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【大相撲】

炎鵬、キュートな「令和の牛若丸」

2019年7月3日 紙面から

金星を取れるよう、はなわ(左)に地元石川県名産の金箔を顔に貼ってもらい笑顔の炎鵬=東京都墨田区の宮城野部屋で(河口貞史撮影)

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◇はなわの相撲ヲタク対談

 入幕2場所目となる名古屋でも小さな業師、炎鵬(24)=宮城野=から目が離せません。実は未熟児で生まれていたという炎鵬に、はなわさんが直撃。食生活や入門のいきさつなど、たんまりとインタビューしてきました。 (構成・岸本隆)

 はなわ「炎鵬関、初めまして。今や世間に知らない人はいないという人気ぶりですね」

 炎鵬「少しは覚えてもらえたかなと思いますけど、これからです」

 はなわ「漫画、アニメや映画の主人公のような活躍ですよね。令和の牛若丸!」

 炎鵬「まだ早いと思います(笑)」

 はなわ「いえいえ、舞の海さんのときのような感動をもらってます」

 炎鵬「そう言ってもらえることが一番の原動力です」

 はなわ「生まれたときはけっこう小さかったって聞いてますが」

 炎鵬「そうです、未熟児でした。帝王切開で1カ月くらい早く出てきたみたいで。2000グラムちょっと。体が弱くてぜんそく、アトピーもあって。しばらく退院できずに入院していたと聞いています」

 はなわ「それがお相撲さんになるなんて。夢を与えますよねえ」

 炎鵬「小学生くらいのときに、未熟児はあとから大きくなると誰かに聞いたことがあって、それを信じて相撲を続けました。でも全然大きくならなくて(笑)」

はなわと真剣な眼差しで対談する炎鵬(右)

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 はなわ「どうして相撲を」

 炎鵬「父の友人が道場を作ることになって、兄が始めたのがきっかけです。でも、自分はまわし姿はださいし、かっこ悪いと思って見ているだけでやらなかった。1年くらい見るだけでした。あるとき、友達が相撲をやりたいと言ってきて、じゃあ、僕もと。で、相撲を取ったらその友達に勝ったんです。面白いなあと。その友達はその日にやめました(笑)。そこからどっぷりでした」

 はなわ「そのころ優勝経験とかは」

 炎鵬「北信越大会優勝くらい。全国は1回戦負けとかですね」

 はなわ「高校、大学とアマチュアで活躍されました」

 炎鵬「ベスト8で負けてしまうことが多かったですね。高校3年生のときとか、逸ノ城関とかとよく当たってたんですよね、準々決勝とかで」

 はなわ「逸ノ城関のせいだった(笑)。プロ入りを決めた理由は?」

 炎鵬「自分では絶対に大相撲へ行くわけがないと思ってました。中学へスカウトに来ていた親方たちも(金沢市立西南部中で同学年だった)輝関を見に来てました。ぼくは小さいからプロは無縁だと思ってました。大学4年のときも就職活動をしてましたから。そんなときに白鵬関から声をかけられたんです。よかったらうちにどうだと。横綱に自分の映像を見せた人がいたようで。そのとき、なんとなく大相撲もありかなって迷ってるときだったんで、スッと入ってきた感じでした」

 はなわ「入門してよかったですね」

 炎鵬「いろいろ悩みましたけど、大学4年生の12月くらいに見学に行って、そのとき横綱と初めて会って、『人生は一度きりだから。仕事は終わってからでもできる。相撲は今しかできない』と言われて。それでかけてみようかなって。第一声でそう言われて、ビビッときて。背筋が震えました」

 はなわ「炎鵬という四股名も横綱がつけてくれた」

 炎鵬「本名は中村なんですけど、中村親方がいますので、つけられなくて。横綱が鵬という字はつけようと。そして炎っていう字が響きがいいんじゃないかと。体が小さいから、内側から燃やしていけと。横綱がこれが一番いいと、つけてくれました。そのときは抵抗ありました(笑)。しっくりこないというか。横綱からは『強くなったら、それが自分の名前になってくるんだよ』と言われて。今場所やっと自分は『炎鵬』なんだなって、なじんできました」

 はなわ「いい四股名です。しかし、関取はかわいい。女の子としてもかわいい(笑)。アジアンビューティーです」

 炎鵬「1回だけ、人生で唯一、似てるって言われたことがあるのが、柳原可奈子さん。女の子なんですけど(笑)」

 はなわ「可奈子ちゃんですか。でも関取は女性人気がすごい」

 炎鵬「大相撲に入る前にもててたかっていうとそうでもありません。でも強くなれば女性の方も名前を覚えくれて、応援もしてくれます」

 はなわ「好きな女性のタイプは」

 炎鵬「蒼井優さん。結婚されて、なんかショックでした(笑)」

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 はなわ「しかし、今までに関取のような力士はいませんよね。そういえば漫画にもある」

 炎鵬「それ、火ノ丸相撲(週刊少年ジャンプで連載中)ですよね。メッチャ言われます」

 はなわ「同じような相撲を取りますしね。もし映画化されたら主役ですね。新入幕の夏場所は惜しくも負け越し。でも、体は大きくなったように見えました」

 炎鵬「幕内に合わせて自然と大きくなったと思います」

 はなわ「白米が苦手だって聞きましたが」

 炎鵬「米だけだとおいしくない。(いつも白鵬関から)もう1杯いけって言われそうでビクビクです。3杯くらいいかないと言われるんで」

 はなわ「白鵬関も入門したころはガリガリだから、稽古したら死んじゃうって(笑)。無理して食べたようです。横になったら食べたものが口から出ちゃうって、立ったまま寝てたって聞いたことがあります」

 炎鵬「それ、聞いたことあります」

 はなわ「それにしても関取の動きはすごい。押されても相手の力が伝わってない感じ」

 炎鵬「理論的なことは分からないんです。ぼくは感覚タイプ。こうやってるからこうなんだとか分からないタイプ。ほんと感覚でやってる。やって覚えたというより見て覚えた感じです」

 はなわ「入門するときに両親は反対しなかった?」

 炎鵬「だいぶ反対されました。公務員になった方が絶対いいって。でも自分はいままでこれと決めたらぶれないタイプなので、決めましたと言ったら『頑張れ』と言ってくれました。大学の先生にも無理だと言われました。でも、自分の中にできるという自信があったんです。学生時代にやり残したこともあった。5歳から相撲を始めて、これで終わりでいいのかって」

 はなわ「関取の相撲人生はこれから。名古屋場所、期待してます!」

対談終わりにはなわ(左)と握手を交わす炎鵬

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<はなわの独り言>自信が最大の武器

 炎鵬関はほんとにさわやかな好青年でした。顔立ちも素晴らしい。プリンスって感じですね。

 日本人の心が揺さぶられるものを全部持ってますよね。性格は誠実でまじめ、そして小さくても強い。まるで昭和の銀幕スターのようなイケメンなんですもん。

 未熟児で生まれた関取って、聞いたことありませんでした。みんなに反対されたけど、関取だけは自信があって入門したと言ってました。そこって大事なんだと、改めて思わされました。

 僕も、佐賀県から芸人になる人なんていない時代で、周りからも絶対に無理だって反対されました。でもなぜか自信があって、えーい、行ったれえって(笑)出てきたときのこと思い出しました。自信というのが最大の武器なんだなって思います。

 夏場所は惜しくも負け越しました。名古屋場所は周りも研究してくるでしょうし、その先も壁にぶつかることがあると思います。でも、人一倍努力をする関取なら乗り越えられます。将来は国民的な力士になることを期待してます!

<炎鵬晃(えんほう・あきら)> 1994(平成6)年10月18日生まれ、金沢市出身の24歳。168センチ、99キロ。本名は中村友哉。同市立西南部中時代は幕内輝と同期だった。金沢学院東(現金沢学院)高、金沢学院大を経て、2017(同29)年春場所、白鵬の内弟子として宮城野部屋に入門して初土俵。昨年春場所に新十両。今年夏場所に新入幕。今場所は前頭14枚目。得意は左四つ、下手投げ。

 

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