昨年9月26日に、世界の知られざる真実(1)として【世界を動かす
ものの正体】, 10月7日に世界の知られざる真実(2)として【世界
中で戦争を仕掛けるアメリカ】を投稿して依頼、6ヶ月ぶりになりま
すが、同じ項目に引き続き、今回、世界の知られざる真実(3)と
して、【世界最大の金融街、英国ロンドンのシティ】を何回かにわ
たって紹介していきたいと思います。
毎年、日本人のためにロンドン/シティーのツアーというイベントが
あり、ガイドさんの説明付きなので、先日参加してきました。
この日はセント・ポール大聖堂に集合し、そこからウォーキングが
始まりました。
セント・ポール大聖堂
セントポール大聖堂が面しているパタノスター広場は、ロンドン証券
取引所がある場所です。
そして、この現在のモダンなパタノスター広場は日本の不動産会社・
三菱地所株式会社が改装したそうです。
セント・ポールから見たパタノスター広場(この画像だけ、他から
お借りしました。)
ロンドン証券取引所
ロンドンは割と狭いにもかかわらず、世界に君臨してきたという裏表
の事実があり、良い意味でも悪い意味でも大変深い 歴史的内容が
世界に大きな影響を与えてきました。
ロンドンのシティ(以下シティーと呼びます)は、金融街として
アメリカ・ニューヨークのウォール街と同じように考えられていま
すが、その実態はまったく異なります。
ウォール街は、金融機関が集積するニューヨーク市の一区画に過ぎま
せんが、シティは、行政区としてはロンドンの一部となっているものの、
実は中世からの歴史をとおして数々の特権を認められた“自治都市”
でもあるのです。
シティの正式名称は、「シティ・オブ・ロンドン・コーポレーション」と
いいます。
コーポレーションとは、刺繍業組合や皮革加工業組合など1000年も
前から存在している130以上もの同業組合(ギルド)の「共同体」と
いうことです。
そして、ロンドンにはシティグループやHSBCなどの高層ビルが建ち並
ぶ再開発地区カナリーウォーフやヘッジファンドの集まるメイフェアも
あり、これら新興の金融街と合わせて広義のシティ(ロンドンの金融ビ
ジネス)といわれています。
2008年のデータによると、シティは国際的な株式取引の半分、店頭
デリバティブ取引45%ちかく、ユーロ債取引の70%、国際通貨取引
の35%、国際的な新規株式公開の55%を占めていました。
シティーは、地図で見るとロンドン東部のごく小さな一角に過ぎない
ように見えますが、この小さな街が、歴史を通じてグローバル金融の
支配者として圧倒的な強さを誇ってきたのです。
*シティーというこの神秘的な地区について、適切な説明をしている
下記の【政治経済のリアルワールド~梅澤くんでも解る世界事情
~さんのブログ「英国シティーの支配」】より全文引用します。
「シティーとは、金融街ですが英国の中にあるもうひとつの国家
です。と言うより国家を超える国家というべきでしょうか。
英国政府、議会、王室はシティーの下部組織で、シティーは英国
枢密委員と英国女王を通じて英国を支配しています。
私のブログでいう金融寡頭勢力の本拠地であり、その存在そのもの
です。
ニューヨーク・ウォール街もその配下でしかありません。
[シティ・オブ・ロンドンは、単にシティ(the City)とも呼ばれ、ロン
ドンの起源となる地域であり、大ロンドンの東部に位置する。
シティー内部にはセントポール大聖堂があり、イングランド銀行を
はじめ大銀行、保険会社、株式取引所などが密集する金融センター
である。
シティの境界線は中世からほとんど変わっておらず、広さは1マイル
四方(実際は1.12 mile² / 2.90 km²)のごく狭い地域である。
登録人口はおよそ8,000人(2007年推定)、昼間人口は約30万人で
ある。] ウィキペディアより。
そのイングランド銀行を筆頭に、米国の中央銀行であるFRB
(連邦準備銀行)の株式の大多数をシティーの金融街が握っており、
事実上、英国(シティー)が米国を動かしていると言っても過言では
ありません。
シティーがアメリカに作ったのがCFR(外交問題評議会)です。
金融ばかりでなくアメリカの政治、経済、軍事もシティーがコント
ロールする仕組が出来上がっています。
その権力の中央に位置するのがイングランド銀行(ロスチャイルド)
です。
イングランド銀行
ロスチャイルド本社
豪華な正面玄関ですが、この建物の敷地に一歩でも踏み込むと、すぐ
にガードマンに追い出されるそうです。私達は敷地ぎりぎりのところ
で、ガイドさんの話を聞いたり、写真を撮ったりしました。
アメリカは一度は独立戦争で独立していますが、1913年の連邦
準備法によって、英国がまた支配下に置いた植民地です。
米国もまた、まだ英国の植民地のままなのです。
その殖民地のまた植民地が日本国です。
つまり日本の中央銀行も日本政府もシティーに支配されていると言う
事です。
シティー・オブ・ロンドンの市長はロード・メイヤー・ロンドンと呼ば
れています。
市長の許可なしには国王(女王)でもシティーには入れません。
国王が、王室の宮殿があるウエストミンスター・ Westminster から
シティにはいるときには、その入口にあたる テンプル・バーTemple Bar
で特別の儀式が行われます。
そこで、市長が国王に剣を差し出し、王は一度それを受取ってから、
再び返却します。
これは、国王はシティの利権を損なう行動をとらないことをアピー
ルしています。
シティの利権とは世界最大の銀行トップ(ロスチャイルドなど)と
ヨーロッパ古来からの貴族たちが世襲により評議会(Order-In
-Council)をつくり、世界の運営に関わる事を決定しています。
この評議会は英国政府、米国政府のいう事は聞きません。
上司が部下の言う事を聞く必要はないと云う判り易い原理です。
現在の地球上での一番の権力の源泉がこの評議会であると云う事
です。
そして今、この権力により英国も米国も日本も破産させられそう
になっている訳です。
そして第3次世界大戦です。英、米、日が世界を相手に新機軸国
家にならないように祈りましょう」
引用終わり。
そもそも、ロンドンという町の発祥は、紀元前55年、古代ローマ
帝国の時代にさかのぼります。
ローマの総督、ジュリアス・シーザーがブリタニア(イギリス)に
遠征してきたのが始まりで、紀元43年頃、古代ローマ帝国はブリ
タニア支配を始めたのですが、そのときにローマからやって来た
人々がロンドン(ロンディニウム)を建設したらしい、ということ
です。
その頃に築いた町・ロンドンが現在のビジネス街・金融街シティ
になるというわけです。
古代ローマ帝国は、テームズ川を渡る橋を造ったり、イギリス各地
につながる街道を造るなどのインフラを整えました。
ローマ帝国がブリタニアを撤退した後も、彼らが築いたインフラを
基礎に、ロンドンは発展を続けたということのようです。
さて、シティー・オブ・ロンドンの市庁舎をギルドホール【Guildhall】
といいます。
ギルドホール【Guildhall】
正面
側面
これは普段私たちが知っているロンドン全体の市庁舎ではなく、
上記の特別地域シティーのみの市庁舎のことです。
ガイドさんの話で特に興味深かったのは、1066年にサクソン王、
ハロルドを破ってイングランドを征服し、ノルマン王朝を築いた
ウィリアム征服王(現在の王室の先祖とされています。)が金融
の専門家、ロスチャイルドを連れてきた、ということです。
これは初耳でした。
その頃、ユダヤ人(この場合のユダヤは金融を扱うシオニストの
ことです)はお金を扱う人種ということで社会からさげすまれて
おり、一定の地域(ゲットー)に住むことを強制されたり、他の
職業に付くことは許されなかったということです。
建国にあたり、良いファイナンシャルアドバイザーが不可欠だった
ということでしょうか?
ウィリアム征服王は、また、経済・手工業の実権を握る職人たちを
味方につけるため、 に彼らに自治権を与えました。
12世紀末、ヘンリー・フィッツオールウェンという人が初代ロンドン市
長に就任して以来、シティーはギルド・同業組合(Livery Company)の
代表者が選ぶロード・メイヤー(市長)の下で、完全な自治体として
歩んできました。
その組織の力は強力で、ロード・メイヤーの許可なく国王、女王は
シティーに入ることは出来ないという伝統が守られています。
現在でも女王がシティーに入る際にはかつての関所であったテンプ
ル・バー【Temple Bar】でロード・メイヤーが迎え、入市の儀式を行う
ということです。
この日は、セントポール大聖堂からモニュメントまでの2時間のツアー
でしたが、すべてを消化するのはとても無理なほど盛りだくさんの
内容でした。
この日学んだことを基本に、ネットなどでリサーチしながら、今後
この巨大な力を持つシティー・オブ・ロンドンについて、できるだけ
わかりやすくお伝えしていきたい、と思っています。