鯨論・闘論

どうして日本はここまで捕鯨問題にこだわるのか?

水産庁・森下丈二 参事官

この記事へのご意見:90件


水産庁・森下丈二 漁業交渉官 このコーナーへの投稿の第一弾として,「日本はどうして世界中の非難を受けながらも捕鯨再開にこだわるのか」という疑問についての考えを私なりにまとめてみたい。この疑問は様々な機会に呈されてきたが,その答えも様々である。捕鯨を支持する立場からは,科学的根拠に基づく資源管理を支持するから,日本の文化だからといったものが主張され,捕鯨に反対する立場からは,捕鯨関係者の政治力が強いから,一部官僚の独走,捕鯨が愛国主義の象徴となっているといった意見が聞かれる。日本人は英語が不得意だから世界の世論を理解できていない,もっと一般の日本人を啓蒙すべきだという記事もオーストラリアの新聞に掲載されたことがある。
 ここで,捕鯨にこだわる「日本」が,日本人一般なのか,一部の日本人なのか,日本のマスコミなのか,日本政府なのかによって,その答えは千差万別であろうが,本文は,あくまで私自身の立場から見た考え方である。

まず明確にしなければならないことは,我々は無規制で乱獲につながるような捕鯨の再開や,絶滅が危惧されるような鯨種の捕獲を求めているわけではないということである。資源が豊富な鯨種を,持続的に(すなわち銀行の預金の利子だけを使い,元金を減らさないような方法で),国際規制の下で利用したいと求めているのである。これに対して,全ての捕鯨は破壊的であり規制などできないという捕鯨性悪説の主張があるが,そうした主張については次の機会に詳しく議論したい。

我々が捕鯨問題に「こだわる」理由をあえてまとめれば,次のような観点がある。

(1)捕鯨問題は持続的利用の原則の象徴

 生物資源に関しては,持続可能な利用と保全の両立を基本的目標とするという持続利用原則が広く受け入れられている。これは,1992年のリオ会議(地球環境サミット)で確立し,『環境と開発に関するリオ宣言』や『アジェンダ21』に具体化された原則である。言い換えれば,漁業資源を含むすべての生物資源について,資源状態の悪いものについては保全措置をとり,資源が豊富なものについては持続的に利用して良いということが,世界的な常識となっている。
 他方,いわゆるカリスマ的生物(クジラやゾウなどのアピール性の強い生物)については,資源が豊富に存在しても,イコン(偶像,象徴)として手付かずで保護すべきとの考え方がある。捕鯨に反対する人の中には,すべての鯨類が絶滅に瀕しており,捕鯨国がそれを捕り尽くそうとしていると単純に誤解している人も多いが(仮にそうであれば捕鯨は非難されるべきである),そうではなく,クジラは特別な動物なので,いかなる場合でも保護すべきとの主張があるということである。現に強硬な反捕鯨国である豪州などは,IWCの場において,いかなる状況下であっても(資源が豊富でも,持続的管理が可能でも,充実した監視取締措置を導入しても)捕鯨に反対であるとの立場を公言している。
 この考え方には,誰が,どのような基準で「特別な動物」を決めるのか,「主要国」が特別な動物を決めれば,それを他の国に強制することが出来るのか,「特別な動物」が次々に増えていくことに対する歯止めはあるのかといった重大な問題が含まれる。インドが,ウシは特別な動物だから牛肉を食べるべきではないと国連などで主張し,これを経済制裁などで他の国に強制すれば,その異常さは誰の目にも明らかである。他方,クジラについてはまさにこれが行われているが,「世界の世論」として受け取られる。
 クジラは野生動物だから保護すべきとの主張もあるが,漁業対象の多くの魚は野生動物であり,世界人口のかなりの割合が陸上野生動物を捕獲し利用している。ちなみに,くだんの豪州は野生動物であるカンガルーを年間に数百万頭(数百頭ではない)捕獲し,食肉やペット(ドッグ)フードとして販売している。
 持続的な捕鯨を支持するということは,持続的利用の原則を支持するということであり,その持続的利用原則に恣意的な例外を作らないということであり,一部の「主要国」のわがまま(これには環境帝国主義という名前が付けられている)を認めないということであり,国際的な交渉においてはカリスマ性といった感情論ではなく科学と国際法を尊重するということなのである。捕鯨支持にこだわるのは当然ではないだろうか。

(2)理不尽な反捕鯨の主張

 反捕鯨の主張を理不尽な押し付けと捉える人は多い。日本を含む持続的利用支持派は,反捕鯨国が自国の水域内や,自国国民に対してクジラを完全に保護することを否定しているわけではなく,ホエールウォッチングも認めている。ただ,捕鯨国が持続的に資源の豊富な鯨類を利用することを認めて欲しいと求めている。他方,反捕鯨勢力は,捕鯨国の主張は受け入れず,自分たちの主張を全ての国が受け入れることを強く一方的に求めている。そこには相互の考え方を尊重し,妥協を受け入れるとの観点はきわめて希薄である。
 本年(2007年)のアンカレッジでの第59回IWC年次会合で,日本は捕獲頭数を空欄にして日本の沿岸小型捕鯨地域に対する捕獲枠を要請する提案を行った。これは,捕獲頭数について交渉をする用意があるとの意思表示であり,たとえば,論理的には誰が見ても資源に悪影響を与えない捕獲頭数(極端にいえば1頭などという象徴的な捕獲も議論としてはありえる)を提示し,捕鯨問題の本質を浮き彫りにしたいという意図もあった。反捕鯨国はこの提案を明確に拒否した。主な理由は,日本の沿岸小型捕鯨には商業性があり,同じアンカレッジ会合で認められた米国やロシアの先住民生存捕鯨とは異なるというのである。IWCが開催されたまさにそのホテルでは,アラスカ先住民が捕獲したホッキョククジラのヒゲやなどの工芸品が一点数十万円という値段で販売されていたが,反捕鯨国によれば,このような工芸品の販売は商業性があるとはみなさず,一方では,日本の沿岸小型捕鯨地域で鯨肉が地域住民や市場に販売されれば商業性があって認められないというわけである。商業性をこれほど罪悪視すること自体も問題であるが,そもそも反捕鯨国のいうような「商業性」の定義(工芸品はいいが肉はだめ)はいかなる常識でも正当化し得ない。ここに,「日本には何があっても捕鯨はさせない」という基本方針があると疑うのは過剰反応であろうか?このような反捕鯨国の主張を理不尽と感じながら,「世界の世論」として受け入れるべきであろうか?日本の海外での評判という国益のために,捕鯨はあきらめるべきであろうか?
 捕鯨問題に関する街頭インタビューなどで,「反捕鯨国はウシを食べておきながらクジラを食べるなというのはけしからん」という意見を良く聞く。これに対しては,ウシは家畜でクジラは野生動物だから比較できないといった反論があるだろうが,一般市民が感じ,見抜いている捕鯨問題の理不尽さを端的に表した意見ではないだろうか。

(3)持続的利用を支持する国やNGOからの支持

 日本は捕鯨問題について国際的に孤立しており,IWCで日本を支持するのは援助で買われた開発途上国だけだという批判がある(これについても別の機会に詳細に書くこととしたい)。しかし,持続的捕鯨は広い方面から支持されている。
 まず国としては,西アフリカ,アジア太平洋,カリブ中米などの開発途上国約30カ国に加えて,ロシア,中国,韓国,ノルウェー,アイスランドなどがIWCにおいて管理された捕鯨の実施を支持している。特に,開発途上国は自国の漁業資源などの自然資源への依存を背景に,持続的利用の原則堅持を強く主張している。中国,韓国は捕鯨に従事していないが,やはり持続的利用の原則支持の立場から基本的に持続的捕鯨を支持している。
 また,NGOとしては,現在は活動を休止しているが,捕鯨の伝統のある世界の先住民の団体である世界捕鯨者連盟(WCW)があり,カナダの先住民,ニュージーランドのマオリ族などもメンバーとして参加している。また,生物資源の持続的利用を支持し,ゾウの問題などについて活動している国際NGOであるIWMC(国際野生生物管理連盟)は,1982年から1990年までワシントン条約事務局長を務めたユージン・ラポワント氏が率いるワシントン条約に関する専門家集団である。豪州に本拠を置くSMS(生物種管理専門家集団)も,元ワシントン条約動物委員会議長ハンク・ジェンキンス氏がリーダーを務めるワニや爬虫類管理などの専門家グループであり,ヨーロッパで持続的利用を支持するNGOのEBCD(欧州保全開発組織)は欧州議会やIUCNと強いつながりを有する。
 これら持続的捕鯨を支持するグループは,捕鯨問題を生物資源の持続的利用という大きな流れの中の問題として捉えており,捕鯨を持続的利用原則の立場から支持し,捕鯨問題における後退は,持続的利用原則の後退そのものと捉えているという点である。彼らの主要関心事項がゾウやワニやタイマイであることがこれを明確に示している。捕鯨問題が彼らの関心事項と深いつながりがあるとの認識が無い限りは,捕鯨を支持する理由は無い。彼らの中では,これらの問題を Wise-use という考え方と Non-use という考え方の対立と位置付けている。Wise-use とは保全を図りつつ資源を持続的に利用するということであり,Non-use とは動物愛護運動に代表されるような自然には一切手をつけるべきではないという考え方である。
 さらなる特徴は,自然資源の利用に生活を依存している先住民や開発途上国がクジラの利用を支持しているということである。彼らには,自然資源の利用が科学的な裏づけも無く制限や否定されることへの強い反発と危機感があり,捕鯨問題にその象徴を見ている。それを裏付けるように,IWCでの彼らの発言には食料安全保障や資源利用に関する国家主権などの話題が頻繁に登場する。反捕鯨運動は,独立国が主権に基づいて資源の持続的利用を実現し,開発につなげるという姿勢・考え方に対する攻撃と捉えられており,とりわけ開発途上国にとっては重大問題である。

捕鯨問題は原理原則の問題であるといわれる。一部の関係者の利害を越えた,裾野の極めて大きな問題であるからこそ短期的な損得ではなく,より広い視野から資源管理のあり方の原則に沿った対応に,我々はこだわるのである

[この記事へのご意見:インデックス]

[ご意見:90]「どっちもどっち」from:マーシャー・ハーリー・ブラッキー さん
[ご意見:89]「マスメディアが口を閉ざしてしまうので,不信を呼ぶのでは・・・」from:藤間なつみ さん
[ご意見:88]「質問です」from:uno さん
[ご意見:87]「ご意見紹介」from:鯨ポータル・サイト編集室
[ご意見:86]「イルカ,クジラ漁について」from:西川 徹 さん
[ご意見:85]「クジラ,イルカ,捕獲」from:林道男 さん
[ご意見:84]「外国の動物への考え方」from:保坂欽大 さん
[ご意見:83]「捕鯨は伝統的食文化か?」from:保坂欽大 さん
[ご意見:82]「極論で相手を非難するのは解決しない」from:保坂欽大 さん
[ご意見:81]「これからの日本を担う若い人達の海外での迷惑も考えてください」from:福士 高之 さん
[ご意見:80]「調査捕鯨のことで質問です」from:9 時等 さん
[ご意見:79]「捕鯨問題」from:なおはる さん
[ご意見:78]「調査捕鯨は止めるべきです。」from:くじらくん さん
[ご意見:77]「シーシェパード対策」from:勇魚 さん
[ご意見:76]「質問」from:えりか さん
[ご意見:75]「映画『入り江』を見ました」from:ドイツ在住 さん
[ご意見:74]「公開ディベートを」from:猪飼 靖 さん
[ご意見:73]「捕鯨問題は人種間の文化闘争である」from:和田高明 さん
[ご意見:72]「質問です」from:青 さん
[ご意見:71]「捕鯨問題は本質を突け」from:和田高明 さん
[ご意見:70]「ネット上の反捕鯨論と政府への要望」from:wubai さん
[ご意見:69]「イルカ漁に関して」from:つばさ さん
[ご意見:68]「捕鯨問題について」from:NAO さん
[ご意見:67]「疑問だらけ」from:ニュージーランドより さん
[ご意見:66]「“Whale Wars”Season 2」from:渡辺 さん
[ご意見:65]「冷静な目で捕鯨の必要性を再考する」from:NZ在住日本人 さん
[ご意見:64]「whale fishing」from:td さん
[ご意見:63]「感情論」from:RKT さん
[ご意見:62]「メディア戦略が足りないのではないか」from:通りすがり さん
[ご意見:61]「文化戦争なのだ([ご意見:18]の回答によせて)」from:匿名もあるようなので… さん
[ご意見:60]「教科書へのコミットはどの程度されていますか?」from:夏海笑 さん
[ご意見:59]「怒りを禁じえない」from:匿名 さん
[ご意見:58]「Whale Wars」from:渡辺 さん
[ご意見:57]「鯨肉はだれが食べているのですか?」from:たかし さん
[ご意見:56]「グリンピースの主張を粉砕してもらいたい」from:最終捕食者 さん
[ご意見:55]「捕鯨問題のこの先の課題」from:A さん
[ご意見:54]「[ご意見:13]中の表現について」from:鯨ポータル・サイト編集室
[ご意見:53]「反日感情の拡大を感じました。」from:ミヤザキ さん
[ご意見:52]「捕鯨賛成」from:匿名希望 さん
[ご意見:51]「調査捕鯨大賛成」from:内堀 さん
[ご意見:50]「質問です。」from:鯨を知りたい人 さん
[ご意見:49]「環境保護団体の主張は偏狭だと思う」from:出雲弘一 さん
[ご意見:48]「ぜひ教えて下さい」from:沙羅 さん
[ご意見:47]「公式文書を基にした情報公開と主張展開を求む」from:オオムラ さん
[ご意見:46]「本当に恥ずかしいことは・・」from:上田圭 さん
[ご意見:45]「はたして一部の人のための調査捕鯨でしょうか?」from:kujirasuki さん
[ご意見:44]「捕鯨を禁止することは統制国家を招聘することだ」from:abadon さん
[ご意見:43]「第 65 条 海産哺乳動物と日本の捕鯨について」from:水産大国 さん
[ご意見:42]「韓国の鯨肉店について」from:ぽぽろ さん
[ご意見:41]「Non-Use ではなくモラトリアムでしょう?」from:大西純恵 さん
[ご意見:40]「賛成いたします。」from:田島泰明 さん
[ご意見:39]「現状で本当に調査捕鯨か」from:鯨にやさしい人 さん
[ご意見:38]「先住民族,発展途上国のために」from:牛尾 さん
[ご意見:37]「捕鯨国日本の立場」from:神田博司 さん
[ご意見:36]「恥ずかしい」from:一般人 さん
[ご意見:35]「ですよね。」from:藤田 さん
[ご意見:34]「捕鯨再開への道に関して質問です」from:慶太 さん
[ご意見:33]「質問です。」from:金子 さん
[ご意見:32]「科学的な調査捕鯨について」from:平賀教雄 さん
[ご意見:31]「質問です」from:日本国民 さん
[ご意見:30]「日本政府はやる気があるのか」from:川田恵子 さん
[ご意見:29]「メディア対策のまずさ~鯨研撮影の動画に関して~」from:三浦敏彦 さん
[ご意見:28]「IWCサンティアゴ会議 ライブ中継」from:wofie00 さん
[ご意見:27]「原理原則について」from:平賀教雄 さん
[ご意見:26]「鯨肉の販売に一考を要す」from:熊坂雄一郎 さん
[ご意見:25]「国民に対してもっとわかりやすい説明をお願いします」from:daisk5 さん
[ご意見:24]「日本の立場をもっと明確に主張すべき」from:佐々木正大 さん
[ご意見:23]「捕鯨とはちょっと離れますが」from:混沌 さん
[ご意見:22]「広報活動」from:wofie00 さん
[ご意見:21]「官僚の,官僚による,官僚のための政策」from:平賀教雄 さん
[ご意見:20]「正論が通じない感情の問題に・・・。」from:山本浩二 さん
[ご意見:19]「捕鯨は本当に日本国のナショナルインタレストですか?」from:平賀教雄 さん
[ご意見:18]「戦略戦術の提案」from:匿名 さん
[ご意見:17]「どうして日本はここまで捕鯨問題にこだわるのか?」from:加賀直樹 さん
[ご意見:16]「捕鯨に対する懸念」from:ひろこ さん
[ご意見:15]「大変よく理解できました。」from:匿名 さん
[ご意見:14]「質問よろしいでしょうか」from:松本耕太 さん
[ご意見:13]「森下丈二さんへ」from:はやて さん
[ご意見:12]「IWC,調査捕鯨および商業捕鯨について」from:古川幸之助 さん
[ご意見:11]「森下さんの意見に大賛成!!!」from:岡田 和巨 さん
[ご意見:10]「暴力的な反捕鯨NGO には毅然たる態度を」from:鯨好き さん
[ご意見:9]「YouTube 動画を巡る対応を伺いたい」from:山中 進 さん
[ご意見:8]「ただの素人でありますが・・・」from:坂元貴之 さん
[ご意見:7]「捕鯨」from:森上 下一 さん
[ご意見:6]「現状の正確な判断は?」from:堀清人 さん
[ご意見:5]「環境保護団体のテロ行為は理解し難い」from:峰村輝慶 さん
[ご意見:4]「ありがとうございます」from:コンパス さん
[ご意見:3]「捕鯨は日本の文化ですから」from:河野 さん
[ご意見:2]「森下さんへの質問」from:山口正士 さん
[ご意見:1]「ザトウクジラの捕獲中止に関する件」from:水産大国 さん

[この記事へのご意見:90件]

[ご意見:90]「どっちもどっち」from:マーシャー・ハーリー・ブラッキー さん

1. クジラは雄大,可愛く,愛さずにいられない。ホエールウォッチング。一度体験したら,クジラの殺戮,余りに残酷で,これが同じ日本人のやることかと,悲嘆のどん底。

 2. でも,野放しのままでは,イワシ,サバ,オキアミなどなど食い尽くされ,日本人の味覚を満たせない。クジラは,一時に想像を絶する量を食す食肉動物だから。

 3. だから,少しだけ数量調整させてもらっても,いいじゃ~~ん。

 4. それに,クジラで食べてる漁民,食肉加工,運送・販売業者,それらを指導監督したり,行政として制度運営に携わってる議員,官僚集団などもいるわけで,捕鯨禁止では皆冷え上がってしまうだろう。折角,クジラで築き上げた巨大商業,交易,利権を易々手放す手はなかろう。

 5. 確かに,ウシ・ブタ・トリなどのように,人が丹精込めて食肉用に飼育し生産したものではない。自然の大海をただ為すがままに生きてる海獣。ゆえに,ウシ等を食べるくせに,クジラはダメというのはおかしいという理屈は,当を得ない。が,クジラは,もともと放置すれば自然の害獣だとすれば,人が食肉用に飼育したものでなくとも,狩猟は許されよう。イエスの思し召し。

 6. それにしても,一部の関係者のみが利益を得,国民に広く還元されない,ないしそうとしか目に映らない,今の情況は,国民の関心も,好感も呼ばないな。スーパーにも,クジラはないし・・・・

[ご意見:90]「どっちもどっち」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

捕鯨の議論において,少なくとも双方に言い分があり,一面的ではないことを認識していただいていることに,感謝します。

捕鯨問題が一部の関係者だけのものであるかのようにとらえられる面があることには,懸念を感じています。より透明性の高い,オープンな意見交換が必要です。もし,仮に捕鯨がごく一部の関係者のみを,不当に潤すような活動であるとするならば,批判されてしかるべきです。

私自身は,捕鯨問題に象徴される広範で大切な多くの問題への理解と対応をもっと広めることが重要だという意識で,この問題にかかわってきています。

[ご意見:89]「マスメディアが口を閉ざしてしまうので,不信を呼ぶのでは・・・」from:藤間なつみ さん

捕鯨調査について,日本の捕鯨文化について,小さなお子様でもわかるような特集が,日本のテレビや新聞などで,全く組まれないのはなぜでしょう。
 件の映画が公開された時にも「捕鯨は文化なのだから他国に干渉の権利はない」「それに調査なんだから」と司会者が言っただけ,「日本の縄文時代から続いている」という,文字によるパネルが出されただけ,あまりに乱暴すぎます。「では,その文化って何?」「調査って何?」その疑問は各自で解けとばかり,その後,イルカに結局水銀は入っていたのかいなかったのかも,断片的にしか報道されてはきません。

 IWC 総会,そして件の映画日本公開を前にした今,大人から子どもまでこの問題について考えられるような特集番組を次々と組んでほしいと思い,各局各新聞社に向け,相談のメールをしてみたのですが,今に至って気味悪いほど反応がなく,これでは謎に包まれた調査捕鯨が,他の方のご質問にもあったような「税金の無駄遣い」「天下り」「実はクジラ需要はなく,在庫だらけ」「非致死調査でもいいのでは」「食べるために法を犯して捕っている」「自分は食べないので需要がない」などと疑われても,あるいは無関心でも仕方がないのではないかと思いました。
 C・W・ニコル氏の小説,北斎の“鯨絵巻”,“鯨祭り”や“鯨過去帳”,中山晋平氏の『鉾をおさめて』などの歌曲,人形浄瑠璃などを通じて(また,米国の『白鯨』なども読みましたが)の美意識としての捕鯨文化を大切にしてゆきたい私としては,非常に残念でなりません。

 大体,捕鯨に反対する方々は,グリーンピース・ジャパンの方の著書などを読んで,その通りのことを鸚鵡返ししているように思えます。つまり「水産庁の言うことは全て疑え」と。反捕鯨諸国では逆に,日本をどしどし悪に仕立てて積極的に自分たちの正当性をアピールしているように思います。
 「新聞から三流紙までがこの問題について沈黙し,リサーチもしない。官僚に後ろ暗いところがあるから報道しないのでは」などと反捕鯨意見の方に言われると,あまりのマスメディアの沈黙ぶりに,もしかしたらその通りかもしれないとさえ思いたくなります。特に,米国と韓国への調査済み肉の不正流通(密輸)が見つかった矢先です。これでは国内の支持者はどんどん減ってゆきます。愕然としてしまい,私もこれは IWC を抜けて調査捕鯨をやめ,沿岸捕鯨に切り替えた方がいいのではと思いました。

 そうでないのだということを,もっと水産庁は,日本や世界に向けて発信してゆくべきでは。知りたければ難しい HP や本を広げて自分で読みなさいというのでは,特に鯨食文化から遠のいてしまい,反捕鯨国の仲間はずれにされたくないという若い世代の方とは,発展的な話さえ期待できそうもありません。
 ぜひ,小さな子どもにもわかる「捕鯨の実態」についての報道番組を作って頂きたいと思います。またご指摘の通り,日本人は私含め,概して英語が苦手です。反捕鯨の国の方々が何を考えているのかわからず,日本への抗議活動や,SS の代表の脅し言葉など恐ろしい報道ばかりが断片的に伝わってくると,こちらも不安になってしまいます。
 はっきり言って,日本は宣伝・アピールの下手な国だと思います。

[ご意見:89]「マスメディアが口を閉ざしてしまうので,不信を呼ぶのでは・・・」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

私も藤間さんと全く同じ問題意識とフラストレーションを感じており,自分なりに情報発信に努めてきていますが,力及ばず,広報については反捕鯨サイドが優勢です。反捕鯨サイドの資金力が圧倒的であることも原因の一つですが,我々の広報の仕方にもいろいろ問題があります。

また,マスメディアの姿勢も捕鯨問題に関する報道のバランスを崩しています。

特に外国のメディアは,ほぼ一方的と言っていい反捕鯨の論調です。これは,我々の発信力の不足も有りますが,それだけではなく,いくら我々が発信,情報提供しても,それを取り上げないという姿勢も歴然としてあります。
 IWC の会議期間中に限らず,我々は頻繁にプレス発表を英語でも出し,背景情報を提供し,資料を配り,インタビューなどの取材に応じてきています。愚痴になります。しかし,例えば,1 時間以上英語でインタビューに応じ,丁寧に説明した結果,全然その映像が使われなかったり,ほんの数秒,それもいちばん反捕鯨側に都合のいいところだけ使われたりという経験は数え切れません。
 なぜ,このようなことが起こるか。親しくなった外国の記者が,自分は捕鯨反対と捕鯨支持の意見を公平に伝える記事を書いて提出したが,デスクが,これは読者のイメージに合わないからと拒否されたというようなことを言ってくれたことがあります。例えば,オーストラリアでは,国民のほとんどがクジラは絶滅に瀕していて,日本はそれを獲り尽くそうとしている,そうでなければそもそもクジラを捕獲することは倫理に反していて,日本がやっていることは野蛮だと信じており,日本の言い分にも一理あるというようなことを書いた途端に猛反発にあいます。実際,数年前に高名なオーストラリアの科学者が,ミンククジラはたくさんいるので数を制限して捕獲しても大丈夫だという趣旨のことを発言し,マスコミで一斉にたたかれたことがあります。

このような状態だからと言って,情報発信を諦めたわけではありません。しつこく続けていますが,なかなか壁が厚いのも現実です。

日本のメディアには,調査捕鯨が妨害されているとかいったニュース的なものも大切ですが,もっと捕鯨問題を掘り下げて分析・報道してもらいたいと思うことがよくあります。
 ただし,かつては,捕鯨に関する報道といえば,「日本孤立」,「商業捕鯨再開ならず」といった,日本が批判されていることを強調したり,問題解決が望めないという論調が圧倒的でしたが,ここ数年は,もっと時間を割いて問題の背景を説明する番組や記事も増えてきたと思います。まだ十分にお目に留まるまでにはなっていないようですが。問題意識の高い報道関係者の方々とも協力し,この芽を大切に大きくしていきたいと考えています。

後ろ向きの分析や言い訳はたくさんありますが,それを書き並べても仕方がありません。少しでも多く情報を発信していきたいと思います。この「鯨論・闘論」でも,引き続きひとつでも多くご質問やご批判に答えて行きたいと思います。

[ご意見:88]「質問です」from:uno さん

あの動物は食べてもいい。また,あの動物は食べてはだめとは誰がどのような基準で決めているのですか?


[ご意見:88]「質問です」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ご質問,ありがとうございます。uno さんをはじめ多くの方々から同様のご質問をいただくことがあります。最近では,なおはる さんからいただいた[ご意見:79]への回答の中で,私の考えを述べさせてもらいました。ぜひ,そちらをご覧ください。

[ご意見:87]「ご意見紹介」from:鯨ポータル・サイト編集室

いつも「鯨論・闘論」をご覧いただき,また,たくさんの貴重なご意見をお寄せくださって,ありがとうございます。お寄せいただいたご意見はすべて森下丈二 参事官に転送させていただいております。森下 参事官も,なるべくみなさまのご意見に返答したいとのことで,ご公務の合間を縫って執筆されています。しかしながらどうしても時間に限りがあり,すべてのご意見に返答することが難しい状況です。

 そこで,編集室といたしましては,みなさまからお寄せいただいた代表的なご意見を,不定期にではありますが,紹介させていただくことにしました。
 ここでは,直接に森下 参事官の返答はありませんが,多くのみなさまに関心が高いと思われる内容をセレクトしてお送りいたします。もちろん,捕鯨についての立場の違いについてはまったく問わずセレクトさせていただきます。

 今回は2件のご意見をご紹介いたします。

 なお,このコーナーのシステム上の仕様により,以下のタイトル「『ご意見紹介』への回答」ならびに「from:水産庁・森下丈二 参事官」との表記が出てしまいます。上述のとおり,みなさまからお寄せいただいたご意見の中から,編集室がセレクトし,ご趣旨を曲げずに用字用語の統一など最低限の校正のみを加えた内容となります。ご承知ください。

[ご意見:87]「ご意見紹介」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

● 早川留治 さん「シー・シェパードに見る反捕鯨」

森下参事官の「こだわる理由」実に説得力があります。
 これでなお如何なる状況下においても…などというのは単なる暴論,まさに環境帝国主義…なのでしょう。
 シー・シェパードなる環境帝国主義というより暗に意図があるとさえ思われる反捕鯨グループなど,宗教闘争のようにさえ見えます。
 いずれにせよ,クロマグロの漁獲量等今後も持続的資源の活用という問題は拡大していくことと思われますので,森下 参事官のご意見に沿った活動を推進されることを強く希望します。

 

● 逆本猟魔 さん「日本の捕鯨非難は,全く不当である。」

海に囲まれた日本は,当然必要に迫られ古来から捕鯨を行って来た。しかし,資源としてクジラの全てを利用し,数も減らす様なことはしなかった。

ところが近代米国などが,油だけを目的としてクジラを乱獲し,死体を累々と流して激減させて来た残酷な歴史的事実。日本に来た理由も実は,その基地として利用する為であった事実。それらを忘れて,クジラの油が必要無くなったからといって日本捕鯨を非難する。

激減の責任は欧米諸国にある。それをもっと強くアピールすべきだ。

調査捕鯨は,それらの尻拭いをしているに過ぎない。また,現在のクジラの実態を知ることは,クジラの保護にも繋がると思う。日本の行動はむしろ賞賛されるべきだ。

日本は,自己主張が足りない。正義も言わなければ正義にはならない。

[ご意見:86]「イルカ,クジラ漁について」from:西川 徹 さん

私の年代はクジラで育ちました。ハッキリ言ってクジラは,おのみと,おばけぐらいしか,美味しくなく,不味い肉でした。

 今,イルカ,クジラは絶対いる食料ではないです。クジラは数も減ってるし,増やす必要があります。

 私は,別にクジラの肉を食べても良いと思いますが,クジラ,イルカの賢さを考えてください。脳みそは人間と変わらない大きさ,イヌより遥かに賢い動物です。
 イルカ・クジラ漁やイルカ・クジラ料理の店の人に言いたいのですが,イヌの肉を殺して食べる事が出来ますか?イルカ・クジラはイヌどころでない賢い動物ですよ。チンパンジーより賢い,人間の次に賢い動物です。
 クジラ,イルカを食べるのなら,自分で育てたイヌを殺して食べてみてください,と,少しきつい言い方で悪いのですが,クジラ・イルカは,別に無理して食べなくても良いのではないかと,私は思います。
 私は,別にクジラを食べなくても良いですが,クジラ漁の人や,クジラ料理屋の生活が困るので,生活の為仕方無いというなら,クジラが増えてるかぎりは,食べても良いと思います。でも,自分が飼ってる,イヌやネコどころで無い賢さを持ってるのが,クジラ,イルカです。クジラ漁やイルカ漁の人が,自分の買ってるイヌやネコを殺して食べる事が出来るのなら,クジラを食べて良いと思います。
 それぐらい,クジラとイルカが賢い動物だと言う事は,クジラ漁をやってる人やクジラ料理をやってる人は認識しておく必要があると思います。

[ご意見:86]「イルカ,クジラ漁について」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

減少しているクジラを増やす必要についてはおっしゃる通りです。
 日本は,国際捕鯨委員会で,ミンククジラなど資源量が豊富なクジラは厳格な捕獲量規制のもとで捕獲を認め,シロナガスクジラなど数が減ってしまったクジラはしっかり保護するべきだと主張しています。すべてのクジラが減ってしまったわけではありません。

クジラの知能の問題については,これまでいただいたご意見への回答(特に下記など)を,ご覧ください。
  [ご意見:49]「環境保護団体の主張は偏狭だと思う」への回答
  [ご意見:74]「公開ディベートを」への回答

[ご意見:85]「クジラ,イルカ,捕獲」from:林道男 さん

誰が,クジラやイルカを食べているのか,たくさんの人に食されて,はじめて食文化というのであって,魚屋でイルカを買う人がいますか,もう禁止にすべき。
 マグロは,日本人の食文化といっていいでしょう。大事に食べましょう。

[ご意見:85]「クジラ,イルカ,捕獲」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

今まで何度か書いてきましたように,私は,クジラやイルカを食べることが食文化かどうかという議論が,捕獲を続けるべきか,禁止すべきかの基準ではないと考えています。

これまでいただいたご意見への回答(特に下記など)もぜひご参照ください。
  [ご意見:63]「感情論」への回答
  [ご意見:68]「捕鯨問題について」への回答
  [ご意見:73]「捕鯨問題は人種間の文化闘争である」への回答

ただ,たくさんの人が食べたり,使ったり,参加しなければ文化ではないという議論は賛同できません。日本の着物や能は誰もが認める日本文化だと思いますが,たくさんの人が日常的に着たり,鑑賞したりしているわけではありません。
 むしろ,残り少なくなった習慣や事物こそを貴重な文化として認めるケースの方が多い気がします。

[ご意見:84]「外国の動物への考え方」from:保坂欽大 さん

森下様,

 外国の動物への考え方を伝えます。

 アメリカでは人間に対する実験より,動物の実験の認可がおりにくいと言われます。
 なぜか?
 動物に対してはインフォームドコンセントがとれないからです。ですからサルの脳に電極を埋めるような実験は,日本では簡単にできるが,アメリカではほぼできないと言われてます。

 そんな馬鹿な,と日本の方は思うかもしれませんが,そういう考え方の違いを念頭に置かなければなりません。
 そして,相手にどう理解してもらうかを考えなければなりません。

 以上,ご参考までに。

[ご意見:84]「外国の動物への考え方」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

仮に動物に対してインフォームドコンセントが適応できれば,当然動物側は実験に使われることに同意しないでしょうね。

いずれにしても,捕鯨の問題はインフォームドコンセントとは少し違うと思います。
 動物に対する考え方の違いがあることはおっしゃる通りですが,外国でも,カンガルーやシカや,家畜にさえも捕獲やと殺に関してインフォームドコンセントは適用していません。

[ご意見:83]「捕鯨は伝統的食文化か?」from:保坂欽大 さん

森下様,

 捕鯨は食文化であるという主張を聞きます。私は限定的にイエスだと思います。

 伝統的に捕鯨をしていた漁村ではそうです。逆に明治以降の近代捕鯨は伝統的食文化としては外国から受け入れられないし,私も伝統的食文化でないと思います。

 そこで提案です。
 伝統的漁村が食する分だけ近海で捕鯨再開を主張してみてはどうでしょうか?これなら反捕鯨派も認めるはずです。近海は水銀量も多いですし,少量にしておけばいいでしょう。

 確かに漁師の補償や水産企業の問題もあります。ですが,日本は近代低価格食品として捕鯨をしていました。そして低価格が大量に獲ることを推し進め(たくさんとらないと利益が上がらない)水産資源と考える外国からも非難の原因になりました。

 安いから買う,これは水産資源の問題点です。これによりますます漁師が儲からない状況があります。そのため魚の希少価値もなく,廃棄率も高いです。
 もしクジラを流通させるなら高級食品として扱い,利益をクジラの生態の研究費に充てたらどうでしょうか?(私はクジラの販売は反対ですが)鯨のブランド化したほうが理解されるでしょう。

 件の映画でも小さな町でイルカを年間 1,000 頭も食用としていることが問題とされています。

 伝統的漁村で自分で食べる分だけ獲る。もし売るなら高価格化して漁師と水産資源研究に役立てる。

 これが私の主張です。

[ご意見:83]「捕鯨は伝統的食文化か?」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

捕鯨が伝統でなければ認めない,あるいは伝統だから認めるという考え方には,疑問を感じます。

まず,第一に,もし全く捕鯨の伝統がない発展途上国が,食料確保のために限定された数のクジラを自国の 200 カイリ水域内で捕獲したいと希望する場合,伝統がないから駄目だと否定するのでしょうか?伝統がなければ自国 200 カイリ水域内の海洋生物資源の利用を否定されるのでしょうか?私は否定されるべきではないと考えます。
 第二に,伝統であるなら認めるという考え方の背景には,クジラは特別な動物であるとの前提で,利用すべきではないという原則を支持し,しかし,伝統があるなら特別に認めてもいいという気持ちがあるからです。クジラを他の動物から独立させ,特別扱いすることへの反論は,何度も書いてきた通りです。
 例えば,[ご意見:79]「捕鯨問題」への回答,[ご意見:48]「ぜひ教えて下さい」への回答,及び,[ご意見:36]「恥ずかしい」への回答,などをご覧ください。

クジラも魚も必要以上はとらないという考え方は,その通りだと思います。国際捕鯨委員会での日本の主張も,好きな数だけ,目いっぱい捕らせろなどとは言っていません。科学委員会が既に開発している,資源を枯渇させない捕獲枠を計算する改定管理方式( RMP )に基づく枠内で捕獲することを認めてほしいと主張しています。
 また,仮に RMP で計算された捕獲枠が非常に大きい場合は,その捕獲枠を満限まで使う必要はありません。事実,南氷洋のミンククジラに RMP を使って捕獲枠を計算すると,捕りきれないような大きな捕獲枠になると思われます。
 仮に国際捕鯨委員会で捕鯨が認められるようになれば,それをどのような形で,どのような量販売するかは,関係する企業が決められることですが,今の国際捕鯨委員会での議論からすれば,食べる量だけだろうが,科学的に捕獲が許される量であろうが,反捕鯨国は反対すると思います。

[ご意見:82]「極論で相手を非難するのは解決しない」from:保坂欽大 さん

森下様,はじめまして。
 表題の件でお伝えします。返答が大変そうなのでトピックごとに小分けします。

 このコメントでは,反捕鯨は,クジラやイルカを知性があってかわいいと思ってるから。という主張についてです。

 Wikipedia の捕鯨問題(2010年8月12日現在)にあるように,

 > ただし,メディアを通じてこのような価値観が反捕鯨の世論の形成の根底にあると主張されることはあるが[13],国際捕鯨委員会(IWC)等公式の場でこの系統の主張がなされることは少ない。なされる場合も,おおむね各国閣僚などの捕鯨問題には詳しくない者のスピーチなどの場に限られ,そこからこぜりあいがはじまることはあるが,議論を左右することはない。

 IWC で意味をなさない論調を,あたかも反捕鯨の主流の意見のように伝えるのは,日本の捕鯨問題理解を妨げます。日本は,反捕鯨派の主張理解が非常に悪いです。
 日本に不利になる部分もあるとは思いますが,それを伝えないと
 ・反捕鯨派のさらなる不信感
 ・捕鯨賛成は日本人の問題への無知

 これによる悪循環が現在だと思います。

 南京大虐殺をなかったという人を取り上げて,外国が,日本を批判して。中国は一番大きい数を報道する。これと同じことになるような気がします。

 第二次大戦と酷似している気もします。捕鯨(帝国主義)をやめた国々の後も,捕鯨(帝国主義)拡張を続け外国から非難される。日本は自分だけなぜ?と思い反論するが受け入れられない。世論のためにがんばってますます孤立。時代の趨勢を受け止めないといけないと思います。

 捕鯨反対派の批判を受け止めて一歩先を行く意見を希望します。でないと進展しません。

 以上,ご検討お願いします。

[ご意見:82]「極論で相手を非難するのは解決しない」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

捕鯨に反対する理由は様々で,資源の問題,法律の問題,感情の問題,経済的な問題など,どれひとつをとっても,それだけですべてが理解でき解決できるものではないことを,このコーナーでも繰り返し説明してきました。クジラやイルカの知性やかわいさの問題も,捕鯨に関する反感の根底を形作る無視できない問題だと思っています。却下してしまうだけではどうしようも有りません。捕鯨問題では,意見がかみ合わないことが,対立を悪化させている面があります。

例えば,私は,知性やかわいさの問題は,次のように議論してきました。

知性やかわいさで,利用する生物を区別するとすれば,どのような基準で知性やかわいさを判断し,利用する生物とそうではない生物の間に線を引くのか。イヌとネコではどちらが知性が高いのか,どちらがよりかわいいのか?これに対する意見や感情はあっても客観的な基準はありません。ウシとカンガルーはどちらが知性があって,どちらがかわいいのか?

昆虫であるハチにも知性があると言えます。彼らは蜜のある花の位置を記憶し,太陽の光を使って巣からの方向を特定し,それを“ダンス”で仲間に伝えます。人間にも,イルカにも同じことはできません。それではハチは人間やイルカより知性があるのでしょうか。我々は,人間と同じような記憶やコミュニケーションの能力を持つ生物を知性があると思ってしまいますが,生物界には全く別の知性があります。かわいさも同様ですし,人間の中でさえかわいさに対する基準は大きく異なります。

私としては,提起された問題は,却下したり回避したりするのではなく,なるべく正面から考え,答え,反論していきたいと思います。思い込みや独りよがりに陥らないようにしていきたいと思います。ご意見を有難うございました。

[ご意見:81]「これからの日本を担う若い人達の海外での迷惑も考えてください」from:福士 高之 さん

以前,ソウルオリンピック開催のためにソウル市内が整備で活気づいていた頃,現地人の間では普通に食されていた犬肉料理の店が,国際世論を気にして当局によって目抜き通りから全て撤去された経緯がある。
 彼らからすればイヌは資源?イヌを食べるのは文化?

 日本が捕鯨やイルカを捕らえ喰らうのもやっぱり資源?文化?

 国際社会で先進国として非難や摩擦をあえて受け,主張する意味は?

 ジャングルの奥地で人食い人種が「人間食って何が悪い!これは俺たちの文化だ」と主張しているみたい。日本が,そして日本人が国際社会から異端の目で見られてしまうのは悲しい。

[ご意見:81]「これからの日本を担う若い人達の海外での迷惑も考えてください」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

私はイヌが大好きですし,もちろん自分で食べようとは思いませんが,その考え方を他人や他国に強要するのはおかしいと考えています。

ただ,食人は別の問題であると思います。食人とイルカやイヌを食べる文化を同じ扱いにするとすれば,人とイヌとイルカを平等の権利を持つものとして扱うことになります。
 この場合,カンガルーには平等の権利はないのか,ウシやブタはどうか。シカはどうか?魚はどうか?
 人と他の生物の間に線を引くことは出来ると思いますが,他の生物の間のどこかに線を引くとすれば,いったい何を基準にするのでしょうか?人間が,全くの菜食主義にならない限り直面する問題です。

この問題について,国際社会が統一した基準を持てるのでしょうか?統一した基準を持つことが正しいのでしょうか?難しい問題だと思います。

[ご意見:80]「調査捕鯨のことで質問です」from:9 時等 さん

はじめまして。大学の授業で捕鯨問題のことが取り上げられ,宿題としてその問題について調べてくることになったのがきっかけで,この“鯨論・闘論”にたどりつきました。捕鯨を行う理由,反捕鯨国の主張の矛盾なども分かりやすく説明されてらっしゃてたので何度も「なるほど~」とパソコンの前でうなっていました。

 そこで質問なのですが,調査捕鯨というのは一国が単独で行っているものなのですか?

 日本が南極で行っている調査が世界的にも認められているのは分かったのですが,日本は日本独自で調査を行っているのですか?だから日本は悪いと名指しされやすいんではないかなと思いました。もしそうなら,捕鯨国合同で調査捕鯨は行えないのですか?そうすれば,日本だけ責められるわけではないと思うのですが・・・。
 また,反捕鯨国のなかでも鯨類の研究・調査を行いたい研究者・科学者もいると思うので,そのような人も巻き込んで調査捕鯨を行うことができれば,反捕鯨国に対して大きなインパクトを与えられると思います(そのとき,各国どうしで捕鯨副産物の分配をすると思うので,反捕鯨国はその分配を受けようとするのかはわかりませんが・・・)。

 科学的データ・発見は人類共通の財産です。調査であれば,国を問わず参加すべきです。ぜひとも他国とも協力して調査捕鯨を行い,捕鯨は悪,それを行う日本は悪というイメージを取り除いてほしいです。

 これからもがんばってください。日本と外国との関係が悪くなっていくのが心が痛いです!お願いします!応援しています!

[ご意見:80]「調査捕鯨のことで質問です」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

国際捕鯨委員会での休戦協定に当たる「 IWC の将来」プロジェクトに忙殺され,結局合意は達成されませんでしたが,半年以上もこの“鯨論・闘論”をさぼってしまいました。せっかくご質問をいただいていたのに,お答えをせず,本当に申し訳ありませんでした。

なお,今年の IWC の結果については水産庁のプレスリリースが出ていますので,下記リンク先でご覧ください。また,映像による総括レポート(海洋インターネットTVマガジン 海の王国)もご参照ください。


 ※「水産庁 プレスリリース/『第 62 回 国際捕鯨委員会( IWC )年次会合』の結果について[ 2010.06.26 ]」は,こちらをクリックしてください。別ウィンドウが開きます。

 ※「海洋インターネット TV マガジン 海の王国/ IWC レポート 2010 」は,こちらをクリックしてください。別ウィンドウが開き,映像が流れます。


さて,ご質問の日本の調査捕鯨についてですが,これは日本一国で行っています。ただし,参加したい外国科学者がいれば喜んで調査船に受け入れると表明してきており,実際,北西太平洋の調査では,ロシアや韓国の科学者が乗船したことがあります。
 南極の調査を共同調査にする可能性ですが,ノルウェーやアイスランドなどの捕鯨国はもう南極に関心を持っておらず,経費もかかりますので参加しないと思います。反捕鯨国は,日本の調査に参加すれば,それを認めたことになりますので,参加しません。反捕鯨国にも,個人的には参加したい科学者がいても不思議はありませんが,どうも国に許してもらえないようです。

科学調査が,このように政治的思惑に左右されるのは残念ですが,それが現実です。とにかく,調査捕鯨の成果を少しでも発信していく努力を続けます。応援していただき心から感謝します。

[ご意見:79]「捕鯨問題」from:なおはる さん

クジラやアザラシ等はダメ??? ならイノシシやシカやワニやカンガルー,また家畜のブタ・ウシ・トリはどうなの? 特にオーストラリアの主張は理解できないですね!!

[ご意見:79]「捕鯨問題」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

どの動物は食べたり捕獲したりしてよく,どの動物はいけないというルールは世界のさまざまな民族が持っています。あるものは長い歴史を背景とした宗教的なタブーであったり,また,あるものは比較的新しい倫理観であったりします。前者の代表例はインドのウシでしょう。後者は,米国やオーストラリアの海産哺乳動物に対する特別な考え方です。日本は世界の中では,そのようなタブーが少ない,ある意味では悪食な(?)民族かもしれません。豊かな海の幸や山の幸に恵まれた国土を持っていることがその背景にあるのかもしれません。それにもかかわらず,先進国中最低レベルの食料自給率というのは,本当に重大な問題です。中国も「足が四本あるものは机以外何でも食べる,空を飛ぶものは飛行機以外何でも食べる」と言われる民族ですね。

ですから,他の国が動物に関して自分と異なるルールを持つことは珍しいことではなく,そのルールの中には立派な理由がある場合も,論理的な理由がはっきりしない感情的なものもあります。それがお互いに理解できないこともありますが,問題は,自分のルールを人に押し付けること,とくにそれを国際問題にしてしまうことではないかと思います。これが,捕鯨問題の大きな要因のひとつです。違いをお互いに認めて共存すれば,捕鯨問題もここまでこじれません。

クジラなどの海産哺乳動物を特別視する背景には,いくつかの異なるレベルの考え方があります。もっとも極端なのは,クジラは神聖な動物だという,宗教的なレベルの“信仰”です。ごく最近も,オーストラリアの新聞への読者投稿欄( 2 月 26 日付,Launceston Examiner 紙)で,「われわれ人間より知的レベルの高い動物であるクジラを殺すなんてとんでもない,どうして他の知的生物とコミュニケートしようとしないのか」という趣旨の意見を読みました。もちろんこの人は真剣です。こういう人たちに信念を変えてもらうことは不可能とは言えないまでも,きわめて難しいでしょう。動物権運動の思想に基づく考え方もあります。この思想は歴史もあり,すべての動物を殺すべきではないというのが基本ですから,少なくとも筋は通っています。菜食主義の人たちですね。しかし,これを他人に,しかも暴力まで使って押しつけることは許されません。動物解放戦線というグループがあり,動物実験を行う施設に放火したりして,米国でもエコ・テロリストとして扱われています。もっと漠然とした,自然,特に海へのあこがれが海産哺乳動物をシンボル化し,海産哺乳動物を保護することと自然を守ることが同一視されている状況もあります。先進国では多くの人が都会に住み,自然に接する機会を極めて貴重だと思っています。その感情を,実際自然の中でクジラやアザラシを捕獲して生活する人たちにぶつけてしまうわけです。さらに,すべての海産哺乳動物は絶滅の危機にあるので保護すべきだ,その海産哺乳動物を殺すなんてとんでもないと思っている人たちもたくさんいます。これは全くの誤解ですが,広く行きわたった誤解で,我々も啓蒙の努力をずっとしてきていますが,他方で海産哺乳動物はすべて絶滅の危機にひんしていると思い込ませることに努力している勢力もあり,なかなかしぶとい問題です。余談ですが,私が在米国の日本大使館に勤務していたときに,一般の米国市民から電話をもらい捕鯨問題の抗議を受けました。この人はすべてのクジラは絶滅にひんしていると思っていましたので,そうではないことを説明し,第三者の意見も聴いてもらうために米国の科学者や IWC の科学情報も紹介しました。後日この人は再度電話をかけてきて,自分が誤っていたことを認め,日本の主張を理解すると言ってくれました。

我々から見れば,ご指摘の通り,イノシシやシカやワニやカンガルーがよくてクジラはだめというのは全く理屈になりません。我々も機会あるごとにそのような意見の矛盾を指摘します。他方では,ここで説明しましたような多様な背景があり,一筋縄ではいきません。尽きるところ,クジラを特別視することを他に押し付けることの理不尽さを認識してもらうことも大切と思います。インド人が,世界に向かってウシを食べるなと要求し,これを政治問題として首脳会議で取り上げることの異常さはほとんどの人が理解します。それと捕鯨問題は同じ根を持つことを繰り返し指摘してきています。考え方が違うことをお互いに尊重し認めること( Agree to Disagree ) が解決の方向であることがようやく認識されはじめており,現在進行中の“ IWC の将来”交渉もこの考え方に基づいています。その最大の障害は,オーストラリアに見られるように,国内政治や選挙対策のために,国際関係を犠牲にして反捕鯨政策を押しつける態度であると思います。

[ご意見:78]「調査捕鯨は止めるべきです。」from:くじらくん さん

森下様

 “調査捕鯨”なるものは,税金を使って自分達の仕事と天下り先を確保しようとしている水産庁の役人達とそれと結託した一部の業者達の擬似的商業捕鯨です。

 仮に IWC が“商業捕鯨再開”を認めても,南氷洋捕鯨を再開したいと思う日本の水産会社はゼロであると聞きます。理由として,捕鯨をすると欧米の消費者から商品をボイコットされる恐れがあるということと,南氷洋まで行く捕鯨船団を作る投資をしても捕鯨で得られる利益と採算が合わないということです。したがって,南氷洋の商業捕鯨再開はあり得ない。

 水産庁の役人とそれと結託した一部の業者は,現在の擬似的商業捕鯨である“調査捕鯨”を続けたほうが,税金の投入があるから良いのです。調査捕鯨の結果,冷凍倉庫には売れない“鯨肉”が山積みとなっていて,それをさばくために,学校給食に使ったりしている。しかし,商業捕鯨でないから,そのコストは消費者ではなく,補助金という形の税金で負担している。つまり,彼らはリスクを負わずにすみます。共同船舶は国が 100 パーセント出資しているし,年数億円の税金を調査捕鯨に投入している。つまり,商業捕鯨再開より,永遠に“調査捕鯨”を続けられるほうが彼らには都合が良いのです。

 戦後の食糧難の時代は,鳥肉,豚肉,牛肉(焼き鳥,トンカツ,ビフテキ)が食べたかったのが食べられずに,代用肉として,固くて臭くてまずい“鯨肉”しか食べることができなかった記憶がある。その時代をまた思い出すために物好きに“鯨肉”を食べたいとは思わない。

 冷凍保存技術の無い時代は,鮮魚さえ日本の大部分の地域では食べられず,“干物”程度しか食べられなかった。だから,“鯨肉”を食べる食習慣は,日本では漁港に近い一部の地域でしかなかった。しかも,近海での捕鯨に限られていた。“鯨肉”を国民が一般的に食べるようになったのは,赤道を越えても“鯨肉”を冷凍保存して運搬できる船が開発された戦後の食糧難の時代である。だから,“鯨肉”を食べることを日本の伝統的食文化というのは少し大げさです。

 水産庁の役人が“調査捕鯨”をする理由として主張しているのは,“資源の持続的利用”のための調査,つまり,鯨の資源が枯渇しない程度ならば利用してもよいから,それが可能かどうか調べるための調査だという理由だが,仮に“鯨資源の持続的利用”が可能であり,“商業捕鯨再開”があったとてしても,日本のみが南氷洋の“鯨資源”を独占利用することはできない。世界各国が鯨資源を利用すると,あっという間に哺乳動物の鯨資源は枯渇してしまうだろう。

 将来の食料難のために“資源の持続的利用”のために遠い南氷洋まで“調査捕鯨”しに行く必要は無い。現在の日本では耕地面積の 10 パーセントが耕作放棄されている。過疎化や高齢化が原因となり山間部が深刻だ。耕作放棄地は荒れてイノシシ等の野生動物が出没して農作物を荒らす原因となっている。そんな耕作放棄地に,例えばヤギやウシなどを放牧するとかの利用をすれば,野生動物の被害もなくなるだろうし,食料生産にも役立つから,“資源の持続的利用”にも役立つ。わざわざ南氷洋に出かけなくとも日本にある耕作放棄地を利用して“資源の持続的利用”をすべきだ。

 鳩山首相はオランダの首相に「鯨肉は嫌いだから自分は食べない」と言った。日本人の大部分も同様に鯨肉は好きではないし,一生鯨肉を食べたいと思わないし,税金を使って国際的に批判の多い調査捕鯨なんというまやかしは直ぐに止めるべきだと思っている。しかし,税金を使う側の役人等の方の力が税金を納める国民よりも強いからなかなか止められない。

[ご意見:78]「調査捕鯨は止めるべきです。」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

調査捕鯨に反対される方々が挙げる理由として,調査捕鯨は役人の天下り先確保の手段だという批判があることは承知しています。2 点,反論したいと思います。

調査捕鯨の実施を行っている日本鯨類研究所には確かに役人出身者がいますが,人数は確か 2 名です。この鯨論闘論コーナーの著者でもある大隅博士を含め元政府の研究所に所属した研究者が 2 名いますが,お二人ともすでに引退されて顧問になっていただいています。この 4 名のために日本政府全体が多大な労力をかけて調査捕鯨を実施し,捕鯨問題に取り組んでいると考えるのは,あまりに現実離れしていると思いませんか。

仮にそれでも役人出身者が日本鯨類研究所にいることが問題とすれば,彼らがいなくなれば調査捕鯨を支持してもらえるのでしょうか。おそらくそうではないと思います。天下り問題は捕鯨問題の一部にすぎないと主張されるのではないかと思います。そうであれば,より本質的な問題の議論を中心にすべきです。役人批判は“はやり”ですし,役人側にも批判されてしかるべき面がありますが,捕鯨問題をその“はやり”の文脈で扱うと,真に議論されるべき本質が見失われることを懸念します。

南氷洋捕鯨が採算に合うかどうかという点についてです。現在の調査捕鯨という極めて制限の多い形態でさえ,操業経費の 8 割から 9 割を鯨肉の販売でカバーしてきました。これが商業捕鯨になれば,さらに採算が向上すると思われます。もう少し詳しく説明します。調査捕鯨では,科学的に無作為のサンプルを確保し,広い海域の情報を得るために,あらかじめ決められた航路(トラックライン)に従って捕獲を行っていきます。クジラの分布密度が高いか低いかは関係なく,このトラックラインに沿って航行しなければなりません。商業捕鯨であれば,当然分布密度の高い海域で操業しますので,燃油経費や操業日数が大幅に節約されます。また,クジラの群れを見つけた場合,調査捕鯨では無作為抽出のため乱数表で捕獲する個体を決めます。その個体が小型であろうが痩せていようが,乱数表で決まった個体を捕獲します。このようにしてデータのバイアスを避けます。商業捕鯨では,大型な個体が捕獲されます。経済的な採算が高いからです。過去の商業捕鯨のデータを見ると,捕獲されているのは圧倒的に大型個体で,その結果見かけ上若いクジラが少なく,資源の再生産状態が悪いように見えましたが,調査捕鯨では無作為抽出の結果たくさん若い個体がいることが確認され,資源が健全であることが証明されました。やや話がそれましたが,結論としては,商業的な捕獲が認められれば採算は十分取れると考えられるということです。

反捕鯨国でのボイコットがあるから捕鯨をしないというのは,現実的には深刻な問題かもしれませんが,理屈の上では納得できません。ボイコットの理由が,間違っていようが,誤解に基づいていようが,差別的であろうが,力で負けるのなら,あきらめろということでしょうか。総会屋の脅しには理不尽であっても屈しろと言われているような気がします。ナイーブで理想論といわれるかもしれませんが,抵抗すべきと思います。

調査捕鯨への国の予算の投入の是非については大いに議論すればいいと思います。もし予算の投入が,役人や業者の懐を潤しているようならこれは許されないことです。他方,鯨類資源を調査し,豊富な資源については科学的に裏打ちされた管理措置に基づいて利用することの必要性を納税者が認めれば,予算の投入の価値があるということになります。

調査捕鯨は,商業捕鯨モラトリアムが,「捕鯨の管理のための科学データには不確実性があるため,すべての商業捕鯨を一時中断して包括的に資源評価をやり直し,新たに捕獲枠を決定する」という理由で採択されたことに応えて開始されました。この採択理由は,科学データの充実を求めています。ですから,調査捕鯨を開始しました。商業捕鯨が悪いものであるから禁止したという誤解がありますが,商業捕鯨モラトリアムを規定している条約附表第 10 項( e )の文章は明らかにこれが間違いであることを示しています。この経緯からすれば,調査捕鯨がミンククジラなどの豊富な資源を持続的に利用できることを科学的に示し,IWC が商業捕鯨の捕獲枠を認めれば,その当初の目的を達成したことになります。実際すでに科学的にはミンククジラなどの捕獲が可能であることは明らかですが,IWC は科学以外の理由から捕獲枠を認めません。したがって,調査捕鯨の“永遠の”継続が目的になることも,いつまでも管理された捕鯨が認められないこともおかしいと言えます。これが IWC の本質的問題のひとつです。調査が続いていることや,予算が投入されていることを批判するのは,問題の原因と結果を取り違えた議論であると思います。なお,調査の成果や意義については大隅博士の投稿や財団法人 日本鯨類研究所のホームページをぜひ参照してください。

今まで何回か書いてきましたように,私自身は「捕鯨は日本の文化だから認めるべき」という議論は使いません。詳しくは,「ご意見73の回答」を読んでいただきたいと思いますが,まず,何が文化で何が文化ではないかという論争は,結局水掛け論になってしまいます。さらに,文化論は,例えば現在捕鯨文化を持たない開発途上国が,将来的に自国水域の鯨類資源を利用したいという希望を持つとすれば,それを否定してしまうことにつながり得るからです。適切な管理と取締のもとで豊富な鯨種を利用するのであれば,文化のあるなしにかかわらず,利用に道が開かれているべきと考えます。

自分が鯨肉が好きではないから,大部分の人が鯨肉を食べたいと思っていないから,鯨食の文化があるのは限られた地域にすぎないから,捕鯨をやめるべきという意見もよく聞きますが,この意見はあまりに少数者の権利や関心をないがしろにしたものではないでしょうか。特に,捕鯨をしたい,鯨肉を食べたいという人の希望が,資源に悪影響を与えることなく合法的に実施できる場合,このような意見には憤りを覚えます。他の分野では少数者の意見は尊重されるべきとしながら,捕鯨だけは少数者の意見は全体のために無視するのでしょうか。欧米の反捕鯨思想に,自分たちが世界の常識であり,正義である,捕鯨は野蛮である,捕鯨などを行う人間は啓蒙してやらないといけないと言った考えの存在を感じる人も多く,“環境帝国主義”,“環境植民地主義”といった言葉もあります。これも,根を同じくする問題ではないかと思います。

日本だけが南氷洋の資源を独占すべきではないとの主張には賛同します。他の国に南氷洋の鯨類資源の利用の希望があれば,持続的利用を前提に認められるべきですし,そうであれば,調査の必要性はむしろ一層高まります。捕鯨関係者の間でも,早くから南氷洋鯨類資源の利用から得られる利益の世界への還元について議論が行われてきており,“新捕鯨構想”と呼ばれるいくつかのアイディアも存在します。

「世界各国が鯨資源を利用すると,あっという間に資源は枯渇してしまう」という御懸念は,捕鯨は無制限に規制もなく行われるという前提だと思いますが,我々も無規制捕鯨には反対です。日本だけが捕鯨をする場合も,他の国が参加する場合も,科学的データに則った捕獲枠を設定し,これが順守される取締措置のもとで操業が行われるべきです。そのためには資源管理機関として IWC が正常に機能し,世界の捕鯨をしっかり管理する仕組みが必要です。我々は管理された捕鯨を支持しますが,反捕鯨国側はそもそも捕鯨が行われることに反対してきたために,IWC が機能を果たせない状態となっているわけです。

調査捕鯨の科学的成果は広く公表され,多くの科学論文が書かれ,そのデータは IWC 科学委員会でも利用されていますが,依然として,調査捕鯨は何ら科学的成果を生んでいない,データがない,隠されている,調査はまやかしだといった批判があることは,本当に残念です。その批判が検証もされず鵜呑みにされ,反捕鯨国のマスコミで繰り返されるのを見るたびに強い憤りを感じます。少なくとも公平な情報に基づく議論が行われる必要性を強く感じます。

[ご意見:77]「シーシェパード対策」from:勇魚 さん

お疲れ様です,森下 様。年を通して水産問題,捕鯨問題においてご多忙のご様子で,感服しております。
 私自身,大学時代に水産学を学んだ者として,IWC に属する反捕鯨国が捕鯨国に対する仕打ち。最近で環境保護と称してシーシェパードが日本の調査捕鯨船に常軌を逸した卑劣な妨害行為に,言いようの無い憤りが有るのも確かです。
 そこで,非現実的な案かも知れませんが。私案として書きこまさせて頂きます。

 ソマリア沖で,様々な国の船が行き来していて。それらの船舶を身代金目当てで海賊行為をする輩がいて,その行為に対して,海賊対処法が先日施行されましたが。この法律を利用し調査捕鯨船の護衛は出来ないものかと考えています。しかし,調査捕鯨をする南氷洋等の海域の特性から,海自の艦船を護衛に当てる事に制限が有るのも分かります。海保の方々が乗船してはいると思いますが。海自の護衛も出来るようには出来ないのでしょうか?そうなると,国会にて法案を通すなど様々な問題も有るかと思いますが如何でしょうか?

 私自身,文才に欠けるもので,分かりにくい文章だったら申し訳ありません。

[ご意見:77]「シーシェパード対策」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

私共もシーシェパードの常軌を逸した妨害活動には強い憤りを覚えています。南氷洋で実際にシーシェパードに対峙し,攻撃を受けている調査捕鯨船の乗組員や調査員の方々,その家族の方々の気持ちを思い,出来る限りの妨害対策を実施すべく,関係する様々な省庁と協力しています。法的,物理的に実施することができる最大限の対策を取るべく,関係者も全力を尽くしてきています。今年は首相レベルまで動いていただき,シーシェパードの船舶の旗国などへの申し入れも行っています。しかし,毎年毎年妨害活動が行われ,さらにエスカレートしてきていることも事実です。なんとか有効な対策はできないかという気持ちは,我々も同じです。

海賊対処法の適用については,我々も考え,法的な検討もしました。しかし,残念なことに,海賊対処法の対象となる海賊行為の定義にしたがえば,どうしてもシーシェパードの妨害活動は対象とできないというのが結論になっています。海賊対処法の第 2 条では,海賊行為とは,他の船舶を奪い取ること,他の船舶の財産を奪うこと,人質を取って金品などを要求することと定義しています。他の船舶への侵入,損壊,進行の妨害にも言及していますが,これらが海賊対処法の対象となるのは,これらの行為が船舶を奪うことなどの海賊行為を目的としている場合に限られています。言い換えれば,シーシェパードのように,調査捕鯨船を損壊し進路妨害することなど自体が目的で,何かを奪おうとしていない場合は,海賊対処法は想定していないということです。法律専門家によると,法改正をしない限り,適用は出来ないそうです。

他方,海洋航行不法行為防止条約( SUA 条約)という国際条約を使って,シーシェパードの船舶の乗組員の違法行為を立件し,国際指名手配をすることができました。このように,出来ることをひとつひとつ積み上げて,違法な妨害活動を根絶に追い込みたいと願っています。

[ご意見:76]「質問」from:えりか さん

唐突にすみません。捕鯨問題に関心があり,いくつか文献を読んで疑問に感じたことを質問させてください。

( 1 )反捕鯨の発信源が,80 年代はアメリカであったのに対し,現在はオーストラリアでありますが,なぜオーストラリアでの反捕鯨活動が目立つようになったのですか?

( 2 )モラトリアムから 20 年経ち,捕鯨再開に奮起されている人々の老齢化に伴い,世代が交代していくなかで捕鯨の存在感が薄れている気がしてならないのです。継承に向けての取り組みはあるのでしょうか。

( 3 )クジラの次はマグロにくるといった議論がありますが,捕鯨再開を訴え続けることと,マグロの漁獲高規制の問題には関連性があるのですか。

[ご意見:76]「質問」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ご質問を有難うございました。順番にお答えしたいと思います。

反捕鯨活動の活発さと関係がある要素としては,反捕鯨団体の存在,マスコミの関心,政治の関心,それらを受けての一般市民の関心などがあり,それぞれが関係していますので,どれが原因でどれが結果かは必ずしも明確ではありません。米国が反捕鯨運動の発信源になった背景には,多くの大手国際環境保護団体が米国で生まれたことにあるかと思いますし,米国,特に首都ワシントンが世界の政治の中心のひとつであることにも関係しています。ワシントンの中心のデュポンサークルと呼ばれる地域には,大手環境保護団体の本部が集中していますし,ここから米国議会への働き掛けが行われています。捕鯨問題に関する報道は,米国では近年はどちらかといえば低調ですが,本当に大事な環境問題である気候変動問題などは,やはり米国が震源地です。

他方,豪州での捕鯨問題の盛り上がりは,我々でさえ首をかしげたくなるほどです。豪州のマスコミ,新聞では,1 年 365 日を通じて捕鯨問題が取り上げられない日はないと言っても過言ではありません。シーシェパードによる調査捕鯨の妨害などが起こると,連日国中の新聞が大きな紙面をさいて報道します。日本では報道されない,日本の政治家の捕鯨問題に関する発言なども,繰り返し報道されます。

背景として考えられることはいくつかあります。まず,豪州は南半球にあり,北半球の先進諸国に比較して人の手があまり入っていない国土と環境があります。これを守るという意識が,自然には手を付けないという考えにつながり,捕鯨に限らず,漁業問題でも豪州は強硬な規制を求める傾向があります。豪州では反核運動もきわめて盛んです。2009 年 10 月 2 日に英国のエコノミスト( The Economist )誌に出た記事だったと思いますが,世界の主要国の中で,豪州は,自分の国を誇りに思う国民の割合が 1 番高い国だという結果が出ていました。大多数の豪州の国民が,自分の国や国土を素晴らしいと感じているわけですから,これを守る意識も高いはずです。ですから,捕鯨,特に南氷洋での調査捕鯨に強い脅威と反発が出るわけです。ちなみに,日本は自分の国を誇りに思う国民の比率が相当低い部類に入っていました。

政治家は,このような国民の感情に反応します。今のラッド政権が政権を獲得した選挙では,捕鯨問題が大きな争点のひとつでした。ラッド現首相は,ハワード前政権の捕鯨政策が手ぬるいと繰り返し批判し,国民の支持を獲得しました。今はラッド政権が野党から捕鯨政策について選挙公約を果たしていない,手ぬるいと批判されています。今年にはまた豪州は選挙ですので,捕鯨問題への対応について,与野党間でどちらがより強い反捕鯨政策をとるかを競う議論が起こる可能性があります。米国では今では捕鯨問題が選挙の争点になるような状況は有りません。これも反捕鯨感情が豪州ではエスカレートしていることを示しています。

さらに,豪州のマスコミは一様に競って反捕鯨の立場をとっています。その意味では豪州政府の立場を支持しているわけですが,政府の対応が甘いと見るや,即座に攻撃にかかります。また,数年前には,豪州で気候変動問題などに取り組む著名な科学者であるフラナリー博士が,ミンククジラはたくさんいるんだから捕獲枠を規制管理してとれば問題ないという趣旨のことを公に表明した途端に,なんととんでもないことを言うのかと,マスコミからの一斉攻撃を浴びました。魔女狩りを思い起こさせる出来事でした。

ここまでの説明では,どうして豪州の一般市民が鯨を特別な生き物とみるかを完全には説明はしていませんが,豪州の地勢的な条件,歴史,政治,マスコミの行動が,豪州の反捕鯨政策を強硬なものにしていることは明らかであると思います。

次に,捕鯨問題への取り組みの継承です。

調査捕鯨に参加する調査船の乗組員や調査員,研究者は,すでに 1982 年の商業捕鯨モラトリアム導入以降に参加したポスト・モラトリアム世代が過半を占めており,この面では順調に世代交代が進んでいると言えるかと思います。とくに若い科学者の中には IWC 科学委員会で重要な役職を務めたり,その科学的知見が広く評価されている人物も出てきており,まだまだ十分とは言えませんが,頑張っていると思います。政府の捕鯨問題への対応は,民主党新政権のもとでも高い関心を集めており,関係省庁が協力しながら対応する体制にあります。

一番気になるところは,やはり若い世代を中心とした一般の方々の関心ではないかと思います。学校給食から鯨肉が姿を消した後の世代にとっては,捕鯨問題はなじみの薄い問題ですし,捕鯨問題の帰すうは日々の生活や社会全体とは縁の薄いものに思えるはずです。しかし,この「鯨論・闘論」でも再三強調してきたように,捕鯨問題はクジラや捕鯨だけに限定された問題ではなく,資源小国の日本にとっては大変重要な自然資源の持続的利用の問題全般のシンボル的な問題ですので,関係者だけではなく,広く一般の方々への情報公開や議論が必要です。このために,日本各地でのイベントやシンポジウムの開催,インターネット上の情報の充実,研究者などによる学校での出張授業などを行ってきていますし,捕鯨に関係してきた地方自治体との協力も行われてきています。このような活動の一部は,この鯨ポータル・サイトでも紹介されています。もちろんこれで十分というわけではなく,むしろ強化すべき点が山積しています。出来ることをひとつひとつ実現していきたいと思っています。

最後に,捕鯨問題とマグロ漁業との関係です。

漁業関係者の間では,捕鯨問題が漁業問題の防波堤になっており,捕鯨で頑張らなければいずれマグロ漁業などに,科学的根拠とは関係ない感情的な非難が及ぶという意識があります。捕鯨の二の舞になるという恐れです。この背景には,反捕鯨団体と,漁業の規制や停止を求める非政府団体( NGO )がしばしば同じ団体であるということがあります。また,このような NGO は活動維持のために常にターゲットが必要ですので,仮に捕鯨が完全に停止してしまえば,次のターゲットとしてマグロ漁業が狙われるということがあります。すでに,マグロ漁業は,その操業の過程で海亀や海鳥を混獲する,マグロ資源を獲り尽くしてしまうといった批判を浴びており,捕鯨のようにモラトリアムを導入すべきと主張する NGO もあります。これは,捕鯨とマグロ漁業が同様の批判にさらされる可能性があるという,マイナスの関連性です。

資源管理という意味での関連性もあります。マグロ漁業も,捕鯨も,資源が本当に悪くなればしっかり規制して資源の回復を図るべきです。利用できるだけの資源があれば,捕獲量を決めて,これがしっかり守られるようにきちんとした取締体制を整えて,その利用が認められるべきです。マグロも,クジラも,カンガルーも,シカも,食料や皮を利用する資源として扱われてきました。その利用も,利用の制限も,同じルールの下で行われるべきではないでしょうか。クジラの例のように,ある動物が特別であるという意識が資源管理に入りこむことが,対立や問題を引き起こしていると言えます。

[ご意見:75]「映画『入り江』を見ました」from:ドイツ在住 さん

先日映画『入り江( The Cove )』がドイツでも公開され,見に行ってきました。

 映画の中には,国際捕鯨委員会で票を取るために日本が,ドミニカなどの国に,億の税金を出して漁業組合の建物を作ったけれども,今はそこは使われておらず,空き家になっている場面が,出てきました。その他,いろいろ興味深い点が盛りだくさんです。不況の中,税金の使い方には皆興味があります。これは,国民に知らせるべき点です。

 日本の国民に,この映画を公開して,環境問題や社会問題を自分で考えるチャンスを是非与えてやって頂きたい。この力を育てないと,日本人は将来,本当に取り残されてしまうと思います。
 ドイツでは,この映画を学校の教材として取り入れようと言う意見が出てきました。

 イルカ漁も隠さずに,また,イルカがこんなに苦しまなくても即死できる方法を取っていれば,ここまで国際非難を受けなくても良かっただろうと思います。

 ドイツのシュピーゲルという有名な週間雑誌に,2009 年の 6 月 21 日付けで,「日本では 2005 年より,クジラの肉が学校と病院へ健康食品として支給されているが,(例えば横浜市内の 254 の学校)クジラの肉は汚染されていてとても危ない。クジラの肉を食べるほかの国はもう対策をとっている。」と出ていました。本当なのですか。

 よろしくお願いします。

[ご意見:75]「映画『入り江』を見ました」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ご投稿を有難うございました。回答が遅れましたことをお詫びします。

この映画についてはいろいろと議論がありますが,我々の観点から見れば多くの情報が歪曲されているという不満があります。感情的な議論は,事態の解決にはつながりませんので,ここでは取り上げませんが,ご質問の点について事実関係を提供させていただきたいと思います。

まず,いわゆる「票買い」の批判です。

日本は世界でも 150 カ国以上に援助を行っている援助大国です。このような開発援助は,援助対象国の特定の政策に関与する「ヒモ付き」援助になることを避け,対象国からの援助要請が来て初めて動く,要請ベースが基本になっています。実際,日本は捕鯨に反対しているアルゼンチン,ブラジル,インド,メキシコ等反捕鯨国にも多額の開発援助を行っています。このような援助の中には,ドミニカに限らず十分に利用されていないケースがあり,捕鯨問題とは関係なく開発援助全般の問題としてその是正への取り組みが行われています。
 「票買い」という非難は,鯨類を含むすべての海洋資源の持続的利用の原則を支持するカリブ諸国に対しておこなわれた過激な反捕鯨 NGO による脅迫キャンペーンの一端ですが,海洋資源に依存せざるえないカリブ海諸国のような国々が IWC で日本と同調する態度をとるのは驚くことではないと思います。特に,セントビンセントなどは IWC で認められた先住民捕鯨をおこなっており,持続的なベースである限り捕鯨を支持するのは当然です。これを,日本からの援助があったから捕鯨を支持していると批判することは,事実の歪曲であり,IWC で自らの意思で投票に参加し,国家としての主権を有するこれらカリブ諸国に対する非礼ではないでしょうか。

次に,イルカ猟の補殺方法についてです。

これについては,我々にも問題意識があり,補殺方法を改善するために,フェロー諸島など小型クジラの猟を行っている国や地域の補殺方法を調査し,日本のイルカ猟の補殺方法を改善する努力を行ってきました。また,イルカ猟の関係者との意見交換,新しい補殺方法の共同開発,研修なども,関係する科学者の協力を得ながら進めてきています。その結果,補殺方法は大幅に改善されてきていますが,イルカ猟を批判する側は,古い補殺方法を取り上げて非難しています。補殺方法の改善についての情報をより広めることが国際非難の軽減につながるとのご指摘は理解しますが,捕鯨問題一般については情報を出すたびに,それが意図的にゆがめられ,さらなる非難を生む結果につながったことから,情報提供に慎重にならざるを得なかったこともご理解ください。最近は,補殺方法などに関する情報も,捕鯨を管理しながら行うことを前提としている北大西洋海産哺乳動物委員会( NAMMCO )や関係する学術的な場など,冷静な議論の場に提供することから始めており,これらの試みが情報普及につながることを期待しています。

最後に,鯨肉の汚染の問題です。

調査捕鯨で捕獲されているすべての鯨肉は水銀,PCB 等の汚染物質について分析が行われています。その結果については財団法人 日本鯨類研究所のホームページに出ています。以下をご参照ください。

こちらをクリックしていただくと財団法人 日本鯨類研究所の「豆知識」コーナーが別ウィンドウで開きます(なお,この「豆知識」コーナーには,今後,水銀や PCB に関する情報を増やしていく予定です)。

また,こちらをクリックしていただくと財団法人 日本鯨類研究所の「鯨類に蓄積される有害物質について」ページ(2002 年発表)が別ウィンドウで開きます

こちらをクリックしていただくと財団法人 日本鯨類研究所のプレスリリース「捕獲調査副産物のダイオキシン等について」が別ウィンドウで開きます

特に調査捕鯨の副産物(鯨肉)の大部分を占める南氷洋産の鯨肉は,厚生労働省の暫定基準をはるかに下回る程度の汚染物質しか検出されません。南氷洋が他の海域に比べて清浄な海域であるためです。
 日本近海の北西太平洋産の鯨肉もおおむね暫定基準以下です。数パーセントの割合で基準値をやや上回るものが出ることがありますが,これについては流通しない,または,加工して汚染物質を除去するなどの措置をとっています。
 また,調査捕鯨の鯨肉については,ラベル表示に明示するように JAS 法で規定されています。学校給食に提供されている鯨肉はこの調査捕鯨の鯨肉で,汚染の問題は有りません。
 シュピーゲルなどが報道する「鯨肉」の水銀汚染などが極めて高いという批判ですが,この「鯨肉汚染」は多くの場合イルカの内臓などを分析した結果のことです。イルカは近海で魚などを大量に食べますので,生物濃縮という現象の結果,体内の水銀などの濃度が高くなってしまいます。ただ,実際イルカを食べる地域や流通量は極めて限られています。ただし,だからと言って無視していいというわけではなく,厚生労働省も研究班を作って鯨肉の汚染について調べ,イルカ肉など汚染度合の高いものについては食べ方の基準(摂食指導)を出しています(以下をご参照ください)。すべての鯨肉が汚染されているような報道は,完全に誤報ですし,関連する情報や対策も公開されています。

こちらをクリックしていただくと厚生労働省の「妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項の見直しについて」ページが別ウィンドウで開きます

関係する情報を広く公開して,それをもとに自ら考え,議論する機会を作ることは私も大賛成です。むしろ問題は,情報を公開して,積極的に提供しても,時には誤った報道の訂正を求めても,それが取り上げられないような,捕鯨問題をめぐる状況ではないかと思います。

[ご意見:74]「公開ディベートを」from:猪飼 靖 さん

IWC では捕鯨に関する幾つもの作業・関心事がおありとのことです。そこでの論議の核心の一つは「捕鯨をすることが倫理・道徳からみてどのように判断されるか」とのことであります。これにはっきりとした決着をつけないままに国際的取り決めをまとめようとすれば,無用の摩擦・非難を招来することになるでしょう。
 本文はこの「倫理・道徳」とされる問題を正面から採り上げて,その論旨・結論の導き方・予備練習法を吟味してみようというものです。担当者のご参考になれば幸いです。

 (1)「捕鯨が価値ある生命を損なうか否か」という論議を止めて,「価値のあるなしがどのように証明出来るものか出来ないものか」を示そうというテーマにしよう。

 根拠1.
 価値がどのように導かれているかといえば,それは「神に由来」あるいは「その社会内でのうすうすの申し合わせ」にのみ由来するものです(小生の愚見)。その生物,その行為,その物体に価値があるなしは論証することができません。すなわち,「クジラが尊い生き物であるかないか」「ウシが価値ある生き物であるかないか」は声高に主張することは可能だが論証することはできないのです。現行は「思い込み」が「声高に」主張されているだけで論議の集約がないのは当然だといえます。
 
 根拠2.
 このテーマでの論議の集約先は
 [1] 論証不能。だがどうして生き物殺傷に心が痛むのだろうかという点に至れば論議の発展があったことになり,相互理解に大成功でしょう。
 [2] 相互に論証出来たつもりでも相手方が承認できない(これがありそうかも。倫理学者が参加すればこれはありえない)。この場合にも国際的取り決めをする足がかりが出来たことになる。上出来といえよう。
 [3] 一方的にどちらかの主張が認められる。このことは決してありえない。

 (2)予備練習法

 太地町など地方を舞台に町がこの論議をディベートとして主催する。海外グループにも呼びかける。言語は日本語。レフェリーは国内外を交える。住民の参加も必要。最終判定が不成立(引き分け)でも大成功といえる。論議のテーマは「クジラとヒツジ その命の重さはどのようにしてはかることが可能か」としましょうか。

 根拠:
 この夏の和歌山での論争・経緯は政治的に全くまずい。正当性が外国側にあるかのような印象を許してしまった。ここで提案するディベートであればその恐れは全くない。ディベート終結後の相互のコメントは貴重なものを含むはずである。念を入れたければ予め論理学・倫理学の専門家に検討を依頼することも考えてよい。

 以上

[ご意見:74]「公開ディベートを」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

大変興味深いコメントをいただき,有難うございました。ポイントとしては,捕鯨について,その倫理・道徳問題を正面から議論すべきということと,この議論を公開ディベートで行うべきということと理解いたします。

捕鯨の倫理・道徳問題については,我々も様々な場で取り上げてきましたが,ご指摘の通りで,クジラの命の価値について明確に定義することや,関係国間で合意を形成することは現実的ではありません。したがって,我々は,ウシやヒツジやカンガルーを食料として利用することが良いのならば,なぜクジラを食料として利用することはいけないのか,論理的な理由を示すことを要求してきました。

クジラは知能が高いからという議論は,そもそも知能の高さを定義することができないこと(例えば数学ができて国語ができない子どもと,国語ができて数学ができない子供ではどちらが知能が高いでしょう?そもそも知能とは何でしょう?)や,大型のクジラの知能はちょうどウシ並みだという研究結果があることなどから,説得力はありません。
 家畜やカンガルーは人道的に補殺できるが,クジラは決して人道的に補殺できないからだという主張もありますが,人道的な補殺の度合いを致死時間で測るとすれば(これは IWC で議論され,合意された基準です),クジラの補殺の致死時間はカンガルーやシカの補殺致死時間と大差はないか,むしろもっと短いぐらいと思われます。この主張にも納得がいきません。
 尽きるところは,捕鯨に反対する人はクジラが特別な動物であると信じ,捕鯨を認める人はクジラも他の動物も変わらないとみるということのようです。ここには共通の土俵はありません。お互いに違いを受け入れるしかないわけです。

もちろん捕鯨を行う側には,乱獲を行わず,捕鯨活動を規制・管理し,致死時間をさらに短縮していく努力を怠らないという責任があります。

公開ディベートは私も賛成です。この「鯨論・闘論」も公の場で感情論を排してしっかりと捕鯨問題について議論をするためにはじめました。過去には外国特派員協会で,グリーンピースの代表と公開ディベートもしました。最近は国連大学でのディベートにも参加しました。このような秩序あるディベートの機会は積極的に作っていくべきです。現在のところ,反捕鯨国のマスコミはこのような公平なディベートを取り上げていませんが,努力を継続していくことは必要と考えています。

[ご意見:73]「捕鯨問題は人種間の文化闘争である」from:和田高明 さん

欧米諸国,特に米国は 18 世紀の頃より捕鯨を行い(それも鯨油を採ることが主で,ほとんどの肉は捨てていた),大西洋で獲り尽くした為に太平洋に進出してきたのです。ジョン万次郎も,捕鯨船に助けられました。ペリーの開国要求も,本来は捕鯨船の寄港が目的だったはずです。西洋では石油の利用が本格化してからは捕鯨は行われなくなったようですが,日本は,無駄な捕鯨は歴史を通して行っていません(全身余すところなく活用し,クジラに感謝の気持ちを持って供養しながら捕獲してきたのです)。自分達でクジラを激減させておいて,自分達はクジラを食べないから,クジラを食べることは野蛮であり,絶滅に追いやっているという議論は,西洋人の,歴史を無視した身勝手な議論,一方的な人種差別といえます。

 現実に,数が少なくなり,保護が必要なことは認めますし,そうしなければなりません。しかし,そのことと,捕鯨文化抹殺とは別の問題です。

 現代の日本人は,歴史的経過を知らずに,西洋人に踊らされている人がいかに多いことか。自分はクジラを食べなくていいから,“かわいいから”捕鯨に反対というのは,単なる感情論です。“かわいい”から食べないのであれば,ウシもブタもトリも食べてはならないのではありませんか。全くナンセンスな議論です。

 日本政府は,国際会議で,このことを訴えてきたのでしょうか。捕鯨問題は,文化闘争,人種差別闘争であると,私は考えております。動物は,他の生き物を“殺して”,命をいただいて生きているのです。人間も例外ではありません。

[ご意見:73]「捕鯨問題は人種間の文化闘争である」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

以前にもこのコーナーで書きましたように,私自身は,捕鯨は日本の文化であるから認められるべきだという議論はあまり使いませんが,捕鯨問題が,少なくともその側面のひとつが,文化闘争であるという分析には同意いたします。

矛盾したように聞こえるかも知れませんが,私の考え方を説明してみます。

捕鯨は日本の文化であるから認められるべきであるという議論には,次のような問題点があります。
 まず,文化でありさえすれば,絶滅に瀕した鯨種でさえ捕獲していいと言っているように誤解され,“文化の保護”対“絶滅種の保護”という,本来は捕鯨問題の争点ではない議論に陥ってしまうという点です。あるいは表向きそのような議論は行われなくとも,捕鯨に反対する態度の前提に,捕鯨の文化論は絶滅危惧種保護への挑戦だというような思い込みがある場合があります。捕鯨が文化であり続けるためには,クジラを絶滅させてしまっては元も子もないわけですから,本来このような対立はおかしいわけです。
 また,この議論は,“文化”とは何かという結論の出難い論争を生み,実際そのような議論が行われています。50 年続いた習慣は文化か? 100 年ならどうか? 1000 年ならどうか?大規模な捕鯨は第二次世界大戦後にはじまったので文化ではないという主張が,よくオーストラリアの新聞などに書かれますが,第二次世界大戦の10年前なら文化なのでしょうか?大部分の日本人は鯨肉を食べなくなったので文化ではないという主張もよく行われますが,大部分の日本人がめったに着ない着物も,めったに行かない歌舞伎も,めったに参加しない茶の湯も,だれしもが認める日本の文化です。このような議論は,結論の出るものではありません。
 さらに,仮に捕鯨が文化であれば認められるということになるとすれば,捕鯨の文化を持たないある開発途上国が自国の周辺水域で豊富にいるクジラを食料にしたいと希望する場合,捕鯨はその国の文化ではないからと言って拒否するのでしょうか?新たな食料資源の可能性を,それがクジラだから,その国の文化ではないからというだけで拒否するのでしょうか?捕鯨文化論は,うっかりすればこのような国の権利を奪うことにつながるかも知れません。

他方,捕鯨問題の一側面が文化闘争であるという分析は,その通りだと思います。捕鯨が文化か否かという闘争ではなく,異文化間の捕鯨に関する考え方のぶつかり,闘争であるという意味においてです。
 この闘争は,反捕鯨国において,捕鯨は過去の遺物で,野蛮で,否定されるべきであるという“文化”が生まれ,これを捕鯨支持国に受け入れさせようと強要することから発生する対立です。歴史上,多くの文化間の対立が論争や戦争につながりました。多くの国民や民族が自らの文化を広めようとし,闘争を生みました。キリスト教の布教はその一例ですが,キリスト教徒に限らず,多くの文化が自らの文化を他の文化に押し付けてきました。もちろん,啓蒙や文明化のために,心から正しいと信じて“押し付け”を行ってきたという面がありますが。
 捕鯨問題においても,歴史が繰り返してきたこのような文化間の闘争という構図が明確にあてはまります。反捕鯨という文化を正しいと信じて疑わない人々が,遅れた異文化である捕鯨文化を啓蒙しようとしているわけです。これに対して,我々は強い憤りを感じます。ご指摘のように,反捕鯨国の多くは最近まで大捕鯨国であったし,日本の捨てるところのないようにクジラを利用し,感謝の気持ちをもって行う捕鯨とは全く異なる,鯨油だけを目的にした浪費捕鯨をしていたわけです。それが手のひらを返したように,反捕鯨になり,野蛮な捕鯨国を啓蒙してやろうとするという構図に,憤りを感じるのは当然です。ウシやブタを食べておきながら,なんでクジラだけは特別なのかという気持ちも,きわめて率直な感情です。また,押し付けている側が,そのような感情を理解できないことも,歴史上の文化対立と共通しています。むしろ,反捕鯨国からは,捕鯨国が捕鯨文化を押し付けているという,自分たちが被害者であるという主張さえ聞きます。

さらに,多くの文化的対立の背景には経済的な動機もあるという点が,捕鯨問題と歴史上の文化対立の共通点です。古くは十字軍のケースでも,領土拡大,市場確保,もっと単純に略奪が十字軍の動機の一部であったということは良く知られています。最初は純粋に聖地エルサレムの奪回が目的であったのでしょうが,少なくとも結果的には領土拡大や略奪が行われました。
 捕鯨問題における文化対立の背景にも,反捕鯨運動というビジネスの存在や,センセーショナルな見出しを追求するマスコミというビジネスの存在があります。反捕鯨団体のシーシェパードが,オーストラリアや米国で多大な資金を集め,それを元手にハリウッド映画のヒーロー気取りで妨害活動を行っています。彼らからすると,経済的な面でもエゴの満足の面でも,止められないビジネスでしょう。マスコミは,その妨害活動を取材し,センセーショナルな記事を競い,購読者の増加を図ります。テレビ・シリーズまで出来ています。彼らにとっては,捕鯨論争が,経済的に必要なのです。

もちろん,我々は国際捕鯨委員会(IWC)や他の場でも,事あるごとに上記のようなことを訴えてきましたが,反捕鯨勢力からすれば,そのようなことを聞いても,それを認めたり,公平に報道したりする動機がありません。彼らの世界観やシナリオに合わない主張は取り上げられないわけです。

しかし,望みがないわけではありません。国際捕鯨委員会に参加する各国政府関係者の多くは,さすがにこの対立を何とかしなければならないと認識し始め,ここ数年は“休戦協定”のための交渉を行ってきています。昨年の IWC 第 61 回年次会議では,この交渉をさらに 1 年継続することが決まり,精力的に話し合いが行われています。
 この可能性を大切に育てていくことが捕鯨問題のために重要と考えています。

[ご意見:72]「質問です」from:青 さん

現在ミンククジラなど中型種が増えているということを聞きました。中型種が増えることで魚介が減り,価格高騰につながるというのですが,実際どれくらい価格が上昇しますか。

[ご意見:72]「質問です」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

商業捕鯨モラトリアムが導入されて以来,20 年以上が過ぎようとしています。この間,調査捕鯨や IWC の管理対象外の鯨類を捕獲する沿岸小型捕鯨などが行われてきましたが,その捕獲頭数は商業捕鯨時代に比較して大幅に減少しているため,多くの鯨種についてその頭数が回復,増加していることが調査から判明してきています。また,ミンククジラのような商業捕鯨モラトリアム導入時にもすでに豊富であった鯨種についても,海域によってはその頭数が増加しているというデータが得られています。

日本の周辺水域に焦点を当ててみると,頭数の上ではマッコウクジラ,イワシクジラ,ニタリクジラ,ミンククジラが大型クジラの大部分を占めます。調査捕鯨により,このうちマッコウクジラは一部の商業的に利用されているイカ類と大量の深海のイカ類を,イワシクジラとニタリクジラは,カタクチイワシや動物プランクトンをおもな餌としていることが確認され,さらに,その餌の量と餌を食べている時期や海域が判明してきています。加えて,ミンククジラについては,サンマやスルメイカ,スケトウダラなど,多くの商業的に有用な魚を食べていることがわかってきています。したがって,ミンククジラが漁業と競合しているのではないかという説が出てきているわけです。

ここで明確にしておきたいのですが,国際捕鯨委員会(IWC)などで我々が主張してきたことは,「競合の可能性が否定できないので,調査研究すべき」ということで,「競合している(ことが確認されている)から,間引くべきだ」ということではないということです。
 もちろん,捕鯨を支持する方々の中では,この競合論,間引き論に根強い支持がありますが,調査研究に関する限りは,まさに研究途上の課題です。研究の必要性がないという主張にも同意できませんが,結論が出てしまっているような主張も正確ではありません。商業捕鯨モラトリアム導入とほぼ同じタイミングで,日本周辺水域での漁獲量が大幅に減少しはじめたこともあり,競合説は検証すべき仮説ではありますが,漁業による乱獲や環境変動などを無視して競合だけにその原因を求めることは一方的ではないかと思います。

上記のような次第ですので,「ミンククジラが X 頭増えたので,漁獲量が Y トン減って,魚介類の価格が Z 円上昇した」という形で,ご質問に直接お答えする状況にはないかと思います。

[ご意見:71]「捕鯨問題は本質を突け」from:和田高明 さん

現在の捕鯨問題は,現実のみを見た偏狭な感情論に思えます。

 18 世紀から19 世紀にかけて,大西洋で取り尽くしたクジラを追って太平洋に進出してきたのは合衆国でした。実際に,ジョン万次郎が捕鯨船に助けられたことは有名です。ペリーが日本に開国を迫った本意は,捕鯨船の寄港地を確保することが第一の目的だったはずです。そのアメリカさえ,捕鯨の目的は鯨油を採ることで,鯨肉を食べる習慣がなかった為に,ほとんどを捨てていたわけです。しかし,石油の生産と利用が本格化してからは,捕鯨は行われなくなったのです。それに対して,海洋日本人は,古代より大切な蛋白源として捕鯨を行い,全身余すところなく活用し,感謝の気持ちを込めて供養しながらクジラと共に暮らしてきたのです。無駄な“殺し”はしていません。捕鯨に関わることは,日本の歴史的文化なのです。

 現代において,日本人の食糧事情が変化し,鯨肉を食べることは徐々に減少してきた事実はありますが,だからといって,禁止するというのは,余りにも乱暴な感情論です。種の保存の為に保護をするというのは当然のことですし,反対する理由はありません。しかしながら,そのことと,捕鯨禁止,捕鯨を野蛮と決めつけることは,全く別の問題です。そもそも,クジラを絶滅に追いやったのは誰かということです。自分たちの行った歴史的事実に頬被りして責任を全て日本人に転嫁し,自分たちの食習慣のみを判断基準にした,一方的な日本文化抹殺,誤解を恐れずに言えば,西洋人の日本人に対する“人種差別”です。シーシェパードは,その先頭を行くテロリストと言っても過言ではないと考えます。
 
 自分たちの歴史も知らずに,そうした西洋人に追従している日本人がいかに多いことか。自分はクジラを食べないから,食べなくても困らないから,中には,可愛いからクジラを捕ることに反対だという日本人がいます。可愛いので食べてはいけないというのであれば,ウシやブタ,トリの肉も食べてはいけないことになってしまいますね。幼稚な感情論です。地球上の動物は,他の生命の犠牲の上に生存しているのです。食物連鎖については中学校でも習います。人間も例外ではありません。感謝の気持ちを忘れずに他の生命をいただく,これが人間に大切なことです。単に“反対”を唱えている人は,輸入に頼っている食料を残さずに食べることの方が,よほど緊急の課題です(今この瞬間にも飢餓で死んでいる多くの人たちのことを考えるならば,余すくらいなら自分の分をそちらに回そう,という気持ちになってもいいはずです)。
 
 日本人自身は,食糧自給問題を正面から見据えて取り組む必要があるでしょう。歴史的経過をしっかりと見据えて問題解決を図る姿勢が大切です。世界にも,本質論から粘り強く説得する必要があります。

[ご意見:71]「捕鯨問題は本質を突け」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ご意見を拝見し,改めて認識しましたが,捕鯨問題では,反捕鯨勢力が見ている捕鯨問題像と,鯨類の持続的利用を支持する勢力が見ている捕鯨問題像に,大きなギャップがあると思います。もちろん,問題の認識の方法や深さには大きな個人差がありますので,あくまで平均点の話です。しかし,この認識ギャップも,捕鯨問題がこじれてきた原因の一つではないかと感じています。

ご指摘のように,捕鯨問題は長く重要な歴史的背景を持っています。我々は,捕鯨問題の中に,クジラを工業原料として扱ってきた過去の欧米の乱獲捕鯨と日本などクジラを食料として感謝しながら捕獲してきた捕鯨との対比と歴史展開をみて,現在の捕鯨に反対する議論に憤りを感じます。どうして,日本が過去の乱獲のすべての責任を負わされているかのように非難されるのかという思いを持つ方も多いと思います。日本にも非がありましたが,今の捕鯨問題の構図は明らかに歴史的背景からすれば疑問を禁じえません。

他方,「自分はクジラを食べないから,食べなくても困らないから」非難されてまで捕鯨にこだわる必要はないじゃないかという意見をよく聞きますが,今まで,何回もこのコーナーで回答してきましたように,この意見は近視眼的であると思いますし,賛同できません。私としては,過去の歴史や,捕鯨文化論にこだわって捕鯨問題に対応しているわけではなく,歴史的背景をしっかり認識して将来への対応の指針を決めるべきだと思うからです。そのような認識に基づく指針こそが,未来への正しい道しるべではないかと考えます。目先の都合や感情ではなく,歴史的背景を踏まえた,将来も変わらない,変わるべきではない考え方に基づいて捕鯨問題に対応していくことが,我々の責任であると感じています。

欧米のマスコミや,反捕鯨団体の関係者から,どうして日本は経済的にはとるにも足らない捕鯨のために,ここまで頑張るのかと聞かれます。彼らには,歴史的背景や,それに基づく捕鯨に対する思いや,捕鯨問題の意味するところが見えていないと言えます。あるいは,捕鯨問題は,単純に絶滅危惧種の保護の問題(捕鯨国は絶滅危惧種を捕り尽くそうとしている)や,一部の官僚や政治家の権益確保の問題と思いこんでいるわけです。そのために,どうしてここまで捕鯨問題で頑張るかが理解できない。

反捕鯨勢力からすると,日本の捕鯨関係者には世界が見えていないということになるのでしょう。しかし,我々からすると,反捕鯨勢力の言うところの世界にこそ捕鯨問題の本質が見えていない,あるいはあえて見ていない,のではという気持ちがぬぐえません。

捕鯨問題に限らず,いかなる問題についても,当事者の問題像に関する認識がここまでズレているとすれば,その解決は非常に困難です。捕鯨問題が混とんとして,解決の糸口が見えない一つの理由ではないでしょうか。したがって,捕鯨問題の前進のためには,対外的にも,国内的にも,問題に関する共通認識の醸成が重要と考えます。
 そのためには,ご指摘の通り,粘り強い説得と,相手の立場を理解しようとする態度が必要です。現在進行中の「IWC の将来プロセス」では,まだ不十分とはいえ,そのような機運が生じていることは感じています。

[ご意見:70]「ネット上の反捕鯨論と政府への要望」from:wubai さん

森下 様

 ユーチューブでの反捕鯨動画を見て関心を持つようになりました。ネット上での反捕鯨論をまとめ,意見と要望を述べさせていただきたく,失礼ながら投稿させていただきます。

 ネット上ではプロパガンダ戦争になり不快な議論が多いですが,IWC でも似たり寄ったりではないかと思います。国民の 1 人としてご尽力に感謝致します。国際会議でこれほど堂々と日本の立場を主張している分野も無いのではないでしょうか。

 尚,小生は以前漠然と反捕鯨でしたが,立場が変わりました。小学校で食べたクジラの竜田揚げがとても懐かしくなり,これからどんどん食べます!!


   1) 反捕鯨の議論


  ◎感情論・文化論

 [1] 知能
 ・クジラはイヌやサルより知能が高い
 ・クジラは人間の 7 歳の子供に相当
 ・クジラは相互にコミュニケーションをとる
 ・クジラは人間に近い動物

  [2] 感情
 ・クジラはかわいい,美しい
 ・クジラは人間のコンパニオン
 ・クジラは神聖な動物
 ・クジラを殺すのは残酷

 [3] 食文化
 ・クジラを食べるのは野蛮
 ・珍味というだけで殺すのは野蛮
 ・代替食料が豊富に有り,クジラを食べなくても生存できる
 ・クジラはまずい
 ・サーモンと牛肉の中間で特別な味ではない

 [4] 家畜との対比
 ・ウシやブタは牧畜されたものなので食べるのは悪くない
 ・野生動物は食べてはいけない

 [5] 汚染
 ・鯨肉は大量の水銀,重金属で汚染されている
 ・日本の厚生労働省でさえ注意勧告している --- 事実なので反論困難

 [6] 文化
 ・古来の文化といっても悪いものはやめるべき
  (女性非参政権,奴隷制度,等)

 [7] 観光資源
 ・ホエールウォッチングによる観光ビジネスは捕鯨よりはるかに大きい

 [8] カンガルーとの対比
 ・カンガルーは増えているがクジラは絶滅の危機
 ・カンガルーは牧畜に被害をもたらす害獣


  ◎賭殺方法

 [1] 捕鯨は長い時間クジラに苦しみを与えるので非人道的,残酷

 [2] 家畜は一瞬で済むので人道的


  ◎資源管理

 [1] 初期の資源量に回復していない

 [2] 陸上動物と違い資源管理が困難


  ◎調査捕鯨

 [1] 日本は IWC の勧告に反して致死調査を採用している --- 事実なので反論困難

 [2] 日本は非致死の優れた調査方法が有るのに敢えて使わない

 [3] 商業捕鯨なら商業捕鯨と言うべき(ノルウェーとアイスランドは正直だから良い)

 [4] 日本は調査捕鯨と偽って捕鯨している

 [5] 日本は調査と言いながら調査結果を出さない,めったに出さない,見たことが無い

 [6] 日本の調査結果は科学的に全く価値が無い(豪テレビ局 ABC が特番で放送)

 [7] 日本の調査結果のほとんどが非致死調査で得られる


  ◎領土・帰属

 [1] 南極海はオーストラリアの領土

 [2] 海はみんなのもの

 [3] クジラ,イルカは日本人だけのものではない


  ◎誤解・不信・悪意に基づく議論

 [1] 日本の捕鯨は違法

 [2] 世界中が捕鯨に反対

 [3] 日本人はクジラを食べつくしてしまう

 [4] ホエールウォッチングが出来なくなる

 [5] 美しいクジラを後世に残すべき

 [6] 鯨油は不要になった

 [7] 日本は鯨肉はドッグフードにしている

 [8] ほとんどの日本人はクジラを食べたことが無い

 [9] 日本では鯨肉の需要が減り,大量の在庫を抱えている --- 事実なので反論困難?

 [10] 日本人はそもそも残酷で野蛮(戦争中の捕虜の扱い,南京大虐殺,従軍慰安婦,等)

 [11] 殺さなければクジラのことが分からないのなら,日本人を知るために日本人を殺して良いか

 [12] 日本は,ODA を利用して貧しい国を IWC に参加させ,日本に賛成の票を入れさせている( ODA の実績を基に水産庁のホームページで否定すべきです)


   2) 政府に対する提案,要望


  [1] 海洋資源保護に対する積極的な姿勢のアピール

 以前よりはるかに安くマグロが食べられるようになり,世界中にもすし屋が溢れています。マグロが減るのは必然です。減ってしまった以上,日本は世界最大の消費国としての責任から逃れられません。漁獲量の制限や割り当てだけでなく,密漁や輸出入も管理する必要が有ります。
 日本が責任を持ち,国際社会をまとめなければ誰がやるのでしょうか。国民の多くが心配していると思いますが,国内メディアは,マグロの値段が上がると騒いでいるだけのように見えます。これでは国際的な信用が全く得られません。

 現在の科学では自然界のクジラやマグロを増やすことは不可能でしょうか。少なくとも,日本人が努力する姿勢を示すことが必要だと思います。マグロの養殖に成功していますが,クジラは小型でも研究出来ないでしょうか。

 日本の積極的な姿勢を明確にして,政府が,メディアやホームページで国内外にシンプルに,強烈にアピールすることが非常に重要です。

  [2] 反捕鯨国から調査捕鯨の立会人受入れ

 豪は軍艦を出して監視すると言っていますが,それならば,立会人を受け入れれば如何。複数の国から受け入れれば問題は無いと思います。拒否されても提案したという事実は残ります。メディアで発表してください。

 [3] 捕鯨国との文化交流の主催,支援

 捕鯨のために世界中から非難されているという意識から,みんなとても疲れています。同じ捕鯨国のノルウェー,アイスランドとの交流を通じて,自国の文化への自信と誇りを回復させ,元気を取り戻しましょう。無用な人種問題に発展させないようにするためにも必要です。

 ・鯨料理のレシピ交換,試食,レストランの紹介,旅行案内,等のイベント,テレビ番組
 ・捕鯨政策担当者同士のシンポジウム,等

 [4] メディアの活用

 国民の多くは,何故そこまでしてクジラにこだわるのか,という漠然とした思いを持っています。小生もそうでしたが,反捕鯨国の主張や日本の取り組みをもっとテレビで見せれば直ぐに変わりますよ。反捕鯨国は逆のことをどんどんやっています。

 [5] 政府見解のホームページ公開

 反捕鯨国だけでなく,国内でも捕鯨に対する誤解や不信が蔓延しています。ほとんどの人は,ろくに調べずに好き勝手に意見を言っています。
 IWC や捕鯨協会,鯨類研究所のホームページに詳細な情報はありますが,調査捕鯨の報告は,専門的で分かり難いです。
 政府の見解として,外郭団体ではなく,水産庁のホームページで,基本的な政策,反捕鯨論への見解,国際会議の報告,調査捕鯨の報告,資源保護の取り組み等を,随時,もっと分かりやすく,シンプルな形でホームページで公開してください。

 尚,ユーチューブでは,日本人と思われる投稿者から反論動画があります。ネット上では罵り合いの様相を呈していますが,国際間のコミュニケーションでは,本音をぶつけ合うことも必要なことではないかと思います。
 若い人が多いと思いますが,日本人も負けずに英語で反論しており,一昔前とはずいぶん違います。やりすぎの面もありますが,小生はむしろ頼もしく感じています。
 各国から投稿者から日本の立場を支持する意見が出ています。また,少数ですが,豪人と思われる投稿者からも,冷静な議論や,日本の捕鯨を支持するコメントがあります。
 上記の要望に応えていただければ,民間人同士の議論だけでなく,国際会議でも非常に役に立つのではないかと考えています。

 また,近年の環境保護団体の違法な活動は,日本人に捕鯨の正当性を自覚させただけでなく,反捕鯨国の中にも極端な反捕鯨論を抑制する効果があったと思います。欧米のサイトでも非常に多くの非難コメントが見つかります。今後も違法な活動に対しては備えを万全にして,必ず証拠をビデオで撮ってください。世界が許しません。捕鯨できる日が近くなりますね。


 ※ご意見中,個人名を含む記述1箇所を削除の上,掲載させていただいております。ご了承ください。(鯨ポータル・サイト編集室)

[ご意見:70]「ネット上の反捕鯨論と政府への要望」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

非常に詳細なご意見,ご提言をいただき有難うございました。広範なリサーチと分析をされたことがよくわかりますし,その結果我々の主張にご理解をいただき,大変うれしく拝見いたしました。特にご提言の数々については,我々も認識しながら,予算や人手の問題で十分対応できていない分野です。的確なご指摘をいただきました。

改めて私の考えをお答えするまでもなく,捕鯨問題の性格をご理解いただいておりますので,何点か事実関係だけ述べさせていただきたいと思います。

まず,鯨肉汚染の問題ですが,鯨肉供給の大部分を占める調査捕鯨からの副産物鯨肉は,水銀や重金属について食品衛生法の基準をクリアーしています。
 特に南氷洋のミンククジラ肉などは,おそらくすべての食肉の中でもっとも清浄なものです。南氷洋という汚染の極めて少ない海域で捕獲されたものだからです。
 反捕鯨の主張で問題とされる「鯨肉」汚染は,実際はイルカ肉,それもほとんど一般には出回らないイルカの内臓から検出されたものです。
 だからと言ってこの問題を軽視するべきではありませんが,すべての鯨肉が汚染されているかのような主張は事実に反することは指摘しておきたいと思います。なお,調査捕鯨からの鯨肉の汚染分析結果は公表されていますので,以下の資料をご参照ください。

「鯨類に蓄積される有害物質について」(こちらをクリックすると,財団法人 日本鯨類研究所のページが別ウィンドウで開きます。)

パンフレット「クジラの調査はなぜやるの?」(こちらをクリックすると,財団法人 日本鯨類研究所の 1.22MB の PDF ファイルが別ウィンドウで開きます。)

致死的調査と非致死的調査についても,誤解があります。
 日本はおそらく IWC 加盟国の中で一番広汎に非致死的調査を行っています。代表的な非致死的調査である目視調査については,日本の独自調査だけではなく,IWC が運営する国際共同調査に対しても船と乗組員を過去約 30 年にわたって提供し続けています。
 バイオプシー調査(クジラの表皮を採集する)や写真撮影による調査も行っています。
 非致死的調査が適切で効率的な場合には,全くこだわらずに非致死的調査を行ってきているわけです。

また,致死的な調査捕鯨に対して立会人を受け入れるというご提言ですが,調査捕鯨を開始した 1980 年代から,我々はどうぞ調査船に乗ってくださいと申し入れています。
 南氷洋調査捕鯨ではどの反捕鯨国もこの申し入れに答えません。立会人,またはオブザーバーを調査船に送ることで,調査捕鯨を認めたと批判されることを懸念しているからです。
 北西太平洋での調査捕鯨には,すでにロシアや韓国の科学者が何回も乗船しています。
 こちらは,門戸を閉ざしているわけではなく,むしろ反捕鯨国側が乗ってこなかったのです。この事実は,私も何度もマスコミに話しましたが,なかなか取り上げてくれません。

調査捕鯨の科学的成果がわかりにくい,または成果のアピールが足らないという思いは,私にもあります。
 専門的な内容が多いことも事実ですが,その価値を一般の方が理解できるように伝えるということは,科学者の重要な責務であると思います。外国の科学者はプレゼンテーションの訓練がよくできていて,時には大風呂敷や偏見のかたまりのような報告もありますが,見習うべき点も多いと思います。日本の科学者の方々にもこの点をお願いして,努力していただいていますが,まだまだやるべきことはたくさんあります。
 ご提言はすべておっしゃる通りです。一つでも二つでも実現できるように努力したいと思います。
 水産庁の捕鯨問題ホームページ(こちらをクリックすると,水産庁の「捕鯨の部屋」ページが別ウィンドウで開きます)も,まだ改善するべきと考えています。ODA の問題についても反論していますが,どうも情報が見つけにくい形になっています。

最後に,過激反捕鯨団体の違法妨害活動ですが,これは捕鯨に関する立場の違いを超えてすべての IWC 加盟国が何とかしなければいけないと合意している問題です。すでに IWC 議長のステートメントと 2 回の満場一致の勧告が採択され,IWC 加盟国が協力して取り組むことになっています。
 日本代表団は,妨害の現場ビデオを使って(ビデオは下記の参照ページでご覧いただけます),機会あるごとに対応を求めてきましたが,これが,より具体的な対策と違法妨害活動の早期の停止につながるよう,さらに取り組んでいきたいと思います。

「鯨類捕獲調査に対する不法なハラスメント及びテロリズム」(こちらをクリックすると,財団法人 日本鯨類研究所のページが別ウィンドウで開きます。)

[ご意見:69]「イルカ漁に関して」from:つばさ さん

捕鯨(イルカ漁含)は,必要なのでしょうか?
 文化といいますが,元は,第二次世界大戦後の食料難でクジラを食し,戦争中は油採取で捕鯨していたと思います。現在はただの金儲けとしか思えません。
 エゴと思われるかもしれませんが,ウシやブタは,家畜です。自然界に影響は少ないと思います。しかし,毎年大量に殺されているイルカは野生です。中には絶滅危機の品種も含まれています。この点では,大きく違いがあると思います。
 和歌山県で,まだ大量のイルカ漁を毎年行なっていますが,即刻中止すべきです。

[ご意見:69]「イルカ漁に関して」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

捕鯨問題に関連する一番大きな誤解は,捕鯨,またはイルカ漁が絶滅危惧種を捕獲して,その種を絶滅に追いやっているというイメージや主張です。
 我々の基本方針は,ミンククジラなど資源が豊富な種については,その再生産力の範囲内で利用することが許されるべきで,資源状態が悪いシロナガスクジラなどについては,しっかり保護していくというものです。
 イルカ漁についても,資源調査を行い,資源量を分析し,利用する余裕があるものについてのみ,捕獲枠を出しています。資源状態が悪化すれば,捕獲枠の削減や捕獲の停止も行ってきています。好き勝手に捕獲しているわけではありません。

どの鯨種が絶滅危惧種であるかについては,議論もありますし,定義も様々です。国際機関によっては,国際捕鯨委員会でさえ増加を認めている鯨種を絶滅危惧種に指定したりしています。捕鯨問題は,それほど政治的です。我々は,資源状態についての科学的議論はしっかり行うべきと考えており,ある鯨種が捕獲できると科学的に判断する場合には,その根拠を公表しています。

したがって,イルカやクジラは絶滅に瀕しているから捕鯨はやめるべきという主張には賛成できません。

野生動物を捕獲することは自然界に悪影響を与え,家畜を食べることは自然にやさしいという主張も,単純化しすぎです。
 牛を育てるためにどれほどの水資源,農地が使われ,家畜にどれほどの抗生物質などの化学薬品が投与され,その排せつ物がどれほど環境を汚染しているか。その肉が非常に大量のエネルギーを使って,海を越えて日本に運ばれてきます。畜肉生産が非常に環境負荷の大きな産業であることは,よく知られた事実です。
 他方で,野生生物をその再生産力の範囲内で捕獲すれば,餌の生産のために森をつぶして農地にする必要も,化学薬品を投与する必要もありません。日本の周辺水域でクジラを捕獲する場合には,輸送コストも,エネルギー消費もはるかに少なくてすみます。捕獲活動はしっかり管理して乱獲が起こらないようにすることが必要不可欠ですが,むしろ野生動物の適切な利用は,上手に管理すれば自然界に対する悪影響を減少させるのです。

捕鯨は必要なのかという質問もよくいただきます。必要としている人も,必要と思っていない人もいるというのが答えでしょう。
 ただ,明確なのは捕鯨を生業として行ってきて,これからも続けたいと思っている人がいて,鯨肉も食べられるものなら食べたいと言う人もいるということです。
 その希望が資源に悪影響を与えない形でかなえられるならば,クジラが捕獲されること自体が気持ちの上で耐えられないと言う人や国があるからといって,止めろと言うべきでしょうか。捕鯨を必要とする人が少数であれば,その希望は無視されてもいいのでしょうか。政治や国際交渉の中で,多数の意見ために少数が犠牲にされることは日常茶飯事ですし,それがいわゆる民主主義の基本かも知れませんが,私にはそう簡単に割り切れません。多くの人が必要ないと思っていれば,そういうものはどんどん切り捨てて行っていいのでしょうか。捕鯨問題にはそういう側面があると感じています。

最後に,誰かが捕鯨で不当に大もうけをしているならば問題でしょうが,例えば,太地町役場や太地のイルカ漁師は決して大金持ちなどではありません。むしろ多くの地方の町と同様に,その生き残りと町おこしのために大変苦労しています。
かつてクジラを工業原料として扱い,油だけをとって肉を捨て,濡れ手に粟の大儲けをした国が現在の反捕鯨国であるという事実も,捕鯨問題に強い思いを持つ人たちの気持ちの中にあります。

[ご意見:68]「捕鯨問題について」from:NAO さん

YouTube に載った 2002 年 IWC 総会の特別番組の動画を観て,ここに辿りつきました。
 私は長崎県大村市生まれの 53 才の男性です。昭和 31 年から 40 年まで大村市に住んでおりました。大村市は,クジラ漁で有名な深沢義太夫の出身地です。(父の生家です)。父は当時大洋漁業の子会社に勤めておりましたが,国策で昭和 40 年に閉鎖となりました。町ではクジラの歯,骨,ヒゲを使った民芸品なども売られ,正にクジラが生活の一部といった町でした。特に“鯨べっこう細工”が職人によって多く作られていた記憶があります。国策で会社が閉鎖となり,会社から卸されるクジラが無くなったために町での工芸品文化も廃れてしまいました。
 捕鯨問題は食文化の保存という面,また,鯨ポータル・サイト編集室様が述べられている資源管理という面も大きいのでしょうが,こういった昔からあった工芸文化の存続及び復活もまた大事な側面なのではないのかと思います。

 反捕鯨国以外の国々への捕鯨のアピールとして,ちょっと感じるのですが,やはり食文化が前面に出てしまっている様な気がします(だから反捕鯨国に商業捕鯨と言われているのでは)。
 反捕鯨国への反論では,伝統文化と言うものをもっと前面に押し出し,反捕鯨国の主張が如何に感情論や胡散臭い団体に操られた主張なのかを明らかにしていくべきでは…と感じました。
 クジラがプランクトンしか食べないと本気で信じている人たちもいますし,クジラの生態系についても世界の国々の人たちに知らせる必要があるのかも知れません。(私も詳しく知りませんしw)

 2009 年の IWC 総会は残念な結果になりましたね。IWC 加盟の意義を考え,そろそろ決断すべき時期になったのではないでしょうか。
 捕鯨国とその主張に賛同する国々で新しい限定捕鯨の委員会を設立する事も,反捕鯨国に対する対抗手段のひとつなのかもしれません。但し豪州などの日本に対する国民感情は益々悪くなるでしょうけど。

[ご意見:68]「捕鯨問題について」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

いただいたご意見を拝見して,小学生のころに「クジラは捨てるところがない」と教わったことを改めて思い出しました。クジラからは,工業油,食用油,食肉,肥料,工芸品,コルセットや傘の芯,テニスラケットのガット,現在は石油から作られる様々な化学製品と,実に多様な製品が作られました。クジラは工業原料でもあり,食料でもあり,そして何よりも,自然と人類の関係(それは畏敬,共存,開発,搾取など多様です)を象徴する生物でもあるわけです。捕鯨問題が単純ではないゆえんです。

「昔からあった工芸文化の存続及び復活もまた大事な側面なのではないのか」とのご指摘は,捕鯨問題,ひいては資源の利用問題全般について,重要な問題を提起しているように思います。

すなわち,クジラであれ,他の天然資源であれ,その使い方によって利用に対する許容度が変わってくるのではないか?
 無駄な使い方は受け入れられないが,有効利用ならば受け入れられるか?使うとなれば極力浪費を省くべきではないか(もったいない精神)?といった命題が浮かんできます。
 具体的には,過去の欧米による,油だけを目的として鯨体の大部分を捨てていた工業捕鯨ではなく,鯨体をフルに利用し無駄のない日本などの捕鯨の復活を求める議論に,どこまで説得力があるかということにつながります。クジラを特別な動物とみなし,目的にかかわらず捕獲すること自体を否定する反捕鯨論者に対し,この議論はどこまで有効なのか。議論はなかなかかみ合いません。

同様の例として,ゾウの利用があります。資源状態に関する事実関係を確認しますと,アフリカ中央部のゾウは資源的には保護されるべき水準ですが,南部アフリカのゾウは増えすぎています。種類によって資源状態が異なるクジラと似た状況です。
 ゾウの場合,象牙だけをとるために多量の捕獲が行われ,浪費と人間の強欲の象徴とみなされています。他方で,現地の人々は,象牙だけではなく,肉や皮も有効利用します。ゾウ資源が枯渇しない範囲であれば,このような捕獲は認められるべきという議論があります。ゾウを捕獲するという面からみれば,資源の再生産能力の範囲内で行われている限りは,どちらの利用方法も同じ捕獲ですが,後者の有効利用の方が,モラルの上で許容されやすいという雰囲気があります。

クジラの場合も同様かどうか。そうであるとすれば,食文化だけではなく,工芸文化など,歴史に基づく多様な利用の仕方に関する情報提供が有益になります。

私自身としては,ここまで,感情的になり,政治的になっている捕鯨問題の文脈の中では,工芸文化に関する主張の強化が問題の前進に大きく貢献することは難しいと思いますが,食文化だけが問題であるような議論にも疑問を感じます。
 いずれにしても,クジラであれ,ゾウであれ,天然資源を利用する場合には出来る限り有効利用を図るべきです。その有効利用の方法をより多く知っている社会こそが,すぐれた文化と言えるような気がします。

なお,2009 年の IWC は問題が先送りされたという報道が多く,「残念な結果」という評価になったと思いますが,むしろ実際の感覚では,IWC の将来についてまだあきらめず,もう 1 年だけ議論を進めようという結論です。
 もちろん全く楽観できる状況ではありませんが,IWC 加盟各国の議論も数年前に比べれば建設的になっており,可能性がある限りは粘り強く交渉していくこととしています。他方,交渉が決裂する場合に備えて,引き続き新たな国際機関の設立というアイディアも議論が続けられています。ただ,際限もなく交渉を続けるわけにはいきませんので,何らかの決断をすべき時期は近付いていると思います。

[ご意見:67]「疑問だらけ」from:ニュージーランドより さん

「※このページは,各執筆者が主張を展開し,それに対するみなさんの想いを執筆者に伝える場です。従いまして,みなさんのご意見について,投稿していただいたものすべてを公開させていただくわけではありません。しかし,議論への賛成・反対の立場によって,ご意見の選別や改変は,一切,行いません。執筆者が,みなさんのご意見に回答されたものは,すべて公開させていただきます。」

 と(このページの注意事項に)ありますが,明らかに最近とりあげられているのは賛成派が多いと思います。私の NZ での日系 2 世の事件についてのものは,取り上げられていませんので,最初から都合の良いものを選択していることを疑います。

 毎年の調査捕鯨結果の論文はないし,水産庁のページでも新しい文献を引用していない以上,毎年の調査捕鯨の科学的証拠は乏しいと思います。九州のほうが鯨肉の消費が多い話も,何十年も前のデータですね。

 一般的に高価で口に入らないものが,本当に必要なのか疑問です。
 国民全体の意見を反映するシステムを水産庁は持っているのですか?水産庁が有利な意見を集めて突っ走っているんではないですか?私のコメントが無視されたように。

[ご意見:67]「疑問だらけ」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

このページで取り上げられる意見が捕鯨賛成派に偏っているとのご指摘ですので,実際の状況を鯨ポータル・サイト編集室に取りまとめてもらいました。

2009 年 8 月 4 日の時点で,合計 89 件のコメントをいただいています。これをあえて分類すれば,捕鯨に賛成寄りのコメントが全体の約 54 パーセントで反対寄りのコメントが約 26 パーセントです。

このうち,回答済みは 60 件になりますが,(あえて分類するとして)賛成寄りのコメントに対する回答が 39 件( 65 パーセント),反対寄りのコメントに対する回答が 12 件( 20 パーセント),そのほかのお問い合わせなどに対する回答が 9 件( 15 パーセント)です。

残りの 29 件については内容的に回答を求められていない場合や,明らかにいたずらの場合,または私がまだ回答を書く時間がないもので,未回答です。
 未回答のうち 11 件が反対寄りのコメントで単純に計算すれば未回答分の 38 パーセントですが,うち 7 件は同一人物で短期間に同様の内容で寄せられたものですので,単純に 7 件と計算するにはバイアスがあると思います。仮りこの 7 件を 1 件と計算すると(また都合のいい解釈をしているとご批判を受けるかも知れませんが)反対寄りのコメントの未回答に占める割合は 22 パーセントになります。全 89 件についても同じ計算をすれば,反対寄りのコメントの割合は約 20 パーセントになります。

したがって,回答済のコメントに占める反対寄りのコメントの割合と,投稿いただいている全体のコメントに占める反対寄りのコメントの割合が約 20 パーセントで一致し,こちらで選り好みをしているわけではないことがわかっていただけるかと思います。未回答のうちの反対寄りのコメントの割合もほぼ同じです。

回答はいただいた順番に行っており,賛成寄りのコメントの方もやはり数か月お待ちいただいています。私の方でもう少し早く回答できればいいのですが,公務に追われてこのようの時間がかかっていることを,お詫びします。

お名前「NZ在住日本人」さんとしてご投稿いただいた方だと推察いたしますが,他のご指摘の問題については,先日お答えしましたので,ここでは繰り返しません。「ご意見:65」への回答をご覧ください。

[ご意見:66]「“Whale Wars”Season 2」from:渡辺 さん

前に“Whale Wars”(以下WW)のコメントをさせていただいた,渡辺です。お忙しい中,返答していただいて誠にありがとうございます。

 今年も WW の Season 2 の放送が,アメリカで 6 月から始まっております。放送前にはポール・ワトソンと他の SSCS のメンバーが CNN の“ラリー・キング ライブ”に出演して番組の宣伝活動までしておりました。視聴率も案外良いようです。しかし私が驚いたことに,アニマルプラネット内にある WW のオフィシャル・フォーラムでは,日本をサポートするとまではいきませんが,SSCS の行動を非難しているアメリカの人たちが沢山おられるようです。あくまでも WW のフォーラム内の統計ですが,およそ 7 割の人たちが SSCS をテロリストだと思うと答えております。これは全て捕鯨に携わっている方々が法律を守り,忍耐を重ね,非暴力に徹しようと努力しているからだと思います。

 アニマルプラネットは先シーズンとは違い今シーズンでは番組の冒頭で「シーシェパードを支持するわけではない」と「鯨類捕獲調査は国際捕鯨取締条約の条文に基づいて行われている」という趣旨の但し書を入れていません。
 WW のフォーラム内では今年,日本捕鯨船が使用した LRAD についても話しあわれており SSCS が放水銃又は,それに準ずる手段により LRAD を使用不能にするかもしれないと言われております。

 今年も年末にかけて調査捕鯨に行かれる方々が SSCS により南氷洋で少しでも危険な状態にならないように準備をされて行かれることと,法律を遵守し非暴力を貫いて調査捕鯨をされることを一国民として心より願っております。

[ご意見:66]「“Whale Wars”Season 2」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

“Whale Wars”Season 2 に関する貴重な情報を有難うございました。多くの視聴者がシーシェパードの行動をテロリストだと思っているという事実には,勇気づけられます。
 前回ご意見をいただいた際にも書きましたが,IWC の場でもシーシェパードの暴力は決して許せないという機運が,捕鯨問題に関する立場にかかわりなく広がっており,これが一刻も早いシーシェパード問題の解決につながることを願っています。

他方では,アニマルプラネット側では視聴率アップのためにより過激な映像を求めているようで,今年の暮れからの次期南氷洋調査捕鯨で重大な事態が起こらないように,関係者は万全の準備をしているところです。改めて,アニマルプラネットには自分たちの行動がいかに重大な問題を生んでいるかを認識してもらいたいと思います。

我々はあくまで法律を順守し,非暴力と人命尊重を貫いて調査を実施していきますので,引き続きのご支援をお願いいたします。

[ご意見:65]「冷静な目で捕鯨の必要性を再考する」from:NZ在住日本人 さん

最近ニュージーランドの日系二世の少年が学校でのイジメで頭蓋内出血のために危うく命を失いそうになりました。理由は日本人がクジラを食べる人種だということらしいです。冷静に評価して,イジメの理由は何でも良かったであろうとは分かりますし,イジメる側が悪いのは明らかです。ただ,外国で住んでいると日本人であるというだけで被害にあうことが納得できませんし,不安です。
 そのため公平な目で捕鯨に関してあらゆる情報を収集しました。

 もし,捕鯨を存続する必要性があるなら,まず科学的データを示してそれをもとに話し合わなければならない。そうでなければ水掛け論となり,賛成派,反対派ともに周りに理解されないように感じる。
 それゆえ,毎年の調査捕鯨から得られる結果を,科学論文として英文で発表・採用されるべきであり,そのことは日本側の義務であろう。水産庁の平成19年度 大型鯨類に関して,国際漁業資源の現況の引用文献は 2002 年以前のものだけであり,2002 年以降の調査捕鯨は必要ないのでは,といわれても仕方がないお粗末さである。

 実際に庶民の口に入ることは少なく,一般的に昔より高価で取引されている鯨肉を,食べる必要があると力説する国民はそれほど多くないと思う。国民の鯨肉摂取状況と捕鯨量とのアンバランスに関しては,反対派が恐ろしいほど詳しく調べていることを認識する必要がある。

 戦争を含めた外交の中で,捕鯨に関してはアメリカをも敵にまわすほど強気な態度が不可解で,しかも国民はそれほど口にしていないとなると,他に利益を得るものがあるのではないかと疑いたくなるのは人情であろう。
 残念ながら水産庁の立場保全と天下り先の確保という利益が生まれることに関して払拭できるための,データをそろえることが出来なかった。
 水産庁の方も自分達考えの及ばない範囲で被害もあることを理解して欲しい。

 アメリカ映画“The Cove”も,対日感情が悪化しそうで不安である。海外へ提供される情報が多く,日本としての対応も必要だと思う。日本でも上映して本当に鯨肉を食べる必要があるか,考えてみることもいいかもしれません。

 今の段階では,私はクジラを食べるのを止めて,完全撤退してもらいたいと思っています。

[ご意見:65]「冷静な目で捕鯨の必要性を再考する」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

私も合計で 5 年間米国に在住し,子供も現地の学校に通っていましたので,ご不安は理解できます。また,国際捕鯨委員会(IWC)の年次会合では,毎年日本代表団の安全のために現地の警察と警備会社が会議の会場周辺やホテルを警備してくれています。捕鯨問題が感情化し,捕鯨や捕鯨を支持する人間が悪の権化であるように扱われることに,心から憤りを覚えます。反捕鯨国の代表団の中にも,この捕鯨問題の異常さを懸念している人たちが大勢いることが,せめてもの慰めです。

科学的データを示して話し合えばいいではないかとのご指摘もよくいただきます。

実は,日本が調査捕鯨で収集した大量の科学データは IWC 科学委員会に提出され,共有され,分析されています。日本の科学者は,毎年の科学委員会で数十篇の科学論文を提出し続けています。専門科学雑誌にも投稿し,学会などでもプレゼンしています。ほとんどの論文が英文ですが,下記のサイトでそのリストがご覧いただけます。

(※財団法人 日本鯨類研究所の英語ページにリンクしています,こちらをクリックしてください。別ウィンドウで開きます。)

科学は中立でも万能でもありません。また,動かし難いと思える事実でさえ,必ず科学的不確実性があります。地球温暖化をめぐる科学議論でも,いまだに二酸化炭素の排出増加と温暖化の因果関係や,予想される温暖化の進行速度,温暖化が起こっているのかどうかについてさえ科学的には異論があります。捕鯨の水掛け論も,科学データをいくら提供しても続いています。
 しかし,その科学的不確実性を考慮した上で,非常に安全を見込んだ捕獲枠を算出する改定管理方式(RMP)が 1992 年の IWC 科学委員会で全会一致で開発されているわけです。その気になれば南氷洋のミンククジラなど,多くの科学的データが既に存在する鯨種については捕獲枠が計算できるはずですが,計算に使用するデータの解釈について合意ができない状況が長年続いています。
 ちなみに,南氷洋のミンクについては一番低い資源量を採用しても,おそらく年間数千頭の捕獲枠になると思われます。科学的には,捕っても良いか否かの議論ではなく,何頭捕れるかの議論をしているわけです。

鯨肉を食べる機会がほとんどないのだから,捕鯨は諦めてもいいではないかとのご意見も,よくいただきます。

かつて昭和 30 年代には日本人の食べる動物蛋白の約半分は鯨肉でした。今は,調査捕鯨からの鯨肉,沿岸小型捕鯨業からの供給,沿岸の定置網に混獲され登録された上で流通する鯨肉など,すべて合わせても年間 5 ~ 6 千トンの供給量にすぎず,国民 1 人当たりでは年間たったの 50 グラム足らずです。
 この中には卸値で 1 キロ 1 万円以上もする高級品もありますが,平均は 1 キロ 2,000 円ほどです。本マグロや牛肉と変わりません。
 したがって,滅多に口に入らないという感覚は多くの方がお持ちでしょうが,金持ちだけが買える値段となっているわけでもありません。

鯨肉が自分の口に入る機会がなく,高い高いという話だけが聞こえてくると,日本にはもうほとんど鯨肉を食べたいと思っている人はいない,一握りの金持ちだけが欲しがっているという印象を持ち,鯨肉などなくてもいいということになるかも知れません。
 しかしながら,鯨肉の需要は地域性が非常に高く,過去の統計によると九州や関西地域では 1 人当たりの鯨肉消費量は首都圏の 10 倍にのぼる所さえあり,現在でも鯨肉に対する強い需要があります。このような地域では,鯨肉をもっと食べたい,安くしてほしいという声をたくさん聞きます。和歌山県・太地町など古くから捕鯨を生業とする地域の鯨肉に対する思いは本当に強いものです。
 仮に,こういう声は少数派であると仮定しましょう。彼らの希望が科学的には全く問題なく法的にも合法であっても,声の大きな反捕鯨団体や米国のような大国が気に入らないと言えば,少数派ということで否定して良いのでしょうか?
 私はそのようなことは理不尽であると思います。鯨肉はたいして食べなくても,この理不尽さを感じて,捕鯨を支持している人も多いと思います。

もちろん日本政府としての政策は,少数の利益だけを代表して大局的にそれ以上のものを失うものであってはならないと思います。
 捕鯨政策は水産庁だけが決めているわけではありません。政府部内に限っても,大切な政策決定は必ず外務省などの関係省庁と相談し,最終的には官邸の了解を仰いできています。現在の捕鯨政策はその手続きを常に経ながら形成されてきたものです。
 もちろん国民的な,透明性の高い議論を常に行い,状況に応じて政策を見直していくことは必要です。過去にとってきた政策だから,将来もそのままでいいとは思いません。
 しかし,天下り先の確保や水産庁の立場保全だけで国全体が長年にわたって厳しい外交を続けてきているという批判は,非現実的であることをご理解いただきたいと思います。

[ご意見:64]「whale fishing」from:td さん

I am a Japanese live in USA.

 Japanese consider to discuss about continuation of whale fishing with other country.

 Why USA and Japan need to attack each other over this issue?

 It's so shameful to watch the whale fishing (Sea shepherd) on TV in USA.

 Why we can't talk about this together?

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
 上記,td さんにお寄せいただいたコメントは英文のため,以下に鯨ポータル・サイト編集室による日本語仮訳をあわせて掲載いたします。
 なお,今後は日本語以外のコメントへの回答はしないことを原則といたします。日本語のページですので,その点,ご理解ください。よろしくお願いいたします。

 以下,日本語仮訳。
 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 私はアメリカに住む日本人です。

 日本人は,他国と捕鯨を継続することに関して議論しています。

 何故,アメリカと日本はこの問題について,互いに攻撃しあう必要があるのでしょうか?

 アメリカのテレビ(シーシェパード)で,捕鯨番組を見たけれど,とても辛かった。

 何故,我々はこの問題について一緒に議論できないのでしょう?

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
 以上です。

[ご意見:64]「whale fishing」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ご意見を有難うございました。

英語でご質問をいただきましたが,このサイトは日本語で運営されていること,したがって少なくとも日本語が読める方がご覧になっていることと思いますので,日本語で回答させていただきます。
 以前もこのサイトで英語での情報発信の必要性を指摘いただいたことがあり,私もそのご意見には大賛成ですが,予算の制約もあり,まだ実現できていません。日本鯨類研究所からのプレスリリースやホームページなど,英語の発信が充実している分野もありますので,そちらもご参考にしてください。これからも一層英語での情報発信を充実できるように努力いたします。

 (※財団法人 日本鯨類研究所の英語ページをご覧になるには,こちらをクリックしてください。別ウィンドウで開きます。)

さて,本題に入りますが,政府間に関する限り日本と米国は,捕鯨問題に対する意見の違いにもかかわらず,密接で友好的な意見交換を行ってきています。
 過去 3 年間は国際捕鯨委員会(IWC)でも,米国が議長,日本が副議長を務め,何とか IWC を正常な国際機関に戻そうと協力して努力してきました。ここ数年の IWC では,以前のような攻撃的な発言や,感情的な対立は影を潜め,依然として捕鯨に関する立場の違いは大きいものの,話し合いを行う空気が醸成されてきています。これが可能となった理由のひとつに,日米が協力していることがあると自負しています。

しかし,シーシェパードのような反捕鯨団体やマスコミは政府がコントロールをしているわけではありません。
 オーストラリアなどでは,マスコミが IWC での話し合いに参加しているオーストラリア政府を非難しています。捕鯨が認められるかも知れない IWC での話し合いに政府が参加するとは何事か,けしからんというわけです。
 IWC での話し合いが進展するにつれて,IWC の会議が少なくとも表面上は静かになってきたことには,マスコミの一部や反捕鯨団体は不満です。華々しい対立は記事になり読者を惹きつけますが,静かな IWC は記事になりません。反捕鯨団体も寄附金の獲得のためには捕鯨をめぐる対立が必要です。IWC が静かになればなるほど,彼らには対立をあおり,再燃させる動機があります。

ご指摘の通り,捕鯨問題は話し合いを行い,何らかの形で解決していかなければなりませんが,互いに攻撃しあう必要はありません。成熟した国家同士であれば,意見が異なることをお互いに受け入れ(Agree to disagree),国内の世論と二国間関係のバランスをとる決定ができるはずです。

[ご意見:63]「感情論」from:RKT さん

感情論と言いますが,環境保護団体に資金が,政治家に票が舞い込むほどクジラを愛している人々がいるというのも事実です。なぜ,クジラは食べてはいけないと思う人が多くいるのだと思いますか?論理的でない感情的なことだから,問題にする必要はないのでしょうか。

 私自身は捕鯨に賛成でも反対でもありませんが,日本の食文化,と言っても,日本人に不可欠なほどその文化というものが根付いているようには思えないのですが…。
 そもそも資源を人間が“管理する”なんていう発想に恐ろしさを感じます。

[ご意見:63]「感情論」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

いくつかの疑問をいただきましたので,それぞれについて考えたいと思います。

まず,食文化の問題ですが,私自身は,以前にも書きました通り,これは大事ではあるけれども,またアピールしやすい問題であるとは思いますが,本質問題ではないような気がしています。
 ある文化が文化であるか否かという議論は,しょせん水掛け論です。何年の歴史があれば文化か,ある国民の何割が大事と思えば文化か,と言った議論に結論は出ません。歴史の長い国と短い国のあいだでも当然感覚が違います。文化人類学では,このような議論は結局は相対論であるというのが結論であると聞いています。

また,仮に文化であるという結論が出ても,それで捕鯨問題が解決し,捕鯨を行って良いということにもなりそうにありません。不可欠か否か,根付いているか否かという議論も結論は出ません。日本の着物はおそらく誰もが認める日本の文化ですが,不可欠ではありません。正確にいえば,不可欠な人もいますが,多くの人にとっては生活に不可欠ではないものです。しかし,極めて立派で誇るべき文化ですし,守られていくべきと思います。

捕鯨問題イコール食文化問題と位置づけることは,問題を単純化しすぎています。

資源管理という側面はどうでしょうか?

人間が自然を管理するという発想は,確かに環境問題を悪化させてきた発想の根にあるものでしょう。そこには環境や資源は,すべて人間のものであるという前提があるからではないかと思います。
 “資源管理”という言葉は,本当は「資源を悪化させないように人間の活動を管理する」という意味であるべきです。捕鯨問題や漁業の乱獲の問題も同じです。管理する対象は人間の活動で,資源そのものではありません。

捕鯨問題でも,我々は捕鯨を認めてもらえるように,捕鯨という人間の活動をいかに管理していくかという提案と議論を行ってきました。
 乱獲にならないように,極めて慎重な捕獲枠を決めること。これが守られるように国際監視員を捕鯨船に乗船させること。捕鯨操業についてその操業位置を人工衛星で追跡するといった,詳細な情報の収集を行うこと。DNA を使って市場に違法な鯨肉が出回らないように監視することなど,今まで様々な提案を行い,捕鯨活動を管理することを議論してきました。
 しかし強硬な反捕鯨国は,そもそもクジラを捕獲することに反対ですから,いくら厳格な管理を行っても捕鯨は認めないというわけで,議論はかみ合いません。

では,最後に,なぜクジラを捕獲すべきではないと思う人が,特に欧米を中心に多いのでしょうか?

これもいろいろ理由がありますが,特に先進国では,生活が都市化し,それに反比例して自然へのあこがれ,自然を保護するという意識が高まって,とりわけその意識がカリスマティック・アニマルと呼ばれる生き物(クジラ,ゾウ,トラ,サメなどの大型で,映像や本を通じてなじみがある動物。他方では,どんなに絶滅に瀕していても,聞いたことのない国の奥地に住む,目立たない虫などは,それほど一般人の関心を集めません。)の保護に象徴的に集まったということが指摘されています。都市生活者が自然にあこがれ,これを保護したいというのは自然な感情です。休暇に自然豊かな場所に行き,カリスマティック・アニマルを見ることができれば都会生活の憂さも癒されます。その動物が誰かに捕獲されていると知れば,感情的な反発が生まれ,その動物はますます象徴的な意味を高めます。クジラに至っては,人間より知能が高い,テレパシーがある,地球外生物と交信している,といったことまで本気にする人が出てくるぐらいです。

これを利用して反捕鯨団体が寄付を集め,その資金を使って捕鯨国をますます悪者にして,さらにこのような感情をあおり,それがまた反捕鯨団体の支持者と寄付を増やすという,拡大再生産が成功してきた結果が,今の状況につながっているといえます。

それでも,感情論,特に捕鯨はクジラを絶滅させるという誤解に基づく感情論で捕鯨を否定することは間違いだと思います。

[ご意見:62]「メディア戦略が足りないのではないか」from:通りすがり さん

SS は,また欧米のテレビ番組に出演しプロパガンダを行っているようです。
 日本ももっとメディアを利用し,法的・科学的正当性と,いままで SS が行った差別的発言をピックアップすべきではないでしょうか。なぜもっとアピールしないのですか? YouTube にチャンネルを作るなど出来ることはいくらでもあるでしょう。

[ご意見:62]「メディア戦略が足りないのではないか」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

メディア戦略が捕鯨問題への対応のカギとなることは,関係者もよく認識しています。

いままでも,メディアへの情報発信を機会あるごとに行ってきましたし,積極的な情報提供も行ってきました。日本鯨類研究所にはメディア対応の専門部局がありますし,国内外のメディアの専門家の力も借りてきています。それでは,なぜ捕鯨を支持する側の情報がメディアにあらわれないのか?なぜ捕鯨に反対する意見ばかりがメディアで目立つのか?

まず,認識しなければならないことは,捕鯨問題においては,正しい情報,法的・科学的正当性に関する情報を発信しても,必ずしもそれが取り上げられないということです。むしろ,ほとんど取り上げられないというのが実態です。私も,欧米のメディアのインタビューを 1 時間以上受けて,そのうち 10 秒ほど,こちらにとっては一番マイナスな部分だけが放送に使われるという経験を,山ほど持っています。10 秒でも使われればましな方で,こちらが提供した正しい情報がありながら,それを無視して反捕鯨側の主張だけが紹介される例など切りがありません。

このようなことが起こる理由はいくつかあります。いくつかのメディアは中立でも公平でもありません。彼らが伝える内容には,往々にしてあらかじめ出来上がったシナリオがあります。たとえば,「すべてのクジラは絶滅に瀕していて,捕鯨国はそれをとり尽くそうとしている,捕鯨国は環境の敵だ。」といったもので,このシナリオに沿わない情報や意見はカットされます。視聴者もこのシナリオに合わない報道には拒否反応を示します。第二次世界大戦のさなかに,日本の劣勢を伝えるメディアが日本にあったかどうかを考えれば,この構図は自明なはずです。

このようなシナリオが支持されるのはなぜか?世界が平穏無事なことはニュースにはなりませんし,視聴者も興味がありません。紛争や大災害,意見の対立,大きな変革がニュースです。その観点からは,捕鯨問題が厳しい対立を続けることがメディアにとっては必要ですし,その対立の中では正義の味方と悪役がはっきり決まっているほうが“受け”がいいことも想像に難くありません。またそのような構図の中で,反捕鯨団体は多額の寄付を得ることができます。また彼らはシーシェパードの妨害活動のように,メディアに受けるセンセーショナルな映像を提供できます。この,持ちつ持たれつの関係がある限りは,メディアの態度はそう簡単には変わりません。

これでは全く希望がないように聞こえますが,そういうわけではありません。

実は過去に比べて,捕鯨を批判する報道はオーストラリアを除けば下火になってきていました。これにもいくつか理由がありますが,そのひとつは,我々が地道に正確な情報を提供し続けてきた結果,少なくとも良識のあるメディアは偏った報道に躊躇するようになってきたことがあると思います。このような場合は,公平な報道をするよりは,ニュース・バリューが落ちるため,報道そのものが減ります。もうひとつの理由は,ここ数年 IWC が“ IWC の将来プロジェクト”という,ある意味では和平交渉を行ってきており,その結果として過去のような IWC での感情的なやり取りが極端に減ったということがあります。メディアが IWC に取材に来ても,面白くないのです。

ですから,最近の反捕鯨のメディアは IWC の外で動くようになってきています。IWC が平和に向かうとすれば,別の戦場を作らなければならないからです。最近の太地のイルカ漁業への批判もこの戦場作りの一環かもしれません。

YouTube などの新しいコミュニケーションへの対応は,必要性は認識していますが,確かに遅れていますので,ご意見に感謝します。

[ご意見:61]「文化戦争なのだ([ご意見:18]の回答によせて)」from:匿名もあるようなので… さん

ここに掲載されている[ご意見:18]「戦略戦術の提案」を読んで,この考えに大賛成です。森下さん,がんばってください。

[ご意見:61]「文化戦争なのだ([ご意見:18]の回答によせて)」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

応援いただき大変有難うございます。私にとっては,いろいろな方々や持続的利用支持国関係者の応援が,最高のエネルギー源です。

表題の「文化戦争なのだ」という点について,少し評論家的な分析をしてみたいと思います。

結論からいえば,捕鯨問題には文化戦争の側面があることは否めませんが,そうではない部分もあるということです。
 さらに,捕鯨問題の文化戦争的側面から「捕鯨は日本の文化だ」という議論をするだけでは,問題の本質に対応できないということです。ご存じのように,私自身は捕鯨文化を大切だと思っていますが,IWC での議論ではほとんどこの問題に言及しません。他方で,いかなる文化,価値観,倫理観も公平に扱われるべきだという考えは,私がよく主張するポイントです。

文化戦争ではない部分について具体例をあげてみます。

私の経験からすると,捕鯨に反対する人の多く,特に必ずしも十分な情報に接していない一般市民は,「すべてのクジラが絶滅に瀕していて,これを捕鯨国が野放図に捕獲している」,「捕鯨は国際的に禁止されていて,捕鯨は違法である」などと信じています。これらはすべて誤りであり,その誤解を解くだけで相当の人たちが捕鯨を支持するまでいかなくとも,仕方無いかもしれないと思ってくれます。

捕鯨そのものが野蛮で,そもそもクジラを資源と考えることがおかしいと思っている人たちにとって,捕鯨問題は確かに文化問題に重なります。このような人たちには,いくら科学的な話をしても,理論的に反論しても,効果はないかも知れません。しかし,少なくとも,世の中にはいろいろな価値観や文化があって,他人の文化が気に入らなくても,それを否定してはいけないことを分かってもらいたいものです。インド人は牛を食べないが,それを他の国に押し付けることはしていないし,すべきではないという論点です。

反捕鯨主義者の中には,いろいろな考え方の違いがあることを認識しつつ,自分たちが絶対的に正しいので,捕鯨は潰されるべきだという立場を鮮明にする勢力があります。彼らは自分たちが正義であるとして,暴力をもって捕鯨を妨害します。こうなると話し合いは通じません。文化帝国主義と呼ばれる行為です。そのような行為については,その正体をしっかり暴くことで,国際的な対応が可能になると思います。

実際の議論では,上記のようにすっきりと場合分けできるわけではなく,かなり混乱した議論が横行しています。しかし,我々は,混乱した議論に振り回されるのではなく,混乱の糸を解きほぐし,ひとつひとつ論破していくことが大切だと感じています。

[ご意見:60]「教科書へのコミットはどの程度されていますか?」from:夏海笑 さん

この HP を非常に興味深く拝見しております。私は現在,高校の現代社会の非常勤講師をしております。

 温暖化はじめ環境問題を抱えている現代,自然と人間の付き合い方を考えるのは非常に重要な事だと思います。中でも捕鯨問題は,ワイズユースとノンユースの非常に良い教材になるとも思います。

 ただ,残念ながら教科書の捕鯨問題の記述は非常にサラッとしていて,捕鯨賛成派と反対派の対立も「対立がある」程度の記述にとどめ,具体的な日本の主張については何も触れていません。
 ちなみに,現在使用している教科書で,捕鯨問題については,わずかに記述は 5 行です(反対派からの強烈なクレームを恐れての事かもしれません)。

 本来は,そこを肉付けして補足して授業をするのは,私たち教師の勤めだと思います。

 しかし,「教科書に書いてある範囲で,広く浅く教えて欲しい」,「テストで出るところだけ勉強したい」というのが,今の高校生の大部分の考え方で(当校だけかもしれませんが),「国が定めた教科書のレベルで充分だ(それ以上は必要無い)」という意見には,なかなか説得力があります。

 この教科書レベルの授業を行った結果,捕鯨問題に無知な国民が大量生産されて行くのかもしれません。

 高校生が現代起きている問題を勉強するのは,現代社会の授業においてだろうと思いますし,そのベースは教科書になります。
 そこで質問なのですが,水産庁としては教科書のベースとなる学習指導要領に対して,どの程度コミットされているのでしょうか?

[ご意見:60]「教科書へのコミットはどの程度されていますか?」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

コメントを大変有難うございました。

教科書が取り上げるべき問題,教科書がページ数も含めた物理的制限のもとで取り上げることができる問題,テスト(受験)という現実と教科書の内容の関係など,ジレンマがありますね。

捕鯨問題を担当しているものとしては,この問題を教科書にしっかり取り上げていただきたいと思います。他方では,科学,法律,政治,経済,文化などを含む多面的で複雑な捕鯨問題を取り上げようとすれば,それなりの紙面が必要となること,捕鯨問題をそこまで取り上げるなら,他にももっと説明すべき問題があるだろうという声が上がって,教科書がとてつもなく分厚くなってしまうこと,ご指摘の反捕鯨関係者からのクレームの問題などもわかります。

過去には,文部科学省の教科書担当者に捕鯨問題に熱心な方がおられて,話を聞いていただいたこともあります。農林水産省が教科書出版会社を集めて農林水産問題をより詳しく取り上げてもらおうとした説明会でも,捕鯨問題を説明しています。お使いの教科書で 5 行とはいえ捕鯨問題を取り上げていただいたのは,このような努力の成果と思いたいところです。

最も効果的な方法は,総合学習や授業の補助として使っていただける副読本の製作ではないかと思います。
 小中学生レベルのものは財団法人 日本鯨類研究所が作成したものがありますが,高校生の議論に対応したものはありません。一般向けの捕鯨問題のパンフレットや出版物はいろいろあります。
 また,これも小中学生対象ですが,日本鯨類研究所の職員が出張授業を行うプログラムがあり,好評をいただいています。学校新聞への捕鯨問題掲載も行いました。

捕鯨問題関係者も,次世代を担う若者にこの問題を理解していただくことの重要さを良く認識しています。
 ご依頼を頂けば,喜んで既存の出版物の紹介,パンフレットの提供を行います。学校訪問も可能だと思います。ぜひ,ご連絡ください。また,理解促進のためのアイディア,ご提案もお願いいたします。


※パンフレットなどのお問い合わせは,
鯨ポータル・サイト編集室 kujira☆e-kujira.or.jp (☆を@に変えてください)までメールにてご連絡くださいますようお願いいたします。関係者に転送させていただきます。(鯨ポータル・サイト編集室)

[ご意見:59]「怒りを禁じえない」from:匿名 さん

今年もあのテロリスト達が勝手に勝利宣言を掲げ寄付を募るつもりのようです。

 なぜあの程度の相手を排除できないのか理解に苦しみます。法的に潰すのはもちろん,撃沈ぐらい行って当然でしょう,なぜやらないのですか?正義はこちらにあるのに,それを見せなければ誤解されるだけです。

 またアニマルプラネットがテロ支援番組を再び放映するようです。アメリカ政府に働きかけるなどできないのでしょうか?

[ご意見:59]「怒りを禁じえない」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

シーシェパードの妨害活動に対して決定的な対応が取れず,妨害が続いていることに対しては,関係者一同,言いあらわし難い憤りを感じています。本当にすぐ何とかしたい気持ちです。

対応が難しい理由を書いても弁解がましくなってしまうので,書きたくはないのですが,この問題はかなり複雑です。

まず,妨害は,どこの国にも属さない公海で行われています。シーシェパードの船の船籍は現在はオランダ。ただ過去には何回も変更されています。母港はオーストラリア。船長はカナダ人。乗組員の国籍は十数カ国にのぼります。シーシェパードの本部は米国に有ります。日本政府はこれらの関係する国のすべてに対応を要請していますが,どの国にどこまで責任があるかがはっきりせず,法的な管轄権も錯綜しています。

さらに,シーシェパードの首領であるポール・ワトソンはハリウッド関係者に人気があり,彼の映画を作るという話さえ聞こえてきます。また,オーストラリアなどの反捕鯨国では,一般市民が彼をヒーロー扱いです。反捕鯨国政府が,シーシェパードに対応することに慎重になるわけです。

ただ,我々は黙って見ているわけでも,諦めているわけでもありません。このような過激で狂信的な妨害活動は,いかなる法治国家においても,国際法を奉じる国際社会においても,断じて許されるものではありません。

IWC の場では,日本政府から本件を深刻な問題として提起し,非難決議や声明の採択に成功しました。これは国際社会が協力して対応するうえで必要かつ重要なステップです。

また,我が国は,IWC だけではなく,船舶航行の安全について協議する専門機関である国際海事機関( IMO )に対し,洋上での抗議活動の在り方を検討するように問題提起し,これがまとまりつつあります。平和な抗議活動は許されるが,暴力的な妨害は国際社会は認めないということをはっきりさせようとしています。

日本国内では,過去に行われた妨害行為について,シーシェパードの妨害活動に参加したことを特定した 4 名の犯罪行為を立件し,さらに,インターポールを通じてこの 4 名を国際指名手配しました。

船籍であるオランダや寄港国であるオーストラリア,またシーシェパードが本拠地を置く米国に対しては,妨害阻止・抑制のための措置を講ずるよう,日本政府ハイレベルからも要請しました。
 具体的には,オランダに対し,責任ある船籍国として妨害行為の即時中止及び再発防止のための適切な措置を要請し,オーストラリアに対しては,寄港国として,捜査を含めた妨害行為の再発防止・抑制のための措置を要請しました。これを受けて,オーストラリアの警察は,今年シーシェパードの船舶を捜索し,証拠を応酬しています。

日本政府は,過去の妨害行為も含めて引き続いて司法当局による捜査を進め,適切な法的措置を検討していきます。関係国に対しても,捜査の実施や継続を含めて,妨害行為の再発防止のための適切な措置を実施するよう求めていきます。

時間はかかるかも知れませんが,正当な調査活動に対する違法で狂信的,過激な妨害活動は決して見逃すことはできません。

[ご意見:58]「Whale Wars」from:渡辺 さん

日本でも放送しているテレビ局ですが,アニマルプラネットというテレビ局で制作された「Whale Wars」という番組を見ました。
 ドキュメンタリーとしては公平を欠き,シーシェパードの一方的な言い分ばかりで,日本側への取材や科学的検証は全く行われておらず,お粗末な内容で,どちらかと言うと今アメリカで流行っているリアリティー番組そのものです。残念なことに,この手の低俗番組はアメリカで人気が高くこの「Whale Wars」の人気も高かったようです。アニマルプラネットは全世界で放送しており,この番組も世界各地で放送されたか,もしくは放送されるでしょう( DVD もあるようです)。

 言論の自由,表現の自由があるので番組を完全否定する訳ではありませんが,その一方的,扇動的な内容に憤りを感じております。 またシーシェパードも番組の取材班が同行しているため派手なパフォーマンス染みた妨害行動があるように思えます。

 たった一放送局の一番組に対してなんですが,政府や水産庁は何か対応をなされた,又は,なされるのでしょうか?
 今年も「Whale Wars」の Season 2 が放送されるそうです。

[ご意見:58]「Whale Wars」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

この番組については,我々も製作段階から情報を入手し,公平な番組になるように要請しました。
 財団法人 日本鯨類研究所の関係者が訪米し,シーシェパードの今までの活動(アイスランドの捕鯨船を沈めるなど,数々の暴力行為を行ってきています)を説明し,アニマルプラネットがこのような団体と行動を共にし,ある意味でヒーロー視することの問題も指摘しました。しかし,アニマルプラネット側は,シーシェパードの視点から番組を作ることを譲らなかったために,我々もそれ以上の関与は断念しました。
 ただ,気休めにすぎませんが,我々の働きかけを受けて,番組の冒頭にアニマルプラネットはシーシェパードを支持するわけではないという趣旨の但し書きが出てきたり,鯨類捕獲調査は国際捕鯨取締条約の条文に基づいて行われていることの説明を入れたりはしたようです。

この問題の本質は,この手の番組は娯楽番組であって,公平な視点からの啓蒙番組や,報道番組ではないということです。
 アニマルプラネット側は,捕鯨問題について南氷洋という現場で何が起こっているか啓蒙し,視聴者に考えてもらう教育番組だというかもしれませんが。しかし,明らかに公平さが欠けていると言わざるを得ません。
 シーズン 1 では内容を変更する時間がなかったので,シーズン 2 では公平にするという話もあったようですが,既に始まっているシーズン 2 の内容と,シーズン 2 をさらに刺激的にするためにシーシェパードがエスカレートさせた妨害活動をみれば,その話もリップサービスであったようです。映画もそうですが,第二弾は第一弾より過激でないと観客が集まりませんから。

良いニュースは,IWC の会議では満場一致でシーシェパードに対する非難が出ており,関係する国が具体的な行動を取り始めていることです。
 オーストラリアの警察も,寄港したシーシェパードの船に乗り込んで捜査を行いました。もちろん,我々は,より断固とした措置を求めていますが,2 ~ 3 年前の及び腰の対応に比べれば良くなりました。シーシェパードの異常さが番組になって,常識のある人間に,これは何とかしなければならないという意識を芽生えさせてきているのかも知れません。

以前も指摘したことですが,捕鯨問題では,マスコミの一部が,問題の解決ではなく,問題の悪化をもたらしています。
 公平に事実を伝える,事実の隠ぺいを暴くというジャーナリズム本来の使命がありながら,一部のマスコミは視聴率のアップや購読数の増加のため,よりセンセーショナルな内容を求め,時に意図的に作り出します。世界が穏やかで平和だとニュースになりませんが,対立や衝突は売り上げアップにつながるニュースです。日本のマスコミでも“やらせ”の話は珍しくはありません。視聴者は,問題の本質や真実を見抜く力や,少なくとも報道に疑いを持つ常識が必要です。

[ご意見:57]「鯨肉はだれが食べているのですか?」from:たかし さん

昔の給食で鯨肉を食べたこともあり,スーパーで売っているとなんとなく懐かしく買ったことがあります。しかし普段食べつけないせいもあってか,特別おいしいとも思えません。実際にスーパーでの売れ行きもよくないように思えます。

 勝浦などではクジラを食べさせるお店もあって地域文化として定着しているかもしれませんが,全国的にみると鯨肉を食べたいと感じている人は少ないように思えます。

 日本人は昔からクジラを食べていた事は認めますが,南極までいって捕るようになった歴史は短く,南極捕鯨が文化と呼べるほど大したものではないように思います。

 食べたい人も少ないのなら,世界中から非難されてまで遠いところへ行って捕獲する必要は無いと思います。

 単に捕る権利があるから,資源が余っているから,といった意見には人間のエゴが感じられます。

 生きていくために必要最低限のものだけしか捕ってはいけないのではないでしょうか。

[ご意見:57]「鯨肉はだれが食べているのですか?」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

首都圏にいると実感がわきませんが,例えば九州や関西では,鯨肉消費のピークであった 1960 年代から商業捕鯨モラトリアム導入前の 1980 年代には,一人当たり首都圏の 2 倍から 10 倍の鯨肉を家計上購入していたというデータがあります。いまでもこれらの地域では,もっとクジラが食べたいという声を多く聞きます。
 マグロなどと違い,クジラの消費と需要は全国的に一様ではありません。商業捕鯨モラトリアムの導入により供給が極端に減ってしまったため,価格も上がり,需要もなくなったような感覚がありますが,まだまだ根強い需要があるようです。

しかし,我々は商業捕鯨を再開して,取り放題に捕鯨をしたいと要求しているわけではありません。
 必要な量を,資源を枯渇などさせることなく利用したいという要求さえ認めないのが,反捕鯨の立場であり,現在の IWC です。これこそエゴではないでしょうか?

[ご意見:56]「グリンピースの主張を粉砕してもらいたい」from:最終捕食者 さん

タイトルが勇ましすぎると思うが…
 グリンピースは「調査捕鯨はまやかしである」という意味の主張をしているとのこと。私の参加しているメーリングリストの参加者が,これを信じている。私は「鯨論・闘論」を見てくれと応じた。私は,森下氏の主張に賛成している。 

[ご意見:56]「グリンピースの主張を粉砕してもらいたい」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

鯨類捕獲調査の正当性を広く理解してもらうためには,その科学的成果をしっかりと公表していくしかないと思っています。

今年の初めには IWC の科学委員会で日本の第二期北西太平洋鯨類捕獲調査(JARPN II)の成果の検討が行われ,日本から成果をまとめた論文を提出しました。これはもうすぐ日本語への翻訳ができますので,出来次第公表します。
 成果の検討は,IWC が選んだ,公平な立場から検討してくれる科学者にゆだねられ,今までにないほど前向きな評価をしてもらいました。この評価報告書も今は英文しかありませんが,翻訳を行いたいと思っています。

また,鯨類捕獲調査の成果に基づいて作成された大量の科学論文のリストも公表しています。

上記科学論文リストの参照ページ(英文/財団法人 日本鯨類研究所HP)をご覧になるには,こちらをクリックしてください(別ウィンドウで開きます)

反捕鯨国や反捕鯨団体は,鯨類捕獲調査に科学的な価値はないと宣伝しますが,IWC 科学委員会では反捕鯨国の科学者が捕獲調査のデータをよこせと要求してきます。価値がないならよこせとは言わないはずですが,この反捕鯨側の矛盾こそが捕獲調査の本当の科学的価値を示しているのではないでしょうか。

引き続きご支援をお願いいたします。

[ご意見:55]「捕鯨問題のこの先の課題」from:A さん

捕鯨問題のことはまだよく分かっていませんが,この先どうしていけばいいんでしょうか?

[ご意見:55]「捕鯨問題のこの先の課題」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

この先どうしていけばいいかは,我々も日々問い続けていることです。

ただ確実に言えることは,捕鯨問題は転換期を迎えているということです。
 ほんの数年前までは,国際捕鯨委員会(IWC)の会議が来るたびに,日本などの持続的利用派と反捕鯨派が対立し,かみ合わない議論を応酬し,何も決まらないまま会議が終了する状況が続いていました。そこには全く出口の見えない閉そく感が支配的でした。

しかし,2006 年の IWC セントキッツ会合で初めて持続的利用派が過半数の票を獲得し,鯨類の持続的利用を支持するセントキッツ宣言(水産庁作成の仮訳はこちらでご覧いただけます。クリックすると別ウィンドウが開きます)を採択しました。
 他方,2007 年のアンカレッジ会合で我が国の沿岸小型捕鯨地域への捕獲枠要求が,我が国の大幅な譲歩案にもかかわらず否決され,中前水産庁次長(当時)が IWC との関係を根本的に見直すと宣言(発言の採録はこちらでご覧いただけます。クリックすると別ウィンドウが開きます)しました。
 このころから IWC の状況に危機感を募らせる関係者が持続的利用派と反捕鯨派の双方に増え,変化が出てきました。

このままでは IWC が本当に崩壊してしまうという認識が広く共有されるようになり,ホガース IWC 議長(米国)が「IWC の将来」というプロジェクトを開始することになったのです。
 このプロジェクトの目標は,IWC 加盟国のさまざまな関心事項(沿岸小型捕鯨,調査捕鯨,商業捕鯨モラトリアムの扱いなど 33 項目が挙げられています)をパッケージとして組み合わせ,IWC がコンセンサスで受け入れることができる包括的な取引を実現しようとするものです。
 このパッケージの作成に当たっては大切な原則があります。すなわち,交渉の結果が,一方の勢力が完全に勝利したり,完全に敗北したりするようなものではいけないということ。すべての IWC 加盟国が何かを我慢し,何かを得るものであること。すべての IWC 加盟国にとって公平でバランスのとれたものであることです。
 これを達成することは楽観的に見ても決して容易なことではありません。薄氷を踏むような慎重で勇気ある対応がすべての IWC 加盟国に必要です。

しかし,大切なことは,ついに IWC がその運命を賭けて動き出したという事実です。

日本はこの「IWC の将来」プロジェクトを支持する立場から,真剣に交渉に取り組んでいます。
 しかし,30 年にわたる IWC における対立を解くことは決して容易なことではなく,成功の見込みを楽観視はしていません。現実的に見て,1 頭たりともクジラをとることは許さないという方針を維持する反捕鯨国がある限り,パッケージに合意することは不可能です。したがって,パッケージが成功しない場合のことも考え,ほかのシナリオも検討しておかなければならないと思います。現状維持やかつての対立だけの IWC に戻ることは,あってはならない。前述の中前宣言の真剣な検討も必要です。 しかし,この後の流れは一本道ではなく,いろいろなシナリオが可能です。ここ数カ月の IWC での展開を注目してください。


 ※第61回 国際捕鯨委員会(IWC)は,今年の6月にポルトガルで開催されます。「IWC 会議のページ」では,会議の周辺情報をはじめ,現地時間6月22日からの本会議の模様をライブ中継する予定です。どうぞご利用ください。(鯨ポータル・サイト編集室)

[ご意見:54]「[ご意見:13]中の表現について」from:鯨ポータル・サイト編集室

当コーナーへご投稿いただいた方から,[ご意見:13]中に
  > 特定の国に対してあからさまな差別用語を用いた中傷
 があるとのご指摘をいただきました。

 ご指摘に感謝いたします。ありがとうございました。

 具体的な引用はございませんでしたが以下の一文を指すものと思われます。

  > 何度,科学的証拠を提示しても,相手にせず,気違いじみた運動を繰り返す豪州やマスメディアとの交渉お疲れ様です。

 やはり具体的なご指摘はありませんでしたが、このうち「気違いじみた」との表現が「あからさまな差別用語」として不適切だとされているのであろうと推察いたします。
 以下,その前提で,鯨ポータル・サイト編集室の見解を述べさせていただきます。

※なお,このすぐ下の回答欄のはじめに「from:水産庁・森下丈二 参事官」と出てしまいますが,これはシステムの仕様のためです。以上の前置き,以下の回答含め,すべて鯨ポータル・サイト編集室の見解であることお断わりさせていただきます。

[ご意見:54]「[ご意見:13]中の表現について」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

まずは,「ご意見」の文責ですが,これは鯨ポータル・サイト編集室にあります。
 皆様から頂戴したご意見の掲載にあたっては,捕鯨賛成・反対の立場に関わらず,極力,その表現や意味を変えないよう努めつつも,読みやすさを考慮した改行や入れ替え,明らかな誤字の修正,用字用語の統一など,若干の校正をさせていただいているからです。
 もちろん他者を傷つけるような表現や情報は不掲載にするなり表現を改めて採用させていただいております。
 決して個人の方を傷つけたり差別したりすることは,鯨ポータル・サイト編集室の意図するところではございません。

従いまして今回の「気違いじみた」との表現に傷つかれた方には,心よりお詫び申し上げます。

その上で,鯨ポータル・サイト編集室といたしましては,後述の理由により,現時点では,このままの表現で修正を加えずにおきたいと思います。

もしも,この[ご意見:13]における「気違いじみた」との表現に,「傷ついた」「差別された」と感じられた方がいらっしゃいましたら,どうか,このコーナーのご意見投稿フォームで,その旨をお知らせいただけないでしょうか。
 お名前など匿名で構いません。ご意見投稿フォームでしたらメールアドレスの入力も一切必要ございません。
 そのようなご意見が寄せられましたら,ただちに表現を改めさせていただきます。お手数をお掛けして恐縮ですが,どうぞよろしくお願いいたします。

さて,修正を加えない理由ですが,
 今回の[ご意見:13]の文脈における「気違いじみた」は,確かに感情的な表現ではあっても「あからさまな差別用語」にはあたらないと考えるからです。
 [ご意見:13]を投稿いただいた方の真意を代弁できるものではありませんが,編集室の解釈といたしましては,
 「豪州やマスメディア」を,あるいは別の個人の方を「差別」する目的で,この表現を使用されたのではなく,
 「(投稿者が考えるに)“科学的証拠を提示しても,相手に”せず,一方的な運動を繰り返している」,そのような状態を示す言葉として使用していると受け取りました。

一般論ですが,言葉そのものに「差別」が潜むのではなく,「差別」を目的に言葉を使うとき,その言葉が「差別用語」になるのだと思います。仮に該当する言葉を伏字にしたり,別の言い回しにしたところで,そこに「差別」する気持ちがあるのなら,それは「差別用語」ではないでしょうか。言葉狩りのような一律の対応ではなく,文脈に即した判断をしていきたいと鯨ポータル・サイト編集室は努めております。

もちろん,「差別」は発する側で判断されるものではなく,それを受け取る側によって判断されるべきものです。

現時点の鯨ポータル・サイト編集室の解釈,そして対応は以上のとおりですが,
 前述のとおり,「差別」された,と感じられる方がおひとりでもいらっしゃいましたら,別の表現に改めさせていただきます。

また,「豪州やマスメディア」への「中傷」ではないのか,という点ですが。
 確かに,「“科学的証拠を提示しても,相手に”せず,一方的な運動を繰り返している」というような状態が,客観的に根拠のあることなのかは,この場では結論できません。
 しかし,一般の投稿者が,ご自身の感想として,「根拠あり」との印象からのご発言です。それも特定の個人へ向けたものというわけではなく,また,この場合の「豪州」は,「豪州人」という個々人へよりも「豪州政府」や「マスメディア」の取り組み方に対するご発言であろうと解釈いたしました。
 とかく感情的になりがちの捕鯨問題です。感情的にならずに議論を尽くすことが,このコーナーの目的ではあり,その意味では編集室の判断が甘いのではないかと反省もいたしますが,ご意見の文脈全体から汲み取って,感情的ではあるが「中傷」として削除するにはあたらない表現と考えます。

[ご意見:13]の中心となる趣旨は,YouTubeなどにある反捕鯨への批判動画についてです。以下の引用部分からみても,投稿いただいた方は,決して「差別」や「中傷」をよしとするような方では無いと判断します。むしろ,そうしたものが生みだす「悪循環」を断ち切る方策を模索してのご投稿ではないでしょうか。

反捕鯨への批判動画は,
  >個人的には,多くの人が見ているし,言いたいことがある程度まとめられていたので,スカッとしたのですが,ここで森下さんが述べているように,更なる悪循環を生み出す原因になりかねない内容であったことも事実です。我々のような一般人は,スカッとしたで済むかもしれませんが,やはり森下さんの立場からすると,あのような動画は好ましくないのでしょうか?

「差別」や「中傷」にならないよう可能な範囲で,投稿していただいた方の生の声を伝えたい,寄せられたご意見の表現を活かしたいと,日々試行錯誤しています。まだまだ及ばない点や,改善すべき点も少なくないと思います。今回お寄せいただいたご指摘には,あらためて御礼申し上げます。今後とも,皆様のご意見・ご教示いただきながら,より建設的な議論のできる場として,この「鯨論・闘論」を育てていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

以上,編集室の見解を述べさせていただきました。
 なにより,特定の個人の方を傷つけたり不快にさせるつもりではないことを,ご理解いただきたく重ねてお願いいたします。

また,この件に関して,ご意見のある方は,ご意見投稿フォームではなく,編集室 kujira☆e-kujira.or.jp (☆を@に変えてください)までメールにてご連絡くださいますようお願いいたします。

なお,当コーナーには,多くの皆様からご意見を寄せていただいております。誠にありがとうございます。
 ご意見は編集室から執筆者の各人に転送させていただいております。ただし,執筆者の方々は,鯨ポータル・サイト編集室の依頼により当コーナーにご投稿いただいているだけで,あくまでご自身のプライベートのお時間を割いていただいてのご対応です。コーナー開始当初から公務や本業に支障が無い範囲で,とのお約束でしたので,ご意見をご投稿くださる皆様も,その点をどうぞご理解くださいますようお願いいたします。
 森下 参事官にも,多くの皆様からご意見をお寄せいただき,順次ご対応いただいておりますが,皆様ご承知の通り,第61回 国際捕鯨委員会の開催も近づいております(6月)。先月以降のご意見につきましては,その終了まで,ご回答いただけない可能性もございます。何卒,ご容赦ください。

捕鯨問題への立場の違いを越えて,建設的な議論を創出したい。それが森下 参事官と,鯨ポータル・サイトの共通の願いです。

[ご意見:53]「反日感情の拡大を感じました。」from:ミヤザキ さん

カナダの友人からディスカバリー系列でシーシェパード特集を組みシリーズで放送していたと聞き,感想を聞いてみたのですが,日本人は残酷という印象を強く持っそうです。
 カナダでは中国政府系の反日団体がオンタリオ州の教育省に捏造の南京大虐殺を加えるよう圧力をかけ,オンタリオ州をあげての反日教育が始まっています。
 第二次大戦は歴史的な出来事で比較的冷静でしたが,捕鯨に関しては今現在起きている残虐行為として,このインパクトは大きく,「日本人は大人しいが潜在的に悪で残酷な民族」というイメージに拍車がかかりそうです。

 オーストラリアでもご存知のように,YouTube において,日本人の妙なナショナリズムの高揚による偏狭で汚い言葉の応酬が飛び交っていて,もはや理性的な話し合いによる解決は無理な状態になり,感情的で憎悪にまみれた対立に発展してしまいました(意図的にアップしたようにもみられます)。
 めざとい中国・韓国系の在オーストラリア人が,この問題を反日情報戦略に利用しない訳はなく,慰安婦問題,捏造の南京虐殺と併せて反捕鯨運動を大規模に展開して,庶民レベルでの反日が増幅し,政治にまで影響しています。オーストラリアが主張している領土問題について日本は否定しているため,オーストラリアが報復的に日本の尖閣諸島などの領土問題で,中国・韓国の肩を持つのは確実。豪スミス外相は反日・反捕鯨でなければ政治生命に影響する状態で,特亜の次に反日教育が熱心な国になるかも知れません。

 この動きは西欧などにも広がっており,感情的な反日が世界中に深化し,これからの日本の外交,ビジネス,交友,あらゆる面でボディーブローを食らうように,じわじわと影響がでないか危惧しております。

 対立している相手の主張を完全否定するのではなく,我々と同じ重要な問題だと再認識して問題解決に当たってほしいと思います。多方面での損失が大きすぎ,混獲 100 頭で我慢して引くのも一考では。

[ご意見:53]「反日感情の拡大を感じました。」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

捕鯨問題が困難となっている理由の中に反日感情の存在がひとつの要素として含まれていること,そして捕鯨問題がさらなる反日感情を生んでいるという悪循環があることは,否めないと思います。幸い国際捕鯨委員会の場では,中国,韓国とも鯨類の持続的利用を支持する立場にあり,日本代表団とも協力関係にありますが,個人のレベルで捕鯨問題が反日感情に関係する可能性もあるかも知れません。
 しかしながら,捕鯨問題について「我慢して引く」ことで,一時的には反捕鯨圧力が収まるかも知れませんが,結局は反捕鯨国側から,さらにエスカレートした要求が出てくるか,反捕鯨 NGO (非政府組織)団体がほかの問題,例えばマグロ漁業問題などにシフトするのは,今までの経験から明らかです。また,こちらが今までの主張を引き下げれば,こちらの非を認め,反捕鯨側の考え方を受け入れたと理解されます。
 したがって,当方が正しいと信じることについては,しっかりと正しいと主張していくことが大切であり,これは,感情的に反捕鯨国側の主張を全面否定することとは違います。否定するだけの主張は,それに対する更なる否定と反発を生み,ますます悪循環になってしまいます。

この問題は一朝一夕では片付くものではありませんが,持続的利用支持国側が,真剣に鯨類資源を保存しながら,持続的に利用していくつもりであることを具体的に示していくことが大切で,現に国際捕鯨委員会の中では,冷静に話し合いを行って対立を解消していこうという機運が生まれてきており,それが「 IWC の将来」プロジェクトにつながってきています。

[ご意見:52]「捕鯨賛成」from:匿名希望 さん

正直,文化とか資源とかどうでもいいですね。クジラはウシ・ブタと同じ食肉,その程度の認識で理由としては十分だと思います。
 動物を獲って食べることが悪いわけはないし(絶滅しそうならまだしも),反捕鯨国の価値観・思想の押し付けは,傲慢なだけでななく人権侵害であり,もはや犯罪の領域です。愛国心など関係なく不当行為に怒るのは当然です(別に彼らが,野蛮と思おうと残酷と思おうと,彼らの価値観は尊重されるべきですが,物理的な圧力かけてますからね)。
 そもそも家畜より野生動物のほうが環境負荷は小さいそうですし,命で言うなら大きい動物を食べるほうが犠牲となる動物は減るはずです(正直,食害論だけはあまり信じてません。すいません)。
 とりあえずは,SS が違法違法とうるさいので,各反捕鯨国政府に,はっきり法的根拠を示させ,違法か合法が公式発表させてみてはいかがでしょう(やや挑発的に)。嘘はつけないし,黙秘も立場上できないとなれば…

[ご意見:52]「捕鯨賛成」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

反捕鯨の議論には今まで書いてきましたように個別にいろいろ反論がありますが,ご指摘の観点をあえて分類してしまいますと,ひとつ目には反捕鯨論は矛盾に満ちているということ,ふたつ目にはそれを捕鯨を支持する国に押し付けようとしていることではないかと思います。

矛盾は明らかです。シカやカンガルーは捕獲して食べてもいいが,クジラはだめ。魚は科学的に漁獲枠を決めて管理されれば漁獲していいが,クジラは科学的に持続利用が可能でも捕獲はだめ。ウシとクジラの知能は同程度ですが,ウシは食べていいが,クジラはだめ。陸上動物の狩猟の“残酷さ”は問題にしないのに,捕鯨は残酷だと非難。先住民捕鯨で捕獲されたクジラの工芸品は何千ドルで売っても商業性はないが,日本の沿岸小型捕鯨の鯨肉を売ることは商業性があるのでだめ。数え上げればきりがありません。尽きるところ,クジラはとにかく特別だから,理屈抜きに捕鯨反対ということになると思います。
 もちろん,すべてのクジラが絶滅に瀕していると思い込んで,捕鯨に反対する意見もありますが,これはまた別の問題,情報操作やプロパガンダの問題です。

ふたつ目の,押し付けの問題ですが,ご指摘のように,百歩譲って反捕鯨論をひとつの価値観とみなしても,それを他者に押し付けること,場合によっては暴力さえ使って捕鯨に反対することは,優越感もしくは捕鯨を支持する国民への差別意識に基づくもので,許されるべきことではありません。
 さらに始末が悪いことには,反捕鯨国民の中には反捕鯨論の正しさを確信するあまりに,押し付けを行っている意識さえない,捕鯨をやめさせることは正義であるというふうにしか考えられない人たちがいるということです。

こう言ってしまうと捕鯨問題の解決は絶望的に思えます。しかし,現在,国際捕鯨委員会が進めている“IWC の将来”プロジェクトは,少なくとも建前は捕鯨支持,反捕鯨の双方の立場を立場として認め,双方が同等に不満足で,かつ受け入れることのできるパッケージ提案をまとめようというもので,その成功は極めて困難な挑戦ですが,100 パーセント絶望的になる必要はないのかもしれません。

食害論ですが,日本政府の主張が単純化されて伝わっています。政府は「クジラが漁業資源を食い尽くしているので,間引きしてしまえ。」とは言っていません。北西太平洋での調査捕鯨の計画書(※1.下記参照)にも明記しているように,「漁業資源が減っている原因には過剰漁獲も当然あるが,日本近海のように以前は長年にわたり捕鯨をおこなっていたのに商業捕鯨モラトリアムにより突然捕鯨を停止してしまった海域などでは,クジラが増加し,その捕食量が無視できないレベルに達している可能性があるので,調査で詳しく調べ,生態系モデルなどを使って分析し,その可能性を見極めて漁業管理に役立てる。」というのが,正確な主張です。
 これは捕鯨問題そのものとは全く別に大切な研究です。
 
 ※1. 上記引用の“第 2 期 北西太平洋鯨類捕獲調査(JARPN II)”の計画書 日本語仮訳版は,こちらをクリックしてください。PDF ファイルが別ウィンドウで開きます

他方,捕鯨に限れば,資源が豊富にあり,それを持続的に利用できる科学的な仕組みと,規制が順守される監視取締体制があれば,食害があろうが無かろうが,規制のもとで捕鯨が認められるべきです。そして,このような条件はすべてすでに整っています。
 私は,これが捕鯨問題の本筋で,正論であると思っています。

最後に,調査捕鯨の法律問題ですが,最近,反捕鯨国側は,そもそも調査捕鯨を認めている“国際捕鯨取締条約”(※2.下記参照)の第 8 条は問題なので,条約から削除すべきという主張さえしています。
 法律に基づき自らの主張を正当化するという考え方ではなく,自らの主張からすれば法律に気に入らない部分があるので,法律を変えろと主張しているわけです。
 これでは法的根拠の説明を迫っても意味がありません。あるいは,すでに自分たちの主張は現にある法律とは相いれないと認めているわけです。これが,豪州政府が捕鯨問題を国際司法裁判所に持ち込むことに慎重な理由のひとつです。
 
 ※2. “国際捕鯨取締条約”の外務省による日本語訳は,こちらをクリックしてください。別ウィンドウで開きます

[ご意見:51]「調査捕鯨大賛成」from:内堀 さん

日本は海と共に生きて来た。そしてクジラのお陰で生きて来た。
 ある程度組織化された鯨取りは江戸時代からで,鯨組という 3,000 人規模の経営組織があった。日本には近海から外洋,南氷洋まで進出した経緯がある。しかし外国との食文化,食資源の求め方の違いから,IWC 加盟後はご案内の現状である。
 クジラは確かに昔は必要としたけれど,今はそれに代わる魚類がいろいろあるから,と言われることがある。そんな魚でも,たとえばマグロなど,如何にも各地の魚市場の朝競りにかかっているような錯覚があるが,輸入ものが裏でどの位多いか知る必要がある。自給率からいっても多いに問題だ。
 クジラ可哀想論,哺乳類論,家畜は良い論,大型論,のような趣味・趣向論は議論にならない。勿論,私も過去の捕鯨オリンピックなどといわれた時代が良いとは思わない。但し今世界の 1 年間の魚消費量の何倍もの魚や魚のエサをクジラは食べている。
 健康志向が叫ばれ,中国その他の需要が魚に集中する昨今,本当に打算のない科学的な調査を望む。

[ご意見:51]「調査捕鯨大賛成」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

回答が遅くなり失礼いたしました。

捕鯨問題に関するご理解と力強いご支持に心から感謝いたします。

調査を,しっかりした科学的目的と,それを達成するために適切に設計された計画のもとで行い,その結果を広く一般にも分かりやすい形で公表していくことが大切と考えています。
 しかし,この鯨論・闘論コーナーのもうひとりの回答者である大隅 先生も書かれているように,調査捕鯨の成果の説明と公表の面に関しては,大きな改善が必要だと思います。成果の説明が十分でなかったことが,反捕鯨勢力からの,調査捕鯨は何ら科学的な貢献を行っていないなどの批判を許すことになっています。

実際には,財団法人 日本鯨類研究所,独立行政法人 水産総合研究センター,大学などの多くの研究者が,綿密な調査計画を立て(下記※ 1 をご参照ください),その成果は多数の科学論文になっています(下記※ 2 をご参照ください)。

※ 1 .第 2 期南極海鯨類調査(JARPA II)計画書は Appendices (附表)を含めて日本語仮訳版が公表されています。こちらをクリックしてください
   また,第 2 期北西太平洋鯨類調査(JARPN II)計画書の日本語仮訳版 PDF ファイルは,こちらをクリックしてください

※ 2 .南極海鯨類捕獲調査(JARPA / JARPA II)の論文リンクは,こちらから入れます。北西太平洋鯨類捕獲調査の成果は近日公開予定です。

彼らがそれだけ努力していながら,その成果が十分知られていないことは本当に残念です。これは,日本の科学者が,捕鯨に反対する科学者から次々に出される課題に対応することに追われてきたためもありますが,調査をしっかりと進めていくためには,その成果を広く一般に知っていただくことが重要ですので,成果の公表にもしっかりと取り組む必要があります。

具体的には,インターネットを通じた科学的成果の公表,シンポジウムなどの開催,一般向け出版物の充実などを科学者にお願いしてきています。今年は北西太平洋の調査捕鯨の結果を 6 年分まとめて IWC 科学委員会が検討する年になっており,大変わかりやすいまとめの文書を作っていますので,IWC での検討が終了すれば,翻訳して公表する予定です。

このような取り組みが捕鯨問題の理解促進につながることを願っています。理解促進のためにさらにいいアイディアなどがありましたら,ぜひご教示ください。

[ご意見:50]「質問です。」from:鯨を知りたい人 さん

クジラの食害は本当にあるのでしょうか?
 調べてもなかなか信憑性の高いデータや答えがありません。教えてください。お願いします。

[ご意見:50]「質問です。」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

一言でいえば,世界の海の中にはクジラと漁業が競合している可能性があるホットスポットがあるらしいというのが,もっとも正確ないい方だと思います。

捕鯨をめぐる議論の中では,日本が,「クジラが世界中で漁業資源を食べつくしているから,間引きしてしまうべきだ」と主張しているように言われたり,逆に,「南極海ではクジラはオキアミしか食べていないので,(世界中で)漁業との競合はない」という単純化された反論が行われたりしていますが,両方とも極論です。
 捕鯨問題ではしばしばこのような単純化された,白か黒かといった主張が行われ,不要な対立を生んでいます。

日本の正確な問題意識については,北西太平洋鯨類捕獲調査の調査計画書を見ていただくのが良いかと思います(仮訳ですが,PDF ファイルでご覧いただけます。こちらをクリックしてください。また,オリジナルの英語版PDF ファイルは,こちら)。「漁業管理においてクジラの捕食量が無視できない可能性があるので,それを調査して,生態系モデルを作って検討する」というのがこの調査の目的です。
 調査結果のデータについては,日本の科学者が IWC 科学委員会に報告したものがあります(2000年,2001年の予備調査の報告書は,英語のみですが PDF ファイルでご覧いただけます。こちらをクリックしてください)。多くの分析がまだ途中段階ですが,今年には科学委員会で包括的な調査結果のレビューが行われることとなっており,現在そのために分析の取りまとめ作業を行っています。

また,ノルウェーの科学者もこの問題に取り組んでおり,ノルウェーの周辺水域でのミンククジラと漁業の関係について論文を発表しています( Schweder, T., Hagen, G.S. and Hatlebakk, E. 2000. NAMMCO Sci. Publ. 2:120-132. “Direct and indirect effects of minke whale abundance on cod and herring fisheries: A scenario experiment for the Greater Barents Sea.” 要約は,英語のみですが PDF ファイルでご覧いただけます。こちらをクリックしてください)。

いずれにしても,世界各地での漁業資源の悪化をすべてクジラのせいにするのも極論で,競合がどこでも起こっていないと否定するのも極論です。

なお,食害という場合,はえ縄や他の漁具にかかった魚を,水揚げ前にクジラが食べてしまうことを指します。このような例は南太平洋やインド洋で報告されており,ひどい場合にはかなりの割合の漁獲物が食べられて,漁船が漁場の移動をしなければならないそうです(英語のみですが,こちらのPDFファイルもご参照ください)。

[ご意見:49]「環境保護団体の主張は偏狭だと思う」from:出雲弘一 さん

世界でも有数の環境保護団体であるグリーンピースに以下のような記述があり,それに対する感想をグリーンピース側に伝えたいと思ったのですが,当のグリーンピース側にメールで意見を述べることができず,森下さんのこのサイトなら捕鯨賛成・反対両派の方々に見ていただけると思い意見を送りいたしたしだいです。多忙ななか読んでいただき感謝します。

  『クジラと捕鯨』 http://www.whalelove.org/whales/facts
  「クジラと捕鯨についてあなたはどれくらい知っていますか?--クジラのお話 全 10 話--」各話から以下引用


  > 最近はホエールウォッチングの人気も高まり,クジラは食べる対象から見る対象へと変わってきているようです。(第 1 話)


  > 最近のホエールウォッチング人気からもわかるように,すでにクジラは食べる対象ではなくなっていると言えます。(第 4 話)


  > 世界的に南極の環境を大切にしようという国際的な気運が高まっている中,はるか遠い日本の領域外のクジラ保護区でクジラを獲ることを「調査だ」「日本の文化だ」と主張することが,いかに身勝手な発言と捉えられてしまうかは容易に想像がつくことではないでしょうか?(第 7 話)


  > クジラもイルカも生物分類学上は同じクジラの仲間です。特に大きさが 5 メートル以上を「クジラ」と呼んで,それ以下を「イルカ」と呼んでいます。さて,水族館などで人気者になっているこのイルカもまた食用として捕獲していることをご存知でしたか?(第 8 話)


 私はグリーンピースの上のような記述に対し,以下のような感想を持ちました。

 1. 観光向け牧場のウシも見る対象であり,そのウシたちを食肉加工してその牧場で販売している現状があり,「見る対象だから殺してはいけない」という論理は破綻しているのではないか。

 2. なぜクジラとイルカを差別するのか理解できない。イルカはかわいいからというのであれば牧場の将来食肉になっていくヒツジだって十分かわいいと思う。

 3. 論理の端々に「家畜を殺すのはよくて,高等生物であるクジラやイルカを殺すにはよくない」という論理が見えて来るが,地球上の生き物たちはすべて食物連鎖という命のめぐりのなかにある。当然われわれ人間もその中にあり,人間の勝手で「高等生物だからダメ,家畜だから良い」というように生物を区別する理論は多くの環境保護団体が守ろうとしている自然環境の摂理そのものを否定する理論ではないか。

 このような主張は間違ったものでしょうか?

[ご意見:49]「環境保護団体の主張は偏狭だと思う」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ホエールウォッチングと捕鯨の議論は,捕鯨否定の主張としてよく使われますが,出雲さんのご指摘のように論理的には無理があります。

まず,第 1 に,おっしゃる通り牧場ツアーの後でバーベキューというのはむしろ定番です。見る対象は食べるべきではないと主張するなら,バーベキュー付牧場ツアーは否定しなければなりませんが,そのような議論は聞いたことはありません。

第 2 に,ホエールウォッチングか捕鯨かと,二者択一的な議論を聞きますが,これがそもそもおかしいと思います。日本でも,ノルウェーでも,アイスランドでも,捕鯨とホエールウォッチングが併存しています。どちらかひとつを選択しなければならないわけではなく,共存可能な活動です。日本代表団も IWC ではホエールウォッチングを否定したことはなく,二者択一的な議論を行うことがおかしいと指摘してきています。

第 3 に,上記と関連しますが,捕鯨もホエールウォッチングも,共通した目標を持っているということです。どちらも健全な鯨類資源があってこそ継続することができる活動であるということです。反捕鯨の議論は,捕鯨が必ず資源を枯渇させるものであるというイメージを作り上げ,その錯覚を使って両者を対立した活動であるかのように議論していると思います。

高等生物論やかわいい論も,決して論理的ではありません。大型鯨類と家畜の知能はほぼ同等と言われていますし,豪州で毎年数百万頭の単位で間引きされているカンガルーは十分かわいいと思いますが,ブタは賢いから食べるべきではないとか,カンガルーはかわいいから間引きすべきではないという議論は,少なくとも捕鯨反対論ほど声高には叫ばれません。

尽きるところ,クジラを特別の生き物として扱い,それを押し付けるためのお化粧として,いろいろな議論が行われているような気がしますが,結局は論理的に筋が通る議論,他と矛盾のない議論はありません。ここに,多くの人が反捕鯨運動に一神教的な心理を読む理由があります。自分の信じる神が唯一絶対の神であり,真実であり,論理ではなく,その信念に基づき,他者に同じ考え方を受け入れることを要求するものです。彼らにとっては,自分の信念を広めることが正義であり,受け入れないものは敵になります。宣教師や十字軍の心理です。

自然環境を守るということは,生態系や自然の摂理を科学的に理解した上で,守る必要性を認識し,論理的に行動することです。科学は事実や自然現象という本質的に多様なものを受け入れ,関係を理解するものですが,一神教にはその多様性を嫌う素地があります。ご指摘のような矛盾が出るのは避けがたいのかもしれません。

[ご意見:48]「ぜひ教えて下さい」from:沙羅 さん

こんにちは。はじめまして,大阪に住んでいる高校 3 年生です。私は現在,捕鯨問題についてさまざまな視点から考えています。

 今回ここに書き込みさせていただいたのは,捕鯨問題に対して,なぜ?ここまで反対するのか?という疑問を持ち,真実を知りたいからです!物事には必ず表と裏があり,「捕鯨反対」という主張について本当のことを知りたのです。調べていても,日本の揚げ足をとるためだとか,特にちゃんとした理由が掲載されておらず,正直納得がいっていません。

 よろしければ是非その理由と森下さんの考えを,教えていただけないでしょうか?宜しくおねがい致します。

[ご意見:48]「ぜひ教えて下さい」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

まず,回答が本当に遅くなってしまったことを心からお詫びします。昨年は秋以降出張が続き,職場に半分もいなかったためですが,とはいえ,このコーナーは私にとっても大切な意見交換と情報発信の場ですので,ここまで遅れてしまったことは反省しています。

捕鯨に反対する理由ですが,いろいろなものがあります。人によって反対する理由は様々ですが,結論から言ってどれも十分に納得できるものではありません。いくつか主なものを挙げてみます。

まずは,クジラは絶滅に瀕しているので捕獲すべきではないという主張です。本当に捕鯨がクジラを絶滅させるようであれば,私も捕鯨に反対しますが,この主張へは少なくとも 2 つの反論があります。
 1 つ目は,「クジラ」と言ってもたくさんの種があり,北西太平洋のコククジラや北大西洋のセミクジラのように本当に絶滅が危惧される種もありますが,ミンククジラなどのように豊富なクジラの種もあるということです。したがって,「クジラが絶滅に瀕している」という言い方は,カラスもトキも一緒にして「鳥が絶滅に瀕している」と言っているのと同じで,合理的な理由にはなっていません。ところが,反捕鯨国の多くの一般市民は,そもそもクジラにいろいろな種があることを理解していなかったり,すべての種類のクジラが絶滅に瀕していると思い込んで,捕鯨に反対しています。数が豊富なクジラの種があることや,急速に数が回復している種があることは国際捕鯨委員会のホームページ(以下のリンク先)でも確認できます。

 ・Whale Population Estimates ~国際捕鯨委員会ホームページ(英文です。クリックすると別ウィンドウが開きます)

 2 つ目の反論は,日本の主張は,数が減っているクジラの種は保護しながら,豊富な種については持続的に利用していくというもので,見境もなくどんな種類でも好き放題捕るとは言っていないということです。持続的な利用とは,ちょうど貯金のうち利子だけを使い,元金には手をつけないで,永続的に利用していくような考え方です。

次によくある反捕鯨の主張は,クジラは賢く,親子の関係も強く,歌も歌い,温かい血が流れている,そのクジラを殺すことは道徳的にも倫理的にも認められないという主張です。
 ウシやブタもクジラと同じくらいの知能があります。欧米では狩猟の対象であるシカの親子は見ていても本当に微笑ましいと感じます。多くの鳥が美しい鳴き声を持っていますが,だからと言ってフライドチキンを食べるなとは言えないと思います。ネズミやヒツジやヤギにも温かい血が流れています。生き物は一切殺さない,食べないという完全な菜食主義の人の主張は少なくとも一貫していますが(ただ,私も魚や肉は食べたいのでこの主張は自分では受け入れられません),クジラだけは特別なので捕鯨をするなという主張は,理屈も通らないし,自分勝手な好き嫌いを人に無理やり押し付けるのと同じです。インドの人が世界中に向かって,ウシは特別な動物なので,牛肉は食べるなと押し付けるようなものです。
 すべての動物は人間と同等の権利を持つという動物権運動は歴史もあり,大きな運動ですが,その中でクジラだけを特別扱いをすることは,本来の動物権の哲学とは矛盾すると思います。

反捕鯨の主張の中には,捕鯨自体が違法であり,悪であるから許すべきではないというものもあります。
 国際捕鯨委員会(IWC)の下では,捕鯨について 3 つのカテゴリーがあります。
 1 つ目は先住民生存捕鯨で,アメリカのイヌイット(エスキモー)やロシア極東の先住民による捕鯨が正当なものとして認められています。
 2 つ目が商業捕鯨で,これは 1982 年に採択された商業捕鯨モラトリアムで禁止されていますが,明確にしておかなければならないことは,商業捕鯨モラトリアム導入の理由は「いくつかの種類のクジラは過去の乱獲により数が減ったが,他の種については十分な科学的な情報がないので,すべてのクジラの捕獲を一時的に停止して,科学的データを集め,包括的に資源の評価をやり直す」というものだったことです。捕鯨が悪であるという理由からでもなく,また,停止は永久的なものではなく一時停止であったことに注目してください。ところが,商業捕鯨モラトリアムが続くうちに,捕鯨はそもそも悪いものだというイメージが作られてしまいました。ここまで書いたように,そこには納得いく理由はありません。
 3 つ目が調査捕鯨です。IWC 設立の根拠となっている国際捕鯨取締条約の第 8 条では,「条約の他の規定にかかわらず,IWC の加盟国は,科学的研究のためにクジラを捕獲していい,捕獲したクジラは調査の後で無駄にせず,その売上代金は,加盟国の政府の指示に従って使わなければならない」と規定しています。したがって,調査捕鯨を行うことも,調査が終わったクジラを販売することも,全く合法です。反捕鯨団体は,調査捕鯨は条約の抜け穴を使って行われていると批判しますが,条約に明確に規定されたことは「抜け穴」とは呼びません。

調査捕鯨は科学的貢献を全くやっていないから,疑似商業捕鯨である,従って条約で認められたものではないという主張もあります。
 まずは,次のリンク先の科学論文リストを見てください(北西太平洋鯨類捕獲調査の成果は近日公開予定です。

 ・南極海鯨類捕獲調査の成果(クリックすると別ウィンドウが開きます)

 これだけの科学論文が調査捕鯨の成果として書かれています。また,IWC の科学委員会の報告書でも,調査捕鯨で大量の科学データが集められてきていることや,クジラの管理に役立つ成果が上がっていることが書かれています(以下のリンク先の質問 9 の回答を参照してください)。

 ・IWC 59 ブリーフィング資料(クリックすると別ウィンドウで PDF ファイルが開きます)

 反捕鯨国の科学者は,科学委員会で,調査捕鯨は認めないが調査捕鯨のデータは全部差し出せと主張しています。自分勝手というほかはありません。

財団法人 日本鯨類研究所が役人の天下り先だから,調査捕鯨は悪であり,やめるべきだという話さえあります。
 確かに数人の職員は元役人ですが,その数人のために日本政府が全力で IWC で頑張っているというのは,いくらなんでも非常識です。それに,もし天下りがなくなれば反捕鯨団体は捕鯨を認めるのでしょうか?認めないでしょう。

主な捕鯨反対の議論を書いてきましたが,もしここまでの説明を理解していただけるならば,次に浮かんでくる疑問は,「それなら,どうしてまだ捕鯨に反対するのか?」ということだと思います。

一般市民が,クジラは絶滅に瀕していて,捕鯨は悪だと思い込んでいる国では,捕鯨を認めるような発言をする政治家や政府関係者は,マスコミなどに総攻撃を受けます。2003 年には,豪州で著名な環境保護を支持する科学者であるフラナリー博士が,「ミンククジラなどは豊富で,持続的に利用できる」と言ったとたんに,豪州のマスコミから,なんととんでもないことを言うのかという総攻撃を受けました。まるで魔女狩りです。こういう国では捕鯨に反対することが正しく,人気を得るための手段なのです。
 さらに,反捕鯨団体は反捕鯨キャンペーンで多額の寄付金を集めることができます。年間数百億円を稼ぎ出す団体もあります。こういう団体にとっては,反捕鯨運動がなくなることは,大事なビジネスを失うことを意味します。このような土壌がある限りは反捕鯨運動はなくなりません。
 また,我々は頑張って正しい情報を伝えようと努力してきていますが,残念なことに,たいていの場合は無視されるか歪められてしまいます。

捕鯨問題は捕鯨産業を守るだけといった問題ではありません。国連環境開発会議やいろいろな国際的な宣言で支持されている「持続的利用の原則」を例外なく適用する,クジラやほかの特定の動物を特定の価値観に基づいて例外視すること(「聖獣化」すると言います)を認めないという大きな意味があります。これは,自分で食べるものや利用するものは,持続的利用の原則に基づき自分で決める権利を守るということでもあります。

[ご意見:47]「公式文書を基にした情報公開と主張展開を求む」from:オオムラ さん

森下氏,大隅氏,お二方に意見を述べさせていただきたい。

 私は日本政府の捕鯨再開に対する取り組みについて 100 パーセント盲信する者ではありませんが,「持続的捕鯨」という理念や,それを基調に一定条件をクリアするのなら商業捕鯨を強制的に否認すべきではないと考える立場です。

 さて,本題に入りますが,インターネットの世界,2 ちゃんねる等の匿名掲示板では反捕鯨者の書き込みが多くみられます。最近では,IWC の文書をソースとして日本の調査計画を「でたらめ」と主張するものも見受けられます。
 たとえば,これらです。

 http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1222437171/

 http://namidame.2ch.net/test/read.html/seiji/1225117918/

 これらの中では,この鯨論討論ページの両氏の主張を引用しての批判もあります。これらに反論なり,もう少し積極的な主張をすることは考えていないのでしょうか。

 私は,なにも,こうした匿名掲示板に反論すべきだと思って投稿したわけではないのです。この鯨ポータルページや鯨類研究所ページ,それに水産庁捕鯨ページもあるのだから,そこで,もう少し具体的な主張を掲載できないか,ということです。
 もちろん,水産庁も鯨類研究所も本来の職務に多忙でしょうし,具体的には予算に限りもあるでしょう。ただ,匿名掲示板に IWC 科学委員会の英語文書が書き写されたりしているわけです。捕鯨推進派のページでも,少しずつそうした文書を,1.掲載,2.翻訳,3.解説・主張,というような順ででも公開していけませんか。
 色を加えない第一次資料を全面的に多くの国民が利用できる形での情報公開をして,その上で,その背景や日本政府の考え方,目指すべき道を示すことが,反捕鯨の妄言を駆逐していく,それが捕鯨再開への大きな力につながるのではないですか。

 浅草の鯨肉店をたたむとの報道も目にしました。ここ数年のニュースを見聞するに,台所事情も大変でしょうが,せっかくのホームページもあるわけだし,その方向に広報を強めることは,決して間違った戦略だと思いませんよ。

 いまや国民は政府の単純な広報を丸ごと信用したりはしません。「科学」というわれても我々国民は賛成・反対どちらの「科学」が真実かわかりようがありません。そうした状況で,むしろ,一般国民が目にしずらい情報を反捕鯨側が公開してモノを言っているのをみると,中間派は,その真実を考えることなく反捕鯨を信頼することになりかねない。
 情報公開をした上での広報を,どうぞ実施してください。長い交渉の中では有利なこと不利なこと,それぞれあるでしょうが「持続的捕鯨」の理念に自信があれば,最終的には,それが最良の方法になるでしょう。

 以上,具申させていただきます。

 南極調査がはじまるのでしょうが,調査に携わる方々の安全を祈願いたします。

[ご意見:47]「公式文書を基にした情報公開と主張展開を求む」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ご提言を有難うございました。私もいただいたご意見の通りだと思っています。
 対応ができていないのは,ご指摘のように予算や時間の問題もありますが,それでももっと情報発信をしっかりすべきことは疑問の余地はありません。この「鯨論・闘論」も,少しでも何とかしたいという気持ちからはじめたものです。

日本政府の方針を改めて確認したいと思いますが,枯渇状態にあるなど保護すべき鯨種は保護し,資源状態が豊富な鯨種については再生産率の範囲内で利用するという「持続的利用」という考え方です。
 捕鯨再開が実現する場合,これに従えば,「もっとたくさん捕獲したい」,「この鯨種も捕獲したい」などという不満が出ることもあり得ますが,そこはあくまで科学的な裏付けに基づいてしっかり管理された「持続的利用」を実現すべきと考えます。捕鯨再開の主張を,取り放題の捕鯨と誤解したり意図的に歪曲したりする向きが,捕鯨支持関係者の中にさえありますが,日本政府の方針はあくまで「持続的利用」です。

第一次資料をしっかり利用して当方の主張を展開するべきとのご提言にも全面賛成です。私の「鯨論・闘論」への回答でも,なるべく第一次資料にリンクして,主張の裏付けを示すようにしていますが,日本鯨類研究所のホームページも水産庁のホームページもこの点では不十分です。一挙に解決とはいきませんが,少しずつ改良していきたいと思っています。

なお,たとえば調査捕鯨の結果をレビューした IWC 科学委員会の報告書にも,次のような調査捕鯨の成果を認める記述があります。


 「1997 年の科学委員会レポートの IWC ドキュメント 49/4 から抜粋」
原文は英文ですが,こちらをクリックしていただければご覧いただけます。別ウィンドウで PDF ファイルが開きます。)

 ・ 「日本の南氷洋捕獲調査(JARPA)により入手した情報により,南氷洋の 4 区および 5 区のミンククジラに関する長期にわたる資源変動に関する多くの質問に答える段階に至った。

 ・ 「JARPA は一定の生物学的パラメーターの解明に関しすでに多大な貢献を行った。」

 ・ 「SC は JARPA はまだ折り返し地点に達しただけだが,系群構造の解明に実質的な改善をおこなったことを認識する。」

 ・ 「…系群構造データは資源管理に有用であると一般的に合意されている。」

 ・ 「… SC は利用できる非致死的方法に注目したが,…調査海域におけるロジスティックスやミンククジラの資源量からすればその適用は不可能であると指摘した。」

 

 「IWC ドキュメント「北西太平洋鯨類捕獲調査(JARPN)をレビューするための作業部会の報告書,東京,2000 年 2 月 7 ~ 10 日」からの抜粋」
 (原文は英文ですが,こちらをクリックしていただければご覧いただけます。別ウィンドウで PDF ファイルが開きます。)
 
 ・ 「JARPN から得られた情報は北太平洋ミンククジラの試行試験の改善に利用され続けて いる。したがって鯨類資源管理と緊密な関連を持っている。」

 

言い訳になりますが,第一次資料の数は膨大で,専門的なため,これを正しく伝えることは決して簡単ではありませんし,政府という大きな組織の広報活動はどうも小回りがきかなかったり,「官僚的」であったりして,第一次資料をうまく扱うことが不得意です。とはいえ,言い訳ばかりしていても状況は変わりませんから,情報公開を基本として,一つ一つ改良して対応していきたいと思います。
 本来我々が考えるべき点ではありますが,どのような第一次資料を使うべきかについても御示唆を頂ければ幸いです。

[ご意見:46]「本当に恥ずかしいことは・・」from:上田圭 さん

大変関心を持って,記事および投稿された意見・回答を拝見させて頂きました。

 まず,私の価値観としては“捕鯨賛成”です。理由は以下 2 点です・・
  (1) 安い価格で鯨肉を日常的に食べたいから
  (2) 一部の反捕鯨者(特に WASP に代表される一神教の人々)に対して強烈なアンチテーゼを示し,反捕鯨者によって理不尽に奪われた捕鯨の自由を取り戻したいから

 今回の捕鯨問題を見ていて感じたことは,日本は(政府や一般の日本人含む全て)自分の価値観を周りに示すこと,その価値観を守る為に戦略的・建設的に対策を考えることが苦手であるように思えます。
 “クジラを食べたい”と思える価値観と,“クジラを食べさせたくない”と思える価値観と,要はその価値観のぶつかり合いである訳で,どちらが“正しい”か“正しくない”かは言えないはずであるのに,“クジラは高等生物だから”“商業利用は認められない”“絶滅危惧種だから”,あるいはその対抗として“調査サンプルが多い方が精度が増すから”・・・等の見解は全て,論争に勝つためのカモフラージュに過ぎないはずです。

 当然,論争に勝つためには,政府や環境団体はそういった論法でカモフラージュするのでしょうが,これは仕方がないと思えます。
 問題はこういった背景や本質を全く理解しようとせず,外国人の一方的な発言をそのまま受け入れ,あたかも自分の意見と勘違いして納得してしまう“個”のない人々が多すぎるような気がしてならないことです。本当に恥ずかしいことと思えます。(捕鯨とは関連のない話ですが,尖閣諸島問題や竹島問題,靖国参拝問題も根っこは同様であると思えます。)

 また,“日本側から見た捕鯨問題”の“敵”として以下を認識しています。
  (1) 反捕鯨活動を行なうことで金銭的な利益を得る団体
  (2) 反捕鯨キャンペーンを行なうことで支持率向上を目論む政治家や反捕鯨国のマスコミ
  (3) 上記 (1),(2) によって,また基本的な一神教の価値観に沿って“捕鯨=悪”と洗脳されてしまっている反捕鯨の一般人

 (1)(2)(3)毎に,対策を練る必要があると勝手に思っています。特に, (3) に対抗するには日本の個々人の意識をある程度統一すべき必要があるのではないでしょうか。
 反捕鯨国は尤もらしいことを理由に,戦略的狡猾的に“可愛いクジラを食べさせたくない”という極めて単純な感情を満足することに成功しました(昨今その満足度が低下しつつあり駄々をこねている状況です=シーシェパード等)。一方,その中で調査目的等の尤もらしい理由で,僅かばかりの捕鯨を勝ち得たまでは良かったのですが,調査内容の正当性等の矛盾をつかれ,言い訳に苦慮しているように思えます。そのような控えめな活動ではなく,“捕鯨再開”といった大勝利に向けて,日本は以下の様な大体的な戦略を実施して頂きたいと思います。
  “定量的捕鯨を行なうことで実現可能なクジラの餌となる魚の漁獲量確保” ・・(タラが取れなくなり英国は困っています。)
  “牛肉等の安全面で懸念されている食肉の代替としてのクジラ” ・・(日本のみならず韓国でも問題となっているはずです)
  “食料自給率向上に向けた政策の一環としての捕鯨” ・・(他省庁の損益に適っているのではないでしょうか)
 鯨捕鯨戦争に勝利する為には,まずは味方を大勢つけるべきと思います。

[ご意見:46]「本当に恥ずかしいことは・・」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ご意見を有難うございました。捕鯨問題が尽きるところは価値観のぶつかり合いであることは,私も同意見です。
 捕鯨に反対する人たちが勝手にぶつかってきている感もありますが。ここがただひとつの真実しか受け付けず,その真実をほかの人間にも受け入れさせることが使命であると感じる一神教的考え方と,異なる考え方が併存することを気にかけない多神教的考え方の違いでしょう。一神教的考え方では,捕鯨に反対することが善であり,捕鯨は悪,その捕鯨を支持する勢力は敵であるということからすべてが始まります。
 世の中をすべて善と悪,白と黒に分けるという考え方は,実際はそうではないわけですから,必ず破たんが出てくると思います。捕鯨問題にかかわらず,いろいろな問題がこの二元論によって本当の解決方法を見失っているような気がします。

とはいえ捕鯨に反対する議論には,ひとつひとつしっかり答え,対策を立てていく必要があります。

捕鯨の食料自給率回復への貢献という観点ですが,日本の方針は,捕鯨が認められても無制限に捕獲するのではなく,科学的に持続的であると認められる捕獲枠を上限として捕鯨を行うというものですから,短期間に食料自給率の回復につながるものではないと思います。しかし,ご指摘のように,「食料自給率向上に向けた政策の一環」と位置付けることは非常に大切です。
 国連食糧農業機構(FAO)のデュウフ事務局長は,2006 年の演説の中で,「たった 15 種類の植物と 8 種類の動物が世界の食料の 90% を供給している」と述べています。これは極めて「無謀で危険なこと」です。
 さまざまな種類の食料が利用できる仕組み,まさに多神教的なアプローチが,食料安全保障のためには必要であり,世界でもっとも多様な食材に恵まれながら,食料自給率が 40% を下回る日本にとっては本当に重要なことです。価値観の違いで,食べることができないものが増えていくことはこれに真っ向から反するわけです。繰り返しになりますが,捕鯨問題は単なる捕鯨産業の維持や役人のメンツといった問題ではないということです。

[ご意見:45]「はたして一部の人のための調査捕鯨でしょうか?」from:kujirasuki さん

ここでの一連の皆様のご意見を拝聴しておりますと,暴力的な反捕鯨 NGO 団体の根拠のないプロパガンダを応援されるような意見も散見され,一市民として非常に遺憾に思います。

 しかし,そのような暴力や法律を逸脱した行為を続ける反捕鯨 NGO 団体については,最近の事実として,

 (1) 鯨肉の窃盗容疑に対して警察による逮捕

 (2) 南極海での執拗な妨害に対して容疑者を国際指名手配

 など,一連の処置を政府との連携で結果をだされたのは大変な前進と存じます。
 感情に流された暴力や法律からの逸脱行為を,決して許さない対応については,これからも応援したいと思います。

 しかし,一方で彼らの昨今の主張は変化が見られ「一握りの官僚や利権団体のための調査捕鯨」と政治的な喧伝しているようです。
 これについては,森下参事官はいかがお考えでしょうか?
 彼らの誤解をまねくプロパガンダを広く流布されないためにも,お立場,ご意見を捕鯨推進派,反捕鯨派にも説明される必要があると存じます。

 ご多忙の中よろしくご回答いただければ幸いです。

[ご意見:45]「はたして一部の人のための調査捕鯨でしょうか?」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

回答が大幅に遅れ,失礼しました。

捕鯨問題に関するご理解とご支持に感謝いたします。

国際捕鯨委員会(IWC)への対応方針や,その他の捕鯨問題への対応方針は,水産庁が勝手に単独で決めるわけではなく,外務省を含む関係省庁が相談し,正式に決済をとって決められます。
 特に重大な問題については官邸にも説明,相談して決めます。また,自民党や公明党の与党だけではなく,民主党など野党の関係者にも説明し,指示をいただいたうえで対応を決めます。
 IWC の前後には,全国で説明会や報告会を,マスコミにも公開して行います。関係する地方自治体とも意見交換を行います。
 私自身も,ご要望があれば各地におもむいて,講演や意見交換を行ってきています。

日本鯨類研究所の数人の役人 OB や,共同船舶株式会社一社の利益を守るだけだとすれば,果たしてこれだけの関係者が日本の捕鯨政策を支持するでしょうか?
 アメリカやオーストラリアからの反対を受けながら 30 年近くも戦い続けることができたでしょうか?

捕鯨をめぐる対立の根底には原理原則の問題があります。
 国連環境開発会議(地球環境サミット)や様々な国際宣言で支持されている「持続的利用の原則」を,例外なく適用する。クジラや他の特定の動物を,特定の価値観に基づいて,例外視することを認めない,という原則の問題があります。
 また,自分で食べるものや利用するものは,持続的利用の原則を守る限りは自分で決める権利があるという原則でもあります。
 反捕鯨の主張の中に,押し付けや身勝手な感情論を感じる人は多いと思いますが,それはこのような原則が侵されているからでしょう。これが理解されているからこそ,捕鯨政策が支持されてきたと思います。

最近の食の安全をめぐるいろいろな問題のために,役所や企業に対する信用が失われていることは,率直に反省し,是正しなければならないと思っていますが,その時流を使って反捕鯨の主張とすることは,一部関係者だけの問題ではなく,本当に大切な原則を,見失っている,あるいは無視していると考えます。

[ご意見:44]「捕鯨を禁止することは統制国家を招聘することだ」from:abadon さん

乱雑な文をご高覧いただき,感謝いたします。

 政府以下関係者方々の真摯たるご努力に敬服するところです。森下さんのご指摘の IWC の正常化へのプログラムについてですが,わたしは IWC には早々に見切りをつけられるべきと思います。

 IWC の内情は了知してはおりませんが,流布している情報を読み集めますと,IWC は気まぐれな有閑裕福者のおもちゃであって,反捕鯨活動団体の売名と集金源に利用され,かつ日本国民の正当な権利と福利厚生は毀損されていることを顧みない,機能不全に陥ったどうしようもない機関です(日本政府が努力すればするほど反捕鯨団体にはお金が集まる構図。大手反捕鯨団体は競って過激化し信者の篩い分けを行い始め,カルト化への一歩を踏み出しました)。
 そして日本政府は公海資源の持続的利用には各国との協調が必要であるとの立場からがんばっているのが現状でしょう。
 しかしながらモラトリアムから 20 年がたちます。この間得られるものが得られなかったわけですから,相当な経済の損失があり,我が国の文化の摩耗があったわけです(無論捕鯨モラトリアムにより国民に多大なる損失や不利益を生じさせてしまった行政瑕疵も存在)。これらは乱獲問題とは全く無関係ですが,禊ぎとしては永すぎではないでしょうか。
 努力とは裏腹に消耗されていく莫大な税金と遅々としてすすまない捕鯨再開・・・

 政府としては IWC 管轄以外での捕鯨再開に向けたロードマップを作成し,再開に向けた手続きを踏んでいくことを提案いたします。
 ロードマップの簡単な案といたしまして,

1.IWC の正常化にむけたたゆまぬ努力

2.モラトリアム履行義務の解除を主張 or 解除の宣言

3.食料関係世界会議において野生生物資源の持続的利用の確認,採択(地球規模における食料生産能力からのアプローチ)

4.世界人権会議において野生生物資源の持続的利用の確認,採択

5.民間人・団体による沿岸捕鯨再開を求めて抗告訴訟(行政不作為に対する)

 1.において努力を傾注し真摯に取り組みすれども,2.及び 3.において野生生物の持続的利用がスタンダードであって,IWC こそが異常であることを浮きだたせ,4.により国内において沿岸捕鯨を再開せざるを得ない状況を醸成し,以降においてはなし崩しに南極捕鯨への道も開かれるものと期待します。
 特に5.の訴訟は水産庁に対するものであり,現在の沿岸捕鯨停止措置あるいは商業捕鯨停止措置は停止相当の理由がないという問題があり,国民の福利厚生の確保から早急に沿岸捕鯨の再開を行うべきとする司法判断が下されることが期待されますので,再開に向けた大きなステップになろうかと思います。

[ご意見:44]「捕鯨を禁止することは統制国家を招聘することだ」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

IWC が,反捕鯨国における政治家の票集めや,反捕鯨団体の資金集め,購読数や視聴率アップを狙うマスコミの餌食になっていることは否めません。これが政府間の議論を大変難しくしています。

商業捕鯨モラトリアム採択以来 25 年以上,採択に至る経緯を入れると 30 年以上にわたって捕鯨問題への取り組みが行われてきていますが,IWC の機能不全や膠着状態の中で,早く IWC に見切りをつけるべきとのご意見を各方面から沢山いただいています。
 私は,ご提案いただいたロードマップを含めて,今後の捕鯨問題への取り組みについて開かれた場での議論をする時期に来ていると思います。これは,水産庁や,限られた関係者だけが決めていい問題ではありません。いろいろな議論の場が設けられることを望んでいます。

私自身は,IWC と縁を切って日本が独自で捕鯨を再開するだけでは問題は解決しないと考えています。他の漁業資源や生物資源の管理同様,クジラについても将来にわたって持続的利用を確保していくためには国際協力が不可欠です。そのためには,IWC の機能を回復することが現在の優先事項ですが,これが不可能となれば IWC に代替する国際機関が必要です。これについては,すでに持続的利用を支持する国の専門家の間で活発に検討が進んでおり,今年 6 月の IWC サンティアゴ会議の場外でも,公開でシンポジウムが開催されました。

他方,商業捕鯨モラトリアムで困窮している沿岸小型捕鯨地域については,その救済が待ったなしの状況です。気長な交渉の結果を待っているわけにはいきません。
 したがって,現在進行している正常化プログラムでは,我が方にとっては沿岸小型捕鯨の再開確保が最大の目標で,これについて 1,2 年でめどをつけることを目指しています。
 緊急の目的と中長期的な目標をいかにまとめていくかが課題です。いずれにしてもこの 1 年ほどが最も大切な時になります。

[ご意見:43]「第 65 条 海産哺乳動物と日本の捕鯨について」from:水産大国 さん

森下様

 ザトウクジラにおける調査捕鯨の今後についてわかりやすく説明していただき,ありがとうございます。食料が不足し,水産資源が減少傾向にあるとされる中,日本の捕鯨がクジラのみならず,今後の水産資源の持続的利用のモデルとなることを期待しています。
 そこで,質問です。実は国連海洋法 65 条の哺乳類に関してなのですが,

==============================
第 65 条 海産哺乳動物

この部のいかなる規定も,沿岸国又は適当な場合には国際機関が海産哺乳動物の開発についてこの部に定めるよりも厳しく禁止し,制限し又は規制する権利又は権限を制限するものではない。いずれの国も,海産哺乳動物の保存のために協力するものとし,特に,鯨類については,その保存,管理及び研究のために適当な国際機関を通じて活動する。
==============================

 と記されていますが,「特に,鯨類については,その保存,管理及び研究のために適当な国際機関を通じて活動する。」と書かれているように,この国連海洋法に日本が加盟しているならば,現在日本で行われている沿岸小型鯨類の捕鯨も「反捕鯨勢力から違法だという批判にさらされ,それに対する法的反論が難し」くなるのではないのでしょうか?
 これについて森下 様はどのような回答をいたしますか?

 また,IWC を脱退してノルウェー,アイスランドなど,日本の捕鯨を支持している国も少なくないことから,これらの国々で新たなる IWC に変わる国際機関を設立してはどうかと思うのですが,IWC に加盟し続けて反捕鯨国をはじめとする各国からの支持が得られるまで粘り強く交渉などの努力を続けるほうが,商業捕鯨再開への道として“近道”になるのでしょうか?

 ご回答をお願いします。

[ご意見:43]「第 65 条 海産哺乳動物と日本の捕鯨について」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

国連海洋法条約 第 65 条の国際機関を通じての協力や活動は,鯨類が各国の排他的経済水域や公海をまたがって回遊する高度回遊性生物であることを背景にしています。
 ミンククジラやナガスクジラなどの大型鯨類は,赤道付近から両極付近の海域を,いろいろな国の排他的経済水域を通りながら毎年南北に回遊しますので,その管理を行うためには当然関係する国が国際機関を通じて情報交換をし,協力する必要があるわけです。
 他方,多くの小型鯨類はその回遊範囲が格段に限られており,中には特定の湾内や狭い海域に“定住”している例も見られます。このような場合には,生息域を持つ沿岸国が責任を持って管理することが基本となります。
 もちろん国際協力も行われており,国際捕鯨委員会の科学委員会には小型鯨類を扱う分科会があります。国際捕鯨委員会に,科学的協力だけではなく,分布が限定される小型鯨類を管理する権限があるかどうかは意見が分かれていますが,日本は国際捕鯨委員会には管理の権限はないという立場をとってきています。

IWC に代わる国際機関を設立するという考え方は以前からあり,特にここ数年はこれを本気で検討する機運が高まってきています。
 今年の IWC サンチャゴ会議では,鯨類の持続的利用を支持する様々な国の専門家が集まって考えた新たな国際機関のアイディアについて意見交換を行うイベントが IWC の場外で行われました。このイベントは,豪州人で元ワシントン条約(CITES)動物委員会議長のジェンキンス氏が議長を務め,プレスにも公開されました。新たな国際機関の目的や基本的な仕組みについての文書も作られ配布されています。
 専門家たちの立場は,現在 IWC がその危機を救うために行っている正常化の作業は支持しながら,それが失敗した場合には新たな国際機関をすぐに設置できるように検討を進めるというもので,“セーフティーネット”構想と呼ばれています。これが必要となるか,成功するかは今の段階では分かりませんが,この構想では,鯨類の利用と保護の双方のバランスを達成することを基本的考え方としています。来年(2009年)の IWC マデイラ会議までには,さらに詳細な“セーフティネット”構想の内容が出てくるはずです。

[ご意見:42]「韓国の鯨肉店について」from:ぽぽろ さん

韓国には鯨肉レストランがたくさんあります。そこで質問です。

 1. 日本の鯨肉が流通過程で流れる余地はあるのでしょうか?

 2. 韓国は密漁しているのでしょうか?また,密漁しているとしたら,取り締まるべきではありませんか?

[ご意見:42]「韓国の鯨肉店について」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

韓国では定置網漁業などに紛れ込んだクジラを利用することを認めており,届け出を行えば販売することができます。
 密猟が摘発される例もあり韓国当局も取締りを行っていますが,大部分の鯨肉はこのようにして混獲されたクジラです。混獲されるクジラの数は年によって異なりますが,100 頭近い年もあるようです。

日本でも,毎年 100 頭以上のクジラが定置網に迷い込みますが,密猟を防止するために DNA の分析と登録をした上で利用を許可しています。これらの混獲に関する統計は国際捕鯨委員会にも提出されており,公の情報になっています。

なお,日本からの鯨肉の輸出は認めていません。

[ご意見:41]「Non-Use ではなくモラトリアムでしょう?」from:大西純恵 さん

まず,国が予算を取って捕鯨することには絶対反対です。なぜなら,鯨肉は私達の食文化には当てはまらないからです。これはお正月やお盆に食べるような文化的な食材でしたか?いえいえ,全くそうではありません。

 大体,官僚の考えることは無駄ばかりで,国民の生活に根ざした国民の幸福のための予算は殆どありません。鯨類研究所のような財団法人,天下り団体も廃止すべきです。愚の骨頂です。

 この人の話も無理やりこじつけで自分の仕事を正当化したいだけでしょう。理念など言うものではなく生態系保護の観念も持ち合わせていないようで,これでは水産庁の名が泣きます。企業的価値があるのなら企業がやればいいのです。税金を無駄に使わないでもらいたものです。

[ご意見:41]「Non-Use ではなくモラトリアムでしょう?」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

鯨類捕獲調査の予算の約 9 割は,調査分析後の鯨体を販売した売上金で運営されており,国の予算で丸抱えをしているとの印象をお持ちでしたらそれは誤りです。また,調査後の鯨体の販売は,国際捕鯨取締条約 第 8 条第 2 項に従った処理です。

また,日本には鯨肉料理を正月や祭りの際に食べる地域がたくさんあります。東京などの大都市に住んでいると鯨肉を食べることを文化ととらえることは難しいかもしれませんが,和歌山県太地の例を挙げるまでもなく,鯨肉料理が文化的に大きな役割を果たしている地域の習慣は様々な出版物にも明らかです。また,九州などでは東京に比べ,1 人当たりの鯨肉消費量が約 10 倍であったことを示す統計もあります。

政府のことを信用していただけないのは昨今の様々な不祥事からすれば仕方のないことかも知れませんが,我々としては捕鯨問題は生物資源の保護と持続的利用のバランスの問題を象徴する重要な問題と捉えており,しっかりした理念に基づく一貫した対応を心掛けているつもりです。

[ご意見:40]「賛成いたします。」from:田島泰明 さん

捕鯨支持国と,反捕鯨国との大まかな主張をこちらで読ませて頂きまして,どちらが冷静的かつ論理的で,どちらが感情的であるのか,一目瞭然であると感じました。

 環境や自然という概念が,まだまだ大多数の人類にとって現実味の無い事象であるということ,それよりも経済や国家的な権力の綱引きを優先させてしまう,ということが浮き彫りになる問題だと思います。
 
 日本の主張の中にも経済や国家間の綱引きという側面は存在していますが(というよりも独立国としての,当然の有り様でいたいという姿勢だけなのですが),“自然を保護するため”という主張の反捕鯨国よりも,日本の主張の方が環境や自然に対して畏敬の念や感謝の念を感じるのは,同じ国民としてのひいき目ではなくて,それ相応の理由,意思を素直に受け取れるからであると思います。

 今後の日本を考える上で,長いスパンで捉える上で,非常に重要な問題だと思います。

 私は捕鯨協会,そして日本の立場を支持します。

[ご意見:40]「賛成いたします。」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ご支持いただき,有難うございます。

ご指摘の通り,捕鯨問題においては国家間の政治問題が絡み,単純に捕鯨と資源の持続性の問題で割り切れないところがあり,これが問題の解決を一層困難にしています。しかし,これは裏を返して前向きにとらえると,関係各国にこの問題を解決するというしっかりとした政治的意思が生まれれば,解決できるということだと思います。

現在 IWC がその生き残りをかけて取り組み始めた正常化の努力の中で,このような政治的意思が徐々に育まれてきているような印象もあります。

いずれにしても,この1年ほどが IWC の将来を決する時期になりますので,引き続きのご支持とご支援をお願いします。

[ご意見:39]「現状で本当に調査捕鯨か」from:鯨にやさしい人 さん

調査捕鯨にしては捕獲漁が多すぎる。クジラを研究するのには,ほんの数頭でも研究できると思う。

 また,現に食品として流通している。調査捕鯨なら食品として流通する事態おかしい。

[ご意見:39]「現状で本当に調査捕鯨か」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

調査捕鯨の捕獲サンプル数については,東京都の人口の平均体重を調査によって推定する場合を考えてみてください。はたして数人の東京都民の体重を測れば一千万人を超える都民の正しい平均体重が得られるでしょうか?100人の体重が測れればどうでしょうか。1,000人ではどうでしょうか。サンプル数が増えれば増えるほど推定の精度が高まることはわかっていただけると思います。
 ただし,調査捕鯨ではたくさんサンプルを捕獲すればするほど良いといったことは,考えていません。また,サンプルが多くても,すべて幼稚園児であれば正しい平均体重にはならないこともご理解いただけると思います。

国際捕鯨委員会(IWC)の科学委員会では,科学分析に当たり求められる推定精度の目安があります。
 調査捕鯨では平均体重を求めるのではなく,クジラの形態学的なデータや,食性生態に関するデータなど様々なデータを集めて分析していますが,原理は東京都民の平均体重推定と同様で,必要な精度が指定されれば,それを得るためのサンプル数が統計学的に算出できます。また,幼稚園児ばかりの体重を測定する例のようにならないために,無作為抽出によりサンプルの捕獲を行います。

調査捕鯨のサンプル数は決していい加減に決められているのではなく,このような科学的な方法に基づき決めています。具体的なサンプル数の算出方法については,専門的にはなりますが,調査計画の中に記述されています(算出方法に関する参考ページは,こちらをクリックしてください。PDFファイルが開きます)。

調査を終えた鯨肉の流通については,実は国際捕鯨取締条約で求められた義務になっています。もし,無駄に捨てれば国際法違反です。これは,国際捕鯨取締条約第8条第2項に規定されており,調査が終わった鯨体を無駄にしてはいけないという考え方から決められたことです。「もったいない」の精神です。

[ご意見:38]「先住民族,発展途上国のために」from:牛尾 さん

持続的利用,結構な話です。ぜひ自分の家で持続可能な利用を科学的に行ってください。ただし間違っても公共の場でそれを行おうとは思わないで下さい。
 公共の場は共有財産であり,いくら庭に柿の実がなっていようと,それを勝手に利用する事は出来ません。観賞用でそれを楽しんでいる人もいるのです。そのままにして鳥が来るのを楽しみにしている人もいるのです。柿の実だってさまざまな利用の仕方があり,利用したくない人もいます。
 世界の人は南氷洋のクジラを利用しないとするのが過半数なんですから,いくら「減るもんじゃなし」と言っても利用できないのですよ。我慢すべきです。
 先住民の事やオーストラリアのカンガルーの事など挙げていましたが,すべて自分の家の事です。日本の南氷洋捕鯨とは比較になりません。
 どうしてもクジラが獲りたいのならば自分の庭で獲れるように資源調査も含めて国際世論に訴えるべきです。南氷洋を手放さないから,そうした論議も前に進まないのでしょう。自業自得です。

 先住民の捕鯨と商業捕鯨の区別も付かないようでは先住民が泣きます。商業捕鯨は,特に明治以降,巨大な資本と国家がバックに付いたでしょう。資本は資本を増やすためだけに存在しているのだから,クジラもそれに従事する人も,その捕鯨文化もすべて資本を増やすための道具に変えます。つまり儲かればクジラの事などどうでもよく,次から次へと漁場を変え,絶滅に追いやった張本人が資本なのです。そんな大資本による南氷洋捕鯨を再開させたら,またクジラを絶滅させるでしょう。
 持続可能な科学的調査にもとづいた捕獲規制がなされるならば,資本は撤退するかもしれません。先住民捕鯨とは根本的に違うんです。大資本による商業捕鯨は。
 今の日本沿岸での捕鯨は個人資本による捕鯨が主らしいので,商業捕鯨といっても大量にクジラが乱獲される恐れは低く,資源管理できるかもしれませんが,儲からない大資本による南氷洋捕鯨は現実味がないと思います。

 それぞれの国が食料をどうするか考える事は大事ですが,自分の国内でいかに自給率を上げるかが大事であり,それを援助する側も,それを邪魔する事がないようにする事が大事だと思います。先住民族や発展途上国の食料を,日本や先進国が様々な思惑で取り上げたり,大資本の投機で値を吊り上げたりして奪う事のないようにしなければなりません。

[ご意見:38]「先住民族,発展途上国のために」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

資本を増やすためだけの,過去の乱獲を招いたような捕鯨には私も反対です。
 生物資源の利用は,クジラに限らず,資本の原理ではなく,科学的な根拠を基礎にした資源管理による持続的なものであるべきです。もし,南氷洋での商業捕鯨が大資本にとって経済的に採算の合わないものであるのならば,仮に国際捕鯨委員会が南氷洋での管理された捕鯨を認めても,大資本による捕鯨がおこなわれないかもしれません。それはそれで仕方ないことです。

資源があればそれを必ず利用しなければならないわけではありませんが,それと,持続的に利用可能な資源があるのにその利用を全面否定することは別の問題です。我々は前者を主張しているのではなく,後者に反対しているのです。
 私自身は,大資本に南氷洋で捕鯨をさせるために困難な交渉をしているわけではなく,理不尽な理由で資源の利用が否定されることはあってはならないという気持ちから捕鯨問題に取り組んでいます。
 捕鯨問題は,資源利用に関する象徴的なテストケースだと考えています。ここで非合理的な議論が通れば,資源の利用と管理全体に悪しき前例となります。

先住民と商業捕鯨の問題ですが,昨年のIWCアンカレッジ会合では日本の沿岸捕鯨地域への捕獲枠要求が,日本では鯨肉が沿岸地域の住民に販売され,商業性があるので認められないとして否決されました。その会合が開催されたアンカレッジのホテルのロビーの土産物店では,アラスカ先住民がホッキョククジラのヒゲから作った小さなかごが,ひとつ何十万円という値段で売られていました。これには商業性はないというのは,理屈にならない理屈です。
 かつて日本の沿岸小型捕鯨地域の捕鯨を世界の多くの文化人類学者に研究してもらい,30編を超える論文を出してもらいました。その結論は日本の沿岸小型捕鯨と先住民捕鯨は明確に区別できないというものでした。それでも日本の提案が否決されることが捕鯨問題の本質であり,このようなことがまかり通るべきではないと強く思っています。

人類の共有財産を独り占めすべきではないという点も,賛成です。その利用から得られる利益があれば,何らかの方法で配分されるべきでしょう。さまざまな利用方法が共存することも可能だと思います。南氷洋での捕鯨問題は,すべて取り尽くすか,全く手をつけないかの極端な二元論ではないはずです。この問題については,もっと議論があっていいと思っています。

[ご意見:37]「捕鯨国日本の立場」from:神田博司 さん

森下丈二 参事官,反捕鯨国相手の交渉ご苦労様です。
 私思うに,捕鯨に対して,日本国政府及び日本国民,水産庁 捕鯨班の考え・取組みは,一本筋が通っているのでしょうか。

 私の世代は,学校給食でも日常家庭食でも,高値であった牛肉・豚肉の代用として鯨肉にお世話になってきました。現在,BSE問題のある牛肉に変わるものとしての価値,クジラを無駄なく全て利用できる日本文化の特徴を考えてみても,資源管理を充分踏まえての捕鯨は賛成であります。

 文頭に挙げた日本国政府とは時の政権を担っている人全てを指します。どうも八方美人的対応はいかがなものかと思いますが,最前線で交渉に当たっておられる参事官として,その辺はどうお考えでしょうか。

 私は,あなた方の本交渉に当たっておられる努力,誠意は充分に理解しております。40数年前から,あなた方の誠意・努力を知るひとりとして応援しています。また,私に出来ることがあれば,お教え願いたい。

[ご意見:37]「捕鯨国日本の立場」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

心強い応援のお言葉をありがとうございます。

捕鯨に限らず全ての外交交渉がそうですが,交渉相手は外国だけではなく,国内もそうです。国内での意見の集約と一本化を図ることは非常に大事で,ときには対外国交渉よりも大変な仕事です。
 また,八方美人的な対応は,短期的には衝突や外圧を緩和することもありますが,長期的にはむしろその国の信用や交渉力を損ねることになるというのが私の経験です。今まで25年以上にわたり様々な漁業交渉にかかわってきましたが,楽な道を選んで筋を曲げると後で苦労するのが常です。

今後とも捕鯨問題への対応にご意見・ご批判をお寄せください。それが我々交渉担当者にとって大きな支えと指針になります。

[ご意見:36]「恥ずかしい」from:一般人 さん

日本は捕鯨するのに言い訳をし,正当化していますね。
 私には,どこかの地域に行ってゾウを殺して持ち帰り,食べている様に見えます。

 魚とクジラは全く別では?
 もっとグローバルに見ないと他国から,日本は北朝鮮の様に思われているのだろうなーと,恥ずかしく思います。
 偉い方は,シガラミで本音を言えないし,決断できる人は居ないでしょうから,早くクジラを天然記念物に指定するなり,何か取れないキマリが出来ることを祈っています。

[ご意見:36]「恥ずかしい」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

クジラを魚と同じように捉えずに,ゾウを例に出されていることから,全てのクジラが絶滅に瀕しているとお考えではないでしょうか。天然記念物に言及されていることからも,そのように思えます。

これは捕鯨に反対する人に一番多い誤解で,この点が正されるだけでも捕鯨問題はかなり緩和されると思っています。
 国際捕鯨委員会(IWC)のホームページでも明確にしているように,すべてのクジラが絶滅に瀕しているわけではありません。むしろ,多くのクジラは,制限されたレベルの捕獲を持続的に行える資源量を有しています。また,捕鯨を監視し,違反や乱獲を防止するシステムもすでに開発されています。
 資源が豊富なクジラを,乱獲することなく捕獲できるとすれば,捕鯨に反対する理由は一体何でしょう?

クジラが特別な動物だからでしょうか。それなら他の動物は特別ではないのでしょうか。誰が特別な動物を決めるのでしょうか。どの動物が特別かについて意見が合わなければ,どうするのでしょうか。インドの人は牛を特別で神聖な動物と見ていますが,世界はこれを受け入れて牛肉を食べることはやめるべきでしょうか。

それとも米国や西欧諸国が捕鯨に反対しているから,「恥ずかしい」のでしょうか。他の国が反対しているから「恥ずかしい」と思うとすれば,なぜですか。

制限され管理された捕鯨を認める国は世界中にたくさんあります。決して日本は孤立しているわけではないし,上記のような疑問を真剣に議論すると,たいていの人は捕鯨も一方的に否定されるべきではないことを分かってくれます。

それでも納得できない場合は,ぜひまたご意見とその理由をお知らせください。

[ご意見:35]「ですよね。」from:藤田 さん

とても納得がいきました。やはり心情的な理由でクジラは捕獲してはいけないという意見は,子供が駄々をこねているだけになってしまいますよね。
 人間が生態系に介入していく際には客観性が大切で,クジラがかわいそう,といった心情など入れてられないわけで。どんな生物にしても,捕獲全面禁止という考え方ではなく,実情を科学的に把握し続け,妥当な捕獲数を見出していく,これだけのことでしょう。結局。
 すなわち今の捕獲許容量の妥当性に関する生産的な議論こそ大切で,捕獲を禁ずるか否かなど,子供のけんかでどうしようもないこと。

[ご意見:35]「ですよね。」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ご理解いただき有難うございます。

ご指摘の通り,心情論を入れずに冷静で建設的な議論を行うことが問題解決のカギになります。
 今年のIWCサンティアゴ会議では,まさにこれを目指す「IWCの将来」というホガース議長(米国)のプロジェクトが動き出しましたが,捕鯨問題を感情的,煽情的にすることで利益を得ている一部の反捕鯨国の政治家や反捕鯨団体からは,不満の声が聞かれています。オーストラリアの新聞はギャレット環境大臣が日本の戦略にまんまとはまってIWCは失敗だったという評価をしています。
 こういう心情的な土台はなかなかなくならないのが現実で,そうであるからこそ捕鯨問題については大胆かつ粘り強い交渉が求められると思っています。

[ご意見:34]「捕鯨再開への道に関して質問です」from:慶太 さん

つい最近まで,オーストラリアにいました。彼らの日本に対する動きを目の当たりにして,危機感を感じました。しかし,僕も森下さんがおっしゃるように捕鯨再開に賛成です。海洋資源に優しい捕鯨を続けていくのは日本の漁業にも,自然愛護の面でもいいことだと思います。でも,捕鯨再開への道にはたくさんの問題があり,それは厳しいと思います。その点に関していくつかお答えいただきたいです。

 まずはじめに,捕鯨ができないことによる日本漁業への影響を教えてください。このまま捕鯨再開が延期させると漁業に深刻な影響が出ると聞いたのですが,それは本当ですか?具体的な数字などがあったら教えてください。ちなみにその影響は将来食卓にまで表れますか?たとえば魚の値段が上がるとか。

 捕鯨再開の世界的メリットってありますか?日本にはいろいろとメリットがあると思うのですが,世界的にはどうなのでしょうか?

 日本の若者は捕鯨問題や捕鯨文化に対して関心が薄いと思うのですが,この点に関して,いかがお考えですか?なにか具体的な対策や,若者もかかわっていける活動はありますか?

[ご意見:34]「捕鯨再開への道に関して質問です」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

捕鯨に反対する国での経験は非常に貴重ですね。私にも経験がありますが,日本にいる時とは異なる気持ちで真剣に考える機会になったと思います。

捕鯨ができないことによる日本漁業への影響ですが,それを知るためにも北西太平洋での鯨類捕獲調査(調査捕鯨)を行っています。ご指摘のように,こういう議論は推測だけではなく,具体的なデータが必要ですから。
 ひとつ言えることは,食料の値段一般が世界中で高騰する中で,食料自給率が39パーセントしかない日本としては,少しでも自力で食糧を生産できる手段を持っておくべきで,鯨肉ですべての動物タンパクを補うとは言いませんが,感情的に捕鯨や他の野生動物の利用を禁止してしまうことは許してはならないと思います。
 ちなみに日本の沿岸で捕鯨を持続的に行えば,環境負荷(あるいは環境フットプリント)は外国から牛肉を輸入する場合の10分の1ほどではないかと言われています。

捕鯨再開の世界的メリットですが,まず原則の問題として,感情論や特定の国や非政府組織(NGO)の価値観で,クジラやそのほかの野生動物の利用が否定される事態を阻止するという意味は大きいと思います。IWCに参加して持続的捕鯨を支持してくれる多くの国(ノルウェー,アイスランド,ロシアといった捕鯨国はもちろん,捕鯨はしていない中国,韓国,そして野生生物を含む自然資源の利用に依存する多くの開発途上国)は,まさにこの原則のために戦っていますし,IWCを持続的利用原則の例外のない適用に関する問題の象徴と見ています。
 IWCでは反捕鯨国対捕鯨支持国という色分けがよく言われますが,原則に注目する関係者は,(自然資源の)利用否定派(Non-Use)と適切な利用支持派(Wise-Use)の対立と捉えています。

日本の若者にこの問題の大切さをわかってもらうことが重要であることはよく認識しています。そのために,若者向けの情報発信を強化しようと,学校への出張授業,大学での討論会,ホームページの充実などを行ってきましたが,正直なところまだまだ不十分です。予算の制限もありますが,若いオピニオン・リーダーの育成や,公開討論の場の増加を進めていくべきだと思います。
 この「鯨論・闘論」もそのためのささやかな試みのつもりです。いいアイディアをお持ちでしたら,ぜひ,お寄せください。また,議論の機会を設けていただければ,時間の許す限り頑張って参加させていただきます。

[ご意見:33]「質問です。」from:金子 さん

私は20代のいわば若者でクジラについても無知です。そこで質問です。

 捕鯨をやめると問題はありますか?国際的に,日本として。
 クジラが他の魚を多く食べてしまうということは聞いておりますが,海の生態系の頂点に立つクジラを減らすことで,生態系のバランスが崩れてしまうのではないでしょうか?

 調査捕鯨という名目ですが,調査の最終目的はなにですか?いつ終わるものですか?誰が何を知りたいのですか?

 私はあくまでも反対派でも賛成派でもありません。

[ご意見:33]「質問です。」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

私自身の人事異動や一カ月にわたるIWCサンチャゴ会議で回答が大変遅れ,失礼しました。

捕鯨をやめると問題はあるかというご質問は,多くの方が感じている疑問だと思います。止めても大きな問題はなさそうなのに,なぜ欧米諸国に反対され,反捕鯨団体の過激な攻撃にさらされながらも調査捕鯨を続け,持続的捕鯨の推進に努めるのか,という質問に言い換えることができるかもしれません。

私自身の個人的な気持ちからいえば,反捕鯨運動という知れば知るほど理不尽で身勝手な運動に,捕鯨をやめても国民全体に大きな影響はないからと言う理由で,簡単に屈したくないという思いがあります。ナイーブだと言われるかもしれません。世の中はどうせ理不尽なことばかりなんだから,大きな労力をかけて頑張るよりは,あきらめた方がいいという意見もあります。
 反捕鯨運動との戦いは,IWCで商業捕鯨モラトリアムが採択された1982年以前から25年以上も続いています。25年以上もの厳しい戦いが,少数の個人的思惑や,一部の反捕鯨団体が主張するような数人の役人の天下り先確保のためだけに支えられてきたのでしょうか。理不尽な要求に屈してほしくないとの,みなさんの思いがあってこそではないでしょうか。
 実際に,捕鯨を支持してくださる方からは,「自分は特にクジラを食べたいと思っていないが,反捕鯨運動は身勝手だ,けしからん,負けずに頑張れ。」というお励ましをよくいただきます。もちろん,「おいしいクジラがまた食べられるように頑張ってください。」というお励ましもいただきますが,前者のご意見が,捕鯨問題の特徴のひとつを象徴しているのではないかと思います。
 損得勘定だけで態度を決めるのではなく,場合によっては国際的な反発も受け入れて,理不尽なことにはしっかり理不尽だと意見を言うべきだという考え方です。少なくとも私にとっては,その気持ちが捕鯨問題にかかわる原動力です。

捕鯨をやめると,古来,捕鯨に依存してきた和歌山県・太地町などの地方経済,クジラ製品の加工や販売にかかわってきた食品産業関係者,調査捕鯨の関係者に大きな社会・経済・文化的な影響が出ます。しかし,反捕鯨団体は,これによる失業者の数は経済全体からすれば微々たるもので,再就職や補償で手当てすればいいと主張します。捕鯨をやめるべき正当な理由,例えば鯨類資源の枯渇などがあればそうかもしれませんが,豊富で持続的に利用可能な鯨類資源が存在するという事実からすれば,この主張は捕鯨を続けたいと考える方たちの人権を無視するものです。

反捕鯨運動の主張を受け入れるということは,端的にいえば,「カンガルーやシカは捕獲して食べてもいいが,クジラは特別な生き物とみなされているので,捕獲してはいけない。」という考え方を受け入れることです。「クジラは特別な生き物なので,どんなにたくさんいようが,どんなに厳格に捕鯨活動を規制しようが,そもそも倫理的に受け入れられない。」という考え方を受け入れることです。「(アメリカ国民である)アラスカの先住民が捕鯨をすることはいいが,同様に長い捕鯨の歴史を持ち捕鯨に社会・経済・文化的に依存している日本の沿岸小型捕鯨地域の住民が捕鯨をすることは受け入れない。」という考え方を受け入れることです。声が大きい,国際的に強大な政治力を持った非政府機関(NGO)が,この動物は特別だから食べるなと言ったらこれに従うということです(これは想像や絵空事ではなく,すでにアフリカなどで起こっている事実です)。

それでも大きな問題がないといえるでしょうか?捕鯨をやめていいと思いますか?そうは思わない人がたくさんいるからこそ,反捕鯨運動への戦いがここまで続いているのだと思います。

「クジラが大量の魚を食べるから,漁業と競合しているから捕獲すべきだ」という考え方は,しばしば誤って伝えられるか,意図的に誤って伝え,捕鯨支持の主張がおかしいという理由に使われています。
 例えば,漁業との競合の「可能性」については,我々は世界中の海洋で生じているとは言ったことはなく,むしろいくつかのホット・スポットで重要な問題である可能性があると考えています。
 もちろん漁業者の乱獲による漁業資源への影響は否定できない事実であり,漁業資源悪化の責任をクジラに押し付ける意図は毛頭ありません。いくつかの海域では,クジラによる捕食が大きく,漁業管理においてはその影響を勘案しなければならないと言っているのです。
 しかし,反捕鯨団体は,例えば南氷洋では大きな漁業活動は行われておらず,クジラは豊富なオキアミだけを食べているので競合はない,従って日本の主張は「すべて」間違っていると主張します。これでは,サハラ砂漠では雨が降ることはないので,東京で雨の可能性を主張するのは間違っているというのと同じです。

また,生態系の頂点に立つクジラを減らすことによる生態系バランスへの影響ですが,まず,我々はクジラを捕り尽くすことを考えているわけではないことを明確にしたいと思います。
 いかなる理由であれ,クジラを捕獲する場合には,生態系全体への影響を見据えて,厳格な捕獲制限のもとで捕獲を行うべきです。未来の捕鯨には自由な捕鯨はあり得ません。
 それでも,極めて少数の捕獲でも生態系に何が起こるか分からないからやめろとの主張もあります。もしこの主張を受け入れるならば,クジラと同様の海洋生態系の頂点に立つマグロの捕獲もやめるべきでしょう。オーストラリアの陸上生態系の頂点にあるカンガルーの間引きもやめるべきでしょう。生態系への影響を言う意味では,その頂点に立つ生物の減少よりも,その底辺に近い生物の減少の方が重大な影響を生む可能性があります。そうであれば,カタクチイワシも捕るべきではないということになります。
 人間はその活動を通じて,否が応でも生態系に何らかの影響を及ぼします。人間が存在する以上,これは避けられないことであり,生態系に悪影響を与えると思われる活動を次々に禁止していくのではなく,むしろ責任を持って生態系とかかわっていくことが必要であると思います。
 もちろんその関わりにおいては予防的アプローチといわれる慎重な対応も必要です。しかし,それは決して勝手な基準による,禁止のための禁止ではないはずです。

調査捕鯨(正式には鯨類捕獲調査といいます)は,1982年の商業捕鯨モラトリアムの採択理由が,「鯨類資源について十分科学的な知見がなく,不確実性があるので,一時捕鯨を中断して遅くとも1990年までに包括的な資源評価をする」ことであったために開始されました。
 商業捕鯨モラトリアムは,十分な科学的知見を集積し,科学的不確実性を解決するために導入されたのです。この問題が解決されれば,乱獲のない持続的な捕鯨が可能となることが前提でした。
 当時の南氷洋でのミンククジラの資源評価における最大の科学的問題は,ミンククジラの自然死亡率を推定することで,初期の南氷洋鯨類捕獲調査はこの自然死亡率の解明が目的でした。ところが,データが収集され分析が進むにつれて,反捕鯨国の科学者は次々に新たな課題を突き付け,データの問題点を指摘し,不確実性の解決を許しませんでした。これに対応して,新たに提示された科学的な問題にこたえるために捕獲調査に新たな目的を加え,さらにデータ収集を行うのが,今までの捕獲調査の歴史と言えます。

理想的には,集められたデータに基づき乱獲のない捕鯨が認められることで,少なくとも当初の捕獲調査の目的が達成されたということになりますが,反捕鯨運動は,すでに科学の問題ではなく,いかなる条件のもとでも捕鯨は認めないという主張を行っているため,反捕鯨運動側にとっては,鯨類捕獲調査は,問題解決の手段ではなく,その存在そのものが問題となっているわけです。これを理解いただければ,どうして捕獲調査が攻撃されるかが理解いただけるかと思います。

捕獲調査のさらに詳細な成果や,疑問に対する回答は日本鯨類研究所のホームページに掲載されていますので,ぜひご覧になってください。また,ホームページの内容に関するご意見やご提案もお願いします。

財団法人 日本鯨類研究所 ホームページ FAQ ページは,こちらをクリック

「調査研究活動:鯨類の調査(JARPA):得られた成果」(財団法人 日本鯨類研究所 HP のコンテンツ)は,こちらをクリック

[ご意見:32]「科学的な調査捕鯨について」from:平賀教雄 さん

調査捕鯨における科学的調査の成果について
  2008年3月17日

 森下さん,私は森下さんを尊敬しています。森下さんの肩には先輩たちの現在(の収入)と,後輩たちの将来がかかっているのです。それでもなおかつ敢えて公衆の前に自分をさらし,論戦に立ち向かう官僚など,いまだかつて寡聞にして聞いたことがありません。それでもなおかつ以下のことをしたためます。

 この1月に南氷洋においてシーシェパードの“狼藉”事件があったとき,福田首相はいつものように他人事のような言い方で「科学的調査なんでしょ」と,記者団の前で発言をしましたが,事実を良く知らされていたのなら,あのような発言にはならなかったのではないでしょうか?
 あまたの外国による様々な反論と反対を押し切って,直接の国費(税金)を累積100億円規模(他の政府系団体から流れる資金も入れれば遥かにこれを超える金額になると思いますけれど),鯨肉の売上も勘定に入れるならば,1,000億円の規模の費用を費消。その上で,合計6,779頭のミンククジラの犠牲を伴った,2005年までの足掛け18年間に渡った第一次の調査捕鯨の「科学的調査」の結果を,ニュージーランドやオーストラリアの首相の前で,あるいは他の先進国の首脳の前で誇らしく自慢をすることが,(アジア随一のノーベル賞受賞者を生んだ)科学先進国による業績として十分に得心させることが,首相には出来るのでしょうか?

 ついでながら,シーシェパードの狼藉は,国際法的な問題は別にしても,私にとっては迷惑極まりない。調査捕鯨は,国際問題というよりは優れて国内問題だとの私の認識からすれば,問題を違った方向,国際間摩擦と偏狭なナショナリズムの火をあおる方向に向かわせ,問題の本質を見失わせる。
 捕鯨への国家援助は,道路特定財源などと比較すると,遥かに,遥かに小さい。だから予算委員会で審議されることなどありえない。したがって捕鯨が国策としてふさわしいかどうかなど,国民の代表の間で議論がされないままに,国策として推進されてしまった。慣例,慣性,先例主義がまかり通ってしまった。

 JARPAについて振り返ってみましょう。

 JARPAの第1の目的は「資源管理に必要な自然死亡係数を始めとする生物学的特性値の推定」,第2の目的は「南極海生態系における鯨類の役割の解明」,だったそうです。このふたつの目的が達成されたかどうか,何処を見れば明らかなのか,財団法人 日本鯨類研究所の人たちにつまびらかにするように要請してもらえないでしょうか?
 JARPAに関する日本鯨類研究所による得られた成果のページ(http://www.icrwhale.org/03-A-a-08.htm)は,今現在(※編集室 注:平賀教雄さんが投稿された時点)写真以外は空っぽなのです。すなわち,1997年までに足掛け11年にわたった活動の成果は,この写真1枚ということ。1997年までは成果はゼロであったということを示しています。納税者を愚弄するにもほどがあると思われませんか?正直さを評価はしますが,他の場面での言い分とは随分と異なっています。

 JARPA IIの計画書には,JARPAの成果が,第6ページにふたつの段落で記されています。足掛け18年にわたった活動の成果は,この程度だったのですね。しかも,これには異論があります。
 第一次の調査捕鯨(JARPA)の最大の狙いは,そしてIWCの科学委員会の他のメンバーがその価値に賛同できなかったものは,ミンククジラの平均自然死亡率と年齢別死亡率の推定にあったとされます。その結果はといえば,年齢別死亡率は調査開始5年の後にはあきらめられ,18年間を費やして得られた平均自然死亡率は,その信頼性区間が広すぎて下の端ではミンククジラは不死であることを否定し得ない数値が得られ,上の端では0.1という高い死亡率になってしまう。科学委員会としては,「事実上自然死亡率は分からない」と結論付けざるを得なかったわけです。貴重な税金を使い,6,779頭のクジラ命の犠牲の結果がこれなのです。
 このように低い精度の死亡率推定しか得られないであろう事は,第一次の調査捕鯨計画書のレビュー段階から指摘されていたことだそうです。主張されている「統計的手法を使った科学的調査」とはこんなものなのでしょう。問題なのは日本側の研究者からの弁解はあるのですが,統計的手法を適用することにおける前提の認識,クジラの生態の認識に不足であった点に関して,なんらの反省も無いことです。そして,ここから学ぶべき点をおさらいした後に,第二次調査(JARPA II)の目的が決定されているようには見受けられないことです。そのことが記された文書があるのであれば教えていただければ幸いです。
 致死的調査の第2の「成果」には,バイオロジカル・パラメーターというのがあります。身長,体重,胴回り,性成熟年齢,身体的成熟年齢などを調査するものです。胎児の数なども入っています。これらは調査捕鯨がはじまる前の傾向と特段の変化が無かったことが,データの上で示されています。科学委員会による評価も「目立った変化は見られなかった」というものでした。「変化が無かった」こともひとつの発見といえばそうなのですけれど,調査捕鯨以前の傾向はフラット(変化無し)になっていることを示していましたから,わざわざ調べる必要性が何処にあったのか(IWCの参加国の大半が理解できるように)明快に説明をする必要が有るでしょう。
 福田首相は,これらのことも「科学的調査」の成果として,ニュージーランドやオーストラリアの首相,その他の先進国の首脳たちに(求められれば)説明をするのです。外交の場面では,それぞれが「原理原則」とするものを持ち出します。このように貧しい成果しか福田首相が言えないのでは(水産省は別として),原理原則の戦いでは負けで,さらには科学大国に住む日本人大半の恥ではないですか?
 致死的調査の第3の「成果」は,クジラの食性にあります。殺したクジラの胃の内容物を調査し,彼らの餌の種類や消費量などを調べたというものです。これは南氷洋における「南極海生態系における鯨類の役割の解明」という壮大なテーマとして実施されたようです。
 傾向だとか,ばらつきなど得意の統計的データは示されませんでしたが,オキアミの消費量の推定は為されました。この調査の結果は事前に知られていたか,予測されていた範囲を超える特段新しい発見があったようには見受けられず,科学委員会のメンバーからは(多数のミンククジラを屠殺して)莫大な基礎資料を収集しにもかかわらず,十分な解析が行なわれていないとの注文が付いています。
 ミンククジラの資源量とその傾向も科学委員会の評価では「JARPAのデータは資源がかなり増加している,かなり減少している,あるいは安定していると言うことと整合する」とされ(要は,どうにでも解釈可能であるということ),現在の方法では,そうとうの増加が無ければ資源量の変化は検出できないだろうとも評価されています。
 そもそも調査の目的のそれぞれに対して,どのような結果が得られたのであれば成功とするのかの評価基準が示されていませんから,納税者は成否の判断ができません。そのような中で得られたデータ(犬も歩けば棒に当たりますから,何かをすれば何かは得られます)だけを成果だとされても,恣意的な感じを抱くことを否めません。

 さてJARPA IIです。

 第1の目的として挙げられているのが「1)鯨類を中心とする南極海生態系のモニタリング」です。「いろいろな仮説を検証しながら“鯨種間競合モデル”を構築」すると言っています。
 一見もっともらしい言い方ですが,きわめて非科学的です。「検証」と「構築」の間をつなぐ合理的な,あるいは科学的な論理が示されていないという意味において。仮説はいろいろあってもかまわないのですが,「仮説を検証する」と言うからには,それぞれの仮説が実証される,すなわち仮説を裏付ける証拠としては何を求めるかということを予め宣言し,確かにその証拠があれば仮説が成立するという予めの論理的組み立てがあって,それに大方の「科学者」が納得をしているというのが「科学界」に於ける研究推進,仮説の設定とその検証,の当たり前なやり方ではないでしょうか?
 APPENDIX 5には,「南極海生態系におけるオキアミ捕食者の資源変動に関する仮説」として9項目の仮説と称されるものが設定されています。仮説といっても一般的には,[1] いくつかの再現可能な状況証拠に裏付けられ,合理性の高い論理によって状況証拠の関係の説明が存在するものの決定的なひとつ,あるいは,ふたつの証拠が欠けるのみ。といった確度の高いものから,[2] 単なる当て推量。に至るまで,幅が広い。足掛け18年間に渡る「調査」で確定的なことが言えなかったからと,同じ調査をこれから12年間継続したとしても,APPENDIX 5に記されているような実証(あるいは検証)することが非常に困難か不可能であろうと思われることを,検証できるかもしれないとする論拠は何処にあるのでしょうか?
 これらの仮説の中で尤もらしい唯一の例外は,アデリー・ペンギンが増加したことと,200年前からこのペンギンがオキアミを主食とするように食性を変化させたことを関連付ける研究がありますが,これをオキアミ余剰が原因とするには直接的証拠に欠けるように見え,目的の説明の記述からして他の8つの仮説の検証の結果,最終的には「鯨種間競合モデル」が構築されるように読み取れます。これらの8つの仮説と「鯨種間競合モデル」との論理的なつながりが明快に,かつ分かりやすく記述されていません。

 目的1)の具体的な内容に入ると論争の種になっている致死的調査の項目が並びます。
 「ⅰ)鯨類の資源動向及び生物学的特性値のモニタリング」では,JARPAのレビューでは「目立った変化は無かった」と評価された生物学的特性値の経年変化を追跡するとしています。これらが目立った変化を示すであろうとする合理的な推論があるのであればいざ知らず,単に20年前と同じ傾向のデータを積み上げることに,どれだけの意味があるのでしょうか。変化を起こす原因として唯一述べられているのは南氷洋の環境変化です。環境変化の生態系への影響を調べるのであれば,最終捕食者を調べるよりも,南氷洋の海水の状態変化と食物連鎖の低位に位置している動植物を調査するほうが直接的で,早くその兆候を掴むことができるであろうと考えるのは素人だからなのでしょうか?

 この調査項目にかかわるサンプリング数の決定根拠をAPPENDIX 6が提示しています。
 近年ずっと高い値を示してきた妊娠率を,わざわざ70年前までの妊娠率を持ち出してきて,年間平均上昇率を計算し,1~2パーセントの変化率を95パーセントの信頼性で統計的有意性を確認することが,「科学的」な意味で,あるいは国際捕鯨委員会の目的からして,どれだけの価値を持つのでしょうか?今までの統計的な意味での実績からして,やはり又証明できないであろうと推定するのが,常識人(あるいは担当大臣の)の健全な反応だと思います。

 この調査項目に関して言えば,「調査のために屠殺するのではなく,屠殺するために調査をする」という,致死的調査に対する反対論者の意見に私は賛成です。
 福田首相を含めて日本人が誇りをもてるような業績をあげて欲しいけれど,年間妊娠率の1~2パーセントの変化率を95パーセントの有意性で立証することが(多分できないでしょうけれど),日本人と日本の科学界の名声を高めるとは全く思えません。鯨類“研究者”以外の生態学者にとっても,このような“業績”は研究仲間として誇れるものなのでしょうか?

 「ⅱ)オキアミ資源と鯨類の摂餌生態のモニタリング」では,又,統計ごっこが繰り返します。
 脂皮厚の変化(脂身の厚みが栄養状態のひとつの指標であるとしても,脂皮厚よりは,同じ年級の固体の間での脂の総量の経年変化が,単なる脂皮厚のサンプル全平均よりももっと適した指標であると思いますけれど)は,確かに栄養状態を示すひとつの指標なのであろうとは思います。
 本来であれば,JARPAのデータの解析の折,脂皮厚だけではなくて,胃の内容物の量的/質的変化(摂取カロリーの変化),肝臓の状態,その他採取したサンプルの様々な部位の変化を見て栄養状態の変化を検出するべきであったと思う。他の哺乳動物での経験も含めて,クジラの解剖学的知識を持った研究者が揃っていたのでしょう?研究者らしく,自分の結論に疑いを挟む要素を排除するという努力を何故しなかったのでしょうか?ところがそれを行なうことなく,脂皮厚だけに栄養状態の良し悪しの判断基準を求めている。
 他に性成熟年齢の若年化の停止も栄養状態の変化の証としていますけれど,哺乳類の性成熟年齢は際限なく下がり続けるものではないのでしょう?ミンククジラの場合栄養状態が最良のとき,何処まで下がるはずのものなのですか?本来有るべき状態が実現できていないのであれば,栄養状態の悪化が指摘されても良いとは思いますけれど。
 ここでも,「栄養状態が悪くなった」とする判断をそのままにする(自然界では大いに有りうることだから誰もそのことを気にしないでしょう)のではなくて,脂皮厚の年率0.5ミリというものすごく小さな見掛けの変化(そもそも,身体的形状には個体差があり,ぶよぶよした肉体であるから測定場所も厳密には規定できないにもかかわらず,脂皮厚はそんなに信頼度が高く比較できるように測定することが可能なものなのでしょうか?)を,95パーセントの信頼度で証明する必要性は何処にあるのでしょう?
 再びお尋ねしたい。このことに関する有意性の検証は(それができたとして),致死的な手法が調査方法の大部分を占める調査捕鯨に対するあまたの反対論者を打ち負かすことができ,福田首相を含めて日本人が誇りをもてるような業績なのでしょうか?その論拠は何処にあるのでしょうか?ここでもやはり,「調査のために屠殺するのではなく,屠殺するために調査をする」という,致死的調査に対する反対論者の意見に私は賛成せざるを得ません。

 もうひとつ統計ごっこがあります。それはAPPENDIX 8に記されている「遺伝的標識再捕による資源量のトレンドのモニタリングに必要な標本数」に記されている内容です。
 統計的に有意ではない,すなわち不確かな推定でしかない雌個体数5万頭という資源量の予測が,統計的に有意であると証明するために必要な標本数を計算しているものです。足掛け18年をかけてもできなかったこと,元々が,きわめてばらつきの大きく信頼性区間が広くならざるを得ないと証明されてしまった推定数字であって,そのような予測数値の有意性の証明などありえないと思えるものに挑戦するというのです。
 別の言い方をするならば,提案されている方法が,不確かな結果しか生まなかった過去の方法よりも推定精度が高まると証明されていない方法のために,統計計算を駆使しています。これらを正統的な科学のための手法である統計の,悪魔的応用と,あえて言っておきます。

 先の私の投稿[ご意見:19]「捕鯨は本当に日本国のナショナルインタレストですか?」での記述の繰り返しになりますが,ここでの「科学」の本質は動物生態学です。統計は南氷洋に派遣されている捕鯨船団で使われている(と推定される)双眼鏡と同じく,科学目的を達成させる補助手段に過ぎません。双眼鏡を使っているから科学的調査だなど主張する愚か者はいないでしょう。
 いずれにしても,調査捕鯨に反対している人たちに対して,普通の日本人が十分説得力のある説明ができる状態を実現してくれることを望みます(映画フィラデルフィアでデンゼル・ワシントンが演じた弁護士のように3歳の子供にも理解でいるようなとは言いませんが,時代錯誤で偏狭なナショナリズムを助長しないためには自意識が確立し,日本人のアイデンティティを認識できるようになった普通の中学生ぐらいには理解できる説明は必要だと信じます)。
 この問題の本質である生態学は,皆が使っているコンピューター・チップの回路の動作を説明するために必要な固体中の電子の振る舞いのように高度な数学的知識をベースにした物理学において,学部レベル以上の知識水準を要求するようなものではなくて,(生態学の研究の実践には類い稀な観察力,事実の解釈に必要な背景知識に関する高いレベルと,そして何よりも忍耐力が要求はされるようですけれど)結果系は中学校程度の知識水準で十分に理解が可能なものです。
 それができないのであれば,クジラの生態について福田首相を含めて,日本人の誰ひとり諸外国の人を納得させる説明をすることはできない相談です。

 クジラの生態学をひどく難しくしているのは,陸棲動物のように限られた特定の生態系に閉じ込められることなく,途方も無い広さの海をFeeding領域,Breeding領域として使い分けて回遊する海棲生物であることから,数少ない特定の場所に限定された定点観測は意味が無く,地球規模の広大な領域での観測を必要としていること,広い海を回遊することから目撃を幸運に頼らなければならないこと,したがって絨毯爆撃的観測網が無ければならないことにあり,その上,クジラが人間と同じかそれを超えたライフサイクルを持つことから,大変に長期(多分人為的操作の無いときには50年を超える時間に渡って)の観測が必要とさせることに有ります。
 このようなことに謙虚な態度で立ち向かわない調査は,似非科学になってしまうでしょう。統計手法を使ってこの困難をショートカットしようとしても自然は簡単に答えを提供してくれないでしょう。統計はあらゆる産業技術と科学の場面で有用な手法ですが,信頼できるサンプル・データの蓄積が無ければ無力です。信頼できるデータは忍耐強い観測によってのみもたらせられます。

 余計なお世話ですけれど,JARPAあるいはJARPA IIの下で“研究”をしている人たちの将来はどうなるのでしょう。彼らは学術界で名を上げるとか,JARPAあるいはJARPA IIの成果を引っさげて,生態学の研究をしている著名な研究所に楽に再就職できるほどの業績を積み上げることができる(た)のでしょうか?
 日本国の生存は,知識水準の高い人材の豊かさにかかっていることを否定する日本人はいないでしょう。過去足掛け18年,JARPA IIでは12年の歳月が,そのような有能な人材の育成に貢献することを願って止みません。

[ご意見:32]「科学的な調査捕鯨について」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

シーシェパードの妨害活動について反対の立場をとられていることを評価します。立場は違えども,あのような活動が問題や議論の中心になってしまうことに,私も大きな懸念と危うさを感じています。意見が異なる問題であるからこそ,しっかり議論すべきであって,それを暴力や恫喝に訴えてしまうことは,ご指摘のように問題の本質を見失うことになります。

JARPAの成果についてのホームページの不備については失礼しました。財団法人 日本鯨類研究所の方で対応中です。以下をご参照ください。

  「調査研究活動:鯨類の調査(JARPA):得られた成果」は,こちらをクリック(財団法人 日本鯨類研究所 HP のコンテンツ)


第一期南極海鯨類捕獲調査(JARPA)の成果についてのIWC自身による評価は,2編の報告書があります。英文になりますが,以下をご参照ください。

  参考資料 1(IWCホームページのコンテンツ / PDFファイルが開きます)

  参考資料 2(IWCホームページのコンテンツ / PDFファイルが開きます)

IWCの常で,多くの部分が両論併記で評価が分かれますが,報告書には以下に引用するような前向きの評価も多く含まれています。

 1997年の科学小委員会レポートのIWCドキュメント49/4からの抜粋:

 ・ 「日本の南氷洋捕獲調査(JARPA)により入手した情報により,南氷洋の4区および5区のミンククジラに関する長期にわたる資源変動に関する多くの質問に答える段階に至った。」

 ・ 「JARPAは一定の生物学的パラメーターの解明に関しすでに多大な貢献を行った。」

 ・ 「SCはJARPAはまだ折り返し地点に達しただけだが,系群構造の解明に実質的な改善をおこなったことを認識する。」

 ・ 「…系群構造データは資源管理に有用であると一般的に合意されている。」

 ・ 「…SCは利用できる非致死的方法に注目したが,…調査海域におけるロジスティックスやミンククジラの資源量からすればその適用は不可能であると指摘した。」

JARPA I について

生物学的パラメーターについては,実際は多くの変化が確認され,IWC科学委員会や学術雑誌に報告されています。

例えば,ミンククジラについては,性成熟年齢の低下が商業捕鯨時代の後期から見られていました。調査捕鯨では,この傾向のある時期までの継続を確認し,近年はそれが反転し始めている兆候も確認しています。これは,ナガスクジラなど他の大型鯨類が捕獲され減少したため,ミンククジラの栄養状態が向上し,性成熟年齢が低下し,これがミンククジラの増加につながったと理解されています。しかし,その増加も,ミンククジラが限界まで増えたこと,ナガスクジラやザトウクジラの資源が回復したことで,停滞状態にあり,それが性成熟年齢の反転にあらわれていると推定されています。
 この仮説は,他の生物学的パラメーターなどの情報を使って検証される必要がありますが,結論からすれば,決して「目立った変化は見られなかった」わけではありません。
 また,体重や皮脂の厚さに関するデータも,クジラの健康状態,栄養状態を反映しますので,各種のクジラのデータを比べることで,生態系におけるそれぞれの鯨種の占めている位置,その変化を推定する貴重な知見が得られます。これらのデータも,ミンククジラの後退と,ザトウクジラやナガスクジラの増加を示しているようです。

食性に関するデータですが,これらは現在も議論が続いている南極海における生態系モデルの構築に大きな役割を果たすことになります。このモデルは,南極海の生態系における各種生物間の関係をコンピュータでモデル化し,その動向の解釈や予測に役立つ大変重要な研究です。他方,そのモデルの作成には,ほかの同様のモデルもそうですが,相当の年数を必要とします。調査が終わった年によくわかる成果が出ていないとのご意見はよくありますが,JARPAのような大規模で包括的な調査の成果は,テストを受けてすぐ採点結果が出るような性格のものではありません。より長期的な視野からの評価が必要です。

JARPA II について

Appendix 5 に記述した9項目の仮説(※参照資料「JARPA 調査海域におけるヒゲクジラ類の組成」は,こちらをクリック / PDFファイルが開きます)は,それぞれ現在まで蓄積されてきたデータに基づいて,科学者が構築したものです。
 平賀さんは,それぞれについて
  > 実証(あるいは検証)することが非常に困難か不可能であろうと思われる
 とされていますが,
 例えば,第1項目の「総環境収容力一定仮説」では,「オキアミを主要な餌生物とするヒゲクジラ類4種(シロナガス,ナガス,ザトウ,ミンク)を合計した環境収容力は索餌場のオキアミバイオマスに依存しており,一定である。南極海で捕鯨が始まる以前の総資源量(重量)がこれに相当する。ただし,オキアミバイオマスの変化や鯨種組成の違いによって総環境収容力は変化する可能性がある。」とあり,鯨種ごとのバイオマスの経年変化とオキアミのバイオマスの経年変化をモデル化することによって,かなり興味深い知見が得られるものと思われます。
 このモデル化は,困難ではあるでしょうが,不可能と決めつけることのできるものではないと思います。

そのほかの仮説についても,その検証について一定の見通しを持った上で作ったものですが,Appendix 5 に,そこまで詳しく記述がないことは確かです。9項目すべてについて仮説を立てる根拠となった科学的データや学説の説明,想定されるモデルの性格(ちなみにモデルはそれぞれの仮説に応じて複数が必要になります。)などを,詳しく記述することが理想であるかもしれません。

第一の目的の「鯨類の資源動向及び生物学的特性値のモニタリング」ですが,生態系の頂点にある鯨類の生物学的特性値は,その生息する海洋環境の変化をすべて最終的に反映したものです。海氷の変化や食物連鎖の低位にあるオキアミについても,もちろん調べていますが,その変化が生態系にどのような影響を実際に与えているかを知るためには,生態系の上位の生物の生物学的特性値はどうしても必要です。

Appendix 6 に書きましたように,検出しようとしているのは6年,または12年の調査期間中における妊娠率の顕著な変化です。年間2パーセントの変化は12年では24パーセントの変化を意味します。人間と同等の寿命のあるクジラにおいて,妊娠率が12年の間に24パーセントも変化するということは,生物学的には大変に大きな意味を持つということは理解いただけると思います。
 また,統計学の上では,95パーセント,または90パーセントの信頼限界を確保することが通常のアプローチです。

脂皮厚の件ですが,それだけでクジラの栄養状態をすべて示しているというような主張はしていません。
 サンプリングでは,そのほかさまざまな内臓や血液を採取し,胃の内容物の質と量の変化,そこから計算できるカロリー摂取量なども分析しています。他方,特定の部分の脂皮厚のデータを十分に蓄積することは,実際にはかなり正確で微妙な栄養状態の変化を検出することに役立ちます。
 個体差についても,正確な部位の特定と,年齢や性別による層化分析を行うことで,分析可能な標準化されたデータを得ることができます。

Appendix 8 では,
  > 雌個体数(計画書では雄個体数です)5万頭という資源量の予測が,統計的に有意であると証明
 しようとはしていません。
 捕獲されたサンプルのDNAの比較から資源量の変動を推定しようとしており,引用文献にもありますように,これは確立された方法です。

最後に,普通の中学生ぐらいには理解できるような形で,捕獲調査の成果を説明する必要性については,私も同感です。せっかくの膨大な成果を十分に広く説明しきれていないというフラストレーションがあります。それが,捕鯨問題に関し,少なくとも科学的な議論を混乱させている要因のひとつであると思っており,今後とも捕獲調査の成果を平易に広く伝える努力を継続していきたいと思います。

[ご意見:31]「質問です」from:日本国民 さん

はじめまして。
 「2ちゃんねる」という掲示板にて「鯨肉は中国毒ギョーザより危険」という書き込みを見つけました。これは本当でしょうか?

[ご意見:31]「質問です」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

調査捕鯨の副産物として流通している鯨肉は,すべて水銀やPCBなどを検査し,食品衛生法の規制をクリアーしたものです

特に南極海のミンククジラの肉は,重金属や化学物質の含有量が極めて低く,おそらくすべての食肉の中でも最もクリーンな部類に入ります。
 北西太平洋では北半球で一般的に重金属や化学物質の濃度が高いため,より高い含有量になりますが,それでも食品衛生法の規制範囲内です。

財団法人 日本鯨類研究所のホームページでは分析結果を公表しています。こちらからご覧ください

他方,沿岸海域で捕獲されるハクジラ類の内臓には高い濃度の水銀が見られます。これらの分析結果が誇大に宣伝されて,すべてのクジラの肉が汚染されているような印象があるわけです。
 実際はハクジラ(イルカなど)の内臓を食べる人はあまりおらず,量的にもそう簡単に手に入るものではなく,まして一般流通経路にはほとんど出ていないと思われます。
 ハクジラの筋肉組織の水銀などの濃度も,ミンククジラなどのヒゲクジラに比べると高くなります。厚生労働省は,これらの鯨種や部位による違いも分析したうえで,平成17年に十分に安全を見込んだ摂食指導を出しており,これに従って食べていれば問題はないと考えます。

厚生労働省「妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項の見直しについて」(平成17年11月2日)は,こちらからご覧ください

いずれにしても調査捕鯨の副産物として流通する鯨肉に全く問題はありません。安心して召し上がってください。

[ご意見:30]「日本政府はやる気があるのか」from:川田恵子 さん

日本政府は,なぜミンククジラを850頭捕る必要があるのか,何のための調査なのかということを,国民にちゃんと伝えるべきではないですか?
 最近まで日本が調査捕鯨をやってることすら知らなかった人もいるのではないでしょうか。
 それとも最初から日本の捕鯨に正当性はなく,環境保護団体の言うようななにか後ろめたいことがあるから強く主張することができないと言うことなのでしょうか。

[ご意見:30]「日本政府はやる気があるのか」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

鯨類捕獲調査の内容や成果については,財団法人 日本鯨類研究所のホームページや書籍,プレスリリース,そして科学論文などで過去20年にわたり公表してきました。

残念ながら,それでもその情報がすべての日本人の目にとまったわけでないのは事実であると思います。
 関係者としては,ひとりでも多くの方に捕獲調査の成果を理解していただきたいと考えていますので,今後も情報提供の努力を続けていきます。
 財団法人 日本鯨類研究所のホームページには,たとえば下記のような,捕獲調査に関する多くの質問への回答や,調査の成果に関する情報も,掲載されていますので,ぜひご覧になってください。

捕獲調査に関する質問と回答は,こちらをクリック
(財団法人 日本鯨類研究所 HP のコンテンツ)

「調査研究活動:鯨類の調査(JARPA):得られた成果」は,こちらをクリック
(財団法人 日本鯨類研究所 HP のコンテンツ)

[ご意見:29]「メディア対策のまずさ~鯨研撮影の動画に関して~」from:三浦敏彦 さん

シーシェパード(SS)やグリーンピース(GP)の目的が金儲けであることを疑う余地はないでしょう。「反捕鯨が資金集めの手段」と言い換えてもいいかもしれません。彼らの唱える「反捕鯨」と「クジラの保護」はまったく関係ない。50万頭以上いるミンククジラ漁を妨害する一方で,米国のホッキョククジラ漁には全く触れないことを見ても,それは明らかでしょう。

 ただ,考えたいのはGPにしろSSにしろ,資金を提供する人間がいるから活動できるという点です。そして,そこには彼らの行動を讃美するマスメディアが必ず存在する。いうなれば,彼らはメディア対策のプロ集団でもあるということです。

 では,財団法人 日本鯨類研究所をはじめとした日本側のメディア対策はどうか?GPに比べればやはり見劣りすると言わざるを得ません。

 小西克哉さんが,ラジオ番組内で,「日本はなぜ捕鯨船にジャーナリストを乗せないのか?」という話をなさっていましたが。私もその通りだと思います。同じ映像でも,捕鯨船クルーが撮影すればそれまでのものですが,ジャーナリストが関われば責任や信用が発生する。
 映像や写真なんて,編集・演出しだいでどのようにも印象操作できるものです。だからこそ責任や中立性を担保できる人間が撮影すべきでしょう。
 
 個人的には,鯨研HPにあった3月7日襲撃事件の動画の一場面。SSの船に掲げてあったスポンサーロゴを撮影・拡大し,これみよがしに「アウトドア用品のメーカー“クイックシルバー”のロゴが見えます。彼らのスポンサーなのでしょうか?」と撮影者が叫んでいた場面。あれはちょっと・・・プロならば,もうちょっとうまく撮ると思われます。

 最後に,捕鯨に対して風当たりが強いこの頃ですが,少しでもその北風がやわらぐことを願って。では。

[ご意見:29]「メディア対策のまずさ~鯨研撮影の動画に関して~」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

人事異動や年度の変わり目の騒ぎのため,いただいたご意見にしばらくお答えすることができず,失礼しました。まだ新しい仕事とそのペースに慣れていませんが,今年の国際捕鯨委員会(IWC)年次会議(6月23日~27日,チリのサンチャゴにて)も終了しましたので,このコーナーへの参加を再開します。今後ともよろしくお願いいたします。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

三浦敏彦さん,ご意見ありがとうございます。

反捕鯨団体がメディア対策のプロであることはご指摘の通りです。
 メンバーにジャーナリスト出身者が多数いますし,広報会社も雇っています。また,一部のメディア側も,センセーショナルでニュースになる映像を常に求めていますので,両者は持ちつ持たれつの関係にあるとも言えます。極端な例に例えれば,戦争はニュースになりますが,世界が穏やかで平和であってもニュースにはなりにくい。これはセンセーショナルな映像に惹かれる視聴者側にも責任の一端があります。

反捕鯨団体側の映像に比べて調査団側からの映像が見劣りするのもご指摘の通りでしょう。北西太平洋の調査などではプロのカメラマンに何回か乗船していただき,いい映像がありますが,実際に妨害活動のターゲットになっている150日以上無寄港の南極海の調査ではなかなか乗船していただける方を見つけるのに苦労しています。

我々も限られた予算と物理的制約の中で,さらに何ができるか常に考えていますので,今後ともいいアイディアやご意見をぜひお願いします。

[ご意見:28]「IWCサンティアゴ会議 ライブ中継」from:wofie00 さん

IWCサンティアゴ会議をライブ中継されるそうですが,なぜ「ライブ中継」なんですか?平日の深夜に中継しても,普通の人たち,会社員,学生等はまず見れませんよね。

 ストリーミングなど手間がかかるだけで,マスコミ以外の人には大した効果は望めないのではないですか?前回のアクセス数はいくつだったのでしょうか?

 全動画をアーカイブ,アップロードして,いつでも見れるようにしてもらえませんか?あと日本鯨類研究所がシーシェパードの動画を自由に使えるようにしている様に,IWC会議の動画も無料配布してもらえませんか?

[ご意見:28]「IWCサンティアゴ会議 ライブ中継」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

wofie00さん,ご意見ありがとうございます。
 私宛に寄せられたご意見ですが,鯨ポータル・サイトのコンテンツに関する内容でしたので,同編集室から回答いただこうと思います。どうぞご了承ください。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

以下,鯨ポータル・サイト編集室が回答させていただきます。

鯨ポータル・サイトでは,IWC年次会議の模様を,「IWC会議のページ」でお伝えしています。2001年のロンドン会議からは,会議のライブ中継企画をスタートさせ,現在まで毎年実施しております。

IWCの年次会議は1997年までメディアに対して原則非公開でした。開かれたIWC会議が求められる中,メディアへの公開をデンマークが提案。「透明性の確保」を実現しようと日本も賛同し,1998年の年次会議からメディアを試験的に受け入れることになりました。

捕鯨問題については,さまざまな立場のみなさんがIWC会議での結果を引用しつつ主張を展開します。ときには,IWC会議での結果が表面的にだけ援用され,センセーショナルな惹句,広告的手法で一人歩きさせられることもあります。そのような状態に対して,まずは会議そのものを広く一般の方に直接にご覧いただき,そこを出発点として議論を深めてほしい。そうした関係者の想いを受け,前述のIWCへのメディア受け入れを機に,鯨ポータル・サイトのIWC会議ライブ中継がはじまりました。

以上の観点から,まずはソースそのものについて解釈せず一切加工しない「ライブ中継」という形を選択しました。

ここで使用しているソースはIWC事務局のご好意で提供されているものです。映像は実際の会場スクリーンに映写されているもの。音声は実際の会場のスピーカーから流されるものです。鯨ポータル・サイトでは,以上に日本語同時通訳音声を加えておりますが,この同時通訳音声は現地会場内の日本人NGOのみなさんが使用している音源で,これも関係者からのご好意で提供いただいているものです。

なお,同時通訳音声については,各国代表団が話される言語をIWC事務局が同時英訳したものをさらに通訳するもので,その正確さについては保証されるものではございません。あくまでご理解のガイドとしてご参照くださいますようお願いいたします。

さて,世界各国で開催されるIWC会議ですので,毎回,時差については鯨ポータル・サイト編集室内でも悩ましい問題です。今回ご意見をいただきましたように,
 > 普通の人たち,会社員,学生等はまず見れませんよね。
というのは,我々の当初の目的を達する点でも重要なご指摘であり,そうした現状への対応が今も大きな課題になっています。

おっしゃるようにアーカイブ化することもアイデアのひとつだと思います。

ただし,アーカイブ化につきましては,会議全体では毎回およそ40時間前後の収録時間となること。それを常時ご覧いただくためのリソースを備えたサーバ環境の整備に伴う諸問題。さらに各ソースのご提供者の権利を損なわないこと。など,予算面も含めすぐに対応するにはクリアすべき問題が多く,難しい状況です。

完全なものではありませんが,IWC会議の模様をお伝えするブログやPHOTOレポートなど,毎回少しずつ形を変えながらも,これらは2001年のロンドン会議からのものを「IWC会議のページ」上で現在もご覧いただくことができます。また,これは日本政府側の立場からのものとなりますが,日本代表団によるメディア向け記者会見の映像も,「IWC会議のページ」上でオンデマンドファイルとして常時ご覧いただけます。よろしかったら,ぜひご活用ください。

現状は,以上のような取り組みでIWC会議の模様をお伝えしておりますが,wofie00さんをはじめ多くのみなさんからのご意見は大変に参考になり,また励みともなります。なかなかご納得いただける形での即応はできないことも多いのですが,みなさんからのご意見を参考に,より活用していただけるコンテンツとして「IWC会議のページ」を成長させていきたいと考えております。
 なお,鯨ポータル・サイトやそのコンテンツに関するご意見・ご感想は,<kujira@e-kujira.or.jp>へメールにてお寄せください。これからも鯨ポータル・サイトを,よろしくお願いいたします。

[ご意見:27]「原理原則について」from:平賀教雄 さん

2008年3月10日

 捕鯨にこだわる理由は,「資源を枯渇させない範囲でなら自然にある資源を活用できる」とする原理原則を守るためですか。そうなんですか,哀しいことですね。南氷洋で原理原則の証明などしなくても良いのにと,調査(商業)捕鯨に対する諸外国からの反発に対して偏狭なナショナリズムを持ち出す人たち以外の日本人は,思っているのではないでしょうか?
 原理原則と言ったとたんに,他者にもそれぞれの国民の価値基準と時代認識に基づく原理原則(例えば「クジラを殺傷することは倫理的に許せない」とするのも立派な原理原則)が有ることを,認めなければならなくなりますね。そして日本だけが自分の原理原則を他者のそれより優先して,自分たちだけが決めた方策を勝手に実施可能だ,とは言えなくなってしまいます。
 原理原則の厄介なところは,自然科学で言うところの“公理”と同じで事前の証明は不可能,すなわち,その妥当性について理論的実証的に裏づけを取ることができないことです。“公理”を前提として組み立てられた理論が,自然現象を十二分に説明できるときのみ,この“公理”が正しかったという証明になります。原理原則(公理)は,このような性格を持っていますから,互いに座標軸の異なったところから導き出したそれぞれの原理原則の間には,かみ合うことのない永遠の水掛け論が進行することになります。
 世界が一つになって地球を救済し,したがって人類を救わなければならなくなった現代に,捕鯨をめぐる諍いは何と無駄でむなしいことか。そして,自分たちだけの原理原則をかざしてクジラを殺戮することは,将来の世代に対してなんと罪作りなことなのか?もっとも哀しいことは,特にこの問題に関する日本人の発言の中に,偏狭なナショナリズム,他国の文化の暗い側面を攻撃するような,排外的な意見が見られることです。

 捕鯨の経済学については,お答えがありませんでした。多分考えたこともないか,考えた結果が許容しがたいほど現実離れしていて公開をはばかるものか,どちらかなのでしょう。原理原則と言ったとたんに,商業捕鯨の経済性など,どうでも良くなるのでしょうけれど,再び注意を喚起することをお許し願いたい。何故ならば,商業捕鯨が経済的に成立しないのであれば,「枯渇させない範囲でなら自然に存在する資源を活用できる」とする原理原則を押し通したとしても,最早や将来に何ものをも見出せないことに,税金の費消と,クジラの貴重な生命の抹殺を継続することになるからです。

 また。多数の官僚たちと何人もの議員が国際捕鯨委員会の年次総会に税金を使って出張するのは,数学の難問を証明するだけで賞賛されるのと同じように原理原則を証明して,後に何もアクションが起こらない,国民に体感できる幸福感をもたらすことができない行為のためではなくて,国民にとって次に開けるものがあるとの信念を持つからであろうと推定するのですが。彼ら(特に国会議員)は一体,どのような将来,日本国民と世界人類の幸福を,もたらそうとしているのかに関して,ご意見,ご見識を直接聞きたいものです。できれば,森下さんのブログに投稿を依頼してもらえませんか?

 さて。まず最初に,消費者にとっての鯨肉の経済価値を考えてみたい。鯨肉のまずい味と,竜田揚げか,生姜焼きしか料理方法のない汎用性のない赤肉と,(メタボリックシンドロームの時代に)脂だらけの鯨肉ベーコンは,他の肉と比較すれば,消費者にとっては鶏肉以下の 100円/100グラム以下とするのが妥当でしょう。食肉市場で自由な取引をするならば,この程度の消費者価格を実現する卸価格が適正だということになるでしょう。
 現在,年間 5トンの鯨肉が販売されることになっており,現在の 1,000円/100グラムの市場価格からすれば,“if sold value”として,鯨肉の市場規模は 500億円ということになります。多分,捕鯨業者が受け取れる販売額は,この半分250億円ということになるでしょう。
 もしこれが市場メカニズムによって,100円/100グラムの消費者価格になると,市場規模は 50億円,“捕鯨業者”の売上は 25億円となってしまいます。これではとても現在の捕鯨船団とその乗組員を維持することはできないでしょう。販売業者が価格を決定している現在)“捕鯨業者”は,200億円を越える売上を実現していると推定されます(もちろんこの費用の中には南氷洋での鯨類の目視観測と海洋科学調査の費用も含まれているわけですが)。鯨肉供給量が,これの 10倍になって,5万トンになったとし,鯨肉の市場価格が前の前提と同じく 100円/100グラムだと仮定すると,市場規模は 500億円,多分,捕鯨業者が受け取れる販売額はこの半分250億円ということになるでしょう。
 このような数値が得られるのであれば,現在の“捕鯨業者”を生かしておくことができます。鯨肉 5万トンは,ミンククジラ 10,000頭前後に相当します。
 捕鯨は経済性の理由から,ミンククジラの 50倍の体重を持つシロナガスクジラが狙われ,10倍以上の体重のナガスクジラが続き,さらには7~8倍の体重のマッコウクジラ,ザトウクジラ,その次の体重のイワシクジラといった順に狙われてきました。ミンククジラは,幸いにしてこれらの中でもっとも小さいことから,最後になって商業捕鯨の的になりました。しかし,このことが捕鯨コストを引き上げました。だから業者は捕鯨事業から手を引いた(2度の石油ショックによる燃料代の高騰と,それに引き続いた人件費の増加も貢献したと思いますが)。
 多分,ミンククジラは,このような理由から初期の資源量に近い所にあるのでしょう。第一次“調査”捕鯨の結果に対する IWC の科学委員会のレビューでは,調査海域でのミンククジラの資源量は,「かなり増えているかもしれないし,かなり減少しているかもしれないし,ずっと安定していたのかもしれない」との評価を受けました。要するに,調査捕鯨からは資源量の変化については断定的なことがいえないとの評価を下したわけです。
 先の 5万トンの鯨肉の供給は,(もしかして許されるかもしれない)商業捕鯨において,そのほとんどを日本が独占した場合に可能になるものです。南氷洋で捕鯨ができる国は日本とノルウェー以外にはないでしょう(捕鯨に賛成する小国は捕鯨船団を持つような贅沢は許されない)。
 けれども,このようなことはありえるとは思えません。60億人の世界人口の所有する資源を,日本だけが独占できるとするのはありえない前提だからです。
 したがって将来にわたって,商業捕鯨(=政府の補助金という松葉杖を必要としない自立できる業者による捕鯨)はありえないと私は判断しています。

 このようなことから,関係者にとってもっとも望ましい将来の姿は,現在のような“調査捕鯨”が継続されて,政府からの補助金が継続的に支出され,科学的調査の名目でのクジラの屠殺が,(科学的調査の必要性から統計的に計算された結果としての)その頭数も含めて日本独自の判断で行なうことができ,鯨肉の価格は市場の原理ではなく,“統制価格”で販売できる状態が長く続くことでしょう。
 第2次調査捕鯨,JARPA II,の調査期間が 12年と決められているのは,そのような意味があるでしょう。18年継続した第1次調査が,さしたる科学的成果が得られなかったことから,これからの 12年間も,やはりさしたる成果を上げず,12年後も更なる調査が必要と主張されるであろうことは,今から予想できることでしょう。
 この間,関係者の職は安泰と言うことになります。「官僚の,官僚による,官僚のための調査捕鯨」と,私が呼ぶのはそのためです。

 平賀 教雄
 神奈川県在住,男性,64歳

[ご意見:27]「原理原則について」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

原理原則を守ることは非常に大事なことと思います。
 むしろ日本は,捕鯨問題以外の問題において,今まで原理原則を十分守ってきていないと感じています。また,原理原則は例外を受け入れてしまうと,連鎖的に立場が崩れてしまうことが多々あることから,問題の大きさや直接の利害にかかわらずこだわる場合があります。
 南氷洋はクジラに限らず,海洋生物資源が非常に豊かな海域です。したがって,その南氷洋で原理原則を守ることは大きな意味があります。日本が短期的な利害にかかわらず,南氷洋を舞台に原理原則の議論をすることは価値があると思います。

「クジラを殺傷することは倫理的に許せない」ということを,原理原則と考える国民が存在することも事実です。
 その人たちが,持続的利用という原理原則を受け入れないのならば仕方のないことで,「同意できないことをお互いに同意する」しかないと言えます。
 その場合は,彼らも彼らの原理原則を我々に押し付けないという相互性が基本で,そうであれば,私は「同意できないことをお互いに同意する」ことに全く問題を感じません。
 むしろ反捕鯨国がこの考え方を受け入れようとしていません。

偏狭なナショナリズムや,他国の文化の暗い面を攻撃するような排他的意見が,捕鯨問題を左右することには,私も反対です。
 以前にこの「鯨論・闘論」のコーナーで YouTube について意見を書いたときにも,私は YouTube の内容に否定的な意見を出しました。

商業捕鯨が将来経済的に成り立つか否かについては,いろいろと議論がありますが,現在の制約の多い調査捕鯨でさえ(例えば,調査では無作為抽出が求められることから,経済性の高い大型の個体ばかりを捕獲することはできません。ほかにも様々な制約があります。),その経費の約 90パーセントを鯨肉販売で賄えていることから,制約の少ない商業捕鯨は経済的に成り立つと考えます。
 また,将来の捕鯨は,産業規模を維持する観点から捕獲頭数を決めていくのではなく,改定管理方式(RMP)などの資源状態に応じた科学的な計算方式に基づき決まる捕獲頭数に,産業規模が対応していくことになります。
 現にマグロ漁業などほかの国際漁業では,捕獲枠が削減されたり,操業海域が縮小された場合,減船を行って産業規模を調整してきました。

調査捕鯨の科学的成果については,改めて十分に説明したいと思いますが,IWC科学委員会も政治的議論が横行し,反捕鯨国の科学者は調査捕鯨の成果は何があっても認めないとの方針で対応するため,科学委員会の報告書は最近は常に両論併記か,断定的評価を許さない内容になってしまっています。
 マイナスの表現に着目すれば調査捕鯨は何ら成果を生んでいないように見えますが,プラスの部分を読めば,調査捕鯨の成果が評価されている部分も多いことが分かると思います。関係部分については,IWC のために用意した Q&A に引用してあります(※「第2期南極海鯨類捕獲調査について」~財団法人 日本鯨類研究所HPをご参照ください。ここをクリックすると別ウィンドウで開きます)。
 調査期間は,入手しようとしているデータの変化が検知できるために必要なサンプル数と,必要な時間経過から統計学的に算出したものです。

[ご意見:26]「鯨肉の販売に一考を要す」from:熊坂雄一郎 さん

森下さんの意見は,よく理解できました。
 私も捕鯨はきちんとした管理のもとに続けるべきとは思っています。このまま世界の人口が増え続ければ将来多くの国がクジラを捕りはじめるときが来るかもしれません。そのとき無秩序であっては困るのです。
 今のノルウェーのように IWC を脱退し商業捕鯨を強行しているような国があるのは,まずいことです。将来13億の人口を抱える中国などが,それなら我が国もと,勝手にはじめたら,クジラは,たちまち絶滅してしまうでしょう。
 今から,しっかりした秩序を確立しておくことです。それには,クジラが高等動物だからとか,ホエールウォッチングの人気者だとかいう感情論では駄目で,資源管理の観点から科学的に論議するべきものなのです。そのイニシアチブを日本が取らなければならないと思っています。

 しかし,ある記事を読んだ中で,これでは困るし他国を説得するにも障害となるのではと思え,水産庁に一考してもらいたいと思えることがありました。

 それは「鯨肉は,持ち帰る量が決まっていて,昔と違って,南極海に棄ててくるものがある」。また,「鯨肉の値段は掛かった経費から逆算して決める」ので牛肉の2倍の値段になってしまう。その結果「鯨肉が,ダブついて,もう少しで爆発する」状態にあるということです。

 今では,国民の大多数はウシ,ブタ,トリの方を食べなれています。そんな高いクジラを,わざわざ買うはずがありません。経費より安くするのは難しい事なのですか?しかし,在庫が増えていけば,管理費はかさむばかりではありませんか?そんなにダブついているのを反対国が知ったら,猛反撃を食らうことは必定です。
 鯨肉の値段を,ブタの値段にまで下げて,かつ料理法など宣伝して在庫を無くすことを,ぜひ実施していただきたい。

[ご意見:26]「鯨肉の販売に一考を要す」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

しっかりした管理の必要性をご理解いただきありがとうございます。
 日本が管理された捕鯨を望んでいるということが,何度言っても反捕鯨国や反捕鯨NGOに受け入れてもらえないことにはフラストレーションがたまります。捕鯨そのものの存在を否定しようとしているわけですから,管理を受け入れるわけにはいかないのでしょう。

鯨肉の価格と在庫の問題ですが,まず在庫について事実関係を説明したいと思います。
 調査捕鯨の副産物である鯨肉は,一年に2回,調査終了後にまとめて市場に放出されます。その直後に在庫が一挙に増え,次の放出までに販売が進んで減っていくという形になっています。一年中継続的に供給が行われるような,ほかの食品とはかなり違った在庫状態の変動があるわけです。
 近年の調査捕鯨の規模の拡大により,市場放出直後の在庫の量は増えています。しかし,販売が進んだ後(次回の放出直前)の在庫の量は,実は最近は,ほぼ一定です。
 販売量は,「【放出直後の在庫量:近年増えている】マイナス【次回の放出直前の在庫量:近年一定】」ですから,結局売れた量は調査捕鯨の拡大分を吸収して増加しているわけです。
 捕鯨に反対する人たちは,このうち「放出直後の在庫」の推移を取り上げて,在庫が増加していると主張するわけです。
 その時々の日本経済の状況などを受けた変動はありますが,基本的にはこれが在庫をめぐる事実関係です。

これは,今年の2月19日の朝日新聞の記事に載ったグラフからも読み取れます。朝日新聞自身はそのグラフを根拠に在庫が増えていると報道しました。
 (参考資料:日本捕鯨協会の朝日新聞への反論は,こちらをクリックしてください。※注:PDFファイルが,別ウィンドウで開きます。)
 また,反捕鯨国ではさらに進んで,日本ではもう誰も鯨肉を食べなくなってきていると報道しています。販売量の増加とは矛盾すると思います。

価格ですが,ベーコンも刺身用の赤肉も,缶詰用の加工肉もすべてまとめた平均卸売価格では,キロ当たり2000円を大きく下回っています。100グラムでは200円以下です。小売価格はこの2倍から3倍です。
 まだまだ安くはありませんが,牛肉や高級マグロなどと同等の価格です。以前はもっと高かったのですが,調査捕鯨の拡大により供給量が増加したので,大幅に価格を下げてきました。調査ですから利益を出す必要がないためと,少しでも安価な鯨肉を供給したいという気持ちからです。
 もっと価格を下げたいところですが,そうなると調査のための経費を負担できなくなり,差額を国からの予算に頼ることになります。しかし,現在の緊縮財政のもとでは国の予算の増額は極めて難しいのが現実で,結果として今の価格が限界となっています。
 ちなみに捕獲調査経費に占める国からの予算の割合は一割以下です。それ以外の経費は鯨肉販売で支えています。

最後に「持ち帰る鯨肉の量が決まっている」という話は聞いたことがありません。実際,クジラの大きさの平均が変動するために,多い年もあれば少ない年もあります。昔は肥料に使っていた骨や内臓は,確かに今はほとんど持ち帰りません。
 価格を下げる努力は今後とも続けていきたいと思います。

[ご意見:25]「国民に対してもっとわかりやすい説明をお願いします」from:daisk5 さん

“パキンシャ”という番組の中で,水産庁の方が,「非致死的調査でやれというが,オーストラリアなどはやってくれない」と,説明していました。
 それよりも,「剥がれた皮や排泄物で非致死的調査を行なえというが,広い南極で排泄物を拾うのは時間が掛かり,現実的ではない。現実的でないから,オーストラリアなどの反捕鯨国は調査をやらない」,さらに調査捕鯨の成果について,「オーストラリア国内では,クジラは魚を食べないと放送されているが,我々の調査では,人間の3倍の魚を食べることがわかった」と,説明したほうがもっと理解できると思います。

[ご意見:25]「国民に対してもっとわかりやすい説明をお願いします」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

おっしゃる通りです。役所の文書や発言の仕方が分かりにくい,あるいは十分な説明がないことはよくわかっています。
 この「鯨論・闘論」をはじめた動機のひとつも,捕鯨にまつわるいろいろな問題について,もっとじっくりと,わかりやすく,さらに役所の文書の制約を受けずに説明や議論を行いたいと思ったことにあります。

「日本は捕鯨問題については,持続的利用の原則を支持する」といってもわかったような,わからないような立場表明です。
 「日本は,クジラという資源の利用の問題に関しては,例えば銀行の預金の利子だけ利用して元金には手をつけず,末永く利用していくこと,すなわち1992年の地球サミットで採択されたアジェンダ21でも認められた持続的利用の原則というものに則って,資源を枯渇させないで将来にわたって末永く利用していきたいと考えている。」などと言ったほうが,ずっとわかりやすいでしょう。
 それがなかなかできない理由のひとつは,役所の文書や言い方について,特に偉い人がそれを使う場合,なるべく短くするという習慣にあります。持続的利用の原則の例でも,短いほうも長いほうも本質的には同じことを言っているので,短いほうが使われがちです。
 また,テレビのインタビューや新聞の紙面も,こちらが言いたいことを全部取り上げてくれません。
 「日本の立場をひと言でお願いします。」とよく頼まれますが,その時に長いほうの説明をすれば,結局取り上げてもらえないわけです。1時間インタビューをして,放送に使われたのは10秒だけという経験はしょっちゅうです。

しかし,しっかりした説明ができるときは,するべきですし,しっかりした説明をできる機会を作っていくべきです。説明にも TPO があります。わかりにくい説明があれば,またご指摘をお願いします。この「鯨論・闘論」のコーナーや,ほかの手段で説明します。

[ご意見:24]「日本の立場をもっと明確に主張すべき」from:佐々木正大 さん

よく理解できます。この主張を日本のメデアは意見広告として関連諸外国に明確に発表すべきです。此れまでこういうことは為されてきたのでしょうか。もし為されているのなら,その反響はどうなのか?そういうことが知りたいと思います。

 国内向けに幾ら,こういうこと(反対運動等)が有った,それに対しこうした,と言ってみた所で,何の役にも立たない。日本の立場・意見は,こうであると繰り返し外国メデアに訴えていかないと,世論には届かないのではないか。その為にこそ,マスコミは共同戦線を張るべきだ。

[ご意見:24]「日本の立場をもっと明確に主張すべき」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

捕鯨問題を通じ,日本のメディアと外国のメディアの報道姿勢の違いについて考えさせられる機会がよくあります。
 日本のメディアは一般的に外国での反対運動の動向を報じ,日本が困難な立場に立たされているという趣旨の報道が多く,これに対するメディア自身の意見や提言は国内向けの社説の形をとります。他方,外国,特に豪州のメディアは,メディア自身が反捕鯨の方針を明確に打ち出し,報道というよりは反捕鯨キャンペーンの重要な役割を担っています。記事の内容も一様に捕鯨にネガティブなトーンで,記事の内容も驚くほど似たり寄ったりです。新聞社がイニシアティブをとって反捕鯨署名を集め,それを日本側に提出したことをまた自分で記事にするといった例もあります。
 日本のメディアと外国のメディアのどちらが良いかといったことは言いませんが,私自身としてはメディアは問題の解決に貢献すべきで,問題の悪化を助けるべきではないと思っています。

日本を一方的に悪者にして,センセーショナルな見出しで反捕鯨の立場をあおることは,新聞の売り上げには貢献するでしょうが,冷静な話し合いをより困難にします。
 双方の立場を公平に報道することが前提で,そのうえで読者の判断に任せるか,双方の立場を踏まえてメディアとしての方針を打ち出すのが,優れたジャーナリズムだと思います。私は外国のメディアの取材があるときは,しばしばこのポイントをまず話すようにしています。もちろん立派な外国のジャーナリストも少なからずいらっしゃいますし,彼らとは信頼関係を保っています。

日本のメディアに積極的に意見の発信をしていただくことは大歓迎ですが,外国メディアへの訴えや意見広告などは,やはりわれわれ関係者の仕事だと思っています。捕鯨については外国への意見の発信は,まだやっているほうだと思いますが,日本全体として意見の発信能力が弱いことで,国際的に損をして場面は少なくないと思います。心して頑張ります。

[ご意見:23]「捕鯨とはちょっと離れますが」from:混沌 さん

昨年,アメリカにおいてEEZ内での大型鯨種の混獲が許可されたとの新聞報道を読みました。
 確か日本国内ではサンプル提出後市場への流通が可能だったと記憶していますが,アメリカではどうなのでしょうか。何がしか利用するのでしょうか。

[ご意見:23]「捕鯨とはちょっと離れますが」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

アメリカではいろいろな漁業で大型鯨種が混獲されますが,混獲後の利用は許されていません。海産哺乳動物保護法という法律で,クジラなどの海産哺乳動物の捕獲や利用は原則的に一切禁止されています。

これは資源状態が豊富な場合も含めてです。
 利用どころか,海産哺乳動物の生活に影響を与えるような「ハラスメント」も禁止されており,カリフォルニアでは,増えたカリフォルニアトドが,ヨットハーバーを占拠し,海産哺乳動物保護法の規定のため追い払うことも出来ません。
 トドが絶滅危惧種のサケの種類を食べるため,海産哺乳動物保護法に反してサケを守るべきか,やはりトドには手をつけられないかという論争もあります。

[ご意見:22]「広報活動」from:wofie00 さん

水産庁として,捕鯨問題の理解に関して,諸外国向けに何か能動的な広報活動をされてますでしょうか?

 また,このサイトは「建設的な意見交換の場」とのことですが,英語での執筆はされないのでしょうか?
 >日本人は英語が不得意だから世界の世論を理解できていない,もっと一般の日本人を啓蒙すべきだという記事もオーストラリアの新聞に掲載されたことがある。
 と書いておられますが,このサイトに関しても考えるべきなのではないでしょうか。

 日本人の質問者の方々と交流されているのは素晴らしく,重要なことなのですが,英文を掲載し例えばオーストラリア人の質問に答えたほうが,国際的な広報としてより効果的なのではないでしょうか。
 外国人との質疑応答が官僚として不可能な場合でも,英訳さえあれば,市民レベルでこのサイトを諸外国に広めることが可能だと思います。

[ご意見:22]「広報活動」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

水産庁や日本鯨類研究所も外国向けの能動的な広報活動の重要性をよく理解しており,今までも,パンフレット,レクチャー,インタビューなどいろいろな手段で能動的広報活動を強化しようと努めてきています。

しかし,外国のマスコミで取り上げられた内容に反論するといった重要ではあるものの受動的性格の活動が多いことも否めません。関係者の間では常に議論し,能動的対応を強化したいと思っています。
 言訳にはなりますが,時間や労力,予算の制約に加えて,せっかくこちらが情報を送っても反捕鯨国のマスコミはなかなか取り上げてくれません。1時間のインタビューの結果20秒だけ,それもこちらとしてはどうでもいい様なことだけ放送されたという経験は山ほどあります。それでもインタビューの機会を得ただけでもましです。

このサイトの英文翻訳は私も考えています。実現できるかどうかはわかりませんが,皆さんからのご要請とご支持が,実現の助けになります。
 ちなみに,IWC の年次会議毎に,主要な議論についての日本文と英文のブリーフィング資料を作成しており,ネット上でも参照できます。役に立つようでしたら自由にお使いください。

※ブリーフィング資料は以下のリンク先でご覧いただけます。
  IWC59ブリーフィング資料(IWC会議のページ/関連リンク~鯨ポータル・サイト)

※なお,「IWC会議のページ」では,毎年,国際捕鯨委員会(IWC)の年次会議のライブ中継や周辺情報をお届けしています。今年6月のサンティアゴでの年次会議も完全中継する予定です。ぜひ,ご参照ください。

[ご意見:21]「官僚の,官僚による,官僚のための政策」from:平賀教雄 さん

筑紫哲也様

 下記のWeb Pageをご覧ください。
http://www.e-kujira.or.jp/geiron/morishita/1/#c16

 森下氏は日本の「捕鯨政策」をもっともよく代弁する人の発言であると受け止めていますが,外務省のこれに関するWeb Pageも,日本捕鯨協会のそれも,鯨類研究所のそれも,現在の活動がどのようなメリットを日本国民全体にもたらすはずのものであるか一切記述されていません。

 それは何故かといえば,「我々は反捕鯨国や,クジラを食べたくない人にまで,クジラを食べることを強要しているわけではありませんし」という官僚の発言に現れています。
 捕鯨活動が国民全体の幸福を狙ったものではなく,この活動によって利益を得る一部の人のものであることを白状しているものと受け止められます。

 鈴木俊一自民党捕鯨議員連盟会長,小野寺五典議員,山際大志郎議員(以上自民党),野田佳彦議員(民主党)のように,国際捕鯨協会の会議に税金を使って参加した人たちが国民の利益とこの活動の関係をどのように見ているのか聞いてもらえないでしょうか?

 平賀 拝

[ご意見:21]「官僚の,官僚による,官僚のための政策」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

筑紫哲也氏あてのメールを CC でいただきました。
 CC ですのでこちらで答える筋ではないのですが,一点誤解がありましたようですので,その件についてのみ書かせていただきます。

私の「我々は反捕鯨国や,クジラを食べたくない人にまで,クジラを食べることを強要しているわけではありません」という記述の意図は,クジラを食べたいと思っている,あるいは捕獲したいと思っている,国民の一部の人の利益だけを追求しているという意味ではなく,「我々は捕鯨についての自分たちの考え方を他の国や人に押し付けようとしているのではなく,相互の考え方の理解,共存を求めている」という意味で書いたつもりでした。
 反捕鯨勢力が,自らの考え方を唯一無二のように主張して,クジラを持続的に利用したいという考え方を受け入れないこととの対比を示すためです。

政府は国民全体の利益と幸福のために働くべきとのご意見にはまったく異論はありません。
 捕鯨問題の裾野の広さ,他の生物資源管理問題への波及などを考えると,少なくとも私は捕鯨問題の象徴するものは国民全体の利益と幸福に関係すると考えています。

[ご意見:20]「正論が通じない感情の問題に・・・。」from:山本浩二 さん

日本の捕鯨の敗北だと思います。

[ご意見:20]「正論が通じない感情の問題に・・・。」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

私は,捕鯨問題は日本が勝った,負けたという問題ではないと思います。沿岸小型捕鯨や公海での捕鯨が再開できれば,それで終わりというものでもないと思います。仮に捕鯨問題が何らかの形で決着しても,別の形の戦いが続いていくでしょう。

捕鯨問題は,クジラや,魚や,ゾウ,シカ,カンガルー,そのほかすべての生物と人類との関係,すなわち利用する余裕のある生物は一定の数を決めて利用し,保護する必要のある生物は保護するという持続的利用の原則を例外なしに貫くか,“世界の世論”という理由でカリスマ的生物の利用の禁止をどこかの国民に押し付けるか,あるいは野生生物すべての利用を禁止するか(これは実際には現実的ではないので,多くはカリスマ生物保護の言訳です)という紛争の,最前線であり,象徴的問題だからです。
 この紛争は日本のマスコミでは体系的に取り上げられることはほとんどありませんので,本当にそんな議論があるのかと思われるかもしれませんが,ワシントン条約(CITES:サイテス/絶滅の恐れのある動植物の国際貿易に関する条約),生物多様性条約(CBD/生物多様性の保護,利用,利益の公平な配分),漁業関連の国際組織,国連総会など,多くの場でさまざまな形をとりながら議論されています。

多くの開発途上国が,IWC や CITES で,クジラの持続的利用を支持する理由は,まさにこの観点からです。反捕鯨NGO などは,日本が海外援助で開発途上国の票を買っていると非難しますが,この観点が見えていないか,見たくないかです。
 例えば,多くのカリブ海の国は観光とサトウキビが主要産業で,結果的に米国と英国などヨーロッパに経済的に大きく依存しています。その経済収入に比べれば,はるかに小額の日本からの経済援助と引き換えに,IWC で米国やヨーロッパと対決する道を選んでいるとすれば,それは彼らにとっては危険すぎる選択です。その危険を冒してまでも,支持する価値があるのが持続的利用の原則と,自らの生き方は自らで決めるという信念です。将来を天然資源の利用に頼る開発途上国にとって,これは国の運命が関係する問題です。

日本の捕鯨再開の見込みがなくなったからという理由で,投げ出していい問題ではありません。おまけに日本は食糧も含めて資源小国です。日本も,もっと大きな視点から息の長い取り組みが必要な問題です。

[ご意見:19]「捕鯨は本当に日本国のナショナルインタレストですか?」from:平賀教雄 さん

捕鯨は本当に日本国のナショナル・インタレストなのでしょうか?

 農水省が発表している食糧需給表によれば 2006年度 正味食肉供給量の概算値は,牛肉が 70万7千トン,豚肉が 147万1千トン,鶏肉が 135万7千トン,鯨肉が 5千トンとあります。
 鯨肉は食肉供給量の 0.14パーセントを占めるに過ぎません。よしんば,これが 10倍になったとしても,1パーセントをわずかに超えるだけで日本国民の食の安全保障にはほとんど貢献できないのではないでしょうか。この 10倍という値は,おおよそミンククジラ 2万頭に相当,これは捕鯨のモラトリアムが発動する前 1975~76年の水準です。ここまでの捕獲量は望むことはできないのでしょう?

 しかるに,日本政府の力の入れようは大変なもので,鯨類研究所の最新の事業報告書によれば,第59回 IWC年次会合には「日本からは,森本IWC日本政府代表以下,水産庁及び外務省ほか63名が出席し,国会議員は4名が参加した。」とあります。大変大きなデレゲーションです。これ皆税金を使っての出張ですよね。納税者としては疑問を感じます。

 「クジラを食べたくない人にまで,クジラを食べることを強要しているわけではありませんし」というのは言わずもがなではないですか?森下さんの議論では,この言葉が 2度も繰り返されていますけれど,全く必要性のない言葉とは思われませんか?

 そんなことより鯨肉の価格に驚かされます。100グラム当たり千円です。これは一般庶民が気楽に購入できる価格ではありません。
 「日本全国には,クジラを食べたい人,捕鯨を自分のコミュニティーの大切な要素としてみている人たちがいます。」とのことですが,価格の点からいって,このような高級食材を「食べたい人」のために,政府が一所懸命に努力しなければならない理由が何処にあるのでしょうか?

 私も戦中生まれですから子供の頃は鯨肉のお世話になりました。牛肉など口に入るわけはなく,豚肉,鶏肉も稀に食べるぐらいで多分他の肉類よりも鯨肉をもっとも多く食したのではないかと思います。[ご意見:7]の森上さんのおっしゃるように,豚肉,あるいは鶏肉と比較すると,筋張って固くうまいものではなかった。私も,まずい肝油を飲まされた口です。それでも当時,鯨肉は手ごろな価格で手に入り,豊かではない一般庶民の食べ物であった。
 私は 1960年以降,鯨肉を食した記憶はありませんけれど(別に家が豊かになったわけではありません),農水省の食糧需給表によれば,1960年になっても国内食肉供給量の 28パーセントを鯨肉が占めていたのですね。だから捕鯨は,比較的な意味で当時は大きな産業だったのです。それに応じて官庁にも,それ相応の規模の対応組織が育つことになった。

 引用しました森下さんの文章の中にもうひとつの問題がありますね。
 「捕鯨を自分のコミュニティーの・・・」のくだりです。日本のあちこちに,そのような地方文化が存在することは,その通りでしょう。だからローカル・インタレストがあっても当然です。これらはできれば守ってあげたい。
 しかしながら,このようなローカル・インタレストを引き合いに出して,ナショナル・インタレストのごとくいうのは間違いでしょう。
 陸から見える範囲でのローカルなクジラの“狩猟”と,南氷洋での近代的捕鯨船団による“捕鯨”とを,同じレベルで議論するのには,大いに疑問を持ちます。ましてや諸外国との話し合いの場では,決してこのふたつを混同してはなりません。

 捕鯨が許されたと仮定して,捕鯨業界の経済学はどのようになるのでしょうか?
 現在は政府の補助金 10億円,無利子の融資が 20-30億円と,2月2日付の朝日新聞が報じています。政府の補助金なしで産業として自立できるのでしょうか。
 結局,補助金を継続的に出さざるを得ないのでしょう?補助金はどの産業にも出されていることですから,これのみを取って目くじらを立てることはありません。
 問題は事業全体に占めるその比率なのです。事業収入を高くしようとすれば,クジラをたくさん捕るか,価格を上げるしかありません。悪いことに燃料代が高騰していて,下がる見込みがありません。南氷洋捕鯨のコストは高騰し,鯨肉の価格は上げざるを得ません。
 今でもそうなのにますます鯨肉はリッチな趣味人の食べ物になります。これが低所得者も恩恵をこうむるべきナショナル・インタレストなのですか?

 南氷洋捕鯨には,もうひとつ答えられなければならない設問があります。捕鯨が解禁されたとして,そのシェアはどのように配分されるべきなのでしょうか?
 日本が,ほぼ独占するのでしょうか。捕鯨が自立できる産業として成立するためには,多分,多数のクジラを捕らなければなりません。最低限でも許された捕獲量を,日本がほぼ独占しなければならないと思いますが,これが常任理事国になりたい大国,経済大国のすることでしょうか?

 統計についてひと言。森下さん,一般の人に鯨類研究所の人が記した統計計算を見ろというのはむちゃくちゃなことですよ(ちなみに日本語の該当文書はブラウザーの上にエラーメッセージが出てしまう。英語版はダウンロード可能)。これは知識の隔たりの大きさからして,森下さんにノーベル物理学賞の受賞論文を読めと言っていることと大差ありません。
 それに統計学は,前提条件を変えれば,どんな数値を出すこともできるのです。単に統計学を使っているからといって“科学的”とするのは間違いです。“科学的”な部分は,その前提条件の中に求められなければなりません。もしかしたら“科学的に”だましているのかもしれません。サンプル数の大きさ,すなわちクジラの屠殺数の多さはやはり疑問です。
 森下さんは体重の推定の例をひいて説明しています。統計学ではサンプル数を増加させるのは推定の信頼度水準を高めるために行なわれるとのことは,おっしゃるとおりです。1桁より,2桁,さらには3桁,4桁と有効数字を高めるということです。
 Wise-Use 可能な数値を見出すための生態学の研究で,10パーセント増えたとか15パーセント増えたで十分なところを,10.5パーセント増えたといわなければならないような,そんなに高い有効数字,厳密な数値が必要なのでしょうか?

[ご意見:19]「捕鯨は本当に日本国のナショナルインタレストですか?」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

詳細なご意見をいただきましたので,なるべく詳細にお答えします。

まず,現在の鯨肉供給量からして,これが日本全体の食の安全保障に大きな影響はないことは,ご指摘の通りです。2点コメントをしたいと思います。
 第1点は,今回の議論「どうして日本はここまで捕鯨問題にこだわるのか?」に書きましたように,捕鯨問題は今日や明日の食料の過不足の問題ではなく,1992年の地球環境サミットで確立された持続的利用の原則を,感情や,特定の動物に対する価値観の違いでゆがめてはいけないという問題意識を象徴する問題だということです。
 この問題意識は,国内外の多くの関係者が共有していますし,これに例外を認めることの危うさを理解する漁業者,狩猟関係者,林業関係者,野生生物管理関係者が捕鯨問題で応援してくれています。
 第2点は,ローカル・インタレストの問題と関連しますが,「日本全体の食の安全保障に大きな影響はないので,社会的,経済的にもクジラが大きな位置を占めるローカル・コミュニティーは捕鯨をやめろ」とはいえないと思います。これは,国益のために地方は切り捨てるといっていることになります。

鯨肉の価格の高さは供給の少なさを反映しています。「食べたい人」も昔のように安いクジラを食べたいのだと思います。鯨肉は商業捕鯨モラトリアムの導入により,無理やり高級食材にされてしまいましたが,本来はそのような食材ではないはずです。
 我々も高級食材となってしまったクジラを,高級食材として維持するために捕鯨問題に取り組んでいるわけではありません。

誤解を生んでしまったようでしたら,お詫びしますが,私も南氷洋捕鯨と沿岸小型捕鯨は区別し,別の議論をしてきています。むしろ,反捕鯨の論調の中で混同があることに,いつも不満を感じています。
 ごく単純化する危険と誤解を覚悟でいえば,私は,南氷洋捕鯨は原理原則の問題,沿岸小型捕鯨は人権問題だと思っています。

鯨類捕獲調査に対する政府の補助ですが,10億円ではなく,そのおよそ半分です。
 残り半分は,目視調査を行うための委託費で,捕獲する調査とは別です。
 鯨類捕獲調査の年間コストは,およそ 60億円ですので,およそ 90パーセントのコストを,調査後の副産物である鯨肉販売でカバーしています。[ご意見:17]「どうして日本はここまで捕鯨問題にこだわるのか?」の加賀直樹さんへの回答でも書きましたように,制約のずっと少ない商業捕鯨が可能となれば十分採算がとれると思います。

南氷洋の資源については,もしそれが利用できるようになれば,何らかの形で利益を国際社会に還元すべきとの議論は,以前から捕鯨関係者の中で行われてきています。
 日本が独占することや,かつての早い者勝ちの捕鯨オリンピックのようなことは,将来の捕鯨では許されるべきではないと思います。
 どのような形で利益還元や公平な配分ができるかは,いろいろ議論すべきですし,深海鉱物資源の利益を配分する仕組みを持つ深海底開発機構(ISA)という例も参考になるでしょう。
 ただ,捕鯨が認められることになる場合は,1992年に IWC科学委員会が開発した改定管理方式(RMP)に基づき,厳格な捕獲枠が設定されますので,いずれにしても過去のような取り放題の乱獲が起こらない,許さない制度が既にあります。

捕鯨問題では,科学的議論について正しい理解を得ることが重要ですが,これを科学者以外にもわかりやすい形で説明することは,決してうまくできていません。
 私を含む理科系出身の技術職は,高度な科学的情報を一般の方々に伝えるように噛み砕くことも役割の一つだと思いますし,平均体重の推定の例えもその努力のひとつです。
その上で,さらに詳しい情報を見たい人に対して,調査計画原文へのリンクを示しましたが,説明責任回避ではなかったことをご理解いただければ幸いです。
 なお,推定精度の基準を高めればサンプル数が増加することはご指摘の通りですが,鯨類捕獲調査で目指すデータの推定精度は任意に選んだのではなく,IWC科学委員会で標準的に求められる変動係数(CV),推定するパラメーターの変動の感知限界値など,科学委員会の議論での常識的な範囲を採用しています。そこから算出されたのが現在のサンプル数です。

[ご意見:18]「戦略戦術の提案」from:匿名 さん

YouTube を見てここにたどり着きました。
 捕鯨問題の感想は,単なる論争ではなく欧米人が日本(有色人種)に仕掛けてきた“文化戦争”だと思います。
 “戦争”であれば,反捕鯨の欧米人を説得するのは不可能だと思います。そういう観点からの戦略戦術提案です。

 【インターネットの徹底活用】
 インターネットは,広報宣伝の効果を驚くほど安価なコストで達成できます。
特に YouTube をはじめとする動画サイトの活用を強くお勧めします。自民党などの日本の政治団体もチャンネルを持っている様なので,水産庁も持てるのでは?また,メールマガジンなども効果的だと思います。

 【国内広報宣伝】
 ◎ 対 マスコミ
 マスコミの弱みのキーワードは“不正義”“非科学的”“古臭い”です。
 日本のマスコミの欧米追随的態度は,まさに“不正義”と“非科学的”に与する態度だと思います。メールなどで,捕鯨問題の実情を正しく報道するように要請すべきです。また,その要請に対するマスコミ各社(地方紙も含めるべき)の対応を,ネットで公表するのも効果的だと思います。

 ◎ 対 教育現場
 教育現場にも,捕鯨問題を取り上げるように,文科省や日教組に要請してはいかがですか?

 ◎ 対 政治宗教団体
 政治団体は,おおかた捕鯨擁護の立場のようなので,国会決議や超党派議員団設立などの働きかけをしてはいかがですか?また,地方議会に働きかけるのも良いのでは?

 ◎ 対外広報宣伝
 特に重点的に広報宣伝をすべき国々は,中韓や東南アジアなどの日本の周辺諸国だと思います。

 ◎ ボランティアの公募・活用
 広報宣伝のためのコンテンツ作成や各国語の翻訳ボランティアを公募して活用しては?

 捕鯨問題を解決できるかどうかは,日本のみならず世界の有色人種国家の真の独立問題だと感じているところです。
 ご健闘をお祈りします。

[ご意見:18]「戦略戦術の提案」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

さまざまな有益なアイディアをいただき,ありがとうございました。

私も,数年前にテレビに出た時に,役所からの情報は,遅い,わからない,コンテンツがないなどと,批判しました。あとで怒られると思いましたが,幸いクビにはなっていません。

少し弁解をしますと,一応インターネットからの情報改良には取り組んできています。
 日本鯨類研究所(http://www.icrwhale.org/)のサイトなども,昔よりは良くなりました。この鯨ポータルサイトも,その結果です。課題は,コンテンツの改良とアップデートの頻度増加です。

政治団体については,自民党,公明党,民主党のすべてに捕鯨支持の議員連盟があり,超党派の組織もあります。国会決議も何回か採択してもらいました。地方自治体からも,熱心なサポートをいただいています。

国内外への広報強化は,長年の課題で,専門家のサポートも得ていますが,反捕鯨NGOに比べて,広報予算が,ひとケタ,解釈によっては,ふたケタ違うことが大きなハンデです。その意味では,ボランティア公募は面白いと思いました。

今後とも,ぜひ,いろいろなご意見,ご提案を,お願いします。

[ご意見:17]「どうして日本はここまで捕鯨問題にこだわるのか?」from:加賀直樹 さん

私は基本的には捕鯨賛成派です。
 しかし,理由は捕鯨に反対する明確な科学的根拠が薄い,又は無いと言う“消極的賛成”ともいえるもので,どうして捕鯨にこだわるのかという疑問も持っています。
 
 確かに反対派の意見は理不尽なものも多いと思いますが,仮に商業捕鯨が再開したとしたら,その場合の捕獲枠は?実際に漁をする漁業関係者にとっての採算性は?そもそも国内の需要はどれほどなのかなど疑問があります。
 食料自給率が 4割の日本にとって,食料資源の確保は重要だと思いますが,それも理由のひとつなのでしょうか。

 あと公海上での調査捕鯨を止める代わりに沿岸での商業捕鯨を認めてもらうという訳にはいかないのでしょうか。
 1997年にアイルランドが,そのような提案をしたという話を聞きました。結局流れてしまったとの事ですが,理解を示した国も多かったと聞きます。
 もちろん素人の思いつきの意見ではありますが,水産庁などの関係者の皆様は,その辺りをどう見ているのでしょうか。

[ご意見:17]「どうして日本はここまで捕鯨問題にこだわるのか?」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

商業捕鯨が再開された場合には,1992年に IWC科学委員会が開発した改定管理方式(RMP)に基づき捕獲枠が計算されます。
 RMP は対象となる鯨種が乱獲されないように十分安全を見込んだ捕獲枠を算出することを可能としており,南氷洋のミンククジラに関しては,年間少なくとも 2000頭の捕獲枠になるとの試算があります。
 いずれにしても,捕獲枠は捕鯨をしたい国が勝手に決めるのではなく,IWC が科学的に計算した数になります。

その採算性については,捕鯨業者によりコストが違いますので一概にはいえませんが,次のように考えます。
 今の調査捕鯨には“調査”という大きな制約があります。調査では,好きな場所で効率のいい大きなクジラを捕れるわけではなく,データの代表性を確保するために,あらかじめ決められた海域と航行コースに従って,乱数表などを使った無作為抽出で捕獲を行っています。そうした調査捕鯨のもとでも,コストの約 90パーセントを調査後の副産物である鯨肉販売でカバーしていますので,商業捕鯨であれば十分現実的な採算性を確保できると思います。

鯨肉の国内需要については,価格との相関がありますので,これも一概にはいえません。
 安ければ需要が大きく伸びる可能性があります。最も鯨肉を多く消費したのは 1962年ですが,この時は年間約 23万トンの鯨肉が日本で消費されました。現在の消費量の 50倍近くです。値段が下がっても,ここまで需要が拡大するとは思えませんが,市場関係者の話などをうかがっていると,現在の数倍の需要は潜在的にあるようです。

1997年のアイルランド提案は,一部であっても捕鯨を認めるという要素があったため,いかなる条件のもとでも捕鯨は認めないというオーストラリアなどの強烈な反対にあって,成立しませんでした。
 基本的には今でもその状況は変わっていません。反捕鯨国の政府にとっては,調査捕鯨の中止を条件としても,沿岸捕鯨に賛成することは政治的な自殺を意味します。
 仮に同じような提案が出てきたら,日本はどうするのかという点については,交渉事ですのでコメントはできませんが,公海での調査をやめてしまうと,大きな科学的データのブラックホールを作り出してしまうことを強く懸念します。
 クジラの生物学に関する限り,インド洋がブラックホールになってしまっています。これは,1979年に採択されたインド洋サンクチュアリーにより,商業捕鯨が禁止され,調査も行われなかったためです。
 資源を利用するにしろ,保護するにしろ,科学調査が基本であることから,その調査そのものを否定することは,捕鯨問題における科学の放棄を意味すると思います。

[ご意見:16]「捕鯨に対する懸念」from:ひろこ さん

捕鯨には,絶対反対です。
 特に,日本の捕鯨が Australia海域で,捕鯨をする事は,理にかなわないように思います。
 私は Australia に12年在住しています。オーストラリア人が人種差別主義だというのにも,大反対です。オーストラリア人は動物も人も平等に考えて自然をできるだけ,守ろうという人たちです。クジラは絶滅してしまえば,それで終わりです。取り返しがつきません。日本人は伝統にこだわっていますが,悪い伝統は,終わりがあっても,いいと思います。雄大なクジラを,殺して食べる事が,どうしても,いい伝統だとは,思えません。日本人の美しい伝統は,もっとほかに,あるのでは,ないでしょうか?
 日本人ということに,こだわらず,地球人として,地球上の全ての,生き物との共存に,取り組むことが,新しい世代の伝統になってくれる事を望みます。

[ご意見:16]「捕鯨に対する懸念」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

クジラが絶滅してしまえば,それで終わりというのはまったくおっしゃるとおりです。我々の目指しているのは,資源量の豊富なクジラを枯渇させることなく,将来にわたって持続的に利用すること,枯渇したり絶滅に瀕したりしているクジラはしっかり保護することです。
 将来の世代が引き続きクジラが生息する地球を受け継ぐことは我々の目標でもあります。
 それを実現するために,日本は国際捕鯨委員会で,科学的なデータに基づき十分安全を見込んだ捕獲枠を受け入れること,国際監視員を捕鯨船や捕鯨基地に受け入れ透明性の高い捕鯨を行うこと,人工衛星で捕鯨船を追跡し密漁を防止することなど,さまざまな提案を行ってきています。日本の言うことはすべて嘘だというなら,そもそも対話も成立しませんが。

捕鯨は日本の伝統・文化だから認めろという議論は,私はあまり使いません。「文化だから資源の乱獲につながるとしても,絶滅危惧種であっても認めろ」と言っているように誤解されますので。
 「悪い伝統」とは,どう決めるのでしょう。少なくとも我々はクジラを捕りつくすことなど考えていません。特別な生き物を殺すから悪い伝統でしょうか。それでは,インドの人にとっては牛肉を食べることが悪い伝統となります。オーストラリアではカンガルーが食用にされますが,これは悪い伝統でしょうか。日本では金華山を始め多くの地域で,シカが神聖な生き物ですが,欧米では代表的な狩猟の対象です。すべての生き物を殺すべきではないという主張は,少なくとも一貫していますが,これをすべての人類に求めることは現実的とはいえません。

生き物の命をいただく限り,最も苦しみのない方法で捕獲が行われるべきことは当然です。国際捕鯨委員会では,この問題を長年にわたり議論してきており,銛がもっとも適切な方法であることが認められています。捕獲方法の改良の結果,近年では半数以上のケース(ノルウェー近海などでは8割近く)が即死で,そうでない場合も速やかに二次的捕殺方法が適用され,よくオーストラリアの新聞で報道されるような,何十分もかけて捕殺するようなケースは例外的です。捕鯨は,ほかのどの狩猟活動(カンガルー,シカなど)より人道的なことは,データが物語っています。

捕鯨問題は,誤解や情報不足,感情論が飛び交い,その流れで人種差別の話も出ていますが,私は,このような流れは悪循環と憎悪や悲しみを増幅させるだけだと思います。相手を人種差別主義だといっても,何も問題解決にはつながりません。お互いの言うことに心を開いて聞いて,対話を成立させることが,まず第一歩だと考えます。

ちなみに,オーストラリア政府が自国水域と主張する南氷洋の海域は,日本だけではなく米国などを含む世界のほとんどの国が認めていません。南極条約では,紛争を回避するため南極の領土権の主張を凍結することが決められており,オーストラリアも南極条約に加盟しています。

[ご意見:15]「大変よく理解できました。」from:匿名 さん

私は小学生のときに給食でクジラがでていた記憶がある世代ですが,ももともと直感的に捕鯨問題については“世界の世論”の方がおかしいと感じておりましたが,森下様の上記論文を読ませていただいて大変明快になりました。
 なぜクジラだけが対象にされるのか理解に苦しみます。例えば,マグロなどは,最近は世界的に不足してきているということも報道されており,なぜマグロはよくてクジラはだめなのか。
 国際法の勉強が大変重要だと再認識し,法律家の端くれとして早速勉強してみたいと思っております。

[ご意見:15]「大変よく理解できました。」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

コメントをありがとうございました。

なぜクジラだけが対象になるかというのは,なかなか深い問題です。
 環境問題のコンテクストでは(私は,捕鯨は環境問題ではなく,資源管理問題であるべきだという認識ですが),“カリスマ性のある生物”という概念があります。クジラ,ゾウ,トラなど,大きくて世界中の人が子供のころから知っている生物を指しますが,このような動物は特別扱いを受けています。
 例えば,どこか北の国の偏狭の池にすむあまり知られていない小さな魚が本当に絶滅の危惧に瀕していても,実は絶滅の危機にないミンククジラなどの方にずっと注目が集まります。誰も知らない小さな魚では運動が盛り上がらない,寄付金も集められないからです。目立つ生物のシンボルとしての重要性はありますが,公平な扱いではないことは事実です。
 また,捕鯨問題で攻められるのは日本,ノルウェー,アイスランドといった少数の国ですが,マグロで同じことが起これば,ヨーロッパの多くの国や,米国,オーストラリア,中国など,ほとんど世界中の国が対象になります。
 これもクジラが特別な意味を持つ理由です。ほとんどの国にとって反捕鯨政策は自分に痛みのない問題なのです。
 法律や科学の適用が,このようなカリスマ性や政治的条件でゆがめられることはあってはならないことだと思いますが,現実でもあります。逆にそうであるからこそ,下手に譲れない問題だと感じています。

[ご意見:14]「質問よろしいでしょうか」from:松本耕太 さん

第2期南極海鯨類捕獲調査では6年間の調査をすると聞きました。そして調査が終わり,南極海のミンククジラの資源は健全であるということが科学的に,完璧に証明されたとします。
 しかし,そのとき反捕鯨国の人たちは日本の捕鯨を認めてくれるのでしょうか。
 これまでのように「クジラを殺したデータは要らない」とか「日本はデータを改ざんしている」などといい,反捕鯨の姿勢を変えないのではないでしょうか。
 調査捕鯨を続けることは本当に意味のあることなのでしょうか。いつか捕鯨が国際社会からも認められ日は来るのでしょうか。

 それとオーストラリアが日本を国際司法裁判所に訴える,といってきたそうですが,本当ですか。訴えられたとしたら日本が勝てる可能性はありますか。

[ご意見:14]「質問よろしいでしょうか」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ミンククジラ資源の健全さは,すでに18年間をかけて終了した第1期南極海鯨類捕獲調査や,日本が大部分の費用と船を負担している IWC の国際共同目視調査(IDCR/SOWER)で明らかになっていますが,反捕鯨国は捕鯨の残酷性やクジラが特別の動物であるといった科学とは異なる観点から反対しています。
 その意味では,捕鯨に関する科学的議論は実質上かたがついているのですが,反捕鯨国はそこを認めず,残酷論に加えて科学的不確実性があるなどといった主張もしています。ちなみに,この科学的不確実性についても,IWC科学委員会は1992年に RMP(改定管理方式)という手法を満場一致で完成し,不確実性のもとでも資源に悪影響を与えない安全なレベルの捕獲枠を計算することが出来るようになっています。
 それでも調査を続けるのは,すべての生物資源管理の基本が科学調査であるという原則と,科学的には一点の反論も出来ないところまで努力するという姿勢があると思います。賽の河原の石積みのような面もありますが,これを続けているからこそ,捕鯨問題がここまでもってきたのだと思います。

国際司法裁判所への提訴について,オーストラリアが正式に日本に言ってきたわけではありませんが,マスコミに対してはそのような発言をしています。
 法的には日本の鯨類捕獲調査が合法であることはようやくオーストラリアのマスコミなども言うようになっていますが,IWC を設立した国際捕鯨取締条約の「法の抜け穴」を乱用しているという批判や,日本の鯨類捕獲調査は調査の名を借りた商業捕鯨なので,その「法の抜け穴」は適用されないとの批判をしています。
 どのような法的観点から訴えが行なわれるのか,いくつかの可能性があり,一概には言えませんが,われわれは,これで日本の調査が違法であるなどという判決が出ると,もう捕鯨問題も末期症状だと思います。ただ,裁判の結果は予断を許さないと思っておくほうが良いと思います。

[ご意見:13]「森下丈二さんへ」from:はやて さん

森下さんが出ている捕鯨に関する理解を深めるための動画を,あるサイトで拝見して以来,捕鯨問題に関して興味を持っておりました。
 何度,科学的証拠を提示しても,相手にせず,気違いじみた運動を繰り返す豪州やマスメディアとの交渉お疲れ様です。

 最近 YouTube 上に,反捕鯨運動の矛盾点を突きつける内容の動画がアップされ話題を呼んでいますが,このことについてどうお考えですか?
 個人的には,多くの人が見ているし,言いたいことがある程度まとめられていたので,スカッとしたのですが,ここで森下さんが述べているように,更なる悪循環を生み出す原因になりかねない内容であったことも事実です。
 我々のような一般人は,スカッとしたで済むかもしれませんが,やはり森下さんの立場からすると,あのような動画は好ましくないのでしょうか?

 ただ,多くの人を啓蒙し,豪州人に自身を疑うきっかけを与えたという点は,すごく評価できると思いました。正直なところ,森下さんが出ていたビデオは動画サイトで数万そこそこの再生しかされておらず,あまり日本人の啓蒙に繋がったとはいえないと思います。
 やはりこのような問題は,事実を国民に広く知らしめねば解決も難しいかと・・・。

 とにかく,捕鯨問題がやっと盛んにネット上で議論されるようになってきた今こそ,水産庁や森下さんの主張を広めるチャンスじゃないでしょうか!動画投稿は,いい案だと思います。機会があればでいいので,もう一度頑張ってください。
 “YouTube”,“Stage6”,“ニコニコ動画”(人目をひくタイトルにした方が良いかもしれない)などなど・・・。

 鯨肉を,安くたくさん食べたいという国民は,たくさんいます。私も,そのうちの1人です。森下さん,自給率が低い日本に,どうかクジラ文化を取り戻してください!おねがいします!

[ご意見:13]「森下丈二さんへ」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

YouTube動画についての私の考えは,[ご意見:9]山中 進さんへの回答もご覧ください。

情報発信や意見の表明については,発信者の立場によって異なる役割があると思います。
 例えば日本の首相が YouTube動画と同じ発言をするなら,オーストラリアとの関係全体を危険にさらす覚悟が必要になります。オーストラリアの閣僚は,それに気が付いているのか疑問に思うときがあります。
 しかし,言うべきことはしっかりと言うべきですし,首相なら首相レベルのやり方があります。われわれ政府の役人は,政府の役人としてのやり方で言うべきことを言うべきです。マスコミも,一般国民の方も,それぞれの立場で言うべきことを言うべきです。

YouTube動画は,その匿名性のもとで,腹の底にある憤りを表明し,オーストラリアに強烈に伝えたという役割を果たしたのだと思います。
 捕鯨問題が議論を呼んでいる今,動画の投稿に限らず,しっかりした意見を発信するにはいい機会だと思います。今までは,いくら言っても取り上げられないというフラストレーションがあり,これからもあるでしょうが,諦めずに続けたいと思います。この「鯨論・闘論」の企画もその観点から始めました。これからも応援,ご支持,叱咤を含むご意見をお願いします。

[ご意見:12]「IWC,調査捕鯨および商業捕鯨について」from:古川幸之助 さん

日頃のご苦労に感謝いたします。

感情論が支配する IWC に所属している必要がどれくらいあるのでしょうか。
 IWC に所属していないと調査捕鯨はできないのでしょうか。それより,調査捕鯨による根拠を元にした商業捕鯨は,IWC のもとでは,不可能なのでしょうか。
 理屈の通らない国を相手に自縄自縛の状態にあることが,どれくらい自国(日本)にとってメリットがあるのかよくわかりません。

 種の絶滅を招くような乱獲は厳に慎むべきですが,独りよがりでない根拠を元にした捕鯨であるならば,それは食糧自給率の低い自国にとって水産資源確保の貴重な機会であり,また権利ではないかと考えます。
 いつまでも IWC 所属に拘泥することなく自国の食文化,捕鯨技術伝承のためにも,調査捕鯨の継続,商業捕鯨の再開を,必要であれば行っていただければと思います。
 現状は余計な波風を立てないため,捕鯨に関わる人や消費者に不利益を強いながら,IWC に忍従しているようにしか見えません。
 仮にここで IWC脱退,商業捕鯨再開を行ったとして,本当に,自国の国益に反するような事態になるのでしょうか?

 状況を綿密にフォローもせず,たまに触れるニュースでしか,捕鯨に関する知識を得ていません。従って気に障る意見を書いているかもしれません。その点は,ご容赦頂きたく存じます。

[ご意見:12]「IWC,調査捕鯨および商業捕鯨について」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

ご意見をありがとうございました。

古川さんのご意見は,私を含め多くの方が賛同するものだと思います。
 昨年のアンカレッジでの IWC では,日本代表団は今までにない,かなり大胆な妥協案も示し,理屈の上では反対しようのない提案で沿岸小型捕鯨への捕獲枠を要求しましたが,それでも提案が否決され,もう打つ手がないという状況になりました。
 これを受けて,会議の最後に水産庁・中前 明 次長から,日本としては今後 IWC との関係を見直し,距離を置いた対応をせざるを得ない,そして,国内関係者から要請されている,IWC からの脱退,IWC に代わる新たな国際機関の設立,200海里内での沿岸小型捕鯨の自主的再開などの検討を開始するという発言を行ないました。発言の全文は,このホームページにあると思います(日本語英語)。
 IWC議長である米国のホガース氏は,この発言を真剣に受け止め,現在 IWC を正常化するための努力を行なっていますが,依然として強硬な反捕鯨勢力は態度を変える様子を見せておらず,ホガース議長の努力も前途多難です。
 彼も2009年の IWC年次会議までに何も改善されないようであれば諦めるしかないといっています。
 ここ1,2年が,日本も腹を決めなければならない時になると思います。

なお,IWC のもとで商業捕鯨を再開するためには,投票で4分の3の票を得る必要がありますが,今の IWC では非常に可能性が低いのは明らかです。
 ノルウェーは異議申し立てという手続きのもとで合法な商業捕鯨を行なっていますが,日本は過去に米国からの圧力で異議申し立てを撤回しており,再度異議申し立てを行なう仕組みもないため,ノルウェーのようには出来ません。
 IWCを脱退すれば,これらのルールに縛られないことになりますが,国連海洋法条約や,南極海の場合は南極条約などの関係で,自由に捕鯨を出来るというわけではないし,今以上に反捕鯨勢力から違法だという批判にさらされ,それに対する法的反論が難しいという状況になると思います。
 もちろん,それでも毅然と脱退するべきだ,という意見もあります。

[ご意見:11]「森下さんの意見に大賛成!!!」from:岡田 和巨 さん

私は日頃から,反捕鯨国の主張を理不尽で一方的な感情論であると感じておりましたが,それを見事に論破されている森下さんのご意見に大いなる拍手と支持をいたします。

 考えてみれば,人間は他の植物であれ動物であれ“いのち”の恵みを受けてのみ生存できるのです。そしてまさにその“いのち”のひとつとしてクジラを捕食する事は,わが民族の古来の慣習であり,なんら天に恥ずべき行動ではありません。
 他の民族が,シカやウサギ,あまつさえカンガルーやカモシカ,ウミガメやイルカ,その他の“いのち”を捕食することを,われわれは非難すべきではないと同様に,われわれがクジラを捕食する事もまた何人からも非難される謂われは微塵もありません。
 ただ,快楽や自己の欲望のままに,いたずらに殺戮し,結果,種の絶滅へと導くような行動に対してのみ人類として鉄槌を下さねばならないと思います。

 さてこのところ,二酸化炭素削減について,関心がもたれていますが,まさに捕鯨こそ理にかなった手段であると提案されてはいかがでしょうか?牛肉1キログラム生産するために,飼料,牧草地,その他,人為的エネルギーをどれ位必要とし,また,どれ位の二酸化炭素排出量に換算できるのかは,(正確な数字を出すのは)残念ながら小生には不可能ですが,しかし相当の量に達するのではないでしょうか?
 一方,クジラは天然の恵みを受けているので二酸化炭素の排出はほとんど0であるといえます。地球温暖化防止の観点から,牛の飼育を必要最小限に抑えるとともに,自然の恵みを最大限活用する事を提案してください。

 また,アフリカ諸国の食料不足解消と,捕鯨への理解,意識改革のため,日本が捕獲する鯨肉1キログラムにつき,牛肉飼育に必要な穀物を一定の割合で食糧援助することも併せて提案されてはいかがでしょうか?

 以上,素人の論であり,お恥ずかしい限りですが,森下さんに頑張っていただきたい為にはじめて投稿した次第です。フレーフレー ガンバレ モリシターサン!!!!!!

[ご意見:11]「森下さんの意見に大賛成!!!」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

熱烈な応援をありがとうございます。常に理不尽な反捕鯨論ばかり聞かされていますので,ご支持の意見をいただくと,本当にありがたく思います。

鯨肉が環境に優しい食料だという点は,私もよく主張し,国内の講演の機会などでも話しています。
 牛肉1キロカロリー分を生産するためには,飼料,水資源,運搬そのほかの必要エネルギーをあわせて,20キロカロリー近くが必要という説もあります。少なくとも10キロカロリーは必要というのが定説です。
 他方,クジラには人がエサを与える必要もありませんし,病気を防止するための抗生物質も使っていません。北西太平洋で捕鯨をする場合,鯨肉1キロカロリー分を得るために必要なエネルギーは3キロカロリー以下という試算があります。
 これらの数値が直接,二酸化炭素などの温暖化ガスの排出量に換算できるのかわかりませんが,鯨肉は,実は牛肉よりはずっと環境負荷(フットプリント)の少ない食料です。また,高タンパク,低カロリー,アレルギー反応を起こしにくい肉であることもよく知られています。

捕鯨から得られる利益を,何らかの形で,特に開発途上国に分配することが出来ないかという議論は,以前から捕鯨関係者の間でも行なってきています。
 特に南氷洋は人類共通の財産で,日本だけがそこから得られる利益を独占するべきではないと考えられます。
 今は具体的なプランはありませんが,いろいろなアイディアを議論すべきでしょう。穀物援助と結びつけるという岡田さんの考え方も面白いのかもしれません。
 いずれにしても,捕鯨問題とは別にしても,穀物が家畜のエサやバイオマスエネルギーに向けられて価格も上昇し,開発途上国に回らないというのは問題だと思います。

[ご意見:10]「暴力的な反捕鯨NGO には毅然たる態度を」from:鯨好き さん

IWC やその他の捕鯨関連の場でご活躍を拝見させていただき,いつも応援しています。

 私の意見ですが,反捕鯨派は捕鯨推進派と相反する考え方なので,そのものは否定しようがないと思います。しかしながら,その主張は認めても反捕鯨NGO の行動には暴力的なものも多数含まれ,それに対し日本は非常に生ぬるい曖昧な態度をとりつづけています。その曖昧な態度は,彼らの行動を容認・助長するだけで,これからの調査捕鯨をますます危険なものにするだけではないでしょうか?

 そこでお聞きしたいのは次の2点です。 

1.彼らの取り締まり強化は以後どのようにお考えなのか?
2.他の官公庁との連携で徹底的に撲滅する手法はないものか?

 ノルウェーの場合ですが,過去にあの過激なシーシェパードの船を強行に取り締まり,その後は姿を見せなくなったと聞いておりますが。他の官公庁との連携で調査捕鯨の皆様の安全のためにも強く働きかけてほしいと存じます。本当に邪魔で迷惑なのは“彼らだけ”だと思います。

[ご意見:10]「暴力的な反捕鯨NGO には毅然たる態度を」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

暴力的反捕鯨NGO への対応についてはおっしゃるとおり,毅然たる対応が必要と思います。

最近は水産庁だけでの対応ではなく,海上保安庁などの関係省庁と連帯しながらの対応を強化してきています。
 また,法的措置をとるための対応も進めています。
 今回の妨害活動に関連して,官邸からも非難の発言があったように,日本政府全体での取り組みも行なっています。

さらに強い対応を可能にするためには,皆さんからの支持と要請も必要ですので,今後とも応援をお願いいたします。

[ご意見:9]「YouTube 動画を巡る対応を伺いたい」from:山中 進 さん

私も YouTube の動画を見ましたが,作品としてはよくできていると思います。
 確かに対立を煽る要素が含まれていますが,事実を踏まえて論理的主張をしようという姿勢は見受けられます。人種差別的テレビCM などは明らかに問題で,日本政府として抗議などをしてもおかしくないように見えます。子供を使った卑劣な反捕鯨運動なども同様です。
 明らかにおかしいものに,国民が納得する対応を政府が取らなかったことが,YouTube の動画の出現を促したようにも見えます。
 森下さんの動画へのコメントが,あまりに事なかれ的,他人事的に聞こえますが,政府にはまず反省が必要ではありませんか。素性の知れない誰かとはいえ,その人の不満を大爆発させる前に,日本を侮辱する行為を抑えるための具体的対策を取りましたか。あるいは不満の爆発は想定外でしたか。

 動画に対しては,その主張に賛同するようなコメントが,オーストラリアの然るべき立場の方々から出ています。これらは有効な成果とは考えられませんか。あるいは有っても無くても関係ないもの,かえって邪魔なものですか。
 動画は既に120万回も見られ,一大騒動になっています。誰かの勝手な行動と無視できない存在になっています。政府として何らかの正式コメントが必要ではありませんか。政策上不利だから支持できないのならそう言えばよいし,有望な代替対抗手段がある,あるいは既にそれを実施中なら,確実に助言や PR をすればよいと思えます。
 困ったことをしてくれたと嘆くにとどまらない創造的なコメントが求められると思います。

[ご意見:9]「YouTube 動画を巡る対応を伺いたい」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

コメントをありがとうございました。

話題になっている YouTube 動画が強烈にメッセージを伝えたことは明らかですし,捕鯨問題に関心のある方々の正直な憤りを表現したことも,そのとおりだと思います。
 伝えているメッセージのいくつかについては,実はわれわれも IWC の場やマスコミに繰り返し発言しています。YouTube 動画で取り上げられたこと以外にも,オーストラリアでは人が持ち込んで野生化したラクダが増えたため,自動小銃で間引きしており,これも IWC で話題にしました。

YouTube 動画とわれわれの発言に違いがあるとすれば,われわれは,「オーストラリアが必要と考えて,管理された野生動物の間引きや狩猟を行っているというなら,捕鯨についても同じ基準で議論をしようじゃないか」という一貫性を求める発言を行っているということです。

YouTube 動画の主張は,「オーストラリアもこんな残酷なことや,絶滅に瀕した動物の殺害をしているのだから,捕鯨をとやかく言う資格はない」ということだと思います。これも一貫性に関する指摘ですが,私としては,これは,捕鯨も残酷で,絶滅に瀕した動物を殺害しているという印象を与え,オーストラリアも悪いことをしているのだから,同じような悪いことをしている日本を攻めるな,といっていると誤解される可能性を危惧しています。

銛を使った捕鯨の方法は IWC での議論の末,最も適切だという結論になった方法です。捕鯨再開の主張は,絶滅危惧種の捕獲を求めているわけではありません。

日本人が殺される CM は本当にひどいものです。これが公共の電波で流されたことは,まったく受け入れがたいことです。これに抗議することは私も賛成です。
 捕鯨問題については,歴代の日本政府代表や水産庁関係者は,かなり正直にものを言ってきたと思いますが,ご指摘のように反省すべき点もあります。われわれの主張をいくら発しても,反捕鯨国のメディアが満足に取り上げないという強い不満もあります。今回のようなご意見をいただきながら,出来ること,すべきことをやって行きたいと思います。

[ご意見:8]「ただの素人でありますが・・・」from:坂元貴之 さん

日本が行う捕鯨についての科学的正当性については、森下さんが書かれている通りだと思います。

 欧米人は、過去に人種差別を繰り返し、多くの生物を絶滅させてきています。
これらは、感情的・衝動的な行動が原因であり、また彼らが「劣っている」と感じる生物は生存しなくてよいという、優性主義的思考が根本にあるような気がします。
 そして今、反捕鯨運動に加担している市民を見るに、これと全く変わりがないように思えます。

 「世界の世論」については、世界のマスコミがこのような一方的で非科学的な感情論を肯定し、世論とやらを形成してきたことにも原因があるはずです。
 民主主義国家では国民の声はバカにはできないと思います。
 世界のマスコミに、部分的ではない日本の捕鯨に対する意見を、表明できる機会を設けられないものでしょうか。
 オーストラリアのテレビで討論でもできたら、オーストラリア人かの考えは変わらないだろうか、と思います。
 あと、解放されたシーシェパードの乗組員2人が、勝手なことを言っているようですが、これについても日本側の撮影した2人の扱いに関する動画があるならば、公開していただきたいものだと思います。
 感情論には、事実を突きつけ続けるしか方法はないと思いますので・・・

 外国からの理不尽な反捕鯨に屈せず、日本の一貫した態度を貫いていただきたいと思います。領土問題等でも日本の争いを回避するために問題を先送りしてきた姿勢が、現在にも影響しています。将来に禍根を残さぬよう、是非頑張っていただきたいと思います。
 素人の拙い意見で申し訳ございません。お読みいただきありがとうございました。

[ご意見:8]「ただの素人でありますが・・・」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

多くの人が捕鯨問題の背景に,人種差別や「環境帝国主義」を見ています。ただし,これをぶつけることは,問題の解決よりは,更なる感情論や憎悪という悪循環を生みます。問題をしっかり分析することは大切ですが,その分析をどうやって問題の解決につなげるかが大切なところだと思います

 反捕鯨国のマスコミの一部が,問題をさらに感情化させ,悪化させる役割を果たしていることはご指摘のとおりです。
 実は,我々もオーストラリアを含むいわゆる反捕鯨国のマスコミに働きかけ,情報を提供し,インタビューなどの機会にも出来る限り対応してきています。テレビ討論も何度もしてきました。しかし,1時間も話してこちらの主張を説明した結果,取材する側の欲しい対立的な発言が5秒だけ取り上げられるといった類のことは日常茶飯事です。マスコミ側が定着させた捕鯨イコール悪という構図にあわない発言は取り上げてくれないのです。
 長年にわたるこのような経験から,捕鯨関係者の中には外国の取材に対する拒絶反応を持つ方もあり,それもよくわかります。しかし,黙ってしまえば,いっそう事態が悪化してしまいますので,たまるフラストレーションを抑えつつ情報発信を行っています。
 いいアイディアがありましたら,ぜひご教示ください。心強いサポートに感謝いたします。

[ご意見:7]「捕鯨」from:森上 下一 さん

森下さん,多分わたしはあなたよりかなり年上ですが捕鯨が日本の文化とは考えていません。
 戦後,我々は鯨肉を食べざるを得ない環境にありました。しかし,我々が食べるクジラは,うまさなど無く,むしろ,えぐみを覚えるような味でした。あなたには分からないでしょう。軍が軍の利権により始めた馬鹿な戦争により,多くの国民,そして多くのアジア人が日本の軍により殺されました。あなたは知らないでしょうが,日本の軍はとんでもない馬鹿な行為をアジア諸国でやっていたのです。わたしの父は明治生まれで,第二次世界大戦に引きずりだされたそうです。父の話によると日本の軍の振る舞いは言語を失うほどひどいものだったようです。しかし,日本は戦争に負け,悲惨な生活を国民は強いられるようになったのです。食べるものが無い。そこで日本の政府は,アメリカに捕鯨を許可され,選ばれた企業が南極に行き,多くのクジラを捕獲してきました。わたしたち国民の食料として。あなたが知っているかどうか分かりませんが,戦後のわたしたち子供は肝油というクジラの油を毎日飲まされていました。無理やり,これは身体にいいと。
 いったいこれが,なんで日本の伝統なのでしょう。
 確かに遠い昔から,日本の沿岸に入ってきたクジラを漁師が捕獲してきたという経過は知っています。しかしこれは,どこの国でもあったクジラの捕獲であり,捕鯨で生活を営んできたわけではありません。

 クジラは現在,哺乳類のなかで,もっとも大きく優れた存在であると考えられています。その生き物を日本近海でイルカ,クジラ合わせて1万6千頭以上捕獲しているのです,日本では。あなたの所属する水産庁の2004年の発表では,ですね。 しかし多分,それ以上が捕獲されているのでしょう。
 森下さん,捕獲されたそれぞれの固体の肉は,何という名目で市場に出されているのでしょう。或いは他の国に輸出されているのでしょう。教えてください。
 いいですか,わたしたち日本国民は現在,クジラを口にしません。
 いったい,何の目的があって水産庁はクジラを捕獲するのでしょう。
 調査捕鯨で何故1000頭ものクジラを捕まえなくてはならないのでしょう。
 調査は捕獲なのですか?
 調査が捕獲であり殺戮であるなら,人間が遂行している全ての調査もそうするべきでしょう。人間が人間に対する調査はどうなのでしょう。捕獲して殺戮するのでしょうか。

 あなたがおっしゃっているように,クジラも他の動物と同じように食べるのは当たり前というならば,哺乳類である我々も対象に食べればいい。食べなさいよ。えらそうなことを言っているあなたが,どこの企業或いは代議士と結託しているか分からないが,むやみに命を奪った者は必ず報復は受ける。そう思いませんか。

 勝手な理屈を勝手に言い放ち,それで我々国民の税金で食っているうらやましいね。いいですか,近い将来,水産庁をお辞めになってお一人で事業を始めたら?そのとき,あなたの意見を聞きたいね。

 前文で一部の関係者の利害を超えた,と書いてあるが,誰が殺されるのでしょう。君たちと関係ない,南氷洋で生活をしているクジラたちなんだよ。頭を切り替えろ。利害は君たち人間がかってに仕掛けた馬鹿な業だ。捕鯨は我々日本人にとって最悪の仕業だ。断固,止めるべし。

 神は過ちを見逃さないよ。

[ご意見:7]「捕鯨」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

捕鯨は日本の文化だから認めろという議論は,「文化だから資源の乱獲につながるとしても,絶滅危惧種であっても認めろ」と言っているように誤解されるので,私はあまり使いません。
 また,何が文化で何が文化でないかという議論もかなり不毛です。100年前から始まったら文化なのか,500年前ならどうか。人口の1割が食べていれば鯨食は文化か,5割なのか。これらはいくら議論しても,合意が得られるものではないと思います。

 捕鯨問題にとって大事なのは,鯨類資源を枯渇させることなく利用できるかどうかではないかと思います。

 また,私は捕鯨に反対する国の人や,日本国内でもクジラを食べたくない人に,無理やりクジラを食べろと主張しているわけではありません。
 和歌山県の太地町をはじめとする沿岸小型捕鯨を数百年にわたり行ってきている地域があり,日本全国には,クジラを食べたい人,捕鯨を自分のコミュニティーの大切な要素としてみている人たちがいます。鯨資源を枯渇させるようなやり方をしない限りは,この人たちがクジラを食べ,捕鯨に従事する権利を奪われる理由はありません。
 また,クジラを売ることを商売とすることも,魚を売ることを商売とするのと同じで,まったく正当だと思います。

 調査捕鯨もクジラを捕獲することに,こだわっているわけではありません。日本の調査では,目視調査やバイオプシーという皮膚の一部をとる調査も大規模に行っています。捕獲しなければデータが取れない調査項目について捕獲をしています。 生物学の世界では,調査対象を捕獲してデータを取ることは通常の調査として行われています。クジラも例外ではありません。「どうして調査で1000頭必要か」ですが,例えば東京都民の平均体重を知る必要があるとき,10人の体重を計測しても正確ではないことはわかっていただけると思います。100人,1000人,10000人と,正確さが向上していきます。これと同様に,クジラの資源学で求められる一定の正確さを得るために,統計学を使って捕獲頭数を計算したら,現在の捕獲頭数になります。詳しい計算は日本鯨類研究所のホームページにある調査計画書の中にあります。

 ほかの哺乳類を食べるのが当たり前なら,人間も食べろというのは,いささか飛躍です。現にウシやブタ,野生動物であるシカやカンガルーが食用にされているのに,どうしてクジラはいけないかという説得力のある理由が無いというのが,我々の主張です。

 残念ながら,捕鯨問題では,不信,感情論,誤解,憎悪などが渦巻いています。これが負の悪循環を招き,ここまでこじれてしまったと思います。事実と科学,法律と論理に基づく本当の対話が求められていると思います。

[ご意見:6]「現状の正確な判断は?」from:堀清人 さん

捕鯨に関しては世界においてどれくらいの人が関心を寄せているでしょうか?
 大量生産・大量消費,または情報環境整備により情報が氾濫する社会になる前は,当たり前のように食べる分だけ捕獲し生活を支えていたと思います。一方で,当時のそういった生活を支えていた捕鯨に関する情報は,環境も整備されていなかったこともあり,そう多くは出回っていなかったのではないでしょうか。
 そのように考えても,氾濫し整理・整備されていない情報の中,互いの主張を繰り返し,相互にぶつかっていても将来への展望は薄いのでは?と,感じます。

 鯨肉は,食資源としては,調査捕鯨における捕獲物の有効利用として市場で流通していることは間違いなく,反捕鯨側も暗黙の了解でしょう。とすると,商業捕鯨としての規模の拡大が,現状と比べ明確な効果として何があるのかを提示するかも重要な要素ではないでしょうか。
 石油資源の枯渇が叫ばれている中,今や水産業は岐路に立たされていると言っても過言ではありません。また,世界の飢餓に対応する量に匹敵する食べ物を廃棄している日本において,なおかつ,それら廃棄食材を輸入に頼っている日本としてバランスを考慮し整理することが大切だと思います。
 私は児童・生徒時代はクジラに大変お世話になりました。給食におけるクジラメニューは,今でも当時を鮮明に思い起こすことができるコンテンツでもあります。それゆえ,理解も得たいし,食文化としてだけでなく社会経済を支えた捕鯨の価値と今後の世界における良好な捕鯨(どんな形でも)が継続されることを望みます。 

[ご意見:6]「現状の正確な判断は?」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

 「世界のどれくらいの人が捕鯨問題に関心を持っているか?」というご質問に定量的にお答えすることはなかなか難しいのですが,目安のひとつは,その国でのマスコミの報道頻度でしょう。
 この点ではオーストラリアが特異で,1年365日,オーストラリアの新聞(大手,地方新聞,タブロイド[日本で言うスポーツ新聞のような感じです)すべてを含みます]が,捕鯨やクジラの記事を載せない日はありません。南氷洋での調査捕鯨妨害など事件が起こると,大きな一面記事を含め,ほとんどすべての新聞が連日報道します。オーストラリアほどではありませんが,ニュージーランドでも捕鯨関係の記事が非常に多いと思います。米国やヨーロッパについては,何か事件があればいくつかの新聞が報道するというレベルでしょう。ほかの国ではまったく関心がないか,1年に数回報道されるだけです。オーストラリアとニュージーランドの報道のもうひとつの特徴は,ほとんど一方的に反捕鯨の立場をとり,捕鯨イコール悪という考え方が定着していることです。日本の新聞が,何かの問題について一斉にこのような一方的な報道と立場表明をするケースは,あまり思いつきません。また,捕鯨といえば,過去の鯨油を対象とした乱獲を思い出す人が多く,食料資源としてのクジラや,生活を支えるための捕鯨を思い浮かべる人は,ほかの国では専門家だけだと思います。
 したがって,ご指摘のように整理されていない情報が単なる印象や思い込みとして定着したまま,両極端の議論が出口のないまま行われてきたという側面があります。

 ただし,これは正しい情報を提供しさえすれば,問題が解決するということではありません。
 例えば,欧米のマスコミのインタビューでクジラの資源状態に関する情報を提供するとき,私は必ず国際捕鯨委員会(IWC)の科学委員会で反捕鯨国の科学者も受け入れた情報を,IWC の合意した情報だと明確に説明し,それを示した IWC のホームページのコピーまで渡しますが,これが記事になると,しばしば「日本の主張ではこうこう言っているが」と報道されます。
 彼らの国ではすでに定着した「絶滅に瀕したクジラ」というイメージに合わない情報は,取り上げられないのです。つい先日も,オーストラリアの著名な科学者が,ミンククジラの捕獲は資源に悪影響を与えず持続的に可能だということを言ったとたん,マスコミと投書の総攻撃を受けました。

 食糧問題や資源利用問題全体の中で捕鯨問題を捉え,さまざまな資源利用全体の中でバランスを持って問題を整理するというお考えには私も大賛成です。

 商業捕鯨が再開されれば,際限なく拡大し過去の乱獲を繰り返すという懸念が聞かれますが,IWC は過去の過ちから学習し,乱獲を起こさないように十分安全を見込んだ捕獲枠を科学的に計算する方式を開発し,これがすでに1992年に IWC科学委員会によりコンセンサスで採択されています。
 日本は,この捕獲枠を確実に守るために,国際監視員を捕鯨船や捕鯨基地に受け入れることや,人工衛星を使って捕鯨船の動きを追跡することなどをIWCで提案してきています。
 また将来の捕鯨は食料のための捕鯨で,工業原料としての鯨油を得るための捕鯨ではありません。その需要が無制限に拡大し乱獲につながるというのは,まさに資源利用の現実とバランスを考えていない主張です。「商業捕鯨が許されたら,日本はいったい何頭クジラを取るつもりだ」という質問をよくされますが,これは捕鯨が認められれば自由にクジラを捕れるという大きな誤解に基づく質問です。もうそのようなことは許されないのです。これはすべての漁業資源についても支配的となっている考えです。
 捕鯨問題が紛糾している理由の一部に,将来の捕鯨像について共通の理解がない,あるいは共通の理解が受け入れられないことがあります。我々としては,粘り強く,捕鯨は悪ではなく,ほかの資源利用と同じように規制管理することが出来,規制管理の下で許されるべき活動であることを訴えていくべきだと思います。
 クジラは特別な動物であり,それであっても捕獲されるべきではないという議論については,機会を変えて論じてみたいと思います。

[ご意見:5]「環境保護団体のテロ行為は理解し難い」from:峰村輝慶 さん

肉食民族である欧米系人種が,日本の捕鯨調査を妨害する権利はないし,ましてや警察や軍隊に代わって暴力沙汰を平然と行なうのはテロ以外のなにものでもない。環境保護を理由に海賊まがいの旗を掲げての行動は,あまりにも稚戯じみており,かつ狂信的ですらある。背後に彼らを操っている存在があるのではないかと疑ってしまう。

[ご意見:5]「環境保護団体のテロ行為は理解し難い」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

捕鯨問題にかかわらず,紛糾する問題では,「自分のみが正しい。ほかの人間はそれを受け入れなければならない。そのためにはあらゆる手段を使う」ということを信じているとしか思えない主張や行動が見られます。そしてそれを「世界の世論」と正当化するわけです。これを一神教的メンタリティーと見る見方も有ります。
 いずれにしても,この様なアプローチに関する分析や反論はいろいろありますが,大切なことは,それを指摘しても相手は納得しないし,こちらが対抗して同じようなアプローチをとることも,問題の更なる先鋭化を生むということではないかと思います。

 捕鯨問題を双方が納得いく形で解決することは至難ですが,“Agree to Disagree (合意できないことに合意する)”して,共存する道を探ることが,当面は大事ではないかと思います。
 我々は反捕鯨国や,クジラを食べたくない人にまで,クジラを食べることを強要しているわけではありませんし,クジラを絶滅に追いやることは,クジラを末永く利用していきたい我々こそ,ぜひ回避したいことであるわけですから,共存は可能なはずです。

 問題の感情化,先鋭化の悪循環は,そろそろ断ち切らなければなりません。

[ご意見:4]「ありがとうございます」from:コンパス さん

「くっくり」さんのブログから参りました。
 環境保護団体や反捕鯨団体の胡散臭さは,数年前に『文芸春秋(?)』でも読んだような気がします。今回,日本が国として,IWC でどのように主張しているのか,わかりやすくまとめていただきました。「(IWC で票買いしているとの一方的批判について)別の機会に詳細に書くこととしたい」とされている部分の新たなUPを楽しみにしております。
 また,漁業交渉官として,理不尽な交渉の場での遣り取りを行わねばならないお仕事。ほんとにご苦労様です。このような論理立てたお話があると,ネットの中で広まっていくと思います。それが,日本国民の考え方にも大きな影響を与えてくると思います。大変でしょうが,ぜひとも広報よろしくお願いします。 

[ご意見:4]「ありがとうございます」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

お励ましのメッセージをありがとうございます。

 感情的な議論に対して論理を尽くして説明することは,いつもフラストレーションがたまりますが,この問題はそれが正しいアプローチだと思います。また,次の意見を書きますので,引き続きのご支援をお願いします。

[ご意見:3]「捕鯨は日本の文化ですから」from:河野 さん

反捕鯨団体の,クジラを殺す事は残酷だ,という主張はやっぱりおかしいです。また捕鯨が再会される日を願っています。

 ところで,オーストラリアは,日本の調査捕鯨は調査捕鯨と偽った商業捕鯨だ,と言っていますよね。日本政府は,オーストラリア政府やオーストラリアの国民に「これはちゃんと条約に従った調査捕鯨です。」ということをアピールすればいいと思うのですが。

[ご意見:3]「捕鯨は日本の文化ですから」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

日本の調査捕鯨が国際捕鯨取締条約の第8条に基づく合法なものであることは,ようやくオーストラリアのマスコミなども書くようになってきましたが,捕鯨に反対する国や NGO は,その第8条そのものが法的な「抜け穴」である,調査捕鯨は科学的には無意味で第8条に規定された調査ではない,などといった主張を行っています。
 条約や法律に書いていないことを逆手に取ったり,書かれている規定をゆがめて解釈したりして,何かを正当化しようとすることが「抜け穴」の悪用ということでしょうが,条約の明確な規定に沿って調査をすることを「抜け穴」というのは,論理矛盾だと思います。

 ただ,本当に大切なことは,調査捕鯨が科学的に必要で,重要な成果をあげているかどうかです。

 反捕鯨国のマスコミでは,調査捕鯨からは,ぜんぜん学術論文が出ていないといった内容の記事が繰り返されていますが,これは事実に反します。
 例えば,南氷洋の調査捕鯨だけをとっても,1987年から2006年にかけて,日本の科学者は182編の科学論文を国際捕鯨委員会(IWC)の科学委員会に提出し,加えて,91編の学術論文を,審査を受けた上で学術雑誌に掲載しています。もちろんこれらに加えて,さらに北西太平洋の調査捕鯨の成果もあります。

 また,2006年12月には IWC科学委員会が南氷洋の調査捕鯨の成果をレビューし,報告書を出しています。報告書には賛否両論が述べられていますが,科学委員会が合意した表現として以下のような文章が記載されています。
 「調査捕鯨が収集したデータは,南氷洋の海洋生態系における鯨類の役割を研究する上で,価値有る材料を提供している。また,そのデータは,本件に関する科学委員会の仕事や,南極海洋生物資源保存条約などの関連する国際機関の仕事に重要な貢献を行う潜在的可能性を持っている。」
[※編集室 注:「2006年JARPAレビューワークショップ報告書(英文のみ)」を,ご参照ください。こちらからリンクしています(PDFファイル/別ウィンドウで開きます)。]

 これらの調査捕鯨の成果に関する情報は IWC の場や外国のマスコミにも提供してきていますが,大抵は無視されてしまいます。彼らが作り上げてきた「役に立たない調査捕鯨」というイメージに反するからでしょう。我々としてはあらゆる機会に,調査捕鯨が科学的に大切で成果をあげてきていることを内外に発信していくしかないと思っています。

[ご意見:2]「森下さんへの質問」from:山口正士 さん

森下さん,困難な国際交渉の最前線でのご苦労,お疲れさまです。
 最近特に沸き立っている反捕鯨運動について,いくつか素朴な疑問が浮かびましたので,水産庁の担当者としてのご意見,見解を承りたいと思います。

 ◎ 1.
 森下さんが投稿されたメッセージはもっともなことばかりですが,日本政府(水産庁)が20年以上にわたって正当な主張を基にして交渉に当たっているのにもかかわらず,日本の商業捕鯨再開がいまだに国際的に受け入れられていません。その理由の一つとして,私は,日本の漁業とそれを監督する水産庁に対して国際的な信用が欠けているためではないか,と見ています。
 過去の実績から,南太平洋では大目刺網問題,ミナミマグロ問題などで日本の遠洋漁業は水産資源の持続的な利用という意識を持たず,資源管理のための漁獲データについても偽装,改ざんを行うものがいて,それを監督官庁がきちんと監視せず,違反に寛容,あるいは監督能力が不十分であるという認識から,もし商業捕鯨の再開を許したら,表向きでは資源管理を言っていても実際には乱獲をもたらすだろうという懸念を関係各国が持っていることではありませんか。
 この点に対する水産庁の国際的な説明責任が果たされているのかどうか,ご意見をお願いします。

 ◎ 2.
 今年度の調査捕鯨計画では,後で撤回されましたが,今回初めてザトウクジラの捕殺予定を公表しました。これについてふたつの疑問があります。

 ◎ 2-1.
 ザトウクジラは他の鯨類とは別格の存在であって,地球環境を守るということの国際的なシンボルになっていることは承知の上で,水産庁はこれを持ち出したと思います。そして,反捕鯨関係者だけでなく広く一般市民を巻き込んで国際的に強烈な反発を招くだろうという予想はされていたはずです。また,ザトウクジラを主な対象としたホエール・ウオッチングが観光産業で重要な地位を占めている現状は十分に認識されていたと思います。南半球のザトウクジラは北半球には回遊してこないでしょうから,日本国内および米国領の沿岸を回遊する群れには影響が出ないと想像しますが,特にオーストラリアとニュージーランド両国での国をあげての反発が起こるだろうということは,水産庁の担当部署では予想されていたと思います。
 それにもかかわらず,なぜ,あえてザトウクジラを捕殺する構えを見せたのでしょうか。

 ◎ 2-2.
 正当な理由があるとして国が決定した計画(ザトウクジラの捕殺)を撤回する場合には,それ相応の説明が求められます。単に米国からの圧力や国際的な反対運動の高まりがあったからでは済まないはずです。海外の報道を見ると,政治的な観測気球ではないか,あるいは交渉取引の材料に使おうとしたのか,などという憶測が諸外国では取りざたされているようですが,日本の真意が誰にも見えてこないというのが問題です。もぐらたたきに遭ったので首を引っ込めただけ,あるいは最初からそれを実行するつもりはなかったという態度では国際的な侮蔑の対象となることは,国際交渉の担当者は当然認識されているはずです。
 これについて,水産庁はどのように説明するつもりでしょうか。

 ◎ 3.
 最近勃発している日本対オーストラリアとニュージーランドの「サイバー戦争」の引き金となったのは,ご承知の,YouTube に投稿されたオーストラリアに対する人種差別,野生動物虐待についての非難映像です。この映像に対する国際的な反応をネット上の意見表明文で見ると,日本と海外の人々の間で極めて激しく対立しています。人種差別問題は捕鯨とは別なので触れないことにしますが,野生動物について考えると,日本でもオーストラリアのカンガルー問題と同様に「野生有害鳥獣駆除」の深刻な問題があり,たとえば,環境省発表の資料で,平成12年度の捕殺数は全国で猪が44,775頭,サルが 9,580個体などとされていて,両国間で野生鳥獣による農業被害対策についての情報交換が有意義だろうと考えています。つまり,上記の映像は捕鯨問題を口実にして,国際間の憎悪を煽ることだけが狙いであろうとしか思えません。
 このようなオーストラリアに対する悪意に満ちた映像に対しては,日本政府が無視せずに不快感を表明するべきですが,外務省に対して水産庁からはどのような提言がなされているでしょうか。

 以上のほかにも色々な疑問がありますが,長くなるのでこの辺で打ち切ります。

[ご意見:2]「森下さんへの質問」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

詳細なご質問をありがとうございました。

 ◎ 1.
 まず,日本の漁業と監督官庁である水産庁への国際的な信用の欠如というご指摘ですが,捕鯨に反対する議論の中でもよく指摘されることがあります。ひとたび捕鯨再開を許せば過去の乱獲は止められないという意見です。
 過去の日本の漁業に過剰漁獲や違反があったことは事実ですし,これに監督官庁が十分に対応できていなかったことも否めません。しかし,この反省と水産資源の持続的利用という意識の高まりを受け,近年の国際舞台では,日本は過剰な漁獲努力量の削減や,IUU(違法・無報告・無規制)漁業の撲滅に率先して取り組んでおり,これは関係各国でも高く評価されています。
 これからも毅然として漁業の持続低の確保や違反への対応を行っていくことが,信用回復への唯一への道ではないかと思います。

 しかし,捕鯨問題との関連では,少なくとも2点を指摘したいと思います。

 まず,1点目は,国際捕鯨委員会(IWC)において沿岸小型捕鯨に対する捕獲枠の要求を行ってきていますが,その提案の中では乱獲の回避のために,さまざまな監視取締措置を含めているということです。
 具体的には,捕鯨船や陸上捕鯨基地への国際監視員の受け入れ,人工衛星を用いた捕鯨船の監視,DNA登録によるクジラ一頭一頭の登録とそれを用いた市場のモニター,これら監視取締措置が機能していることを外国関係者を含めた第三者がモニターするオーバーサイト委員会の設置などです。
 これらにより乱獲は回避できると考えており,もしこの提案に抜け道があるならば協議する余地もあることを示してきていますが,昨年のアンカレッジ会合で提案が否決された理由は,監視取締措置の不備ではなく,沿岸小型捕鯨に商業性があるというものでした。先住民捕鯨が何千ドルもするクジラの工芸品を販売することが認められながら,沿岸小型捕鯨による肉の販売が理由で提案を拒否されることは,われわれには到底納得できるものではありません。

 2点目は,1点目にも関連しますが,捕鯨に反対する最も大きな理由は,いまや捕鯨活動の取締の信頼性に関する懸念ではなく,クジラという生き物を資源として捕獲し,利用することへの反対であるということです。
 そうであるからといって信用確保が必要ないとはいいませんし,監視取締に関しては最大限の提案を行ってきていますが,信頼があっても捕鯨には賛成してもらえないというのが現実です。

 ◎ 2.
 ザトウクジラの件ですが,まず,捕獲を撤回したわけではありません。
 IWC がホガース議長(米国)のイニシアティブにより正常化の動きを進めている間は,捕獲開始を少なくとも今年の IWC年次会合(6月,サンティアゴ)の結果が見えるまでは見合わせる,正常化の動きに進展がないようであればいつでも捕獲を開始する,というのが今回の方針です。
 調査計画そのものは一切変更をしていませんし,したがって,ザトウクジラ捕獲に関する科学的な立場も変更していません。
 ホガース議長のイニシアティブに日本として誠意を示したものです。日本もIWCの正常化を望んでおり,昨年のIWCアンカレッジ会合でこれが頓挫したにもかかわらず,ホガース議長が再挑戦を試みていることを,ザトウクジラの捕獲を今回は見合わせ,感情論の拡大を回避することで,われわれもサポートするという意図です。

 ◎ 2-1.
 ザトウクジラが国際的な環境保護のシンボルであることは,われわれも当然十分承知しています。それにもかかわらず,鯨類捕獲調査計画にザトウクジラを含めたのは科学的な必要性からです。
 詳しくは調査計画本文中にありますが(日本鯨類研究所のホームページをご参照ください),20年近くにわたる日本の鯨類調査の結果,近年南氷洋における鯨種構成の急激な変化が観察されています。
 具体的には,ナガスクジラとザトウクジラが年間10パーセントほどの勢いで増加し,ミンククジラが南極大陸氷縁に押しやられています。いまや,ナガスクジラとザトウクジラのバイオマス(生物量,生息数に平均体重をかけたもの)は,ミンククジラを大きく上回るようになって来ました。この傾向は IWC の科学委員会も認めています。
 鯨類捕獲調査では,南氷洋の海洋生態系の解明を目的のひとつとしていますが,ここまで回復したナガスクジラとザトウクジラを無視して海洋生態系を語れない事態になっていることが,両鯨種を調査計画に含めた理由です。ザトウクジラについてはそのシンボル性に基づく予想される反発と,科学的な必要性のどちらをとるかを迫られ,科学を選んだということが言えると思います。

 ◎ 2-2.
 上に述べましたように,ザトウクジラの捕獲は撤回したわけではありません。また,IWCホガース議長との話し合いの結果によることも,IWCからの回章などで明確に説明をしていますが,特に豪州のマスコミなどは自分たちの反対の成果だという報道をしています。実際,豪州とこの件についての協議はしていません。

 われわれとしては,科学的な根拠に基づくという大方針は損なうことなく,IWCホガース議長による IWC 崩壊を回避するための最後の試みに協力するという方針が,今回の措置により実現したと考えています。楽観はまったくしていませんが,これが少しでも前向きな結果につながることを祈ります。

 ◎ 3.
 個人的には YouTube のメッセージは非常に残念です。豪州も悪いことをやっているんだから,日本も悪いことをやってもいい,あるいは日本を非難する資格はないと主張しているように受け取られるからです。
 捕鯨は,しっかりと管理すれば,ほかの漁業や狩猟となんら変わらない活動で,悪いことでも間違ったことでもありません。非難の応酬をしなくとも,本来認められるべき活動です。
 豪州の主張に矛盾があることや,一貫性にかけることを YouTube のメッセージは示しており,それはそのとおりですが,やはり,捕鯨もディンゴの捕殺も人種差別も全部同じカテゴリーにされてしまうことに大きな問題を感じます。
 ご指摘のように国際間の憎悪を煽ることだけが目的とすれば,きわめて残念ですし,なんら問題の解決につながりません。野生動物の駆除に関するいろいろな問題について豪州などとも冷静に意見交換ができるような環境が作られることを心から望んでいます。

 憎悪に対して憎悪のエスカレートで応えることは,本来の問題から足を踏み外すことになり,その憎悪から利益や楽しみを得る人間を喜ばすだけです。

[ご意見:1]「ザトウクジラの捕獲中止に関する件」from:水産大国 さん

捕鯨再開と今後の捕鯨に関する方針,そして国際社会において反捕鯨国が掲げる矛盾と今後の日本捕鯨の国際的な期待と貢献がよくわかりました。

 しかし,そんな矢先,ザトウクジラの捕獲を中止するという政府の発表がニュースで流れました。森下様をはじめとする捕鯨関係者の方々はこのニュースに対してどのような見解をお持ちでしょうか?

 オーストラリアが,食用としてスーパーで普通に販売しているカンガルー肉となるアカカンガルーが IUCN に登録されている一方で,IUCN から除外されたミンククジラの捕鯨に反対する矛盾を,われわれは指摘し続けるべきです。ザトウクジラを,科学的根拠もないまま中止にするのは,いまひとつ私としては納得がいかないものでもあります。

[ご意見:1]「ザトウクジラの捕獲中止に関する件」への回答from:水産庁・森下丈二 参事官

回答が遅くなり失礼しました。

 ザトウクジラの件ですが,正確には捕獲を中止したわけではありません。
 IWC がホガース議長(米国)のイニシアティブにより正常化の動きを進めている間は,捕獲開始を少なくとも今年の IWC年次会合(6月,サンティアゴ)の結果が見えるまでは見合わせる,正常化の動きに進展がないようであればいつでも捕獲を開始する,というのが今回の方針です。
 調査計画そのものは一切変更をしていませんし,したがって,ザトウクジラ捕獲に関する科学的な立場も変更していません。
 ホガース議長のイニシアティブに日本として誠意を示したものです。日本も IWC の正常化を望んでおり,昨年の IWCアンカレッジ会合でこれが頓挫したにもかかわらず,ホガース議長が再挑戦を試みていることを,ザトウクジラの捕獲を今回は見合わせ,感情論の拡大を回避することで,われわれもサポートするという意図です。

 もともと,ザトウクジラの捕獲開始はナガスクジラの捕獲開始より2年遅らせており
(これは,ナガスクジラに比べてザトウクジラに関する科学的知見の蓄積が比較的多く,既存のザトウクジラに関する知見を見直す間は捕獲を開始しないということを調査計画に明記しているためです。われわれが,別に致死的調査にだけこだわっておらず,あくまで科学的見地から調査を行っていることのひとつの現われでもあります。)
今回の発表は,この延期を,IWC正常化の動きを見守る間は続けるというものです。

 捕鯨問題に関するわれわれの主張の基礎は科学的な根拠ですので,これを大きく曲げないことが基本方針です。

copyright© 2007