「強いられた自立」 2019-07-01 19:35 先日読み終えた「明日の子供たち」(有川浩)は、児童養護施設の話ですが、中に「強いられた自立」という言葉が出てきます。頼るべき親族を持たない子供が、遅くとも、施設を退所する18歳の時点で、否応無しに自立せざるを得ないことを、そんな風に言うのです。私が最後に勤務した高校にも、各学年に数人ずつ、施設で暮らす生徒がいました。この子たちは卒業後、就職していきますが、就職先の必須条件として何よりもまず、「社員寮完備」であることが優先されます。それでも、ずっと同じ職を続けている子が、果たしてどれほどいるのか…学校というところは、あくまで在校生中心なので、卒業後の生徒の動向までは把握できないのですが、それは、施設も同様らしく…「明日の子供たち」には、退所後の子供たちに予算も人員も時間も割けない、児童養護施設の実態が描かれていました。施設や学校から離れ、社会という大海に放り出された子供たちは、どれほど心細い思いをするのだろうか…あまちゃんの私には想像すらつかないのです。ただ、施設から来ていたかつての教え子Tが、卒業後就職した温泉ホテルの社員寮の窓から、身を投げて命を絶ったことだけは、あれから15年経った今も忘れることはありません。Tはまだ18歳、就職して半年も経たない頃のことでした。そして、そのTと同じクラスだった夫…夫もまた、半分「強いられた自立」をした人です。夫は高校入学時、既に、血縁関係のない「父親」と妹2人との、4人家族でした。最近初めて夫から聞いたのですが、その頃、実母は知人の借金の保証人として、数百万の借金を背負ってしまい、それが元で家を出たのだとか…残された夫と妹たちは、母親の再婚相手である「父親」と暮らしていましたが、夫が高1の時、その「父親」が遠くに引っ越すことになり、夫は「父親」と決別し、退学して自立することを考えたのです。でも、夫が当時付き合っていた彼女の家に、あくまでお金を払い「下宿」という形で住ませてもらう、ということになり、退学は免れました。↑ このことは当時、職員会議にもかけられ、校長の責任の下、他校に通う女子生徒の家で暮らすことが、特例中の特例として認められたのです。(今となっては、笑)確かその時、夫は、「彼女の家に住んでいることを他生徒に言わない」ことを、約束させられていたように記憶しています。そんなわけで、彼女の家で下宿することになった夫は、学校に来るよりコンビニでのバイトに精を出し、下宿代、高校の授業料、自分の食費などを、バイト代で賄うようになったのです。ただ、保護者名義での修学旅行の積み立てが、全くできていなかったことが旅行直前にわかり、その時は隣県の祖母が旅行代を出してくれました。この年、3名の生徒が、経済的事情で修学旅行に行けなかったのですが、それは施設の子ではありませんでした。施設の子供たちはむしろ、そういった費用は間違いなく出してもらえるのです。夫は、幸い、裕福ではないけれど、愛情ある祖父母に恵まれました。金銭的に頼ることは修学旅行以外にはなかったにしても、心の拠り所として、ずっと祖父母は存在してくれてました。(それは今も。)仕事に打ち込み、どんどん夢を叶えて、今、自信が漲っている夫。とても強気なので(私もだけどね)、一緒にいると、時々、カチンと来ることもあれば、イライラさせられることもあります。でも、「この人も半分『強いられた自立』だったんだな…」と思うと、腹も立たなくなるのです。かわりに「よく頑張ったね、えらかったね。」という思いが溢れ出し、夫を褒めてあげたくなるのです。大人になった夫。これからは、自分に近いような身の上の若者に、何かしら、できることがあるのではないかと…少しずつ私も一緒に考えているところです。にほんブログ村