→三島弥彦の家で女中をしていたという起点はあります。
それにしては、金栗との関係ばかり強調されて、三島とはそうでもない。
三島がシマの死を悲しむ場面は、あまりに希薄でした
◆シマはテニスではいけなかったのか?
→シマが目指したのは、陸上なのか、オリンピックなのか?
このあたりが曖昧でした。
金栗が当時既に女子テニスがオリンピック採用していたことを当然知りながら、それをシマに指摘しない流れは奇妙でした
◆シマの能力がよくわからない
→三島家の女中から始まり、教員になり、人見絹枝の才能を見抜き、金栗以上のセンスでスカウトする。
才能に関する描写が不足していて、チートキャラ感があったものです。
◆「冷蔵庫の女」
→「冷蔵庫の女」という言葉があります。アメコミ界隈で指摘され始めました。
これはヒロインが殺されて、冷蔵庫に詰められて、それを発見したヒーローが号泣するパターンです。
女の死体を前にモチベーション高めるのはもうやめーや、ってこと。
別に冷蔵庫に入らなくてもよいのです。死体がなくともよい。
可愛い女性が死んで、その死を前に何かを誓うパターンってことですよ。やれやれ。
ちなみにこの概念への問題提唱は20年前です。
アメリカでは卒業生も多いこの概念ですが、日本では一向に下火になりません。
白血病から奇妙な病気まで。
女子高校生の彼女から花嫁まで。
今でもフィクションでは愛くるしい女性が夭折していきます。
そういう死にゆく美女が一つのジャンルとして成立しちゃっていると。
どんだけ若い女の死体の前で、ワンワン泣いて、誓いを新たにする現象が好きなんですか?
今はもう2019年なんですよ?
シマの不自然さ、御都合主義、チートっぷり。
全て死体になった時に女神として祀るためだったってことですかね。
◆幽霊は神様になる
→シマの幽霊が聖火リレーぽかったとか。シマのために運動会とか。
シマが膨大な死傷者代表者として機能していて、シマの夢が被災者の夢集合体のような扱いであるのは、一体何なのでしょうか?
シマの夢を叶えた=次世代に思いを引き継がれた!
って、シマはいつのまに女神になりましたか?
史実でも金栗が、女子体育指導をしたことは確かです。
ただ、彼の功績の中で取り上げるほど重要であるのかどうかは疑問が残ります。
その描き方におけるジェンダー描写の周回遅れぶりも、ちょっと理解に苦しんだものですが、それも納得できました。
チート枠女神を作り、葬り、その死を掲げてオリンピック開催を正当化したかったんですね。
ナゼこうなるのか?
ナゼ、こんな手垢のついた女の死というパターンで、
「感動しました!」
「わからない奴こそおかしい!」
となるのか?
それは、大河が日本の国民的ドラマということも大きいのでしょうね。
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分析欠如という危機
◆日本人はなぜ「論理思考が壊滅的に苦手」なのか 「出口治明×デービッド・アトキンソン」対談 | 国内経済 - 東洋経済オンライン
いちばんの原因は、日本人が「分析をしない」ことにあると思います。
この対談でズバリと言い切られること。
それが大河のドツボだと感じます。
ガチガチに論理的な思考が背後にある大河も、ないわけではありません。
論理的な表裏比興ワールドの『真田丸』が最たる例でしょう。
『おんな城主 直虎』も、女だからダメだと決めつける相手を、論理で殴りにいく主人公と寿桂尼が奮闘していました。
しかし、そうではない大河も多い。
これは散々指摘して来たことですが、昨年の『西郷どん』では、戊辰戦争全体の使者よりも、西郷吉二郎という主人公弟の死が、大きく扱われました。
これも分析しないからでしょう。
ともかく近親者の死に大仰に泣く場面を見せれば、それで感動したという声が溢れると。あるいはSNSでパーっと盛り上がる要素とか。
それだけでは物足りない。
面倒なことが気になって仕方ない視聴者もいるわけです。
じっくり分析して、伏線を回収しているかとか。
整合性があるかとか。
時代考証としてあっているのかとか。
そういうことを言い出すと、こんなことを返される始末です。
◆「西郷どん」最終回、西郷の『最期』に歴史好きから批判殺到! 「史上最低大河」「変な死に様」...
「せっかく感動しているのに、水を差す歴史好きって本当に空気が読めなくてウザい」
ってか。
それこそが大河がドツボにハマった要因でしょうに。
歴史好きだから大河を見ている層が、こういうわけのわからない言いがかりをつけられる。
「歴史好きは、素直に大河を楽しんでいない」
一体何を言っているのでしょうか。
まるで魚屋に来た客を、こんなところで魚を欲しがるなんておかしいと非難するようなものです。
本当に歴史ドラマなのか。
歴史好きがじっくりと味わって見ていたのか。
ノリで感動させればいい、そういうコスプレホームドラマでなかったと、自信を持って言えますか?
まぁ、もういいでしょう。
VODによって、これも真逆になるでしょうから。
・お客様は日本人だけではない
・つまり日本人相手のローカルルールより、海外優先
こうなります。
これはチャンスですよ!
日本史情報を多国語で発信できることが、これから先重要になって来ます。
『ゲーム・オブ・スローンズ』は大河よりも登場人物が多く、はるかに難解です。
それでも大ヒットした。
あのドラマの最終シーズンにクレームが殺到したのは、難しすぎたからではありません。
張り巡らせた伏線回収が雑であったからです。
ダメ大河は世界の歴史ドラマトレンドと真逆ってことですよ。
そうそう、『ゲーム・オブ・スローンズ』伊達政宗版についてですが。
『ゲーム・オブ・スローンズ』がヒットした原因は、先読みできないからという分析があります。
だから政宗ドラマはダメだって?
それなら大河はじめ歴史ドラマは全部ダメじゃないですか。
これは大間違いです。
原作がヒットしていたからこそ、ドラマ化されました。
途中までは原作既読者もかなりいたのです。ドラマが原作を追い越してしまっただけで。
ジョン・スノウ出生の秘密も、原作ファンでは予測済みの要素でした。
死者=神の危険性
このパターンは、NHK大阪朝ドラでも二作連続やらかしました。もっとひどい形ですが。
主人公周辺の死者が幽霊となって登場し、そのお告げを聞くと物事が成功するパターン。
大河にそんなもの流用せんでもいいでしょうに、死者を利用した世論誘導そのものです。
昨年の『西郷どん』でも、西郷がしきりと戊辰戦争の使者を代弁していましたっけ。
死者の代弁は、危険なことだとご理解いただいておりますか?
日本が戦争中どれだけ、ここで屈してはこれまでの死者に申し訳ない、立派な死者を見習えという理屈で、撤退を逸してきたことかって話でもある。
シンデモ ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ。
爆弾三勇士。
軍神。
そういう危険性に無自覚のまま、震災死者を利用したオリンピック推進という、特定の思想を受信料で流す。
近現代史を扱うドラマを作りながら、そこに無自覚なわけがないでしょうに。
ましてやあのクドカン氏が?
この一点だけでも、本作は大河ドラマの歴史において、逸脱できない場所へ踏み出したと言わざるを得ません。
そういう諸々の苦味を、どうすればごまかして感動させられるでしょう?
スポーツ。
オリンピック。
やたらと叫ぶ主人公。
健気ではちきれん若さを持つ女学生たち。
可愛い赤ん坊。
SNSでの声を大仰に取り上げて、低視聴率を中和させる。
よく混ぜて、可愛くて健気なシマちゃんの笑顔という糖衣でくるんで、はいおしまい。うまい手かもしれません。
しかし、納得できない者もいる。
【震災被害者の願い】
【スポーツこそ娯楽の王道】
【だからこそオリンピック】
この三位一体は危険でした。
いくら視聴率が低迷しているといっても、まだ視聴者数は多いわけです。
しかも大河ドラマは、他のドラマと違って圧倒的に視聴者から【事実】と認定されやすい。
いわば見る教科書です。
そのせいで弊害も過去には起きています。
あなたは考えすぎ、大げさと笑い飛ばすかもしれませんが。
100人中99人はそうでなくても、たった一人でもこういう人がいて、かつ攻撃に向かったら。それはもう有害です。
「建築資材高騰もあるし、人材も競技場建設に取られる。復興が減速しかねないから、東京五輪には、被災者として反対だ」
「被災者だからこそ、五輪には賛成しなきゃダメでしょ! 被災者の慰霊、あなたたちを慰めるために、国家規模で五輪を開催するんだ。それに被害者であるあなたが反対するなんて、おかしい、異常だ、それでも本当に日本人なのか!」
そうシマちゃんの亡霊を振りかざして、言う人が出てきたら。
これはもう、超えてはいけない一線を飛び越すわけです。
◆クローズアップ:五輪施設、閉幕後は赤字 予算削り設備半端 - 毎日新聞
どうにもそのあたり、作り手も、楽しみ側も、あまりに無邪気に思えて、怖いものがあります。
戦国時代の大河に幽霊が出てくるのとは、まるで違いますからね。
政治的な現実との距離感が、近年大河において『いだてん』は最も近い。
作る側は自覚的でしょうが、見る側はわかりません。
ここが大きな問題点なのです。
ここまで記念な綱渡りをする理由は?
わかるようで、わからない。
果たして10年後、このドラマを見ることができるのか?
それとも永久お蔵入りか?
出演者や関係者は、その頃笑顔でバイオグラフィーに書けるのか?
判断が難しいところですが、私は悲観的にならざるを得ません。この一点でも、非常に問題がある作品として扱わざるを得ないのです。
こんな有害かつ、半世紀前ですらうっすらと古い表現を使っておきながら、
「革新的だからこそわかる人にはわかる」
というアピールは何の冗談かと思いますよ。
「冷蔵庫の女」でオリンピック開催をアピール。
そんな作品が斬新で革命的、若者からは高評価!って、本気じゃありませんよね?
シマはまだ架空キャラクターだけに、ましかもしれません。
人見絹枝の早すぎる死を踏まえて、「号泣しちゃう!」というSNS投稿を見かけました。
うーん……人間が早死にするのは、感動ネタになりたいからではないはずです。
夭折した人で涙を流そうとハンカチを握りしめる。
これは果たしてよい趣味でしょうか。
分析すれば、そこに“怪現象”はない
◆NHKも困惑『いだてん』大河史上ワースト視聴率でも高評価溢れる“逆転現象”の珍事
これはどうでしょうね。
逆転も含めて、この手の現象はあります。
2009年『天地人』です。
あの作品は、戦国大河最低とされ、放映当時から大ブーイングまみれであったものの、視聴率はそれなりに高かったのです。
当時の戦国時代ブームが背景にあるとされています。
視聴率の高さとクオリティが一致しないことは、把握できているはずです。
それに、高評価ばかりになるのは、低評価をしていた層が見限り呆れて、単に沈黙しているという可能性もあります。
熱狂的なファンだけが残り、声高に多重投稿をしていれば、それは盛り上がっているように見えるでしょう。
やっぱりこういうネットニュースの評価、その動きそのものが気になるところです。
どの媒体かどうか?
ご判断はお任せしますが、序盤は厳しい評価であったところがあります。
それがここ最近になると、絶賛一辺倒なのです。
まぁ、ただその根拠がSNS投稿の指針なのはご愛嬌。基準を明確にして、自分の頭で考えて出しているとも限らないわけです。
そろそろ、真剣にテレビ全体の危険性を考えてみませんか。
視聴率という基準そのものが時代遅れであり、世界でもそれを扱っている方が少数派だと、何度か指摘してきました。
新基準は早急に必要です。
大河だけではなく、テレビ業界全体がそうです。
視聴者数のような、世界にあわせた新基準が絶対に必要でしょう。
その対応を間違えると、VOD時代に対応できません。
その新基準とは、あくまでデータとして分析できるものであり、計測不能基準では危険なのです。
では、具体的に何が危険か。
ここが重要です。
視聴率に替わる評価基準として、インターネット普及に伴うネットの口コミが広がりました。
掲示板とSNS投稿もそうです。
ただ、これも残念ながら2000年代から2010年代のトレンドであり、もはや時代遅れと言わざるを得ない。
私もかつては口コミサイトを見て、通販サイトレビューを参考にして、購入のヒントとしたものです。
あるいは映画サイトのレビューも、参考にしました。Rotten Tomatoesはよく見たものですが。
ただ、ここ最近はそれが時代遅れかつ有害と理解されています。
1. 業者買収や工作がある
→罪のないものでは「このお店評価に五つ星をつけたあなたは、デザートをプレゼント」というものでしょう。
悪質なものは、クラウドソーシングのこんな仕事です。
「あのトピックで悪意ある投稿をする方、募集中!」
2. 私怨
→ユーザー側の勘違いで操作できないアプリとか。
作品を見ていないけれど、関係者が嫌いだとか。
そういう私怨由来で、星一つを投稿する。そういうレビューもあるものです。
3. エコーチェンバー
→SNSにおいて、価値観の似た者同士で交流し、共感し合うことにより、特定の意見や思想が増幅されて影響力をもつ現象。攻撃的な意見や誤情報などが広まる一因ともみられている。
コトバンクより引用
4. ノイジーマイノリティ
→派閥の中で、決して多数派ではないものの、声高な主張を繰り返すことで大いに目立ち、印象の残りやすい派。
インターネットとは、この二派の独壇場とも言える場所です。
IPアドレス、アクセスログ、文体を解析すればそのあたりの判別はできるものですが、そこまで腰を据えて対策を取るには不十分でして。
評価基準は過渡期にある
大河評価は、まさにこの過渡期にあたります。
視聴率ではなく、口コミとSNS投稿熱気で評価すればいい。
そういう着地点を見いだしつつあります。
視聴率が最初から一桁であれば、こうしたこの報道はタイミングが違ったのかもしれない。
しかし、最初期は『西郷どん』以上という評価でしたね。
これがある意味、まずかったのかも。
2桁を切ったあたりから、視聴率テコ入れを狙い始める(初春)
↓
しかし、効果が上がらない(春)
↓
視聴率テコ入れを放棄、予算削減、スタッフ異動。
来年での復活と【ネット評価は高い】路線に舵を切った(初夏)
初めから【ネット評価は高い】に絞っていれば、春から初夏にかけての【視聴率テコ入れによる乱れ】もなかったんでしょうけどね。
残念です。
一桁になると、ナゼ予想できなかったのか。
難しいことではなかったでしょう。
あるいは予想したうえで、対策を立てられなかったのか。
そしてこの【ネット評価は高い】路線について考察しますと……繰り返しますが、これは危険です。
大河ならばここにファンアートを加えてもよいでしょう。
ハッシュタグと共に投稿されるものです。
ある大河で、それを奉納したことから、熱が盛り上がったと感じております。
作品そのものに罪はない。
作者にも何も言いませんが。
しかし……実にこれが危険なものでして。
1. アリバイ利用
→とある大河では、公式サイトでこの絵を募集しておりました。
そりゃNHK公式で取り上げられるとなれば、そのために描く人もいるでしょう。
これがさらに発展すると、実在の人物が題材である大河ドラマであるにも関わらず、BLで盛りあげろと公式がせっつくようになりました。
ファンによる二次創作の、押し付けがましいアリバイ利用に他なりません。
2. アンチ利用
→これは大河ではなく、NHK別ドラマですが。
「このドラマのアンチではありません」と言いながら、悪意が滲んだファンアートを投稿する方がおりました。
本当にアンチでないのであれば、それは申し訳ないとは思いますが。
そのイラストをネタにアンチ同士が盛り上がり、そのいじめマインドそっくりをしておりまして。
そのやりとりに、なんだかギョッとさせらたものです。
風刺画ならばよいとは思います。描くことは当人の自由。
とはいえ、それでもってハッシュタグで盛り上がるっていうのはなぁ……。
これはもう、一線を超えておりませんか。
【有害なファンたち】の弊害
ユーザーレビュー多重投稿と工作の弊害は、海外ではもう認識され、対策が始まりつつあります。
◆米レビューサイト「Rotten Tomatoes」劇場公開前の観客評価機能を終了 ─ 『キャプテン・マーベル』への荒らし行為に対策講じる
いま、映画業界においてひとつの問題となっているのが「悪質ファン問題」だ。米国では「Toxic Fandom(有害なファンたち)」と形容されることも多いが、映画ファン、あるいはシリーズのファンでありながら、作品や関係者への攻撃行為を繰り返す人々のことである。
これは映画だけではありません。
有名タレントや歌手に対して、批判的なことを言った相手。
その作品を低評価した評論家やライターが、執拗な攻撃、犯罪まがいの脅迫を受ける例もあるとか。
こうした行為をするファンは、十代と考えられがちです。
しかし性差はなく、中年であれどもあえると分析されています。
その代表例が『スター・ウォーズ』です。
◆暴走する『スター・ウォーズ』への愛が招いた“事件”から、「正しいオタク」のあり方を考える
ナゼ、ある大河やドラマが好きだからと、同じ枠の新作を叩くのか?
その答えが端的に説明されていました。
新しいヴァージョンは以前の作品を酷評しているように感じ、愛する人々への攻撃にも思えてしまうのだろう。
そしてここです。
誰でも映画について意見をもつ権利がある。実際に映画をつくる人間に、直接その意見をぶつける権利もあるだろう。
しかし、どう控えめに見ても、ネット上での嫌がらせは無礼な行為だ。エンターテインメント業界の多国籍会社に対して「自分が望む映画をつくってほしい」と要望を伝える権利はある。もし映画会社がその希望に応えてくれなかったなら、金を払うのをやめてもいいのだ。
批評か、中傷か。そこの違いはあります。
区別ができない人は、できないのでしょうけれども。
情報はどこにでもあります。
ネットにはそれこそ際限なくあります。
それをただ闇雲に集めればいい……そうではなくて、これからはその吟味が重視されていきます。
海外では、ネットでの評価吟味に慎重になりつつあるのです。
日本ではこのあたりでも周回遅れだとは感じますが、是正はそう遠くないでしょう。
「ネットで高評価!」というニュースに、こういうツッコミが入る日はそこまで来ています。
「どの媒体で?」
「どの層が?」
「特定ユーザが多重投稿していないか、調べたの?」
こういう「ネットでは高評価!」頼りは、大河枠滅亡へのステップとなるでしょう。
百戦して百勝することは不可能に近いのですが、その逆はそこまで難しくもありません。
・立ち向かってくる敵の分析がお粗末であること
→VOD黒船対策において、少なくとも視聴者の分析は的を射ているとは言い切れないものが多いのです。これは危険な兆候でしょう。
・士気は計測できません
→士気は計測できない……この場合、ファンの熱気と言い換えてもよいもの。
何が悪いかって、計測不可であるのにも関わらず、楽観的なプラス評価に使われやすいのです。
「こんなに熱いファンがいるんだ! これは成功だ!」
とみなしたとして、それがファンの純粋な数か、多重投稿か。区別がつかなければ危険なのです。
一騎当千のファンとは、残念ながらそうはおりません。
そんな計測できない熱気を信じて進軍すること。
これほど危険なこともありません。
応援する側は、そんなことは思いもよらないでしょうし、罪は全くないのです。
危険性を認識する側は、作り手ではあります。
ただ、危険であることは揺るがない事実です。そこはご理解ください。
【有害なファンたち】に気をつけろ
そしてここで言いたいこと。
【有害なファンたち】対策は、取られていく――というか現時点でも、実はあるんだぜ。
ゴゴゴゴゴゴ……。
「【有害なファンたち】の共通する見分け方を発見した……。」
「それは……有害なファンたちは それを指摘する投稿にだな……
ムキになって お前なんか少数派だと 多重投稿をする」
「うそだろ!」
「お前なんか少数派だ!」
「少数派だ!」
「少数派だ!」
「ああ うそだぜ。だが……マヌケは見つかったようだな」
『ジョジョの奇妙な冒険』パロですね。
心当たりがあるからといって似たような主張、文体で多重投稿をするとバレます。
ファンをやめろとか、作品を愛すること自体がダメとは言いませんよ。
無毒化しろってこと。
ファンは神様というか、ありがたいと信じている人っていますよね。
ファンである私の言うことを聞けだとか。
ファンだったけど、逆らうのならばこれからアンチになってやるぞ宣言とか。
それは何か違うのではありませんか。
そういうアプローチは【有毒】です。ファンは、作品や作り手を操る権利を得るということではありません。
攻撃すること。
相手を自分の思う通りに操ろうとすること。
これはもう、やめた方がよいのではありませんか。
補足:東京オリンピック予想
こんなニュースがありました。
◆日本、IWC脱退=31年ぶり商業捕鯨再開へ:時事ドットコムeco
海外では、もう背景がバレております。
◆日本の商業捕鯨開始の背景にあるプライドと頑迷さ(イギリス、ザ・タイムズ)
食文化でもないと、バレておりまして。
ただでさえ、東京オリンピックの動物福祉のお粗末さは、海外で問題化しております。
ラグビーのW杯で、ボイコット選手が何人出るか。
その段階で、東京オリンピックの行く末もある程度占うことができるでしょう。
そして次。
世界史に残るニュースの前では、ドラマが霞んでしまうのは辛いところです。
◆トランプ氏と金氏、板門店で握手 現職で北朝鮮入境は初:朝日新聞デジタル
「オリンピックを政治利用するな!」
という話は、ローカルルールでしかありません。
むしろスポーツ大会は、国際平和路線に用いるのであれば、最高の舞台です。
「東京でそんなことをするな!」
と叫んだところで、国際社会では通用しません。それはそういうものですから……。
はい、これを踏まえまして。
来年のこのイベントでは、南北統一チームが話題をさらうことでしょう。
2018年の平昌五輪では、やや駆け足であった感がありましたが、今回はじっくりと準備を整えているのではないでしょうか。
前例もありますしね。
この機会に映画で、その前例を学んでみてはいかがでしょうか。
※『ハナ 奇跡の46日間』
第25話 コメント大賞
【えび天様】
今回は主人公のキャラクターとか演技よりも、前回まで描いてきた陸上側のお話を時間の流れは連続したたまま、水泳側から全く引っくり返してしまったことが、個人的には一番面白かったですね。
それは、これから始まる田畑のお話しも、また別の視点から見れば引っくり返すことが可能であり、このドラマの主人公は時代そのものであって、主人公は視聴者が時代を経験するためのアバターにしか過ぎないことを示している、というのは考えすぎでしょうか。ところで、今回出てきた1924年のパリ五輪は、映画「炎のランナー」で描かれた大会であり、また、のちにターザン役者として有名になるジョニー・ワイズミュラーが水泳で3つの金メダルを獲った大会でもありますね。
どうも自分はこの時代というと、アガサ・クリスティーの映像化作品やアニメの世界名作劇場、アメリカのギャング映画などで、海外の情景のほうがおなじみなので、そのころ日本ではこういうお話が展開していたのか、と自分の頭の中の1920年代で楽しんでいます。
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【参考】
いだてん/公式サイト