<ざっくり言うと>
- 百田尚樹、文献資料に基づかず想像や推論で歴史を語ったもいいと思っていた!
- 百田尚樹は、説明と証明の区別がついていない。そのため、フィクションを書く時の作法と学問の作法の違いが理解できていない。
百田尚樹大先生の『日本国紀』。愛国カルトさん達に売れる一方、パクリや事実誤認を多数指摘され、じ保守の池田信夫からも「かなりお粗末」「面白くない」「読むのは時間の無駄」など散々な評価を受けています。
その百田大先生、こんなこと言ってました。
>>歴史学者は文献資料に基づかない学説は
>>すべて無価値と見なしますが、
>>そこには想像力も類推力もありません。
>>歴史を残された資料だけで見るなら、浅い学問です。
なるほど。
つまり、百田先生は、資料にないものを自分の勝手な想像や類推で埋めて、それを事実として記述していたために、事実誤認だらけのトンデモ本を書き上げてしまったわけなんですね。
歴史学だって、そりゃあ推論や想像はありますけど、それだって文献資料に基づいて基づいて論理的に推論をしてるわけです。自分に都合のいいように想像や推論するのは、そりゃあ学問でも何でもありませんわ。妄想とか願望とか呼ばれるもの。その区別がつかない人が歴史書なんて書いちゃいけません。『日本国紀』なんて名乗らず、『百田尚樹の脳内日本史』とでも名乗らないと詐欺ですね。
==追記==
コメント欄を読んでいて思ったのですが、百田先生は説明と証明の区別がついていないのでしょうね。説明と証明の区別がついていないというのは、トンデモさんの大きな特徴の一つです。
例えば、「我々の生活が苦しいのはユダヤ人のせいだ」と「説明」することは簡単なんですが、それは「証明」じゃないわけです。ところが、説明と証明の区別がついていない人は、説明されただけで「そうだったのか!」となってしまい、ユダヤ人差別に走ってしまうわけですね。説明と証明の区別がついていないと、簡単にプロパガンダに騙されてしまうわけです。
ちゃんとした教育を受けた歴史学者であれば、説明と証明の区別がつくんですが、百田大先生は、説明と証明の区別がついていないために、自分が文献資料に基づかないまま想像、類推した「説明」にすぎないものであっても、自分の脳内でストーリーが組みあがってさえいれば、歴史的事実として執筆してしまうのでしょう。
中学高校で「証明」というものを学ぶのは、日常生活においても意義があることなんですね。説明と証明の区別は、学問では文系でも理系でも絶対的に重要なことなんですが、百田先生は学問的な思考力が全然身についていないと思われます。
作家としては想像力や類推力を駆使して面白いことを言えさえすればよくて、証明なんていらないんですが、学問としてはそれじゃ駄目なわけです。「歴史を残された資料だけで見るなら、浅い学問です」(原文ママ)と百田尚樹は言っていますが、それは彼が説明と証明の区別がついていないために、遅々として進まない証明より、楽しくて目的に沿った説明の方が価値があると思っているのでしょう。百田氏は、フィクションを書く時の作法と歴史事実を検証するときの作法が区別できていないわけですね。
トンデモさんにならないためには、説明と証明の区別は大切にしましょう。
==追記2==
百田尚樹のツイートの返信欄を見ていると時々面白いのがありますね。
これ、本人は百田氏の擁護をしていつもりみたいなんですが、「自身の歴史観こそ史実であると勘違い」「自身の歴史観を押し付け、他を排除」って、どう考えても百田大先生のやってることですよね。百田氏への返信欄って時々こういうのがありますね。
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コメント
⭕理想力や妄想力
理想や妄想するのは勝手だが、それを他人に押し付けて、他種族を蔑むような行為は、ぜひ今すぐに止めて頂きたいな。
異世界で日本が俺tueeするだけのポルノ本なので歴史考証とか無意味なんです
モリカケ問題や統計不正も安倍政権が悪いことを認めません
日本の恥です
百田センセイに言わせれば、自然科学なんてこの世で最も想像力も推進力も欠如した、浅はかな学問ということになるのでしょうか。
記事に追記しておきましたが、百田尚樹大先生は、説明と証明の区別がついていないんでしょうね。
そして、学問的な証明より、楽しい説明の方が価値があると思っている。それは学問の作法じゃなくてフィクションの作法なんですけどね。
と思ってぐぐってみたら、呉座先生のツイッターは非公開なんだね。
そりゃ仕方ないか。
んで、ついでに言うと、これだけ読むと呉座vs井沢のバトルに百田がクビ突っ込んでるように見えるけど、例の百田の日本ウィキってのがウィキと並んで井沢さんの本からの引用が多いそうな。
だから井沢大先生の御学説が否定されるのは自分の本を否定されるのと同じ意味を持つそうな。
そこまで踏まえてこのバトルを眺めるとじわじわ面白いや。
なんにせよガッチガチのガチの歴史学の専門家にファンタジー作家がケンカ売るとかアホとしか思えんけど。
>>ネトウヨは自分の都合のいいように歴史を捻じ曲げますからね
ニコニコ動画やら2chまとめサイトであんなに「韓国には嘘は100回つけば真実になる」とかほざいていたのに、自分は平気で同じ事をする。
他人には厳格や規律を求め、自分には底なしの自由もとい無秩序を求めるといったところでしょうか。
追記を拝読いたしました。
個人的に深く納得すると同時に、ネットに溢れる情報を、説明と証明の区別もないまま受け入れていることがあるなあと痛感してもいます。
管理人さんによる痛快な証明を、今後とも楽しみにしています。
方が、逐一検証されているブログです。
このブログを読むと「日本国紀」がいかにデタ
ラメだらけか分かるよな~
「こはにわ歴史堂のブログ」
https://ameblo.jp/kohaniwa/
茂木氏と中尾清一郎氏との対談の中に百田尚樹氏が言いたいことの意味がわかると思います。
https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8407204.html
それからアブダクションという推論方法も調べると良いですよ。
wikipediaには基づいているようですが。
『無価値』なんじゃなくて『有害』なだけじゃねえの?
『自分(日本人)がやっているから、他人(韓国人)も必ずやる』だけじゃねえの?
現実の歴史よりネトウヨのお気持ちが大事なんでしょうね
>>桑原さんさあ、百田と議論したら間違いなく勝てるよねえ?
百田尚樹と議論して勝てる人間はこの宇宙のどこにも存在しないと思いますよ。なぜなら、バカを論破することは不可能だからです。
百田が即ブロックで逃亡でしょう。
百田先生はビジネスでやってらっしゃるので、信者たちが喜ぶ発言をなさるだけです。
管理人様が証拠付きで議論しようとしても、恐らく相手にされないでしょう。
したって何も得することがありませんから。
そもそも百田先生の信者であるネトウヨの皆様は、物事を深く考えるなんてことが出来ません。
だから、百田先生のお言葉を無批判に受け入れるだけです。
他の人がどれだけ根拠を提示して反論しても、「パヨク」とかいう謎の言葉で全て片付けられてしまいます。
以前百田先生が朝生に出演した時、百田先生は他の出演者から無慈悲なフルボッコにされましたが、
ツイッターでしょうもない負け惜しみを言ったら信者の皆様は拍手喝采でした。
そういう程度の低い人間の集まりなので、議論を挑むこと自体が無意味なのです。
それとこいつ、自分が司馬遼太郎や塩野七生にはなれないと悟って開き直って、自分の脳内で「ぼくがかんがえたりそうのにほんし」を垂れ流すクズ野郎ですね。そして彼の本がベストセラーの上位に名を連ねるという現状、我が国の社会がそれだけ閉塞感に溢れているということ(少なくとも男社会は)を示していると思います。
実はこの現象、日本に限らず、アラブ社会でも全く同じような現象が起きていることをご承知でしょうか?詳しくは池内恵氏の『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書)をご覧ください。我が国における攻撃目標が中国や韓国に向けられているのに対し、アラブの攻撃目標はイスラエルと米国という違いはありますが、その憎悪の激しさは似たり寄ったりです(最も、アラブとイスラエルの場合は宗教対立という根深い問題がありますが)。
ピラミッドに関する研究は不勉強なもので把握していないが、仮にも学者が査読などを経て提示した仮説ならば
「これこそが唯一可能なピラミッド建設の経緯だ」
と断定できない(誤っている可能性もある)としても、それなりの論拠や資料に基づいているのでしょうから。
いずれにせよ研究者が「自分は以下のような資料からこのような結論に至ったがどうか」と学説を提示するまでの調査やアカデミックな手続きの意義をまるで無視し、それらと「素人によるウケ狙いの思いつき」がまったく等価であるかのように装うデマ百田には憤りを禁じ得ない。
書き方がよくありませんでしたね。ピラミッド建設の仮説は、「宇宙人が作った」みたいなのを除けば、ちゃんと学術的な研究に基づいた仮説であると思います。
「歴史学にも想像や類推はあるけど、それは百田の考えるようなものとは違うよ」
という意味のつもりでした。書き方が適切じゃありませんでしたね。後で修正しておこうと思います。
このブログにも時々、自説を説明するけど証明しようとはしない(できない)輩がたくさん来ますね。
ほんの少しでも学ぶ意欲があれば、如何に自分が愚かなことを主張しているか分かると思うのですが。
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