菊池誠(きくち・まこと) 大阪大学教授(物理学)
1958年生まれ。東北大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。大阪大学大学院理学研究科物理学専攻及び同大学サイバーメディアセンター教授。専門は統計力学、生物物理学、計算物理学。著書に『科学と神秘のあいだ』(筑摩書房)、共著書に『もうダマされないための「科学」講義』(光文社新書)、『いちから聞きたい放射線のほんとう いま知っておきたい22の話』(筑摩書房)など。ギター、テルミン奏者としての音楽活動も行っている。
無症状の甲状腺がんを掘り起こす「検査の害」
しかし、過剰診断でないとしても、進行の遅いがんを発見してしまうこと自体に害がある。たとえば30年後に発症するがんを今発見されてしまったらどうだろう。経過観察で30年間不安を抱え続けさせるのはいいことだろうか。発症してから治療するのでも充分に間に合う進行の遅いがんを早期に発見してもただ不安を増やす効果しかないし、不安に耐えきれずに手術に踏み切ってしまう人もいるだろう。事実、福島でも経過観察を提案されながら、本人または家族の希望で手術を行った例が多数報告されている。がん患者とされることによる不利益や、手術となれば合併症のリスクも考えなくてはならない。
手術を担当する福島県立医大の鈴木眞一氏は、ガイドラインに沿って手術対象者を抑制的に決めていると常々述べている。その通りなのだと思う。それでもあまりにも多い手術数を見れば、過剰な手術が行われているとしか考えられない。年間100万人あたり数人程度だったときには有効に思えたガイドラインが、38万人もの大規模スクリーニングには適切ではなかったのだろう。なお、過剰診断かそうでないかは臨床的に区別できないので、過剰診断を避ける方法は検査しないことだけである。
ちなみに、子どもの甲状腺がんは悪性度が高くなりがちと主張する人たちもいるが、それが誤りであることは福島の甲状腺検査の結果からも明らかである。福島で発見された甲状腺がんのほとんど全ては自然発生なのだから、本当に悪性度が高くなりがちなのであれば、東電原発事故以前からもっとたくさんの小児甲状腺がんが出ていたはずなのである。今回の検査からは、むしろリンパ節転移があっても悪性度は高くないことがわかる。これは特に目新しい知見ではなく、IARCの文書(注15)にも、小児甲状腺がんのほとんどを占める乳頭がんについて、リンパ節転移の有無にかかわらず30年生存率は99~100%と書かれている。
検討委員会は検査をやめるつもりがないようだが、すでに検査対象者の多くが成人に達しているので、このまま検査を続ければ韓国やアメリカで見られた「大人の過剰診断」が再現されることは火を見るよりも明らかである。せっかく原発事故による大量被曝を免れた子どもたちが甲状腺検査の被害者になるのは悔しいではないか。
よしんば被曝影響でわずかに甲状腺がんが増えていると仮定しても、それでも無症状者へのスクリーニングを行うべきではない。ほとんどすべてが被曝影響でないのはもはや明らかだし、被曝影響だろうがそうでなかろうが過剰診断や超早期発見の害に変わりはないからである。
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