(cache)「強いられた自立」 : 路地裏の古いメゾンから

エキサイトブログ

このブログの更新通知を受け取る場合はここをクリック

路地裏の古いメゾンから

「強いられた自立」






先日読み終えた「明日の子供たち」(有川浩)は、
児童養護施設の話ですが、
中に「強いられた自立」という言葉が出てきます。


頼るべき親族を持たない子供が、
遅くとも、施設を退所する18歳の時点で、
否応無しに自立せざるを得ないことを、
そんな風に言うのです。




私が最後に勤務した高校にも、
各学年に数人ずつ、施設で暮らす生徒がいました。

この子たちは卒業後、就職していきますが、
就職先の必須条件として何よりもまず、
「社員寮完備」であることが優先されます。

それでも、ずっと同じ職を続けている子が、
果たしてどれほどいるのか…



学校というところは、あくまで在校生中心なので、
卒業後の生徒の動向までは把握できないのですが、
それは、施設も同様らしく…

「明日の子供たち」には、
退所後の子供たちに予算も人員も時間も割けない、
児童養護施設の実態が描かれていました。



施設や学校から離れ、
社会という大海に放り出された子供たちは、
どれほど心細い思いをするのだろうか…


あまちゃんの私には想像すらつかないのです。



ただ、施設から来ていたかつての教え子Tが、
卒業後就職した温泉ホテルの社員寮の窓から、
身を投げて命を絶ったことだけは、
あれから15年経った今も忘れることはありません。

Tはまだ18歳、
就職して半年も経たない頃のことでした。








そして、そのTと同じクラスだった夫…
夫もまた、半分「強いられた自立」をした人です。

b0320843_10590106.jpeg

夫は高校入学時、既に、
血縁関係のない「父親」と妹2人との、
4人家族でした。

最近初めて夫から聞いたのですが、
その頃、実母は知人の借金の保証人として、
数百万の借金を背負ってしまい、
それが元で家を出たのだとか…

残された夫と妹たちは、
母親の再婚相手である「父親」と暮らしていましたが、
夫が高1の時、その「父親」が遠くに引っ越すことになり、
夫は「父親」と決別し、
退学して自立することを考えたのです。

でも、夫が当時付き合っていた彼女の家に、
あくまでお金を払い「下宿」という形で住ませてもらう、
ということになり、退学は免れました。

↑ このことは当時、職員会議にもかけられ、
校長の責任の下、
他校に通う女子生徒の家で暮らすことが、
特例中の特例として認められたのです。
(今となっては、笑)

確かその時、夫は、
「彼女の家に住んでいることを他生徒に言わない」
ことを、約束させられていたように記憶しています。





そんなわけで、彼女の家で下宿することになった夫は、
学校に来るよりコンビニでのバイトに精を出し、
下宿代、高校の授業料、自分の食費などを、
バイト代で賄うようになったのです。

ただ、保護者名義での修学旅行の積み立てが、
全くできていなかったことが旅行直前にわかり、
その時は隣県の祖母が旅行代を出してくれました。

この年、3名の生徒が、
経済的事情で修学旅行に行けなかったのですが、
それは施設の子ではありませんでした。

施設の子供たちはむしろ、
そういった費用は間違いなく出してもらえるのです。






夫は、幸い、裕福ではないけれど、
愛情ある祖父母に恵まれました。

金銭的に頼ることは修学旅行以外にはなかったにしても、
心の拠り所として、ずっと祖父母は存在してくれてました。
(それは今も。)





仕事に打ち込み、どんどん夢を叶えて、
今、自信が漲っている夫。
とても強気なので(私もだけどね)、一緒にいると、
時々、カチンと来ることもあれば、
イライラさせられることもあります。



でも、「この人も半分『強いられた自立』だったんだな…」
と思うと、腹も立たなくなるのです。

かわりに「よく頑張ったね、えらかったね。」
という思いが溢れ出し、夫を褒めてあげたくなるのです。





大人になった夫。
これからは、自分に近いような身の上の若者に、
何かしら、できることがあるのではないかと…
少しずつ私も一緒に考えているところです。











にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村





PVアクセスランキング にほんブログ村







このブログの記事一覧を見る
ページ先頭へ