日本共産党は1922年(大正11年)にソ連に本拠をおくコミンテルンの日本支部として設立された組織で、暴力組織として危険視され、非合法な存在でした。昭和7年に川崎第百銀行大森支店を襲撃するなどの凶悪犯罪組織でした。 ソ連コミンテルンの日本支部として日本を赤化=共産主義化しようとする危険思想集団、誘拐や強盗、恐喝を行う犯罪組織として日本共産党は警察から徹底的に取り締まられました。日本共産党はこれらの警察の行為を弾圧だと非難していますが、犯罪者を取り締まり、治安を守るという至極当然の行為だったのです。 1933年(昭和8年)日本共産党は「スパイ査問事件」という世間を震撼させる事件を起こします。戦後長らく日本共産党のトップを務めた宮本顕治氏をはじめとする日本共産党員が警察のスパイとされた党員の小畑達夫をリンチにより殺害、同じく党員であった大泉兼蔵を負傷させました。 小畑達夫は日本共産党員によって、針金等で手足を縛って目隠して暴行を加えられ殺害されました。後日、床下から小畑の遺体が発見されました。大泉兼蔵も小畑と同様にリンチを加えられ、気絶しましたが、蘇生し、反撃しようとして拳銃を突きつけられているところに特高警察が踏み込み、助け出されました。 宮本顕治をはじめとする日本共産党員は逮捕され、宮本顕治は無期懲役の判決を受けて服役することになりました。日本共産党の主要幹部は軒並み、危険人物として逮捕され、日本共産党は壊滅状態となりました。 昭和63年の2月に衆院予算委員会で委員長の浜田幸一氏が宮本顕治氏を「人殺し」と発言し、大騒動となったことがありましたが、この発言は「共産党リンチ査問事件」のことを指しているのです。 このままいけば、日本を危うくする危険集団として消え去る運命にあった日本共産党ですが、ある出来事をキッカケにして蘇生してしまい、再び日本を危うくすることになってしまいました。ある出来事とは日本の敗戦です。 戦後、日本に進駐してきたGHQは日本共産党を合法化してしまいました。そして、収監されていた宮本顕治をはじめとする日本共産党の政治犯が無条件に釈放されてしまいました。徳田球一、志賀義雄、袴田里見らも釈放されてしまいました。 日本国民にとってGHQは占領軍ですが、日本共産党にとってGHQは解放軍であり、命の恩人なのです。今では日本共産党はアメリカを敵国主義、自民党をアメリカ帝国主義の手先、犬と激しく批判しますが、自分たちがアメリカに助けてもらった歴史を忘れてしまったのでしょうか。 GHQが日本共産党の政治犯を釈放したのは、日本弱体化戦略の一環としてですが、エマーソンやノーマンというコミンテルンのスパイがGHQにいたことも重要です。彼らは積極的に日本政府に圧力をかけ、日本共産党の政治犯を釈放させたのです。 戦後の日本の歴史を見れば分かる通り、GHQによる日本共産党の政治犯釈放は大きな禍根を残すことになりました。左翼が一大勢力となり、日本を蝕み続け、それが現在まで至っています。日本史上、最大の不幸といっても過言ではありません。 日本共産党は平和を愛する党であると多くの人が認識していますが、とんでもない誤解なのです。リンチ査問事件を見れば、如何に危険な反日政党であるかが分かるはずです。もともと、GHQが日本弱体化戦略のために利用した党が日本共産党なのです。 忘れはなりませんが、日本共産党は破壊活動防止法に基づく公安による調査対象団体なのです。政府は「現在においても共産党は破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」との答弁書を決定しています。 しかも、日本共産党は今年の第190通常国会の開会式まで、天皇陛下がご臨席する開会式に出席しなかった反日政党なのです。天皇制に反対する共産党だからこその行動です。 日本共産党の真実を語ることはタブー視され、ほとんど取り上げられることがありません。なので多くの人が日本共産党の正体を知る由がないわけですが、本当に恐ろしいことです。こうした事実を広く拡散していく必要があります。 この記事に賛同頂ける方、クリックをお願いします。 |
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