コメント
ミットもネエなwww
友達だから信じるだと
アホアホ過ぎるwww
パーマ野郎は創価学会インであってもセンセーを揶揄するヤツ
だから実質は学会員じゃないだろ
カワイソウニwww
ドンドン言い訳してクレ
ノーコメントなんてヤツもいるように消臭がらみはうましかの集まり確定www
アホアホ過ぎるwww
パーマ野郎は創価学会インであってもセンセーを揶揄するヤツ
だから実質は学会員じゃないだろ
カワイソウニwww
ドンドン言い訳してクレ
ノーコメントなんてヤツもいるように消臭がらみはうましかの集まり確定www
男塾!塾長たい焼きアニキは、創価な?
貴兄の様な境涯も高く、
創価の大道を只ひたすらに歩まれる
人格者が、
4の字固め発言は、
間違ってもしないでしょう。
ウーマンぽい?
いや、、
イトマンスイミングスクール?
金満?
きんま◯こ?
あの先生の御発言の真意を理解すると、
天敵きょーさん党がね♪
創価の大道を只ひたすらに歩まれる
人格者が、
4の字固め発言は、
間違ってもしないでしょう。
ウーマンぽい?
いや、、
イトマンスイミングスクール?
金満?
きんま◯こ?
あの先生の御発言の真意を理解すると、
天敵きょーさん党がね♪
鯛焼き支部長様
天覇さんは私からむごいdisりをされても戻ってきたので、これで終了をお願いします
直接本人に謝罪してませんが、心にもない事を言うなと海さんから言われるだけだと判断したのだと思います
梵我一如さんにも、兄弟とか盟友とか心にもない偽善言うな、かっこつけるなと断酒させてみろやと言いましたので、天覇さんが一般常識のある人間なら反省してると思います
天覇さんは私からむごいdisりをされても戻ってきたので、これで終了をお願いします
直接本人に謝罪してませんが、心にもない事を言うなと海さんから言われるだけだと判断したのだと思います
梵我一如さんにも、兄弟とか盟友とか心にもない偽善言うな、かっこつけるなと断酒させてみろやと言いましたので、天覇さんが一般常識のある人間なら反省してると思います
あんまり反省してない
あっ、女には言わないって
HNは鯛焼きさんにピー音と名付けられた
あっ、女には言わないって
HNは鯛焼きさんにピー音と名付けられた
Re: タイトルなし
反省なんてしてないし、「オレ何かやったの?」って感じでしょうね(笑)
因果応報なのでどういう形で天パさんに返ってくるのか? ムムム
因果応報なのでどういう形で天パさんに返ってくるのか? ムムム
野球でたとえると?
こんな展開にはしたくないのですが、たこ焼きさんが勘違いというか読解力がまるでない方なので(笑)もう少し追記しましょう。
私は戸田先生が「大御本尊様が偽物」だなんて一言も書いてないです。
むしろ偽物だと言ったのは日顕さんなんですけどね(笑)
それは置きますが、その時代、時代において「解釈が異なる」ということのがどうして分からないのかな?
日寛上人の業績もすべてを否定しているわけではなく「当時の解釈よりも今の解釈を採用しよう」という趣旨で、だからといって当時の解釈が間違いなのではない。
そんな意味を含んでいるんですがね。言葉足らずならすみませんが。
日蓮正宗と創価学会が協調路線を歩んでいた時代は「大御本尊を中心とした本尊観」がベストな時代だったんですよ。
でも今はそういう解釈をとらないだけ。
だからといって当時の解釈が間違いだったとはならない、ということなんです。
要は、今の価値観で持って昔の価値観を図ろうとするのはナンセンスだということ。
前にも書いてかもですが、世界のホームラン王である王貞治選手。
彼が樹立した868本という記録は本当にスゴイです!
でも、もし王選手が「その当時(昭和40・50年代)の能力やテクニック」で持って、今現在の令和のセ・リーグで、かつてのようにホームランを量産できるか?と言えば「否」です。
なぜなら投手の体もデカくなっているし球速も球種も昭和とは比較にならないほどレベルアップしているからです。そんな今現在の投手レベルに対して「昭和のレベル」で立ち向かってもホームランはそんなに打てないでしょう。
もちろん、王選手が「今のプロ野球の能力やテクニック」を身に着けているならばガンガン打つでしょう。でも「その当時(昭和40・50年代)の能力やテクニック」では絶対に無理です。
で、この時に!
果たして野球ファンは「今のレベルでは到底太刀打ちできない昭和の野球なんて嘘だ!インチキだ!」「王の868本なんて世界記録は今は意味がない」なんて言うのか?って話です。
そりゃ変り者もいるでしょうけど(笑) でもほとんどの方は王選手や世界記録をリスペクトすることでしょう。
「時」を理解できない方って、いつも「今」を主軸にして考えてしまいがちですが、「当時」を軸とした見方や解釈ができないとダメだってことです。
営業途中なのに。あー、つかれるな(笑)
私は戸田先生が「大御本尊様が偽物」だなんて一言も書いてないです。
むしろ偽物だと言ったのは日顕さんなんですけどね(笑)
それは置きますが、その時代、時代において「解釈が異なる」ということのがどうして分からないのかな?
日寛上人の業績もすべてを否定しているわけではなく「当時の解釈よりも今の解釈を採用しよう」という趣旨で、だからといって当時の解釈が間違いなのではない。
そんな意味を含んでいるんですがね。言葉足らずならすみませんが。
日蓮正宗と創価学会が協調路線を歩んでいた時代は「大御本尊を中心とした本尊観」がベストな時代だったんですよ。
でも今はそういう解釈をとらないだけ。
だからといって当時の解釈が間違いだったとはならない、ということなんです。
要は、今の価値観で持って昔の価値観を図ろうとするのはナンセンスだということ。
前にも書いてかもですが、世界のホームラン王である王貞治選手。
彼が樹立した868本という記録は本当にスゴイです!
でも、もし王選手が「その当時(昭和40・50年代)の能力やテクニック」で持って、今現在の令和のセ・リーグで、かつてのようにホームランを量産できるか?と言えば「否」です。
なぜなら投手の体もデカくなっているし球速も球種も昭和とは比較にならないほどレベルアップしているからです。そんな今現在の投手レベルに対して「昭和のレベル」で立ち向かってもホームランはそんなに打てないでしょう。
もちろん、王選手が「今のプロ野球の能力やテクニック」を身に着けているならばガンガン打つでしょう。でも「その当時(昭和40・50年代)の能力やテクニック」では絶対に無理です。
で、この時に!
果たして野球ファンは「今のレベルでは到底太刀打ちできない昭和の野球なんて嘘だ!インチキだ!」「王の868本なんて世界記録は今は意味がない」なんて言うのか?って話です。
そりゃ変り者もいるでしょうけど(笑) でもほとんどの方は王選手や世界記録をリスペクトすることでしょう。
「時」を理解できない方って、いつも「今」を主軸にして考えてしまいがちですが、「当時」を軸とした見方や解釈ができないとダメだってことです。
営業途中なのに。あー、つかれるな(笑)
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Re: ご教授下さい
ありがとうございます!
非公開コメントで頂戴したのですが、申し訳ありませんが、FC2ブログさんは非公開でコメントをお返しできない仕組みになってます。ご了承ください。
そこでぼやかしてお答えしたいのですが、僧侶の愚行も解釈を変える一因の一部ではありますが、要は現在の日蓮正宗は他の日蓮宗と一緒で、学会からみれば他宗に過ぎません。
その他宗に大御本尊がある。
そういう状況になっているので、現実問題として受持することはできない。
でも「真面目に」創価学会の御本尊(おもに日寛上人書写の)を信仰している会員は大きな功徳をもらっている。
その他の要素もありますが、種々鑑みて、会則変更を行ったと私は思っております。
非公開コメントで頂戴したのですが、申し訳ありませんが、FC2ブログさんは非公開でコメントをお返しできない仕組みになってます。ご了承ください。
そこでぼやかしてお答えしたいのですが、僧侶の愚行も解釈を変える一因の一部ではありますが、要は現在の日蓮正宗は他の日蓮宗と一緒で、学会からみれば他宗に過ぎません。
その他宗に大御本尊がある。
そういう状況になっているので、現実問題として受持することはできない。
でも「真面目に」創価学会の御本尊(おもに日寛上人書写の)を信仰している会員は大きな功徳をもらっている。
その他の要素もありますが、種々鑑みて、会則変更を行ったと私は思っております。
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Re: ありがとう御座います!
ありがたいコメントでございます!
勇気を頂きました!
ありがとうございます!!
勇気を頂きました!
ありがとうございます!!
お疲れ様です
失言なさるお方のおかげで鯛焼きさんが大人気大絶賛に預かると言う複雑な気持ちで鯛焼きさんを見つめております
私は酒癖の酷さを指摘して、下手すると職を失う事にもなりかねないと思っただけなのですが、私の事を大変に悪意に満ちた人間だと思われて大変な目にあいました。
余計な事はするものではありません
5チャンさんや鯛焼きさんのように、ネット依存のない方がトラブルにあわずにすみます
賢い活用方法です
警察のネット対策課もありますが、そこで相談お世話にならなくて済むように、私も賢い活用法を考えなくてはいけません
さてひょんな事から梵我一如さんもイメージ回復の機会が生まれました
創価の鏡、創価の誇りで日蓮大聖人のお弟子様のラン女史様のブログを無断で拝借すると言う大失態をこれまたされまして、絶対に下衆なやりとりを読む事もない、才女ラン女史様よりお声掛けがあり、法論をやっております
法論と言うのは御書にのってる文章のみを使って会話する事で、ラン女史様は御書の全編を何回拝読なさったのかは知りませんが、全部覚えてるので御書にのってる文章だけで会話できると思います
はっきり言えば、池田先生と日顕上人の折り合いがつかなかった為で、正宗が嘘だ、学会が嘘だと言う終わりのない茶番でなく、日蓮大聖人の弟子なら御書を全部暗記して説明していつでも御書を見ずにその場で使えるようになりなさいと言う素晴らしい女史でございます。
はっきり言って、梵我一如さんも下衆な意味のない茶番をやるより、今まで生きてきて勉強した事を御披露いただきたいと思います
失言なさるお方のおかげで鯛焼きさんが大人気大絶賛に預かると言う複雑な気持ちで鯛焼きさんを見つめております
私は酒癖の酷さを指摘して、下手すると職を失う事にもなりかねないと思っただけなのですが、私の事を大変に悪意に満ちた人間だと思われて大変な目にあいました。
余計な事はするものではありません
5チャンさんや鯛焼きさんのように、ネット依存のない方がトラブルにあわずにすみます
賢い活用方法です
警察のネット対策課もありますが、そこで相談お世話にならなくて済むように、私も賢い活用法を考えなくてはいけません
さてひょんな事から梵我一如さんもイメージ回復の機会が生まれました
創価の鏡、創価の誇りで日蓮大聖人のお弟子様のラン女史様のブログを無断で拝借すると言う大失態をこれまたされまして、絶対に下衆なやりとりを読む事もない、才女ラン女史様よりお声掛けがあり、法論をやっております
法論と言うのは御書にのってる文章のみを使って会話する事で、ラン女史様は御書の全編を何回拝読なさったのかは知りませんが、全部覚えてるので御書にのってる文章だけで会話できると思います
はっきり言えば、池田先生と日顕上人の折り合いがつかなかった為で、正宗が嘘だ、学会が嘘だと言う終わりのない茶番でなく、日蓮大聖人の弟子なら御書を全部暗記して説明していつでも御書を見ずにその場で使えるようになりなさいと言う素晴らしい女史でございます。
はっきり言って、梵我一如さんも下衆な意味のない茶番をやるより、今まで生きてきて勉強した事を御披露いただきたいと思います
ひとりごと
とかく言葉とは難しいものですね。私の文章が拙いのも確かですけど。でも読解力をもう少し身に着けて欲しいものです(笑)
確かに、私はこのように書きました。
>大御本尊様も、大聖人御在世の時ではなく後世の上人が後付けしたのは事実だし、戸田会長もそういった経緯はご存知だったでしょう。
ここを勘違いというか曲解されているので補足しましょう。
当時から日蓮宗をはじめとして「大御本尊偽造説」なるものが存在してました。戸田先生も当然そのことを存知ですし、その過程で「後世の上人が後付けした」という内容の話があることも存知だったでしょう。
ここで、戸田先生が「後世の上人が後付けした」ことを「事実」ととらえたのか、「そうではない」ととらえたのかまではさすがに分かりません。
「後付けしたのは事実」と書いたのはあくまで私鯛焼きの主観であり、戸田先生が事実ととらえたのかどうかは分からないので、
、ここが書き方として誤解を招いたのかも知れませんね。
ですが「後世の上人が後付けした」という経緯や内容は、間違いなくご存知だったでしょう。
そういう意味なんです。
ですので、たこ焼きさんが書いた
>創価支部長は戸田会長が本門戒壇の大御本尊が後世の上人が後ずけした方便であると知っていたという認識。
というのは誤った認識で、「方便」などと勝手に思い込む(印象付けする?)のはやめてもらいたい(笑)
書き換えるならば、
>創価支部長は戸田会長が本門戒壇の大御本尊が後世の上人が後ずけしたという内容を知っていたという認識。
こうなんです!
戸田先生や創価学会は「大御本尊が偽物」などとは一切言っておりません。
現在は他宗(日蓮正宗)にあるので受持の対象にはできない、と言ってるにすぎません。
現在に戸田先生がおられても同じ結論を下すと思いますが、それは置きます。
>でも、時代によってどう解釈するかは、まさにその時の問題。その時はその時で正しい解釈なんです。
と私が続けて書いたように、当時はそういった内容を知っていたとしても、当時の日蓮正宗の教義(日寛教学)に合わせた解釈でも可能な時代だったということです。
その証拠に小樽問答では、日蓮宗サイドの疑義に対して日蓮正宗側の立場で反駁をしましたよね?
くどいですが、なぜなら「大御本尊偽造説」を知ってはいても、また「後世の上人が後付けした」という内容を知っていても、
解釈としては「大御本尊中心」の本尊論を取っていたからです。
これは、決してダマしただとかそんな次元の話ではなく、解釈というものは総合的に判断なされるものだからです。どの角度からどの度合で見るかによって色々変わってくるのです。
続けて、
>それを今の状況にあてはめて強引に解釈しようとするから「おかしいじゃないか!」となってしまう。
と書きましたが、平成になってからは日蓮正宗とは異なった立場となりました。
創価学会から見れば、これまでは「日蓮正宗=正しい」でしたが「日蓮正宗=正しくない」になったので、もろもろ総合的に判断して「大御本尊を受持しない」という解釈に変えた。そんな感じなんです。
まあ、ラン様とお話されているようですので、このへんで筆をおきましょう。
確かに、私はこのように書きました。
>大御本尊様も、大聖人御在世の時ではなく後世の上人が後付けしたのは事実だし、戸田会長もそういった経緯はご存知だったでしょう。
ここを勘違いというか曲解されているので補足しましょう。
当時から日蓮宗をはじめとして「大御本尊偽造説」なるものが存在してました。戸田先生も当然そのことを存知ですし、その過程で「後世の上人が後付けした」という内容の話があることも存知だったでしょう。
ここで、戸田先生が「後世の上人が後付けした」ことを「事実」ととらえたのか、「そうではない」ととらえたのかまではさすがに分かりません。
「後付けしたのは事実」と書いたのはあくまで私鯛焼きの主観であり、戸田先生が事実ととらえたのかどうかは分からないので、
、ここが書き方として誤解を招いたのかも知れませんね。
ですが「後世の上人が後付けした」という経緯や内容は、間違いなくご存知だったでしょう。
そういう意味なんです。
ですので、たこ焼きさんが書いた
>創価支部長は戸田会長が本門戒壇の大御本尊が後世の上人が後ずけした方便であると知っていたという認識。
というのは誤った認識で、「方便」などと勝手に思い込む(印象付けする?)のはやめてもらいたい(笑)
書き換えるならば、
>創価支部長は戸田会長が本門戒壇の大御本尊が後世の上人が後ずけしたという内容を知っていたという認識。
こうなんです!
戸田先生や創価学会は「大御本尊が偽物」などとは一切言っておりません。
現在は他宗(日蓮正宗)にあるので受持の対象にはできない、と言ってるにすぎません。
現在に戸田先生がおられても同じ結論を下すと思いますが、それは置きます。
>でも、時代によってどう解釈するかは、まさにその時の問題。その時はその時で正しい解釈なんです。
と私が続けて書いたように、当時はそういった内容を知っていたとしても、当時の日蓮正宗の教義(日寛教学)に合わせた解釈でも可能な時代だったということです。
その証拠に小樽問答では、日蓮宗サイドの疑義に対して日蓮正宗側の立場で反駁をしましたよね?
くどいですが、なぜなら「大御本尊偽造説」を知ってはいても、また「後世の上人が後付けした」という内容を知っていても、
解釈としては「大御本尊中心」の本尊論を取っていたからです。
これは、決してダマしただとかそんな次元の話ではなく、解釈というものは総合的に判断なされるものだからです。どの角度からどの度合で見るかによって色々変わってくるのです。
続けて、
>それを今の状況にあてはめて強引に解釈しようとするから「おかしいじゃないか!」となってしまう。
と書きましたが、平成になってからは日蓮正宗とは異なった立場となりました。
創価学会から見れば、これまでは「日蓮正宗=正しい」でしたが「日蓮正宗=正しくない」になったので、もろもろ総合的に判断して「大御本尊を受持しない」という解釈に変えた。そんな感じなんです。
まあ、ラン様とお話されているようですので、このへんで筆をおきましょう。
梵は嫌われものwww
あらあらあら海さんからも嫌われたなwww
だめじゃん消臭
にしても消臭が正か邪か関係ない
創価が邪であることを暴く?
そんな心で消臭にいること自体矛盾しとるがなwww
バカボンカワイソウニwww
だめじゃん消臭
にしても消臭が正か邪か関係ない
創価が邪であることを暴く?
そんな心で消臭にいること自体矛盾しとるがなwww
バカボンカワイソウニwww
Re: 梵は嫌われものwww
コメントありがとうございます。
たこ焼きさんのブログを読むと、気分が悪くなりますね(笑)
バスに酔った時の感覚?
・ご自身が所属している宗教が間違っていても構わない。
・ただただ創価学会を暴くのがメインテーマ。
とのことですが、これって完全にブーメランが返せますね。
5チャンネラーさんにまかせますが(笑)
でもタコ焼きさんは「ブーメランでも構わない」とのことなのでまるで自爆テロです。
何とために信仰しているのか?
非常に残念な方ですね。
たこ焼きさんのブログを読むと、気分が悪くなりますね(笑)
バスに酔った時の感覚?
・ご自身が所属している宗教が間違っていても構わない。
・ただただ創価学会を暴くのがメインテーマ。
とのことですが、これって完全にブーメランが返せますね。
5チャンネラーさんにまかせますが(笑)
でもタコ焼きさんは「ブーメランでも構わない」とのことなのでまるで自爆テロです。
何とために信仰しているのか?
非常に残念な方ですね。
梵我一如様
私は鯛焼き支部長と最初の出会いが最悪でしたので、誤解しておりました
5ちゃん様、鯛焼きさん、ラン女史様は
問題解決処理能力、トラブル事前回避能力、文章力、立ち回りも最優秀です
鯛焼きさんは今はどっちもどっちだと困るので、いつもとは文章形態変えてます
品格があり落ち着いた丁寧な文章です
ラン女史様は御書をのべ11個使い、梵我一如さんは、仏法と申すは道理なりの1個です
ラン女史様が梵我一如さんの事をどう思ってるのかは推測で代弁は致しませんが、梵我一如さんはラン女史様にお考えになられたらいかがですかと言うより、ラン女史様の器の大きさやラン女史様の人柄の良さを考えた方がいいと思います
常に会話に御書が入ってる方と言うのは日蓮大聖人のお弟子さんのような印象を持ちますが、梵我一如さんはどう思われますか
blue_noteさんがネットから出ていった理由がよくわかりました。
私は鯛焼き支部長と最初の出会いが最悪でしたので、誤解しておりました
5ちゃん様、鯛焼きさん、ラン女史様は
問題解決処理能力、トラブル事前回避能力、文章力、立ち回りも最優秀です
鯛焼きさんは今はどっちもどっちだと困るので、いつもとは文章形態変えてます
品格があり落ち着いた丁寧な文章です
ラン女史様は御書をのべ11個使い、梵我一如さんは、仏法と申すは道理なりの1個です
ラン女史様が梵我一如さんの事をどう思ってるのかは推測で代弁は致しませんが、梵我一如さんはラン女史様にお考えになられたらいかがですかと言うより、ラン女史様の器の大きさやラン女史様の人柄の良さを考えた方がいいと思います
常に会話に御書が入ってる方と言うのは日蓮大聖人のお弟子さんのような印象を持ちますが、梵我一如さんはどう思われますか
blue_noteさんがネットから出ていった理由がよくわかりました。
ダメ出しにダメ出すwww
戸田センセと池田センセが一対一だったからかの話は信用できんとな
ならばニッケンがソウジョウを受けた際もニッタツと一対一だったらしいから当然信用できないよなwww
ならばニッケンがソウジョウを受けた際もニッタツと一対一だったらしいから当然信用できないよなwww
創価ダメ出しブログ
>「毎回自分で自分を『唯一の不二の弟子』ってアピールしなくてもいいのにと心の中で思っていた。(あと、私が全部やりました的の話もぶっちゃけウザかった)」(創価ダメ出しブログ管理人)
広宣流布を託された後継の弟子が、師匠から厳しく指導されるのは当然のことだ。第一線を退こうとされていた池田先生が、自分の弟子に対して、へりくだる必要などない。
「池田先生が自分の戦いをそうやって話すのは、つまりは戸田先生の偉大さを自慢しているんです。『戸田先生の教え通りに戦ったから勝てた』と言っているんです。池田先生は自身の戦いを通して、戸田先生を宣揚しているんです。
師匠である戸田先生のために命をかけて戦ってこられた事実は、これでもかというくらい、弟子である我々に伝えなければなりません。それが、池田先生の使命だと思います。『言わなくたってわかるよね』ではダメなんです。
『私はこうして戦い、勝ってきた。今度は君たちの番だよ』と、池田先生はおっしゃっています。単なる自慢話と片付けてしまうのは自由ですが、『師匠と同じように戦い、必ず結果を残して師匠を宣揚してみせる!』という決意で戦う人の方が間違いなく成長すると確信します」
http://gochiemon.hateblo.jp/entry/2014/02/18/035005
「私は師匠を守るために、命をかけて戦った。すべてを捧げて戸田先生に仕えた。先生は本当に厳しかった。今の時代では、想像できないほどの厳しさだった。真夜中や夜明け前に『すぐに来なさい』と戸田先生から電話がかかってくる。そういうことが、何度もあった。先生のお宅は遠い。そんな時間では、タクシーも、なかなかつかまらない。それでも手を尽くして、なんとかして、先生のもとへ駆けつけた。ふつうの人間なら、反感を持ち、退転していたかもしれない。反逆していたかもしれない。それほどの厳しい訓練だった。それでも私は広宣流布のため、師匠のために、喜び勇んで馳せ参じた。仏法の真髄は、そして人間の生き方の真髄は『師弟』にある。お金もない。何もない。大変な時代だった。そのなかで、先生に仕え切った。横着など、一切しなかった。今の人たちには、いくら口で説明してもわからないかもしれない。しかし、命を賭して私は戦った。先生のお宅へ行って、夜通し、先生をお守りしたことも、たびたびあった。朝になると、そこから、会社へ出かけていった。戦って戦って、戦い抜いた。私は医者から『30歳までもたない』と言われたが、本当に、28歳くらいで死ぬかもしれないと思っていた。妻もそう思っていた。そういう戦いをしたのである」(池田先生、2006年3月9日 本部代表幹部会)
【弟子を𠮟る意味】
https://www.youtube.com/watch?v=6DWCvHHvEtw
広宣流布を託された後継の弟子が、師匠から厳しく指導されるのは当然のことだ。第一線を退こうとされていた池田先生が、自分の弟子に対して、へりくだる必要などない。
「池田先生が自分の戦いをそうやって話すのは、つまりは戸田先生の偉大さを自慢しているんです。『戸田先生の教え通りに戦ったから勝てた』と言っているんです。池田先生は自身の戦いを通して、戸田先生を宣揚しているんです。
師匠である戸田先生のために命をかけて戦ってこられた事実は、これでもかというくらい、弟子である我々に伝えなければなりません。それが、池田先生の使命だと思います。『言わなくたってわかるよね』ではダメなんです。
『私はこうして戦い、勝ってきた。今度は君たちの番だよ』と、池田先生はおっしゃっています。単なる自慢話と片付けてしまうのは自由ですが、『師匠と同じように戦い、必ず結果を残して師匠を宣揚してみせる!』という決意で戦う人の方が間違いなく成長すると確信します」
http://gochiemon.hateblo.jp/entry/2014/02/18/035005
「私は師匠を守るために、命をかけて戦った。すべてを捧げて戸田先生に仕えた。先生は本当に厳しかった。今の時代では、想像できないほどの厳しさだった。真夜中や夜明け前に『すぐに来なさい』と戸田先生から電話がかかってくる。そういうことが、何度もあった。先生のお宅は遠い。そんな時間では、タクシーも、なかなかつかまらない。それでも手を尽くして、なんとかして、先生のもとへ駆けつけた。ふつうの人間なら、反感を持ち、退転していたかもしれない。反逆していたかもしれない。それほどの厳しい訓練だった。それでも私は広宣流布のため、師匠のために、喜び勇んで馳せ参じた。仏法の真髄は、そして人間の生き方の真髄は『師弟』にある。お金もない。何もない。大変な時代だった。そのなかで、先生に仕え切った。横着など、一切しなかった。今の人たちには、いくら口で説明してもわからないかもしれない。しかし、命を賭して私は戦った。先生のお宅へ行って、夜通し、先生をお守りしたことも、たびたびあった。朝になると、そこから、会社へ出かけていった。戦って戦って、戦い抜いた。私は医者から『30歳までもたない』と言われたが、本当に、28歳くらいで死ぬかもしれないと思っていた。妻もそう思っていた。そういう戦いをしたのである」(池田先生、2006年3月9日 本部代表幹部会)
【弟子を𠮟る意味】
https://www.youtube.com/watch?v=6DWCvHHvEtw
続き
>「戸田会長のご遺族である戸田会長の奥様(故人)は生前に大作センセを厳しく批判している。また戸田会長の奥様の葬儀には『不二の弟子』は欠礼している。創価民の見立てでは正宗を破門になり参列できない理由があったということらしいが、当時の秋谷会長は参列しているのに大作センセが欠礼しているのはいかにもオカシナ話である。『唯一の不二の弟子』を吹聴しているのに、不二の師匠の奥様の葬儀にも出ないとは『人の振る舞い』としてどうかと思う」(創価ダメ出しブログ管理人)
平成12年(2000年)3月6日、創価学会第2代会長・戸田城聖氏の夫人・戸田幾さんが逝去された。享年89歳。
逝去された際、池田先生は弔問に訪れている。
※「戸田第2代会長夫人 戸田幾さんが逝去 池田名誉会長が弔問」(平成12年3月8日付『聖教新聞』)
生前の強い希望により、幾さんの告別式は、日達上人の長男である日蓮正宗常在寺・細井珪道住職の導師で執り行われた(日達上人の次男である実修寺・細井琢道住職は、日蓮正宗から離脱している)。ちなみに、常在寺の所属信徒であった戸田先生の告別式も、1958年(昭和33年)4月8日に常在寺で営まれている。
池田先生が参列しなかった、あるいは参列できなかったのは、日蓮正宗が創価学会を平成3年11月28日に破門したからだ。
もし日蓮正宗の寺院に創価学会トップの池田先生が立ち入れば、日蓮正宗側と一悶着あったかも知れない。
御高齢ゆえ伝統に固執した幾さんが、宗門から離れることを望まなかったのだろう。偏った情報ばかりを宗門側から吹き込まれたら、創価学会に対する幾さんの見方も変わってしまうだろう。
平成12年(2000年)3月6日、創価学会第2代会長・戸田城聖氏の夫人・戸田幾さんが逝去された。享年89歳。
逝去された際、池田先生は弔問に訪れている。
※「戸田第2代会長夫人 戸田幾さんが逝去 池田名誉会長が弔問」(平成12年3月8日付『聖教新聞』)
生前の強い希望により、幾さんの告別式は、日達上人の長男である日蓮正宗常在寺・細井珪道住職の導師で執り行われた(日達上人の次男である実修寺・細井琢道住職は、日蓮正宗から離脱している)。ちなみに、常在寺の所属信徒であった戸田先生の告別式も、1958年(昭和33年)4月8日に常在寺で営まれている。
池田先生が参列しなかった、あるいは参列できなかったのは、日蓮正宗が創価学会を平成3年11月28日に破門したからだ。
もし日蓮正宗の寺院に創価学会トップの池田先生が立ち入れば、日蓮正宗側と一悶着あったかも知れない。
御高齢ゆえ伝統に固執した幾さんが、宗門から離れることを望まなかったのだろう。偏った情報ばかりを宗門側から吹き込まれたら、創価学会に対する幾さんの見方も変わってしまうだろう。
続き
>「現証として戸田家はいまもって日蓮正宗の信者ではないか」(創価ダメ出しブログ管理人)
【牧口先生のひ孫さんと戸田先生のお孫さん】
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13158464878
2001年「新世紀 完勝の年」が明けた。(略)
日本では、1、2日を中心に「新年勤行会」が全国の会館・研修道場等で行われた。(略)
池田SGI会長は新年勤行会に寄せて、全国の各方面に記念のメッセージを贈った。2日には、東京牧口記念会館(八王子市)での勤行会に、16カ国・地域のSGIの代表、牧口家・戸田家のご親族らとともに出席した。
「本年は、牧口先生の生誕百三十周年。そして、戸田先生の会長就任五十周年である。きょうは、ご両家の方々、ゆかりの皆さまもお越しくださった。(略)」(新年勤行会でのSGI会長スピーチより、『聖教新聞』2001.1.4付)
http://www.3colorflags.net/sintyaku/2001-1-4.txt
創価学会創立83周年を記念する勤行会が、「創立の日」の2013年11月18日、牧口常三郎初代会長の70回忌法要の意義を込めて、東京・信濃町の広宣流布大誓堂で厳粛に営まれた。池田大作名誉会長は牧口初代会長と戸田城聖第2代会長をしのび、メッセージを寄せた。
「(略)本日の式典には、牧口家の皆様、戸田家の皆様も、ご出席くださっております。私たちは、弟子の総意をもって、この師弟不二の広宣流布大誓堂を、報恩の赤誠を込めて、両先生に謹んで捧げさせていただこうではありませんか!」
http://newfnet.blog62.fc2.com/blog-entry-735.html
【牧口先生のひ孫さんと戸田先生のお孫さん】
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13158464878
2001年「新世紀 完勝の年」が明けた。(略)
日本では、1、2日を中心に「新年勤行会」が全国の会館・研修道場等で行われた。(略)
池田SGI会長は新年勤行会に寄せて、全国の各方面に記念のメッセージを贈った。2日には、東京牧口記念会館(八王子市)での勤行会に、16カ国・地域のSGIの代表、牧口家・戸田家のご親族らとともに出席した。
「本年は、牧口先生の生誕百三十周年。そして、戸田先生の会長就任五十周年である。きょうは、ご両家の方々、ゆかりの皆さまもお越しくださった。(略)」(新年勤行会でのSGI会長スピーチより、『聖教新聞』2001.1.4付)
http://www.3colorflags.net/sintyaku/2001-1-4.txt
創価学会創立83周年を記念する勤行会が、「創立の日」の2013年11月18日、牧口常三郎初代会長の70回忌法要の意義を込めて、東京・信濃町の広宣流布大誓堂で厳粛に営まれた。池田大作名誉会長は牧口初代会長と戸田城聖第2代会長をしのび、メッセージを寄せた。
「(略)本日の式典には、牧口家の皆様、戸田家の皆様も、ご出席くださっております。私たちは、弟子の総意をもって、この師弟不二の広宣流布大誓堂を、報恩の赤誠を込めて、両先生に謹んで捧げさせていただこうではありませんか!」
http://newfnet.blog62.fc2.com/blog-entry-735.html
続き
>「師匠・戸田会長が後継指名したのであれば再三再四の懇請を受けずとも、再三再四の懇請を受けるまで固辞しなくても戸田会長の意思を継ぎもっと早く会長に就任したはずだし、そうすべきだっただろう」(創価ダメ出しブログ管理人)
池田先生は、どこかの宗派の管長のように自己申告を押し通して会長になったわけではない。
創価学会の会長は責任役員会議で決まる。当時の学会首脳部が池田先生に三顧を尽くし、第三代会長就任を要請した。
池田先生は会長就任を固辞していたが、戸田先生御逝去の2年後に周りから推戴(すいたい)されて会長に就任したのである。
池田先生は、戸田城聖会長に仕えるなかで、学会の会長職が、いかに峻厳なものであり、また、その使命が、いかに重大で深いものであるかを身に染みて感じていた。創価学会の会長には、一切の矢面(やおもて)に立って、一身に集中砲火を浴び、会員を守らねばならぬ責任がある。すなわち、その双肩(そうけん)には御本仏の御遺命(ごゆいめい)である、広宣流布のすべてが、かかっている。まさに、凡智(ぼんち)をもってしては計り得ぬ、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の聖職と言ってよい。それだけに、会長就任については、慎重にならざるを得なかったのである。
1960年(昭和35年)3月30日、創価学会本部1階の応接室で小泉隆理事長が、「多くの同志の要望を申し上げたいと思います。池田先生に会長として本格的に広宣流布の指揮を執(と)っていただきたいのです」と、池田先生に会長就任を要請した。
しかし、池田先生は、「申し訳ありませんが、私はまだ、会長をお引き受けするわけにはいきません。会長としては、あまりに若輩です。せめて、戸田先生の七回忌を終えるまでは、現在のままでお願いしたいと思います。お話は、よくわかります。しかし、小泉理事長もそうですが、私も大阪の事件で被告の身です。もし、会長になって、有罪判決が下されれば、学会は反社会的な宗教団体ということになってしまいます。わがままを言うようで申し訳ありませんが、せめて無罪の判決が出るまで猶予(ゆうよ)をお願いしたいんです」と、一旦は断った。
しかし、「ここで、あきらめるわけには絶対にいきません。さらに勇気を奮い起こして、もっと強く会長就任をお願いする以外にない」(柏原ヤス理事)、「私も、そう思う。私たちが必死になってお願いすれば、池田先生は、きっと会長を引き受けてくださるはずだ」(原島宏治理事)という意見が出て、再度、池田先生に会長就任を要請したのである。
「池田先生、今日は御了解いただくまで帰らないつもりであります」(原島宏治理事)
「会長は池田先生以外にありえません。このままでは同志がかわいそうです。先生、お願いします」(辻武寿理事)
「池田先生が会長職を辞退されている限り、広宣流布は遅れてしまいます。それでよろしいのでしょうか! 戸田先生も、あなたを第三代会長と思い、心に誓って訓練されてきたことは、あなたもよくご存じのはずです。私たちも、戸田先生の遺言として知っております。会長推戴は、広宣流布を願っての全幹部の要請です。お引き受けください」(小泉隆理事長)
「それほどの皆さんのお話なら……」(池田先生)
「よろしいのですね! ありがとうございます」(小泉隆理事長)
池田先生は、どこかの宗派の管長のように自己申告を押し通して会長になったわけではない。
創価学会の会長は責任役員会議で決まる。当時の学会首脳部が池田先生に三顧を尽くし、第三代会長就任を要請した。
池田先生は会長就任を固辞していたが、戸田先生御逝去の2年後に周りから推戴(すいたい)されて会長に就任したのである。
池田先生は、戸田城聖会長に仕えるなかで、学会の会長職が、いかに峻厳なものであり、また、その使命が、いかに重大で深いものであるかを身に染みて感じていた。創価学会の会長には、一切の矢面(やおもて)に立って、一身に集中砲火を浴び、会員を守らねばならぬ責任がある。すなわち、その双肩(そうけん)には御本仏の御遺命(ごゆいめい)である、広宣流布のすべてが、かかっている。まさに、凡智(ぼんち)をもってしては計り得ぬ、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の聖職と言ってよい。それだけに、会長就任については、慎重にならざるを得なかったのである。
1960年(昭和35年)3月30日、創価学会本部1階の応接室で小泉隆理事長が、「多くの同志の要望を申し上げたいと思います。池田先生に会長として本格的に広宣流布の指揮を執(と)っていただきたいのです」と、池田先生に会長就任を要請した。
しかし、池田先生は、「申し訳ありませんが、私はまだ、会長をお引き受けするわけにはいきません。会長としては、あまりに若輩です。せめて、戸田先生の七回忌を終えるまでは、現在のままでお願いしたいと思います。お話は、よくわかります。しかし、小泉理事長もそうですが、私も大阪の事件で被告の身です。もし、会長になって、有罪判決が下されれば、学会は反社会的な宗教団体ということになってしまいます。わがままを言うようで申し訳ありませんが、せめて無罪の判決が出るまで猶予(ゆうよ)をお願いしたいんです」と、一旦は断った。
しかし、「ここで、あきらめるわけには絶対にいきません。さらに勇気を奮い起こして、もっと強く会長就任をお願いする以外にない」(柏原ヤス理事)、「私も、そう思う。私たちが必死になってお願いすれば、池田先生は、きっと会長を引き受けてくださるはずだ」(原島宏治理事)という意見が出て、再度、池田先生に会長就任を要請したのである。
「池田先生、今日は御了解いただくまで帰らないつもりであります」(原島宏治理事)
「会長は池田先生以外にありえません。このままでは同志がかわいそうです。先生、お願いします」(辻武寿理事)
「池田先生が会長職を辞退されている限り、広宣流布は遅れてしまいます。それでよろしいのでしょうか! 戸田先生も、あなたを第三代会長と思い、心に誓って訓練されてきたことは、あなたもよくご存じのはずです。私たちも、戸田先生の遺言として知っております。会長推戴は、広宣流布を願っての全幹部の要請です。お引き受けください」(小泉隆理事長)
「それほどの皆さんのお話なら……」(池田先生)
「よろしいのですね! ありがとうございます」(小泉隆理事長)
続き
戸田先生は昭和29年2月27日の本部幹部会で次のように指導された。
「広宣流布を成すのは、学会以外にない。これに背けば五逆罪になる。学会を離れて幸せの者はいない。功徳のあるわけがない。――(五逆罪は)和合僧を破る。心の和合を破壊し、仏の道を破壊することである。僧というと変だと思うかもしれぬが、坊さんのことではないのです。わが学会は、和合して、広布へ、日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを破ろうとする者は、必ず仏法の大きな罰を受ける。もし破ろうとする者あらば、やってみたまえ。内から外からやってみたまえ。絶対に出来ぬ」と。
日顕は昭和22年、東京・向島の本行寺住職になった時から、事あるごとに反学会の急先鋒として動いていた。昭和27年の「狸祭り事件」で、戸田会長の登山止めを宗会が決議した時も、宗会議員に何度も電話をかけ、学会に屈することなく頑張ってもらいたいとエ-ルを送っていた。
また、宗教法人法が施行され、学会が宗教法人法の認証を取ることになったが、これに強硬に反対したのも日顕だった。
その日顕が法主になって「C作戦」を決行したが、学会の和合僧を壊すことは出来なかった。戸田会長の指導の如く、第六天の魔王の日顕が、あらゆる手を使っても壊すことが出来なかった。この事実こそ、学会が真実の和合僧団であることの証明である。
片や、不知恩の日顕、日如に率いられた宗門は衰退の一途をたどっている。「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(聖人御難事)との大聖人の御指南通り、宗門は仏法の因果の理法により滅び去ることは明々白々である。
◆宗門の存在意義を揺るがした、創価学会の御本尊授与
http://www.nichiren.com/nkt/108.pdf
◆「法華弘通のはたじるし」を信徒支配に悪用する日蓮正宗
http://www.nichiren.com/nkt/116.pdf
日顕自身が平成6年5月26日、学会が建立寄進した大石寺大講堂での全国教師寺族指導会で、坊主の堕落は学会が莫大な御供養を続けたからだと、次のように語ったことがある。
「彼等(学会のこと)は、ジーッと御供養して信仰やって、坊さんが堕落するのを待ってたんです。これは、そう言えるんです。そうして、最後に堕落しきったところで、我々が宗門全部を利用して適当に料理しよう。うん、いこう。これが今までの彼らの本心ですよ」
日顕は自分等が堕落しきっている事実を認めている。
________
■小説『新・人間革命』大道4
翌7月25日午後、四国に草創の支部が結成されて二十二周年を迎えることから、その記念幹部会が四国研修道場で開催された。
この集いでも、四国の歌「我等の天地」を大合唱し、喜びの波動は広がっていった。
席上、山本伸一は、「阿仏房御書」(御書1304ページ)を拝して指導した。
本抄で日蓮大聖人は、「末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。もしそうであれば、身分の貴さや賤しさ、立場の上と下は関係なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身が宝塔であり、また、その人自身が多宝如来なのである」(通解)と御断言になっている。
宝塔とは、法華経に説かれた、金、銀、瑠璃など、七宝をもって飾られた壮大な塔である。多宝如来とは、法華経こそ万人成仏の真実の教えであることを証明する仏である。
現実の世界で日々苦闘する生身の人間が、信心に励むことによって、そのままの姿で妙法の当体、すなわち宝塔として金色燦然と光り輝き、また、多宝如来として真の仏法の偉大さを証明していけるというのだ。
初代会長・牧口常三郎も随所に線を引き、深く拝していた御書である。
伸一は、そのあとにある、「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」の一節を引いて訴えた。
「ここでは、阿仏房を対告衆として、わが身そのままが妙法蓮華経の当体であり、宝塔とは、南無妙法蓮華経と唱える私たちにほかならないことを示されています。これこそが、仏法の教えの結論であるといえます。したがって『此れより外の才覚無益なり』――“これだけ知っていればいいのですよ”と言われているんです。
本来、私たち自身が宝塔であり、大御本尊なんです。この己心の宝塔を顕現させるための生命の明鏡として御本尊がある。ですから、いつ、どこにいようと、自分のいるところが宝塔の住処となり、常寂光土にすることができるんです。なんの心配もありません」
(平成27年2月14日付『聖教新聞』)
________
日本を代表する宗教社会学者の方が、次のように語られていたという。
「(略)私は『究極に求められるものはなんでしょうか』と質問しました。恐らく『板曼荼羅の御本尊』と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は『久遠元初の法です』と答えられたのです。このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に、偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見たおもいでした。以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております」
もとより、御本尊が、私どもの「根本尊敬」の対象であられることは言うまでもない。そのうえで、曼荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではありえない。当然、そこに計りしれない御仏意があられると拝されるが、曼荼羅としてあらわされた「法」は永遠である。
いずれにしても、大聖人の仏法の真髄である、「久遠元初の法」を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける。この方は、そこに普遍的なものをかんじられたのであろう。
(平成5年5月3日、「5.3記念 勤行会」池田名誉会長のスピーチより)
「広宣流布を成すのは、学会以外にない。これに背けば五逆罪になる。学会を離れて幸せの者はいない。功徳のあるわけがない。――(五逆罪は)和合僧を破る。心の和合を破壊し、仏の道を破壊することである。僧というと変だと思うかもしれぬが、坊さんのことではないのです。わが学会は、和合して、広布へ、日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを破ろうとする者は、必ず仏法の大きな罰を受ける。もし破ろうとする者あらば、やってみたまえ。内から外からやってみたまえ。絶対に出来ぬ」と。
日顕は昭和22年、東京・向島の本行寺住職になった時から、事あるごとに反学会の急先鋒として動いていた。昭和27年の「狸祭り事件」で、戸田会長の登山止めを宗会が決議した時も、宗会議員に何度も電話をかけ、学会に屈することなく頑張ってもらいたいとエ-ルを送っていた。
また、宗教法人法が施行され、学会が宗教法人法の認証を取ることになったが、これに強硬に反対したのも日顕だった。
その日顕が法主になって「C作戦」を決行したが、学会の和合僧を壊すことは出来なかった。戸田会長の指導の如く、第六天の魔王の日顕が、あらゆる手を使っても壊すことが出来なかった。この事実こそ、学会が真実の和合僧団であることの証明である。
片や、不知恩の日顕、日如に率いられた宗門は衰退の一途をたどっている。「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(聖人御難事)との大聖人の御指南通り、宗門は仏法の因果の理法により滅び去ることは明々白々である。
◆宗門の存在意義を揺るがした、創価学会の御本尊授与
http://www.nichiren.com/nkt/108.pdf
◆「法華弘通のはたじるし」を信徒支配に悪用する日蓮正宗
http://www.nichiren.com/nkt/116.pdf
日顕自身が平成6年5月26日、学会が建立寄進した大石寺大講堂での全国教師寺族指導会で、坊主の堕落は学会が莫大な御供養を続けたからだと、次のように語ったことがある。
「彼等(学会のこと)は、ジーッと御供養して信仰やって、坊さんが堕落するのを待ってたんです。これは、そう言えるんです。そうして、最後に堕落しきったところで、我々が宗門全部を利用して適当に料理しよう。うん、いこう。これが今までの彼らの本心ですよ」
日顕は自分等が堕落しきっている事実を認めている。
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■小説『新・人間革命』大道4
翌7月25日午後、四国に草創の支部が結成されて二十二周年を迎えることから、その記念幹部会が四国研修道場で開催された。
この集いでも、四国の歌「我等の天地」を大合唱し、喜びの波動は広がっていった。
席上、山本伸一は、「阿仏房御書」(御書1304ページ)を拝して指導した。
本抄で日蓮大聖人は、「末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。もしそうであれば、身分の貴さや賤しさ、立場の上と下は関係なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身が宝塔であり、また、その人自身が多宝如来なのである」(通解)と御断言になっている。
宝塔とは、法華経に説かれた、金、銀、瑠璃など、七宝をもって飾られた壮大な塔である。多宝如来とは、法華経こそ万人成仏の真実の教えであることを証明する仏である。
現実の世界で日々苦闘する生身の人間が、信心に励むことによって、そのままの姿で妙法の当体、すなわち宝塔として金色燦然と光り輝き、また、多宝如来として真の仏法の偉大さを証明していけるというのだ。
初代会長・牧口常三郎も随所に線を引き、深く拝していた御書である。
伸一は、そのあとにある、「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」の一節を引いて訴えた。
「ここでは、阿仏房を対告衆として、わが身そのままが妙法蓮華経の当体であり、宝塔とは、南無妙法蓮華経と唱える私たちにほかならないことを示されています。これこそが、仏法の教えの結論であるといえます。したがって『此れより外の才覚無益なり』――“これだけ知っていればいいのですよ”と言われているんです。
本来、私たち自身が宝塔であり、大御本尊なんです。この己心の宝塔を顕現させるための生命の明鏡として御本尊がある。ですから、いつ、どこにいようと、自分のいるところが宝塔の住処となり、常寂光土にすることができるんです。なんの心配もありません」
(平成27年2月14日付『聖教新聞』)
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日本を代表する宗教社会学者の方が、次のように語られていたという。
「(略)私は『究極に求められるものはなんでしょうか』と質問しました。恐らく『板曼荼羅の御本尊』と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は『久遠元初の法です』と答えられたのです。このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に、偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見たおもいでした。以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております」
もとより、御本尊が、私どもの「根本尊敬」の対象であられることは言うまでもない。そのうえで、曼荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではありえない。当然、そこに計りしれない御仏意があられると拝されるが、曼荼羅としてあらわされた「法」は永遠である。
いずれにしても、大聖人の仏法の真髄である、「久遠元初の法」を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける。この方は、そこに普遍的なものをかんじられたのであろう。
(平成5年5月3日、「5.3記念 勤行会」池田名誉会長のスピーチより)
チャンネル連中ってうましかwww
それは光栄なことですなwww
オイラははぐれものだもの
支部長なんかにはなれませんってwww
妄想乙www
オイラははぐれものだもの
支部長なんかにはなれませんってwww
妄想乙www
あほらしwww
メンドーくせー連中ダナーwww
チャンネル連中オマエラウソっぱちwww
頭いかれてるな
鯛焼き支部長に迷惑かけるの忍びないから控えるわ
これまでありがとうございました
チャンネル連中オマエラウソっぱちwww
頭いかれてるな
鯛焼き支部長に迷惑かけるの忍びないから控えるわ
これまでありがとうございました
Re: あほらしwww
5チャンネラーさん、コメントありがとうございます。
あっちの5チャンのほうですね。背景と大意が分かりました。
気にしないでいいんじゃないですか?
5チャンさんは的確なツッコミが最高です(笑)
また気が向かれたらどうぞコメントなさってください。
あっちの5チャンのほうですね。背景と大意が分かりました。
気にしないでいいんじゃないですか?
5チャンさんは的確なツッコミが最高です(笑)
また気が向かれたらどうぞコメントなさってください。