて他勢力を排除していったら、紅白戦する以外戦闘にはありつけなくなります。
前述したように「戦闘したい」ならまず戦闘にありつけないといけないので、ありつけなかったらある意味負けなわけです。
つまり「砦が欲しい」と「戦闘したい」は究極的には両立できないことになります。
にも関わらず、多くのGvヤーが「戦闘したいしその戦闘で勝ちたいし砦も欲しい」とか思ってるように見えます。
それって他勢力という存在を、自分を勝たせて気分よくさせてくれる当て馬だと見なしている発想だと思うんですよ。
戦闘するためには相手となる勢力が必要で、しかも相手が自分のギルドと対戦したいと思ってくれないと成立しないわけですけど、絶対勝ちたいギルドは負かす相手に、自分の相手をしたいと思わせるだけの利益や満足を提供できるのでしょうか?
一部会場では人数を増やしてマンモス化した絶対勝ちたいギルドが襲撃してきたらログアウトして戦闘をやめる、という事態が起こっているようなので、そういうことなんですよ・・・
プレイヤーはアクティブモンスターとは違うんだから、相手する価値がなければ相手しません。

去年の9月にワールド倉庫なるものが実装し、アイテムを別ワールドへ持ち込み・持ち出しできるようになりました。
その結果、接続人数の多いサーバーあるいは盛り上がっているように見えるサーバーに人が集中する、いわゆる東京への人口流入のような現象が起き、GvではOlrunサーバーが東京になりました。
Hサーバーはこの一年で私の知る限り5つの勢力の中枢が他サーバーへ移住、またはギルド解体し、現在固有の旗を掲げて毎週活動しているギルドは8勢力程度しかありません。
なぜそうなったのか?
理由は上記した通りで、移住した人たちにとってHサーバーは、対戦したいと思わせるだけの利益や満足を提供してくれないような、相手したくない勢力がのさばってたから、ワールド倉庫実装を機会にもっと魅力的な対戦相手を求めて移動していったんだと思います。
でも満足のいく戦闘を自分にさせてくれる相手を求めるのも結局、他人を我利を満たす道具としてしか見ていない発想だと思うんですけどね。
まあそこまで酷くなくても、もうここダメだからもっといいところ行こ~って、まるでイナゴだなあと思うんですけども。
自分がしたいことをできるようになるためには本質的とは言えない行動だなと私は思うのです。

なんかもう長くなってしまってアレですが、ROの対人ってシステムやルールを見る感じ、戦闘することを目的とする対戦ゲームではなく、敵を消滅させ砦制覇を目指す戦争ゲームだとと思うんですよ(逆に制覇させないよう妨害するゲームとしてもプレイできます。
だから勢力数と戦闘の減少は、おそらくGvシステムが始まったときから約束されていた未来でした。
現在は戦争ゲームから対戦ゲームへの過渡期にあるというか、eゲームが流行しているのでGvをそれと勘違いして混乱しているプレイヤーがいるんじゃないのか?って感じます。
対戦ゲームしたい人も負けたいわけじゃないので勝てる人と組んだり勝てるギルドで活動したがりますが、Gvで勝ちにこだわっている強い人ってのは、おそらくGvを戦争ゲームとしてプレイしている人です。
趣旨の違う人をギルドに取り入れてしまうとギルドは迷走・崩壊しやすくなるし、ギルメン個人の中の定義も迷子になりすくなると思うんですよ。
運営は去年マッチング対戦システム(Yggdrasill)を開始し、今後主軸にしていきたい(現在のGvは廃止したい)と発表したんですが、これは終了時間にエンペリウムを所有していた側が勝ちという単純明快な勝利条件下で1砦を2ギルドが奪い合うシステムで、戦争要素がありません。
運営が今回私が書いたみたいな戦闘ゲームと戦争ゲームの違いを把握したうえでシステム構築を検討しているならば、YEは戦闘という過程のほうに内的価値を感じる人たちが楽しめるコンテンツになるかもしれませんが、果たしてどうなるか・・・
上限人数が10人みたいなマッチング場所を作ってくれてない時点で私的には魅力ナッシングですけど。