創立80周年へ 前進と勝利の座談会

<41> 竹入に新たな金銭疑惑
<42> 陸士OBが竹入に謝罪を要求
<43> 議員と坊主に注意
<44> 自界叛逆の日顕宗
<45> 法華講員が相次ぎ脱講
<46> 竹入が党費で豪遊
<47> 竹入に「収賄」疑惑が浮上

 

 

 

 

<41> 竹入に新たな金銭疑惑
出席者:秋谷会長、原田稔副理事長、正木副会長、竹内青年部長、佐藤男子部長

議員は威張るな

秋谷 戸田先生は、議員に対して本当に厳しかった。
 「たいてい議員になると、威張っている」と喝破された。
 また「威張るのは、頭の悪い、人望のない、信心の薄い人間のすることだ」とも言われていた。
原田 まったく、その通りだ。
 さらにまた先生は〝私利私欲に狂った議員は、広宣流布を破壊する魔の働きとなる〟とも断言されていた。
 あの竹入義勝の姿そのものじゃないか。
正木 何しろ、あの竹入の豪邸! 別荘! あれは何だ!
佐藤 竹入は、東京都渋谷区の一等地(恵比寿)に大きな家を持っている。
 屋上が「盆栽市場」みたいになっていたと評判の、例の豪邸だ(笑い)。
竹内 それに長野県軽井沢町には、大きな別荘を持っている。
 それも周りの別荘には柵がないが、竹入の別荘だけは、高い柵にぐるりと囲まれている。
正木 あたりを見わたしても、竹入の別荘だけが、異常、異様な雰囲気だというな!
竹内 それに、都内の一等地(文京区)の娘夫婦の土地も、手に入れている。
秋谷 盆栽漁り、宝石漁りだけでなく豪邸漁りまでやっていたわけだ。
佐藤 竹入の豪邸、別荘といえば、最近、新しい金銭疑惑が取り沙汰されているな。
竹内 そうなんだ。自宅や土地を買った時の資金について、不透明極まる疑惑が出てきたんだ。
佐藤 公明新聞によると、あいつは不動産を取得する際に、公明党から借り入れをしていたというんだ。
竹内 その内訳は、こうだ。
 ①恵比寿の家……1971年に3385万円の借り入れ。
 ②文京区にある娘夫婦の土地……82年に3300万円の借り入れ。
 ③軽井沢の別荘……86年に2592万円の借り入れ。
正木 総額9000万円以上も、党から借りたかたちになる。
 今から20年、30年前の金額だ。大変な額じゃないか。
佐藤 驚くのは金額の大きさだけじゃない。
 公明党によれば、竹入のやつは、実際は、もともと党から借りなくても、自分で買えるだけの資金を持っていたんじゃないかというんだな。

脱税の疑いも

正木 へえー。じゃあ、なんで、わざわざ借りたんだ? 借りる必要があったんだ?
秋谷 奇怪千万だ。誰だって、不思議に思う。
 なぜ「借りる」というかたちをとったのか。
 竹入は、明確に答えるべきだ。
原田 普通、高額の不動産を、まったく借金しないで買ったら「なんで、そんな金を持っているのか」と疑われる。
 税務当局の調査だって入りかねない。それを逃れるために、わざわざ「党から金を借りた」という格好をとったのではないか。公明新聞では、そう指摘されていた。
竹内 誰だって、そう思う。
 何しろ9000万円以上の大金だ。当時の国会議員の歳費でも、とうてい、まかなえる金額じゃない。
佐藤 ところが竹入は、それだけの大金を別に既に持っていた。
 だが、税務署には知られたくない。
秋谷 そういう闇の性質の金だったということか?
竹内 会計の専門家に聞いたが、場合によっては、脱税の疑いが強いというんだな。
佐藤 「脱税の時効は7年だ。もし、もっと早く、分かっていれば税務当局が踏み込んだかもしれない」とも明言していた。
原田 なぜ竹入は、わざわざ借金をした格好にして3つの物件を買う必要があったのか。
 9000万円以上もの資金を、どうやって手に入れたのか。
 竹入よ、ハッキリ言ってみろ!
秋谷 かりにも竹入は公職にあった男だ。
 これらの疑惑に対して、明快に答えるべきだ。
 ハッキリと釈明するべきだ。

私利私欲の報い

原田 それにしても竹入の悪事は、底なしだな。
 次から次へと新しい疑惑、悪行の新事実が出てくるじゃないか。
正木 これも大恩を受けた支持者を裏切り、私利私欲に狂った報いだ。
秋谷 その通りだ。
 戸田先生は喝破された。
 「敵は外部にあるように見えるが、もっとも悪質な敵は、内部に出る。
 議員や社会的地位をもっている者が、信心がなくなり、その立場にふんぞり返って、そのなかに悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)して、魔となるのである。
 そして、清浄な学会を利用し、撹乱し、破壊するのである」
 このように断言されていた。
原田 今や私利私欲に狂いきった竹入!
 われわれは、徹底して戦い抜く。忘恩、反逆の輩の悪事は、厳しく暴いていく!

(2006.10.19. 聖教新聞)

 

<42> 陸士OBが竹入に謝罪を要求
出席者:秋谷会長、原田稔副理事長、大野総中部長、正木副会長、竹内青年部長、佐藤男子部長

竹内 あの「学歴詐称」の竹入義勝! あいつは40年以上も前から「陸軍航空士官学校出身」と詐称してきた。
原田 以前、本物の陸軍士官学校、陸軍大学校出身で、士官学校の教官までつとめた山本勇さん(公明党・元愛知県議)も怒りの声を寄せてくれた。
大野 そうでした。
 竹入のやつは、山本さんに会った時に「少佐殿! 少佐殿!」と大騒ぎしていた。
 自分の陸士(陸軍士官学校)出身というウソがバレないように、ビクビクしながら芝居していた(笑い)。
正木 だが結局、あいつのウソはバレた(大笑い)。
 今では、山本さんをはじめ、多くの陸士出身者の間にも、竹入の詐称の事実が知れ渡っている。
秋谷 自業自得だ。
 竹入は、40年以上にもわたって学歴を詐称し、国民を欺いてきた。支持者を裏切った。その卑怯、卑劣の報いだ。

全く返答不能

大野 実は、竹入の学歴詐称に激怒している陸士OBは山本さんだけじゃない。
 名古屋市在住の陸軍航空士官学校OBの伊藤文男さんも、激怒している。
佐藤 公明新聞(10月11日付、14日付)に出ていましたね。伊藤さんは、正真正銘の航空士官学校59期生。竹入のやつも「59期生」を詐称していた。
竹内 それだけに〝よりにもよって、わが同期生を詐称するとは言語道断だ〟と憤激されていた。
秋谷 当然だ。誰だって怒るに決まっている。
 終戦時に士官学校の敷地内で作業していただけの男が「士官学校を修了した」云々と詐称したんだ。それが長年にわたって国会議員、公党の幹部までやっていた。許されるものではない。
佐藤 公明新聞によれば、伊藤さんは〝ウソの学歴、軍歴をひけらかした竹入を許せない〟と竹入に対して謝罪を要求している。
正木 竹入は謝ったのか、どうなのか。
竹内 いつものごとく、竹入からはウンともスンともないようだ(笑い)。
原田 何も言えないんだよ(笑い)。
 何しろ、自分が詐称していた「陸士59期のホンモノ」から糾弾されたんだ。いくら厚顔無恥のあの男でも、なんにも答えられないよ(大笑い)。

名簿にもない

大野 伊藤さんによれば、陸士59期は「59期会」という同期会をつくり、2千数百人の同期生を掌握している。3年に1度を目途に詳細な名簿を発行している。
 その名簿には、退学者や休学者まで掲載されている。
佐藤 当然だが、竹入の名前なんか、どこにもない(笑い)。
大野 もちろん同窓会もやっているが、竹入の姿など一度たりとも見たことがない。竹入のことが話題になったことだって、一回もないそうだ。
秋谷 当たり前だ。根っからのウソなんだから。ところで同窓会は、このくらいの頻度で開かれていたんだ?
大野 記録によると1969年(昭和44年)以降、つい最近までは1年おきにやっていた。
 しかも伊藤さんによると、陸士の同窓会というのは、他の同窓会と比べて、はるかに厳密にやっている。
原田 ああ、そうだろうな。
大野 まず、毎回の同窓会の時には、事前に参加者の名簿がついた小冊子が発行される。
 亡くなった人や来れない同期生の場合は、夫人や家族が代理で参加する。それほど厳格に行われている。
秋谷 詐称している人間が、入り込むスキなんて全くない(笑い)。
正木 竹入に聞いてみようじゃないか。貴様は「いつ」「どこで」行われた同窓会に出たんだ。「誰が」一緒にいたか。
 竹入よ、ハッキリ言ってみろ!
秋谷 答えられるわけがない(笑い)。
 口先では何とでも言える。いくらでもウソをつける。しかし事実を突きつけられると、グウの音も出ない。
大野 陸士59期の名簿には、どこの中学を出たのか。趣味は何か。そういった個人的嗜好まで書いてある。
 趣味のところには、園芸、テニス、囲碁、陶芸等々と具体的に書いてある。
正木 もし竹入がホンモノだったら、趣味のところには「芸者遊び、盆栽買い漁り、宝石漁り」とでも書いていたのかね(爆笑)。
大野 伊藤さんは言っていた。
 「誰だって、ことさら自分の学歴など公言したいとは思わない。
 だが、竹入が、陸士出身、しかも我々の同期生を詐称している。ウソの学歴、軍歴をひけらかし、国民を騙している。これは絶対に許せない」と厳しく語っていた。
秋谷 これもまた当然のことだ。

答えてみろ!

大野 それにまた「もし竹入が本当に59期生だというなら、どこの中隊の、どこの区隊か? 答えてもらいたい。ホンモノならば、即座に答えられるはずだ」とも言っていた。
原田 記録によれば、陸軍航空士官学校には、いくつもの中隊があり、その中隊のなかには区隊があった。同じ区隊のメンバーとは、兄弟も同然の親しい間柄だ。
 当然、ホンモノだったら即答できるはずだな(笑い)。
正木 竹入よ、答えてみろ! いったい、お前は、航空士官学校の、どこの中隊で、どこの区隊だったんだ? 同じ区隊の仲間の名前を一人でも言ってみろ!
大野 それに伊藤さんの同期には、自民党の幹事長をやった故・梶山静六氏がいた。同期会があれば、いつも梶山氏のことは話題になったようだ。
竹内 だが竹入のことは誰の口にも、のぼらなかった。

陸士の名を汚す

大野 伊藤さんは公明党の支持者だ。選挙があれば、陸士の同期たちに声をかけ、支援を依頼していた。公明党を懸命に応援してきた。
佐藤 ところが、伊藤さんは竹入が陸士の同期を詐称しているなんて、まったく知らなかった。
 〝竹入の学歴詐称によって、多くの陸士の同窓生の名誉を傷つける結果になってしまった〟
 〝竹入は、自らのウソを公に認め、陸士出身者全員に、土下座して謝罪せよ〟と激怒している。
正木 土下座するべきだ。謝るべきだ。陸士出身者一人一人に対して謝罪するべきだ。
秋谷 昭和30年、学会として初めての選挙の折、戸田先生は候補者に厳しく訴えられた。
 「名聞名利を捨て去った真の政治家の出現を、現代の人類社会の民衆は、渇望しているのだ」
 「ともかく、我々の期待を断じて裏切るな!」
原田 この厳命を、公明党の全議員、OBは断じて忘れるな! 忘恩の輩を二度と出すな!

(2006.10.23. 聖教新聞)

 

<43> 議員と坊主に注意
出席者:秋谷会長、原田稔副理事長、大野総中部長、正木副会長、竹内青年部長、佐藤男子部長

佐藤 前回は、竹入義勝の悪辣(あくらつ)な学歴詐称について語り合った。
 公明党の国会議員だった中川嘉美さんも、激怒していた。
竹内 竹入が詐称した陸軍士官学校の出身者には、自民党の幹事長をやった故・梶山静六氏がいた。
 中川氏はハッキリ書き残している。
 〝衆議院の商工委員会にいた当時、委員長が梶山氏だった。
 梶山氏は陸士(陸軍士官学校)時代の苦労話を何度もしてくれた。
 だが、竹入の話など一度も聞いたことがない〟と明言していた。
佐藤 そして、こうも書いていた。
 〝もし竹入が陸士の同期なら「お宅の竹入委員長は陸士だね」あるいは「航空士官学校だったね」と言ったはずだ。それが全くなかった〟と断言していた。
秋谷 梶山氏も、もし竹入が陸士出身を詐称していると知ったら、さぞ激怒しただろう。
大野 竹入のやつが、どれほどの恥知らずか!

「詐称の証拠」

竹内 それに竹入のやつは「重爆撃機の機長だった」という大ウソもついていた。
大野 前回、話に出た陸士59期の伊藤文男さんも言っている。
 〝われわれ59期は、当時の満州(中国東北部)で飛行訓練をしている時に終戦を迎えた。
 実戦には出ておらず、練習機の操縦桿(そうじゅうかん)しか握っていない。重爆撃機の機長なんて、できるわけがない〟と断言していた。
正木 当時の陸軍航空士官学校といえば、エリート中のエリートだ。
 そのエリートでさえ、練習機にしか乗ったことがなかった。
原田 竹入みたいな、どこの馬の骨だか分からないやつが、実戦の爆撃機の、それも機長なんて、できるわけがない。
秋谷 こういうところでもボロが出る(笑い)。
大野 どこまで大ウソつきか!
竹内 もう一つ。
 竹入は、かつて党に出した履歴書で「昭和20年8月15日 陸軍航空士官学校修了」と大ウソをついていた。
佐藤 ところが調べてみたら、本当の航空士官学校59期生が「修了」したのは同年の8月末。
 〝地上部隊〟の陸軍士官学校生も15日ではない。8月31日のことだった。
秋谷 またまた化けの皮が剥がれたわけだ(笑い)。
竹内 竹入のやつは「終戦の日」である「8月15日」にしておけば間違いない、と踏んだんだろう。
 だが、実際の航空士官学校59期生の中には、当時の〝満州〟で終戦を迎えた人もいる。
 その後、復員してから解散式を行っている。その日が修了した日になる。
正木 本物だったら、まさか修了した日を間違えるわけがない(爆笑)。
原田 いや、続々と「詐称の証拠」が出はじめたな!

俺は勤行が嫌い

秋谷 竹入は、これほどまでにウソをつき、国民を騙し、悪事の限りを尽くした。
 それも結局、あの男の性根が腐りきっていたからだ。
原田 その通りだ。
 公明党の創立者であられる池田先生の心を忘れ、戸田先生の心を忘れ去った。
 根本の精神、魂を忘れたがゆえに、とことんまで狂い、転落していったんだ。
佐藤 そういえば、竹入のやつが、ろくろく勤行をしていなかったという証言も、次から次へと出てきたな!
竹内 そうなんだ。
 竹入本人が白状していたのを、婦人部の幹部がハッキリと聞いている。
佐藤 昭和58年12月の衆議院選挙当時のことだ。
 竹入のやつは千葉県に遊説に来た。遊説会場の控室に入って来るなり、あいつは突然「オレ、最近、勤行、全然やってないんだよ」と言い放ったんだ。
竹内 その場にいた学会の幹部が「忙しくても、勤行はしなくちゃだめだ」と厳しく叱った。
 すると竹入は、しゃあしゃあと言い放った。
 「いいや、本当なんだよ。全然やってないんだよ。だって勤行しないほうが調子がいいんだよ。本当だよ」と抜け抜けと言っていたんだ。
秋谷 竹入が狂った根本の原因だ。

ニセ法主の弟子

原田 だいたい、竹入のやつは、あれだけお世話になった学会を裏切って、今は日顕のところにすがりついている。
正木 ニセ法主と、学歴詐称の弟子(大笑い)。
 どっちも大ウソつき同士、ウリ二つじゃないか(爆笑)。
佐藤 埼玉県上尾市の華光寺(坊主=浅井広昌)のところに、ちょくちょく出入りしているようだ。
秋谷 不思議なものだな。悪党が信心を失うと、必ず日顕一派と結託する。
大野 あの極悪ペテン師の山崎正友しかり、山崎の使い奴に転落した原島某、忘恩の竜等々。みんな日顕一派と結託したじゃないか。
原田 仏典に「出家(しゅっけ)の処(ところ)に一切(いっさい)の悪人を摂(せっ)す」とある通りだ。
 みな地獄行きだ。末路は厳しい。
秋谷 戸田先生は厳然と言い残された。
 「政治の権力、宗教の権力の谷間に学会はある。この二つが腐敗すると、両者から利用され、圧迫され、奴隷のごとく使われる恐れがある。重々、注意せよ!」と喝破されていた。
原田 だからこそ、腐敗、堕落の議員は許さない。
 腐りきった坊主どもも、絶対に許さない。
 社会のためにも、世の人のためにも、正体を暴きに暴いて、叩き出す!
 それが日蓮仏法の魂だ。

(2006.10.26. 聖教新聞)

 

<44> 自界叛逆の日顕宗
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田稔副理事長、正木副会長、竹内青年部長、佐藤男子部長

ブラジルで13敗

正木 あの大恥さらしの日顕一派がブラジルで、またしても裁判で敗北したそうだな。
佐藤 その通りだ。ブラジルで日顕一派は、悪質な「寺の乗っ取り」を企んだ。そのことで日顕宗側は13回も敗訴している。今回、その「13回目の敗訴」が確定したんだ。
秋谷 あんまり数が多すぎて分からない(笑い)。日顕宗の連中も、自分たちが何回負けたか分からないんじゃないのか(爆笑)。
竹内 これまで日顕一派は、ブラジルで、誰が見ても勝ち目のない裁判を起こし続けてきた。醜い「悪あがき」を続けてきた。その結果が「13回目の敗訴」の確定だ。
青木 日顕の跡目の早瀬のやつも、内心、怒り狂っているよ。「日顕の野郎! こんなに負けやがって。あいつのせいで、恥をかかされっぱなしだ」と怒っているだろうよ(笑い)。
原田 間違いないな。

落語で信者集め

青木 とにかく海外でも、またしても断罪確定。これじゃあ、信者が集まらないのも当然だな。
原田 坊主どもも信者集めに血眼のようだ。
正木 あんまり集まらないものだから、何と坊主が「落語」をやって信者集めをしている寺もある(爆笑)。
青木 バカバカしい!
 そんなの、日蓮大聖人の御書の、どこにあるんだ? どこにもないじゃないか。
秋谷 要するに、寺にも坊主にも魅力がない。信念がない。確信がない。何より信心がない。だから「落語で人集め」みたいな邪道に走る。
 今の宗門が、どれだけ腐りきっているか。大聖人の仏法とは全く無縁の邪宗門に成り果てたか。この一事をもってしても、明瞭、明白じゃないか。
佐藤 その落語坊主というのは、大石寺の地元である静岡・富士宮市の妙泉寺の渡辺礎道だ。
 寺の行事の案内に〝恒例により、行事の後の会食で、特技の「落語」をやるので、お参りください〟と書いてあった。
秋谷 「恒例」「特技」か。ふだんから坊主が、いかに遊んでいるか。その証拠だ。
竹内 しかも、だ。
 〝うちの寺でも落語をやって人を集めたい〟と思っている坊主が、たくさんいるという話だ。
原田 落語だろうが歌だろうが何だっていいんだ。とにかく信者が集まればいい。供養が集まればいい。「供養狙い」の魂胆がミエミエじゃないか。
秋谷 呆れた強欲坊主どもだ。
 仏典には「袈裟(けさ)を服(ふく)すと雖(いえど)も猶(なお)猟師(りょうし)の如(ごと)く細めに視(み)て徐(しず)かに行くこと猫の鼠(ねずみ)を伺(うかが)うが如(ごと)し」と明確にある。
 まさに日顕宗の坊主の姿じゃないか。

醜い内輪もめ

竹内 とにかく、それほど信者が集まらない。だから日顕の直弟子の八木日照、日顕のドラ息子の阿部信彰あたりが、あっちこっちの寺に行って「もっと法華講を増やせ」とハッパをかけている。
正木 そうなんだ。
 ところが「笛吹けど人踊らず」どころか、まったくの逆効果のようだ(笑い)。法華講からも、坊主からも、不平不満が噴きあがっている。
佐藤 最近も埼玉県本庄市の本泰寺で、醜い事件があった。
 9月中旬の話だ。阿部信彰が寺に来て法華講や坊主が集まった。テーマは〝なぜ折伏が出来ないのか〟。ところが、法華講員からは〝坊主が折伏しない〟という不満が出た。
正木 当然だ。
竹内 これに坊主の平井次道が逆ギレした(笑い)。〝お前たちが友人を連れてこないからじゃないか〟等々と醜い責任の押しつけ合いが始まった。
佐藤 そこで阿部信彰が〝いい加減にしろ〟とキレた(笑い)。平井に対して〝折伏の見本を示せ〟云々と喚(わめ)き始めたというんだな。
原田 何いってんだ。ろくろく折伏なんかしたことがない信彰ごときが、何を言うか(笑い)。
青木 醜い内紛、内輪もめだらけじゃないか。団結や異体同心の信心なんか毛筋もない。まったくの「異体異心」。これじゃあ折伏なんか、できるわけがない。

魔は功徳を奪う

佐藤 北海道では、とうとう寺を辞める坊主までも出た。
竹内 その通りだ。北海道・留萌市の開道寺の坊主が住職を辞めたんだ。
佐藤 それというのも今年の8月末に開道寺で〝指導会〟があった。寺に来た総監の八木やら、寺の法華講幹部らが、その坊主を取り囲み、さんざん〝お前が悪い〟と責め続けた。
竹内 それで嫌気がさして逃げたんだ(笑い)。
青木 日顕宗では、一部の裕福な寺の坊主が贅沢三昧。のうのうと遊び暮らしている。
 かたや信者が激減したせいで、大石寺からの援助がないとやっていけない困窮寺院が、どんどん増えている。
秋谷 ところが冷酷、冷血の日顕宗は、貧乏な坊主を助けるどころか、追い詰めるだけ。いよいよ自界叛逆(じかいほんぎゃく)だ。
青木 御聖訓に「どしうち(=同士討ち)はじまるべし」とある通りだ。
原田 これも日顕が学会を切った罰だ! 御本仏が厳しく罰してくださったんだ。
正木 とにかく日顕は天魔であり、奪命者(だつみょうしゃ)だ。
 御聖訓には「奪命者といふ魔(ま)入って功徳(くどく)をうばふ魔をば奪功徳者(だつくどくしゃ)といふ」と仰せであられる。
秋谷 日顕一派なんかに魅入られたら、一切の功徳が奪われてしまう。人生がメチャクチャに狂わされてしまう。
青木 日顕一派と結託した連中を見れば、よく分かることじゃないか。
正木 あの学歴詐称の竹入義勝しかり。忘恩の竜、それに極悪ペテン師の山崎正友、山崎の子分の原島等々。みながみな悲惨な末路じゃないか。
秋谷 恐ろしいことだ。これが魔の働きだ。魔を野放しになんかしていたら、かえってこちらが罰を受けてしまう。
 だからこそ、われわれは「天魔」日顕一派とは戦い抜かねばならない。攻め抜くことだ。

(2006.10.30. 聖教新聞)

 

<45> 法華講員が相次ぎ脱講
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田稔副理事長、正木副会長、竹内青年部長、佐藤男子部長

原田 それにしても日顕宗は、今や他宗の坊主たちからもバカにされているようだな。
青木 当たり前だよ(笑い)。
 何しろ陰険、強欲、傲慢。しかも社会的には何の力もない。影響力も何もない。バカにされるのも当然だ。
竹内 月刊誌『潮』(11月号)の「平和と文化の大城――池田大作の軌跡」にも出ていたな。
 日蓮宗の坊主が「数が減ったのは、大石寺に魅力がない証拠」「日蓮正宗さんは、変わった宗派だ」と言っていたそうだ(笑い)。
佐藤 それに、こうもあった。
 「寺は信者さんがあって成り立っている」(浄土宗)
 「宗教界の恥」「さんざん金を巻き上げてみっともない」(禅宗)等々とあった(爆笑)。
秋谷 今や他宗の坊主が見ても、ずば抜けて狂っている(笑い)。これが日顕宗の実態だ。
正木 だから最近も、日顕宗を離れ、晴れて脱講する人間が相次いでいるじゃないか。

改革僧侶が活躍

佐藤 学会の青年部の姿に触れて、脱講した人も多い。
竹内 世田谷区(東京)では、法華講員だらけの家族のなかで育った男子部員が、一家全員を脱講させた。
佐藤 世田谷区では、ほかにも男子部員の友人の法華講員が脱講。〝日顕宗の実態を初めて知った。こんなにひどいとは知らなかった〟と脱講した。
竹内 決め手になったのは、改革僧侶の言葉だったそうだ。
 「あなたの過去のすべてを否定するわけじゃありません。私にも宗門にいた過去があります。当時は灰色の人生でしたが、離脱した今は明るい人生を歩むことが出来ます。今は希望があるからです」と言ってくれた。
佐藤 その一言に心を打たれて脱講を決めたというんだ。
秋谷 日顕宗の坊主は極悪だが、改革同盟、憂宗護法同盟の僧侶の皆さんは本当の「正義の僧侶」だ。偉大な使命をもった皆さんだ。
原田 法華講の救済にも積極的に取り組んでいただいています。
竹内 それに九州の福岡県でも、男子部員の紹介で何人もの法華講員が脱講した。
 〝つまらないから、ほとんど寺には行っていなかった。これからは学会の皆さんとともに頑張っていきたい〟という声が多々あった。
正木 四国の愛媛県でも、元講頭に続いて、その元講頭の実の姉までが最近、脱講した。
 〝寺は冷たい、冷酷だ〟と思っている時に、ちょうど学会の婦人部員から励ましの言葉をかけられた。それで脱講したという話だ。

〝供養の運び屋〟

佐藤 それに、愛媛県の別の寺から脱講した人は、こう言っていた。
 「私は法華講員を20年やってきたが、結局、20年の間、供養の運び屋だった。寺にいる間は、なぜか題目が全然あがらなかった。
 それが脱講して、学会の方と一緒にいると題目もあがるようになった。悩みのタネだった息子も、真面目に働くようになった。本当によかった」と言われていたそうだ。
竹内 そしてまた7月に一家3人で脱講した人。
 「これで、やっと『人間』になれた」とまで言って、喜んでいた。
原田 さぞかし大変な思いをされたんだろう。あんな冷酷非道で、信者を「人間扱い」しない日顕宗の寺にいたんだからな!
竹内 その方は、すべてに行き詰まるなかで、息子に寺で御本尊を受けさせた。ところが、坊主は何の面倒もみない。法華講も何もしてくれない。経済的にも、人間関係も、ますます苦しくなるばかり。
 それで「もう学会の青年部にお願いするしかない」と脱講を決意されたんだ。
正木 また、これは愛知県の寺で脱講した人の話だ。
 その人は、1ヵ月も前から寺に法事を頼んでいた。親戚中にも声を掛け、あとは行くばかり。念のために前日に寺に確認した。
佐藤 すると坊主は〝あすは寺で集まりがあるから、あんたのためだけに勤行なんかできない。隅っこに焼香鉢を置いておくから、勝手に来て、勝手に焼香して帰ってくれ〟と言い放ったというんだな。
青木 ひどい話だな!
正木 これが引き金となって、その方も脱講したんだ(拍手)。

「学会は明るい」

秋谷 それに友人葬に参加したのが契機になって脱講した人も多い。
佐藤 その通りです。
 「学会の友人葬は、明るい。湿っぽくない。参加して元気になった」。こう言って脱講した人がいた。
原田 「学会の儀典部の方は、お経がうまい。坊さんより、よっぽどうまい。しかもタダでお経をあげてくれる」(笑い)。「私の葬儀の時も、是非ともお願いしたい」。そのように言っていた人もいたな。
竹内 私が知る元法華講員が言っていた。
 「寺に行っても、言われることは『寺に来い』『塔婆供養しろ』『登山しろ』。この3つだけだ。年を取ったので、寺に行くのだって大変だ。大変な思いをして行っても、言われることは登山の話、供養の話だけ。もうウンザリだ」と言っていた。
正木 千葉県の元法華講員も言っていた。
 「せっせと供養をしてきたが、坊主の女房が整形手術をしたと聞いて、嫌になった。そんな金がどこから出たのか。もう寺には行きたくない」とキッパリ言っていた。
佐藤 そして埼玉県の元法華講員。
 「長年、寺に通ってきたが、暗い。明るさがない。成長がない。前進がない。聞きたくもない学会の悪口ばかり聞かされるだけだった。
 それが学会の会合に連れていってもらって、驚いた。明るい。みなが元気いっぱいだ。脱講してみて、初めて信心の喜びを感じました」。このように感激していた人もいた。

威張らせるな

秋谷 戸田先生は、かつて叫ばれた。
 「折伏を忘れて、お寺参りをするのが信仰だと思っているのは寺信心だ」
 「住職は威張らないように、また威張らせないようにしてもらいたい」と、それはそれは厳しく言われた。
青木 これは昭和31年、岡山県の寺の法要の際、時の日淳法主を前にして明言されたことだ。
秋谷 また、聖教新聞の寸鉄では、こうも言われた。
 「折伏をしないで折伏する信者にケチをつける坊主は糞(くそ)坊主だ」「尊敬される資格もないくせして大聖人の御袖(おそで)の下にかくれて尊敬されたがって居る坊主は狐(きつね)坊主だ」「御布施ばかりほしがる坊主は乞食(こじき)坊主だ」と坊主を弾呵(だんか)された。
原田 われわれの目的は広宣流布だ。
 広宣流布を忘れた坊主ども! 大聖人に違背(いはい)する仏敵中の仏敵だ。いよいよ学会創立の11月。破邪顕正(はじゃけんせい)の大闘争を巻き起こそうじゃないか!

(2006.11. 2. 聖教新聞)

 

<46> 竹入が党費で豪遊
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田稔副理事長、正木副会長、竹内青年部長、佐藤男子部長

党費で慰安旅行

正木 あの学歴詐称の竹入義勝! 勝手放題に党を利用し、私物化した畜生!
 次から次へと悪事が発覚しているな。
佐藤 その通りだ。竹入が「日中」を食い物にしていた事実は有名だが、なかでも1986年(昭和61年)の党の第15次訪中は、ひどかったようだ。実態は「訪中団」に名を借りた「女房同伴の観光旅行」だった。
竹内 公明新聞(10月3日付)に詳しく出ていたな。この時の訪中団の全日程は13日間。だが、そのうち政治関連の行事は、わずか2日だけ。あとは女房を引き連れての豪華観光旅行だった。
佐藤 しかも、党の調査によれば、女房同伴の事実は、党に提出された記録には、ただの一言たりとも書かれていなかったそうだ。
原田 おかしいじゃないか。なんで書かないんだ。その事実自体、やましいものがあったという証拠じゃないか。
佐藤 この訪中団は、竹入が党の幹部を辞める、わずか3ヵ月前だった。
秋谷 要するに辞める前の慰安旅行だった。党を最後の最後まで、利用しつくした。そう思われたって仕方がない。
佐藤 誰だって、そう思う。この訪中団自体が、もともと竹入のごり押しで決まったものだ。差し迫った必要も何もないのに、無理矢理にねじ込み、強行したということだ。
竹内 同行した故・二宮文造さん(元副委員長)が日記に詳しく書き残していた。「些(いささ)か強引すぎる」「出たとこ勝負のような格好で北京まで来てしまった」と実態をハッキリ記録している。
青木 つまり、党の幹部として力を握っているうちに党の金を使って豪遊した。そういうことだな!
秋谷 どこまで卑しい、卑劣な男か!

真心より宝石

原田 中国といえば、他にも竹入の下劣ぶりを物語る証言が、いくつもあったじゃないか。
正木 これも公明新聞に出ていたな。
 1972年(昭和47年)に竹入をはじめとする党の訪中団が中国を訪問した時のことだ。
原田 周恩来総理が別れ際に、訪中団一行を労(ねぎら)った。そして池田先生の提言が日中国交正常化の基礎になったとして、次のように言われたというんだ。
 「池田会長を中心に青年が集い『水滸会(すいこかい)』というグループで勉強したと聞いています。『水滸会』にちなんで中国第一の特別な料理を用意させました」と言われたそうだ。
正木 そして周総理の真心からの料理が出てきた。
 ところが、竹入のやつは「こんなヘンテコな料理は食えやしない」と言い放ち、無礼にも箸も付けなかった。
原田 それどころか後日、竹入は〝北京の故宮博物館にあるような翡翠(ひすい)の大皿を贈ってくれれば、どんなに嬉しいか〟と言い放っていたという話だ。
青木 どこまで卑しいやつか!
 周総理の真心よりも翡翠がいいとは、なんたる言い草だ!
秋谷 結局、根が卑しい。人格の根本が卑しい。
 人の真心が分からない。誠意が分からない。
 本当に、われわれ支持者は騙(だま)された。よくもまあ、皮をかぶって、騙し抜いてきたものだ!
正木 人前では「支持者に奉仕しろ」「財産を残そうなんて考えるな」と偉そうに喚き散らしておきながら、裏では自分が宝石を漁り、盆栽を漁り、さんざん日中を食い物にしていた。
原田 とんでもない悪党野郎だ!

出張も詐称!?

竹内 党費で遊んでいたといえば、竹入は、家族を引き連れて北海道に旅行に行っていたこともあった。とうとう、そういう衝撃の証言まで出てきたな。
佐藤 そうなんだ。73年8月のことだ。あいつは「出張」を装いながら、女房と子どもを引き連れて、北海道で遊んでいた。そういう事実が発覚したんだ。
秋谷 8月の北海道といったら、一番の観光シーズンじゃないか。
竹内 それも何と国会の会期中にだ。
正木 もう呆れ果てて物も言えないな! 本当に議員という生き物だけは、目を離しちゃいけない。裏で何をやってるか分かったものじゃない。
佐藤 竹入一家は、判明しているだけでも、同年8月15日から3泊4日で、登別温泉、昭和新山、さらには摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖等々、観光名所ばかりに行っていた。
竹内 それも偉そうにハイヤーを2台借り上げ名所巡りをしていたんだ。
佐藤 一番の問題は、どうやら、これまた党の金で遊んでいた疑いが強いということなんだ。
竹内 その通りだ。党の記録によると、竹入が遊んでいたのと、ちょうど同じ日程で「北海道出張」が入っていた。厳然と記録がある。その旅費は当然、党が出している。
青木 なんだと! 国会の会期中に、党の金で家族旅行に行っていたのか!
佐藤 竹入のやつは、後ろめたかったのか、東京と札幌を往復した初日と最終日だけは、背広にネクタイ姿だったという。
正木 アリバイづくりのための偽装だ。他人が見たら「公的な出張」に見えるように変装したわけだ。
青木 出張詐欺だ(爆笑)。その何よりの証拠じゃないか。

地位利用の畜生

秋谷 戸田先生は喝破(かっぱ)されていた。
 「国民の幸福を願っているような顔をしている政治家のなかに、その地位を利用して、一身の繁栄と私財の蓄積のみに汲々としている者のなんと多いことか」と!
青木 そしてまた戸田先生は、政治家に対して「私利私欲に目もくれない、高潔な人材がいればよいのだ」とも言われていた。
秋谷 こうも、おっしゃった。
 「皆の支援によって名誉ある議員にさせてもらいながら、信心を失い、退転して、恩知らずな行動をとっていく愚者や卑怯者も出るだろう。こいつらを断じて許してはならない」と厳命された。
原田 戸田先生が危惧しておられた「堕落した政治家」の姿! まさに、畜生の竹入そのものじゃないか。
正木 断じて許してはならない。徹底して、糾弾し、弾呵し、追撃していく!

(2006.11. 6. 聖教新聞)

 

<47> 竹入に「収賄」疑惑が浮上
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田稔副理事長、正木副会長、竹内青年部長、佐藤男子部長

盆栽の賄賂!?

竹内 前回は、学歴詐称の竹入義勝が、党費で豪遊していた事実を取り上げた。
原田 竹入の悪事は、これだけではない。公明新聞に驚くべき事実が出ていた。
佐藤 その通りです。1972年(昭和47年)当時のことだ。
 竹入は、農業団体の幹部から、農家の負担軽減を求める陳情を受けた。
 その法改正の際に竹入が、なんと、見返りとして金の代わりに「盆栽」をもらっていたというんだな。
竹内 これは、どういうことかというと、竹入が陳情を受けて間もなく、農地の課税率を低いまま据え置く改正法案が実現した。
 その直後に、その団体幹部が〝お礼がしたい〟と竹入に申し出た。
佐藤 当初は現金500万円という話があったが竹入は〝現金より盆栽がいい〟と要求したというんだな。
秋谷 重大な事実じゃないか。盆栽だろうが現金だろうが、事実だったら犯罪行為じゃないのか。
佐藤 結局、竹入は、立派な五葉松の盆栽を受け取った。徳川将軍家ゆかりの由緒ある盆栽らしく、相当の価値があるものだった。そんな最高級の品までせしめていたんだ。
青木 とんでもない話が出てきたな!
 ワイロを受け取ったも同然じゃないか。
秋谷 これは重大だ。「収賄(しゅうわい)」の疑いさえ出てくる問題だ。徹底して調査するべきだ。

目的は「盆栽」

青木 それにしても竹入の異常な「盆栽の買い漁り」! あれは何だ!
正木 あいつの盆栽狂いについては、その後も次々と新しい事実が発覚している。
竹内 その通りだ。たとえば富山県での一件。
 参院選を控えた74年5月のことだ。竹入は講演会場に車で向かう途中で、突然、行き先を盆栽園に変えさせた。
佐藤 そこで陳列されていた栗の盆栽に、ヨダレを垂らさんばかりに見とれていた。
竹内 そして「いいな、いいな」と、ブツブツ、ブツブツ欲しがっていた(笑い)。
佐藤 結局、竹入は2時間も油を売っていたんだ。
青木 選挙を控えた大事な講演会じゃないか。だったら、盆栽に見とれているヒマなんかあるわけがない。
 一人でも多くの支持者を回るべきじゃないか。
佐藤 それだけじゃない。その日の夜のことだ。
 地元の公明党議員が竹入の宿舎を訪ねた。
 すると竹入は、ちょうど電話で、栗の盆栽を手に入れようと必死に話し込んでいたところだった。
 電話を切ると、竹入のやつは「やった、やった!」「栗の盆栽をもらった!」と大喜び。ホテルのベッドの上をピョンピョン跳びはね、グルグル転げ回っていたというんだな(爆笑)。
秋谷 バカバカしい!
 仮にも党の幹部が、選挙の直前に盆栽がどうのこうのと大騒ぎする。みっともない限りだ。
正木 だいたい竹入は、これまでも、あっちでもこっちでも盆栽に狂っていた。いくつもの事実が判明しているじゃないか。
佐藤 熊本県では選挙の応援にかこつけて、盆栽漁り。香川県では、買い付けた盆栽をフェリーで運ばせた。奈良県でも、わざわざ選挙支援の途中で車を止めさせて盆栽に見とれていた。
竹内 それだって、まだまだ氷山の一角だ。
 ほかにも愛媛、愛知、鹿児島、宮崎、大分、長崎、福岡、広島、大阪、福井、三重、富山、東京、埼玉、千葉、栃木の各都府県で盆栽を買い漁っていた。
正木 明らかになっているだけで19都府県だ。この異常性! 「盆栽狂」の実態!

女房もウリ二つ

佐藤 三重県では、76年12月の総選挙の前に、地元の候補の秘書と支持者に盆栽園まで案内させた。
竹内 そして、なんと竹入が買った盆栽を、その二人に東京まで車で届けるように言いつけたんだ。
秋谷 三重県から東京までは遠い。ざっと400㌔はある。
青木 しかも選挙の直前だ。そんな大事な時に候補の秘書や支持者に、東京から三重の間を往復させるとは何事だ。
佐藤 しかも、だ。ガソリン代も高速代も竹入のやつはビタ一文払わなかった。全部、支持者たちに自腹を切らせて運ばせたというんだ。
青木 この冷酷! ケチ! どこまで卑劣な男か!
竹内 竹入の自宅でも、ひどい扱いだった。
 夜を徹して盆栽を運んできた二人に対して、竹入の女房は冷たくあしらった。
佐藤 「あっ、そう。そこに置いといて」と言い放った。
 ねぎらいの言葉も、感謝の言葉も、まるでなかったというんだ。
青木 何様のつもりだ!
 亭主が亭主なら、女房も女房。ウリ二つの畜生夫婦だよ。

恩知らずは畜生

原田 いや、驚いたな。とにかく、あっちでも、こっちでも、盆栽狂い。想像以上だ。
正木 まったくだ。
 北海道では、選挙の応援で行ったのに、盆栽漁りができずに逆上した。そういう証言もあるほどだ。
佐藤 竹入は、盆栽漁りのために、全国を飛び回っていただけだ。選挙を悪用して、立場を利用して、盆栽を買い漁っていただけだ。
秋谷 結局、竹入のやつは、いつでも「支持者より盆栽」だったんだ。
正木 竹入は事あるごとに「議員はボロ雑巾になって戦え」「公明党の議員になったら金を貯めようと思うな」等々と偉そうに訓示を垂れていた。
 その張本人が、目の色を変えて遊び回り、盆栽を漁るとは何ごとだ。
佐藤 竹入のやつは、都議会議員に立候補した当時〝以前の生活は乞食(こじき)みたいだった〟と白状していた。
竹内 その〝乞食野郎〟が権力を握って、のぼせあがった。大物ぶって、盆栽漁りだ。バカバカしい!
秋谷 権力は怖い。権力の魔性に魅入られ、食い破られたら、ここまで腐る。狂う。堕落する。竹入が、その見本だ。
原田 日蓮大聖人は〝恩知らずは畜生〟と仰せだ。
 畜生に成り下がった竹入! 忘恩の怪物!
 絶対に許すな。われわれは断固、攻め抜いていこうじゃないか。

(2006.11. 9. 聖教新聞)