さらに、16日には逃亡条例改定の反対に加えて、この警官隊の無抵抗の市民に対する暴力に抗議するという呼びかけや、香港行政長官の林鄭月娥(りんてい・げつが)氏の退陣を求めて、再びデモが民主派を中心に呼びかけられ、こちらはなんと200万人(主催者発表)が集まったという。こちらは9日と同じく民間人権陣線が主催し、大きな混乱はなかった。
これを受けて、香港行政府はこの逃亡犯条例改定の審議を無期限延期することを表明。事実上の廃案となる結果となった。現在、これに加えて、抗議者側は林鄭氏の行政長官の辞任などを求めて、さらに直接行動を示唆している。この勢いはしばらく鎮火する様子は見られない。
さて、そのさらなる要求として「暴動」という表現を撤回し、警察の暴力についての調査を進めるよう求めている。無抵抗の市民に対して、警察が催涙ガスや暴徒鎮圧用のゴム弾を使用して、抗議者側に多数の負傷者が出たことをこれは指している。
これまで警察は、「暴徒」から、立法会などの政府施設を守るために、催涙ガスなどを使ったが、これらは海外の暴徒鎮圧用に使われるもので、問題はなかったとの見解を示していた。そして、暴徒はレンガや鉄の棒やフェンスなどを投げていたので、警官たちも自己防衛のために仕方なかったと説明していた。これに抗議運動側は強く反発し、無抵抗な市民への暴挙を追及するとの構えである。
しかし、「非暴力で無抵抗な市民」が一方的に攻撃されたというのはかなり事情が違う。事実はこうである。
抗議者側は立法会に実力行使で突入をはかり、その現場では、石や鉄パイプなどが警察に向けて投げつけられていた。そこでは、これまで非暴力の象徴だった雨傘が警察に向けて乱れ飛んだ。筆者自身もいたるところで目撃したし、このことは最前線にいたメディアも当然知っているはずである。
そればかりか、香港のテレビではこの模様が連日ニュースで映し出されていた。筆者は投石用に袋詰めにされて用意された石が、抗議者たちが警察に追われていなくなった道路に放置されているのも見ている。何かのはずみに孤立した警察官は若者たちに囲まれた末に引きずり倒されて、数人に囲まれて蹴りつけていた映像は、香港の反体制側といえる報道姿勢で有名な「蘋果日報」のニュースサイトでも見ることかできた。(現在はなぜか削除されている)
香港の新しい民主化運動は学生によって組織された2014年の雨傘デモから始まった新しいスタイルである。当初、大学の教職者などによって呼びかけられた道路占拠運動のスタイルは非暴力であり、違法な示威行動ゆえに、もし警察に逮捕されるとしても、それには粛々と従うとされていた。ところが、これがどこかで変わった。
法的な枠組みをギリギリで維持しつつ、体制側とあくまでも対話と交渉を通じながら平和裏に解決を図ろうという雨傘デモ当初の手法から、急進的な学生たちは強硬手段を用いても徹底的に戦うという流れになりつつある。これはすでに、2014年の雨傘デモの終盤でも見られていた。この変化はどこから来たのか。今度はこの背景について見てみよう。
現在の香港の政治勢力はおおよそ2つに分けることができる。一つは香港の既得権益層からつくられる親中の親政府派。もう一つは民主派。ところが、この雨傘デモ以来、民主派が分裂しつつあり、もう一つの政治傾向が生じてきている。これが「本土派」という、強硬ともいえる香港の政治的独立性を主張するグループだ。ともすれば妥協を重ねて遅々として進まない状況を、ある程度手段を選ばずに強行突破して変えていこうというのがこのグループだ。だからむしろ香港の穏健的な民主勢力(「汎民主派」という)とは対立することも多い。
現在日本で、香港のデモのスポークスマンのように発言し続けている周庭(しゅう・てい)女史はその中心的人物の一人である。したがって、彼女を民主派というのは少し誤解が生じる。その中でも最右派のグループとして理解しておいた方がいい。つまりこれが本土派である。
この最右派の中でも、さらに強硬的なグループは、圧倒的な体制との闘いの中では、暴力的な闘争さえも選択すると公言するものもいる。雨傘デモの終盤から、この傾向は学生たちの一部に徐々に共有されていき、そのために2014年の雨傘デモ終盤から暴力的な傾向が見受けられ、これが2016年になると旺角(モンコック)という繁華街での暴動に発展し、参加者と警察双方あわせて100人近くの負傷者が出る争乱に発展している。放火が繰り返された街路では、この時もレンガが投石に使われていた。
彼らは欧米などで反体制運動や極右との抗争を繰り返す、アナーキストの過激な政治運動スタイルである「ブラックブロック」の影響を隠していない。その特徴であるカラーの黒、そしてネットを通じたプロテスターの扇動と動員、非合法活動のための中心を持たないネットワークなどの特徴は、まさにブラックブロックである。