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2019-07-03

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・東京ドームに野球観戦に行ってきた。
 こんなふうにわざわざ書くのも妙な感じなのだけれど、
 ちょっと、いつもとちがう感覚だったのだ。
 生意気な言い方になるけれど、ぼくもこの年まで、
 数えきれないくらい野球を観戦してきているんだぜ。
 ネット裏にシーズンシートを持っている時期もあったし、
 いわゆるいい席に座ることにも慣れてしまっている。
 さまざまな場面でとても野球に近いところにいるわけで、
 いわば、すれっからしの野球ファンになっているのだ。

 若いころは、バイクでプレイガイドの行列に並んで、
 チケットを買っていたこともあったし、
 いわゆるダフ屋から高いお金を出して買ったこともある。
 「半年とってくれたら巨人戦のチケットあげるよ」と言う
 新聞勧誘員の口車に乗って、チケットではなく
 タオルをもらっただけというようなこともあった。
 後楽園球場の時代なんかだと、敗けた試合の帰り道、
 大雨に打たれながらバイクを走らせたっけ。

 そういう時代に観ていた野球を思い出したくて、
 ネットで空いている席を探してチケットを買った。
 選手が豆粒のように見える席が希望なのだから、
 そういう席ならまだ空いているだろうと思ったら、
 見事に東京ドームの3階席が買えた。
 たくさん階段をのぼって行く高い場所だ。
 いつも内野席から見ているオーロラビジョンの高さだ。
 選手たちはコップのフチ子さんよりも小さく見える。
 でも、すばらしいことに、ここにいると、
 試合と、野球場の全体との「まるごと」が見えるのだ。
 ネット裏からではわかりにくい外野手の守備も、
 ボールの行方に一喜一憂し盛りあがる観客席の波も、
 遠くまで飛ぶ打球の描く軌跡も、みんな見える。

 たのしかったなぁ。
 じぶんが、大きなスタジアムのなかの小さな点になって、
 まるごとの「野球場の宇宙」を感じるよろこび。
 また、野球のたのしみを思い出したようにも思えた。
 ちっぽけな点になって、ここにいるということが、
 そのまま、自身のちっぽけさを感じさせてもらえて、
 こころの健康にもいいような気がした。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「とるにたらないわたし」を感じるのが、人の原点かもね。


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