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2019-06-27

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ずうっと昔のことだけれど、ある先輩が、
 こんなことを教えてくれた。
 「景気のいい時代と、景気がふつうの時代と、
 景気のわるい時代がありますよね。
 景気のいい時代には、どういう業界でも、
 一流と二流と三流と、四流の人さえ食えるんです。
 景気のふつうの時代では、一流と二流が食えるでしょう。
 で、景気のわるい時代には、一流しか食えなくなります。
 一流の人が一流のことをやっていれば、
 どんな時代がきても、なんの問題もないんです。」
 なるほどなぁと、ぼくは思った。

 「レストランでいえば、料理人の腕が一流。
 そして、立地や内装が一流。フロアのサービスが一流と、
 3つの要素が一流なら、それが一流です。
 でも、いくら料理がおいしいとしても、
 たとえば接客のところで一流と言えない人がいたら、
 それは、もう一流ではなくなってしまいますよね。」
 ああ、そうだよなぁ、とぼくは思った。

 「それでも、景気のいい時代にはお客さんが来ますから、
 まだ一流だと思いこんでいられるんです。
 でも、接客のサービスを落ちたままにしておいたり、
 店の建物や内装とかインテリアを、
 きれいなままにできなくなっていたら、
 景気がわるくなったときには、もうアウトになります。」
 お客がいつも来てくれている間には、
 そういうことに気づけなくなるものなのだなぁと、
 他人ごととして、ぼくはなるほどと思った。

 この話は、何十年経っても、忘れていない。
 一流とはなにかという定義にもよるかもしれないが、
 「一流とはなにか?」を考えていることは、まず必要だ。
 そして、なにかひとつくらいの取り柄だとか、
 少々ほめられているような点に得心して、
 汚れているのれん、掃除の行き届いてない看板に
 気づかないでいるようになったら、
 ただの「自称一流」になってしまうだろうし、
 もっと景気のわるい時代になったら、消えてしまう。
 その怖さをも、しっかり抱えていなくてはだめだな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人のことは、平気で「だめになったよね」などと言うけど。


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