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反省
2019年06月29日 (土曜日)
他人には注意が出来ても、注意したことを自分が出来ているかといったらそうではありません。
人ってね。自分には甘く出来ているのかもしれませんね。
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河井継之助
2019年06月29日 (土曜日)
幕末維新の頃に生まれていたら、女性達はどのような思いの日々だったのでしょう。
こんなことを書くと、河井継之助の血縁筋の人にお叱りを受けるかもしれませんが、お顔が吉本興業の坂田師匠に似ておられる気がして、とても親しめます。
41歳の若さで亡くなられたのが、凄く残念な思いがいたします。
私は思うのです。彼のような人が今の日本の中心にいたら、国の利益をつくり出してくれていたはずだと‥‥。
継之助という男は、思い切りが見事です。
越後長岡藩邸の主なる品々を売って大量の銃を買ったり、又、江戸で買った米を相場が高い函館で売ったり、江戸から持ち帰った二万両分の銅銭を、銭相場が高い新潟で売却して大きな利益を上げたりと、かなりの商売人です。
若い頃、彼のような男性と出会っていたら、胸キュ~ンだったに違いがありません。
領民の安寧を願い、武装中立を主張した男、河井継之助。
ガトリング砲2門をスイス人の貿易商から購入するあたり、継之助は肝が座っていると思ってしまいます。当時、日本にはこのガトリング砲は3門しかありませんでしたからね。
毎分200発の弾丸が連射できる優れもののガトリング砲を、継之助はどのような思いで購入したのでしょう。
自らこのガトリング砲を連射して防戦したのですが、左肩を負傷し、その後城下新町での戦闘で左足の膝下を負傷、このことが原因で新政府軍は敗れたのです。
彼は自分の最期を知っていたのです。
遺体は火葬にすべしと命じ、次の日の午後、寝入ると暫くしてこの世を去りました。今でも建福寺にお墓があるのでしょうか。
北越戦争がなかったならば、彼はどのような人生を送ったのでしょうね。
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松原照子の個別相談受付を再開致しました!
2019年06月26日 (水曜日)
平素は「幸福への近道」ご愛顧いただきありがとうございます。 会員様限定の【松原照子のマンツーマン】個別相談受付を再開致しましたのでご報告申し上げます。 松原照子に直接、ご相談・カウンセリングをご希望の会員様は、個別相談受 […]
【第30回世見深掘り】伊豆七島の利島にゆかりの深い源氏の武将とは?
2019年06月26日 (水曜日)
月刊ムー制作担当者が、世見を独自の視点で探究する会員限定特別コラム「世見深掘り」。 第30回は、2019年6月3日の世見「利島」に書かれている内容を深掘りします。
【好評連載中】月刊ムー「松原照子の大世見」今月のテーマは「ソロモンの神殿を飾った金が紅海の南岸に今も眠っている!」
2019年06月13日 (木曜日)
月刊「ムー」で、松原照子が「不思議な世界の方々」から得た情報を編集部が調査していく〈松原照子の大世見〉を連載中です。 7月号(2019年6月9日発売)のテーマは、「ソロモンの神殿を飾った金が紅海の南岸に今も眠っている!」 […]