タイカレー「極み」 暴露の中で辛さ極めていきます | 世界はあたしのお庭なの

タイカレー「極み」 暴露の中で辛さ極めていきます

泣く前にさあ、ちょっと頭使ってくれる?って思うことって結構あるんだよ。
今のあたしはホントそう思うね。
無知だった頃のあたしは、涙を見て気持ちを汲み取ろうとしたり、気持ちが楽なれたら良いねと思ったりもしたけど、今は一切無い。
本質を分からずに流す涙はくだらんと思うし、泣いていても同情はしないし多目にもみない。
「その見臭い顔どうにかして」と思うわ。


あたしは父が亡くなってから、母と何度もやり合った。
酷いぶつかり合いだったね。
夫もやった。

あたしは子供の事や役員の仕事、家二件は軽く建つだろう畑の仕事、子供の付き合いで始めた茶道や気付けでとても忙しかった。
それをどうにか緩和しようと、耕運機、草刈り機等々の使い方を覚えては仕事時間の短縮をはかり、緑肥等を取り入れて耕作地を減らす対策も自分で考えて行ったりした。
畑など一切知らなかったけれど、専門書を読んだり、ネットで情報を集めたりして知識を詰め込み実践した。
専門書のように上手くいかないことは日常茶飯事で、年によっての天候の変化や害虫の変化には、よく頭を悩まされた。
父と母は呑気だった。
そういった学びは殆どせずにあたし任せ。
じゃああたしにやり方を任せてくれるのかと思えば、大根は絶対に100本植えると言う。
玉ねぎもかなり植えた。
管理が大変になるし食べきれないと訴えても、全く聞く耳持たず。
夫は婿だからと家のことにはいつも無関心。
取りすぎた野菜はいつもあたしが管理と処理をして、腐ったものを沢山捨てたりもした。

それでも畑は楽しかった。
泥が付いた体を不意に触る風は、何より心地よく、漸く育った野菜達はいつもあたしを笑顔にしてくれた。
殺さないと野菜が育たなかったから、いつもごめんねと言いながら虫達を殺した。

そんな中でも、あたしは父の病をあたしなりに支えた。
何処かが悪いと言えば、ネットや本で原因となるようなものを調べては、処置や対処の仕方を探した。
遠方の病院で大きな手術を受ける時は、役員の仕事で帰りが遅くても、朝早く父を送ったり迎えに行ったりもした。
治療等の内容を聞きに通った。

自分の時間など無かったけれど、そこはやっぱりあたしで。
行く先々にある美味しいものを調べては、しっかり食べて帰ってきた。
忙しくても楽しむことは忘れない。
それだけでストレスは無くなり、やる気満タンになる。
あの頃聴いていたGReeeeNの曲にも元気付けられた。
どんな人達かは知らなかったけど、曲だけで元気を貰えたのでそれで十分だったね。

そんなあたしを、夫も母も分かってくれることは無かった。
母は父が亡くなった後、伴侶を無くした自分は心の支えを失ったからしんどいのだと泣いた。それはあたしも同じだと言っても、お前には分からないと言われた。
他にも色々言われたよ。
あたしは夫と上手くいってないことを母にはちゃんと話していた。夫には本当の意味で支えて貰ったことは一度もない。
あたしは始めから支えなんて無かったよ。
生まれてその頃までの間に、頼らせて甘えさせてもらったのは、子供の頃に大好きだった曾祖母だけ。あたしの全てを受け入れて甘えさせてくれた人だった。
自立するような年になってからは、心をさらけ出して気楽に人を頼ったことなんて無い。
父は母の我が儘、出来ないこと、やりたくないこと、性格等を、それなりに受け止めれられた人だった。
生涯の殆どを家中心に過ごし、外の人間や他の異性と関わらなかった母は、自分がとても周りに恵まれていること、やりたくないことは他の家族が得意な分野として請け負ってくれていたことを全く分かっていなかった。
それは夫も全く同じ。
夫も外の厳しさに当たらない生き方をしてきたし、結婚後はそういう部分をあたしに任せて関わらない人だったから。
だからストレスの溜まることに免疫がなく、キャパオーバーになると感情的になって八つ当たりをしてしまう。
父を亡くした辛さも大変さも、親だ子だ関係なくあるもだね。
単に亡くなった人との関係性が違うってだけで、悲しみや苦しみが違うかというと、そうではないだろう。
苦しさが大きくなると、人は自分を中心に考えがちになる。他者の苦しみよりも自分の苦しみを取ることに躍起になる。
その結果が八つ当たりになったり、愚痴になったりする。

そんな最悪な時に心の支えになったのは、子供達と…茶道や着付けで出会った女性達だったね。

茶道で出会った人達はみんな苦労人。
楽な人生を歩んでる人はいない。
10代の若い子にしても、自分をしっかり持っていて、周りに流されずに問題や現実と向き合っていたりする。逃げない。
みんなそれぞれが大変な思いをしていても、少しだけ愚痴る程度で、いつも前を向こうとしてた。しんどい中で淡々と今やるべきことをこなしてる人もいた。
強い。
そしてカッコ良かった。
そんな人達は、「お茶に来ると心がリセット出来る」と言った。
あたしも同じだった。
お手前に集中すると気持ちが凛とする。そして終わった後はスッキリ。
生徒さん達との会話は内容が色々で、いつも楽しく新しい発見があった。

言いにくいことをハッキリ言う人、場を和ませる人、フォローを上手く入れる人、見落としてる所を的確に指摘してくれる人、そしてそれぞれの個性を受け止めて柔軟に対応してくれる先生。
美味しいお菓子を買ってきてくれ、男性的視点で面白い話をしてくれる旦那さん。
色んな個性の色んな人がいた。
どの人も他の生徒さんの個性やあり方を批判することは無かったし、世間のあれこれに流される人達じゃなかった。自分を卑下もしないし傲りもしない。
無理せず自然に付き合えた。
家には無かった広い世界が、茶道教室にはあった。

着付けで出会った人達もそうで、いつもリフレッシュ出来る空間をもらっていた。
ただ、様々なことが大変になっていくなかで、着物の勉強を続けていくことがとても難しくなったため、着物は楽しむだけのものになっていった。
着物の講師もいいなあと思ったけれど、今は楽しむだけで十分。それが一番合っている。
やることに苦しさを感じ始めたら楽しくなくなるからね。
自分のペースでやるのが一番だよ。

尊敬出来た人達を見てきたからだろうね。
尚更、母や夫の見えてない部分に疲れたりもした。
父の死後は、二人にどれだけ怒鳴ったか分からない。理解してもらえることは簡単じゃ無かったけど、色んな視点で話をしてみたりもした。
それでも難しかった。
固定された考えやあり方があると、それを崩すのは本当に苦労する。
今は二人ともいい感じになった。
このまま進んでくれたら良いと思うし、もっと広い視野で見れるようになってくれたらと思う。

妹はそんなあたしの苦労は全く分からないし、分かろうとしてない所もあるので、母よりになるととても困る時はあった。
妹はあたしに比べて涙脆い。感情的になりやすいね。
母はそんな妹を感情で受けとる。
普段離れているから余計になのだろうけど、感情で受けとるほど面倒なものはない。
直ぐに同情したり、共感したりするから厄介だ。
あたしはこういう質なので可愛気はないし、感情では受けとらない。

母は、離れていて一人で苦労しているように見える妹を、つい思ってもしまうんだろう。
だけどアイツは楽だと思う。
確かに色々と大変さはある。
だけど妹程度のものは、誰もが持っているくらいの苦労だ。
夫婦と子供だけの世帯の身軽さ、介護のなさ、子供の成長度合いを見ると、我が家の大変さの半分もいかない。
これは冷静に分析した上での事実だ。
父の死後の大変さを全く目の当たりにしてもいないしね。
自殺した父、父の身に付けていた物を片付けたのは全てあたし。
泣いていた母や妹、見れないと言った夫がやらなかった始末を全てやったけれど、皆は辛いだろう、あたしなら出来るからと思って気にならなかった。
その心遣いが、彼らを我が儘にしたのだろうか?と思ったよ。
やらせたら分かったろうか?ってね。
父の死の時、涙は一滴もでなかった。
兎に角こなす、それを優先した。
誰もやらないし、やりたがらないから。
誰かがやらないと終わらないだろう。悲しんでいる暇も頭もなかったね。

ただ…父の姉だけは違ってた。
彼女は変わってるところがある面白い人で、父のお通夜の時には、腹が痛くなるまで笑わせてくれた。
お通夜にバカ笑いって…って感じだけど、自殺した父を見送る時に笑えたのは、あり得ないくらいの癒しになった。
辛くてもそれを見せない人。
だけど、本の一瞬見せる悲しそうな表情は今でも覚えてる。

本当に苦しい時に淡々と生きれる人はそういない。本当の意味で人を笑わせることが出来るのは、浅いリアルで感動して涙したり、本質を見ずに評価する馬鹿では無いことは確かだね。

ここまではあたしのことを書いたけど、今度は馬鹿な者達の話を書こう。
うちの家族は成長したよ。
でもこれから書くのは成長出来ない馬鹿の話。
馬鹿は幾つになっても馬鹿なんだろうね。
いい加減成長して欲しいと願ってやまないわ。