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【社会】

<ハンセン病家族訴訟 引き裂かれた絆>(下)弟2人の苦労思う元患者 「人間回復」の歓喜よ再び

ハンセン病元患者で、国を相手に闘った裁判を振り返る上野正子さん=鹿児島県鹿屋市で

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 「ハンセン病患者の隔離は必要なく、違憲性は明白だ」。二〇〇一年五月十一日、熊本地裁。国の強制隔離政策を厳しく批判する裁判長の言葉を、元患者上野正子さん(92)は法廷で聞いた。「私たちは正しかったんだ」。原告として共に闘った夫と、泣きながら抱き合った。約六十年間名乗った偽名を捨てた「人間回復の日」の記憶は色あせない。差別に苦しめられた家族も、判決を同じ歓喜で迎えられることを信じている。

 沖縄・石垣島出身の上野さんは、十三歳のころ父に連れられ、国立療養所星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市)に入所した。「早く社会に出て、子どもを産み育てたい」。症状が軽かった夫と園内で出会い結婚したが、夫は結婚の条件として断種手術を受けさせられていた。ささやかな願いはかなわなかった。

 故郷とも溝が生まれた。患者が出たといううわさはすぐに広がる。実家の商店からは客足が遠のき、弟たちは学校でいじめられた。父や母の死に目には会えず、葬式にも弟から「来ないで」と連絡があった。親をしのび、一人涙を流した。

 負ければ命を絶つ覚悟で臨んだ裁判。勝訴し、国が責任を認めて謝罪したことで「世の中が一変した」という。その後はハンセン病問題の語り部として各地で講演を続けてきた。今回、家族訴訟の原告となった弟二人にも「私の病気のために苦労したことを、堂々と証言したらいい」と背中を押した。「家族は小さくなって暮らさなければならなかった。患者が勝っても、家族へのいじめはなくならなかったのでしょう」。それぞれの苦悩に思いをはせる。

 二十八日には、上野さんも熊本地裁に赴くという。「国は患者の家族への責任も認めて、この裁判を最後にしてほしい」。家族にも人間回復の日を-。判決が言い渡されるのは、かつて元患者が歓喜の声を上げたのと同じ一〇一号法廷だ。

 

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