無症状の甲状腺がんを掘り起こす「検査の害」
先に進む前にあらかじめ言っておこう。筆者は医学者ではなく物理学者で、しかも放射線の専門家でもない。それでも、東電原発事故後にたくさんの「科学的根拠もなくただ人々の不安を煽るだけ」の書籍や新聞記事・ネット記事があふれたことに危機感を覚え、原発事故から三年後に仲間たちと『いちから聞きたい放射線のほんとう』という本を出版した。放射線については健康影響も含めて相当に知見が蓄積されており、一般向けのひと通りの解説ならむしろ専門家でないほうが分かりやすく書けると考えたからである。
この中で私たちは、放射線被曝に起因する健康影響の大きさは被曝量による、つまり「あるかないかではなく、程度問題」という点を強調した。実際、福島で避難指示が出されていない地域での放射線量は、たしかに原発事故当初こそ高めだったものの、今や充分に下がっており、世界的に見ればごく普通のレベルである。ここに暮らせないと考える理由はまったくない。安心して生活できるし、安心して子どもを産み育てられる。
同書の中では甲状腺検査にも一章を割いて、当時既に発見され始めていた甲状腺がんについて「ほぼ間違いなく被曝とは関係ない」とした上で、「がんを発見するためのテストが優秀すぎるので、すぐに治療しなくていいがんまで発見してしまい、検査に伴うリスクのほうが大きいと指摘する人もいる」と述べた。おそらくこの問題で甲状腺検査のリスクに触れた書籍はこれが最初だと思う。2013年には既にインターネットのSNSを中心にそのような議論が進んでいて、医学の専門家でなくてもこの程度の話はできたのである。
ここで、被曝影響の有無について簡単に確認しておこう。
国連科学委員会(UNSCEAR)は2013年の報告書(注2)で「福島第一原発事故後の甲状腺吸収線量がチェルノブイリ事故後の線量よりも大幅に低いため、福島県でチェルノブイリ原発事故の時のように多数の放射線誘発性甲状腺がんが発生するというように考える必要はない。」とまとめた。その後の知見を踏まえた2017年の白書(注3)でもこの結論は踏襲されている。実際、甲状腺の被曝量(甲状腺等価線量)は最大でも数10ミリシーベルトと考えられており、チェルノブイリ原発事故に比べて文字通り桁違いに少ない。初期被曝に不明な点が少なくないとは言うものの、桁違いという結論が変わるわけではない。チェルノブイリ事故のデータでは、この程度の被曝量の子どもたちに甲状腺がんの増加は見られていない(注4)。
もうひとつの重要な事実は、今回も報告されたように甲状腺がんの発見数に地域差が見られない(先行調査の結果は注5)ことである。中でも、放射性物質による汚染が少なかったはずの会津地方でも他の地域と同程度の甲状腺がんが発見されているという事実は、発見された甲状腺がんの殆ど全てが被曝と無関係であると明白に物語っている。
さらに、2012年から13年にかけて小規模ながら青森・山梨・長崎で行われた三県調査(注6)がある。この調査では4365人の中からひとりの甲状腺がんが発見された。たったひとりと思われるかもしれないが、甲状腺がんが従来言われている通りに100万人あたり数人しか発生しないのなら、ひとり発見されるだけでも相当に奇妙なのである。この調査は、無症状の子どもたちを高精度エコーで調べると相当高い確率で甲状腺がんが見つかることを示唆している。B判定で二次検査に回る比率でも、福島県の0.7%に対し三県調査では1%だった。ちなみに、筆者はこの調査が医学研究倫理に反するのではないかと考えていることを付記したい。調査でがんを発見された方は「検査の被害者」だろう。
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