アクセスランキング

先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


ヒルコは「ひる湖」?

「ねずさんのひとりごと」は、ドメイン変更をしました。
ブックマークに登録してくださっている方は、登録変更をお願いします。(ドメイン変更日:2019年5月26日)
旧ドメイン:http://nezu621.blog7.fc2.com/
 ↓↓↓
新ドメイン:http://nezu3344.com



人気ブログランキング応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

平成31年度倭塾動画配信サービス受講生募集中


「日本人はどこから来たのか」というお話になると、戦後、決まって言われ続けたことが「海を渡ってやってきた」です。万年の単位で歴史を考えるときは、地形さえもいまとはまったく異なっていたことを踏まえなければなりません。すくなくとも二万年前までは、日本列島は大陸と陸続きだったのです。現代科学がたどり着いた「陸続きだった」という結論のことが、なんと古事記、日本書紀にちゃんと書いてあるのです。


20190626 海
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


古事記や日本書紀に登場する「ヒルコ」のお話です。
「ヒルコ」は「ひる湖」であったのかもしれない。

古事記の「ヒルコ」は、「水蛭子」と書かれています。
イザナキとイザナミが国生みをしたときの最初の子が「水蛭子」で、葦(あし)の船に乗せて流したと書かれています。
「水蛭子」がどのような形をしたものであったのかの説明はありません。
原文も「久美度迩(此四字以音)興而生子、水蛭子、此子者入葦船而流去(くみどに興(おこ)して生みませる子は水蛭子(ひるこ)。此の子は葦船(あしふね)に入れて流し去(つ))」と書かれているだけです。

日本書紀は「蛭児」と書いています。
古事記とは生まれの順番が違っていて、イザナキとイザナミが国生みのあと、大日靈貴(おほひるめのむち、天照大御神のこと)、月神(月読命)を生んだあとに、蛭児が生まれます。
けれどその子は三歳になっても足が立たなかったため、天磐櫲樟船(あめのいわのくすのきのふね)に乗せて流した、とあります。

原文ですと「次生蛭児。雖已三歳脚猶不立、故載之於天磐櫲樟船而順風放棄(次に蛭児生む。三歳になるといえど脚なお立たず、ゆえに天の磐のくすの木の船をいただいて、風のままに放棄(うちすて)ぬ)」です。
そのあとに素盞嗚命(すさのをのみこと)がお生まれになります。

共通しているのは、どちらも読みが「ヒルコ」であることと、「船に乗せて水に流した」という記述です。

この「ヒルコ」について、多くの書が「骨のないグニャグニャ人間」と意訳しています。
しかしそれは疑問です。



『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!

20190317 MARTH


日本書紀の記述は「三歳になっても脚(足)が立たなかった」とあり、これでは骨がないわけではなさそうです。
さらに「ヒルコ」は、大日靈貴、月神のあとに生まれています。
大日靈貴、月神はそれぞれ太陽と月を意味し、「ヒルコ」の次に生まれる素戔嗚尊もまた、その漢字の意味は「大元の鳴動」を意味するご神名です。
それならやはり「ヒルコ」もまた創生の何かを象徴している神様であって、骨なし人間という解釈は成り立ちません。

古事記の記述は国生みの最初の子がヒルコであって、その後には淡路島や四国、九州、本州といった陸が生まれています。
つまり「人生み」ではなく、「陸生み」なのですから、やはり骨なし人間という解釈は妥当性を欠きます。

では「ヒルコ」とはいったい何を指しているのでしょうか。
ヒントになるのが、古事記の書く「水蛭子」と、日本書紀にある「天磐櫲樟船に乗せて流した」という記述です。

古事記が「ヒルコ」と書きたいのなら「蛭子」でも良かったはずです。
にもかかわらず古事記は意図して「水蛭子」と「水」の字を付けて書いています。
つまり「ヒルコ」は何らかの水に関係した事柄を意味しているといえるわけです。

さらに日本書紀では「天磐櫲樟船に乗せて流した」というのですが、櫲樟(よしょう)というのは、くすの木のこと、「磐」というのは、櫓(ろ)の付いた船のことを言います。
わかりやすい例を挙げるなら、古代において地中海交易で活躍した舷側にたくさんの櫓(ろ)の付いたガレー船です。(下図)
20190626 ガレー船と帆船


図を御覧頂いたらわかりますが、ガレー船は舷側に櫓のための穴が開いていますから、地中海のような波のない内海では活躍できますが、大西洋や太平洋のような波の高い外洋での航海には適しません。
ですから大航海時代になって外洋航海が盛んに行われるようになると、船の形も櫓のない帆船に変化しています。
つまり、「ヒルコ」を乗せて流した「天磐櫲樟船」は、何らかの波のない海を往来していた船を意味すると考えられるわけです。

さて、我が国の歴史は、遺跡としては12万年前の旧石器時代にまでさかのぼるものなのですが、人が神話を持ち始めるのは、磨製石器が登場するようになってから以降のこととされています。
どういうことかというと、磨製石器は、誰かが専門に石という硬いものを磨かなければならないからです。
そのためには、集団がある程度の大きさにならねばならず、石器を削ったり磨いたりするという社会的分業を営なむことができるだけの集団は、その集団を保持するための基礎となる集団がなぜ集団を形成しているのかという神話が必要になるとされています。

ですから西欧の文明はおよそ8千年前のシュメール文明における磨製石器の登場にまでさかのぼるとされており、我が国ではこれが世界最古で、およそ3万年前の磨製石器の時代にまでさかのぼることになります。
ということはつまり、記紀に書かれた神話は、3万年前からの長い歴史を、きわめて短い言葉に圧縮して述べているとみることができます。

ところが、万年の単位で歴史を考えるときには、ひとつの注意が必要です。
それが「地形が今と違う」ということです。
2万年前を例に取ると、その頃は地球気温が今よりもずっと低くて、海面は今より140メートルも低かった時代です。
そうなると、いま海中にあって大陸棚になっているところは、ほぼすべて地上に露出します。

気温というのは±1℃違うと、仙台と鹿児島の気温が逆転します。
それが−10℃ともなれば、日本列島は、かなり寒かったであろうということになりそうなのですが、これが実はそうでもないのです。

下の図はベーリング海峡ですが、図の薄い水色のところが現在の大陸棚で、その大陸棚は2万年前には陸地だったところです。
ユーラシア大陸と北米大陸が陸続きだったことはよく知られたことですが、2万年前には、先端部分がほんのちょっとくっついているというようなものではなく、二つの大陸はガッチリと陸続きになっていた様子を図から見て取ることができようかと思います。
図の薄い水色のところが、かつて陸地だったところです。

ベーリング海峡
20190626 ベーリング海峡


このベーリング海峡が、いまは開いている(陸続きでない)ことから、日本列島には北から北極海の冷たい水が南下しています。
これが親潮で、暖流の黒潮と日本列島近海でこの二つの海流が衝突し、そこが素晴らしい漁場になっていることは、みなさまよくご存知の通りです。

ところがベーリング海峡がふさがっていると、日本列島周辺に北極圏の冷たい水が南下しません。
代わって赤道方面から北上する暖流が日本列島を北上してアリューシャン列島方面に抜けることになります。
つまり、日本列島付近は、とても温暖になるのです。

それでも地球気温がいまより10℃も低いのです。
そうなると日本列島よりも、いまの琉球諸島のあたりの方が、ずっと住みよくなります。
ところが、その琉球諸島あたりの地形が、いまとは、これまた全然異なるのです。

20190626 曙海


上の図は、その琉球諸島あたりの地形ですが、図をご覧いただくと、大陸がいまよりもずっとせり出していて、東シナ海はほぼ全域が陸地となります。
そしてそのあたりには名前がついていて、これを北東亜平野と言います。
大陸と日本列島は陸続きで、黄海はまだなく、朝鮮半島は、人が住みにくい奥地の山岳地帯となっている様子が伺えます。

一方、琉球諸島は、いまのように小さな島が点在しているのではなくて、まるで外洋から東亜平野を護るような巨大な岬を形成し、岬と平野部の間には、細長い内海が形成されています。
この内海には、誰が付けたのか「曙海」という名前が付いています。御覧頂いてわかりますように、外洋とつながる塩水湖であり、浅い海です。
2万年前は海もいまよりずっときれいで透き通っていたことでしょうから、この曙海は水底まで太陽の光が降り注ぎ、海藻も豊富で魚たちの天国であるかのような素晴らしい漁場となっていたことは、簡単に想像が付くことです。

そして人間は塩を採らなければ生きていくことはできませんから、こうした漁場があり、しかも波の静かな内海であり、氷河期といえども暖流によってとても暖かな気候を持つこの海の周囲は、人々がとても生活しやすく、しかも豊富な漁場に恵まれることで、相当な人口も養うことができる場所であったであろうことが容易に想像できます。

そしてこの曙海の形をよく見ると、まるで山蛭(やまびる)のような形をしています。
静岡県にある浜名湖は、やはり外洋とつながる塩水湖ですが、名前は浜名湖と「みずうみ」としてのあつかいで、ここもまた、とても波の静かな内海です。
つまり古い日本語(やまとことば)では、陸に囲まれた海を「こ(湖)」と呼んでいたわけで、そうであれば、蛭のような形をした曙海が、かつては「ひる湖」と呼ばれていた可能性も否定できないのではないかと思います。

また、もともとこの曙海(ひる湖)の沿岸に祖代の人々が暮らしていて、その子孫が日本人であるとするならば、海面の上昇によって同族だった人たちが日本、China、Koreaに分かれて暮らすようになったとしても、十分に説明が付きます。
これらの人々は「モンゴロイド」だと言われますが、「モンゴロイド」という言い方は18世紀のドイツの人類学者のヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach)が考案したもので、13世紀にモンゴルの大軍がモンゴル平原からヨーロッパに攻め込んできたから、モンゴルのゴビ砂漠のあたりを根城にする人々という意味でネーミングされたものです。
要するに13世紀の話であって、万年や千年の単位で歴史を考えるときには、まるで関係ない思想です。

もっとも、ChineseとKorean、日本人は、それぞれ外見は多少似ているけれど、DNA的にはまったく種類の異なる人々であることが、近年の研究で明らかになっています。
Chinaの歴史は、王朝の交替の都度、人工の3分の1から半数以上が入れ替わるという歴史です。
曙海(ひる湖)周辺から日本列島とChinaに人々が分かれ住むようになったのは1万年以上も前の話であり、かつ8世紀に書かれた契丹古伝によれば、Chinaの理想郷としての古代の周王朝以前の殷や神話の時代を形成した人々は、皆「倭種なり」と書かれています。
つまりもともとは日本人と同じ種だったわけです。

ところが王朝交代の都度、外来王朝によって激しい殺し合いがあり、その結果、中原と呼ばれるあたりは、外見こそモンゴロイドであっても、DNA的にはまったく種類の異なる人達になってしまう。
そしてそうした殺し合いを嫌ってChinaの周辺の山岳地帯に逃げ込んだ人々の末裔が、Chinaのいわゆる少数民族で、この人達は外見も、性格も日本人と同じで「奪う文化」を持たず、またおもしろいことにその民族衣装は、近年の研究で明らかになった縄文時代の日本人の民族衣装とまるで同じです。
このことが何を意味しているかといえば、大昔にChinaに住んでいた人たち(その人達がいわゆる長江文明の担い手と言われています)が、なぜ倭人(つまり日本人)と共通の同じ人達であり同じ文化を共有していたのかといえば、それはもともと曙海(ひる湖)の周囲で暮らしていた、同じ種であったから、とみることができるわけです。

さて、「ひる湖」の周囲で暮らしていた人々が、気温の上昇とともに、それまで住んでいた土地が水没したために、およそ1万年かけていまの陸地の形状に移り住んだといえるだけの証拠が整いました。
ちなみに与那国島にある海底遺跡は、これは自然に形成された海底地形にすぎないとする説が有力です。

倭人たちの文化というのは、石組みの文化ではなく、古来、木を多用した文化で、木は腐食によって原型をとどめなくなるし、しかも万年の単位の昔のものということになると、考古学的証明はなかなか難しいことです。
しかし地形や気温などからを考えれば、祖代の歴史はこれまでとまったく異なる物語が見えてきます。

古事記、日本書紀は、契丹古伝と同じ、8世紀の初頭に書かれた書です。
そうした太古の昔に人々が住んでいた曙海(ひる湖)が失われ、倭人たちが海によって分けられたという事実を、
 Chinaの古代王朝は皆倭種なり(契丹古伝)
 水蛭子は葦舟に入れて流した(古事記)
 蛭児は天磐豫章船に乗せて流した(日本書紀)
と書いているのではないでしょうか。

古典に書かれていることを、いまの常識で「実話ではない」などと決めつけるのは、知識不足な現代人の傲慢です。
そこから謙虚に学ぶという姿勢を持つとき、はじめて古典は私達の前に歴史を展開してくれるのです。
人は傲慢になってはいけません。

お読みいただき、ありがとうございました。


人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。


講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。

nezu3344@gmail.com

【お知らせ】
<倭塾、倭塾ゼミ・他>
会場は都営新宿線船堀駅前にある「タワーホール船堀」です。
5月19日(日)13:30 第61回 倭塾(401会議室)
6月1〜2日 日心会10周年記念神話を体感する伊勢修養団研修 ※開催場所:伊勢市)
6月8日(土)18:30 第38回百人一首塾(402会議室)
6月23日(日)第62回 倭塾公開講座(307会議室)
7月6日(土)第63回 倭塾公開講座(307会議室)
7月20日(土)第39回 百人一首塾(407会議室)





関連記事

コメント
遠津淡海(とおつあわうみ)
浜名湖はもともと淡水湖で、海につながるのは室町時代にあたる明応7年(1498)の大地震と、その翌年の高波・高潮のため……と考えられております。

浜名湖の古名は「遠津淡海」とされており、淡水湖だったころは「海」だったのです! まあ、縄文時代までさかのぼれば、海だったものが堆積物などで次第に海から切り離されて湖になったものと推定されております。
2019/07/02(火) 11:48 | URL | うなぎ #-[ 編集]
私達を古代に導く道標
古事記?日本書紀?
そんなの…読めないよ~!
ついこの間まではそう思っていましたが、ねず本「古事記 壱~参」と出会い、一気に読みました。
『ねずさんはこう考えました。皆さんはいかがですか?』
分厚い本のページからは、読者目線の優しい声も聞こえてきました。
全く素人の私ですが「ねずさんの切り口は面白いな~」と引き込まれた訳です。

ねずブロを探せば、どこかに詳しい解説もあり、倭塾や講演会でお話も聴けます。
更に、ねず本を繰り返し読んで自分でも考えてみる…そのことの素晴らしさも分かりました。

学会が認めない?
学者でも無いし権威も無い?
ねず本とねずさんを批判する狭い論考やサイトがあります。
え~っ!
書いちゃいけないこと?
そんな筈はありませんね。
記紀の解説…書き方や読み方は色々あっていいと思います。

ねず式現代語…私達を古代に導く道標…ねずさんは既に立派な学者だと思います。
2019/07/02(火) 09:04 | URL | takechiyo1949 #-[ 編集]
国生みの話なのにヒルコだけがまるで生き物のように解説されてあることを、ずっと疑問に思っていました。
ヒルコは国、または人々の集合体として存在していたけど、統治に失敗したか、アトランティスのように沈んだか、だと考えていました。
2019/07/02(火) 09:00 | URL | #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
*引用・転載について
ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

スポンサードリンク
カレンダー
06 | 2019/07 | 08
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
このブログをリンクに追加する
リンク2
スポンサードリンク
<
カテゴリ
月別アーカイブ
スポンサードリンク
解析
スポンサードリンク
ねずさん(小名木善行)著書
↓最新刊↓


↓好評発売中↓








ねずさんメルマガ
ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ
ご寄付について
ねずブロはみなさまのご支援で成り立っています。よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号番号 00220-4-83820
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

講演のご依頼について
最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

講演テーマ
<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
その他ご相談に応じます。
検索フォーム
スポンサードリンク
関連サイト
祝日には国旗掲揚を!
御国旗セット
¥2,190

大型御国旗セット
[ステンレス製3mポール付き]
¥4,800

御国旗伸縮ポールセット【大サイズ】
¥3,000

御国旗セット L
[ マンション設置用 Lタイプ テトロン 国旗 ]

台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
お薦め書籍1

日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本


江戸の自治制


幻の黄金時代


ドキュメント自衛隊と東日本大震災

スポンサードリンク
コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
最新トラックバック
AdSense
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
amazon
通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
https://docs.google.com/file/d/0B9Dh1-gISO9CZERHN2oxempSeEk/edit
ねずブロの拡散・転載について
当ブログの日本の心を伝えるための適法かつ前向きな拡散はおおいに歓迎です。 ただし適法な引用でないと、著作権侵害で処罰されることがありますのでご注意ください。
RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
スポンサードリンク