このブログの一番の目的は、「差別」に対する抵抗です。差別とは「特定の個人や集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為」ブリタニカ国際大百科事典)です。その差別行為の対象となる基準は様々ですが、常に「自分と異なる特徴を持つ他者」です。そして、その「特徴」は、常に差別する側が、自分に都合のいいように恣意的に決定します。そして、差別をする側は、自分が差別をしているという時間がまるでありません。今回は、そんな事例を紹介して、差別が起こるそもそもの意識について考えてみたいと思います。


今回紹介する@harpia001という人物は、以前「在日の犯罪は日本人の犯罪としてカウントされている」というデマを流していることでも紹介した人物です。その人が、このような意見を述べていました。

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この人の日本語が下手なんでシチュエーションがよくわかりませんが、@harpia001は、甲子園で負けて泣く高校球児をバカにしている人(「Aさん」とします)を見て、怒れて、悔しかったそうです。その気持ちは分かります。正直、「自分が部活で坊主にしているのを見て」と「甲子園で選手が泣くシーンをバカにしている」の因果関係がさっぱりわからないのですが、「頑張ってる奴を馬鹿にするな」という点では、全く異論はありません。


(しかし、それにしても、@harpia001は、Aさんのどういう行動を見て、「甲子園で選手が泣くシーンをバカにしている」って判断したんだろう…。甲子園のテレビ中継の前で高笑いしていればそう判断できるけど、どこどうやれば、駅で電車を待っているときに、Aさんが甲子園で選手が泣くシーンをバカにしたなんて判断できるのだ?)


ところが、この@harpia001は、その人物が人種的に黒人であったというだけの理由で、このように述べるのです。


>>黒人は白色人種にバカにされてるのに人の気持ちはわからないんだなと思った、

>>黒人は差別されて酷い目にあってるのに気持ちわからないのか



@harpia001本人はまるで気が付いていませんが、ここで彼(彼女?)は人種差別意識を丸出しにしています。


高校球児を馬鹿にしたAさんを見て、「Aさんは人の気持ちがわからない人なんだ」と思うのなら、まだわかります。しかし、なぜ、@harpia001は、「黒人は白色人種にバカにされてるのに人の気持ちはわからないんだな」と思ったのでしょう。


Aさんは確かに人種的には黒人だったのでしょう。しかし、アメリカ人かも知れませんし、キューバ人かも知れません、ガーナ人かも知れません。「黒人」の方ではなく、国籍の方を取れば、「アメリカ人は人の気持ちがわからない」「キューバ人は人の気持ちがわからない」「ガーナ人は人の気持ちがわからない」と言う風にも言えてしまいます。さらに言えば、「日本人ではない」というカテゴライズをすれば、「外国人は人の気持ちがわからない」ということにしてしまうこともできます。


学歴で分類することもできます。もしかしたら、Aさんは大学生で、東大の学生かもしれません。早稲田の学生かもしれませんし、慶応の学生かもしれませんし、東淀川大学の学生かもしれません。その場合「○○大学の学生は人の気持ちがわからない」と言うことも可能になります。もし中卒や高卒だったら、「中卒は人の気持ちがわからない」「高卒は人の気持ちがわからない」なんてカテゴライズもできてしまいます。もちろん「大卒は人の気持ちがわからない」なんてのも可能です。


宗教での分類もあり得ます。もしかしたら、Aさんはイスラム教徒かもしれません。その場合、普段からイスラム教に差別意識のある人は、「イスラム教徒は人の気持ちがわからない」と分類するでしょう。もちろん、「ユダヤ教徒は~」「キリスト教徒は~」「仏教徒は~」「ヒンズー教徒は~」などと分類することもできます。


年齢で分類して、「若者は人の気持ちがわからない」とか「中年は人の気持ちがわからない」とか「年寄りは人の気持ちがわからない」とか言うこともできます。Aさんは男のようなので、「男は人の気持ちがわからない」と言うこともできるし、Aさんが金持ちだったら「金持ちは人の気持ちがわからない」と言うこともできるし、貧乏だったら「貧乏人は人の気持ちがわからない」と言うこともできます。


結局、恣意的なカテゴライズで、何でも言えてしまうのです。@harpia001はAさん一人だけを見て、勝手にそれを「黒人は~なんだ」という判断をしました。これは、@harpia001にとって、「黒人」というカテゴライズが、最も簡単で分かりやすく他者を攻撃できる分類だったにすぎません。外国人全般に対する差別意識がある人がAさんを見れば、「外国人に人の気持ちはわからない」と言うでしょうし、もしも女性が同じように高校球児をバカにしていたら、普段から女性蔑視の意識がある人がそれを見れば、「女には人の気持ちがわからない」なんて言うことでしょう。


本来、黒人であることと、高校球児をバカにすることの間には、何の因果関係もありません。黒人にだって、高校球児を応援する黒人もいるでしょうし、オコエ瑠偉のように黒人とのハーフで大活躍した高校球児もいます。高校球児をバカにしたというのは、恐らくはそれは単にAさん個人の性格によるものでしょう。それにもかかわらず、Aさんが所属している様々なカテゴリーの中から「黒人」というものを恣意的に選びだし、Aさん個人の行動を「黒人」一般に当てはめようとする。高校野球大好きな黒人からしたら、たまったもんじゃないでしょう。


日本人にも、高校野球が大好きな人と、高校球児をバカにする人がいるように、「日本人」というカテゴリーで性格や思想が決まるわけじゃないことは我々は皆知っています。ところが、「黒人」とか「イスラム教徒」とか、自分が属しているのとは違う、普段あまり親しみのないカテゴリーになると、そのカテゴリーに属するわずかな人数を見ただけで、「黒人は~」とか「イスラム教徒は~」とか恣意的な分類に基づいて他者の性質を決めつける。黒人が一人、高校球児をバカにしただけで、「黒人は人の気持ちがわからない」と言い、在日外国人が犯罪を起こすと、他の99%以上の外国人は犯罪者でないにもかかわらず、「○○人」全体を犯罪者かのように扱う。これこそが、まさに差別の構造なのです。


このブログにも、外国人犯罪について、こんな投稿が来ました。

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本来ならば、「犯罪者はクソ」となるべきところが、在日韓国人の99%は犯罪者ではないにもかかわらず、来日中国人の99%は犯罪者ではないにもかかわらず、「隣国はクソ」と言ってしまっています。犯罪率で言うと、男の犯罪率は女の4倍もあるので、「男はクソ」と言うこともできるし、貧乏なほど犯罪率は高くなるので「貧乏人はクソ」と言うこともできてしまいます。「隣国はクソ」というのは、様々なファクターの中から、自分の差別意識に最もマッチした「国籍」というカテゴリーを恣意的に選ぶことで、自分の差別意識を肯定しようとしているにすぎません。しかも、その自覚もなく。


(しかもこの「ロシナンテ」という人は、「犯罪者数なら外国人より日本人の方が圧倒的に多いのだから、お前の論理だと、日本が一番クソということになってしまう」と指摘されたら、このように「訂正」しました。

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>>ご要望にお応えして「犯罪者数だと日本の次に隣国ってクソだわ~」って発言に訂正します


自分の何が批判されているのか、全く理解していない知能の低さに驚かされますね)


このような恣意的なカテゴライズをする人は、「自分が行っていることは、理由があり、論理的結論に基づいているので、不当な、理由なき差別ではない。私は差別主義者ではない」と考えていることがほとんどだと思います。しかし、黒人Aを理由に黒人Bを蔑視する、イスラム教徒Aを理由にイスラム教徒Bを蔑視する、在日韓国人Aを理由に在日韓国人Bを蔑視するというのは、明らかに不当であり、理由なき差別なのです。


我々は、しばしばこのような恣意的なカテゴライズをしてしまいます。しかし、それはまさに差別の根源であり、そのようなカテゴライズは自覚的に封印しなければなりません。もしも、自分が「外国人は~」「黒人は~」「イスラム教徒は~」「男は~」「女は~」などと考えてしまうことがあったら、立ち止まって、恣意的なカテゴライズを用いていないか自問自答してみることが必要です。それだけで、自分の中で偏見が醸造されることを食い止めることができるはずです。


余談ですが、この@harpia001という人物、こんな発言をしていました。


「日本人の『外国人観光客への偏見』が酷すぎる」なんて言われるのは、こいつみたいなやつのせいだってことがまるで分っていないご様子。

~~愛国カルトにならないための教訓~~

恣意的なカテゴライズで他人を決めつけることなかれ
 
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